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ACT.3 絶望
その日は朝から雨が降っていた。段々と強くなる雨足に嫌気が差しながら、武士は義彰と共に登校していた。家を出て、しばらくしてから義彰が忘れ物に気づいた。「あっ!わりぃ。先行っとって!すぐ追いつくから。」 「ん。気をつけーよ。足元」 「分かっとるよ」 義彰は笑いながら、来た道を戻って行った。 (雨の日にいっつもこけて泥だらけになるんは誰やと思ってるんや) 小学生の頃の義彰を思い出し、思わず噴出してしまう。 「楽しそうやないかい」 声がしたので顔を上げると、目の前には目付きの悪い男が3人立っていた。後方からまた3人がやって来たのに、気配で気づく。 「何か用か?」 武士がそう聞くと、全員ムッとした顔になる。 「用?お前、俺らの顔見て何も思わんのか」 目の前にいた男に言われ、武士は前方の3人、後方の3人それぞれの顔を見たが、いまいちピンッとこなかった。 「さぁ?」 武士が首をすくめると、目の前の男が殴りかかってきた。すぐにヒラリと避ける。 「お前、よくもそんなことが言えたなぁ!」 避けられたのに悪態はつく。 「知らんもんは知らん!!」 武士はうざったそうに男を睨んだ。一瞬怯むが、今度は束になって殴りかかってくる。武士は傘を盾にして避けた。カッパを着ている6人は、武士の傘攻撃を避けながら、武士に襲い掛かってきた。 雨が降っている上に6人もの攻撃を避けるのは、かなり体力を消耗する。 (くっそー。こんなんじゃラチあかん) 「往生せいやっ!」 1人がどこからか鉄パイプを取り出した。武士は驚いた。こんなのでやられれば、一発であの世逝きだろう。 「死ね!!!」 男が鉄パイプを振り下ろす。頭を庇い、咄嗟に右腕を掲げる。何とか右腕でガードできたが、殴られた腕がジンジンと痛む。骨は折れていないかもしれないが、ヒビくらい入ったかもしれない。 だが、そんなこと気にしていられない。狙いが外れた男は再びこっちに向かってきた。更に前後左右、取り囲まれ逃げ場がない。 (やられるっ!) そう思った瞬間だった。声がした。 「武士っ!!」 その声と同時に武士は誰かに抱きしめられた。 ガンッ! 鈍い音がした。だが武士に衝撃は走らなかった。武士はぎゅっとつぶっていた目を開いた。その目の前には血まみれで倒れる義彰の姿があった。 「アキッ!!」 武士は駆け寄った。真っ白になる頭で考えた。やっと武士を庇って、義彰が代わりに殴られたのだと気づく。その瞬間、怒りが込み上げてきた。鉄パイプを持った男たちを睨み付ける。 「てめぇら・・・」 「あ・・・あ・・・・」 血まみれになっている義彰と怒りに狂う武士を見て、男たちは震えだした。まさかここまでなるとは思っていなかったのかもしれない。 「ただで済むと思ってんちゃうやろな?」 「ひぃぃーー」 男たちは情けない声を出して、一目散に逃げて行った。男たちを追い払った武士は、倒れる義彰に話しかける。 「アキっ!大丈夫やで。すぐ救急車呼ぶから!!」 武士はポケットをまさぐり、携帯電話を取り出した。すぐに119を押す。 「た・・・けし・・」 朦朧とする意識で、義彰の手が武士を探す。武士は義彰の手をぎゅっと握った。 「大丈夫。大丈夫やから!」 繋がった119番に救急車を要請すると、武士は降りしきる雨の中、ずっと義彰の手を握っていた。 義彰は頭を殴られたようで、下手に動かさない方がいいと気づいた武士は救急車が来るまでその場から動かさないようにした。雨に打たれる義彰に傘を差し、自分はずぶ濡れになっていた。 ただ雨で流されていく義彰の真紅の血をいかにして止めるかを必死で模索していた。 やっと到着した救急車の中から、隊員が担架を取り出し、慣れた手つきで義彰を車内へ運んだ。武士も一緒に乗り込む。 隊員たちが応急処置をしている間、武士はずっと義彰の手を握っていた。義彰の力なく握り返される手をぎゅっと握った。 「アキ。大丈夫、大丈夫やからなっ!」 武士はただそればかり繰り返していた。それは自分に言い聞かせているようだった。 「た・・・し」 力なく呼ぶ声に気づき、武士は義彰に顔を近づけた。 「何や。俺は大丈夫やで!」 「もう・・・ケンカ・・・すんなよ」 義彰は笑顔でそう言った。武士は溢れ出る涙を抑えた。 「しねぇよ。もう。絶対せん。やから・・・やからお前もがんばれ。絶対死ぬな」 「俺が・・死ぬわけ・・・・ないやろ・・・」 義彰は力なく笑った。武士は必死で涙を堪えたが、とうとう一筋涙が零れた。 「た・・・け・・・。な・・くな・・」 どんどん声が細くなっていく。武士は一層ぎゅっと手を握り締める。 「たけ・・。おま・・に・・会え・・て・・よ・・かった」 力なく言う義彰の声が、武士の胸に響いた。 「それは・・・俺のセリフやで・・。アキ・・・いっつも心配ばっかかけて、ごめんな・・・」 そう言うと義彰は力なく微笑んだ。 「ケンカ・・・すんなよ」 病院に到着すると義彰は担架で手術室へ運ばれた。慌しく動く医師たちの姿が、ぼやけて見える。武士はただ立ち尽くしていた。 「あの・・・。お友達ですか?」 ふと声がして下の方を見ると、若い看護士がこちらを見ていた。 「あー・・・はい」 力なく頷く。 「運ばれたお友達のご家族に連絡を取りたいんですが、連絡先分かりますか?」 そう聞かれ、武士は覚えている義彰の家の電話番号を教えた。 「あなた、血で汚れてるやないの。こっちで服洗いなさい」 婦長のような看護士に連れられ、武士は洗面台のある場所へ連れて来られた。 今気づいたが、よく見ると武士は血まみれだった。もちろん義彰の血がほとんどだ。多少雨で洗い流されているとはいえ、制服にこびりついている。 「あんたも怪我してるやん。手当てするから、こっち 血を洗い流した武士に、再びさっきの婦長が現れ、治療室で武士の傷の手当を始めた。 「他は?痛いところとかない?」 そう聞かれた瞬間、右腕がジンジンし始めた。そう言えば、鉄パイプで殴られた時、咄嗟に庇ったんだった。 「あの・・右腕が・・・」 「どれ。」 グッと持ちあげられ、武士は痛みに悶えた。服をめくると、右腕が腫れ上がっていた。 「先生に診てもらった方がええね」 ちょっとした擦り傷や切り傷とは違う怪我に、ようやく医師が現れる。 「レントゲン撮ろうか」 そういう医師の言葉に、武士は顔を上げた。 「そんなことより・・・アキは・・・?アキは助かるんですか?」 泣きたくなる気持ちを抑え、尋ねる。 「アキ?あー、さっき運ばれた友達ね。今は手術中だから何とも言えないけど。大丈夫。きっと助かるよ」 そう告げる医師の言葉を信じることにした。 レントゲン室へ案内される途中、手術室が見えた。手術中のランプが赤々と光っている。あの中に義彰が・・・。 武士は祈るような思いで手術室を見つめた。 レントゲン結果、やはり武士の腕はヒビが入っていた。医師により大げさに腕を固定され、武士はようやく治療室から解放された。 「武士くん。」 呼ばれ振り返ると義彰の父親と母親が立っていた。 「おじさん・・おばさん・・・」 二人の顔を見て、また涙が込み上げてくる。 「ごめん。俺のせいで・・・アキが・・・」 「武士くんのせいちゃうよ」 義彰の父親に肩を叩かれ、涙が零れた。 「アキはまだ・・・?」 義彰の母親の質問に、武士は頷いた。まだ手術室から出てこない。状況すら分からない。 「岸本武士くんやね?」 不意に声をかけられ、振り返ると、警察手帳を掲げた刑事が立っていた。 「事件性があるて医師から聴いたんやけど、詳しく話してくれるか?」 そう言われても今はそれどころじゃない。 「悪いけど、後にしてくれんか・・・」 武士は顔をそらした。 「今は・・・それどころやないんや・・・」 武士の気持ちを察したのか、刑事はその場から去って行った。 どれくらい経ったのか分からない。急にパッと手術中のランプが消えた。それに気づいた武士が思わず立ち上がる。 武士が急に立ち上がったので、義彰の父も母も驚いたが、すぐにそれに気づいた。 手術室から医師が出てくる。神妙な面持ちだった。悪い予感がよぎる。 「先生!アキは!?」 「・・・手は尽くしたんですが・・・」 言葉を濁す医師に、武士は掴み掛かった。 「どういうことやっ?」 そうすごんだ時、ベッドに載せられたままの義彰が運び出される。それに気づき、武士は駆け寄った。 「アキッ!アキ!!」 頭は坊主にされてしまった義彰は、ただ青白い顔をしていた。武士の呼びかけに応えるはずもない。 「ちょう!!待てやっ!!俺、ちゃんとお礼言うてないやんか!!!」 武士が叫んでも、義彰が返事をするはずがなかった。 「アキッ!!何で返事せんのや?アキ!」 すがりつく武士に義彰の母親が止めに入る。 「武士くん」 優しい声に制され、ようやく武士は義彰から離れた。 「武士くん。何があったか、話してくれる?」 義彰の母の言葉に武士は頷いた。 義彰の身体が綺麗にされてる間、武士は事件の一部始終を義彰の両親に話した。どこかに待機していた刑事も、一緒に聞いていた。 「・・・俺のせいや・・・。俺のせいでアキはっ・・・」 武士は悔しくて悲しくて辛くて涙が溢れた。 「岸本くん。その喧嘩吹っかけて来たちゅーヤツらはどこのヤツか分かるか?」 刑事に聞かれ、武士は必死に思い出した。確かあいつらは、隣町の高校の制服を着ていた。 「あいつら東高のヤツらや。その制服着とった」 「顔は覚えてるんか?」 刑事の質問に、武士は頷いた。 「ご協力ありがとう。後で確認取ってもらうようなると思うけど、頼むな」 武士は無言で頷いた。刑事はそれを確認すると、病院から出て行った。 「おじさん、おばさん。ごめん・・・。俺・・・」 どんなに謝ったって、もう義彰は戻って来ないと分かっている。それでも自分のせいでこんなことになったのだ。どんなに謝っても足りない。 「武士くん。もうええんよ。アキやって武士くんのために身を挺して守れたこと、誇りに思ってるはずや」 義彰の父は優しくそう言った。その優しすぎる言葉が武士の胸に響く。 義彰の両親は何でこんなに優しいんだろう?息子が亡くなったのに・・・。こんな自分の心配をしてくれている。自分が原因なのに。 (あぁ・・・そっか) 義彰の両親だからだ。この二人の息子だから、義彰はあんなに優しくて他人想いで、自分のことよりも相手を気遣うことができるんだ。 そう思うと、また涙が込み上げてきた。 義彰の事件はテレビでも報道された。全国ニュースでも流れたが、すぐに別の残虐な事件を取り上げられ、世間はすぐに義彰の事件など忘れてしまっただろう。 通夜の日。武士はずっと義彰の傍にいた。髪は手術のために坊主になっているが、まるで眠っているようだった。起こせば目を覚ますような気がした。 「アキ。ごめんな。俺がもっとちゃんとお前の言うこと聞いとったら、こんなことにはならんかったのにな」 武士の涙が一粒、義彰の頬にポツンと落ちる。 「アキ・・・」 呼びかけてももう答えてはくれない。その頬は『死』を感じるには十分すぎるほど冷たかった。 「武士」 不意に声がし、顔を上げると、義彰のバンドメンバーが集まっていた。 「話は・・・おじさんに聞いた。辛かったな」 真司が武士の隣に座った。洋と尚史は義彰を挟んで向かい側に座る。悔しさと悲しさが入り混じる。 「アキは・・・。俺のせいでアキは・・・」 「武士のせいちゃう」 真司が武士の言葉を制するように言った。 「アキはさ、ホンマ武士のこと好きやってん。あー、変な意味ちゃうで」 「分かっとるよ」 ふてくされたように言うと真司は笑った。 「お前が喧嘩ばっかしよる時、ホンマ心配しよった。お前がいつか・・・死んでしまうんちゃうかって」 真司は義彰を見つめてそう言った。武士はその発言に驚き真司を見つめた。 『こんなん言うん変やけど。・・・俺いつかお前を失いそうな気ぃしてな。時々不安なんねん』 いつかの義彰の言葉が甦る。 「ほら、よくあるやん?喧嘩で当たり所悪くて・・・ってのが。アキはそれを心配してたみたいや」 だから『喧嘩はやめろ。』としつこいくらいに言っていたのだ。そんな義彰の優しさに、今頃気づくなんて・・・。 「でもよかったんちゃうかな?少なくともアキにとっては」 「え?」 意外な言葉に武士は俯いていた顔を上げた。 「だってお前無事やったやん。怪我はしとるみたいやけど」 真司は武士の右腕を見てそう言った。 「うん。アキは喜んでると思うで。武士が無事でさ。それに・・・武士がドラムに興味持ってくれたん、めっちゃ喜んでたしな」 尚史が真司の言葉に付け足した。 「そうなん?」 信じられず思わず聞き返す。 「せやで。いつか武士とツインドラムやりたいとか無謀なこと言うてたで」 洋が笑う。発想が義彰らしい。 「アホやな・・こいつ。・・・・ホンマ・・・アホやわ・・・」 武士の目から再び涙の粒が零れた。 |