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エピローグ 祐貴が積み終わった荷物を指差す。 「うん。これで全部。」 芹華が頷く。今日は芹華が家を出る日。これからは東京に住むことになる。あとのことは業者にまかせ、芹華だけになった。 「出発まで時間あるから、ちょっと散歩してくる。」 芹華は祐貴にそう伝えると、てくてくと歩き出した。 「遅くなんなよ。」 祐貴の言葉に手を振って答える。芹華は小さい時によく遊んだ公園に来た。ここでよく遼平たちと遊んだ。泥だらけになっては親に怒られた。懐かしい思い出に笑いが込み上げる。芹華は誰もいないブランコに腰掛けた。昔は広く感じたこの公園も今では狭く思える。自分が成長しただけだが。芹華はボーッとそんなことを考えていた。 「芹華。何やってんや?こんなとこで。」 不意に上から声がした。 「哲哉。」 上を見上げると哲哉が覗き込んでいた。高校時代から伸ばしている髪はロンゲを通り越して腰の辺りまである。今は無造作に一つにくくっている。 「今日出発ちゃうかったっけ?」 哲哉も呑気に隣に座る。 「今日だよ。」 「ノンキやな。」 「哲哉に言われたくないよ。」 「あっそ。」 哲哉は呆れながら煙草に火を点ける。 「体に悪いよ。」 「分かってんやけどね。」 哲哉は苦笑する。芹華は溜息を吐いた。 「どした?」 哲哉が顔を覗き込む。芹華は溜息を漏らした。 「あとちょっとでお別れだね。」 「まーな。」 哲哉は煙草の煙を吐いた。 「でもさ。ちょっとの辛抱やって。」 哲哉が不敵な笑みを浮かべる。 「なんで?」 「そのうち俺たちも東京進出するからよ。」 芹華は一瞬ワケが分からなかった。でもすぐにバンドでということが分かった。 「ははっ。できるといいね。」 「絶対やってやるよ。」 哲哉はまた不敵に笑った。それから2人は雑談をしていた。 「いたいた。姉ちゃん。もうすぐ出発やで。」 篤季が公園まで呼びに来た。 「ん。ありがと。」 芹華はゆっくりと立ち上がった。 「俺、先行ってるわ。」 篤季は場を察したのか、先に走って行ってしまった。 「じゃあね。哲哉。」 芹華が振り返った瞬間だった。哲哉はガバッと芹華を抱きしめた。 「哲・・・。」 芹華は一瞬驚いた。哲哉はぎゅっと芹華を抱きしめた。 「芹華。絶対行くから。東京。」 哲哉が耳元で囁く。 「うん。」 「それまで待っててや。」 「うん。」 哲哉はしばらく芹華を抱きしめていた。そして少し離れて見つめ合う。自然に唇が重なる。芹華はそのキスで哲哉の気持ちが何となく分かった。口に出さないのが余計に切なかった。 「哲哉。待ってるからね。」 芹華が精一杯に微笑む。 「ああ。」 芹華には哲哉が少し哀しそうに見えた。涙を堪えているのがお互いに分かった。芹華は哲哉から離れて歩き出す。ゆっくり。『さよなら』は言わない。さよならではないから。また逢えるときまで。芹華はそれでも溢れ出る涙を堪えることはできなかった。哲哉はいつまでも芹華の背中を見送っていた。 2年後。都会生活にもすっかり慣れ、芹華は今までハードスケジュールをこなし、やっと帰宅して疲れを癒していた時だった。 芹華は無性に哲哉の声が聞きたくなっていた。毎日電話はしていたが、1日の終わりに哲哉の声を聞くと安心するのだった。緊張した時間を過ごしている芹華にとって哲哉の声は一種の清涼剤だった。その時電話が鳴った。 「はい。あっ。哲哉?今電話しようと思ってたんだ。」 『芹華。聞いてよ。ビックニュース。』 「何?ビックニュースって。」 『なんと俺たち、スカウトされたんや。』 「えっ?」 『だから俺ら、デビューが決まったんや。』 「ホンマに?いつ?」 『来月。だから今月中にはそっち行くよ。』 「・・・・。」 『芹華?どうかした?』 「嬉しい。哲哉たち、ガンバってたもんね。その努力が実ったんやね。」 『ああ。そうやな。でもデビューってのは1つの通過点やからな。これからが勝負や。たくさんの人に聴いてもらえるような曲、作ってかなあかんからな。』 「そうやね。ガンバってな。で、引越し先とか決まったん?」 『まだ。これから決めるんや。』 「そっか。これから忙しくなるね。」 『ああ。』 「うち、仕事があって手伝いに行けんけど。こっちに来る時は電話して?」 『ああ。もちろん。まぁ、まず契約しにそっち行くんやけど、多分そん時家探しすると思うし。なんかあったら電話するわ。』 「うん。携帯にかけてくれたら絶対出るから。」 『分かった。・・もう遅いし、そろそろ切るな。』 「うん。じゃあ。おやすみ。」 『おやすみ。』 そして芹華は電話を切った。いつか言っていた哲哉の言葉は本当になった。意外に早かった気がするが。芹華はその報告を聞いただけで疲れが吹っ飛んだ気がした。そして喜びに浸りながら眠りに就いた。 そして2ヵ月後には哲哉たちが上京して来ていた。デビューアルバムも飛ぶように売れ、ファンもそれなりに付いてきていた。 それからお互いに忙しくなり、なかなか連絡が取れない状況が続いていた。その時初めて芹華は哲哉がかけがえのない存在であることが思い知らされた。それは哲哉も同じだった。 大切なもの。守りたいもの。挙げれば限りなくあるが、1つだけとなるとやはりお互いの存在だろう。芹華にとっては哲哉が、哲哉にとっては芹華が、それぞれ守るべき大切な人になっていた。これからたくさんの試練があるだろう。その度にきっとまた感じるこの気持ち。大切にしたい。守っていきたい。きっとたくさん傷つけ合い、たくさんの涙を流すだろう。けれどこの気持ちだけは・・・思いだけは。そう、いつか見たあの青い空のように。物語はまだ始まったばかり・・・。 |