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ACT.5 stain
 赤い、赤い記憶。払っても払っても振り払えない赤い闇。
「っ!」
 ほたるは思わず飛び起きた。じっとりと嫌な汗を掻いている。
「ハァ・・・・・・ハァ・・・・・・」
 過呼吸にはなっていないものの、息が乱れていた。ベッド脇に置いてある目覚まし時計を見ると、まだ深夜の三時だった。
 息を整え、もう一度横になる。
(あんな話、聞いたからだ)
 放課後、天音に呼び出されたほたるは、天音の過去を聞かされた。それは今の天音から想像できない過去だった。
 同じ、赤い記憶。いや、ある意味では同じではない。
「寝よ・・・・・・」
 ほたるは考えるのをやめ、もう一度布団をかぶった。

 朝、早めに起きたほたるは、夜中に掻いた嫌な汗をシャワーで洗い流した。
「あれ? お兄ちゃん、早いね」
 シャワーから出てキッチンに顔を出すと、朝食と弁当を作るために起きたあげはがいた。
「あぁ。シャワー浴びてた」
「また嫌な夢見たの?」
 あげはが心配そうに聞いてくる。ほたるは頷いた。
「そんな心配そうな顔しなくても大丈夫だよ」
「うん」
 あげはは納得してない様子だったが、そのままキッチンに立った。

 ほたるはいつも通り登校したが、何となく天音が気になっていた。昨日、あんな話をしたんだ。あれは彼女にとって、思い出したくない過去だったに違いない。
(今日、休んでたりして)
 そんな淡い期待はもろくも崩れ去った。
「あ、水瀬くーん!」
 教室に入った瞬間、天音の声がこだました。見ると、昨日あんな話をしたのは夢だったのではないかと見間違うほど元気な天音がこっちに向かってきた。
「おはよ」
「・・・・・・なんで」
「え? 何が?」
 あっけらかんと聞き返され、ほたるは口をつぐんだ。
 昨日話していたことは嘘なのか?
 ふとそんな疑問が浮かんだ。
「どしたの?」
 天音が顔を覗きこんでくる。
「何でお前・・・・・・。昨日の話は嘘だったのか?」
「え?」
 ほたるの思わぬ質問に天音が止まる。
「ホントのことだよ?」
 一拍置いて天音は真剣な眼差しで答えた。
「だったら何で・・・・・・」

ーードクン

「っ!」
 ヤバイ、と思ったが、遅かった。心臓が早鐘のように鳴り響く。
「ハァハァ・・・・・・」
「水瀬くん?」
 突然ほたるが胸を抑えてしゃがみこんだ。状況が分からない天音はほたるに触れようとするが、ぴしゃりとほたるに手を叩かれた。
「俺に・・・・・・触るな」
 聞いたことのない低いトーンでそう言われた天音は差し出した手を引っ込めた。しかしほたるはとても苦しそうだった。
「触るなって・・・・・・。大丈夫なの?」
「大丈夫だ。こんなの」
 そう言うほたるの息はどんどん荒くなっている。教室中がざわめく。
「ほたる!」
 どうしようかと天音が困っているところに現れたのは、ちょうど登校してきた真奈美だった。
「どうしたの? 発作?」
 真奈美はほたるを支えた。ほたるも真奈美に身を任せている。
 真奈美はほたるの制服のポケットから紙袋を取り出すと、ほたるの口に当てた。ほたるが呼吸を整えている間、真奈美はほたるの背中をさすっていた。
(何であたしはダメで、冴木さんはいいのよ・・・・・・)
 天音は嫉妬にも似た感情でその光景を見ていた。
「保健室、行く?」
 真奈美の質問にほたるは紙袋を押さえたまま頷いた。二人はゆっくり立ち上がると、教室を出て行った。
 天音はただ出て行く二人を見守るしかなかった。

「悪いな、迷惑かけて」
 ベッドに横になり、少し落ち着いたほたるは真奈美にそう言った。
「気にしないで。自分でも分かってるから。世話焼きだって」
 真奈美の答えに思わず口が緩む。
「何かあったの? 教室で発作なんて珍しいじゃない」
 真奈美に聞かれ、ほたるはそうだなと頷いた。
「あいつに掻き乱されたから」
「あいつって鈴枷さん?」
 ほたるが頷く。
「あいつにも、赤い記憶があった。昨日聞いたんだ。それなのに今日のあいつは、まるで昨日のことがなかったかのように、普通だった」
「それで掻き乱されたの?」
「ああ。何であんなに平気な素振りができるんだ?」
「性格の違い、かな?」
 真奈美が分析する。
「性格か」
 何だかもっともな気もする。天音の赤い記憶と、自分の赤い記憶は似ているようで違うのだが、きっと自分が天音のような性格なら、もっと明るくいられるのかもしれない。
「じゃあ、もう行くわね。授業始まっちゃう」
「あぁ。ありがとう」
「どういたしまして」
 真奈美はそう言って保健室を出て行った。

 そして休み時間。ベッドから立ち上がろうとしたら、天音が顔を出した。しかし何を言うでもなく、入口に立ちつくしたままだ。
「何だよ。笑いにでも来たのか?」
「ちがっ!」
 ほたるの嫌味に天音はようやく顔を上げた。
「さっき、冴木さんが『発作』って言ってたけど、よくなるの?」
 ようやく天音が質問をした。
「なるよ。それがどうかしたのか?」
 答えに驚いたのか、いつもの勢いがない。
「そ、そのサングラスを外したら、どうなるの?」
 言うに事欠いたのか、話題がまったく違う方面になった。
「発作が酷くなる」
「何で?」
「お前に言う義務ない」
 ほたるは天音の横を通って廊下に出た。
「過去に何かあったりして?」
 いつもの調子に戻った天音が、茶化して尋ねた。その瞬間、ほたるの中で何かが切れた。
「だったら何だって言うんだ! お前に関係ないだろ!」
 いつものほたるからは考えられないほど、大きな声で怒鳴った。天音は驚いて、目を見開いていた。ほたるは天音を置いて、教室に戻った。

 まさか怒鳴ると思っていなかった天音は、ただ呆然としていた。
「馬鹿だな。あたし」
 ほたるの過去に何かあったことは、分かっていたはずなのに。
 発作のことを初めて知って、どう言えばいいのか分からなかった。保健室に来たのだって、様子を見に来ただけなのに。何もあんな茶化していうことなかった。
「今頃反省しても遅いか」
 改めて自分の性格に嫌気がさす。
「どうしたものか」
 天音は一人取り残された廊下をゆっくりと歩いた。

 ほたるはいつもにも増して【俺に近づくな】オーラを出していた。
(あれじゃ、近づいてもヤケドだな)
 そんなことをこっそり思う。もちろんそれが自分のせいだと十分分かっている。
 と言うわけで、天音は相談をすることにした。
「冴木さん」
 自分の席にいた真奈美に話しかける。漏れなく芽衣も一緒にいた。
「ほたるに何か言ったでしょ?」
 第一声、そう言われた。
「え? あ、分かっちゃった?」
「分かるよー。水瀬って結構分かりやすいんだもん」
 芽衣がケラケラと笑う。天音は苦笑するしかなかった。
「ねぇ、水瀬くんって過去に何かあったんでしょ? 何があったの?」
 そう聞くと、二人は顔を見合わせた。
「それは本人に聞くべきでしょ」
 芽衣がばっさりと言った。
「それが聞けないから困ってる訳で・・・・・・」
 そう言うと、真奈美が口を開いた。
「そうね。ヒントをあげるわ。ほたるはそれを今でも引きずってる。このままだと、きっと一生引きずってるんじゃないかな」
「それって・・・・・・」
「それくらいのことがあったのよ。人にどう思われようと、常時サングラスしているくらいにね」
 天音は真奈美のヒントで、ほたるの過去とサングラスの謎が繋がると気づいた。
「じゃあ、その過去を吹っ切ることができたら、サングラスを外せるってこと?」
「さぁ? どうかしら? そんな簡単に吹っ切れないと思うけど」
 真奈美の言葉で、きっと想像できないほどの過去を経験しているのだろうと分かった。
「天音ちん。いい事教えてあげようか?」
 芽衣が不意にニヤッと笑った。
「何?」
「水瀬ってサングラス外すと、結構イケメンだよ」
 意外な言葉に天音は驚いた。
「え? 何その少女漫画みたいな展開」
「変な驚き方するわね。あげはとたてはに会ったでしょ?」
 真奈美に聞かれ、頷いた。
「あげはもたてはも美形だったでしょ?」
「確かに」
 天音は二人の顔を思い浮かべて納得した。
「ほたるは二人とよく似てるわよ」
 天音は想像した。あげはとたてははどちらもかわいらしい感じの顔だった。と言うことは・・・・・・。
「天音ちん。妄想しだしたよ」
「ほっときなさい」

「謝るって言ってもなぁ・・・・・・」
 天音は完全に謝るタイミングを逃してしまった。近づくなオーラは日に日に増していくばかりで、声をかけようにもかけられない。

 そして一週間が過ぎたある日の放課後。天音はようやくほたるを捕まえた。
「待って」
 制服の裾を掴んで、ほたるを引き止めた。ほたるは立ち止まったが、無言のままだった。
「あの、ごめんなさい。うまく言葉が出てこなくて、つい茶化しちゃったの」
 ほたるは背を向けたまま、口を開いた。
「言いたいことはそれだけか?」
 思わぬ言葉に天音が顔を上げる。しかしほたるは背を向けたままだ。
「・・・・・・う、うん」
 天音は辛うじてそう答えた。
「ならもう俺に関わるな」
 その台詞は今まで何度も言われたことだが、今回は何だか違う。いつもよりトーンが低い。『俺に触るな』と言った時と同じような威圧感がある。
「俺に関わるな。俺に関われば、不幸になる」
「な、んで?」
 ほたるの言葉の意味が分からず、天音は思わず聞き返した。
「俺は悪魔の子だから」
 その瞬間、天音はほたるが何故他人と関わるのを避けてきたのか、何となく分かった。
「何よ、悪魔の子って。人はね、生きてる限り、誰かと関わらなきゃいけないの。あたしはそれを身を持って知った。大切な人は失ったけど、あたしはそのお兄ちゃんの分まで生きなきゃいけないの! 一人で生きていける人なんていないんだから!」
 天音の言葉はほたるの胸に突き刺さった。天音は泣き出しそうな声で続けた。
「確かに最初は興味本位だったよ。だけど、水瀬くんのことを知る度、ほっとけなくなった。水瀬くんが家族のことを大切にしているのを知って、水瀬くんを好きになってる自分に気づいた。水瀬くんも過去に辛い思いをしたんだって知って、近くなれた気がした。あたしは、水瀬くんの力になりたかっただけ・・・・・・。水瀬くんのことが好きだから」
 天音の言葉に驚いたほたるは何も言えなくなっていた。
「でも・・・・・・もう付きまとわない。今までごめんね」
 そう言うと、天音が走り去っていく足音が聞こえた。
「嘘・・・・・・だろ」
 ほたるは人生初の告白にただ呆然としていた。

「真奈美」
 帰り道。前方に見かけた真奈美を呼び止めると、驚いた顔をされた。
「あら? バイトに行ったんじゃなかったの?」
「いや、あのさ。ちょっと相談したいことが・・・・・・」
「珍しい」
 真奈美が笑う。確かにほたるが相談しに来るなんて珍しい。
 二人は近くにあった喫茶店に入ることにした。ほたるはそこで、先ほどの天音とのやり取りをかいつまんで話した。
「え? 告白されたの?」
 聞き返されたほたるは思い出して顔が真っ赤になった。
「やるわね。鈴枷さん」
「いや、感心するとこじゃないだろ」
 思わずツッコんでしまう。
「で? 何を迷ってるの?」
「・・・・・・告白されたのなんて初めてでさ、どうしたらいいのか分からなくて」
「簡単じゃない。ほたるの気持ちを伝えたらいいのよ」
 何とも簡単に言ってくれる。
「そんな簡単に言うなよ」
「じゃあほたるはどうなのよ? 告白されて嫌な思いした?」
 そう聞かれて思い返した。嫌な思い、と言うより素直に嬉しかった。
「そりゃ、嬉しかったけど。でも・・・・・・」
「でも、何?」
「俺なんかのどこがいいんだ?」
「そりゃぁ蓼食う虫も好き好きってやつじゃないの?」
「フォローになってねぇ」
「冗談よ」
 時々真奈美の首を絞めたくなる。
「ほたるは? 鈴枷さんのこと、どう思ってるの?」
「どうって・・・・・・」
 嫌いでもないが、好きと言うわけじゃない。
「よく分からん・・・・・・」
 ほたるは自分の前髪をくしゃっと掴んだ。
「『あのこと』は話してないんでしょ?」
 聞かれ、ほたるは頷いた。
「もし『あのこと』を話して、受け入れてくれたら、友達から始めるとかでもいいんじゃない?」
 真奈美の突拍子もない提案にほたるは眉をしかめた。
「簡単に言うな。そんな簡単に他人に言える訳ないだろ?」
「でも、ほたるは鈴枷さんの過去は聞いたんでしょ?」
「それは向こうが勝手に・・・・・・」
「勝手だろうが何だろうが、聞いたことには変わりないでしょ。だったら、鈴枷さんもほたるの話を聞く権利はあると思うわよ」
 真奈美に言われると、そうかもしれないと思ってしまう。
「まぁ話すか話さないかは、ほたるが決めることだけど。これはほたるが変われるチャンスかもしれないわよ?」
「チャンス?」
 聞き返すと真奈美は頷いた。確かにそうかもしれない。もしかしたら、何かが変わるかもしれない。
「まぁゆっくり考えなさい。それより、バイト行かないといけないでしょ?」
 真奈美は自分の腕時計を指差した。
「そうだった。悪かったな、付き合わせて」
「これくらいお安い御用よ」
 ほたるは「ありがとう」と言って、伝票を持って出て行った。
「奢ってくれるんなら、パフェでも頼んどくんだった」
 真奈美は目の前の紅茶を睨んだ。

 どうしたら一番いいのか、ほたるには分からなかった。ただ、これが変われるチャンスなら、逃しちゃいけない気がする。もし逃してしまえば、もう一生チャンスは巡ってこないかもしれない。
 だけどそれ以上に怖かった。忘れられない赤い記憶を掘り起こすのは、今以上に発作を起こすかもしれないし、今以上に苦しむかもしれない。
(でもこのままって訳にもいかないもんな・・・・・・)
 サングラス越しに見上げた空に、モノクロの夕焼けが沈んでいた。