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ACT Y 大切なもの
12月に入ったある日のことだった。芹華は疲れからか、熱を出してしまった。
「38度7分。風邪ね。」
母親の由華子が芹華の額に濡らしたタオルを置く。
「学校には電話しとくから、ゆっくり寝てなさい。」
由華子が微笑む。
「うん。・・・ごめんね。」
芹華は熱にうなされつつ、謝る。
「何謝ってんのよ。」
「だって・・・熱なんか・・出しちゃって・・・。」
「何言ってんの。人間なんだから、熱も出すわよ。それにここんとこ忙しかったから、疲れが出たのよ。」
由華子が芹華の前髪に触れる。母の手が当たるとなぜか安心する。いつも強がってる芹華だから、こうやって優しくされると涙が出るくらい安心する。いつの間にか芹華は眠りについていた。

何時間くらい眠ったのだろう。気がつくとかなり日が差し込んでいた。芹華はトイレに起き上がった。
下に下りるといい匂いがしてきた。
「あら?芹華。もういいの?」
「うん。だいぶ。」
「そう。今お粥作ってるから、ちょっと待ってて。」
「うん。」
芹華はトイレに行き、リビングのこたつに潜った。熱は朝よりは下がっただろうが、まだ少ししんどい。芹華は寝転がった。静かだ。いつもでは考えられないほど。いつも紘樹と篤季が喧嘩してるか、一緒になって騒いでるかだから。瞳を閉じる。
(哲哉。今頃何してんだろ。)
ふと哲哉のことが頭に浮かぶ。他の誰でもなく哲哉が真っ先に頭をよぎる。
(好き・・・なのかな。やっぱ・・。)
芹華はぼーっとした頭で考えた。
「芹華。できたよ。起きて食べな。」
由華子がお粥をついでくれる。芹華は起き上がり、少し遅めの昼食を取る。その時玄関のチャイムが鳴る。由華子が出る。
「芹華。お客さんよ。」
由華子がリビングに戻ってきて芹華を立たす。
「誰だろ。」
きっと紗智あたりだろう。想像する。あんなうるさいのが来たら余計に熱が出そうだ。

予想は大きく外れていた。思いがけない人物だった。
「哲哉。どしたの?」
芹華は急いでボサボサの髪の毛を手でとく。哲哉は学校帰りだった。
「いやぁ。遼平から芹華が今日休んでるって聞いたから。大丈夫かなと思って。」
哲哉は少し照れ気味に頭をかいた。
「ありがと。もうだいぶ熱下がったから。」
「そっか。良かった。最近忙しかったから、きっと疲れが出たんやろうな。」
「うん。お母さんにも言われた。」
芹華が笑う。哲哉も笑う。
「元気そうで良かった。明日は学校来れる?」
「うん。良くなってると思うし。」
「じゃあ、明日は学校で逢えるな。」
「うん。」
しばしの沈黙。穏やかな時間が流れる。
「あのさ。部活っていつまでやんの?」
哲哉が沈黙を破る。
「2学期いっぱいかな。だから3学期からはもう朝練はしないと思う。」
「そうやな。で?就職先とか決まった?」
「まだ。どこにするかとか決めてないし。一応面接は受けるけど。でも自分が何やりたいのかが、まだよく分かんないし。」
芹華は少し俯いた。このままでいいのだろうか。それさえも分からない。
「まぁ。もう少しは考える時間はあるんやろ?その間によく考えてみたら?って俺が偉そうに言うてもしゃーないねんけどな。」
哲哉が笑う。芹華も微笑む。
「うん。考えてみる。親とも相談しなきゃね。」
「そうやな。・・・じゃあ、俺、そろそろ帰るわ。今日はゆっくり休めよ。」
「うん。ありがと。」
「じゃあな。」
「気をつけて。」
芹華は哲哉に手を振る。哲哉も芹華に手を振る。そうして哲哉は帰っていった。

その夜。芹華はベッドの中で哲哉のことを思い浮かべていた。今日は逢えないと思っていたのに、わざわざ来てくれたのだ。それが妙に嬉しかった。学校から哲哉の家と芹華の家は方向が違う。それなのに足を運んでくれた。それが嬉しかった。何よりも。
(明日会ったら、1番にお礼言おう。)
そんなことを心に誓いながら眠りについた。

翌日。芹華はすっかり良くなっていた。起きてすぐに窓のカーテンを開ける。暖かい日差しが差し込んでくる。芹華は着替えを済ませ、1階に下りた。
「おはよー。」
すでに起きていた家族に挨拶する。「おはよー。」と返ってくる。それが気持ちよかった。
「芹華。熱下がったの?」
由華子が心配そうに顔を覗き込む。
「うん。もうすっかりいいよ。」
芹華は笑顔で答える。
「そう。ならいいけど。あんまり無理しないでよ。」
「分かってる。母さんてば心配性なんだから。」
芹華は微笑む。だが、そうやって心配してくれるのはすごく嬉しい。芹華は朝食を取り、登校した。
芹華が体育館に入ると、意外にも人がたくさんいた。
「どしたの?みんな。」
芹華は驚いていた。いつもは哲哉と2人での朝練なのだ。
「あっ。キャプテン。おはようございます。」
芹華に気付いたバスケ部の後輩がやって来る。
「何があったの?」
芹華は後輩に尋ねた。
「ああ。みんなで朝練しようってことに決まったんです。昨日、先輩がお休みしてるって聞いて、いっつも先輩に迷惑かけてるんじゃないかと思って。それに先輩みたいに上手くなりたいし。だからみんなで決めたんです。朝練しようって。」
後輩が一生懸命説明する。
「そっか。」
芹華は微笑んだ。
「はい。初め、みんな嫌がってたんですけど、でもキャプテンはいつも朝練してるって紗智先輩に聞いて。それでみんなやる気になったんです。キャプテンみたいにがんばろうって。」
「それに先輩、文化祭前、すっごく忙しかったのに部活全然休まなかったし、だから先輩を見習ってもっと部活に力入れようって。」
もう一人の後輩が付け足す。
「そう。嬉しい。そうやって言ってくれると。」
芹華は本当に喜んでいた。自分の陰の努力を誰かが見てくれていた。そしてこんな風に嬉しい結果になる。それは芹華が今までずっと信じてきたことだった。それが報われたのだ。芹華は手放しで喜んだ。

「あっ。いたいた。芹華。」
後ろから呼び止められ、芹華は足を止めた。
「どしたの?哲哉。息切らして。」
「あっあのさ、ごめん。」
唐突に謝られても、何のことだかさっぱり分からない。
「何が?」
思わず聞き返す。
「ほら、朝練だよ。俺行けなくて。」
「ああ。そのこと。」
「いやっ、行くには行ったんやけどね、なんかバスケ部いたから入りづらくて。」
「ははっ。確かにね。」
芹華は笑っていた。
「マジでごめん。」
「いいよ。そんな謝らんでも。」
「でも・・・。」
「だってね。後輩たち、うちのこと見習ってああやって朝練始めたんだって。それ聞いてさ、胸がいっぱいになったの。自分が今までしてきたことは無駄じゃなかったんだって。だから哲哉が謝ることないよ。」
「そっそう。良かった。でもマジで良かったな。」
「うん。」
芹華が極上の笑顔を見せる。哲哉はその瞬間『かわいい。』と本気で思った。
「そうそう。昨日は来てくれてありがと。嬉しかった。」
芹華は昨晩誓ったことを口にした。哲哉はきょとんとしていたが、すぐに笑顔になった。
「いや。そんなお礼言われるほどのことじゃ・・。でも良かった。芹華が元気になって。」
その言葉に芹華は正直照れた。哲哉は何でも素直に口に出してくれる。だから自分も素直になれる。それが妙に安心できる。不思議な関係。
そこでチャイムが鳴る。
「あ。俺行かな。じゃあな。芹華。」
「またね。」
芹華は哲哉を見送ってから自分の教室に入った。

芹華は悩んでいた。自分の気持ちを整理していた。結果、やはり哲哉のことを好きだということがよく分かった。こんな風に人を好きになったのは初めてだった。 確かに今まで好きになった人はいるが、その人たちとはまた違う感情だ。哲哉といると安心できる。素直になれる。今まで好きになった人で哲哉みたいな人は初めてだった。 芹華は哲哉に気持ちを伝えるべきかどうか悩んでいた。何と言っても年齢が違う。芹華の方が1つ年上だ。そんなことを気にしてもどうにもならないのだが。 何より気持ちを打ち明けて哲哉との関係が壊れてしまうのが怖かった。気まずくなりたくなかった。気まずくなるよりはこのままの関係でいたほうがいい。 いつの間にか芹華は諦めに入っていた。消極的な考えをする自分が嫌いだった。でもそれとこれとは違う・・・。言い訳を並べる。芹華は思い切り首を横に振る。だめだ。こんな自分では。哲哉に認められる女性になりたかった。いつも前だけを見ている哲哉に似合う女性ひとに。どっちにしろこのままじゃだめだ。それしか分からない。それだけしか考えられなかった。

芹華は以前より忙しくなくなった。次の生徒会の選挙は3学期に控えている。今はその準備段階だ。部活もキャプテンを交代し、たまに顔を出すくらいしかしていない。ただ今は違うことで悩んでいた。就職だ。不景気のせいか、良い返事がなかなか来ない。芹華は溜息を吐いた。
「芹華。どうしたの?」
由華子が顔を覗き込む。
「えっ?ああ。何でもないよ。」
芹華は慌てて首を振る。芹華はリビングで暖まっていた。最近はめっきり寒くなった。12月に入ったからそれも仕方がないのだが。
「でも芹華。どうすんの?内定してないんでしょ。」
由華子はミカンを頬張りながら芹華に問う。
「うん。不景気だからね。なかなか会社が雇ってくれないの。」
芹華は溜息を吐いた。もう既に3社は面接に行っている。どれもデザイン関係の会社だ。
「そうね。確かに就職難よね。」
由華子が納得する。
「だからどうしようかと思って。」
芹華はまた溜息を吐く。
「お父さんとも相談しようかと思ったんだけど。また事件でしょ。」
芹華は言葉を付け足した。
「うん。また新しいヤマ追ってるって。」
由華子が答える。
「どうしようかなぁ。」
芹華はテーブルに頭を置く。
「モデルやれば?」
後ろで声がした。芹華は声がした方に振り向く。
「遼平。あんたなんでいんの?」
芹華が不審がる。遼平はリビングの入り口に立っていた。
「ああ。さっきまで紘樹と篤季と遊んでた。」
「・・・。」
芹華は呆れていた。
「それより、さっき何てった?」
芹華が聞き返す。
「ああ。モデルやれば?ってったの。」
「モデル?」
芹華が困惑したように繰り返す。
「そっ。哲も言ってたやん。芹華はモデルした方が性に合ってるって。」
「そっ、そうだけど。・・・。」
「ならええやん。」
「あんたねぇ、そんな簡単に・・・。」
「あら?やってくれるの?モデル。」
急にハイテンションな声がこだまする。
「とっ、智子サン・・・。」
「おっ、おふくろ・・・。」
芹華は驚いた。もちろん遼平も。いつの間にか智子が萩原家のリビングに現れていた。神出鬼没とはまさにこのことだ。それにしてもなぜか由華子は驚かない。慣れてるせいだろうか?
「で?やってくれるの?モデル。」
智子が芹華に詰め寄る。
「えっ・・・あっ・・あたしでよかったら・・。」
芹華は智子の勢いに押されていた。
「ほんと?嬉しい。ほら、こないだ芹華ちゃんたちを撮ったカメラマンいたでしょ?あの人がね、ぜひもう1度芹華ちゃんを撮りたいって言ってるのよ。」
智子はほくほく顔で話す。芹華は妙に照れた。自分のことをそんな風に言ってくれるなんて正直思わなかった。
「それにこないだのファッションショーも初めてにしてはすっごくイキイキしてたし。芹華ちゃんがうちの会社の専属モデルになってくれると嬉しいな。」
「えっ?でも専属のモデルっていなかったはずじゃ。」
芹華は困惑していた。
「ええ。そうよ。でも一応何人かはいるのよ。でもその人たちより、芹華ちゃんのほうが私の服のイメージに合うのよね。なんでかしら?」
智子がクエスチョンマークを飛ばす。そんなコト言われても知らない。
「話変わるけど、おふくろ。なんでここにおんねん?」
遼平がこたつに入りながら問う。
「なんでだっけ?」
「おいっ。」
すかさず遼平がツッコむ。智子はやはり天然が入っているようだ。
「あぁ。そうそう、忘れるところだったわ。バイト代持ってきたの。こないだのポスターのモデルと、ファッションショーのね。」
「ポスターんときって、かなり前やんけ。」
遼平がツッコむ。
「うん。今まで忘れてたから。」
智子はあっさりと答えた。その言葉に一同言葉を失った。でも正直、芹華もこれがバイトだったということをすっかり忘れていた。いろんなことがありすぎて。何よりも楽しかったし。智子が芹華に封筒を手渡す。
「えっ?こんなに?」
芹華は開けてみて驚いた。軽く10万以上はあると思われる。
「そうよ。あのポスターのおかげで売上も上がったし、ショーでかなり注目集まったしね。」
智子はノンキにミカンを頬張りながら答えた。芹華は驚いていた。まさかこんなに貰えるとは思わなかったからだ。でも智子の言葉がすごく嬉しかった。多くの人が自分のポスターがきっかけで服に興味を持ってくれるのはすごく嬉しい。芹華は素直に喜んだ。
「そうそう。話、戻すけど。本気でうちのモデルになってくれない?」
智子はいつになく真剣だった。
「・・・・すごく嬉しいです。そう言ってくださって。」
「じゃあ・・。」
「でも一応、父と話し合いたいんです。それからでもいいですか?」
芹華も真剣に返す。確かにこの話題は芹華の一生がかかっている。真剣になって当たり前だ。智子は溜息を漏らし、そして微笑む。
「いいわ。待つわ。いい返事を期待しているわね。」
「はい。」
芹華も微笑んだ。

芹華はまだ就職先が決まっていなかった。見事に全社落ちた。
(いいけどね・・・。)
芹華はこのまま決まらなければいいと思った。芹華としてはモデルの仕事がやりたかった。だが待てど暮らせど雅希は返ってこない。事件はまだ解決しないようだ。芹華は無意識に溜息が多くなっていた。
「芹華。どしたん?最近、元気がないようやけど。」
哲哉が顔を覗き込む。
「ん?別に。」
芹華は微笑んだ。
「そう。ならええけど。」
哲哉はそれ以上つっこまなかった。芹華はまた哲哉の家に来ていた。冬休みにも入り、芹華も一時期よりヒマになっていた。 鷹矢は最近ではバンドの仲間になりつつある。そのおかげか、イキイキしていた。そして相変わらず篤季に空手を習っていた。と言ってもお遊び程度なのだが。 芹華はそんな鷹矢を見て、本当に良かったと思った。1年前に初めて会った時より、背も伸びだいぶ大人っぽくなっていた。高校には行っていないものの、頭はいいらしく、日本に来る前に既にアメリカで大学を卒業していた。
「セリカ。聞いて。オレ、料理作れるようになったんだよ。」
鷹矢がまだ片言の日本語で懸命に話す。
「へぇ。すごいね。何作れるの?」
芹華が質問すると鷹矢は笑顔で答えた。
「いろいろ。えっとね、ナベ料理は作れるよ。」
「すごーい。」
芹華は本気で感心していた。きっと料理ができない哲哉に代わって作っているうちに覚えたのだろう。遼平仕込みだけあって、その腕は確かだ。
「今度作ってね。」
芹華がそう言うと鷹矢は笑顔で頷いた。鷹矢を見ていると心が洗われるようだ。いつも何かに一生懸命で。忘れていた何かを持っている気がする。芹華はそんなことを考えていた。ふと気付くと哲哉が呼んでいる。
「芹華。電話。」
哲哉は子機を芹華に手渡す。
「ありがと。・・・もしもし。」
芹華が電話に出るとそれは由華子からだった。
「母さん。どしたの?」
『父さんが帰ってきたけど。話があるんじゃなかったの?』
「えっ?ほんと?」
『嘘言ってどうすんの。それより父さん、また戻らなきゃいけないみたいだから。あんまし良くないかも知れないけど、電話で話したら?』
「うん。そうする。」
『じゃあ、代わるわね。・・・・もしもし。』
「あっ。父さん?芹華だけど。」
『おう。どした。』
「あのね、進路のことなんだけど。うちね、智子さんに・・・その・・・モデルやらないかって誘われて・・。」
『・・・。』
「それで・・あの・・うち・・やりたいって思うんやけど・・。」
雅希は黙ったままだった。
「お父さん?」
『それで後悔しないんだな。』
「うっ、うん。」
『じゃあ、やってみなさい。芹華の人生なんだから。自分が信じた通りにやりなさい。』
「父さん・・。」
『いいか。後悔だけはするんじゃないぞ。』
「うん。」
『じゃあ、父さんはこれからまた仕事だから。』
「うん。ありがと。父さん。うち、がんばるから。絶対後悔はしないから。・・・仕事、がんばってね。」
『ああ。じゃあな。』
「うん。」
電話が切れる。芹華は涙が止まらなかった。安心・・からかもしれない。ただ、雅希の気持ちも少し伝わってきた。父としてはモデルなんかよりももっと収入の安定した職業に就いてほしいと思っていたに違いない。雅希がどんな気持ちでああ言ってくれたのかを考えると胸がいっぱいになった。自然と涙が溢れ出していた。
「セリカ。だいじょぶ?」
鷹矢が心配そうに覗き込む。芹華は頷く。目頭を押さえた。他の皆も状況は何となく分かった。あえて何も言わなかった。その方がいいと思ったから。芹華は皆の優しさが身に染みていた。

ある日、芹華は自分の気持ちを伝えるべく、智子の事務所に来ていた。
「あら?芹華ちゃんじゃない。どしたの?わざわざ。」
智子は少し驚いていた。芹華にソファに座るよう、勧める。
「今日は、自分の気持ちと親と相談したことをお伝えしに来ました。」
芹華は真剣な眼差しで智子を見る。智子も真剣な表情になる。
「私は正直智子サンに誘っていただいたとき、悩んでいました。でも落ち着いて考えてみて、やりたいと思いました。バイトとしてさせていただいた仕事はとても楽しかったし、新しい自分を発見できたような気がしました。それで自分の気持ちを父にも伝えたところ、やってみろという返事でした。後悔だけはしないようにと。ですから私、この仕事をやってみることにします。」
「芹華ちゃん。ホントにいいのね?」
「はい。」
「きゃあ。ありがとぉ。嬉しい。」
そう言うと智子は芹華に抱きついた。
「芹華ちゃん、これから忙しくなると思うけど、よろしくね。」
「はい。」
芹華は笑顔で返事をした。

冬休みもあっという間に終わり、3学期に入った。すぐに生徒会の選挙が始まった。開票の結果、微妙な数で哲哉が生徒会長になった。航が副会長。亜依は書記。会計と広報は1年生がやることになった。そしてある日の朝礼の時間に交代式を行った。
「前生徒会長の萩原芹華です。この1年、私なりにがんばってきました。きっと至らない点もたくさんあったと思います。これから新生徒会の皆には学校をもっとよくするためにがんばってもらいたいと思います。私が見ている限りでは赤樹クンも峰岸クンもとても一生懸命に仕事をしています。2人には今まで以上に頑張ってもらえたらと思っています。今までありがとうございました。」
芹華は一礼して後ろに下がる。そして哲哉がマイクの前に立つ。
「新しく生徒会長になりました、赤樹哲哉です。前生徒会長に負けないくらいの活動をしていきたいと思っています。これから1年間よろしくお願いします。」
哲哉は一礼して下がる。やはり短い言葉だったが、その中にたくさんの思いがある。少なくとも芹華にはそれが分かった。

ある日、芹華は担任に呼び止められた。
「萩原さん。ちょっといいかな。」
「はい。」
芹華は担任と一緒に職員室のソファに座っていた。
「萩原さん。進路のことなんだけど。どうすんのかな?」
「そのことでしたらもう決まってます。」
芹華は笑顔で答えた。
「えっ?そうなの?」
担任は本気で驚いた。
「はい。すいません。報告遅くなっちゃって。」
「それってどこ?」
「この間、智子サンに専属モデルとしてスカウトされたんです。」
「えっ?すごいじゃない。」
「ええ。自分でも信じられないです。」
「でもデザインの仕事は?」
「智子サンの下で働いてる間にもっと勉強しようかなって思ってます。」
「そう。それがいいかもしれないわね。プロに習うのが1番いいかもしれないわ。」
「はい。」
「そう。決まったのならいいの。よかったわ。」
担任はにっこりと笑った。
「はい。」
芹華も笑った。

「芹華。モデルやるんやって。」
ある日哲哉の家に遊びに行ったときに哲哉に話し掛けられた。
「そ。智子サンに言われて。」
「でも、すげーやん。」
哲哉がコーヒーを差し出す。芹華は受け取って一口飲む。
「ありがと。」
「でもさ。ホンマ芹華には天職やと思うで。」
「うん。自分でもそう思う。やってて楽しかったし。」
「そーやな。傍から見てても楽しそうやってもんな。でもさ、本格的にやるんやったら東京行くんちゃうの?」
「そうかもね。でも・・。」
芹華がそう言いかけた途端、横から鷹矢が入ってきた。
「セリカ、どっか行っちゃうの?」
「ううん。まだ分かんない。モデルとしてはまだまだだし。しばらくはここにいるよ。」
「良かった。」
芹華がそう言うと鷹矢は胸を撫で下ろした。そして鷹矢は篤季に呼ばれて向こうに行ってしまった。リビングには哲哉と芹華だけになった。
「鷹矢クン、見てると何かホッとするよね。」
不意に芹華が呟く。
「えっ?それって・・。」
哲哉が思わず聞き返す。
「だってさ、弟たちはあんなにかわいくないもんね。いっつも憎まれ口叩いてさ。」
「ああ。そういう・・。」
哲哉は妙に安心した。
「どしたの?」
いつもと様子が違う哲哉に芹華は声をかけた。
「ううん。何でも。」
哲哉が首と手を振る。
「そっ。ならいいけど。」
芹華はまた哲哉が入れたコーヒーを飲む。
「いっつも思うけど、おいしいよね。哲哉が入れてくれたコーヒー。」
「ははっ。インスタントだけどね。」
哲哉が照れ笑いする。
「インスタントでもおいしいよ。」
芹華が微笑む。哲哉はそのとき本気で芹華を抱きしめたいと思った。
「あっあのさ。」
哲哉が急にまじめになる。
「ん?何?」
芹華が顔を上げる。ちょうど向き合っているので、目が合う。
「あのっ・・えっと・・。」
哲哉は自分の気持ちを言おうとしていた。だが思ったように口に出てこない。喉の奥がつっかえたカンジがする。しどろもどろしている間も芹華はじっと哲哉を見ていた。
「あのさ。芹華。えっと・・す・・。」
「す?」
芹華はやっと聞き取れた言葉を繰り返す。
「おい。芹華。篤季と鷹矢が喧嘩しとるで。」
遼平がいきなり現れる。哲哉は言葉を飲み込んだ。
「えー?空手とかじゃなくて?」
芹華がリビングの入り口に立っている遼平に顔を向ける。
「さあ?」
遼平がノンキに答える。
「もう。何やってんだか。哲哉、ちょっとごめんね。遼、2人はどこ?」
芹華が立ち上がって行ってしまった。哲哉はただ呆然と芹華を見送った。その後遼平を睨んでいたのは言うまでもない。
「・・悪寒が・・。」
遼平は身震いをした。

結局篤季と鷹矢は喧嘩ではなかった。取っ組み合いして遊んでいただけだった。
(遼平のせいだ。)
哲哉はまだ遼平を睨んでいた。遼平は悪寒を感じつつもその正体が何なのかは分からなかった。遼平と遙はいつものようにみんなに食事を作っていた。芹華たちはほとんどの週末を哲哉の家で過ごしていた。遼平たちはバンド練習。芹華と篤季は鷹矢の希望で。遙は家に1人っきりになるので、遼平が連れてきたのだった。
「できたよ。」
遙がリビングまで呼びに来る。この家はダイニングとリビングが離れているのだ。遙の声で全員がダイニングに集まる。かなりの大人数だが、この家はかなり大きいのでそんなことさえ感じさせない。それぞれが席につく。遼平と遙はエプロン姿で給仕する。この兄妹はなぜかエプロンが似合う。不思議だ。本日の夕食は特製ハンバーグにマカロニサラダ。そしてコーンスープだ。皆味わって食べた。とてもおいしかった。
「さて。腹ごなしできたし。曲でも書くか。」
響介が妙に張り切って立ち上がる。
「響介ってば曲書けるの?」
芹華が思わず聞き返す。
「それが書けるんですよ。」
響介は変なノリで答える。
「すごーい。」
芹華が拍手する。
「芹華。やめろ。すーぐ調子乗るから。」
遼平が止めに入る。だが既に響介は天狗になっていた。
「まだ1回も採用されたことないのに威張んなよ。」
哲哉が冷たく一言。
「哲哉サン。冷たい。」
響介は半泣きになる。
「ホンマのことやんけ。」
遼平が意地悪く笑う。
「ひどぉー。」
響介がまた泣きそうになっている。まったく。このバンド、これでよく続いてるよな。芹華はそんなことをふと考えていた。
「ハァー。お腹いっぱい。おいしかった。ごちそうさまー。」
譲は譲で落ち着き払って言う。我関せずといったカンジだ。ホンマによう続いとるよ。このバンド。芹華は半ば呆れていた。

そして3年生としては結構ヒマになった。しかし芹華はボーっと授業を受けながら違うことを考えていた。哲哉への気持ち。どんなに整理しても離れない。この気持ちはどうしようもない。だけど伝える勇気が出てこない。芹華は悩んでいた。ただそれだけを。ずっと胸に隠してはおけないことくらいは分かっている。
「芹華。どしたの?」
ぼっーとしていた芹華に紗智が声をかける。
「わっ。びっくりした。」
芹華は急に我に返った。
「授業、とっくに終わってるよ。」
紗智のツッコみに芹華は教科書をしまう。
「あぁ、そういえばあんたに客来てたよ。」
「誰?」
「ほら。あの子。えーっと赤樹哲哉。」
その名前を聞いて芹華は持っていた筆箱をぶちまけた。
「何やってんのさ。」
紗智が拾うのを手伝う。
「ごっ、ごめん。」
芹華は動揺していた。今までその哲哉のことを考えていたからだ。
「待ってるから行きな。」
紗智は拾ったモノを筆箱に押し込み、さらに筆箱を芹華の鞄に押し込んだ。
「ありがと。じゃあね。」
芹華は鞄を持ってさっさと出て行った。
「あっ。芹華。掃除当番。」
クラスメートが叫ぶ。だが芹華は出て行ってしまった後だった。
「紗智。代わりによろしく。」
「げっ。」
紗智は芹華の代わりに掃除をやらされた。

「哲哉。どしたの?」
教室を出てすぐの階段の所に哲哉がいた。
「うん。あのさ。ちょっと時間いい?」
「いいけど・・。」
2人は人気のない校舎の裏に来ていた。この場面。どっかと同じ気が・・・。
「あのさ。芹華。こないだから言おうとは思ってたんだけど・・邪魔が入って言えなかったんだ・・。」
「うん?」
芹華はいつかの哲哉の家での出来事を思い出していた。
「で・・言いたいことって言うのは・・・。」
「うん。」
芹華が頷く。哲哉は意を決した。
「好き・・です。付き合ってください。」
言った。とうとう言ってしまった。芹華はただ呆然としていた。あまりに急過ぎて頭が真っ白になっていた。少しずつ整理する。まず哲哉は自分のコトを好きだと言ってくれている。そして付き合ってくれと言っている。自分は?今まで考えていた自分の気持ちは・・・。
「好き。」
芹華はつい口に出してしまった。
「えっ?」
哲哉は驚いて顔を上げる。
「あっ。えっと・・だから・・・私も哲哉のことが好きです。」
「そっ、それじゃあ・・。」
哲哉の顔がパァーと明るくなる。
「喜んでお付き合いさせていただきます。」
芹華が照れながら一礼する。
「えっ?ホンマに?やったっ。」
哲哉はマジで喜んでいた。

どこが発信源かは分からないが、芹華と哲哉が付き合っているという噂は瞬く間に広がった。それはもちろん哲哉のファンクラブの耳にも入った。
「なんですって?哲哉くんと萩原芹華が付き合ってる?それは本当なの?」
ファンクラブの会長、駿河朝香(2年)が叫ぶ。
「はい。確かな情報です。」
会員の1人が頷く。
「何てことでしょう。萩原芹華め。ちょっと生徒会長だったからって哲哉くんと付き合うなんて・・。仲良くしていること自体許せないのに、付き合うですって?言語道断です。」
朝香は怒りで震えている。
「でもお似合いですよね。」
「おだまりっ。」
会員の言葉に朝香が睨みを効かす。
「こうなったら攻撃するわよ。」
「こっ、攻撃ですか?」
「ええ。そうよ。許すまじ。萩原芹華。」

そんな陰謀があるとは露知らず、芹華はいつものように登校してきた。
「さぶぅー。」
そう。今日は珍しく雪が降っていた。1月の1番寒い時期だ。芹華はいつものように教室に向かう階段を上っていた。その時何かが足に引っかかった。
「うわっ。」
芹華は滑って転びそうになった。そのとき誰かが手を差し伸べてくれた。
「大丈夫か?」
それは芹華のクラスメートの男子だった。
「うん。ありがと。」
芹華は相手にお礼を言い、階段の方を見た。何もない。確かに足に何かが引っかかったんだけどな。芹華は首を傾げながら教室に入った。
「ちっ。もうちょっとだったのに。」
陰で舌打ちしている。その者こそ陰謀を企てた張本人、朝香だった。

「会長。やめましょうよ。大怪我でもしたらどうすんですか。」
会員が止めに入る。
「うるさいわね。その時はその時よ。それにうちらがしてるなんて絶対バレないわよ。」
妙に自信たっぷりだった。
「そうかなぁ。疑われると思いますけど。」
「じゃあ、貴女は萩原芹華を許せるの?哲哉くんの彼女なんかになってるのよ。」
「でもそれは仕方ないんじゃ・・。」
「もういいわ。貴女はファンクラブから追放します。」
「えっ?そんな・・。」
「うるさい。」
朝香は1番まともな意見をした会員を名簿から削除した。
「さて。第2作戦。行くわよ。」

「やだ。何これ。」
芹華は自分の机を見て唖然とした。気色の悪い物体が机全体に広がっている。
「ああ。これってスライムやん。」
横から紗智が割り込む。
「スライムぅ?」
「そっ。スライム。」
「でもなんでこんなもんが・・。」
芹華は机の前で立ち尽くしていた。すると紗智がそのスライムをペリペリと剥がし始めた。
「よし。のいたよ。芹華。」
「よしって。よく持てるね。そんな気持ち悪いの。」
芹華は本気で気持ち悪がっている。確かに気持ち悪い。それは緑色で、紗智の手の中でうにょうにょ動いている。
「早く捨ててよ。それ。」
芹華は紗智を避けながら席につく。
「ういっす。」
紗智はそう言うとゴミ箱に直行した。そして授業が始まる。

お昼の時間になった。芹華は哲哉と一緒に食べることにしていた。2人で誰も来ない屋上に上って弁当を食べていた。今朝起こった奇妙なことを哲哉に話した。
「確かに変やな。」
「やろ?なんでやろ?」
芹華は困惑していた。
「でもさ、ただのイタズラだよ。そんなん。気にせんほうがええよ。」
「そうやね。」
芹華は不思議と哲哉の一言で妙に安心した。
「そうそう。今度の土曜日ライブあるんやけど。来てくれる?」
哲哉がライブチケットを渡す。
「行く行く。絶対行く。」
芹華はライブチケットを受け取って笑顔で言った。
「そう言うてくれると嬉しいわ。」
哲哉が微笑む。
「だってうちは、Static Sparksのファンやもん。」
「大袈裟やな。」
哲哉が苦笑する。
「ホンマやって。今まで音楽ってあんまし興味なかったけどさ、哲哉たちの音楽聞いて、いいなって思ったんだ。」
「そう言ってもらえるとマジで嬉しいわ。」
哲哉が照れ笑いする。芹華はそんな哲哉を見て微笑んだ。

そして予鈴が鳴る。2人は各々教室に帰った。そして午後の授業を受け、掃除をしていた。朝の奇妙な事件はそれから起こらなかった。
(考えすぎだよね。)
芹華はほうきで廊下を掃いていた。校舎内は土足なので結構汚れている。芹華は階段の方まで掃いていた。その時、事件はまた起こった。
バシャッーン。
「つっめたーい。」
芹華は思いっきり水をかぶった。上の階から水がしたたり落ちている。
「芹華。危ない。上っ。」
クラスメートが叫ぶ。
「えっ?」
芹華は上を向いた。すると何かが顔面を直撃した。その拍子にバランスを崩し、芹華は階段から転げ落ちた。
「芹華。大丈夫。」
クラスメートが駆け寄る。
「いったー。」
芹華は腰をさすった。クラスメートに助けてもらいながら立ち上がろうとする。
「いたっ。」
芹華は立ち上がれなかった。足首をひねったようだ。
「足、ひねったかも。」
「えっ?ああ、それじゃ、保健の先生、呼んでくる。」
そう言うとクラスメートは芹華を置いて走って行ってしまった。
「ちょっと待ってよ。・・ヤダ。行っちゃった。どうしよ。あーあ。もう災難。」
芹華は踊り場に座り込んでいた。
「何やってんや?こんなとこで。」
ふと後ろで聞きなれた声がした。
「哲哉ぁ。助けてぇ。」
芹華は泣き出しそうだった。
「どしたんや?ずぶ濡れやん。」
哲哉はしゃがんだ。
「上の階から水が落ちてきて、それからバケツが顔面直撃して、バランス崩して階段から落ちて、足ひねったみたい。」
芹華は本気で泣きそうだった。
「そりゃひどいな。もしかしてあれか。昼間言ってた。」
「分かんない。」
芹華が首を横に振る。
「それより、早よ着替えな、風邪ひくで。」
哲哉がどこからかタオルを取り出し、芹華の顔や頭をふく。
「そりより、ここから動いた方がいいと思う。」
芹華は髪を拭かれながら、哲哉にツッコんだ。
「せやな。ちゃんとつかまっとけよ。よっ。」
哲哉は芹華をお姫様だっこして立ち上がる。
「きゃっ。ちょっ、哲哉、恥ずかしいよ。」
芹華が顔を真っ赤にして抗議する。
「しゃーないやん。芹華、足ひねってるんやろ?」
「そ・・だけど。」
芹華は何も言えなかった。
「そんなこと言ってる場合ちゃうやろ?」
哲哉の言葉に芹華は納得する。そして哲哉はそのまま芹華を保健室に連れて行った。その間も注目を浴びていた。

「うーん。やっぱり病院行って検査してもらったほうがいいかもね。」
保健教諭が溜息をつく。保健室に行く途中で、保健教諭を呼びに行ったクラスメートと保健教諭に会ったのだった。
「にしても災難ね。水はかぶるわ足ひねるわ。」
「・・・はい。」
芹華は何も言えなかった。芹華は紗智が持ってきてくれた体操服に着替えていた。毛布にくるまってストーブの前で暖まる。哲哉は傍に立っていた。
「じゃあ、先生が車で病院に送ってってあげるから、その間に他の先生に親御さんに連絡しといてもらおう。」
「すいません。」
「謝ることないわよ。怪我しちゃったのは仕方ないんだし。ちょっと待っててね。」
そう言うと教諭は保健室から出て行った。
「芹華。鞄、ここに置いとくね。」
紗智が芹華の鞄を持ってきてくれた。
「うん。ありがと。」
「いえいえ。じゃ、バイト入ってるから。」
「うん。バイバイ。」
「バイバイ。」
そして紗智も出て行き、保健室には芹華と哲哉だけになった。
「でもさ。マジで、おかしくない?」
哲哉が隣に椅子を持ってきて芹華に話し掛ける。
「うん。でも偶然ってこともあるし・・・。」
「偶然って・・できすぎてないか?普通水かぶったり、バケツが落ちてきたりせんやろ?」
「確かに。でも・・ヤだな。誰かに嫌われてるのって。」
芹華がうつむく。
「それはどうしょうもないことやと思うよ。でもさ、ホンマに心当たりとかないんか?」
哲哉の問いかけに芹華は頷いた。
「何なんやろうな。誰がこんな酷いこと・・・。見つけたら、絶対許さへん。」
「哲哉・・。」
芹華は哲哉の顔がこわばっているのを見て正直不安になった。
「ん?なんや?芹華。」
哲哉は不意に自分の袖をつかまれて、驚いた。
「そんな・・怖い顔しないで。うちは大丈夫やから。」
「でも・・。」
「お願い。」
芹華にそう言われて哲哉は何も言えなくなった。

「ちょっと会長。どうすんですか。ますますいい雰囲気じゃないですか。しかも哲哉くん、怒ってますよ。」
廊下で傍耳を立てていた、ファンクラブの会員が小声で話す。
「くっ。階段から落ちたのはいい気味だったのに。あそこで哲哉クンが現れるなんて、計算外だったわ。」
朝香が悔しがる。
「なーにが計算外なんだ?」
不意に後ろから声がして朝香たちは振り返った。
「げっ。みっ、水槻くん。」
振り返ると遼平が睨みを効かせていた。
「なっ、何でもないわよ。」
「ふーん。」
「じゃっじゃあ。私たち帰らなきゃいけないから。」
「・・・。」
遼平は終始睨んでいた。2人はさっさと帰っていった。
「ったく。何なんや?あいつら。」
遼平は溜息を吐くと、保健室に入った。
「よう。芹華。大丈夫か?」
「遼。うん。なんとか。でも病院行って検査したほうがいいって。」
「ふーん。でも災難やな。階段から落ちるなんて。っていうかなんで体操服着とん?」
「階段から落ちる前に水かぶったんやって。」
「マジで?この寒い中。」
哲哉が説明する。遼平はかなり驚いていた。
「遼。怪しいヤツら、見んかった?」
哲哉が静かに口を開く。
「怪しいヤツ?ああ、さっきそこに。」
遼平は保健室の入り口を指差した。
「やっぱり。」
哲哉が考え込む。
「なんやねんな。一体。」
遼平はもどかしそうに問う。
「実は・・・。」
哲哉が芹華の代わりに今朝からの奇妙な出来事について話した。
「そうか。なるほどね。」
遼平は1人で納得していた。
「何が?」
芹華が訊ねる。
「犯人が分かった。」
「「ええっ。」」
芹華と哲哉は同時に叫んだ。
「誰なんや?その犯人。」
哲哉が詰め寄る。
「それは。」
「「それは?」」
「萩原さーん。病院行きましょー。」
ちょうどそのときに教諭が帰ってきた。
「赤樹くん。またお願いね。」
「はい。芹華、ちゃんとつかまっとけよ。」
「うん。」
そう言って哲哉は芹華を抱き上げた。
「遼。続きは病院でや。お前も来い。」
哲哉が指示する。
「おう。」
遼平は哲哉のあとから付いていった。

「で?誰が犯人なんや?」
病院の待合室で哲哉が遼平に問う。
「ああ。多分、哲がらみや。」
「俺?なんで?」
「あいつら、どっかで見たことあると思たら、お前のファンクラブと称しとるヤツらやったんや。」
「俺のファンクラブ?そんなんあったんか?」
「ああ。お前は知らんかもしれんがな。」
「もしかして遼、お前そいつらに俺の写真、高値で売りさばいとらんか?」
「えっ?まっ、まっさかぁー。そんなことしとらんで。」
「そう、それならええけど。」
哲哉はそう言うと遼平を見た。
(その目が怖いんですけどぉー。)
遼平は心の中で叫んだ。
「でもなんでそいつらが芹華に嫌がらせするんや?」
哲哉は本題に戻した。
「にっぶいなぁ。ええか?あいつらはお前のことが好きなんやで?その好きな人に恋人ができてみぃ。恨みは全部その恋人にいくっちゅうわけや。」
「そうか。それで芹華にあんなこと・・。」
「まぁ、でも今回のことで反省したんちゃう?」
「ああ。それならええんやけど。」
そのとき診察室の戸が開き、芹華と教諭が出てきた。
「芹華。なんやって?」
哲哉が駆け寄る。
「うん。骨に・・ちょっとひび入ってるって。」
「えっ?」
哲哉は一瞬頭の中が真っ白になった。自分のせいだってことがどこかにあるのか、まともに思考回路が働かない。
「なんやひび入っとったんか。」
哲哉の後ろで遼平が呑気に言う。
「ひび?」
哲哉はやっと声にした。芹華が頷く。
「でも2,3週間くらいで治るって。」
「萩原さん、お姉さん見えたわよ。」
後ろで教諭が言う。
「芹華。大丈夫?」
清華が駆け寄る。
「うん。ちょっとひび入ってるけど2,3週間くらいで治るって。」
「そっ。ならいいんやけど。で?なんで体操服着てんの?」
「ああ。階段から落ちる前に水かぶっちゃって。」
芹華が苦笑する。
「水もかぶったの?災難やない。」
「うん。」
「萩原さん。そしたら、私学校戻るわね。」
「はい。ありがとうございました。」
「さようなら。」
「さようなら。」
教諭は帰っていった。
「あら?遼平。あんたいたの?」
清華は今更ながら遼平に気付いた。
「いたよ。さっきから。」
ちょっとムッとしている。
「あれ?君は確か・・芹華と一緒にポスターになってた・・・。」
「あっ、初めまして。赤樹哲哉と言います。遼平のクラスメートで・・。」
「あっそうなんだ。ふーん。結構背高いのね。」
「あっ・・一応バスケしてたんで・・。」
「ふーん。芹華と一緒やん。で、遼平たちはどうやって帰んの?」
「学校にチャリ取りに帰らなあかん。」
遼平が呑気に言う。
「ふーん。じゃ、送ったげる。」
清華が車のキーをぶらつかせる。
「ありがとうございます。」
哲哉が一礼する。
「いえいえ。礼儀正しい子ね。それに引き換え後ろのガキは・・。」
清華が溜息を吐く。
「ありがとうございます。」
遼平はとげとげしく吐き捨てる。
「かっわいくなー。」
清華がそっぽ向いて歩き出す。芹華はその後を松葉杖で追いかける。
「芹華。大丈夫か?」
哲哉は助け舟を出そうとしている。
「大丈夫。1人で歩けるから。」
芹華は懸命に歩いている。
「おい。清華っ。お前ちっとはゆっくり歩いてやれよ。」
遼平がどなる。
「うっるさいわね。先行って車、近くに持って来ようとしてんのに。だいたいうちのが年上なんだからもっと口の利き方勉強しなさい。」
清華はわざわざ戻ってきて遼平のほっぺたをつまむ。
「ひてててて。」
遼平ももっと言い方はあるのに。どうしてあんな悪態をつくのだろう。
「ホンマの姉弟みたいやね。」
哲哉が半ば呆れている。でもちょっと羨ましかったりする。芹華にはそれが伝わってきた。
「哲哉・・・。」
「ほら、あとちょっとで出口やで。」
「うっ、うん。」
芹華はまた歩き出した。

翌日。芹華は学校に行く支度をしていた。
「芹華。あんたに客だよ。」
清華に言われ、玄関に出て見るとそこには哲哉がいた。
「哲哉。どしたの?」
芹華は驚いていた。
「ああ。芹華、チャリこげんと思って・・。ほら、俺の後ろで良かったらさ。」
哲哉は少し照れながら言った。
「ありがと。」
芹華は心からそう思った。
「ああ。松葉杖はさ、遼平が持ってってくれるって。」
哲哉は目線で遼平の家を見た。そこには遼平が立っていた。
「遼平・・ありがと。」
なんだかんだ言って遼平は優しいのだ。
「ちょっと待ってて。鞄取って来るから。」
「うん。」
鞄を肩にかけ、芹華はゆっくり哲哉の後ろに乗った。荷台にはちゃんと座布団が巻かれていた。
「乗った?」
「うん。」
「じゃあ、ちゃんとつかまっとけよ。」
「うん。」
そして哲哉はこぎだした。
「大丈夫?重くない?」
芹華はふいに心配になった。
「大丈夫。重くないよ。それにこう見えても力はあるから。」
哲哉が優しく言う。その言葉だけでなぜか安心する。芹華はしっかりと哲哉につかまった。

学校に着いてからも哲哉は芹華を教室まで送っていった。
「ありがと。哲哉。」
「ええよ。こんなことしかできんし。」
哲哉は少し悲しそうな顔をした。
「哲・・。」
「昼もここに来るから。」
「うん。」
「じゃあ。」
そう言って哲哉は自分の教室に行った。

「ちょっと会長。あいつが怪我してから哲哉くん、ずっと付きっきりですよ。」
物陰で会員が呟く。
「うーん。計算外だわ。」
朝香が悔しがる。
「でもどうすんですか?やったのがうちらだってバレたら・・。」
別の会員が尋ねる。
「大丈夫よ。バレてないわ。」
朝香は自信たっぷりに言った。
「どうしてそんなこと、分かるんですか?」
「だって哲哉くん、いつもと変わりないじゃない。ってことは事故だって思ってるのよ。」
「そうなんですかねぇ。」
「そうなのよ。」
そして予鈴が鳴り響き、クラブのメンバーは解散した。

翌日。今日は生徒朝会があるので、皆体育館に集まっていた。
「これで決算報告を終わります。・・・そしてこれは私的なことですが、俺は・・3年の萩原芹華さんと付き合っています。」
その瞬間ざわめきが起こる。
「でもその萩原さんに嫌がらせをする人がいます。どうやら俺のファンクラブと称している人たちが嫌がらせをしているみたいです。この間彼女はこの寒い中、水をぶっかけられ、顔面にバケツが直撃し、バランスを崩して階段から落ち、全治3週間の怪我をしました。骨にひび入ったんですよ?いくらその人たちにとって彼女が憎いとはいえ、やりすぎや!それに俺が誰と付き合おうと俺の勝手や!もし今度彼女に手ぇ出したら、俺が倍返しにしてやる。分かったらこれ以上、彼女に手ぇ出すな!」
哲哉は睨みを効かせて言った。全校生徒の背筋が凍った。止めに入ろうとした先生さえも。
「これで生徒朝会を終わります。」
哲哉は一礼してステージから下りた。
「哲哉・・・。」
芹華は胸がいっぱいになった。
「か、解散・・してください。」
航の一言で全校生徒が我に返った。ざわめき始める。
「すっげー。かっこえー。」
「やるやん。」
「って言うか、誰やねん。そんな酷いことするヤツ。」
「マジ許せんよな。」
「ひどすぎ。」
だんだんブーイングの嵐になってきた。
「どうすんですか?会長。バレてるじゃないですか。」
「っ。どしてバレたのかしら?」
「あれじゃないですか?水槻遼平。」
別の会員が思いつく。
「そうかもしれないわね。」
朝香が悔しがる。
「ちょっと話しに行きましょうか。」
朝香は歩き出した。

「水槻くん。」
「あ?」
遼平は鬱陶しそうに振り返る。
「貴方がバラしたの?哲哉くんに。」
「そうやけど。」
遼平はあっさり答えた。
「どうしてそんなことすんのよ。」
「こっちが聞きてーよ。」
遼平は怒りまじりに言う。
「えっ?」
「なんで芹華をあんな目に遭わせんだよ。いくら何でもやりすぎや。」
遼平が睨みつける。
「ふーん。貴方、萩原芹華のことが好きなのね。」
「何でそうなんだよ。」
「好きだから怒ってるんでしょ?」
「芹華は家族同然や。だから怒ってる。てめぇーらは自分が哲哉に好かれなかったから俺に怒りをぶつけてんやろ?」
「なっ・・。」
「1番最低なヤツらだよ。」
遼平は吐き捨てるように言う。朝香たちは何も言えなかった。遼平は一瞥いちべつすると去っていった。
「なっ、何なのよ。」
朝香はそれだけしか声にならなかった。

「えっ?」
芹華はもう1度彼女たちを見た。
「だから、悪かったって言ってるのよ。怪我、させちゃって・・・。」
朝香は腑に落ちないカンジで謝った。
「ごめんなさい。怪我させるつもりはなかったんです。」
会員の1人が進み出て謝った。芹華は瞬間的にモノが考えられなかった。
「いいよ。もう。階段から落ちたのは自分だし。それに謝ってくれてすごく嬉しい。」
芹華は微笑んだ。メンバーは芹華の笑顔に救われた。
「それにね哲哉、あんなに怒ってたけど、謝ってくれたって言えば許してくれると思うよ。」
芹華が囁く。
「ほんとですか?」
会員の1人が浮かれる。
「うん。哲哉はそんな心の狭い人間じゃないから。」
芹華はまた微笑む。
「良かった。」
メンバーはホッと胸をなでおろす。ただ朝香だけは素直に喜べなかった。哲哉のことを芹華ほど知らないのが、悔しかった。仕方ないことなのだが・・。それだけ本気で哲哉のことが好きなのだ。
「哲哉にはうちから言っとくから。」
「ありがとうごさいます。」
そう言うとメンバーは退散した。

「でね。謝りに来てくれたの。」
芹華は嬉しそうに哲哉に報告した。
「そう。じゃあ、反省したんやな。」
「うん。謝りに来てくれただけで、胸がいっぱいなって全部許せたの。ありがとね。哲哉。」
芹華の言葉に哲哉は微笑んだ。
「そう言えば今日ってライブだよね。」
芹華が急に話題を変える。
「うん。6時からね。いつもの店で。」
「じゃあ、ちょっと前に行くね。」
「おう。」
そうして2人は、家に帰った。

「姉ちゃん。どっか行くんか?」
篤季が話し掛ける。
「うん。哲哉たちのライブにね。」
「あっ、今日やっけ?」
「うん。」
「そう言やぁさ、鷹矢がバンドメンバーになったって知っとる?」
篤季の言葉に一瞬頭が真っ白になった。
「そうなん?何のパート?」
「ギターっつってたかな。」
「ギターか。そういや、練習してたもんね。」
芹華は哲哉の家で鷹矢がギターの練習していたことを思い出す。
「姉ちゃん。俺も行っていい?」
「なんで?」
「だって鷹矢が入って演奏してんの、あんま見たことないもん。」
「分かった。けど迷惑かけないでよ。」
「うん。」
篤季は元気に返事した。そして芹華は篤季の自転車の後ろに乗り、出かけた。

芹華と篤季はメンバーのいる部屋に行った。そこには遙もいた。
「なんや。篤季も来たんか。」
遼平の第一声がそれだった。
「来ちゃ悪い?」
篤季はムッとして答える。
「いや。騒がしいなと。」
遼平の言葉に篤季がムッとする。
「リョウ、オレはアツキ来てくれて嬉しいよ。」
鷹矢が割って入る。それでなんだか和んでしまった。素直にそう言われて篤季は少し照れた。遼平も少し言い方があったと反省する。
「そうそう。今日はなんと俺たちだけのライブなんや。」
響介が思い出したかのように言う。
「そうなん?」
芹華は驚いた。てっきりいつものように何組かのバンドが出るものだと思っていた。
「うん。」
哲哉が頷く。
「なんや、言うてなかったんか?」
響介が哲哉に問う。
「うん。言うの忘れてた。」
哲哉はあっけらかんと答える。
「忘れんなよ。そんな大事なこと。」
遼平が呆れながらツッコむ。哲哉が苦笑いする。
「ねぇ。そろそろ時間だよ。」
譲が時計を見ながら、みんなに声をかける。
「そうやな。」
哲哉が立ち上がる。
「じゃあ、うちらは客席で見てるから。」
芹華は篤季の肩をポンッと叩いた。
「おう。」
「じゃあな。」
芹華たちは客席の方へ戻った。この店はライブハウスなのだが、喫茶店の形をとっているので、客は飲み食いしながら音楽を聞くことができる。哲哉たちもインディーズながらにがんばっていることが口コミで知れ渡り、地元ではちょっとした有名人だった。しかし哲哉たちのルックスに惹かれた人も少なくない。だが次第に音楽の方に惹かれる人が多く、ファンも多くなっていた。彼らがポスターになって街中に張り巡らされた時はかなりの話題になった。今日もたくさんの人が聞きに来ている。しかも今日は単独ライブということで、いつもよりも人が多い。立ち見の人も多い。しかし芹華たちはマスターの気遣いにより、席についてライブを楽しめた。
「えーっと今日はみんなに俺たちに新しく加わったメンバーを紹介したいと思います。」
哲哉が鷹矢を呼ぶ。
「えと・・みなさんはじめまして。ボクは杜野鷹矢です。アメリカからきて2年くらいしか経っていないので、日本語もあまりうまくないです。でもこれからよろしくお願いします。」
鷹矢が一礼すると拍手が沸き起こった。
「で、鷹矢のパートですが、ヴォーカルです。」
哲哉がそう言った途端、会場がざわめき始めた。芹華たちも驚いていた。
「彼は向こうで声楽を習っていたらしく、俺に比べるとやっぱ上手いです。最初はメンバーと揉めましたが、こういう決定になりました。驚いた人もいると思いますが、俺は今までどおり、このバンドでベースを弾きます。新しくなったStatic Sparksをよろしくお願いします。」
哲哉は一礼した。会場はしんと静まり返っている。しかし誰かが拍手をした。マスターだ。芹華たちも拍手した。そして会場全体が拍手の嵐になった。
「じゃあ、新生Static Sparksの第1曲目。」
哲哉が拍手の渦の中笑顔で始める。鷹矢がマイクを持つ。
「DEVICE!」
そう叫ぶと遼平のドラムが打ち鳴らされる。ベースがそれに乗り、ギター音が飛ぶ。キーボードがそれにアクセントをつける。鷹矢のボーカルが始まる。さすがに声楽を習っていただけある。まだ完璧な声変わりをしていない鷹矢は高音で歌う。明るく、表情豊かに。芹華には鷹矢が違う人に見えた。初めて会ったときからでは想像できない変わりようだ。笑顔が見られるなんて思わなかった。こんな満足そうな笑顔を。いつもの笑顔はどこかに影が落ちている気がしていた。お姉さんが亡くなってもうすぐ二年になる。その残酷的な出来事はきっと鷹矢の力になる。芹華はそう信じてきた。生きる強さに変わると。それが今現実になっている。芹華は言い表せない感情が込み上げてきた。
「姉ちゃん。大丈夫か?」
俯いている芹華に篤季が訊ねる。
「うん。何でもない。大丈夫。」
芹華は顔を上げた。そしてまた鷹矢の顔を見た。哲哉、遼平、譲、響介。みんな生き生きしている。心から楽しんでいる。芹華は今まで考えていたことを打ち消し、ライブを楽しむことにした。

「でも驚いた。鷹矢がヴォーカルなんて。」
芹華は楽屋に戻ってきたメンバーに言う。
「ははっ。まーね。でも良かったやろ?」
哲哉が笑う。
「うん。」
芹華は認めざるを得なかった。確かに凄かった。鷹矢のヴォーカルが。
「そう言えば、英語の歌詞って誰が書いてんの?」
芹華は素朴な疑問を投げる。
「ああ。あれは哲だよ。」
近くにいた譲が答える。
「やっぱり?」
前に両親がロスにいることを聞いていたので、英語が話せるとは分かってた。
「そうや。ええこと思いついたで。」
響介がいきなり立ち上がった。
「何やねんな。」
遼平が鬱陶しそうに訊く。
「打ち上げしようで。打ち上げ。」
「打ち上げ?」
「そう。だってさ、初の単独ライブ、やり遂げたんやで?俺ら。だからさ、息抜きって言うか、打ち上げしようで。」
響介が熱弁する。
「いいね。やろう。」
譲は乗り気だ。
「ウチアゲって何?」
鷹矢が訊ねる。
「うーん。言うたらお祭り騒ぎや。」
響介が答える。
「当たってるような当たってないような。」
遼平がツッコむ。
「お祭り?festival?」
「イエース。フェスティバール。」
響介が変な発音で答える。
「響介。変な英語。」
篤季がポツリとツッコむ。本人は気にしていないようだ。
「どこでやるんや?」
遼平が尋ねる。密かに乗り気らしい。
「哲哉ん家か、遼平ん家っしょ。」
響介が人差し指を立てる。
「俺ん家はあかんで。おとんとおかん、帰って来てるし。」
遼平がバツ印を作る。
「じゃあ、哲哉ん家。」
響介が振り返って哲哉を指差す。
「・・。ええよ。別に。」
哲哉は溜息を吐いた。だめって言っても来そうだ。
「じゃあ、決まり。」
「いつやんの?」
芹華がツッコむ。
「うーん。明日。」
響介が返答する。
「明日?」
芹華が訊き返す。普通打ち上げはその日にやるのではないのか?
「そっ。だって今日はもう疲れたし。」
響介はヘロヘロになっていた。
「そうやな。確かに疲れた。」
遼平が同意する。
「じゃあ、明日。何時から?」
哲哉がみんなの顔を見ながら訊ねる。
「そうやな。明日は日曜やし。午後から準備して、晩飯一緒に食べるっていうのは?」
遼平が提案する。
「いいね。」
「そうしよう。」
「じゃあ、そう言うことで。」
「で?誰がご飯作るんや?」
篤季がまたツッコむ。
「決まってるやんか。」
響介が笑顔で答える。
「「「遼平。」」」
響介、哲哉、譲の3人が遼平を指差した。
「・・・・。分かった。作りゃーえんやろ?作りゃー。」
遼平は投げやりに引き受けた。どうやらこの中での『お母さん』的存在になってきているようだ。鷹矢はともかく、他の3人は自分では何も作れないのだ。ただ食べるだけ。ほっとくとそのうち飢え死にするだろうと思われる。
「当然、芹華たちも来んやろ?」
遼平がふと芹華たちを見る。
「あのねぇ。目の前でみんなが楽しそうに話してんのに、ただ黙って聞いてるだけってのは、あんまりやん。」
芹華がブーイングする。
「まーな。じゃ、とりあえずココにおるヤツらだけでええか?」
遼平が確認する。全員頷く。
「そろそろ、鍵閉めるで。」
マスターがドアをノックして開ける。
「はーい。出ます。」
哲哉が返事する。そして各自家路に着いた。

翌日。芹華はいつものように早く目覚めた。今日は午前中に哲哉とデートすることになっているからだ。2人で出かけるのは初めてではないが、『恋人』になってからは初めてだ。
「服。どうしよ・・。」
芹華は悩んでいた。やっぱりスカートがいいだろうが、午後からは遼平たちと落ち合う。遼平に何言われるか、分からない。
「ええいっ。」
芹華は意を決して服を掴んだ。急いで着替える。
「お姉ちゃん。仕事行く前に、髪セットして。」
芹華は仕事に行こうとしている清華を呼び止めた。
「いいけど。なんかあんの?」
「ちょっ、ちょっと。」
芹華は少し焦った。清華はピーンとひらめく。
「ハッハーン。さてはデートだな。」
図星をつかれ、反応に困る。
「えっと・・。」
「いいのよ。みんなには黙っててあげるから。その服で行くの?」
「えっ?変かな?」
「ううん。違うって。そうじゃなくて、珍しいなと思って。」
清華は髪に手をかける。
「でもあんたにカレシができるなんてねぇ。」
清華は髪を梳かしながらしみじみと言う。
「道理で綺麗になるはずだわ。」
「えっ?」
芹華は理解できず、思わず聞き返す。
「芹華、ここ最近綺麗んなったなって拓巳と話してたのよ。」
清華が微笑むのが鏡越しに見える。拓巳とは芹華たちの従兄弟で、現在清華と交際中である。ちなみに彼は医大に行っている。
「そんなに変わんないと思うけど・・。」
芹華は鏡に映る自分を見つめた。
「自分ではなかなか分かんないのよ。そういうのって。」
「そんなもんかな。」
芹華は首を傾げる。
「はい。できたよ。」
清華は素早い手つきで髪をセットした。
「ありがと。」
「いいえ。どういたしまして。じゃあ、仕事行ってきます。」
「行ってらっしゃい。」
芹華は見送る。しばらくして玄関のチャイムが鳴った。
「いらっしゃい。」
芹華は笑顔で迎えた。哲哉は芹華を見て驚いていた。
「どしたの?」
黙ったままつっ立ってる哲哉に話し掛ける。
「いや。あ・・びっくりして。」
哲哉は芹華の全身を見た。足のギブスが痛々しいが芹華の生足はめったに見られない。
「あ・・ちょっ、恥ずかしいからあんま凝視せんでよ。」
「ごめん。でも珍しいやん。ミニスカなんて。」
「・・・ほんとは悩んだんだけどさ。遼平たちとも会うし。やっぱスカートがいいかなって。でもロンスカは今鈴華に貸してるし。だからこれしかなくて・・。」
芹華は言い訳を並べた。事実なのだが。
「変・・?」
芹華は上目遣いになっていた。哲哉はその視線にどきっとした。
「いっいや・・いいよ。すごくいい。芹華ってやっぱそういう格好の方が似合うよ。」
「ホンマ?」
芹華の顔が少し明るくなる。
「うん。そのヘアースタイルもかわいいし。」
哲哉は髪に触れた。2つに分けた髪をお団子にして、後れ毛を散らしている。
「お姉ちゃんにやってもらったの。」
「ああ。こないだ病院で会った・・・。」
「そう。美容師なんだ。まだ見習いだけど。」
「そうなんや。ええね。その髪型、芹華に似合ってる。」
そう言われるとかなり照れる。
「ありがと。」
「そろそろ行こうか。」
「うん。」
芹華はコートをはおり、2人は道に出た。そこには大きなバイクがあった。
「何?このバイク。」
芹華は驚いている。
「俺の。」
哲哉が鍵を指で振り回す。
「えっ?免許、持ってたの?」
「うん。夏休みに取った。」
「学校で禁止してたよね?」
「内緒に決まってるやん。」
「・・・。」
「大丈夫。俺、安全運転やから。」
哲哉はそう言うとバイクにまたがった。そういうことじゃないんだけど。真面目だと思ってたのに・・だんだん危ない方向に行ってるんじゃ・・。生徒会長が真っ先に校則破ってどうするよ。芹華は少し不安になった。
「これ、かぶって。」
哲哉はかわいいヘルメットを芹華に渡した。もちろん、自分はもうかぶっていた。
「でもこれどうやって買ったの?」
芹華はヘルメットをかぶりながら訊いた。
「俺のポケットマネー。」
「えっ?」
「うそうそ。譲の兄貴に譲ってもらったの。」
哲哉が笑いながら訂正する。
「芹華。乗れる?」
やっぱりまたがるのは無理らしい。哲哉は降りて、芹華を抱き上げた。
「うわっ。」
芹華は驚いていたが、哲哉は軽々と持ち上げ、バイクに乗せた。そして哲哉もまたがり、バイクは走り出した。

着いた先は綺麗な海が見える公園だった。
「すごーい。気持ちいいー。」
芹華は潮風に吹かれていた。潮の香りが心地よい。天気も良いがまだ陽は高く昇っていないので、少し肌寒い。哲哉は先に降り、芹華を降ろした。人もあまり・・というか全然いない。芹華は公園の端の手すりまで哲哉につかまって歩いた。
「すごーい。きれー。」
芹華は手すりにつかまった。瞳を閉じ潮風を感じる。哲哉はそんな芹華を見て改めてホレ直した。いつもは年上とあまり感じないが、このときは芹華がスゴク大人に見えた。思わずじっと見つめてしまった。
「どうかした?」
その視線を感じてか、芹華が問う。
「いや。別に。」
哲哉は何だか照れてしまった。自分も海を見る。芹華は思わず見入ってしまった。白い肌。少し伸びた綺麗な黒髪。長いまつげ。吹き付ける風の中に立っている彼は強く見えた。
「芹華。」
哲哉が不意に芹華の方に向く。
「え?」
「寒くない?」
「うーん。ちょっと寒いかも。」
芹華がそう言うと哲哉はおもむろに芹華の背後に回った。そして抱きつく。
「えっ?ちょっ・・何?」
芹華はワケが分からず、動転する。
「これならあったかいやろ?」
哲哉が耳元で囁く。何だか照れてしまう。実は哲哉もかなり照れていた。穏やかな時間が流れる。2人はいつまででもこうしていたい気分だった。 しばらくすると釣りに来たらしい家族連れが現れだした。2人は陽の当たるベンチに腰掛けた。哲哉は
「ちょっと待ってて。」
と言うとどこかへ消えてしまった。芹華は哲哉の帰りを待ちながら海を見つめていた。こうしていると頭の中が真っ白になる。たまにはこういう息抜きもいいものだ。しばらくすると哲哉が帰ってきた。
「はい。」
差し出されたのは紅茶だった。芹華は「ありがと。」と受け取った。
「哲哉。ありがとね。」
「ん?」
不意にお礼を言われ、哲哉は芹華を見た。
「ここに連れてきてくれて。おかげでゆっくりできたし、頭もすっきりした。」
芹華は微笑んだ。
「そりゃ良かった。」
哲哉が紅茶を一口飲む。また沈黙が訪れる。しかしそれは心地の良いものだった。

2人はファーストフードで昼食を済ませ、家に戻った。哲哉の家に入ると鷹矢が笑顔で迎えてくれた。しばらくすると遼平たちも来た。夕食の材料は割り勘しつつ、遼平が買ってきた。遼平と共に遙と篤季も来た。どうやら必然的に夕食の手伝いになっているらしい。芹華はとりあえずソファに座った。足を怪我しているのであまり手伝えない。そんなことを気にする人たちではないが。
そんなこんなで全員が揃い、夕食の準備も整った。さっそく打ち上げが始まった。
「かんぱーい。」
決まりきっているが、乾杯をする。もちろんみんな、未成年なのでジュースだ。
「かーっ。うっめー。」
響介が一気に飲み干し、唸る。
「おめー、ビールのCMとか出れるんちゃうか?」
遼平が笑う。一同納得してしまう。
「そう?」
響介は自分でジュースを汲みながら答える。
「あっ。おいし。」
哲哉が一口入れた料理に舌鼓を打つ。
「ああ。それな、遙が作ったやつや。」
遼平は哲哉が食べたのを見て答える。
「そうなんや。遙ちゃんも料理上手いよな。マジでウマイわ。」
哲哉に誉められ、遙は少し照れていた。
「ありがと。」
「ああ。それに比べて芹華は・・。」
遼平が嘆く。
「何よ。」
芹華はムッとした。
「言っとくけど、料理ができないんじゃなくて、やらないだけだかんね。」
「姉ちゃん。一緒だって。」
篤季がツッコむ。
「全然違うやん。」
芹華も負けてはいられない。
「一緒やって。やらんのはできんからやらんのやろ?姉ちゃんの場合。」
「うっ。」
そう言われるとイタイ。みんなも笑う。楽しい時間はあっという間に過ぎて行った。

そんなこんなで卒業式。送辞を哲哉、答辞を芹華が読むことになった。芹華は高校生活を振り返っていた。いろんなことがあったけど、すごく充実していた。たくさんの人と出逢い、別れる。長かったような短かったような。不思議な時間だった。何より、哲哉に会えたことが幸せだった。モデルの仕事ができるのも、哲哉がはじめに背中を押してくれたからだ。芹華は走馬灯のように思い出が頭の中をよぎった。
「送辞。」
哲哉がいつの間にか前に出ていた。芹華は哲哉を見つめた。初めて会ったときよりも伸びた髪の毛が時間の流れを表しているようだった。いつの間にか送辞が終わっていた。
「答辞。」
芹華は前に出た。足も完治していた。答辞の文を読み上げる。
「卒業生代表、3年萩原芹華。」
読み終わると芹華は礼をして、ステージに上がった。答辞の文を置いて下りる。これだけの動作なのになぜか妙に緊張した。
卒業式も無事に終わり、芹華たちは教室に戻った。これで本当に最後になる。そう思うと涙が込み上げてきた。色々あったけど・・ありすぎるくらいあったけど、どれも大切な思い出だ。担任も泣いている。新任の女教師は初めて卒業生を送り出すことになる。だから感極まっただろう。芹華のクラスは圧倒的に女生徒が多い。クラスの中には泣いている子の方が多かった。

「芹華。」
校庭に出ると、後ろから声がした。
「哲哉。」
振り向くと変わらない笑顔の哲哉がいた。後ろには金魚の糞のように遼平と響介がいた。
「卒業おめでと。」
「ありがと。」
「芹華サン。おめでとうございます。社会人っすね。」
響介が割り込む。
「そうやね。何か変なカンジやけど。」
「よくブジに卒業できたよな。」
遼平の毒舌が飛ぶ。
「どーゆー意味?」
芹華はムッとする。でもいつもと変わらないこの空間がなぜか安心できた。
「これからはお前の顔、あんま見んくなるな。」
遼平が溜息混じりに言う。
「せいせいした?」
芹華が嫌味に言う。
「まーな。」
「否定しろ。」
遼平の言葉に哲哉がツッコむ。
「でもま、永遠の別れってワケちゃうし。今までとはそんなに変わらんよ。」
芹華が笑いながら返す。哲哉たちも微笑んだ。
「芹華。撮ったげよーか?」
後ろから紗智が声をかける。手にはカメラを持っている。
「そーやね。じゃあ、お願い。」
「じゃあ、みんな並んで。」
紗智はカメラを持ったまま、後ろに下がった。みんなは急いで並ぶ。
「撮るよぉ。はい、チーズっ。」
パシャッ。
「OK。」
「ありがと。紗智。」
「どういたしまして。あっ、向こうで呼んでるから行くね。後で現像したの、渡すから。」
「うん。ありがと。」
紗智はそそくさと向こうに行ってしまった。
「あいつからはネガも奪っとかんと、高値で売りさばくで。」
遼平が冷静に言う。
「そう言うお前もなんでカメラ持ってんや?」
哲哉が遼平の手を指差す。
「えっ?あっ・・これは・・ですね・・。」
遼平は慌てふためく。
「同じ穴のムジナね。」
芹華は呆れて溜息しか出なかった。
芹華は何となく空を見上げた。澄み渡る青空。それはどこまでも果てしなく続いていた。まるで自分たちの未来のように。