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act.4 そして、彼女の事情
その場面を見てしまった優子は複雑だった。翼が誰と仲良くしていようと、自分には関係ない。ただ同じクラスで、隣の席だから、翼は自分に話しかけてくれていただけで、きっと彼は何とも思っていない。 それはよく分かってるのに、何だか胸の奥が痛い。 優しく由美に微笑みかける翼を見るのは、何故か辛い。 「優子」 声をかけられ、優子は驚いた。顔を上げ、声の主を確認する。 「どうした?」 目の前にいたのは、健太だった。優子は「何でもない」と首を振る。 「そう? 今帰り?」 そう訊かれたので頷く。 「じゃあ久しぶりに一緒に帰るか」 健太は相変わらず優しい。優子は頷くと、二人で歩き始めた。 「健太くん、鞄持とうか?」 健太はまだギブスをしていて、松葉杖をついて歩いている。そう申し出ると、健太は笑った。 「大丈夫。そのためにリュックで来たんだから」 確かに彼の背中にはしっかりとリュックが背負われている。 「でも・・・・・・歩きにくいでしょ?」 そう言うと、健太は少し考えてから、リュックをゆっくりと下ろして優子に渡した。 「じゃあ頼む」 優子は渡されたリュックを背負い、自分の鞄を肩にかける。 それを見てから、健太は松葉杖をついて歩き始めた。ゆっくりと歩き始めた健太の後ろを優子がゆっくりと追いかける。 「ノート、ありがとな」 突然お礼を言われ、優子は驚いて顔を上げた。 「あのノートのおかげで、授業ついていけたよ」 その言葉にホッと胸を撫で下ろす。お礼を言ってもらえて、素直に嬉しい。 「良かった。・・・・・・あたしにはそれくらいしか・・・・・・できないから」 健太は何かを言おうとして、止めた。 「そうだ。入院中に借りてた本、返すから、俺んち来てくれる?」 「うん」 健太の誘いに、優子は頷いた。 一歩を踏み出せば、走り出すのは簡単だった。 『大丈夫。君ならできるよ』 そう言った翼の言葉が蘇る。 どうして翼がそこまで信じてくれるのか、まったく分からない。 だけど、その言葉はまるで魔法のように心の中に沁み込んで来て、本当に『大丈夫』だと思わせてくれる。 真由子は取り巻きの二人と落ち合い、校舎を出て行くところだった。 「真由子!」 叫ぶと、真由子が振り返る。由美を見つけると、睨みつけてきた。しかし何だか泣きだしそうな顔をしていることに気づく。 真由子は由美が近づいてくるのを見て、逃げるように走り始めた。 「待って!」 そう叫んでも、真由子は止まってくれない。それどころか走って逃げてしまった。 目の前に取り巻きの二人が立ち塞がる。セミロングの黒髪が木村みゆきで、ショートカットの少し茶色がかった髪が佐野京子だ。 「ちょっと、通して」 「ダメ。通さない」 二人は頑として立ち塞がっている。その間に、真由子は校門を抜けて姿が見えなくなってしまった。 「何でっ!」 「真由ちゃんに何言ったの?」 二人はそう訊いて睨んだ。 「何って・・・・・・」 言葉に詰まる。どう説明したらいいのかも分からない。 「真由ちゃん、由美に裏切られたって言ってたよ」 「え?」 その言葉に由美は驚いた。 「真由ちゃんに何言ったのよ?!」 みゆきがヒステリック気味に叫ぶと、京子が制す。 「もしかして木元さんが関係あるんじゃないの?」 図星を指された由美は思わず目を見開いた。 「やっぱりね。で、由美はどうする気なの? 真由ちゃんと木元さん、どっちを取るの?」 改めて聞かれ、由美は拳をギュッと握った。妙に緊張して、言葉がうまく出てこない。 「あたしは・・・・・・」 喉の奥で引っ掛かっている言葉をゆっくりと吐きだす。 「あたしは、どっちも取る」 その答えに二人は怪訝な顔をした。 「何、言ってんの?」 「そんなこと、許されるとでも思ってるの?」 詰め寄る二人に臆せず、由美は二人の目を見つめた。 「真由子はきっと分かってくれる。だから話がしたいの」 そう言うと、二人はお互いに顔を見合わせた。 「だから通して。お願い」 由美の真っ直ぐな視線に負けた二人は間を開けた。 「真由ちゃん泣かせたら、許さないからね」 「ありがとう」 由美は二人の間を抜けて、校門を出た。その様子を二人が見つめて、呟く。 「これで良かったのかなぁ?」 「分かんないけど、良い方に転んでくれることを願うしかできないよ。・・・・・・真由ちゃんは、あたしたちなんかより由美の方が大事みたいだし」 「京子・・・・・・」 二人は由美を見送ると、ゆっくりと歩き始めた。 走って走って、追いつかれないように走って。 気づくと、いつの間にか駅に着いていた。 真由子は息を切らしながら、駅前の広場のベンチにゆっくりと腰を下ろす。 夕方のこの時間は、やはり学生が多い。広場を通って駅へ向かう人の中に、楽器を持って広場で演奏を始めるストリートミュージシャンが混じり始めた。 いつもは気にも留めないのに、今日は何だか目につく。 あんなに一生懸命歌っているのに、立ち止まって聴く人は少なく、無視されていく。それなのに、あのストリートミュージシャンたちはそんなことお構いなしに歌い続けている。 どうして歌い続けられるのだろう? 歌が好きだから? だけど・・・・・・好きだけじゃダメだってことは、痛いほどよく分かる。 こんなに好きなのに、どうして彼は自分を見てくれないんだろう? 話しかけて、返事をしてくれても、目線はいつもあの女に向いてて、こっちを見てくれない。 あんな女のどこがいいのか、さっぱり分からない。 根暗でいつも下ばかり向いてて、かわいくもなくどちらかと言えば地味で。 「ハァ・・・・・・」 どんなに思っていても伝わらない。 あいつをイジメれば、気が晴れると思った。あいつが学校に来なくなれば、彼はこっちを見てくれると思った。 だけど誤算があった。イジメても気分は晴れない。どれだけイジメても、あいつは学校を休まなかった。 高校に進学すれば、もうあいつに会わなくて済むと思った。彼が行く高校をリサーチして受けた。 ここでも誤算があった。その高校には、あいつもいたのだ。それを知ったとき、愕然とした。 そして気づいた。彼はあいつを追って来たのだと。それが分かった瞬間、ただ悔しくて、悲しくて。 こんなに思ってるのに、どうして伝わらないんだろう? ふと顔を上げると、彼、高村健太が目に映った。姿を見た瞬間、嬉しくなる。 「・・・・・・っ!」 立ち上がり、声をかけようとした瞬間、あいつが目に入った。高村健太の幼馴染みである、木元優子。 「な・・・・・・んで・・・・・・?」 それしか言葉が出てこない。どうしてあいつが一緒に帰ってるんだ? 優子は健太の鞄を持ち、まだ松葉杖をついて歩いている健太をフォローするように隣を歩いていた。 頬に一筋涙が流れたことに気づいたが、そんなの構っていられない。 真由子はただ二人が駅舎へと歩いていくのを、見ていることしかできなかった。 二人は真由子の視線など気づくはずもなく、通り過ぎていく。 さっきまでざわついていた音が全く聞こえない。叫ぶように歌っているストリートミュージシャンの声さえ、耳に入ってこない。遮音された、別空間にいるような感覚になる。 「どうして・・・・・・」 自分の声だけがやけに響いた。 溢れてくる涙を抑えることなんてできない。ボロボロと涙が零れ、地面へ落ちる。 本当は分かってる。どんなに思っていても、彼は自分じゃないあいつが好きで、それはどんなに頑張っても変えようのない事実だって。 どうしてこんなに好きなんだろう? どうして彼だったんだろう? 自分だってよく分からない。 ただキッカケはとても些細で、彼がすごく優しかったから。意地っ張りで強情な自分に、優しく声をかけてくれたから。 ただそれだけで、いつの間にか気になって、いつの間にか好きになってた。 だからすぐに気づいた。彼があいつを好きだって。分かってて、こんなに好きになってた。 彼じゃない、他の誰かを好きになれば、楽になれるのかな? 由美は必死に真由子を捜していた。 「どこ行ったんだろう?」 追いかけ始めた時、かなりの距離が開いていたので、捜すのは困難だった。いつも寄り道する喫茶店やゲームセンターなどを覗いたが、真由子はいなかった。 そして駅まで辿り着いてしまった。真由子はもう電車に乗って帰ってしまっただろうか? 駅舎へと続く広場を歩いていると、同じ制服の後ろ姿が見えた。髪を二つに結んでいて、天然パーマが綺麗にかかっている。 間違いない。真由子だ。 そう思い、急いで駆け寄ると、何だか様子がおかしいことに気づいた。 彼女は、真由子は泣いていた。どうして泣いているのか、よく分からないが、声をかけずにはいられない。 「真由子」 声をかけると、真由子はビクッと肩を震わせた。そしてゆっくりと振り返る。思った通り、真由子は涙を流していた。 「どうしたの? 何で泣いてるの?」 由美がそう質問しても、意地っ張りな真由子は答えようとしない。 「あたしが悪かったなら、謝るよ。言い方、悪かったと思う・・・・・・」 「違う」 由美の言葉を間髪入れずに否定した。 「え?」 驚いて真由子を見ると、真由子は涙を拭いながらこっちを見た。 「あんたのことで泣いてたんじゃない」 その言葉にホッと胸を撫で下ろすが、疑問が沸く。 「じゃあ・・・・・・どうして泣いてたの?」 そう訊ねたが、やはり真由子は視線を逸らし、答えようとしない。一筋縄ではいかないことは、よく分かってる。 由美は意を決して口を開いた。 「中学の時ね、イジメられてる女の子がいたの」 突然の言葉に真由子は驚いた。由美の話を、ただ黙ってじっと聞く。 「あたしはそれを知ってて、何もできなかった。見て見ぬふりしてたの。そしたらある日、彼女は自殺しちゃった」 残酷な結末に、真由子の大きな目が見開かれた。驚いて声が出ない。それでも由美は続けた。 「何かね、似てるの。彼女と木元さん。だから気になるんだと思う。放っておけないの」 真由子は何か言いたそうな表情をしたが、口を開くことはなかった。 「木元さんがイジメられてる事はないと思う。あたしが木元さんのことが気になるのは、ただの自己満足かもしれない。偽善だって言われるかもしれない。でも、あたしは木元さんと友達になりたいの」 そう言うと、真由子は視線を逸らしたまま、ようやく口を開いた。 「あたしの話、聞いてくれる?」 その言葉を待っていたと言わんばかりに由美は頷く。 「もちろん」 ベンチに座り、気持ちを落ち着かせると、真由子は少しずつ話し始めた。 「あたしね、好きな人がいるの」 突然の告白に、由美は驚きを隠せなかった。 「え? そうなの?」 今まで恋愛の話をはぐらかされていたので、思わず聞き返す。すると真由子は照れたように頷いた。 「えっと・・・・・・誰か聞いてもいいのかな?」 真由子はしばらく迷っていたようだが、ようやく口を開く。 「・・・・・・高村健太」 まさかこうも簡単に教えてくれるとは思ってもみなかったので、由美は驚いた。しかしその名前は何となく予想していたものと同じだった。 「やっぱりそうだったんだ・・・・・・」 「え?」 由美の反応に驚いたのは真由子である。 「何となくそうじゃないかと思ってたんだ」 「え? 何で?」 真由子が慌てている。実に彼女らしくない。 「だって委員長が絡むと、態度がおかしかったんだもん。木元さんを庇って怪我した時だって、『木元さんが怪我すればよかった』って言ってたでしょ?」 見抜かれていたことを知り、真由子は恥ずかしさが込み上げてきた。 「そ、それは・・・・・・ア、アヤ! 言葉のアヤよ」 慌てて弁解する真由子に、由美は思わず笑った。 「な、何笑ってんのよ」 「ご、ごめん」 ここで『かわいい』なんて言ったら、真由子はどんな反応するだろうか? 「もう隠さなくたっていいじゃない。委員長のこと、好きなんでしょ?」 そう確かめると、頬を赤らめながら真由子が頷いた。 「確か同じ中学だよね? 中学の時から好きなの?」 掘り下げて尋ねると、真由子はゆっくりと頷く。 「高村はね、中学の時も委員長だったの。最初はただ同じクラスで委員長だ、くらいにしか思ってなかったんだ。あるとき席替えで、隣になったのね。それから少しずつ話すようになって・・・・・・」 その時真由子は我に返った。 「ってそれはいいの!」 顔を真っ赤にして叫ぶ。 「え? 関係あるんじゃないの?」 真由子の反応に、由美がそう言うと真由子は次の言葉を考えた。 「と、とにかく・・・・・・いつの間にか好きになってたの」 ものすごく省略された気がするが、黙って聞くことにする。 「それで気づいたんだ。高村に好きな人がいるんだって」 「それって・・・・・・」 話の流れで由美はその相手が何となく分かった。 「あいつ。木元優子」 真由子がぎゅっと拳を握ったのを、由美は見逃さなかった。 「だから・・・・・・木元さんのこと、憎んでるの?」 あまりにも直球な言葉だったと口に出してから気づく。 「ご、ごめん。言い方おかしいよね」 慌てて言い直そうとすると、真由子は首を横に振った。 「ううん。当たってる。あたし、あいつのこと憎んでる」 そう言った真由子は言葉とは裏腹にどこか辛そうな表情をしている。 「真由子・・・・・・何かあったの?」 そう尋ねると、真由子は俯いてしまった。 「ねぇ、由美。あたしがすべてを話しても、友達でいてくれる?」 そう言って、真由子はすがるような目で由美を見つめる。その言葉の真意は分からないが、由美は笑って頷いた。 「当たり前じゃない。あたしたち、友達でしょ」 その言葉にホッとした表情をし、真由子はゆっくりと口を開いた。 「あたしね・・・・・・中学の時、あいつのことイジメてたの」 「え?」 思わぬ告白に驚きを隠せない。 「あいつって・・・・・・木元さんだよね?」 確認するように問うと、真由子は頷いた。視線を下に向けたまま、続ける。 「あいつ、中学の時から暗くて、いつも下ばっかり向いてて、地味で目立たなくて・・・・・・。そんな奴に負けたなんて、何か悔しくて。あいつをイジメれば、気が晴れると思った。学校に来なくなれば、高村はあたしを見てくれると思った。だけど・・・・・・気分は晴れないし、あいつは学校を休まなかった」 真由子の気持ちがようやく分かった。真由子はどうにもならない感情を優子をイジメることで、解消させたかったのかもしれない。 「本当は、分かってたの。こんなことしても何もならないって。高校に行けば離れ離れになるから、今度こそ高村はあたしを見てくれると思った。だから高村が受ける高校を調べてあたしも受けたの。でも入学式の日、あいつを見つけてびっくりした。それで分かったの。高村はあいつを追いかけて来たんだって」 その言葉はあまりにも確信がこもっていたので、違和感があった。 「どうして追いかけて来たって分かるの?」 「だって、高村の実力ならもっと上の高校に行けたはずだもの。この高校もレベルは低くないけど・・・・・・」 確かに健太は頭がいい。成績もトップだということは周知の事実だ。 「それを知ったとき、確かに悔しかったけど、もうあいつに手を出すのは止めようって思った。あいつをイジメたって、現状は変わんないもんね」 その言葉を聞いて、少なからず由美は安心した。今はイジメをしていないということだ。 「だけど由美があいつと友達になりたいって言った時、ショックだった。あいつは・・・・・・あたしの友達まで奪っていくのかと思うと、怖くなったの」 「だからあんなに嫌がってたんだ」 数日前のやり取りを由美は思い出した。真由子の気持ちが分かった今なら、あの拒否反応も理解できる。 「ねぇ、真由子。聞いてもいい?」 由美がそう言うと、真由子は俯いていた顔を上げた。 「委員長に告白したの?」 そう聞いた瞬間、真由子の顔が真っ赤に染まる。 「で、出来るわけないじゃん! そんなこと」 「どうして?」 「どうしてって・・・・・・」 告白したって、玉砕するのは目に見えている。真由子は再び俯いた。 「状況が不利だから告白しないの?」 確認され頷く。 「告白したところで、振られるのは目に見えてる」 確かにそうかもしれない。勝算もない勝負に出るつもりはない。 その時、ふと由美は閃いた。 「ねぇ。木元さんは委員長のこと、どう思ってるのか知ってる?」 そう尋ねると、真由子は首を振る。 「聞いたことないもん」 「そっか。・・・・・・前にプリントまとめるの手伝ってた時ね、聞いたの」 真由子は驚いて顔を上げた。 「な、何を?」 「委員長と仲良かったから、付き合ってるのかって」 「そ、それで?」 真由子は先を催促した。 「付き合ってない、幼馴染だって言ってた」 「それって・・・・・・」 興奮状態になってきた真由子の手を、由美は握った。 「もしかしたら、勝算あるかもしれないよ。真由子」 真由子は驚いているのか、大きな目を更に大きく開く。 「でもね?」 由美は言葉を続けた。 「照れ隠しでそう言ったのかもしれないし、本当は木元さんも委員長のこと好きだけど本人が気づいていないのかもしれない。それは今の時点では何とも言えない」 由美の言葉に、真由子は納得し頷く。 「だからね、友達になろう。木元さんと」 「は?」 突拍子もない言葉に、真由子は唖然とした。 「な、何で?」 そう聞き返すのがやっとだった。さっきの話とどう繋がっているのか分からないのだ。 由美は右手の人差し指を立てた。 「いい? まず木元さんの気持ちが分からないと、動きようがない。友達になれば、それを聞き出すことができる」 それは確かにそうだ。由美は今度は中指も立てた。 「二つ目。木元さんは委員長の幼馴染よね? もし木元さんと友達になれば、委員長と接する機会も増えるかもしれない。それって木元さんに気持ちがあってもなくても、チャンスだと思わない?」 訊かれ頷く。すると由美は苦笑した。 「なーんて。こんな打算的な友達、木元さんはいらないだろうけどね」 「ねぇ、由美。お願いがあるんだけど」 唐突な言葉に驚きつつ聞き返す。 「お願い?」 真由子はゆっくりと頷いた。 |