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ACT.1 親友
岸本武士はその日もやはりイライラしていた。高校3年生でそろそろ将来のことも考えなければいけないと分かっているが、このイライラだけはどうにもならない。
「ムカつく」
とにかくイライラする。原因は何となく分かっている。だけど上手く言葉にできず、そんな自分に余計苛立っていた。
いつからか父と母の仲は冷え切っていた。冷え切っているだけならまだいい。顔を合わせれば文句の言い合い。嫌いなら別れてしまえと思うが、世間体とか子供が居るからとか言い訳を並べて別れようとしない。
かと言って子供が別れてくれと頼むのも何だか変な感じだ。
武士はどうにもならない自分の感情を、喧嘩で晴らしていた。売られた喧嘩は必ず買う。武術は習ったことはないが、今まで喧嘩で鍛えてきたので、腕にはかなりの自信がある。その長身とガタイのよさでほとんどの喧嘩は楽に勝つまでになっていた。

「武士めーっけ」
突然耳元で声がした。武士は驚きのあまり閉じていた目を開いた。目の前に満面の笑みを浮かべた幼馴染の顔が迫っていた。
「アキッ」
「やっぱここやったかー」
アキと呼ばれた武士と同い年の少年はノンキにそう言いながら、学校の屋上でサボり寝転がっていた武士の隣に座った。武士は仕方なく体を起こした。
「何やねん」
冷たく言い放ったのに対し、アキは変わらない笑顔で返した。
「弁当、一緒に食べようと思てな」
そう言うとアキは武士の前に重箱のような弁当箱を取り出した。
「俺、パン食ったで」
「ええー!これ武士と食べようと思ったのに。早起きした時間返せー!」
無茶苦茶なことを言うので武士は思わずプッと笑った。
「お前が作ったんか?」
「せやでー。俺、弁当作る係やもん」
家事を分担してるのは偉いと思うが、係というと小さい子供のようで何だか笑える。
「何笑ってんねん。武士食わんのやったら、俺が全部食うでー」
「食うって。食わして」
拗ねたように言うアキがやはり可笑しくて、武士は笑いながら言った。
「それが人にお願い事する態度かー?」
アキがじと目で見るので、武士は座り直し、頭を下げた。
「お願いします。食わしてください」
「よろしい」
偉そうにそう返事すると、武士の前に重箱を開けた。弁当の中身は卵焼きから始まり、ウインナー、ポテトサラダ、ハンバーグと言った幼稚園児や小学生が喜びそうなものばかりだった。ただ量は鬼のように多かった。
「うまそー」
「俺が作ったんやから、絶対うまいって」
アキは自信たっぷりにそう言いながら、武士に箸を渡した。

彼は荒井義彰、同じく高校3年生。通称アキ。武士の幼馴染であり、親友である。身長180センチ以上ある武士に比べ、彼は170センチ(あるのかないのか武士は良く分からない)くらいの身長で、仔犬のように武士に懐いていた。(同い年なのだが)
義彰の性格は温厚そのもので、喧嘩ばかりしている武士とはまるで正反対だった。喧嘩ばかりしている武士と違い優等生な彼だったが、全校生徒から恐れられている武士に人の目も気にせず、こうして変わらずに接してくれるのはありがたかった。義彰が武士の唯一の友達だった。

「どうや?」
ハンバーグを口に入れた瞬間、義彰に問われる。
「うまい!」
お世辞でも何でもない。純粋にそう思った。
「やろー。早起きした甲斐あったわー」
義彰は満足そうに頷いた。自分も箸をつける。
武士のイライラはいつの間にかどこかへ行ってしまっていた。不思議だった。義彰と居ると何故だか妙に安心できた。イライラしている気持ちはどこかへ吹き飛んだ。
「武士。また喧嘩したんやって?」
そう言われ、何に箸をつけようか迷っていた武士は止まった。小さく頷く。
「お前は喧嘩っ早いかんなぁ。喧嘩ばっかしよったらあかんで」
それは分かっている。分かっていて抑えられない。
「こんなん言うん変やけど。・・・俺いつかお前を失いそうな気ぃしてな。時々不安なんねん」
義彰は寂しげな笑顔を浮かべた。少しの間が空く。
「大丈夫やって。俺喧嘩強いんやで?」
いつもと変わらず明るい声でそう言うと、義彰は今度は苦笑いを浮かべた。


その日、家には真っ直ぐ帰らず、武士はゲームセンターなどをうろついていた。騒がしい場所ほど1人になれる場所はない。誰一人自分の方を見ない。それでいい。
「岸本武士やな?」
1人になれると思った瞬間、声をかけられる。ゆっくりと武士が振り返ると、いかにも不良の男が3人居た。
「どちらさん?」
そう返すと、向こうはムッとしたように眉根を寄せた。
「覚えてへんとは言わさんで?」
「覚えてないもんは覚えてへんわ」
武士は上から見下ろすように彼らを見た。武士より小さい彼らは一瞬たじろいだ。
「一週間前!こいつの腕折ったん覚えてないんかっ!」
真ん中の男が武士から向かって右の男を指差した。顔を見るが喧嘩の相手なんていちいち覚えていない。
「さぁ?」
「知らばっくれんな!お前がやったんでないかっ!」
「そうか?そうやったらそうなんやろうけど。俺はいちいち喧嘩したヤツなんて覚えてへんわ」
そう言うと三人の男たちは顔を真っ赤にして武士を睨んだ。
「てめぇ、ただで済むと思てんのかっ!」
やはり真ん中の男が真っ赤になりながら叫んだ。
「お前らも俺に喧嘩売って無事に帰れる思てんのか?」
彼らとは反対に飽くまで落ち着き払って言うと、彼らがびびったのが分かった。静かな怒りの方が数段恐ろしい。
「表出ろや!」
(めんどくせ)
そう思いながらも、武士は彼らと共に外に出た。


5分後。あっさり方が付いていた。武士は倒れこんだ3人を見下ろしながら、血が混じった唾を吐いた。
「ちっ。口ん中切ったか」
それにしてもあまりにも弱すぎて相手にもならなかった。
「二度と来んな」
そう吐き捨てると『どうせ喧嘩するならもっと強いやつとやりたかった』などと思いながら、家に戻ることにした。


ガシャーン。

玄関に入った瞬間、食器の割れる音がした。
(またかい)
武士は冷静に突っ込みながら、騒がしいリビングを尻目に2階の自室へ戻って行った。

部屋に戻ると制服を脱ぎ捨て、部屋着のTシャツとジャージに着替えた。そのままベッドに倒れこむ。
下の階で母のヒステリックな声が響いている。
「るせー」
武士はうつぶせに寝、顔を枕に埋めた。父の怒鳴り声も聞こえる。
(世間体とか言うてるけど、それ以前にこの喧嘩バレとるやろ)
もちろんご近所さんにだ。もっと田舎なら田んぼなどを間に挟んで隣が何メートルも離れてたりするだろうが、ここは住宅地だ。家が密集しているので、あれだけ大声で喧嘩すればご近所にもバレバレではないのか。
(俺には関係あらへんけどな)
そう思う自分は冷たいのだろうか。いや、親があれだけ冷たい人間なのだ。そんな親の血が流れていると思うとゾッとした。
例えばこの先恋人とかできたとしても、彼女を幸せにしてあげられるのだろうか?
もちろん父のような人間にだけはなりたくない。だが・・・。
(それ以前にこんな冷え切ってる人間を好きになってくれるヤツなんておらんか)
武士は仰向けになり、天井を見つめた。

ぐーーーきゅるきゅるきゅる

「・・・飯食うん忘れとった・・・」
と言っても今から外に買いに行くのもめんどくさいし、キッチンを漁るにはあのリビングを通らなければならない。
「今日は諦めよ・・」
武士は布団をかぶり、不貞寝することにした。


それからも相変わらず喧嘩三昧の毎日だった。
「武士。また怪我しとるな」
屋上でサボっていると、義彰が覗き込んできた。顔の傷を見て言ったのだろう。寝転がっていた武士は慌てて起きる。
「まーた喧嘩したやろ」
「うっ」
意地悪く言われ、武士は顔をそらした。
「ったく。喧嘩すんなっつってもするんやから」
義彰は呆れたように笑いながら、重箱を武士の目の前に置いた。
「ほら。飯食おうで」
相変わらず弁当を作ってくれる義彰に感謝しつつ箸をつける。
「アキ。すまんな」
急に真顔で謝られ、義彰はポカンとした。
「何言うてんねん。水臭いやっちゃなー」
弁当の件だと考えた義彰は笑顔でそう言いながら、武士の背中をバンバンと叩いた。
「そういう時は『おおきに』って言うんやで」
義彰の優しい言葉に思わず口の端が緩む。
「おおきにな」
武士がそう言うと、義彰は笑顔で頷いた。


下の部屋で大声で喧嘩する声が聞こえる。武士はベッドにうずくまったまま、それをやり過ごそうとした。
真夜中だと言うのに、一体いつまで喧嘩しているのだろう?

そう思っていたが、とうとう我慢の限界が来た。布団から出た武士は部屋着のまま家を飛び出した。

行き着いた先は二軒隣の義彰の家だった。義彰の部屋を見ると、まだ明かりが点いている。武士はその辺にあった小さな石を拾い上げ、義彰の部屋の窓に向かって投げた。コツン、と軽い音を立て、石はそのまま地面に落ちる。
しばらくして、窓が開いた。
「武士。どうしたんや?こんな時間に」
武士がただ黙っていると、義彰は「ちょう待っときや」とだけ言って窓を閉め、玄関の方に下りてきてくれた。
玄関を開けた義彰は、武士の複雑な表情を見てそれを読み取ったらしい。
「上がりぃや」
優しくそう言われ、武士はゆっくりと義彰の家に足を踏み入れた。
「飲みもん淹れてくるから、先部屋行っといて」
義彰の言葉に頷き、武士は二階にある義彰の部屋へ向かった。

部屋に入ると、勉強机の上に教科書とノートが開いたままだった。きっと勉強していたのだろう。悪いことをした、と思いつつ武士は床に座る。
しばらくして義彰は温かいココアを淹れて二階に上がってきた。
「こんなんしかないわ」
ココアを差し出しながら、義彰がそう言った。
「いや。おおきに。それから、ごめん。」
「何謝ってんの?」
武士が突然謝ったので、義彰は驚いた。
「勉強、してたんやろ?」
武士が勉強机に視線を送る。
「あぁ。気にすんな。もう終わったとこや」
義彰はそう言いながら、勉強机の方へ行き、開きっぱなしの教科書とノートを閉じた。
武士は淹れてくれたココアをすすった。暖かいココアが空っぽの胃を潤し、少し落ち着いた。
「武士」
呼ばれ顔を上げる。
「明日の弁当のおかず何がええ?」
突然言われたまるで母親か恋人のような台詞に武士は思わずプッと笑ってしまった。
「何でそこで笑うん」
義彰自身面白いことを言ったつもりはさらさらないので、武士が噴出したのを見て、不機嫌になる。
「いや。だって・・・。オカンみたいや」
もちろん武士の母親なんかではなく、一般家庭の母親のことである。
「えー。そうかー?だってさぁそろそろネタ切れてきてんやんかぁ」
その口調が妙に女っぽくてまた笑ってしまう。
「だから何で笑うねん」
「いや。ごめ・・。何かアキって不思議よな?」
武士の突拍子もない言葉に、義彰が首を傾げる。
「そうか?」
「うん」
笑いながら頷くと、ぷぅと膨れていた義彰も少し表情が柔らいだ。
「てか武士も十分変やで」
「変かー?」
「急に笑うやん」
確かに義彰にしたら、突然笑い出す変なやつだろうが、それ以前にお前も十分変だと思ってまた笑ってしまった。
「ほらぁ。また笑いよる」
そう言いながら義彰も笑った。

本当に不思議なやつだ。さっきまでの嫌な気分が義彰のおかげでなくなっている。それに義彰は何があったかなんて聞いてこない。聞いたとしても答えないと分かっているのか、余計なことを聞かない義彰の心遣いは武士にとって嬉しかった。
義彰は武士の精神安定剤だった。
こうして夜中に訪ねて行っても嫌な顔一つせず優しく迎え入れてくれる。義彰の前では、自然に笑える。傍に居るだけで安心できる存在だった。
武士は義彰を心の拠り所にしていた。