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ACT.9 the past
翌日。あれから一度も目が覚めなかった奈月はすっきりと目が覚めた。時計を見ると、七時だった。いつも起きる時間だ。習性とは悲しいものである。リビングに行くと、既に一真が起きていた。キッチンで朝食を作っている。 「おはよ」 「はよ」 奈月は挨拶しながら記憶を辿った。昨日、確か沙紀と一真が鉢合わせしたような・・・。 「あのさ・・・昨日、沙紀くんに会ったよね?」 「会ったよ」 奈月が恐る恐る訊ねると、あっさりと答えが返ってきた。 「うち・・・寝てもうたよね?」 「うん」 「その後は?」 「別に何もないで。ちょっとだべって帰った。あいつもベースやってんやってな?」 「う、うん」 一真がふと思い出す。 「あ、それとちゃんと言うといたからな」 「何を?」 「俺が奈月の兄貴だってコト、誰にも喋んなよって」 「え?」 奈月は驚いた。まさか兄がそんなことを頼むとは思わなかったのだ。 「そうして欲しかったんやろ?」 一真は出来たての雑炊を持ってきた。 「うん・・。まぁ・・・」 奈月はダイニングの椅子に座り、一真お手製の雑炊を頂くことにした。 「どーや?治ったか?」 一真は奈月のおでこに右手を当てた。自分と比べてみる。 「熱は下がったみたいやな」 「うん・・」 「でも今日はゆっくり休めよ」 「え?でも学校・・・」 「行かんでもええ。本調子ちゃうのに、学校行って悪化したらそれこそ最悪やろ?」 「うん・・・」 納得せざるを得ない。極力休みたくはないが、仕方がない。 「ここんとこお前、ムリしてたやろ?がんばるんはええことやけど、ちっとは息抜きせな、壊れてまうで?あ、学校には俺が連絡しといたから」 一真も向かい側に座り、自分用に作った朝食を食べ始めた。 「うん」 自分のせいだと分かってはいても、ジッとしていられない性格の奈月は、腑に落ちなかった。 たわいもない話をしつつ、一真は出かける用意をした。 「奈月」 「ん?」 「昼食、雑炊作っといたから、温めて食べな。それと今日も俺、遅いと思うから。んー。沙紀にも一応連絡しとくわ」 唐突に沙紀の名前が出てきたので、奈月は驚いた。 「え?ええよ。うち一人で。迷惑やって」 「でもな。お前一人じゃ、俺が心配なんや。もし何かあったらって」 「何もないって!大体家におって何かある方がおかしいわ」 奈月は強い口調で兄を止めたが、心配性なのは性格らしい。 「って言うてもな」 「もー。赤ちゃんやないんやから。大人しく寝よるから、安心して仕事行ってきー」 奈月も立ち上がり、まだ心配している兄の背中を押した。 「分かったって。なるべく早う帰るから。ちゃんと大人しくしときや」 「はーい」 「んじゃ、いってきます」 「いってらっしゃい」 一真を見送った奈月はテレビを付けた。そう言えば最近、あまりテレビを見ていない。忙しくてそれどころじゃなかったのだ。朝やっている番組はほとんどがニュースだった。 大人しく寝ると言っても、さっきまで寝ていた奈月はぱっちり目が冴えてしまっていた。 テレビを消し、自分の部屋に戻る。そして一真に借りたギターを手に取り、ここ数ヶ月で習ったコードを弾く。奈月は平衡して一真にギターも習っていた。 「曲とかどうやって作るんかまた聞かななぁ・・・」 そう簡単にメロディなんて浮かんでこない。 「あー、ベースもせなー」 奈月はギターを元に戻すと、今度は一真に借りているベースを取り出した。 「自分の欲しいなぁ」 『バイト代はとりあえず貯めとけ』と言う兄に従い、奈月はバイト代には手をつけていない。しかし何もかも兄に頼りっぱなしでは自分が納得できないので、多少の食費などは出している。 しばらく練習をしていると、携帯電話が鳴った。着信を見たが、登録していない番号だった。 「誰やろ?」 不思議に思いながら電話に出る。 「もしもし?」 『あ、沙紀だけど、起きてた?』 受話器越しに聞こえるのは確かに沙紀の声だった。 「沙紀くん?!起きてたけど・・・何で・・・?」 『昨日一真さんに携帯番号教えてもらったんだ。どう?熱下がった?』 「うん。何とか」 わざわざそれを聞くために電話してくれたのだろうか? 『そっか。よかった』 沙紀の安心した声に奈月も少し安心した。この様子だと兄貴に頼まれたのではなさそうだ。 「うん。ありがとう。ごめんな。迷惑掛けて」 『いーよ。別に迷惑じゃないし。まぁ今日はとりあえずゆっくり休むんだな』 その台詞に奈月は噴出した。 『なんだよ』 沙紀のムッとしたような声が返ってくる。 「ごめん。お兄ちゃんとまったく同じコト言うから、おかしくって・・」 『ま。笑う元気があんなら大丈夫だな。じゃ、俺、バイト行くから』 「あー、うん」 『あ、そーだ。今日、お前入ってんの?』 バイトのことだろう。 「うん。夕方から」 『んじゃ、休むって言っとく』 「ええよ。夕方には元気になってるって」 そう言うと、沙紀は一真と同じような反応をする。 『今日はゆっくり休めって兄貴に言われたんだろ』 「そ・・やけど」 『じゃ、兄貴に従うんだな。今日ムリして明日も休むことんなったらどうすんだよ』 「・・・」 奈月は腑に落ちなかったが、確かに一理ある。 『とにかく、ゆっくり寝とけ。一真さん、今日遅いんだろ?』 「あー、うん」 昨日一真に直接聞いたのだろう。 『今日のバイト終わったら飯持ってってやるから』 「何時に終わるん?」 『あそこのバイトは十時〜二時』 あそこってことは今日は他のバイトも入っているのだろう。 『行く前にまた電話するよ。んじゃ、大人しく寝てろよ』 「はーい」 奈月は小さく返事した。何だか心配性な兄貴が一人増えたみたいだ。 でも今日の晩御飯が妙に楽しみになって来た。お粥をささっと作れるくらいだし、一人暮らしだったら自炊もしてるのだろう。 「大人しくしてよーっと」 「クーローちゃん!どした?元気ないみたいやけど」 衛が緊張感のない声で話し掛けてくる。一真はそんな衛を横目で見、溜息をついた。 「ええな。お前は悩みなくて」 皮肉に言うと思い切り否定する。 「俺だって悩みぐらいあるよ!」 「ほぉ」 一真は上から衛を見下ろした。 「うっ。ゆーちゃん。黒ちゃんがイジメるぅ」 「はいはい」 隣にいた悠一にすがりつくが、相手にしてくれない。 「でもホンマ、何かあったんか?」 悠一が改めて聞き直す。 「ああ。ちょっとな」 「?言いたくないんやったらええけど・・・」 一真の濁した言い方に悠一が返す。 「いや。奈月が倒れたみたいで」 「「え!」」 一真の呟きに二人は思わず大声を出してしまう。 「倒れたって・・」 「過労やって。びっくりしたわ。昨日帰ったら知らん男はおるし。」 「え?男連れ込み?」 衛がワクワクしているのが、こっちまで伝わってくる。 「奈月のバイト先の先輩やってさ。ま、そいつエエヤツやったから、ええけど。お粥も作ってくれとったし」 「先輩でそこまでする?」 不審がる悠一。下心がある、とでも言いたいのだろうか? 「たまたまやって。奈月が早退したとき、ナンパされてて、偶然通りかかったそいつがナンパ野郎たちを追い払って。そん時から熱が出だしたらしくて、そいつが奈月を家まで送ってくれて、さらにお粥まで作ってくれてた。」 「でもってその子に会ったってことやんね?ってことは、黒ちゃんのこと、バレバレやん」 衛が珍しく鋭く指摘する。 「そーなんよな。バレたんよな。これが」 「そんな悠長に言うことか?」 「でもちゃんと口止めしといたし、大丈夫やろ」 一真は明るくそう言った。少しの不安はあるが、そんなことイチイチ気にしてたら身が持たない。 「じゃ、なんで元気なかったん?」 悠一が本題を元に戻す。 「ああ。奈月、やっぱ意地張ってたんやなって。俺、気づいてやれなかった」 「黒ちゃん。・・・しゃーないんちゃう?」 「え?」 衛の意外な言葉に一真は顔を上げた。 「だって黒ちゃん、ずっと奈月ちゃんと一緒におる訳ちゃうし。忙しかったってのもあるし。現に家にもあんま帰れてないやん?」 「でもまたこういうことが起こらないとも限らんし。それを心配して・・・」 「でも味方、できたんやろ?」 悠一が口を挟む。 「そのバイト先の先輩を信用するしかないやん。もちろん、奈月ちゃんのこともね」 そう言って悠一が笑った。その言葉に少し肩の荷が下りた気がした。 六時頃、いつの間にか眠っていた奈月は携帯電話の着信音で起きる。手探りで携帯を探り、通話ボタンを押す。 「もしもし?」 『もしもし。あきらだけど』 その声に目が覚める。まさかかかってくるとは思っていなかった。 「あ、あきら?」 『調子どう?』 「うん。もうすっかりええよ。熱も下がったし」 『そっか。それはよかった。』 「ごめんな。心配かけて」 『気にすんなって。友達だろ?』 奈月はその言葉が、とても嬉しかった。 「ありがと」 『明日は学校来れそう?』 「うん。今日ゆっくり休んだから、明日は行けると思う」 『そりゃよかった。秀も武も心配してたよ』 「あー、そういえば武ちゃんが保健室運んでくれたんよね。お礼まだ言ってないや・・・」 『あいつ馬鹿力だけが取り得なんだから、奈月が気にすることないよ』 ケラケラとあきらが笑う。相変わらず武人に対しては毒を吐く。 『まぁ元気そうで良かった。今日はゆっくり休みなね』 「ありがと」 電話を切ると、メールを受信している事に気付く。早速開くと二通届いていた。 まず一番最初に来たメールは秀一からだった。時間を見ると昼休みの時らしい。 『調子どう?昨日あれから直で帰ったみたいだったから、会えなかったけど。過労なんて奈月らしいと言うか・・・。でもあんまり無理してると、いつか倒れるって分かってるんだから、あんまり無理しないように。今日はゆっくり休んで、明日からまたがんばってね』 まったく秀一らしい文面だった。早速メールを返しておく。 『ありがとう。もう十分過ぎるほど休んだから、明日からまた学校でよろしく。それから出来るだけ無理はしないようにします。』 次のメールは武人からだった。時間的に秀一と同じくらいだ。二人でメールを打っていたのだろうか? 『奈月ちゃん、大丈夫?奈月ちゃん軽かったけど、ちゃんと飯食ってる?忙しいの分かるけど、あんま無理しちゃダメだよ?(>_<)本当はお見舞い行きたいけど、あきらに行っちゃダメって怒られたので、我慢します(T_T)明日よくなってたら、学校来てね!奈月ちゃんに会えないと寂しいよぉ(*_*)』 ところどころに顔文字が入っているあたり、武人らしい。奈月も同じようにメールを返す。 『ありがとう。それから昨日運んでくれてありがとね<(_ _)>うちも武ちゃんたちに会えなくて今日一日つまらなかった(*_*)今日一日ゆっくり休んだから、明日からは学校行けそうですd(>_<)またよろしく!』 「よし、送信完了」 メールを送り終わると同時に電話が鳴る。 「わわ・・・」 突然鳴る電話に驚く。画面を見ると沙紀からだった。 「もしもし」 『あ、起きてた?』 「うん」 『今から飯持って行こうと思うけど、大丈夫か?』 「あ、うん。大丈夫やで。インターホン鳴らしてくれたら開けるわ」 『分かった。じゃーな』 それで電話が切れる。ここはオートロックマンションなので、暗証番号を入力しないと入れないのだ。 奈月は自分がパジャマ姿であることに気づき、慌てて着替えた。と言ってもロングTシャツにジーンズ。コレが奈月の普段着だ。スカートは足元が涼しすぎるので、制服以外で着ようと思わない。制服でさえ下にスパッツを履いているくらいなのだ。 着替え終わるとインターホンが鳴った。 「はい」 『沙紀だけど』 「いらっしゃい。ちょっと待ってな」 奈月はインターホンについている開ボタンを押した。 「開いた?」 『おう。ありがと』 沙紀の言葉を聞き、奈月はインターホンを切った。実はこれを開けるのは初めてなのだ。そう言えば友人を招くなんてしたことがない。一真のこともあるのだが、バンドの練習は武人の家なので集まるとしたらこっちが出向く方なのだ。 数分後、今度はドアのチャイムが鳴る。 「はーい」 奈月はドアの鍵とチェーンを外し、ドアを開けた。 「よ」 ドアの前には沙紀が立っていた。 「いらっしゃい。どうぞ」 奈月が沙紀を招き入れる。スリッパを出し、リビングに案内する。 「バイト終わるん早かったんやね」 「そうか?」 沙紀は自分の左手にはめている時計を見やった。 「楽器屋の後のバイトがきっかり終わったからかな」 「何のバイトやったん?」 「倉庫の荷物搬入」 「へー。大変そうや」 明らかに力仕事だ。 「まぁ慣れたらそうでもないって。今日は二時間くらいだったし」 「そうなんや」 「はい。飯」 突然沙紀に紙袋を渡される。奈月は喜んで受け取った。 「わーい。ありがと。楽しみやったんよね」 「楽しみにするほどのもんじゃねーぞ」 沙紀はぶっきらぼうにそう言った。早速奈月はダイニングにある机に袋を置き、中身を取り出した。 「すごーい。これ全部沙紀くんが作ったん?」 「一応な」 奈月はタッパーの蓋を開けた。そこにはハンバーグが入っていた。 「ん?ひじき?」 ハンバーグの色は通常より白っぽく、黒く細長いものが入っていた。 「そ。それはひじき入り豆腐ハンバーグ。こっちのはポテトサラダ。このポットはにんじんスープ」 沙紀がタッパーに入っているものを説明する。 「すごーい。健康的や」 「家にあるもんでほとんど作ったからな」 「ちゃんと自炊してるんやね」 「外食するほど金ねーから」 「なるほど」 やはり一人暮らしとなるといろいろ出費もかかるだろうし。その上、バンドもしているのなら尚更だ。 「沙紀くんも一緒に食べるんやろ?」 奈月はタッパーをキッチンに運んだ。 「おう。ついでだからそうしようと思って」 「オッケー。あ、結構暖かいね」 「さっき作ったからな。ご飯はちょっとレンジかけた方がいいかもだけど」 奈月と同じようにキッチンに入った沙紀はご飯の入ったタッパーを開けた。 「分かった」 奈月はタッパーを受け取ると、お茶碗によそった。それをレンジにかける。沙紀はその間に奈月が出してくれた更におかずを取り分けた。 「そういや、お兄ちゃんの分も持って来てくれたん?」 二人分にしては量が多いことに気づく。 「うん。遅いって聞いてたけど、一応な」 遅い時は外食してくることもある。 「でももし食べてきても、夜食で食べると思う」 「そうなんだ?」 「お兄ちゃん結構大食いなんよね」 意外な一面を知り、沙紀は何だか笑いがこみ上げてきた。それを見て奈月が首を傾げる。 「どしたん?」 「いや、何か変な感じだなと思って」 「変?」 聞き返され、沙紀は頷いた。 「だって俺の憧れてた人がお前の兄貴で、こんなにも近くに住んでたなんてさ。昨日会った時は夢かと思ったくらい」 「あー、そっか」 以前に沙紀から一真のベースをきっかけに音楽を始めたと聞いたことを思い出した。 「何か不思議な感じ。今でも信じられん」 沙紀は盛り付けながらそう言った。 「びっくりした?」 「そりゃな。苗字一緒だなとは思ってたけど、まさかって思うじゃん」 「黙ってたこと、怒った?」 突拍子もない奈月の質問に沙紀は奈月を見つめた。 「何で怒るんだ?」 「・・・沙紀くんが憧れてるって知ってたのに・・・」 奈月が気にしているのだと気づいた沙紀は、ペチッと奈月の頭をはたいた。 「バーカ。そんなん気にすんな。大体、もしバレたらお前が普通に生活できなくなるだろ?」 今や【sparkle】は日本で有名なロックバンドなのだ。親世代ならまだしも、奈月くらいの年の子が知らないはずがない。もしバレれば、それこそ家にまで押しかけてこられそうだ。 「でも・・・うち、秀ちゃんにも武ちゃんにも言うてない。秀ちゃんがsparkleのファンやって知っとるのに・・・」 俯く奈月に沙紀はポンポンと頭を優しく叩いた。 「時期がきたら話したらいいだろ。その秀一ってやつ、武に聞いたけど真面目なヤツなんだろ?それだったら奈月のことちゃんと分かってくれるって」 「うん・・・」 沙紀の言葉が何だか嬉しい。そうこうしてるうちにレンジが鳴った。 「よし、飯食おうぜ」 沙紀はお皿をダイニングテーブルに並べた。奈月はレンジに入っていたお茶碗を取り出す。沙紀はスープをカップに注いだ。 「めっちゃおいしそー」 テーブルに並べられた料理を見て、奈月は嬉しそうに笑った。二人が食卓につき、手を合わせる。 「「いただきます」」 奈月は早速ハンバーグに箸を入れた。一口分を切り、口に運ぶ。 「おいしー」 「よかった」 奈月の反応に沙紀はホッとした。 「そうや、聞きたかったんやけど」 「何?」 「曲ってどうやって作ってる?」 「曲作りねぇ」 沙紀は少し考えた。 「んー・・・ギター弾いてたらメロが浮かんでくるかなー。俺は」 「そっか」 あんまり参考にならないな、と奈月は溜息をついた。 「どした?」 「オリジナル曲作ろうってことになったんやけど、誰も作ったことなくて・・・。それで一応できたヤツから仕上げていこうって話んなったんやけど。作ったことないから、どうやって作ったらええか分からんくって」 「そう言うことか」 奈月の落ち込み方に納得がいく。 「歌詞は?書いたことないの?」 「うん」 「普通の詩は?」 「学校の授業ではやったけど・・・」 「それでいいんだよ」 「え?」 沙紀の意外な言葉に奈月は驚いた。 「最初からまともに曲なんて作れる訳ねーじゃん。俺だってちゃんと曲作れるようになったの、だいぶしてからだし」 「そうなん?」 沙紀は頷いた。 「メロが無理なら歌詞から作ればいいんだよ。まず短い詞をまず作って、それにメロをつけてみるんだ」 「できるかな・・・」 「いきなりは無理でも、ずっとそのこと考えてたらふと頭に浮かぶようになる」 「へー。そんなもんなんや」 「飯食い終わったら、ちょっとやってみっか?」 「うん」 奈月は元気よく頷いた。 食べ終わった二人は片付けをし、沙紀はリビングのソファに移動した。奈月は沙紀にギターを渡し、床に敷かれた絨毯の上に座る。テーブルの上に広告を裏返しにして載せ、奈月はシャーペンを握った。 「詞かぁ・・・。どんなんがええんやろ?」 奈月はテーマを考えた。 「何だっていいよ」 沙紀はそう言いながら、適当にギターのコードを鳴らした。 「うーん・・・」 沙紀はふと悩んでいる奈月を見た。 「そういやお前、結構髪長かったんだな」 不意に言われ、気づいた。いつもはまとめているのだが、今日は髪を下ろしている。 「あー、うん。切りに行けなくて・・・」 本当は違う。そんな理由じゃない。 「そうなんだ?でも髪綺麗だから切るの勿体無くね?」 その言葉に奈月は驚いた。 『奈月は髪綺麗なんやから、伸ばしてや』 そう、あれは彼に言われた言葉。 「奈月?」 固まった奈月に沙紀が声をかける。奈月は視線を落としたまま、口を開いた。 「ホンマは・・・ホンマは好きやった人が『伸ばして』言うから伸ばしたんよ。・・・もうその人おらんのに・・・。何か切れんくって・・・」 「別に無理して切らなくてもいいんじゃん?」 沙紀の思わぬ言葉に奈月は落としていた視線を上げた。 「無理することない。いなくなったってのは、いつ?」 「・・・去年の十二月」 思ったよりも時間が経っていないことに驚く。 「まだ半年しか経ってないじゃん。気持ちの整理なんてそんな簡単につかないだろ?好きだった人なたら尚更な」 「うん・・・」 沙紀の言葉に短く返事する。 「俺も少しは気持ち分かるかな・・・」 「え?」 「俺の妹さ、病気で入院してるんだ。俺の実家は結構大きな病院で、妹はそこに今も入院してる。俺は妹の病気治そうと医者になろうと思ったんだけど。」 奈月は最初に会った日の沙紀との会話を思い出した。 『沙紀くん、学校は・・・?』 『行ってない。って言うか辞めた』 『辞めた?』 『ああ。俺のやりたいことと違った』 あれは医者の道ということだったのだろうか? 「俺、医大付属の高校行ってたんだけど、妹の病気は今の医学では治せないんだって分かった。本当ならその病気を治すように努力したらいいんだろうけど、妹がそれまで持たないかもって言われて・・・」 沙紀は握っていたギターのネックをギュッと掴んだ。 「妹さんの病気って・・・?」 「心臓疾患。いつ発作が起こるかも分からない。治る見込みなんて0だ」 奈月は胸の奥が痛くなった。何だか熱い気もする。なぜかは分からない。思わず手が震える。 「心臓・・・。・・・一緒や」 震える声でそう呟く。 「え?」 沙紀が怪訝そうに見やる。 「彼も・・・心臓が悪かった・・・」 ポツリと呟いた言葉に、沙紀は驚いた。 「その彼は・・・病気で?」 奈月は視線を落としたまま首を横に振った。 「うちをかばって事故に遭った・・・」 奈月はまるで生気がまったくない状態になっていた。ただ口が動いているように見える。もしかして彼との思い出をフラッシュバックさせえたんじゃないだろうか?と不安にかられる。 「わりぃ。思い出させて」 沙紀が謝ると、奈月は首を振った。 「ううん。この話したの、沙紀くんで二人目や」 「二人目?」 一真にでも話したのだろうか。 「うん。衛くんに話したんよ。お兄ちゃんには言いにくくて・・・。彼氏がおったことも多分知らんから」 沙紀はなるほどと思った。一度しか一真に会ってないが、口調や奈月を見る目からして、結構なシスコンだと思った。自分が似たようなものだからかもしれない。 「ごめんな。何か・・・しんみりしちゃって」 奈月はようやく顔を上げて、無理やり笑った。 「いいよ。無理すんな。辛い時は辛いって誰かに吐かなきゃ、お前が壊れちまうだろ?」 不意の優しい言葉に、思わず涙が零れた。 「あ、あれ?」 零れた涙に奈月自身が驚く。 「ごめん。何か勝手に涙が・・・」 慌てて泣きやもうとする奈月に、沙紀は無言で奈月の頭に手を置いた。 「え?」 驚いた奈月が顔を上げる。 「今日は泣いとけ」 沙紀のぶっきらぼうに言う優しい言葉と手の温もりに、奈月はずっと我慢していた涙を流した。 「ごめんな。結局泣いてもうて」 「いいよ。そう言う時もあるって。お前が楽になったんならいいじゃん」 沙紀は何だかんだ言って優しい。彼とはまた違う優しさ。沙紀の優しさは一真の優しさに似ているのかもしれない。ぶっきらぼうだけど。 「まぁゆっくり休みな。無理したって、精神不安定なままやったら曲やって作れんだろうしな」 「そやね。ありがとう」 「いいって。じゃーな」 沙紀はそう言うと、帰って行った。沙紀を見送り、部屋に戻る。 結局曲はできなかったが、何だか少し楽になった。溜め込んでしまう悪い癖はきっと一生直らない。自分の弱い部分を見せたくないのもあるが、誰かに言ってしまうとその人の負担になってしまいそうなのが怖かった。 奈月はリビングに戻った。置きっぱなしになっている紙とペンが目に入る。 「短い詞か・・・」 奈月はさっきと同じ位置に座った。ふと浮かんだ言葉を紙に書き留める。不思議なことに、意外と言葉がスラスラと出てくる。 「できた・・・」 書き終わり、シャーペンを置く。紙に書いたのはたった四行の短い詞。 「やっぱこんなんあかんわ・・・」 奈月は紙をテーブルに置いた。ふと時計を見ると、十時になろうとしていた。そろそろお風呂に入って寝る準備をしなければ。 そう考えていると、玄関が開いた。 「ただいまー」 「あ、おかえりー」 一真がリビングに入って来る。奈月を見て、一瞬驚いた顔をした。この時間はいつも自室にいるからだろう。 「飯は?」 荷物をソファに置き、そのままキッチンへ行く。奈月も一真についてキッチンへ入った。 「実は沙紀くんが持ってきてくれたんよね。やからこれ温めたらええだけやで」 奈月は皿に盛られたハンバーグを見せた。 「え?もしかして沙紀が作ったんか?」 一真が驚く。 「うん。結構自炊するみたいやで。ハンバーグ美味しかった」 奈月はそう言いながら、皿をレンジに入れた。 「へー。そうなん。」 一真は奈月に任せ、キッチンから出た。ふとテーブルの上に乗っている紙を見つける。 「ん?何や?これ」 「あ!」 一真が取り上げた紙に、奈月が慌てた。取り返そうとキッチンから飛び出してくるが、一真は意地悪く奈月に届かないように紙を掲げた。 「ちょ、お兄ちゃん。返してやー」 奈月は一生懸命取り返そうとするが、一真との身長差が邪魔して届かない。 「『空に願った ずっと一緒にいられるようにと ささやかな願い 今はただ虚しいだけ』」 「ぎゃー。読むなぁ!」 奈月はどうにかして紙を取り上げようとする。 「何これ?」 平然と聞かれ、何だか恥ずかしくなる。 「歌詞・・・のつもり」 「ほー」 恥ずかしくなり、奈月は俯いた。一真は意地悪を辞め、奈月に紙を返す。 「その割りに短くないか?書いとる途中?」 指摘され、奈月は仕方なく口を開いた。 「沙紀くんに聞いたんよ。曲の作り方」 「へぇ。それで?」 何だか妙な期待感を持たれてる気がしないでもない。 「メロが浮かんでこんのやったら、短くてもええから、詞を先に書いてみたら?って」 「なるほどねぇ」 一真は温め終わったハンバーグをレンジから取り出し、スープとご飯を入れてまたセットし直した。 「ええやん。その詞。ちょっと暗いけど」 まさかそんなことを言われると思っていなかった奈月は心底驚いた。 「え?ええの?これ」 「うん。ちょっとネガティブな方が俺は曲作りやすい」 「そう・・・なんや」 奈月は改めて自分の詞を見た。まさか褒められるとは思ってなかった。 「ねぇ、お兄ちゃん」 「ん?」 一真は温め終わったご飯とスープを取り出しながら奈月の方を見た。 「この詞でも曲できると思う?」 「うん。できると思うで」 一真はとてもあっさりと答えた。 「こんな短い詞でも?」 「練習にはちょうどええやん。最初っから一曲丸々作ろうとせんでもええって」 結局一真は自分で夕飯の支度を整え、ダイニングテーブルに着いた。 「そっか」 難しく考えなくてもいいのだとやっと気づく。 「うを。うめぇ!何じゃこりゃ」 一真は沙紀の手料理を食べ、感嘆の声をあげた。 「やろ?」 奈月は一真の目の前に座った。 「おう。お粥作ったって聞いた時は、ここまでできるって思わんかったけど・・・」 「そう?お粥、めちゃおいしかったから、うちはめちゃ期待してたで」 「俺様二号みたいやな」 「何やそれ」 突然意味の分からないことを言い始める一真に奈月が笑う。 「まるで俺みたいやないか?料理できてバンドやってて、かっこよくて」 「最後のは沙紀くんだけに当てはまるんちゃう?」 「何やて〜?」 奈月の意地悪な言葉に一真は睨んだ。だけど全然怖くない。もちろん冗談だと分かっているからだ。 「奈月は沙紀のことどう思ってるんや?」 不意に真面目に聞かれ、奈月はきょとんとした。 「どうって?」 「いや、好きとか嫌いとか・・・」 「好きか嫌いかって言うんやったら、もちろん好きやで」 あっさりと言われ、一真は何だか複雑な気持ちになる。 「何かお兄ちゃんみたいやん?」 「お兄ちゃん?」 奈月の思わぬ発言に、一真が聞き返す。 「心配性なとことか、お兄ちゃんみたい。まぁ沙紀くんも妹さんおるみたいやけど」 「そうなんや」 一真は内心ホッとした。これなら恋愛感情はなさそうだ。問題は沙紀がどう思ってるかだったが、きっと沙紀も妹みたいな感覚なのだろう。確かに奈月はほっとけないタイプではある。もちろん兄目線だが。 「なんよ?急にそんなこと聞いて」 「いや、別に」 一真は言葉を濁した。自分が居ない時、奈月を頼むとお願いしたなんて言えない。それこそ「過保護すぎる」と怒られる。 「それさ、どうやって書いたん?」 突然一真が奈月の持っている紙を指差した。歌詞のことだろう。 「どうやってって?」 何だか妙に動揺してしまう。 「いや、初めて書いた割りにええ感じにできてるなーって思って」 「適当・・・」 奈月は呟くように返した。 「適当?」 聞き返され、奈月は頷いた。 「そう。適当。思いついた言葉を紙に書いただけ」 「へぇ。すげーな。お前はそういう才能あんのかもな」 「才能?」 一真の言葉に奈月は驚いた。 「俺はあんま詞書けんから衛に全部やらせよるけど、お前は難なく書けるんやろ?そういうの才能やん?」 「そう・・・なんかな?」 「そうやって。まぁでもヴォーカル向きではあるな」 「何で?」 何だか間抜けに聞いてしまう。 「何でヴォーカルが詞を書くか分かるか?」 逆に質問され、奈月は横に首を振った。 「大半の人はヴォーカルを聞く。俺ら楽器隊の音なんてあんま関係ない。もちろんプロ目指す人たちはバックの方を聞くやろうけど。歌ってのは、ヴォーカルがおって初めて成り立つ。例えば極端な話、どんなにメロディや詞が良くても、ヴォーカルがあかんかったら絶対聞かん。それは伝わってこんから。詞のイメージやったり、曲の雰囲気やったり、こっちが伝えようとしよることが、全然伝わらへんから」 一真の言うことは何となく分かる。 「他人が書いた詞を自分なりに解釈して伝えようとするヴォーカルもはもちろんおる。やけど、自分で書いた方が何を伝えたいか、どう歌えばええか、一番分かりやすいやろ?」 「あー、そっか」 一真の説明を聞いてやっと理解ができた。どうしてヴォーカルが全曲の詞を書くバンドがいるのか。 「自然と心に入ってくる歌ってのは、ヴォーカルがしっかり伝えたいことを歌ってる歌や」 「そっか・・・」 やっと分かった。歌を聞いて、胸を締め付けられるくらい苦しくなる想いも、涙を流すことも、時には嬉しくなることも、全部歌い手の想いがこもっているからだと。 「歌うんって・・・難しいんやね」 今更ながら現実を突きつけられたような気分になる。 「あんま難しく考えんな。まずは少しずつこなしていくこと考えな。技術的なこととかな。聞いてもらえるくらいの演奏やなかったら、ヴォーカル聞くどころやないで」 「そやね。がんばる」 「がんばれ」 言えなかった。あの詞は、亡くなった彼のことを思って書いたなんて。 奈月はシャワーを頭からかけた。まだ出てきそうな涙を洗い流す。 「ハァ・・・」 深い溜息が漏れる。こびりついて剥がれない優しい記憶。思い出すのはあの優しい笑顔。 何故彼が死ななきゃいけなかったのだろう。何で自分じゃなかったんだろう。今更どうにもならないことくらい分かってる。だけどそう思わずにはいられない。 鏡に写るあの頃より少し伸びた髪。これを切れるようになるまでどれくらいの時間が必要なんだろう? 『髪綺麗だから切るの勿体無くね?』 ふと沙紀の声が蘇る。そう言ってくれて、何だか少し嬉しかった。普段はまとめてるので、あまり言われない言葉だ。 『奈月』 ふと彼の声が聞こえる。 『あんま強がんなよ』 彼によく言われた言葉。 『あんまり無理すんなよ』 沙紀の言葉がダブる。 「みんな・・・心配性すぎや・・」 奈月はシャワーに打たれながら、また少し涙を流した。 翌朝。奈月は気持ちよく目覚めた。今日は遅出らしい一真はまだ寝ている。顔を洗い、支度を済ませると、奈月は兄のためにブランチを作り、自分用の朝ご飯を作った。ついでに弁当にも詰める。 食べ終わると、奈月は鏡の前で全身を整える。いつものように長い髪をポニテールで一つにまとめる。 「行って来ます」 誰にともなく呟くと、奈月は家を出た。 満員電車に乗り、学校へ向かう。その間に奈月は携帯を取り出し、メールを打った。相手は沙紀だ。昨日お礼を言おうと、あれから何度もメールを打とうとしたが、上手く文章にならなかったので諦めたのだ。 まず件名に『寝てたらごめん』と打ち込む。本文の編集画面を開いて、文字をしたためる。 『昨日はありがとう。少し泣いて楽になった。無意識にどこかで彼のことを無理に忘れようとしてたんかも。そんなん無理やって自分でも分かってるのにね。ホンマは誰かに言いたかった。けど言えんくて。言うのが辛くて、そんな勇気がなくて、自分でどうにかしようって思ってたんかも。これからは沙紀くんが言ったように無理しないようにします。 そうそう。あれから詞書いてみた。四行くらいの短いヤツなんやけど、お兄ちゃんに見られた(ーー;)けど、結構いいって褒められた(笑)これからメロつけてみるね。アドバイスありがとう<(_ _)> 奈月』 打ち終わりメールを送信すると、ちょうど学校がある駅に着いた。人の流れに乗って何とかホームに降りる。いつもと変わらない朝に、奈月は何故か心が弾んでいた。 駅を降りると同じ制服を来た生徒たちが吸い込まれるように学校へ向かっている。学校に近づくほど、その数は増えていく。 「なっつきちゃん!」 突然元気な声がした。見るとやはり武人がいた。 「おはよー」 「おはよ。大丈夫?元気なった?」 挨拶すると、武人が心配そうに聞いた。 「うん。もうすっかり元気やで。昨日一日安静にしとったから」 「ならよかった」 武人はホッとした顔をした。本気で心配してくれていたのだと気づき、嬉しくなる。 「武ちゃん、ありがとね」 「ん?」 何故お礼を言われたのか分からない武人は首を傾げた。 「心配してくれてありがとう。それに・・・保健室まで運んでくれたんも」 「あぁ。全然気にしなくていいよ。おいら力だけは自信あるから」 そう言って武人は力こぶを作ってみせる。 「それに奈月ちゃん軽かったし。ちゃんと飯食ってる?」 「食べよるよ。それに普通に体重あるで?」 「そなの?」 武人は目を瞠った。 「武ちゃんの力が強くなったんちゃう?」 「あー、そうかも」 武人があまりにあっさり認めるので、奈月は笑った。 「おはよー」 教室に入ると、クラスメートがどっと押し寄せた。 「大丈夫なの?」 「元気なった?」 矢継ぎ早に質問される。こんなに全員が心配してくれるなんて思ってもみなかった奈月は驚いたが、何とか返事をする。 「うん。大丈夫やって。昨日一日休んだら、元気なった」 「そっかー。よかったー」 全員がホッとして、それぞれ席についた。 「まるでアイドルかお姫様だな」 クククと意地悪く笑う声が聞こえる。 「あきら。おはよ」 「はよ。昨日は大変だったんだよ?お姫様が珍しく休んでるから」 「何で?」 あきらの言葉の意味が分からず、奈月は怪訝そうな顔をした。大体いつから姫になったのか皆目検討もつかない。 「ほらー。奈月、副委員長じゃん?それにちょこまか先生に言われた仕事こなしたり、クラスのこともやってたっしょ。宿題忘れたヤツにノート見せたりさ」 「うん」 奈月はいつもの学校生活を思い出し、頷いた。 「先生の頼まれ事は秀がやってたけど、ノート見せる人なんていないしさ」 ケラケラと笑う。あきらも頭がいいので、彼女が見せればいいと思うが、意地悪して見せてくれないのはクラス全員分かっている。秀一もそういう面は厳しい。それで結局何だかんだで面倒見がいい奈月をみんなは頼っているのだ。 「なるほどね」 奈月は思わず苦笑した。別にノートを見せるために学校に来てる訳じゃないのに。 「でもま、冗談は置いといてさ。奈月が倒れたって聞いてみんな心配してたよ」 「そうなん?」 冗談だったのかと心の中で毒づく。それより本当に心配してくれていたことが嬉しい。 「だって奈月のイメージっつったら、元気じゃん?それがいきなり倒れたら、みんなびっくりするっしょ」 「そっか。心配かけちゃったね」 「まぁ今日元気になって来てくれたからいいって。昨日は武がウザかったし」 「そうなん?」 何だか二人の漫才が想像できる。 「ずっと『奈月ちゃーん』って呟いてるんだもん。キモイって」 それはやはり昼休みの出来事なのだろう。 「ウザいからメールでも送れって言ったら、ホントに送ってたみたいだけど」 「うん。メール来てた」 奈月が笑いながら返事すると、あきらは溜息をついた。 「やっぱり。見舞い行くって言うから、止めた」 「うん。メールに書いてた。それにさっき武ちゃんに会ったし」 「そりゃよかった。」 あきらがホッとしていた。 「何で?」 「昼休みのウザさが半減してるだろ」 あきらの毒に奈月は苦笑いを浮かべた。 昼休み。やはり同じメンバーで屋上へ上る。あきらは武人が通常通りのテンションだと分かり、かなりホッとしていた。昨日どれだけウザかったんだろうと奈月は思った。 「奈月ちゃん復帰祝いー」 武人は四人分のジュースを持っていた。弁当の横に一つずつ置いていく。 「気が利くじゃねぇか」 珍しくあきらが褒めた。 「ありがとう」 奈月にお礼を言われ、武人は上機嫌になった。早速缶を取り上げ、プルタブを開ける。 「んじゃ、奈月ちゃんの復帰を祝いましてー」 乾杯の音頭だと気づいた三人も蓋を開け、ジュースを掲げた。 「かんぱーい!」 缶同士の鈍い音が響く。それぞれが一口飲む。 「ぷはー」 武人はまるでビールのCMのように豪快な飲みっぷりを見せる。 「ビールかよ」 あきらがツッコむが、本人は気にしていないようだ。 「いやぁ、ホント奈月ちゃんが元気になってよかったー」 「ご心配かけました」 奈月が頭を下げる。 「まぁたまにはゆっくり休めてよかったんじゃない?忙しそうだったし」 秀一は自分の弁当を開けながら言った。 「うん。久しぶりにめっちゃ寝た気ぃする」 「やっぱ疲れ溜まってたんだな。課題やって家事やってバイトしてバンドだもんな」 あきらが呆れたように溜息を吐いた。奈月は思わず苦笑した。 「あ、そうだ。曲だけど、ちょっとだけできたよ」 あきらの【バンド】発言で思い出したらしい秀一が報告する。 「マジで?」 「どんなん?」 武人と奈月はもちろんすぐに乗る。 「どんなのかって聞かれても困るけど・・・。まぁ今度の練習までにある程度作っていくよ」 「楽しみや」 ようやく自分たちで動き始めたような気がする。 「あ、うちもできそうな気ぃする」 「おお!マジで?」 武人が興奮する。奈月は頷いた。 「メロがなかなか浮かばんくて、沙紀くんにどうやったらいいか聞いたら・・・」 「沙紀くん?」 初めて出てくる人名に秀一が首を傾げる。 「あー、武ちゃんの幼馴染で、うちのバイト先の先輩」 奈月の説明に秀一は「なるほど」と納得する。 「え?沙紀、教えてくれた?」 武人が怪訝そうな顔をしてる。 「うん。教えてくれたよ」 「何て?」 「メロディが浮かばんのやったら、短い詞書いてみ?って」 奈月がそう言うと、武人がワナワナと震え始める。 「あのやろ・・・」 「どしたん?」 「あいつ俺が聞いた時まともに答えてくれんかったくせにぃ!奈月ちゃんにはちゃんと教えるのかよ!」 「え?そうなん?」 奈月は驚いた。そんな意地悪を沙紀がするとは思えない。まぁたまに意地悪はされるが。 「大方お前が真面目に聞いてなかったんだろ」 あきらが冷たくツッコむ。沙紀はもちろんあきらの幼馴染でもあるので、良く知っているのだろう。 「んなことねーよ。ちゃんと真面目に聞いたって」 「何て聞いたん?」 武人が反論するので、奈月は聞いてみることにした。 「曲の作り方教えてって」 「で。沙紀は何て?」 今度はあきらが尋ねる。 「『そんなん自分で考えろ』って・・・」 武人の言葉に奈月もあきらも溜息を吐いた。あきらが敢えて訊く。 「その前に何か言われたろ」 そう訊かれ、武人は記憶をひっくり返した。 「んーっと。『お前何か作ろうとしたのか』って訊かれて。『ううん』って答えた」 「「それ」」 あきらと奈月が同時に武人を指差した。 「え?え?」 武人は訳が分からず、二人の顔を交互に見やった。 「沙紀は自分で努力しないヤツ嫌いなんだよな」 「考えて分からん時にはアドバイスくれるけど」 あきらと奈月が交互に言った。すると横で聞いていた秀一がプッと笑った。 「何がおかしいんだよ」 武人がムッとする。 「いや。武の幼馴染なのに、付き合い浅いはずの奈月のがよく知ってるなぁと思って」 「う・・・」 「武はバカだからな」 あきらがケケケと意地悪く笑う。 「バカって言うな!」 「事実だろ」 「まぁまぁ」 言い合いになりそうなので、奈月がストップをかける。 「武ちゃんはどんなジャンルがええの?」 奈月が話題転換をする。 「やっぱロックかな」 「だよな」 武人の言葉に秀一が賛同する。 「ロック中心でいろんなジャンルやりたいってのが本音だけどな」 秀一が言葉を付け足すと、奈月と武人が大きく頷く。 「アレンジの仕方も勉強せんとなぁ」 奈月が呟くと、やはり二人が頷く。 「いいね。だいぶバンドらしくなってきたじゃん」 あきらの言葉に三人は笑顔で頷いた。 その日の帰り道。奈月は楽器屋に寄った。今日はシフトは入っていないが、昨日休んでしまったので、一応挨拶しておこうと思ったのだった。 「お疲れ様でーす」 「あれ?奈月ちゃん。もう大丈夫なの?」 店に入ると、誠一がいた。 「あ、はい。すいません。昨日休んじゃって」 奈月は頭を下げた。 「いやいや。気にしないで。沙紀に聞いたよ。倒れたんだって?」 「あー、はい」 どうやら事情は沙紀が全部説明してくれたようだ。 「ダメだよ。無理しちゃ。しんどい時は休んだっていいんだからね」 「はい」 誠一の言葉に素直に返事する。 「お。奈月姫だ」 頭上で声がしたと思ったら、背後から腕が伸びてくる。 「あ。貴司さん。お久しぶりです」 相変わらずな登場の仕方に、奈月も妙に慣れてしまっている。 「いや、奈月ちゃん。普通に受け入れちゃダメだよ」 誠一が頭を抱える。 「貴司ずるーい!」 割って入って来るのは晋平だ。この二大女好きが一緒にいるなんてかなり珍しい気がする。 「ずるくねぇ」 貴司は晋平から奈月を遠ざける。まるでおもちゃだ。二人が言い合いしているのを無視して、奈月は誠一に話しかける。 「あの・・・沙紀くんって今日シフト入ってましたっけ?」 「ん?沙紀?あー、残念」 もう帰った後なのだろうか。 「と言いたいところだけど、ナイスタイミング」 誠一がそう言った瞬間、店のドアが開く。 「ちーっす」 奈月が振り返ると、沙紀が店に入ってきた。 「あれ?お前今日入ってないだろ?」 貴司の腕の中に入る奈月を見つけた沙紀が声をかける。 「うん。挨拶しとこうと思って」 「あー、なるほど」 「昨日ありがとね。お兄ちゃんもすごい喜んでた」 夕飯のことだと気づき、沙紀は「おう」と返事をした。 「あ、メールさっき読んだ。返信する手間省けたな」 沙紀の言葉に奈月は笑った。ふと視線に気づく。 「昨日?」 「メール?」 「何があったんだい?君たち」 三人が興味津々に二人を見た。 「何って・・・別に何も」 沙紀は説明するのがめんどくさいのか、言葉を濁した。 「えー。怪しいなぁ」 晋平が睨む。 「いつの間にできてたのさ」 誠一が変な方向へ持って行こうとする。 「飯作って持ってっただけです」 これ以上言わせておくと勝手に話を作り始めるので、沙紀が物凄く省略して説明した。 「へー。意外と優しいんだね」 「意外とって何っすか」 貴司の棘のある言い方に思わずツッコむ。 「何もされんかったか?」 貴司が腕の中に入る奈月に問いかける。まるで親父のような心配の仕方だ。 「何もされませんって」 「お前が言うか」 誠一が貴司のおでこにチョップを食らわす。それがもろに入ったのか、貴司は奈月から離れ悶絶した。呆れた沙紀はロッカールームに向かおうと体の向きを変える。それに気づき、奈月は慌てて呼び止める。 「あ、沙紀くん。ちょっとかまん?」 「ん?ああ」 沙紀と一緒に奈月もロッカールームへと入って行った。 「怪しいな、あの二人」 晋平が後をつけようとするが、誠一に首根っこを掴まれる。 「いくら怪しいからって盗み聞きはよくないぞ」 誠一のいつになく満面の笑顔が妙に恐ろしい。 「そ、そうですね」 「お前も」 密かに行こうとした貴司も誠一に捕まる。 「あいつらは俺んとこの大事なバイトなんだから」 「へい」 観念した貴司は大人しく店内に留まった。 |