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ACT.10 【bridge】
奈月は沙紀の後について、ロッカールームに入った。「で?どした?」 沙紀の方から尋ねる。沙紀は自分のロッカーに荷物を詰め、エプロンを取り出す。 「昨日ね、あれから色々考えたんよ」 「何を?」 沙紀に聞かれ、奈月は言葉を濁す。 「ホンマに色々」 奈月は俯いていた顔を上げた。 「それでね、会わせて欲しいんよね。妹さんに」 「妹に?」 奈月の突然の申し出に沙紀は驚いた。奈月に向き直る。 「何で妹に?」 「友達になりたいんよ」 「友達?」 奈月の言う意味が理解できず、聞き返す。 「妹さん、病院でずっとおるんやろ?」 「うん。まぁ、そうだけど」 沙紀は頷いた。 「病院にずっとおるんって結構退屈やと思うんよね。お節介やとは思うけど」 「何でそこまで?」 そう尋ねると、奈月は下を向いた。 「ごめん。自分のため、かもしれん」 「どういうこと?」 沙紀は首を傾げた。 「彼と状況が似とるから、かな」 奈月は俯いたまま、言葉を続けた。 「彼にしてあげられんかったことを、彼女にしたいんかも」 沙紀は昨日の話を思い出した。確か、妹と同じ心臓の病気を持っていた彼を亡くした。 「いいよ。妹に会わせても」 沙紀の言葉に奈月は顔を上げた。 「ホンマに?」 「ああ。真紀・・・妹だって同じ歳くらいの友達欲しいだろうしな」 「真紀ちゃんって言うんや」 沙紀は頷き、人差し指を出した。 「だけど一つ条件がある」 「条件?」 「真紀を興奮させないこと。それだけで心臓に負担がかかるらしいんだ」 「うん。もちろん。ありがとう」 奈月はようやく笑顔を見せた。 「で、いつがいいんだ?」 「へ?」 沙紀の突然の問いにマヌケに返事する。 「病院行くの、いつがいいんだ?」 「えっと・・・うちはいつでも大丈夫やで。バイト、ここしか入ってへんし。沙紀くんの都合のええ日で」 「分かった。またメールでもするよ」 「待ってる」 奈月は嬉しそうに笑った。 店の方へ戻ると、客が来ていた。客は誠一の知り合いらしく、親しげに話していた。 「「いらっしゃいませ」」 沙紀と奈月がハモると、気づいた客がこちらを見る。四人いるうちの一人が奈月を見て叫んだ。 「見つけた!」 「え?」 突然のことに奈月を始め、全員驚いた。 「あのっ!LUCKY STRIKEのライブでゲストで歌ってましたよねっ?」 物凄い勢いで質問され、奈月は圧倒されながらも頷いた。 「あ、はい」 「うわ。マジで見つけた!」 後ろで連れらしい客が叫んだ。質問してきた男は、奈月を見つめて感動していた。 「うわぁ・・・こんな近くにいたんだぁ・・・」 「てか誠一さん、知ってて黙ってましたね?」 客の中で背の高い男が言った。 「チッ。バレたか」 誠一が舌打ちをする。 「何で黙ってたんですか?」 「うちのお姫様だからねぇ。そんな簡単に教えてやるもんか」 「何ですか、それ」 誠一の答えに呆れる。 「おい、ヤス。お前手ぇ出したら殺すぞ」 突然貴司が脅しをかけた。しかし当の本人は聞いちゃいない。 「うわぁ・・近くで見てもかわいい・・・」 「奈月、そいつが襲ってきたら蹴り入れていいぞ」 隣で沙紀がアドバイスをした。 「え?け、蹴り?」 どうやら沙紀の知り合いでもあるらしい。 「沙紀、俺のが先輩ってこと忘れてるね?」 ヤス、と呼ばれた質問してきた男が沙紀を睨む。しかし沙紀は全然動じない。 「無視すなぁ!」 ヤスが叫ぶが、やはり無視する。 「お前、せっかく念願の人に会えたんだから、自己紹介ぐらいしたらどうだ?」 後ろから誠一にツッコまれ、ようやく気づく。 「そうだった」 ヤスは奈月に向き直った。 「初めまして。bridgeってバンドでヴォーカルやってる森泰仁って言います。皆からはヤスって呼ばれてるんで、ヤスって呼んでください」 奈月も一応自己紹介しておく。 「初めまして。黒川奈月です」 挨拶をすると、ヤスの顔の締りがなくなっていた。 「奈月ちゃんって言うんだぁ」 確かライブでも自己紹介したような気がするが、そこは敢えて触れないでおく。 「お前らも自己紹介しとけば?」 晋平に言われ、他のメンバーたちも挨拶をする。まず客の中で背の高めの男が奈月の近くにやってくる。 「初めまして。bridgeでベースをやっている坂本雄也です。こっちは弟でギターの義弘。あれがドラムの中村友和」 紹介されたメンバーたちが頭を下げたので、奈月も頭を軽く下げた。 「奈月ちゃん、いくつ?」 もうすっかり親しげに泰仁が話しかけてくる。 「十五です」 「高一?」 聞かれ頷くと、泰仁は義弘と友和を見やった。 「じゃあ、あいつらと同い年だ」 「あ、そうなんですか?」 「うんうん。・・・てかさ、奈月ちゃんって関西弁?」 急に泰仁がなぜか真剣に聞いてくる。 「あ、はい。大阪から出てきたばかりで、まだ抜けてなくて」 「やべー。関西弁に弱いんだよー。俺」 「知るか」 突然沙紀がツッコむ。 「あ、沙紀くーん。冷たいじゃんよ?ハッ。まさか沙紀も奈月ちゃん狙ってるとか?」 「アホらし」 沙紀は泰仁の思考回路に呆れた。 「でもよかった。あいつらに聞いても連絡先知らないって言われたし。半ば諦めてたんだ」 泰仁は奈月に向き直った。 「あいつらって?」 「誠人たちだよ。ライブ一緒にやるくらいだから知り合いなのかと思ったのに」 「あの日が初対面やったんですよ」 聞いているかもしれないが、一応説明をしておく。 「そう。それ聞いて余計びっくりしちゃってさ。初対面で初ライブで音合わせはライブ前だけだって聞いて。アレンジまでしたんだろ?」 「ええ。まぁ・・・」 「俺、あのライブ、マジで感動したんだ。あれからずっと君の事、探してた」 泰仁が急に真面目になり、奈月の手を取った。 「俺と付き合ってください!」 「へ?」 突然の告白に奈月が固まる。その瞬間、bridgeのメンバーに思い切りツッコまれた。まず雄也がペチッと後頭部を叩く。 「違うだろ!」 「見境なく告白するの止めてよ。恥ずかしい」 「ヤスは本能に素直過ぎるんだよ」 最後の友和の言葉はフォローのつもりなのか何なのかよく分からない。沙紀や誠一たちが思い切り呆れていた。bridgeの四人は真面目に奈月に向き合った。泰仁がコホンと咳払いをする。 「俺らとバンドやらない?」 「え?」 思わぬ言葉に奈月は再び固まった。 「もちろん、ヴォーカルとしてさ」 「え、いや、あの・・・」 奈月は頭が上手く回らず、どう言えばいいのか分からなかった。 「え?それで奈月ちゃん探してたの?」 誠一が突然会話に入ってくる。泰仁は頷いた。 「そうですよ。ヴォーカリストとしてすんげー才能持ってるんだもん」 「ヤスが惚れ込んじゃって・・・」 雄也の言葉でメンバーは巻き込まれただけだと気づく。 「奈月。はっきり言わないとしつこいぞ」 沙紀がアドバイスをくれた。奈月は意を決して頭を下げた。 「ごめんなさい!」 「え?」 思わぬ返事に今度は泰仁たちが固まった。 「あ、そっか。俺たちがどんな曲やってるかとか言ってないもんな」 泰仁が苦笑いを浮かべた。 「そうじゃないんです。あの・・・すごく素敵なお誘いなんですけど、実はもうバンド組んじゃってて・・・」 「え?マジで?」 友和が驚いて聞き返した。 「はい」 奈月は申し訳なさそうに頷く。フーっと後ろへ倒れる。それをメンバーが慌てて支えた。 「ウソ・・・だろ」 泰仁は壊れたように呟いた。腰が抜けたのか動けないようだ。 「とりあえず、休憩室にでも運べ」 誠一が雄也たちに指示を出した。店の中で邪魔になると思ったのだろう。雄也たちは泰仁の腕を肩にかけ、店の奥のロッカールーム兼休憩室に泰仁を運んだ。 泰仁は椅子に腰掛け、机に突っ伏した。 「相当ショック受けてるな」 貴司がまるで他人事のように言う。店の中で煙草を吸うなと誠一に怒られたので、休憩室で吸うつもりらしく、早速煙草に火をつけた。 「すいません」 何だか自分が悪いような気がして、奈月は謝った。 「別に奈月ちゃんが悪い訳じゃないから。悪いのはちゃんとリサーチしてなかったヤスなんだし」 義弘が奈月をフォローする。 「でも智広たちに聞いたんですよね?うちがバンド組んでるって言わんかったんですか?」 「まぁ俺たちもメンバーにしたいとかそういう話はしてないからね」 雄也が苦笑する。 「そっか・・・。あ、でも智広たちも意地悪ですね。うちの携帯分からんでも武ちゃんにでも連絡してくれたら、連絡取れたのに・・・」 「え?何で武?」 友和が聞き返した。どうやら武人のことも知っているようだった。 「同じ学校で、バンド仲間なんで・・・」 その台詞に泰仁がガバッと起き上がった。 「お。復活?」 貴司が笑う。泰仁が物凄い形相で奈月を見た。 「武と組んでるの!?」 「え?あ、はい」 そう返事すると、泰仁はまた落ち込んだ。 「武に先越されるとは・・・」 「あー、そういやライブで武に会ったじゃん」 雄也が思い出したらしい。 「そういや、そうだな」 義弘や友和が頷く。 「あのライブ自体、武ちゃんに誘われて行ったんで・・・」 奈月が付け足しておく。すると泰仁が更に落ち込んだ。 「でもヤスが惚れ込むなんて相当よかったんだな」 貴司は灰皿を引き寄せ、灰を落とした。泰仁がポツリポツリと言葉を発す。 「最初は女性ヴォーカルって聞いて、期待なんてしてなかったんっす。でも・・・アレンジしたあの曲を聞いて、マジで感動して・・・。演奏は拙かったけど、ヴォーカルだけで十分補えてて。すげーって本気で思って・・・」 「で、ヴォーカルにしたいって?」 晋平の問いにコクンと頷く。それを見て貴司は突っ込んだ質問をした。 「仮に奈月ちゃんがOKしたとして、ヤスはどうする気だったんだ?」 今のbridgeのヴォーカルは泰仁だ。 「ツインヴォーカルがダメならキーボードでもセカンドギターでも何でもする気でした」 泰仁の言葉に、本気度が伺える。 「相当惚れ込んでたって訳か。よかったな、奈月ちゃん」 「へ?」 貴司に突然話を振られ、マヌケな返事をしてしまう。 「ヤスの耳は結構確かで、特にヴォーカルには厳しいんだ」 「そうなんですか?」 「ヤスを惚れ込ませたって言うライブ、俺も見たかったなぁ」 晋平がぼやく。すると、泰仁の顔が急に明るくなった。 「すごかったんすよ![キミヲオモウ]をアレンジしてたんですけど、原曲の雰囲気を壊してなかったし、即興でやったなんて信じられない出来で!あんな切ないバラード聞いたの、初めてです!」 興奮した様子で話す泰仁に、奈月は胸が熱くなった。 「ありがとうございます。そんな風に言っていただけて、嬉しいです」 奈月はお辞儀をした。 「何であんな歌い方できるんだろうね?やっぱ、才能かな?」 泰仁の問いに、奈月は言葉を詰まらせた。 「それは・・・あの曲やったから・・・やと思います」 「[キミヲオモウ]だったから?」 確認するように言われ、奈月は頷いた。 「あの曲は、すごい思い入れある曲で・・・。正直、歌えるなんて思ってなくて。やけどやるって言うた以上、ちゃんとせなって思ってて・・・。でも、ステージ上がったら、そんなん全部吹っ飛んでしもて。ただうちの[キミヲオモウ]を歌おうって思って。ただそれだけで歌ってました」 「いいね。ヴォーカリストとして、大事なことだよ」 貴司が珍しく褒めた。 「バンド組んだのはいつ?」 不意に義弘に訊かれる。 「ライブの翌々日」 「編成は?」 今度は友和が尋ねる。 「三人で、ギターとドラム、うちがベースヴォーカル」 「ベースヴォーカル?!」 奈月の答えにbridgeメンバーが驚いた。 「すごいねぇ。多才なんだ」 「いえ、全然ど素人ですよ」 友和の感嘆を慌てて否定する。 「武ちゃんしかバンド経験なくて・・・。それにまだコピーやってるだけでオリジナルないし。まだまだですよ」 「コピーって何やってんの?」 今度は雄也に聞かれる。何だか妙に恥ずかしくなる。 「[キミヲオモウ]です・・・」 「え?そうなんだ」 意外だったのか雄也が驚いた。 「やっぱり思い入れがあるから?」 友和の問いに、奈月は少し唸った。 「ってか、ギターがsparkleのファンやったのと、sparkleの中では曲の構成が一番シンプルやったからかな」 「そっか」 奈月の答えに納得する。 「でも初心者にしちゃ難しいんじゃね?」 雄也の問いに奈月は苦笑しながら頷いた。 「一応簡単にアレンジしてるんで」 「なるほど。やっぱ奈月ちゃんがアレンジしてんの?」 雄也の質問に今度は首を振る。 「各パートで。自分ができそうなんは原曲のままやって、できないとこはどうにかするっていう」 「てか俺、奈月ちゃんの歌、聴いてみたい」 突然晋平が口走る。 「は?」 「あー、俺も聴きたい」 貴司が便乗する。すると、急に元気になった泰仁が立ち上がった。 「奈月ちゃん、歌って!!」 「ええ?」 突然歌ってと言われても歌えるものではない。 「歌いづらいだろ。普通に考えて」 雄也が冷静に言い放った。 「じゃあ、カラオケ行こ」 さも名案かのように意気揚々と義弘が提案した。 「それいいな」 「さんせーい!」 奈月の意思は完全無視で全員が立ち上がる。 「え?ちょっと・・・」 「姫の分くらいおごってやるから。来い」 貴司が奈月の手を引っ張った。 「えええ?」 「あ、先輩ずるいー」 泰仁が反対側の手を握る。そして奈月は連行される形で店へ出た。 「何事?」 店にいた誠一が異様な光景を目にして呟いた。沙紀も呆気に取られている。 「奈月ちゃんの歌声を聴きに、カラオケ行ってきまーす」 晋平が嬉しそうに説明した。 「なるほど。そういうわけか」 「誠一さん、助けて・・・」 「ごめん、俺には止められない」 奈月のSOSに誠一は謝った。 「沙紀く・・・」 「そいつらの気ぃ済んだら、解放してくれるよ」 「そんな・・・」 冷たい返しに泣きたくなってくる。 「「ご愁傷様」」 誠一と沙紀が示し合わせたかのように合掌する。 「うぅ・・・」 「奈月ちゃん、そいつらに襲われそうになったら殴るなり蹴るなりしていいからね」 誠一がアドバイスをくれるが、それはそれでどうなんだろうと思った。 「さー、行こう行こう」 晋平が奈月の背中を押し、一気に店が静まり返った。 「誠一さんも行って来ていいですよ」 沙紀が言うと、誠一は驚いた顔をした。 「え?」 「めちゃくちゃうずうずしてるじゃないですか」 「あ、分かった?」 顔に『行きたい』と書いてある。沙紀が頷くと、確認するように聞かれる。 「ホントにいいの?」 「いいっすよ。この時間、そんなに客来ないだろうし」 そう言うと、誠一の顔が明るくなる。 「悪いね。ありがと。んじゃ、行ってくるよ」 誠一はエプロンを外し、カウンターに置くと、さっさと店を出て行った。 「いってらっしゃい」 沙紀は誠一を見送りつつ、奈月に向かってもう一度合掌した。 その頃、一真たちはメンバー同士でライブの打ち合わせをしていた。 「黒ちゃん、携帯鳴っとるで」 悠一に指摘され、机の上に置きっぱなしになっている携帯電話を見ると、マナーモードで小刻みに震えながら机の上を移動をしていた。一真はそれを捕まえ、二つ折りの携帯電話を開けた。 「何?電話ちゃうん?」 話し始める訳でもない一真を見て、芳春が尋ねる。 「メール。奈月から」 そう言うと、衛が食いついてきた。 「何?『今日晩御飯作りすぎたから衛くんたち呼んで♪』とか?」 何かを期待しながら言うと、一真が笑った。 「その逆やな」 「逆?」 一真の言うことが分からず、首を傾げる。 「今日はご飯作れそうにないからどっかで食べて来いってさ」 「え?何で?バイト?」 意外なメールに全員が驚いた。悠一の質問に一真は首を振った。 「いんや。カラオケに連行されたんやってさ」 「カラオケ?また何で」 「詳しいことは書いてないけどさ。文面からしてそう簡単に帰れそうにないんやろ」 一真は早速メールの返信を打ち始めた。 「いいなぁ。カラオケ」 芳春が呟くと、衛が勢いよく立ち上がった。 「行くか!カラオケ!」 「アホかっ!お前は仕事せぇ!」 返信し終わった一真が怒鳴る。 「えー。ええやんかー。息抜きも必要やん?」 「お前はそうやっていつも息抜きしとるやろうがっ」 一真が怒りでワナワナと震え始める。その様子に気づいた周りが衛を制止する。 「そ、そうやって。黒ちゃんの言う通り。この仕事が片付いたら、カラオケでも何でも行こうで。な?」 悠一の言葉に、衛がうーんと唸る。 「分かった・・・。早く終わらせる」 衛が大人しくなったところで、芳春が気づく。 「あれ?そういや和は?」 そう言えばさっきから姿が見えない。 「・・・和、また逃げた?」 衛が呟くと、一真は持っていた缶コーヒーを握り潰した。 「あのやろぉ・・・」 怒りで一真が燃え上がる。 「お、俺探してくる!」 芳春が勢いよく立ち上がると、さっさと出て行った。和之は時々こうしてこっそり抜け出しては何処かへ姿を消すのだ。その度、まとめ役の一真が怒るが、全然堪えない。 「ったく・・・」 どいつもこいつも、と一真は煙草を取り出し一本銜える。 「ん」 ご機嫌取りなのか何なのか分からないが、衛が火をくれた。一真は素直にそれをもらう。 「奈月ちゃん、どう?」 「どうって?」 不意の衛の質問の真意が分からず聴き返す。 「友達とか、できたん?」 「あぁ・・・」 以前、奈月のことについてこの二人に相談していたことを思い出す。 「上手くやってるみたいやで。友達もできたみたいやし。もちろん女の子の友達も」 相変わらず会話に出てくるのは男友達の名前が多いが、ちらほらと聞く女の子の名前に一真は少なからず安心していた。 「そっか。よかったな。黒ちゃん」 思わぬ衛の言葉に一真は驚いた。 「え?」 「すごい心配してたやん?奈月ちゃんのこと」 「まぁ、そうやけど」 「これで心置きなく俺らの心配できるね!」 「・・・」 意味不明な上、まったく反省のない衛に対し、一真の中の何かがブチッと音を立てて切れた。 「てめぇはよぉ!!反省って言葉ねぇのかっ!」 一真は衛の顔面を掴み、アイアンクローを食らわせた。 「痛い!!!ちょ、マジで痛い!」 衛がもがくが容赦ない。 「まぁまぁ」 悠一が間を割って入ると、一真は手を離した。 「ヒドイよ。黒ちゃん。冗談なのに」 「冗談?今のが?」 衛がいじけて言うと、一真の冷たい視線が刺さる。あまりの冷たい視線に衛は震えた。 「もっとまともなことを言え。お前が言うと洒落にならん」 そう言うとプイッと横を向いた。 「大体仕事詰まってんのに、カラオケ行きたいだのほざいたり、断りもなくどっか消えたりするようなメンバーしかいないようじゃ、この先どうなるか分からんな」 「うっ」 それは嫌味じゃなく、事実だ。渦巻いている不安が爆発しそうになる。 「黒ちゃん、大丈夫やって」 悠一がポンッと肩を叩く。 「今までどうにかこうにかやって来たやん。ちょっとマイペース過ぎるヤツらが多すぎるけど。でもちゃんと今までやって来れたことには変わりない。これからやって大丈夫やって。俺らはそんなやわな絆ちゃうやろ?」 「悠一・・・」 悠一の言葉に救われる。確かにバカやってることの方が多いが、決めるところはちゃんと決めてくれる。そんな信頼がある。 「そうやな」 一真は悩んでいたことがバカらしく思えてきた。 「なぁ。腹減ったー。どっか食べにいこー」 衛が緊張感なく、発言する。 「・・・今の撤回してええか?」 「・・・ええよ」 悠一と一真は頭を抱えた。 その日、奈月が解放されたのは夜十時を過ぎていた。もちろん家まで誠一がきちんと送り届けてくれたのだが、何だか疲れた。(貴司、晋平、泰仁は逆に危ないと全員で制止にかかり、家が一番近い誠一が送ることになったのだ。) 「はぁ・・・」 変な溜息を漏らしながら、家に入る。家の中は真っ暗だった。まだ一真は帰っていないのだろう。奈月は自分の部屋に戻り、着替えを取り、そのまま浴室へと向かう。 カラオケでは一番に奈月が歌わされ、何だかんだで勝手に曲を入れられ、ほとんど歌った。歌うのは好きなので構わないのだが、最終的には順番など関係なくなり、歌いたい曲を入れていた。 「結局自分たちが歌いたいだけなんやん」 もちろん奈月の歌声を聴くのが今回の目的だったのだが、それが果たされ満足した瞬間、そうなった。もちろんずっと歌えるはずもないので、それはそれで全く構わないのだが、それならそれで早く解放して欲しかった。 「あー・・・課題あるんやった」 シャワーを浴びてる最中に嫌なことを思い出す。予定が完全に狂ったので、仕方のないことなのだが、今日は早く帰る予定だったのにと溜息が漏れる。 奈月は早めにシャワーを済ませると、とっとと着替え、課題をやることにした。 着替えて部屋に戻ろうとしたとき、リビングの電気が付いているのが見えた。奈月は自室に制服を置き、リビングに向かう。 「おかえりー」 リビングを開け、そう言うとソファに座っていた一真がこちらを向いた。 「おう。奈月、いつ帰ってきたん?」 「三十分くらい前かな?お兄ちゃんは?」 奈月は時計を確認しながら答えた。 「俺は五分くらい前。帰ってなかったら迎えに行くとこやった」 「それは勘弁してや」 一真が迎えに来ては、あの面子のことだからすぐバレてしまう。 「まぁそれは半分冗談として」 「半分本気なんや」 思わず即ツッコミを入れてしまう。 「お前、一応女の子なんやから、もっと気をつけなって」 「一応って何よ・・・。ごめんな。心配かけて。でも今日やって誠一さんが送ってくれたし。いつもバイト終わりは沙紀くんが送ってくれるから大丈夫やで」 沙紀とは話したことがあるので、何となく信頼はしているが、誠一は奈月の話の中でしか聞いたことがない。しかし奈月の口調からして信頼に値する人物のようだし、一人一人会う訳にもいかないので、信じるしかない。 「お兄ちゃん、もっと信用してよ。ね?」 奈月に言われ、一真は苦笑した。 「そやな」 「あ、課題!」 唐突に思い出す。 「ごめん。課題せなあかんから、部屋戻る」 「おう。がんばれ」 「うん」 奈月は一旦キッチンへ入り飲み物を取って出て行った。 「信用・・・か」 奈月は鞄から課題を取り出すと机に広げた。 「そうや。携帯」 一応部屋に時計はあるのだが、携帯電話の方が見やすい。奈月は制服のポケットから携帯電話を取り出した。その瞬間、ブルッと携帯が震えた。 「うわっ」 余りに突然だったので、驚いた。着信を見ると電話で、沙紀からだった。 「もしもし?」 『おう。無事解放されたか?』 含み笑いをしている沙紀の顔が浮かぶ。他人事だと思って・・・。 「お蔭様で」 口角が引きつる感じで精一杯嫌味に言い返すが、沙紀は全く動じない。 『日曜って空いてる?』 唐突にスケジュールを聞かれ、一瞬何のことが分からなかったがすぐに沙紀の妹との面会だと気づく。 「あー、うん。午前中なら。午後はバンド練習やから」 『そっか。じゃあ朝行くか?』 早くも実現することに一種の緊張を覚える。 「うん。ごめんね。無茶言うて」 『気にするな。俺も見舞いに行くついでだ』 沙紀の言葉にホッとする。 『後はまたバイトん時にでも』 「うん。ありがとね、わざわざ」 『お礼言われるほどのことじゃねぇよ。んじゃ、おやすみ』 「おやすみー」 電話を切り、携帯を閉じる。ふと目に留まった携帯電話の時計は十一時を回っていた。 「げ。ヤバッ。課題!」 奈月は急いで机に放り出してある課題に手を付けた。 「え?ヤッさんに会った?」 翌日の昼休み、昨日の出来事を報告していると武人が反応した。 「うん。てかbridgeのメンバー」 そう言うと、武人は奈月に詰め寄った。 「何もされなかった?」 泰仁はなぜ皆にこんな扱いをされるんだろう?とふと思う。 「何もされてないって。あ・・・」 「何?やっぱ何かされた?」 武人はもう一度奈月に詰め寄った。 「そうやなくて。『バンド、一緒にやろう?』って誘われた」 「「え?」」 奈月の言葉に武人だけではなく、秀一とあきらも驚いた。 「もちろん断ったよ。けど、びっくりした」 「・・・何だ・・・マジだったんだ」 武人が呟く。 「マジだったって?」 あきらが問う。 「奈月ちゃんが出たライブで俺らも会ったんだよ。ヤッさんたちに。そん時からヤッさん、奈月ちゃんのこと気に入ってたみたいでさ。奈月ちゃんにバンド入ってもらいたいって言ってたんだ」 「へー。惚れられたか」 あきらがニヤニヤと奈月を見た。奈月は苦笑して返す。 「まぁ俺もその時同じこと考えてたんだけどね」 武人がニヤッと笑う。 「え?同じこと?」 「俺も奈月ちゃんヴォーカルでバンドやりたいって」 「何だ。武も思ってたんだ」 秀一が笑う。バンドを組もうと誘ってきたのは秀一だが、武人が即答したのは秀一と同じ考えだったからだと気づく。 「すごいな。奈月、モテまくりじゃん」 あきらが肘で小突く。 「意味違うと思う」 「似たようなもんじゃない?」 奈月の否定に秀一がツッコむ。 「でもヤッさん、奈月ちゃん入れて自分はどうする気だったんだろ?」 武人が素朴な疑問を呟く。 「ツインヴォーカルでもキーボードでもセカンドギターでもやるつもりやったって・・・」 「ぶっ」 奈月の答えに武人が飲んでいたお茶を噴出した。 「きったねぇな!」 あきらに怒られる。奈月は武人にハンカチを差し出した。 「ありがと」 「何か変なこと言うた?」 奈月は武人がなぜ噴出したのか分からず、訊いてみた。すると武人はハンカチで口の周りを拭きながら逆に尋ねた。 「いや、あのさ。誰もツッコまなかった?」 「うん。ツッコまんかったけど」 その返答に武人は溜息を漏らした。 「ツインヴォーカルは分かるけどさ。ヤッさん、楽器何もできないんだよ」 「え?そうなん?」 初耳だった。そんなこと、誰一人も言わなかった。 「まぁ本当にやるとしたら、一からちゃんと勉強してやろうとしてたんだろうけどさ。あのめんどくさがりのヤッさんがやるとは思えない」 武人は苦笑した。 「そうなんや」 でも何となく想像できる。昨日半日しか一緒に居なかったが何だかそんな感じだ。 「bridgeは元々バンドやってたヤッさんと雄也さんが作ったんだけど、前のバンド組んだのもヤッさんなんだ。バンドやりたいってヤッさんが声かけてさ。楽器できるヤツだけ集めて、自分はちゃっかりヴォーカルになったって訳」 「楽器できないから?」 秀一が念のために聞くと、武人は頷いた。 「『俺はヴォーカルだっ』って言い張ってね」 「ヤスくんらしいかも」 奈月が笑う。泰仁は結構我を通すタイプだと思う。 「で、奈月は何て断ったんだ?バンド組んでるって言った?」 あきらが尋ねる。奈月は頷いた。 「うん。武ちゃんと組んでるって言ったら、すごい悔しがってた」 「あー・・・謎解けた」 武人は頭を抱え、溜息をついた。 「何?謎って」 不思議に思い、秀一が尋ねる。 「昨日『武のバカッ!』って一言だけのメールが来たんだよ。意味不明だから放置してたんだけど、そういうことだったんだって今分かった」 「子供だな」 あきらが淡々と言う。 「子供だよ。俺より子供だよ」 「武に言われたら終わりだな」 「あきらさん、ヒドイッ」 「事実」 二人の掛け合いに、秀一と奈月は笑った。 日曜日。奈月は沙紀と約束していた十時に一階に下りた。マンションを出ると、既に沙紀がバイクに乗って待っていた。奈月に気づくと、ヘルメットのフェイスガードを開けた。 「おはよ」 「はよ」 奈月が挨拶すると、沙紀も挨拶してくれた。奈月は手に持っていた自分用のヘルメットをかぶった。 「今日はお願いします」 「こちらこそ」 他人行儀な挨拶をして、沙紀の後ろに乗る。 「ちゃんと掴まっとけよ」 「はーい」 奈月は沙紀の体に腕を絡ませた。それを確認して、沙紀はバイクを走らせた。 病院は武人が住んでいるK町にある。この病院の院長は沙紀の父親である。 「思ったよりでかいな・・・」 病院を見た瞬間、思わず奈月が呟いた。 「こっちだ」 聞こえてなかったらしい沙紀は、さっさと歩いて行く。奈月は慌てて追いかけた。 病院は新設なのか、かなり綺麗だった。こんなに大きい規模の病院の院長の息子なのだから、沙紀は相当お坊ちゃまということになる。しかし失礼ながらそんなこと、微塵も感じなかった。それが家を出ているからなのか、沙紀の元々の性格のせいなのかは分からない。 沙紀について病院に入り、エレベーターに乗って病室へ向かう。 その間、沙紀は無言だった。心なしか険しい表情をしている。それがなぜなのか、奈月にはよく分からなかった。 病室の前に来ると、沙紀がドアをノックした。病室の名前を見ると、『梶原真紀』と一人の名前しか書いていなかった。個室らしい。 「どうぞ」 部屋の中からかわいらしい声が返ってくる。沙紀がドアを開き入って行く。 「よう」 「お兄ちゃん、いらっしゃい」 奈月も沙紀の後について入ると、真紀は早速気づいた。 「あれ?お客さん?」 「あぁ。俺のバイト先の後輩の黒川奈月さんだ」 沙紀に紹介され、奈月は頭を下げた。 「わぁ。お兄ちゃんが女の子連れてくるなんて初めてじゃない?」 「ほっとけ」 真紀は明るく笑った。 「いらっしゃいませ。沙紀の妹の真紀です。兄がいつもお世話になってます」 真紀は奈月に向かって頭を下げた。 「初めまして。黒川奈月です。急にごめんね」 「ううん。何もないとこだけど、ゆっくりしてってね」 真紀は沙紀と違って明るく人懐こい性格のようだ。 「でもホント珍しいね。お兄ちゃんが女の子連れてくるなんて」 真紀はもう一度沙紀に振った。 「あ、うちが紹介してって言うたんよ。真紀ちゃんの話聞いて、友達になれたらなぁって」 奈月が慌てて説明すると、真紀が嬉しそうに笑った。 「そうだったんだ。でも嬉しい。あたし、ずっとここにいるから、退屈で」 真紀の笑顔が『彼』とかぶる。 「俺、花の水替えてくる」 沙紀はそう言って、花瓶を持って出て行った。それを確認すると、真紀は急に真面目な顔になった。 「奈月ちゃんってお兄ちゃんと付き合ってるの?」 その質問に虚を衝かれる。 「まさか。沙紀くんとはバイトが一緒なだけやって」 「そうなの?なーんだ。つまんないの」 真紀は思惑が外れて、がっかりした。 「てか奈月ちゃんって関西の人?」 「うん。春に大阪から出てきたんよ」 「そうだったんだ」 訛りが気になったらしい真紀はやっぱりと言う風に笑った。 「奈月ちゃんは高校生?」 「うん。一年だよ」 「じゃああたしの一個先輩なんだね」 「中三なんや?」 「本当ならね」 真紀の笑顔が悲しく見えた。またしても『彼』とかぶって見える。 「あたし、学校は行った事ないんだ。院内学級だけ」 「ごめん」 何だか謝ってしまう。 「謝らなくていいよ。学校はどんな感じ?楽しい?」 真紀に聞かれ、奈月は正直に答えることにした。それが今自分にできることだ。 「うん。楽しいよ。武ちゃんと同じ学校なんよ」 そう言うと、真紀はさっきとは逆に明るく笑った。 「そうなの?すごい、それだけで楽しそう」 それは否定はしない。奈月は武人とバンドを組んだことも話した。 「奈月ちゃんがベースヴォーカル?すごいね!」 真紀が感心しているところに沙紀が帰ってくる。 「楽しそうだな」 二人の会話が盛り上がっているのを見て、沙紀は少し笑った。 (あんな風にも笑うんや) 何だか意外な笑顔に奈月は驚いた。音楽の話をしているときとは違う笑い方。柔らかい、暖かい笑顔。それはやはり真紀を大切に思っているからだと気づく。 真紀が沙紀に今話していたことを簡単に説明し終わると、奈月に向き直る。 「あ、じゃあそれ、ベース?」 真紀は奈月が持っていた楽器を指差す。実は午後から武人の家で練習があるので、ついでに持ってきたのだった。 「うん。午後から武ちゃんちで練習するから、ついでに持ってきたんよ」 「そうなんだ。お兄ちゃんもベーシストだしね」 「何の関係があるんだ」 真紀の含みのある言い方に、沙紀がツッコむ。真紀は答えず、奈月にウインクする。どうしても付き合せたいらしい。それに気づいた奈月は曖昧に笑った。 真紀にあまり負担をかけないよう、一時間半ほどで病室を後にした。病室を出る頃には奈月は真紀とすっかり仲良くなっていた。女の子を苦手に思っていた奈月にとっては、それは意外な展開だった。真紀が人見知りをしないのが一番大きいとは思うが、帰り際に「また来てね」と言われた奈月は笑顔で「もちろん」と頷いた。 「武んとこ行く前に飯食うだろ?」 駐輪場に行く途中、沙紀に聞かれた。 「あ、そっか。お昼やね」 時計を見ると十一時四十分だった。 「何食いたい?」 「何でもええよ」 「何でもが一番困るんだよな」 沙紀が溜息をつく。 「んじゃ、知ってるヤツんとこ行くか」 駐輪場に着いた沙紀はヘルメットを奈月に渡した。 「知ってるヤツって?」 「まぁ着いてのお楽しみってことで」 沙紀はヘルメットを被り、バイクにまたがった。奈月もヘルメットを被り、沙紀の後ろに乗り込んだ。奈月が沙紀の体に腕を絡ませると、沙紀はエンジンをかけ、走らせた。 着いたのは、定食屋だった。 「ここ?」 「そう。ここ」 沙紀はバイクを置くと、さっさと店に入って行った。奈月も入る。 「いらっしゃい」 出迎えたのは何と、智広だった。沙紀の後ろから入った奈月を見て驚いている。 「あれ?珍しい組み合わせ」 「そうか?」 沙紀はそう言いながら、さっさと席に着いた。奈月と智広も沙紀について移動する。 「智広のバイト先?」 「そだよ。まぁ正確には俺んち」 「ええ!そうなん?」 ちょっと意外だった。 「そんな驚かなくても。ベース持ってるってことは、これから練習?」 智広は水を沙紀と奈月の前に置いた。 「うん。そう」 「にしても何で二人が?」 智広は奈月のバイト先を知っているので、奈月と沙紀の関係は知っているが、まさか一緒に来るとは思わなかったのだろう。 「あ、真紀ちゃんのお見舞いに」 「そうなんだ。かわいいだろ、真紀ちゃん」 「うん。人懐っこいって言うか、フレンドリーやんね」 「お兄ちゃんに似てないよねぇ」 「悪かったな」 智広があまりにしみじみと言うので、沙紀がムスっとした。 「あはは。で、何にする?」 智広は笑って見事にスルーした。 「日替わり」 「じゃあうちも」 「了解。日替わり二つー」 智広は注文を取ると、奥に向かって叫びながら、他のお客の接客に回った。 「十二時過ぎたら面白いもん見れるぞ」 沙紀が耳打ちする。 「面白いもん?」 「見てたら分かる」 沙紀はそれだけ言った。奈月は首を傾げながら、店の時計を見た。十二時まであと十分。 十二時を過ぎると、じわじわと客が増えてきた。お昼時だから当たり前なのだが、その客層を見て驚いた。 「若い女の人ばっか・・・」 奈月が呟くと、沙紀がニヤっと笑う。 「全員智広目当て」 「そうなん?」 沙紀はコクンと頷いた。心なしか女性客の智広を見る目がハートに見える。 「あいつ、顔よくて人当たりもいいからおモテになるんですよ」 「沙紀くんも人のこと言えんやろ」 楽器屋で沙紀と店番をしていると、必ずと言っていいほど女性客が現れる。沙紀の変動するシフトをどうやって嗅ぎ付けているのかは知らないが、かなり熱心に来る客も居る。 「俺はモテねぇよ」 そう言うが、奈月は知っている。沙紀が居ないとき、よく客に沙紀のことを聞かれるのだ。明らかに沙紀目当てだ。だけど奈月は黙っておくことにした。例え教えても「ふーん」って興味なさそうに言うのは、分かり切っている。 「はい、日替わり二つ。お待たせー」 智広が笑顔で定食のお盆を二つ持ってきた。この笑顔で持って来られたら、そりゃファンが増えるだろうと奈月は一人で納得した。 「あ、そうだ。武んとこ、いつ行くの?」 「食べ終わってから、かな?」 この後どうせすることないのだ。練習時間には少し早いが、かまわないだろう。 「そうなんだ。でもまだアンプ持ってってないんだよねぇ」 「あー、気にせんで。うち持ってくわ」 そう言うと、沙紀が固まった。 「お前、アンプ借りてやってんのか?」 「え?あ、そうなんよね。武ちゃんが手配するって言って任せたら智広に借りてて・・・」 そう説明すると、物凄く同情する目を向けられた。 「あ、でもっ!今度バイト代入ったら買うから!それまで借りるんよ」 「別に無理に買わなくても。貸すよ?」 智広が優しい言葉をかけてくれる。 「いや、でもそういう訳にもいかんやん?」 奈月が言っていると、「ぷっ」と噴出す音が聞こえた。見ると、沙紀が向こうを向いて肩を震わせていた。 「ちょっ!何で笑うんよー」 「いや・・・別に」 そう言いながらも、まだ肩を震わせている。 「珍しいもん見た」 「え?」 智広の言葉に、奈月は智広を見上げた。 「沙紀がこんなに笑ってるの初めて見た」 「えー。そう?いつもこんなんやで」 「そうなの?」 意外だとでも言うように智広が驚く。 「うち別におかしいこと言うてないのに、こうやって笑うんよねぇ」 奈月はプンプンと怒った。 「へぇ。そうなんだ」 智広がニヤニヤと二人を見た。 「何?」 妙にニヤニヤしている智広を見て、奈月が怪訝がる。 「何でもない」 「ちょっと、智広まで何笑っとん?」 「何でもないって」 智広は奈月にそう言って、接客に戻った。 「変なヤツ。・・・・沙紀くんもいつまで笑ってんの?」 「わりぃ」 沙紀は笑いを何とか堪え、割り箸を持ち直した。奈月もそれを見て割り箸を割り、「いただきます」と手を合わせてから定食に箸をつけた。 「ん、おいしー」 奈月は味噌汁を味わい、おかずに手を付ける。その様子を沙紀が柔らかい笑顔で見守っていたことを奈月は気づいていなかった。 「ごめんね、智広。結局運んでもろて」 「いいって」 奈月たちがご飯を食べ終わり、少し休憩してから立ち上がると、智広は店番を抜け出し、アンプを運んでくれることになった。奈月は自分で運ぶと言ったのだが、智広が店番抜けたいと言ったのでそのまま運んでもらうことにしたのだ。 「智広。こいつ、ホントに自分で持っていけるんだぞ」 「あはは。知ってるよ」 沙紀の言葉に笑って返す。 「知ってるんだ」 意外な返答に沙紀が呟いた。 「ライブの片付け手伝ってもらったもん。淳史より役に立ったよ」 本人が居たらキレそうな台詞をサラリと言った。 「でも女の子にこんなのさせられないでしょ」 軽めのアンプとは言え、女の子にはキツイだろうと言う智広の配慮だった。 「智広がモテるん、分かるわ」 「え?何?」 奈月が呟くと、智広が聞き返した。「何でもない」と首を振る。智広はたまに毒を吐くものの、基本優しいのだ。 「でも沙紀は何で一緒に武ん家行くの?」 智広はバイクを引いている沙紀に聞いた。この状況なら、智広が奈月を送って行くので別に一緒に行かなくてもいいはずだ。 「武に呼ばれたんだよ、俺も」 「え?そうなん?」 初耳の奈月が驚く。 「奈月と真紀を会わせるって話したら、じゃあ一緒においでって」 「何でやろ?」 武人の言動に奈月は首を傾げた。 「奈月のベース指導とか」 智広が思いつく。 「・・・あいつなら有り得そうだな」 三人は何となく重い足取りで武人の家に向かった。 |