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ACT.4 赤い記憶
 失敗だった。気を許した訳じゃないが、たてはの件で天音に付き合ってもらったことがほたるの心の中で尾を引いている。
「ねー。水瀬くん。たてはくん、どう?」
「どうって?」
 相変わらず明るく話しかけてくるが、ほたるはいつものように冷たく返す。
「イジメっ子たちとは仲良くなれたのかな?」
 ほたるは一拍置いて口を開いた。
「もうイジメられてないみたいだ」
「そっか。よかった」
 天音はホッとした表情をした。
「あのさ」
「ん?」
 ほたるに話しかけられ、天音は嬉しそうな顔をした。
「たてはの件は、感謝してる。けどもう俺に関わるな」
「何でそんなこと言うの?」
「俺なんかに関わったって、お前には何の得にもならない」
「そんな・・・・・・」
「もうやめてくれ」
 天音の言葉を遮り、ほたるが強く言う。
「これ以上、俺を掻き乱さないでくれ」
 ほたるはそう言うと、教室から出て行ってしまった。
「水瀬くん・・・・・・」
 天音はただほたるの背中を見送った。

「ハァ・・・・・・ハァ・・・・・・」
 ヤバイ。心臓が痛い。頭も割れそうだ。
 ほたるはゆっくりと歩きながら、保健室にやってきた。
「水瀬くん、大丈夫?」
 事情を知っている保険医はすぐにベッドに寝かせてくれた。発作まではいかないが、かなり苦しい。
「過呼吸にはなってないみたいね。しばらく横になってなさい」
 保険医はそう言うと、仕切り用のカーテンを閉めた。
 深呼吸をして呼吸をゆっくりと整える。相変わらずの頭痛はこの際我慢しよう。
 掻き乱された心を正常に戻すのに、しばらくの時間がかかる。
「ふぅ〜」
 ようやく落ち着いてきたほたるは、大きく深呼吸をした。
『これ以上、俺を掻き乱さないでくれ』
 さっき天音に言った言葉を何故か思い出す。そう言った瞬間の天音の顔がフラッシュバックした。
(何であんな顔するんだよ・・・・・・)
 寂しそうな目が忘れられない。
(俺を掻き乱すな)
 ほたるは布団をかぶった。

 授業が始まってもほたるは戻って来なかった。天音は二列横の斜め前の席を見やった。
(どこ行ったんだろ?)
 ほたるは謎に包まれていた。その謎を知りたくても、彼の心はそう簡単には開かない。
(どうやったら開いてくれるんだろう?)
 そんなことをずっと考えている。どうしてこんなにも気になるんだろう?恋とはまた違う感情。それはきっと・・・・・・彼と自分が似ているからだろう。
『ほたるの両親は、ほたるの目の前で亡くなったの』
 ふと真奈美の言葉を思い出した。ほたるはその時たったの十歳だったという。それは、どれだけ彼の心に深い傷をつけただろう?ほたるは心の扉を、両親を亡くしたことで一層きつく鍵をかけてしまったのかもしれない。
(心の鍵か・・・・・・)
 その鍵は一体どこにあるんだろう?どうすれば開いてくれるんだろう?

 何だかおかしい。それに気づいたのは昼休みだった。今朝までしつこかった天音が一切近寄ってこなくなっていた。
(俺の言った事が効いたのか?)
『これ以上、俺を掻き乱さないでくれ』
 確かに少しきつく言いすぎたかもしれない。だけど、そんなことですぐに言うこと聞くようなヤツだっただろうか?
(何か企んでんじゃねーだろうな)
 ほたるは斜め後ろの天音を見やった。何か考えているのか、はたまた寝ているのか分からないが、妙におとなしい。
(何か怖いんですけど・・・・・・)
「ほたる」
「うわっ」
 突然声をかけられ、ほたるは驚いた。顔を上げると真奈美が立っていた。
「何驚いてんのよ」
「急に声かけてくるからだろ」
「それより・・・・・・」
「スルーかよ」
 真奈美はマイペースに話を始める。
「鈴枷さんに何言ったの?」
「は?何かって?」
真奈美の問いかけに驚き、思わず聞き返す。
「何であんなに大人しいの?」
「それはこっちが聞きたい」
 確かに言ったことは言ったが、あれが原因とも思えない。
「本当に何も言ってないの?」
「言ったことは言ったけど。そんなんで大人しくなるって思わなかったし」
 今までだって何度か言ったことはある。『ほっといてくれ』『俺にかまうな』エトセトラ。そのいずれもきれいさっぱりスルーされてきたのだ。
「うーん。てっきりほたるが何か言ったんだと思ったんだけどなぁ」
「まぁ俺はこの方が平和でいいけどな」
 ほたるがそう言うと、真奈美は真面目な顔をして口を開いた。
「鈴枷さんから元気を取ったら何も残らないわ。それこそ天変地異が起こる」
「お前結構酷いよな」
「まぁ半分冗談だけど」
「半分本気か」
「何で元気がないのか、ちゃんとリサーチしなさい」
 目の前にビシッと人差し指を突きつけられる。
「何で俺が・・・・・・」
「きっとほたるが原因だから」
「あいつの中で俺は何なんだ」
 思わずそう聞くと、真奈美は再び人差し指をほたるに突きつけた。
「それも聞いてらっしゃい」
「やだよ。めんどくさい」
「行けっつってんでしょ?」
 真奈美がにっこりと笑った。
(目が笑ってねぇ!)

 と言うわけで怖い幼馴染に脅され、半強制的に事情を聞くことになったほたるは、自分の席に座ったままの天音に声をかけた。
「鈴枷・・・・・・さっきは・・・・・・」
「あ、水瀬くん。ちょうどよかった」
「へ?」
 顔を上げた天音はいつもと変わらない表情だった。
「今日の放課後って空いてる?」
「え? あ、うん」
 今日はバイトのない日だ。返事してから気づいたが、思い切り天音にペースを掴まれている。
「ちょっと付き合ってくれる?」
「何に?」
「話しておきたいことがあるんだ」
 天音はそう言って微笑んだ。

 何か様子が変だ。『天変地異が起こる』と言った真奈美の言葉が現実味を帯びてきた気がしてならない。
 放課後になると、ほたるは天音に呼び出された屋上へと向かった。
 屋上の扉を開けると、既に天音が来ていた。天音はほたるを認めると、微笑んだ。
「ごめんね。呼び出して」
「何? 話って」
 天音に近づきながらそう言うと、天音は苦笑した。
「水瀬くんには全然関係ないんだけどね。あたしの昔話聞いてもらえる?」
 いつもと違う目つきに気づく。ほたるはコクンと頷いた。
「あたし実はね、まぁ俗に言うお嬢様ってやつでさ。小さい時からマナーや礼儀を叩き込まれて、英才教育も受けてたの」
 始まった天音の話は、自慢なのか何なのかよく分からなかった。
「自慢か?」
「違うよ!」
 ツッコむと勢い良く否定された。
「そうやって厳しく育てられたの。できて当たり前。でもできてもできなくても、誰も『あたし』を見てくれなかった。それが嫌で中学に入ってから、悪い仲間とつるむようになってた。気がつけば【蒙虎】って呼ばれてて、恐れられる存在になってた」
 その言葉を聞いた瞬間、ほたるは背筋が凍った。今からは想像がつかないが、何だか恐ろしい。
「親は縁を切るって言った。あたしはそれでも構わなかった。だけど・・・・・・歳の離れた二人の兄がそれを許さなかったの。長男は家を継いでて、もう一人は警察官だった。二人は親が見離したあたしを、どうにかして助けようとしてくれてた。だけどあたしは、その手を・・・・・・何度も伸ばしてくれたその手を、何度も振り払って、『あたしに構うな』って酷いこと言っちゃった」
 天音の声が段々かすれてきた。ふと顔を見ると、その目には涙がいっぱい溜まっていた。彼女は溢れ出しそうな涙を、上を向いて流れないようにした。そして深呼吸をして、再び口を開いた。
「あれは、中学二年の二月のことだった」

 中学二年の二月のある日。その日の予報は雪。だけどその天気予報は大はずれで一日中晴れていた。
 その夜、仲間の一人が敵対しているチームに捕まったという連絡が入り、天音を始めとし、仲間全員で助けに向かった。
 全員で敵地だった使用されていない倉庫に乗り込み、戦っている最中に雪が降り始めた。そんなことに構わずしばらく戦っていると、サイレンが鳴り響き、警察が現れた。
「サツだっ!」
「逃げろ」
 天音は騒ぎの中、捕まっていた仲間を助け出すことにした。倉庫の柱に座った状態でくくりつけられていたので、持っていたナイフで縄を切る。
「先輩」
 怪我をしているようだったが、どうにか自分で歩けそうだと傷の程度を見て考える。
「逃げれるか?」
「はい」
 後輩はそう返事すると、自分の足で立ち上がった。二人は敵や警察の目を盗んで、倉庫から逃げた。

 ちょうど倉庫から出た時だった。目の前に現れたのは、何と警察官である二番目の兄だった。
「兄貴・・・・・・」
「天音。こっちに来るんだ」
 兄が手を差し出した。
「ヤダ。見逃してくれ」
「いいからこっちに来るんだ!」
 いつも穏やかな兄が怒鳴った。
「お願い。こいつだけは見逃して!」
 天音は後輩の肩を持った。
「分かったから、早くこっちに来るんだ!」
 兄の言葉を信じ、後輩を先に逃がす。兄は後輩には目もくれず、ただ天音を見つめていた。
「天音、こっちに来るんだ」
 兄がもう一度手を差し伸べた。天音はなぜか怖くなり、後ろに下がった。すると、後ろの何かに当たった感触がした。
「え?」
「天音!!」
 兄の声が一瞬して、兄に突き飛ばされた。その瞬間に重たい音がした。
「え?」
 天音は今まで自分がいた位置を見て驚いた。入口付近に立てかけてあったであろう木材がすべて倒れていた。その瞬間、ボーっとしていた頭にスイッチが入った。
「兄貴っ?!」
 天音は倒れた木材をどかそうと、駆け寄る。
「兄貴! 兄貴っ!」
 天音は必死で叫びながら、木材を持ち上げようとしたが、木材の量は半端じゃない。一本ずつどかしていたらキリがないことは分かっているが、天音は必死だった。
「兄貴、返事して! お願いだから、返事して」
 天音は一人で必死に木材をどかしていた。するとさっき木材が倒れる音に気づいた警察官が数名やって来た。
「どうしたんだ?」
 その中の一人が声をかける。
「兄貴が・・・・・・兄貴が下敷きに・・・・・・」
 天音の訴えに、その場にいた警察官が木材を一緒にどかし始めた。救急車も呼んでくれた。
「おじょうちゃんは危ないから、どいてなさい」
 そう言われても、天音は首を横に振った。
「ヤダ。兄貴は、あたしの代わりに下敷きになったんだもん」
 天音は必死で木材をどかした。
 降り始めた雪はいつしか積もっていた。その真っ白な雪が真っ赤な血で染まっていく。それは兄の血だとすぐに気づく。
「兄貴・・・・・・お願いだから無事でいて」
 天音は自分の手が血で滲んでいても、必死で兄を助け出そうとした。
 そうこうしているうちに、救急隊やレスキュー隊が到着する。その場をプロに任せ、天音は兄が助け出されるのをただ見守るしかなかった。

「兄貴は気づいてたんだ。あの木材が倒れ掛かってたことに。危ないからあたしに何度も『こっちに来なさい』って言ったんだって、後になって気づいたの」
 天音の涙交じりの声に、ほたるはハンカチを渡した。
「洗ってるから」
「ありがと」
 天音はクスッと笑い、素直に受け取った。
「それで・・・・・・お兄さんは?」
 ほたるの質問に天音は続きを話し始める。
「病院に搬送されたけど、死亡が確認されただけだった。・・・・・・バカだよね、あたし。何であの時、兄貴の手を掴まなかったんだろう?」
 そうしたら今でも生きていたかもしれないのに。
 天音はほたるに借りたハンカチで涙を拭いた。
「それからあたしはチームを抜けた。抜けるのは大変だったけど、そんなこと・・・・・・兄貴を失ったことに比べるとちっぽけなことだった」

 チームを抜けた天音は、これからは真面目になると親に誓った。
「もうチャンスはあげませんよ。今度同じようなことをしたら、本当に縁を切ります」
「はい」
 母にきつく言われたことも、何も感じなかった。
 それから必死で勉強した。遅れを取り戻すのは大変だったが、それでも一年間がんばり通して、高校に合格した。

「そして、入学式の日。水瀬くんに出会ったの。最初はね、びっくりしたっていうより『何だこいつ?』って思ったの。サングラスかけて学校来て、変なヤツって。だけどサングラスかけた変なヤツが新入生挨拶をしたのにもっと驚いちゃって。それで水瀬くんに興味持ったんだ」
 天音の話を聞いて、彼女に少し興味が沸いた。しかしすぐにダメだと抑制する。
「それで? お前はその話を俺にして、どうしたいんだ?」
「友達になりたい。そりゃ冴木さんみたいにはなれないかもしれないけど」
 ほたるは天音を一瞥し、溜息をついた。
「俺に関わってもロクなことにならない。悪いことは言わない。これ以上俺に関わるな」
「ヤダよ。あたしは水瀬くんの友達になりたい。だから、諦めないよ」
「勝手にしろ」
 ほたるは呆れた口調でそう言い捨てると、屋上を降りて行った。
「勝手にするよーだ」
 天音はほたるの背中にそう呟いた。

 一体何のつもりだろう? あの話をしてどうして欲しかったんだろう?
「ハァ・・・・・・。マジ意味分かんねー」
 ほたるは不思議だった。どうして彼女は大切な人を亡くしているのに、あんなに明るく振舞えるのだろう?
「変なヤツはお前だよ」
 ほたるはそう呟いて、帰路についた。

 とうとう話してしまった。今まで誰にも言わなかった秘密。
「言っちゃった。心の鍵、少しは開いたのかな?」
 今でも鮮明に覚えている。赤い記憶。真っ白な雪が真っ赤に染まるあの映像。
「兄貴・・・・・・。ごめんね。兄貴」
 天音は屋上のフェンスによりかかって、人知れず涙を落とした。