−novela 【つばさ】エントリー作品−
act.3 彼女の事情 3-2
「翼くん」
不意に声をかけられ、翼は驚いた。振り向くと、谷沢由美が立っていた。
「谷沢さん」
「こんなところにいたんだ」
そう言いながら近づいてくる。今は昼休みで、翼は屋上にいた。柵に寄りかかっていた体を、反転させる。
「どうしたの?」
そう訊ねると、由美は急に深刻な顔になった。後ろの高い位置に一つに結んだ長い髪が揺れる。
「相談したいことがあるの。構わない?」
「相談?」
聞き返すと、彼女は頷いた。こんな転校生に何の相談があるというのだろう? 転校生だから逆に話しやすいのだろうか。
「いいよ。俺でよければ……」
そう言うと、由美はホッとした様子で翼の横に立ち、柵を握る。
しばらくの沈黙の後、由美は静かに口を開いた。
「翼くんは何で……木元さんに話しかけるの?」
思わぬ質問に、翼は驚いた。
「何でって?」
質問で返すと、由美は一瞬翼の顔を見て、また俯いた。柵を握りしめる手が震えていることに気づく。
「……言い方悪いけど、彼女、傍から見ててもクラスの皆からあまり良く思われてないって分かるじゃない? それなのにどうして……?」
由美は翼の顔を見ようとはしなかった。こんな言い方をして、怒られるとでも思っているのかもしれない。翼は怖がらせないようになるべく穏やかに答えた。
「気になるからだよ」
「え?」
意外な答えだったのか、由美は驚いて顔を上げた。視線がぶつかり、翼は苦笑いを浮かべる。
「それじゃあ理由にならない?」
そう問うと、由美は首を横に振った。
「翼くんはすごいね。……あたしにはできない」
「どうして?」
そう尋ねると、由美は言葉を探しながら口を開く。
「中学の時にね、同じクラスに暗い感じで、地味で目立たない子がいたの。だから皆にいつもからかわれてた。……それが段々とエスカレートして……」
そこまで言うと、由美は思い出したくないと言うように目を固く閉じた。
「担任は知っていたのに、何もしなかった。皆見て見ぬフリしてた。あたしも……怖くて、見て見ぬフリしてた」
由美は一層強く柵を握ったのを、翼は見逃さなかった。
「……ある日、彼女は自殺した。イジメていた子の名前と、担任が見て見ぬフリをしていたことを遺書に書いてね。……イジメていた子たちは学校にいられなくなって、転校して行った。担任も処分を受けた。だけど、あたしは……見て見ぬフリをしていたあたしは、何も罰を受けなかったの。あたしだって、イジメていた子たちと何も変わらないのに……」
由美は今にも泣きだしそうだった。
この子は、ずっとそうやって自分を責めていたんだ。何も悪くないのに。彼女もまた被害者なのかもしれない。
翼は由美の頭をポンポンと優しく撫でた。すると由美は驚いて、顔を上げた。
「君がそんなに気に病むことないよ」
「でも……」
由美は再び俯いてしまう。
「その子に似てるから、木元さんが気になる?」
そう訊くと、由美は静かに頷いた。
「……誰だって、好きで一人でいるわけじゃないと思うの。大人しい性格だから、そうなってしまうだけで……。本当は輪の中に入りたいって、きっと思ってる」
由美はためらいがちにそう言った。
「この間放課後にね、木元さんが一人でプリントをまとめてたの。いつもは委員長がいるけど、入院してたから……。だから思い切って話しかけたの。たわいもない
話だったけど、木元さんは質問すればちゃんと答えてくれた。ちゃんと会話してくれたの。嬉しかった」
そう話す由美は、本当に嬉しそうに笑った。翼はそれだけで嬉しくなった。彼女は優子の事を考えていてくれたのだ。
「でもね? 真由子……中田さんは、あたしが木元さんに近づくことを嫌がるの。木元さんをよく思っていないみたい」
「どうして?」
そう訊くと、由美は首を横に振った。
「分からない。でもなぜか木元さんに執着してるみたい」
その言葉に由美は真由子がどうして優子に執着するのか分かっていないことを知る。
「心当たりもない?」
そう問うと、由美は少し考えた。
「……あ、木元さん、委員長と同じ中学だったって言ってた。真由子も確か同じ中学だったはず……」
「なるほど。それじゃあ中学時代に何かあったのかもしれないな」
そう言うと、由美が頷く。
翼は悩んだ。もし彼女が真由子の嫉妬を知ったらどうするだろう?
真由子が優子をよく思わない理由は、真由子以外誰も知らない。優子も本当の理由を知らない。健太に至っては、真由子の気持ちになど気づいていないだろう。
「谷沢さんはどうして中田さんがよく思ってないって思ったんだ?」
「……プリントをまとめるのを手伝ってた時、真由子が割って入って来たの。木元さんが悪いわけじゃないのに、彼女の事を睨んでた。本当はちゃんと最後まで手伝いたかったんだけど、何だか怖くて……。木元さんが何かされるのかと思って、真由子と帰ったんだけど……」
由美は次の言葉を発するか悩んだようだった。しばらくの沈黙の後、由美はゆっくりと口を開いた。
「一緒に帰る途中で、木元さんと話してた事を責められたの。今度木元さんと話したら絶交だって……」
その場面を見ていた翼は特に驚かなかったものの、複雑な気分になる。由美の悩みはよく分かる。勇気が出ないという彼女の気持ちも……。
「そっか……」
言葉がうまく出てこない。どう言ってあげればいいんだろう?
「ねぇ。翼くん。あたし、どうしたらいいんだろう? どうしたらいいと思う?」
由美はすがるような目で翼を見た。
「谷沢さんは……中田さんとの友情も捨てられないってことだよね?」
確認するように問うと、由美はゆっくりと頷く。
「どうして木元さんにあんな態度を取るのかは分かんないけど。真由子には真由子のいいところがあるの。だから、出来れば真由子と木元さんも仲良くして欲しいって思ってる」
由美の目はしっかりと翼を見つめていた。その瞳に嘘はない。
「そうだね。俺もなるべくフォローするから、皆が仲良くなれるようにがんばろう」
そう言うと、由美は安心したように笑った。
「うん」
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