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ACT W  旅立ち
そして月日は過ぎ、いよいよ卒業式となった。予行練習のときも遠野は顔を見せなかった。
式は順調に進んでいた。芹華は生徒会長として送辞を読むことになっていた。答辞は元生徒会長の博之だ。本番まで一生懸命、漢字の読み方を練習した甲斐あって、すらすらと読むことができた。でも意味は分かっていないものと思われる。
式は無事に終わった。芹華は来ているはずの遠野を捜した。
「芹華。」
呼ばれた方に振り返ると、そこには遠野が立っていた。
「先輩・・・。」
「久しぶり。」
遠野が変わらない笑顔を向ける。
「ほんとに。」
芹華も微笑み返した。
「・・・ごめんな。気まずい思いさせて・・・。」
遠野は苦笑した。
「うちこそごめん。なんかびっくりしてあのまま逃げるみたいんなって・・。」
芹華は頭を下げた。
「いや。芹華は悪うないよ。元はと言やあ俺が強引に付き合ってもらってんのに、あんなマネしちゃって・・・。」
芹華は頭を横に振った。芹華は遠野の顔をまともに見られなかった。自分の気持ちに気付いてしまったからかもしれない。もう嘘はつけない。
「先輩・・・やっぱりうちは・・・。」
「気付いてたよ。ホンマは。」
遠野の意外な言葉に芹華は思わず顔を上げた。
「えっ?」
「ホンマのこと言うたら、芹華に告る前からかな。」
「・・・・。」
芹華は驚いていた。芹華さえ自分の気持ちに気付いたのは、ごく最近だというのに、なんと遠野はその前から気付いていたのだ。ということはそれと知ってて、芹華と付き合っていたということになる。
「告ったとき玉砕するかと思ったけど、でも芹華は自分の気持ちに気付いてないみたいやったから、もしかしたらって勝手に期待してたんや。けどやっぱダメやったみたいやな。」
遠野は笑顔を見せた。だけどそれが妙に寂しそうに見えた。
「先輩・・・。」
芹華の瞳には涙が溢れていた。遠野の気持ちが痛いほど伝わってきたからだった。どれだけ辛かっただろう。自分が好きな人は別の相手を好きだということを知っているだけでも、胸を押し潰されるくらい痛かっただろう。でももしかしたら、いつか振り向いてくれるかもしれない。儚い期待を抱いて。人を好きになるのは、なんと辛く哀しいことだろう。
「ははっ。泣くなよ。俺が泣かしたみたいやん。」
遠野は苦笑いを浮かべる。芹華は必死に涙をせき止めた。
「でもさ。感謝してるんやで。俺のワガママに付き合ってくれてさ。手編みのマフラーとかチョコとかさ。」
遠野は両手で芹華の肩をポンッと叩いた。
「最後に1回だけ・・・抱きしめてもいい?」
芹華は遠野の泣き出しそうな笑顔に断れず、頷いた。
「さんきゅ。」
そう言って遠野は芹華を抱きしめた。きつく、強く。失恋の痛さは芹華にもよく分かる。だからこそ、遠野を突き放したりなんかできなかった。
「ごめんな。今までありがと。」
遠野は終始笑顔を保っていた。だが、芹華には余計切なかった。
「じゃあな。」
遠野は芹華から手を離して立ち去ろうとした。
「先輩!あのっ・・・また遊びに来てくださいね。」
芹華の呼びかけに一瞬立ち止まった。そして振り返り「おう。」と返事すると遠野はまた進み出した。芹華は遠野の背中をいつまでも見送っていた。

「遠野先輩。」
不意に呼び止められ、遠野が振り向く。
「おう。なんや、哲哉やないか。どした?」
「あのっ・・・俺はっ・・芹華のコトが好きなんです。だからその・・。」
哲哉の告白に遠野は思わず吹き出しそうになった。だいたいそんなこと、いちいち報告に来るだろうか。まぁ、それが哲哉の素直なところであるが。
「そーか。まぁ、せいぜいガンバレ。」
遠野は笑い出しそうになるのを抑えて哲哉の肩を叩いた。
「えっ?でも先輩、芹華と付き合ってんじゃ・・・。」
哲哉があっけにとられている。
「さっき別れた。」
「えっ?」
哲哉は今思い出した。
「もともと卒業までって約束だったんや。無理やり付き合ってもろてたし。」
遠野はあえて芹華の気持ちについては触れなかった。
「だから、芹華は今フリーや。」
遠野は哲哉に説明口調で答えた。
「じゃっ。俺は退散するわ。」
遠野は哲哉の肩を軽く叩き、立ち去った。
(わっかいねぇー。)
遠野は笑いを堪えた。哲哉は遠野の反応に放心状態で立ち尽くしていた。

そして春休み。芹華は部活帰りに哲哉の家に来ていた。やはり鷹矢の要望で。
「鷹矢、ホンマに哲哉ん家にすっかり居ついちゃったね。」
一緒に来ていた篤季と鷹矢が遊んでいる間、芹華は哲哉に入れてもらったコーヒーを飲んでいた。哲哉も芹華の横に座ってコーヒーを口に含んだ。
「そうやなぁ。譲ん家よりは居心地はいいみたいやで。家の中におるんは俺1人やから、気兼ねせんでええしな。」
「そうやね。」
鷹矢は前よりも表情が明るくなった気がする。初めて逢ったときは、何かに対して怯えるようだった。今思えばそれは誰も傷つけたくなかったからなのかもしれない。
「鷹矢、明るくなったよな。」
芹華は哲哉の言葉に驚いた。自分と同じコトを考えていたからだ。
「そだね。」
「芹華のおかげ・・・かな。」
「えっ?でもうち何もしとらんよ。」
「譲が言ってたんやけど、鷹矢、芹華に逢ってから変わったって。自責の念を持ってたみたいだけど、芹華の言葉に救われたんじゃないかって。芹華が自分の弟のようにかわいがってたから、受け入れてくれたから鷹矢は自分のコトを好きになれた部分もあると思う。」
哲哉は鷹矢を見つめていた。でもそれは哲哉自身のコトでもあった。自分が嫌いだった。表には出さなかったが。芹華や遼平たちがいてくれたからこそ、やりたいことも見つかった。何よりも自分に自信がついた。芹華の何気ない励ましが支えになった。支えになってくれたからこそ、芹華の傍にいたいと思った。
沈黙が支配する。何も言わなくても気持ちが通じているような気がした。このまま時間が止まればいいと思った。ふと芹華の方を見る。穏やかな笑顔で庭先で遊んでいる鷹矢たちを見守っている。哲哉は意を決した。
「あのさっ。芹華。」
「ん?」
芹華は視線を哲哉に向ける。
「いや、何でもない。」
やっぱり言えない。遠野と別れてあまり日も経っていない。今言っても芹華を困らせるだけだと思った。
「姉ちゃん。腹減った。」
篤季がいきなり現れたので2人は驚いた。
「お腹空いたんなら、台所あさってでも何か作れば?」
芹華の一言で篤季によって哲哉ん家の冷蔵庫が荒らされた。だが篤季は意外に器用で、自分で料理が作れるのだ。その技術を少し分けてほしいと芹華は思った。
「鷹矢。どしたん?泥だらけやんか。」
哲哉が不意に素っ頓狂な声を上げる。
「へへ。アツキにカラテ、教えてもらってたら、こけたの。」
鷹矢はあどけなく笑った。
「鷹矢。着替えてきな。怪我してへんか?」
哲哉はまるで本当の兄貴のように鷹矢を心配した。芹華はそれを見て、哲哉も鷹矢が明るくなったことの一因だと思った。
「うん。着替えてくるね。」
鷹矢は哲哉の言うことをちゃんと聞いた。
「いい子やねぇ。篤季も見倣ったら?」
キッチンで調理している篤季に芹華はリビングから声かけた。
「あ?何か言うた?」
篤季は聞えていないようだ。その時誰かが入ってきた。
「なんや。芹華も来とったんかいな。」
部屋に入るなり、遼平が言い放った。
「いちゃ悪い?」
芹華は片眉を上げる。笑顔の裏の怒りを遼平はひしひしと感じた。
「あっ、遼や。」
篤季は自分で作ったチャーハンらしきものを食べながらリビングに入ってきた。
「美味そう。」
遼平の後ろから入って来た響介は篤季が持っているチャーハンにつられた。
「一口ならやる。」
篤季は立ったまま、響介に一口あげた。
「篤季。行儀悪い。座って食べなさい。」
芹華はなぜか母親口調になっていた。
「ういーっす。」
篤季は素直にテーブルの前に座った。
「なんや。篤季、ちゃんと芹華の言うこと聞くやんか。」
哲哉が芹華に耳打ちする。
「たまにね。」
芹華は哲哉の言葉に付け足した。
「あー。リョウだ。」
着替えてきた鷹矢が遼平を見て喜んだ。
「おう。久しぶり。」
遼平は笑顔で鷹矢に接した。
「あっ。そういえば遙は?」
不意に気になったことを芹華が訊ねる。
「ああ。遙はおかんとこや。」
遼平はぶっきらぼうに答えた。
「また実験台?」
芹華が呆れて言う。ここで言う実験台とは、母親のブランドのモデルとしてまたもや起用されていると言うことである。
「そお。今回はオヤジも関与。」
遼平はあきあきしているといった様子で答えた。
「遙に同情。」
「本人はそんなに嫌がってはないみたいやけど。」
遼平は芹華の台詞に反するようにツッコむ。
「そうなん?」
「おう。」
「でも遙ちゃん、半強制的に連れてかれてんかった?」
近くで見ていたらしい響介がツッコむ。
「そうだっけ?」
遼平はすっとぼけているようだった。
「そうだよ。目線が『お兄ちゃん。助けて。』モードやったで。」
「うわっ。兄貴失格や。」
哲哉が悪ノリする。
「うっさいなぁー。」
遼平は鬱陶しそうに目線を逸らす。いつもイジメてる側の遼平がイジメられてるのを見るのは結構新鮮で面白かった。
「それよりなんで芹華が来てたんや?」
遼平は話題を変えたかったらしい。
「鷹矢に会いにきて何が悪い。」
芹華は見事に言い返す。
「いや、悪くはないけど・・・。」
さすがの遼平もタジタジだ。
「遼平たちこそなんで来たん?」
今度は芹華が訊き返す。
「いや。俺らはバンドのことで。」
遼平は言葉を濁した。詳しいことは芹華も訊かなかった。
「篤季はなんでおるん?」
響介が篤季に訊ねる。
「俺は何か知んねーけど、姉ちゃんに拉致された。」
いつの間にか食べ終わった食器を片付けながら、篤季が答える。響介は「ふーん。」と気のない返事する。
「そういやあ、譲は?」
遼平は自分で入れたコーヒーを飲みながら、哲哉に訊ねる。
「今日は課題があるらしくて、遅くなるって。先始めといてって、電話があった。」
哲哉はソファに座したまま、答えた。
「そっか。じゃあ、どうする?先始めとく?」
「そうやな。何時になるか、分からんってったし。」
「じゃあ、下行こうで。」
「下?」
芹華は何気に言った遼平の言葉に反応した。そう。ここは1階であり、ここから下という言葉は不自然なのである。言うなら、上とか2階という言葉だろう。
「そう。下。」
芹華が聞き返してきたので、遼平は再度同じコトを繰り返した。
「なんで下?」
芹華の疑問に哲哉が優しく答える。
「うちにはなぜか地下室があるんや。そこなら結構防音なってるし、広いから楽器も十分置けるってことで。地下室で練習してんの。」
「へぇー。」
芹華は驚愕した。さすがオボッチャマである。というか、なぜに地下室を作ったのかは謎だが。多分建築家である哲哉のお父さんの思いつきだと思われる。
「芹華たちも来る?」
と言う哲哉の誘いに快く応じたのは、言うまでもない。

「うわぁー。広―い。」
芹華は感嘆した。優に30畳はあるだろう。哲哉の家自体大きいと思ったが、比ではない。さすがは大企業の社長宅である。一緒に降りてきた篤季は絶句していた。
部屋の真ン中辺りに楽器が並べられていた。ドラムがドンと居座っており、少し離れたところにグランドピアノが存在していた。芹華の家では考えられない光景だ。 隣には何段ものキーボードがあり、ギターやベースが立てかけられていた。そして何やらミキサーらしき器械がおいてある。もちろんアンプもある。
「この機材はどしたん?」
やっと篤季が口を開いた。
「ああ。これはほとんど哲哉に出資してもらって中古を買ったんや。」
遼平が答える。あっさりとした答えだったが芹華は、中古でも高いんじゃないのか、と内心思った。だいたいミキサーなんて中古でなんてあるのだろうか。
「あっ。でもこの機材は知り合いから譲ってもらったんやけどね。」
哲哉が付け足すようにミキサーを指差しながら答えた。それにしてもどんな知り合いなんだ?すごく謎だ。
「でもこれで何すんの?」
篤季が素朴な疑問を投げかける。確かに。CDでも作らない限り、特に必要ではない。
「うん。デモテープ作ろうと思って。」
哲哉が笑顔で答える。
「デモテープ?」
芹華は思わず聞き返した。
「そお。やっぱ実力を認めてもらうためには、自分から売り出さんとね。」
哲哉はにっこりと笑った。なんということだろうか。バスケ部やめたと思ったら、今度はプロになるですと?芹華はもはや何も言えなかった。呆れと一緒に羨ましさがあった。
「じゃあ、遼平たち、プロになんの?」
篤季がワクワクしたように訊ねる。
「なれればな。」
遼平も楽しそうに答える。響介も笑っていた。芹華はすごく羨ましかった。すでにやりたいことを見つけていることが。
「鷹矢。はい。こっちにしな。」
不意に響介の声が聞えてきた。その方向へ見ると、鷹矢がエレキギターを抱えていた。響介はアコギを渡した。
「どうして?」
鷹矢はどうやらエレキの方が弾きたいらしい。
「練習するんやったらこっちのがやりやすいと思て。」
響介が言うと、鷹矢は大人しくそれに従った。そして鷹矢が持っていたギターは響介が抱えた。哲哉もいつの間にかベースを持っていた。遼平はドラムの前に座っていた。 そして個々に練習し始めた。芹華にはよく分からなかったが、篤季は興味津々で見入っている。確かに芹華よりも篤季のほうが音楽の知識はある。そのうち音合わせをし始めた。 そして哲哉がマイクスタンドの前に立った。遼平がスティックでカウントを取る。演奏が始まる。それはプロのライブさながらだった。音楽に関して全く知識を持っていない芹華でも、その音楽の凄さは分かった。素人だと言い張っていたが、そんなことは微塵も感じなかった。天才的な音楽センスだと思った。 その曲に引き込まれるような気がした。たった3人しかいない・・・ドラムとギターとベースという最低限の演奏なのに、その音楽に魅了された。それは篤季も同じらしい。真剣な表情で食い入るように見ている。一曲演奏し終わると、芹華と篤季は拍手を送った。
「すごーい。なんかプロのライブ見とるみたいやった。」
芹華がそう言うと、3人は照れ笑いした。
「まぁ。将来のプロやけどな。」
響介が笑いながら言う。芹華には3人が輝いて見えた。夢に向かって前進しているのが、目に見えた。初め文化祭の時に聞いた音とはかなり違っていた。たくさん練習したのが、芹華にも伝わった。でも嫌々ではなく、本当に楽しんで練習している光景が容易に想像できた。そのとき、「遅れてゴメン。」と譲が入ってきた。
「あれ?芹華サンたち。来てたんだ。」
芹華たちに気付いた譲が笑顔になる。
「うん。」
「そっか。じゃ、楽しんでってよ。でも練習風景なんておもしろくないか。」
譲ははにかんだ笑顔を見せた。
「そんなことないよ。さっき1曲演奏してくれたけど、なんかプロのライブ見てるみたいで、なんか得した気分なったもん。」
芹華は心からそう思っていた。
「そお?それならいいけど。でも嬉しい。そう思ってくれて。」
「譲は演奏してへんやん。」
即行で遼平のツッコみが入る。
「でもメンバーがそう言ってもらえるのってなんか嬉しいやん。」
譲は遼平のツッコみをモノともしなかった。ある意味、譲がこの中で最強のキャラかもしれない。芹華はふとそんなことを思った。
そしてメンバーが揃ったところでまた演奏が始まった。これはクリスマスライブのときにも聴いた『イチゴジャム』。芹華はこの曲が好きだった。かわいらしくポップな感じで。でも何よりも好きな理由はこの曲を歌ってるときの哲哉の表情だった。いつも優しいがこの曲を歌っているときは特にその表情が優しくなるのだ。語りかけてくるカンジも好きだった。芹華は気付いてなかったが、この曲を聴いている芹華の表情も凄く穏やかだった。
次に演奏されたのは、芹華も篤季も聴いたことがなかった。新曲らしい。さっきの『イチゴジャム』とは一転して、ロックだ。掻き鳴らされるギター音。より一層重低感が増したベース音。無茶苦茶に叩いているようにも見えるドラム。不思議な空間を醸し出すキーボード。エフェクトがかったボーカル。芹華と篤季は圧倒されていた。今感じている矛盾。未来への不安。全て英語詞なので全部は理解できなかった。しかし哲哉の今にも泣き出しそうなボーカルが、胸に突き刺さるようだった。芹華は自然と涙が溢れ出していた。
「何泣いてんの。」
演奏し終わった哲哉は芹華を見て、眉を寄せて笑った。
「だって・・・何か分かんないけど、自然に涙が出るんやもん。」
芹華は手でごしごしと涙を拭いた。
「泣くほど感動したってか?」
遼平が笑いながら冗談を言う。
「そう。泣くほど感動した。」
芹華の意外な返答に遼平は笑うのをやめた。
「でも嬉しい。そう言ってくれると。」
哲哉は穏やかに微笑んだ。
「まぁ。確かに。」
遼平は妙に納得した。他のメンバーもそう感じただろう。
「じゃぁ、そろそろ次の曲行こうか。」
譲が声を掛ける。
「そうやな。鷹矢。おいで。」
哲哉が鷹矢を呼ぶ。さっき響介に手渡されたアコギを持っている。各人が配置に着くと、譲とアイコンタクトを取る。それは静かに始まった。さっきとのギャップが激しい。今度はバラードだ。まず始めは哲哉のボーカルと譲のピアノのみだ。哲哉の澄んだ声が部屋中に響き渡る。やっぱり哲哉の声は綺麗なのだと芹華は再確認した。そして鷹矢のアコギが入り、同時にドラムが入る。響介の掻き鳴らされるギターが切なさを醸し出す。この曲も芹華は初めて聴いた。でも哲哉らしさというか、優しさが伝わってくるカンジがした。
何曲か演奏し終わったメンバーはまた各自個人練習に入った。

「うわっ。もうこんな時間。」
芹華は時計を見て叫んだ。夕飯をすっかりご馳走になり(遼平特製ハンバーグ)、一息ついたときだった。時計の針は既に9時を回っていた。
「ええやん。明日学校あるわけやなし。」
遼平がのんびりと言う。
「あんたらはないかもしれんけど、うちは部活があんの。」
「あっそっか。」
「そっかってあんた・・・。」
遼平があまりにも呑気に返事するので、芹華は呆れた。
「じゃぁ、送ってくよ。家まで。」
哲哉が優しく声を掛ける。
「ありがと。」
「篤季はどうすんの?」
哲哉は篤季の方を見た。
「おいら泊まる。」
もうすでにだらけていた。
「んじゃぁ、帰るんは芹華だけやね。行こっか。」
哲哉が芹華に声を掛けた。そして2人は部屋を出た。

帰り道。春とはいえまだ少し肌寒い。2人は自転車に乗っていた。ゆっくりと。
「なんかまだ寒いね。」
芹華がふと哲哉に話し掛けた。
「そうだね。」
哲哉が相槌を打つ。静かに流れるような時間。このまま止まってしまえばいいのに。芹華は哲哉を横目で見た。月明かりに照らされている哲哉の顔は、とても綺麗だった。もともと端麗な顔立ちだとは思っていたが、月明かりはより一層哲哉の美しさを引き出していた。
男の人の美しさを実感した瞬間だった。
「芹華。」
「えっ?何?」
不意に声をかけられ芹華は一瞬焦った。
「俺、このままでええんかな。」
「えっ?どうゆう意味?」
芹華は哲哉の意外な一言に度肝を抜かれた。2人は近くの公園に立ち寄った。
「俺たち、バンドやってて・・・確かに楽しいけど、でもこのままバンド続けててもええんかなって。最近なって考えるようんなったんや。」
芹華は哲哉の話を静かに聞いていた。
「やりたいこと見つけたはずなのに・・・なんでこんなに不安なんやろ。」
哲哉は複雑な顔をした。
「それは仕方ないんちゃう?不安ってのはやっぱ何やってても付きまとうモンやと思うし。哲哉はまだ何がやりたいのか見つかってるだけええよ。 うちは未だに何がやりたいんかが分からんし。今年は進路のことも考えなあかんし。だからうちにも今不安はあるよ。ホンマにやりたいこと見つかるんかどうか。 でも悩んでてもしゃーないし。だから1日1日をがんばるしかないんだよ。それとも他に何かやりたいことでもある?」
「ううん。今はやっぱバンド。建築の勉強も楽しいことは楽しいけど。」
「そう。じゃあ、今はバンドがんばればええんちゃう?1度にたくさんはむりやろうし。」
「そうやな。悩んでてもしゃーないよな。ありがと。芹華。なんかすっきりした。」
哲哉のその笑顔はすっかり晴れていた。芹華も微笑んだ。
「あっ、わりぃ。すっかり遅うなってしもたな。」
哲哉は不意に見た公園の時計を見て、謝った。そして立ち上がる。
「大丈夫。それにそんなに時間経ってないよ。」
芹華もゆっくりと立ち上がった。
「帰ろっか。」
「そだね。」
そして2人はまた自転車に乗った。月明かりが2人を照らしていた。

そんなこんなで日は過ぎて、あっという間に新学期が始まった。芹華は3年生に、哲哉たちは2年生へと無事に進級した。つまらない始業式も終わり、芹華は部活に顔を出していた。しかし何やら男子バスケ部の方が騒がしい。
「何やってんの?」
芹華は近くにいた男バスの部員に聞いた。
「ああ、赤樹たちが退部をかけて、ライブやるんや。」
「ライブぅー?」
芹華は素っ頓狂な声をあげた。
「そっ。やめないでくれって声が多くてさ、じゃあ実力でってことで。」
もっと詳しく説明すると、バスケ部員の内の何人かが哲哉たちのバスケの実力を無駄にしたくないと考えた。で、説得するが哲哉たちには戻る気は全くない。だから、バンドとしての実力をここで試して、納得できる演奏ができたら、哲哉たちは晴れてバスケ部をやめることができるという。なんとも低次元的な争いである。しかし本人たちはかなり本気だ。ステージに楽器をセットしている。準備をしているときの顔も真剣そのものだった。
「さて。先輩方。バラード、ロック、ポップス。どれを演奏いたしましょうか。」
準備し終わり、哲哉がベースを持ってマイクスタンドの前に立つ。不敵な笑みを浮かべて。かなりの自信があるようだ。ちなみに譲もなぜかいた。
「とりあえずお前らがやりやすいようにやれ。」
男子バスケ部のキャプテンが腕組みして哲哉の目の前に立っている。まったく今日はコーチがいないことをいいことに好き勝手やっている。女子バスケ部員もなぜか見入っている。
「じゃあ、バラードから入らせていただきます。」
哲哉はそう言うと譲に目配せする。すると譲は哲哉とタイミングを計り、伴奏し始める。
「あっ。この曲。」
聴いたことがある。そう、確か春休みに哲哉ん家の地下室で聴いた曲。いつの間にか哲哉は穏やかな笑顔になっていた。優しく包み込んでくれるような。ちなみに今不在の鷹矢のアコギの部分は譲がシンセサイザーに打ち込んでいた。切ないフレーズ。でもそれが妙に哲哉の声に合っていた。でもこの間聴いた曲と少し違うカンジがした。アレンジをしたのだろう。曲の良さを引き出すために。部員たちは皆、聴き入っていた。ライブハウスさながらの演奏に。
「じゃあ、次はポップスで。」
曲が終わると少し間を置き、哲哉が皆に指示を出す。遼平のカウントから入る。それに合わせ同時に皆が入る。さっきとは一転している。芹華の好きな『イチゴジャム』だ。今回は譲のキーボードの音がこの間と違っていた。でもどっちにしても曲調には合っている。雰囲気は微妙に違うが。さっきとの変わりように一同言葉を失った。哲哉の明るい笑顔。今まで部活中に見せたこともないような。心からの笑顔。これを見て、既に男バスキャプテンは諦めていた。もう完璧に戻る気はないと分かった。仏頂面だった哲哉がこんなに笑っている。この時点で音楽の威力に完敗した。だが、彼は最後まで哲哉たちを見守ることにした。そして2曲目が終わり、また少しの間があった。
「じゃあ、最後にこてこてのロックを。」
そう言いながら哲哉は不敵に笑った。自信たっぷりに。それはメンバー全員そうだった。音楽が本当に好きなことがひしひしと伝わってきた。 その喉を掻き毟るような声に、皆圧倒されていた。芹華もそれは同じだった。初めて聴いたときと同じ感動。時々かすれる声が曲の良さを引き出していた。 英語詞なので皆がみんな理解できたわけではないが、それでも胸に突き刺さるようだった。痛々しいギター音が、叩きつけられるドラムが、幻影を作り出すようなキーボードが、それぞれが哲哉のベースヴォーカルにより一層の力添えをしているように感じた。 演奏が終わると、体育館中に拍手が沸き起こった。他の部活の部員たちも聴いていたらしい。拍手は鳴り止まなかった。哲哉たちは満足そうに笑っていた。芹華も自分のことのように嬉しくなった。皆に納得してもらえる演奏ができた哲哉たちを誇らしく思えた。
結局、部員たちを納得でき、哲哉たちは堂々と(?)バスケ部をやめた。寂しく思えたが、でもバンドと言う新しい道を切り開いた哲哉たちを部員たちは快く見送った。

後日、なぜあの時他校の譲もいたのか、芹華は哲哉に聞いてみた。
「ああ。呼び出した。始業式終わってすぐ。」
あっさり返答した。が、よくよく考えると譲の学校から芹華たちの学校までかなりの距離がある。それも訊ねてみた。
「譲はオボッチャマやからね。ヘリでもチャーターしてきたんちゃう?」
哲哉は冗談っぽく笑ったが、あながち嘘ではなさそうな気がする。
その日はみんなで街に行くことになっていた。が、なぜか遼平たちはそろって都合が悪くなった。また出かけに鈴華に呼び止められ、スカートを履かされた。でも今日はロングだ。
「芹華ってスカートも似合うやん。」
それが哲哉の第一声だった。いつも哲哉の家に遊びに行くときは、ジーパンだから。哲哉は嬉しかった。いつもと少し違う雰囲気の芹華を見ることができたから。 今日は日曜日。街は人々でごった返している。それでもこの美男美女カップルはその背の高さも手伝って、人目を引いた。2人はそんなこと気にしなかった。
「あのぅー。すいませーん。」
2人の前方から2人の男が近づいてきた。
「わたしたち、雑誌記者なんですが。今、街中のカップルたちの写真を撮ってるんですが、お2人を撮らしていただけませんか?」
片方の人が説明する。
「えっ?」
芹華は驚いて返答に詰まった。
「いいっすよ。」
哲哉はあっけらかんと返事する。
「ちょっ、哲哉。」
芹華が焦って止めようとした。
「ありがとうございます。」
2人は笑顔でお礼を言った。
「哲哉。」
芹華は困っていた。
「ええやん。どーせ雑誌に載りやせんって。写真撮ってもらうくらいええやん。」
哲哉は笑顔で答える。
「いいっすかぁー。撮りますよぉ。」
2人はいつの間にかカメラをセットしていた。芹華は諦めた。でもこういうのってなんか恥ずかしい。第一まだ恋人ではないし。哲哉はそんなに気にしていないように見えた。
「はい。OKでーす。ありがとうございました。あとこのアンケートに答えていただけますか?」
何枚か撮ったあと、1人がアンケート用紙とペンを差し出した。

芹華と哲哉はまた歩き出した。芹華は哲哉の優しさを感じていた。遠野のときとは違和感があった。歩調を芹華に合わせてくれていた。それが芹華にとって妙に嬉しかった。
「芹華。ここ入ってもええ?」
哲哉が指差した場所は楽器屋さんだった。
「ええよ。」
芹華は笑顔で答えた。ホンマに好きなんやなぁ。店に入るといろんな機種の楽器が置いてあった。哲哉は子供のようにはしゃいでいる。芹華は何だか微笑ましかった。
「あっ。新しいヤツ出てる。」
ギターかベースか芹華には区別がつかなかったが、哲哉は楽しそうにそれに見入っていた。芹華には少しの疎外感があった。音楽の知識など全くと言っていいほどなかった。譜面もきちんと読めるわけではない。何よりじっとしているのが、嫌いだった。性に合わないと言ったほうが適切かもしれない。芹華は少しでも哲哉に近づきたいと思った。これが人を好きになるってことなのかもしれない。

「芹華。遠野先輩と別れたってホンマ?」
教室に入るなり、紗智が詰め寄ってきた。
「うっ、うん。そうだけど。誰から聞いたの?そんなこと。」
「水槻君だよ。なんで黙ってたん?そんな大事なこと。」
「は?」
芹華は紗智の言っていることがよく分からなかった。
「なんであんたにとって大事んなってんのさ。」
「だってだって・・・。この2人のツーショット写真が値上げできるじゃんよ。」
紗智は悪魔の笑みを浮かべつつ、写真をひらひらと見せた。芹華が取り上げて見ると。
「何これぇ!!」
芹華は大声で叫んだ。そこには芹華と遠野が2人仲良く歩いている写真だった。服装からしてこれは確か初デートの時の。
「なんであんたがこんなの持ってんの?」
今度は芹華が詰め寄った。
「いやっ。だからその・・・あのね。」
紗智は墓穴堀が上手かった。慌てて弁解しようとしたが、時すでに遅し。芹華の怒りは頂点に達していた。
「さぁ〜ちぃ〜。」
芹華は紗智を睨みつけた。紗智は後ずさる。その空間だけ異様な空気が漂っていた。

紗智の告白により、遼平が関与していることが発覚した。
「遼平!」
芹華は遼平の教室に殴り込みに行った。遼平を見つけると、首根っこをつかんだ。
「なんや。芹華。」
遼平はなぜ芹華が怒っているのか、分からなかった。そりゃあそうだろう。
「何鬼みたいな顔してんねや。」
「うるさい。それよりあんた。紗智と協力して隠し撮りしてたんやって?」
遼平はしばらく考えた。思い当たる節が多すぎて悩んでいた。
「ああ。あれ。失敬な。あれは隠し撮りやなくて、スクープや。」
「言い訳はどうでもいい。」
芹華は頭を抱えた。もっとマシな言い訳はないのだろうか。どっちにしても同じ意味だ。
「っていうか、あれももう時効やろ?」
遼平は落ち着き払っていた。それが何かムカついた。
「時効なんてあるわけないやろ。それだけじゃなくて、あんたら写真も売りさばいてたんやて?ぼったくりみたいな値段で。」
「あっ・・・えっと・・。」
図星過ぎて、言い訳ができない。
「もう全部バレてんや。紗智が自供したんやから。」
「さすが刑事の娘やな。警察みたいや。」
「話をそらすな。なんでそんな犯罪まがいなことするかな?」
「どした?」
芹華の後頭部らへんから低い声がした。
「哲哉。ちょっと聞いてよ。遼平と紗智でうちの写真売りさばいてたんやで。」
芹華はつかんでいた遼平をパッと離した。
「ああ。あれ。」
「何?知ってたの?」
「うっ。まっ、まあね。」
「なんで教えてくれんの?」
芹華が問い詰める。哲哉は言葉を濁した。どうやら彼も買っていたらしい。
「どうでもええやん。そんなん。」
遼平が軽く言い放つ。
「あのねぇ。」
「芹華。授業始まるで。」
哲哉が話をそらす。
「〜。とにかくもぉ2度としないでよね。」
芹華は言葉を吐き捨てると自分の教室に戻っていった。
「そうそう。今度からは俺が全部没収するからな。」
哲哉はにっこりと遼平を見た。その笑顔は異様に怖かった。
「おっ、おう。」
遼平は哲哉にだけは逆らうのをやめようと決めた。何をされるか分からない。手段を選ばなさそうだ。実際は知らないが。とにかく逆らわないでおこう。

そしてあっという間に芹華と遠野が別れたという噂が広がった。だが芹華にとってそんなことはどうでも良かった。生徒会長として、バスケ部キャプテンとして忙しく活動していたからだった。

時間は過ぎた。