font-size L M D S |
ACT.11 germination
三人が武人の家に着くと、既に秀一と武人が揃っていた。「お。来た来た」 武人が三人に気づき、早く入れと急かす。 「秀ちゃん、今日は早く来たんやね?」 奈月がそう言うと、秀一が溜息をついた。 「と言うか早く来いと呼び出されたと言うか・・・・・・」 「何で智広も一緒なの?」 武人は秀一を気にせず、勝手にアンプをセッティングしている智広を見て尋ねた。 「二人がうちに飯食いに来てくれたんだよ。終わったら武んち行くって言うから、一緒にアンプ持って来たんだ」 智広が説明すると、武人は「なるほど」と頷いた。ふと沙紀と秀一が視界に入る。 「あ、そういや沙紀と秀は初対面だっけ?」 「ああ、そうだな。初めまして。梶原沙紀です」 初めに沙紀が軽く頭を下げた。すると秀一も同じように頭を下げる。 「初めまして。天野秀一です」 「二人とも硬いなぁ」 「初対面だからな」 武人のツッコミに沙紀が冷静に言い放った。 「で? 今日俺を呼び出したのは?」 沙紀が武人に尋ねると、「そう言えば」と切り出される。 「お前、バンド解散したんだってな?」 「あぁ」 武人の問いに沙紀が頷いた。 「え? そうなん?」 初耳だった奈月は驚いた。同じく初耳だった智広も驚きを隠せないでいる。 「こないだな。ったく相変わらず情報早いな」 沙紀が苦笑する。 「俺の情報網ナメんなよ」 えっへんと威張る武人に、沙紀は呆れた。 「んじゃあ、今フリーだよな?」 武人に確認され、沙紀は頷いた。 「まぁそうだな」 「だったら、うち、入らない?」 「は?」 突然の武人の言葉に、その場にいた武人以外の全員が固まる。最初に口火を切ったのは、沙紀だった。 「お前さ。他のメンバーの意見、まったく聞いてないだろ」 「うん」 武人があまりにもあっさり頷いたので、沙紀は脱力した。 「逆に気持ちいいわ、お前」 「武人だけのバンドじゃないだろ? ちゃんと奈月や秀に聞いてから沙紀に言えよ」 智広が全員が言いたかったことを代弁してくれた。 「えー? でもいいっしょ? 沙紀に入ってもらった方が楽だよ?」 「楽って何だよ?」 武人のおかしなプレゼンに秀一がツッコんだ。 「作詞作曲アレンジ、何でも来いだ!」 「お前が言うな」 まるで自分のことのように言う武人に沙紀はまたしても呆れた。 「楽器は何やってるんですか?」 一応沙紀の話を聞いて年上と知っている秀一は、沙紀に敬語で尋ねた。 「ベース」 「じゃあ奈月は? ボーカルに徹するのか?」 秀一の問いに、武人が頷いた。 「その方がいいっしょ? 奈月ちゃんがどうしてもベースボーカルやりたいって言うなら、沙紀はセカンドギターとか」 「武、暴走すんな。さっきから奈月が一言も喋ってないぞ」 智広に言われ、武人は今度は奈月に向かって尋ねた。 「奈月ちゃんはどう思う?」 「そりゃ・・・・・・来てくれた方が嬉しいけど・・・・・・」 奈月はチラッと沙紀を見るが、相変わらずクールな沙紀の表情からは気持ちは汲み取れない。 「秀は?」 「メンバー増えるのはいいけどさ。と言うか元々増やすつもりだったし。それはいいとして、音楽性は? 一緒にやる以上、同じ目標じゃないと意味ないと思うけど」 そう言われた武人は、妙に自信満々な顔で右手の親指を立てた。 「大丈夫! 沙紀はロック系だから!」 「だから何でお前が返事してんだよ」 相変わらずマイペースな武人にツッコむのもそろそろ疲れてきた沙紀は、置いてあった椅子に座った。 「じゃあ二人は沙紀に入ってもらいたいって言うことでいいんだな?」 何故か智広が仕切る。奈月と秀一は頷いた。智広は今度は沙紀に向き直った。 「沙紀は? どうすんの?」 「とりあえず演奏聞いてからだな。曲、やってんだろ?」 沙紀に言われ、奈月たちは顔を見合わせた。練習はしているが、完璧ではない。 「どうした?」 躊躇していると、沙紀が首を傾げた。 「確かに練習はしてるけど、そんな完璧なもんじゃないよ?」 武人が代表して答える。すると沙紀は頷いた。 「分かってるよ。俺が聞きたいのは完璧なもんじゃない。今どれくらいのスキルなのか、どんな演奏するのか、それが知りたいだけだ」 沙紀にそう言われ、三人は自分たちの楽器の準備をして、位置についた。奈月はマイクの位置を調整しながら、沙紀の方に向いた。 「じゃ、[キミヲオモウ]のアレンジバージョンやります」 沙紀はその瞬間に原曲を思い出した。確かこの曲はピアノソロから始まる。ギターでカバーするのだろうかと、勝手にイメージを作ったが、それは見事に覆された。 「明けない夜など決してないよ ただ一つだけ君に誓う 例え 生まれ変わったとしても きっと君を見つけ出すよ」 透き通る奈月のアカペラが響く。そして静かにギターが加わる。 「沈む太陽に 溜息する君 夜が怖いと 震える君は 初めて僕に 弱さを見せたね 傍に居ることしか できないけど」 一番のAメロ、Bメロは奈月のボーカルと秀一のギターのみで、一番のサビでドラムとベースが加わり、盛り上がる。 ギターやベースは所々簡単にアレンジされているが、そんなことは気にならなかった。何と言っても、初めて聞く奈月のボーカルには惹き付けられるものがあった。 沙紀は今までバンドを組んでも女性ボーカルと組んだことはなかった。それは今まで女性ボーカルにそれほど魅力を感じなかったからだ。だが、奈月は違った。不思議な感覚が沙紀を襲う。 「これさ、奈月がほとんどアレンジしてるんだよ」 一緒に聞いていた智広が小声で言った。 「え? そうなのか?」 「うん。俺らのライブで歌ったのは聞いた?」 智広に問われ、そう言えばいろんな人からそんな話を聞いたと思い出した。 「うん」 「あの時も奈月と圭吾が・・・・・・ってかほぼ奈月一人でアレンジしたんだ」 「へー」 意外だった。曲作りで悩んでいるくせにアレンジはできるんだ、と妙に感心する。 「これってその時のアレンジ?」 「ううん。イントロのアカペラでサビ歌うってのはそうだけど、後は結構変えてる」 「そうなんだ」 確かにライブの時よりも普段の練習の方がアレンジする時間はある。演奏は確かに拙いが、アレンジ力はある。スキルなんて本人の努力次第で伸びる。それよりも奈月の声とアレンジ力に魅力を感じた。今なら泰仁が奈月をバンドに入れたいと言っていた理由が分かる気がする。 演奏が終わると、奈月たちは沙紀を見た。武人が口火を切る。 「どう? 気に入った?」 「そうだなー。演奏は拙いし、スキルだってそんなに持ってない」 沙紀の厳しい言葉に、三人は肩を下ろす。視線が自然と下に向く。 「だけど、それ以上にアレンジ力と奈月の声に惹かれた」 その言葉に俯いていた奈月は顔を上げた。沙紀が立ち上がる。 「よろしく」 沙紀は奈月に右手を差し出した。奈月は笑顔で、沙紀と握手をした。 「よろしく!」 「っしゃー!」 武人がガッツポーズをする。 「ホントは武とやりたくなかったんだけどな」 沙紀がボソッと言い放った。その言葉に武人がくわっと沙紀を見る。 「何で?!」 「スキルはまぁいいとして、うるせーもん」 幼馴染ならではの毒を吐く。 「ええー? 俺別にうるさくねーよ」 「俺がうるさいって思ったらうるせーの」 二人のやり取りに奈月と秀一が笑う。 「んじゃ俺、立会人か。何が凄いって、武人と沙紀が一緒にやるってことだよな」 智広が笑った。 「そんなに意外?」 奈月に聞かれ、智広は頷いた。 「だって、沙紀は絶対武とはやらないって言ってたんだもん」 「それを覆したのが奈月か」 智広の言葉に付け足すように秀一が言った。 「そゆこと」 二人にそう言われても、奈月はイマイチよく分かっていなかった。どうして自分が覆したことになるのか? 「『何で?』って顔してるな」 智広が奈月の顔を見て言った。 「だって・・・・・・」 「奈月はまだ自分の魅力に気づいてないんだよ」 秀一がそう言うと、智広が「そうみたいだな」と笑った。 「もっと自分に自信持てって」 秀一の言葉に、沙紀が頷いた。 「そうだぞ。俺はボーカルに魅力のないバンドには入らないんだからな。今ならヤスの気持ちも分かるよ」 沙紀の言葉に反応したのは武人だった。 「あれ? 沙紀も知ってるの? ヤッさんのこと」 「知ってるも何も目撃者」 泰仁が奈月をスカウトしていたその場に沙紀もいたのだ。奈月の話を思い出し納得する。 「そっか。店で騒いでたんだもんな」 「あー。ヤッさんが奈月を入れたがってるって本当だったんだ?」 智広が笑う。そう言えば、泰仁は智広たちにも聞いたと言っていたのを奈月は思い出す。 「連絡先、何で教えんかったん?」 奈月に聞かれ、智広は苦笑した。 「すぐに教えたら面白くないじゃん?」 「面白さを求めてたん・・・・・・」 智広の返答に奈月は呆れた。 「だってヤッさんのことだから、てっきり奈月に告白でもしに行くのかと思ったんだもん。告白したって玉砕は目に見えてるんだけどさ」 ケラケラと智広は笑った。 「こないだも言ってたけどヤスさんってどんな人?」 会ったことがない秀一が尋ねた。 「女好き」 武人の即答に、沙紀も智広も頷いた。 「え? それだけ?」 一言で終わったので、秀一が驚いている。 「bridgeって言うバンドのボーカルなんやけど、耳がええみたい」 奈月が付け足した。しかしその情報は受け売りだったりする。 「そうなんだ。だからライブ見て、奈月のことが気に入ったのか」 秀一の言葉に奈月が苦笑する。 「じゃあもし向こうが先にバンドやろうって誘ってきたら、どうしてた?」 疑問に思った秀一が尋ねた。少し悩んで答える。 「うーん。やりたいことが一緒やったら、向こうに入っとったかも」 「やめとけ」 奈月の答えに沙紀がすぐにそう言った。 「うん。俺もやめといた方がいいと思う」 智広も頷く。 「何で?」 「だからヤッさん、危険人物なんだってば」 首を傾げる奈月に武人が説明する。 「そこまで悪い人じゃなかったけど・・・・・・」 「それは他に人がいたからだろ? 二人っきりはマジで気をつけろ」 あの時の現場を見ている沙紀が真剣な目で言った。 「止める人いないと暴走するからねぇ」 智広がしみじみと言う。 「そんな凄い人なの?」 泰仁に唯一会っていない秀一が尋ねた。 「凄いって言うか、猛獣?」 「武が言うんだから、相当なんだろうな」 秀一が納得すると、武人も頷いた。 「うんうん。っておい! それ遠回しにおいらも猛獣って言ってない?」 「あ、分かった?」 武人で遊ぶ秀一を見て、沙紀が呟く。 「やるなぁ」 「秀一は結構Sだよ」 智広の言葉に秀一が反論する。 「いや、Sじゃない。けど武人がドMだから、Sになってあげてるんだよ」 「なるほど」 「納得すなー!」 頷いた沙紀と智広に武人が吼えた。 智広が自分のバンドの練習に行った後、奈月たちはオリジナル曲をどうするかを話し合っていた。 「例えばどんな曲をやりたいとかってあるのか?」 やはりこの場はバンドの経験豊富な沙紀が仕切る。 「うーん。やっぱりハードロック系かな」 秀一が答えると、奈月も武人も頷いた。 「今やってるんが、バラードやしね。ノリのええ曲やりたい」 「んじゃあ、誰が作るとかって決まってる?」 「誰がって言うか、全員で曲を持ち寄ってみようってことにはなってる」 沙紀の質問に秀一が答えた。 「そっか。んで、いつライブやるんだ?」 「へ?」 突拍子もない沙紀の言葉に奈月たちは固まった。 「やらねぇの?」 沙紀はきょとんとした顔で聞き返す。 「いや、やらないわけじゃないけど・・・・・・。今のレベルじゃ、ライブしてもって・・・・・・」 秀一の答えに、沙紀は首を振った。 「いや、違うな。ライブをやってこそ、成長できるんだよ」 「成長?」 奈月が聞き返すと、今度は頷いた。 「こうやって練習するのは大切なことだけどさ、それだけじゃただの自己満じゃん? でも誰かに聞いてもらうことで、『ここがまだまだだ』とか『もう少しこうした方がいい』っていうのに気づけたりするんだよ」 「それはあるな」 ライブ経験のある武人が頷いた。確かに沙紀の言う通りかもしれない。 「ライブ目標にやるっていうのも、いいのかもな」 秀一が提案してみる。 「それもいいな。ライブ目標にオリジナル増やしていくとか」 武人が賛同した。 「そんないきなりオリジナル増やさなくてもいいんだけどさ。皆コピーから入ったりするし。まぁ持ち時間によって曲数は変わるけど」 沙紀が暴走気味の武人を抑える。 「じゃあ、いつくらいにライブするん?」 奈月に聞かれ、沙紀は頭の中にカレンダーを思い浮かべた。 「そうだな。早くて夏くらい目標かな。オリジナル作ってアレンジしたりする時間もいるし」 「まぁそれくらいが妥当なんじゃない?」 武人が同意する。 「じゃあ、ライブ目標ってことで。・・・・・・そういや、バンド名とかあるのか?」 ふとした疑問を沙紀がする。その瞬間、全員がきょとんとした。 「あ、そういやバンド名決めてなかったっけ?」 秀一が言うと、沙紀が苦笑した。 「大丈夫かよ」 「じゃあ、次回の練習までに各自で考えてくるって言うんは?」 奈月の提案に三人が賛成する。 「そうだな」 「んじゃ、今日は解散かー」 武人がノビをすると、隣にいた沙紀におでこをペチッと叩かれる。 「アホか。今から練習だろ」 「えー。練習するのー?」 何故かブーブーと文句を垂れる。 「今日何もしてないだろ。せっかく皆揃ってるんだから、ちゃんと合わせろ」 「ってか沙紀。弾けるの?」 武人が奈月が持っているベースを指差した。 「俺を誰だと思ってる?」 沙紀は奈月からベースを借りると、[キミヲオモウ]のサビのフレーズを弾き始めた。 「すごい。完璧」 奈月が感心すると、武人は面白くないと頬を膨らませた。 「ふんだ! sparkleのファンだからっていい気になるなよ!」 「子供か」 怒りのツボがよく分からないが、とりあえずツッコんでおく。 全員が配置につくと、最後に奈月がマイクスタンドの前に立った。 「それでは皆さん。新体制で初合わせやりましょか」 「待って。アレンジバージョンでやるの?」 秀一が尋ねた。 「あ、そっか。沙紀くん、初めてやもんね」 「大丈夫。さっきの演奏で構成は頭入ってる」 沙紀は当たり前だろと言う表情をした。 「流石沙紀くんやな。んじゃ行きますか」 奈月はメンバー全員と目を合わせた。奈月は一度深呼吸をすると、アカペラでサビを歌い始めた。 エレキギターと奈月のボーカルだけが響く。 そしてサビでベースとドラムが入った。その瞬間、リズムが狂う。そのせいで演奏が止まってしまった。 「おい、武! ボーカルに合わせろ」 沙紀が怒鳴る。 「沙紀だってグダグダだったじゃん!」 売り言葉に買い言葉。リズム隊が喧嘩を始めた。 「ちょっと二人ともやめなよ」 秀一が割って入ると、二人はお互いから顔を背けた。 (これか。一緒にやりたくないって言うた理由は・・・・・・) と言うか妙に武人の機嫌が悪い気がする。そう言えば、さっき演奏する前から機嫌が悪かった気がする。 (何で機嫌悪いんやろ?) まさか自分のせいだとは思わない奈月は、武人に声をかけた。 「武ちゃん。何か気に障ることでもあった?」 「え?」 奈月に突然聞かれ、武人は口をつぐんだ。 言えない。奈月が沙紀を褒めたからだなんて。 「別に。何でもないよ」 辛うじてそう言うと、奈月は納得してなかったが、深く突っ込むのをやめた。 「じゃあ、もう一回やろうか」 奈月がそう言うと、三人は同意し、もう一度奈月のアカペラから始めた。 その日の練習は、夜七時まで行われた。流石にお腹も空いたので解散することにした。 「飯は? どうすんの?」 沙紀はバイクのヘルメットを奈月に渡しながら聞くと、と奈月は首を傾げた。 「うーん。どうなんだろ。お兄ちゃんに聞いてみようかな・・・・・・」 「今日仕事?」 「一応仕事」 奈月はジーンズのポケットから携帯電話を取り出した。 「あ」 携帯電話の画面を見た奈月が声を上げた。 「どした?」 「お兄ちゃんから着信入ってた」 練習中だったため、気づかなかったのだ。 「かけ直してみたら?」 「そうする」 奈月は沙紀の言う通り、一真の携帯にかけ直した。数コール後、一真が電話に出る。 『もしもし』 「あ、お兄ちゃん。ごめんなー。練習とって気づかんかった」 そう言うと、一真は『やっぱり』と笑った。 「何やったん?」 『飯って食った?』 「ううん。まだ。それ、聞こうと思って」 そう言うと、一真は安心したような声で言った。 『俺、もう家におってさ。飯も作ったんや。もう帰ってくるんやろ?』 「うん。あ、あのね。沙紀くんも一緒なんやけど・・・・・・」 『そうなん? なら連れて来いよ。一人分くらいどうにでもなる』 一真の言葉に奈月は嬉しくなった。 「ありがと。お兄ちゃん、大好き」 そう言うと、満足した声が返ってきた。 『みなまで言うな。知っとる。気をつけて帰って来いよ』 「はーい」 奈月は元気よく返事すると、電話を切った。 「何って?」 「お兄ちゃん、もう家に帰っとって、ご飯も作ってくれとんやって」 「そうなんだ。じゃあそのまま送ってったらいいか」 沙紀はヘルメットを被り、バイクにまたがった。 「あのね。お兄ちゃんが、沙紀くんも連れて来いって」 「へ? 俺?」 突然のことに沙紀は驚いた。奈月は笑顔で頷く。 「こないだ沙紀くん、ご飯作って来てくれたやん? それのお礼したいんちゃうかな?」 そう言えばそんなこともしたと思い出す。あの時は、一真に直接会っていないので、そんなことはすっかり忘れていた。 「どうする? 時間あるなら、うち寄る?」 「いいのか? 行っても?」 沙紀の質問に奈月が笑う。 「何を今更遠慮してんよ。お兄ちゃんのことは、沙紀くんしか知らないから。お兄ちゃんがおる時に家に呼べるんは沙紀くんだけなんよ?」 そんなことを言われると、心が揺らぐ。 「行こう? 沙紀くんもバンド入ったこと、報告したいし」 「分かった。まぁ乗れ」 沙紀に言われ、奈月はヘルメットを被って後ろに乗った。奈月が沙紀の服を掴んだことを確認すると、沙紀はエンジンをかけバイクを走らせた。 奈月の住むマンションに着いた沙紀は、少しばかり緊張が走った。最初の時や二度目とは違う。最初は、熱があった奈月を部屋まで運んだ。その時に初めてsparkleの黒川一真と奈月が兄妹だと知った。二度目は一真がいないと分かっていてご飯を持って来た。 そして三度目。今度はいると分かっている状態で訪問する。これが緊張せずにいれるだろうか? だって相手は音楽を始めるきっかけとなった人だ。それがこんなに簡単にもう一度会えるなんて・・・・・・。初めて会った時に、連絡先の交換はしたが、こっちから連絡できるはずなんてなかった。 エレベーターで八階へ向かう。 「沙紀くん、緊張しとる?」 突然奈月に尋ねられ、沙紀は憮然と答えた。 「緊張しないヤツがどこにいるってんだよ」 そう返事すると、奈月は笑った。 「大丈夫やって。取って喰われたりせんから」 「分かってる」 情けない。余裕がないのがバレバレだ。 奈月が鍵を開けて、玄関のドアを開いた。 「どうぞ」 奈月はまるでホテルのボーイのようにドアを開け、沙紀を誘導した。 「お邪魔します」 沙紀は奈月に気づかれないように深呼吸をして、中に入った。 「あ・・・・・・」 奈月も一緒に入ると、何かを見て声を漏らした。 「どした?」 「何か嫌な予感がする」 奈月がそう言った瞬間、リビングに通じるドアが開いた。 「おかえりー!」 出てきたのは、何とsparkleのボーカル、五十嵐衛だった。 「え?」 驚いた沙紀は固まった。奈月は靴を脱ぎ沙紀の横を通って沙紀の前に立った。 「やっぱ来てたんや」 「嬉しいやろ?」 「てかびっくりしたわ」 笑顔で話す衛に素っ気無く返す。 「ん? 奈月ちゃんの彼氏?」 衛はようやく沙紀に気づき、奈月に尋ねた。 「ちゃうって。バイト先の先輩。こないだうちが倒れた時、家まで連れて帰ってくれたんよ」 「あー。話は聞いてるわ。へー。なかなかのイケメンやん」 衛は奈月を小突いた。何とも意地悪な笑顔である。 「何やってん? はよ入ってき」 奥のリビングから一真の声が聞こえた。衛や奈月がリビングに向かい始める。その間、沙紀はその場に凍りついていた。 「嘘だろ・・・・・・?」 あのリビングには自分の憧れてるバンドマンがいる。しかも二人も。心臓がさっきの比じゃないほど早く鼓動を打ち始めた。 「どしたん? 沙紀くんもはよおいで」 奈月に言われ、「おう」と辛うじて返事をし、靴を脱いだ。 リビングに入ると、さらに驚いた。 「おう。おかえりー」 「何? 奈月ちゃんの彼氏?」 リビングにいたのは、sparkleご一行様だった。しかも物珍しさからか沙紀に近づいてくる。 「ちゃうって。バイト先の先輩。唯一お兄ちゃんのこと知っとる人」 奈月がそう言うと、メンバーは「なーんだ」とつまらなさそうに膨れた。 「でも今日奈月ちゃん、バンド練習やったんやろ? なのに何で一緒やったん?」 悠一がふと疑問に思い質問した。 「あー。実は・・・・・・」 「分かった!」 奈月が言いかけると、衛が手を挙げた。全員が衛に注目する。 「実は今日から付き合いだした、とか!」 どうだと言わんばかりに言った衛に全員が白けた。 「ちゃう」 「そんな冷たく言わんでも・・・・・・」 奈月に冷たくあしらわれ、衛はしょんぼりした。 「自業自得」 和之の呟きに全員が頷いた。 「で。実は?」 悠一が話を戻す。 「実は・・・・・・」 奈月は台詞を溜めた。 「今日からうちのメンバーになりました!」 「そうなん?」 一番最初に返したのは、一真だった。 「あ、はい」 聞かれた沙紀は緊張気味に答えた。 「楽器は?」 「ベースです」 悠一に聞かれ、即答する。 「じゃあ奈月ちゃんはベースボーカル卒業?」 「うん。ボーカルに専念することになった」 衛に確認され、奈月は恥ずかしそうに答えた。 「四人編成か。またちょっとちゃうようなるよなぁ」 「あとキーボードがおったら完璧やなっ」 和之の呟きをよそに、悠一が言うと一真が意地悪く笑った。 「キーボードじゃなくてセカンドギターやったりしてな」 「黒ちゃん意地悪やな」 芳春が呆れている。 「それより、突っ立っとらんと、座ったら?」 一真がそう言ったので、奈月は沙紀を誘導しダイニングテーブルの方に座らせた。キッチンに入った一真について奈月も手伝いにキッチンに入る。衛たちはソファの方に座った。 「皆って、もう食べたん?」 「んにゃ。今から。奈月たちが帰ってくるちょっと前にできたから」 一真は火にかけてある鍋を指差した。 「鍋なん?」 「人数多いからな。一つずつ作るんめんどくてな」 確かにいつも二人分しか作っていないのに、いきなり七人分と言うのはかなり面倒くさい気がする。鍋は二つあり、メンバー用と奈月たち用に分かれているようだった。 「何鍋?」 「水炊き」 「ホンマにめんどくさかったんやな・・・・・・」 一番手がかからないものだ。 「まぁ美味けりゃええんやって」 一真は頃合を見て火を消し、鍋を持ち上げた。既にソファのテーブルにセットしてあるカセットコンロの上に大きい鍋を置いた。それからダイニングテーブルの上にある電磁調理器の上にさっきの鍋より少し小さい鍋を置く。その間に奈月が食器を並べた。 「手際ええ兄妹やなぁ」 二人がてきぱき動くのを見て、衛が間抜けな感想を述べる。 「いつもやん」 「まぁそうやけどさ」 悠一のツッコミに頬を膨らませた。 「言うとくけど、こんだけしかないからな。ちゃんと考えて食べろよ」 一真は衛たち・・・・・・特に宇宙の胃袋を持つ芳春に念を押した。 「ラジャ」 妙に返事だけはいい。 一真は奈月に沙紀の隣に座るように指示すると、おもむろに衛を見た。 「衛はこっちで食べろ」 そう言うと、衛はきょとんとした。 「え? 何で?」 「そっちにはハルがおるから、四:三のがいいだろ」 もちろん、芳春、悠一、和之の三人で残りの一真たちが四人だ。 「あぁ、そっか」 衛はバランスに気づき、立ち上がって一真の隣の席に着いた。 沙紀は緊張が増した。憧れのベーシストだけじゃなく、ボーカリストまで一緒の食卓についたのだ。一生ないと思っていた夢のような時間。まったくリアルに感じられない。目の前にいる二人だけでなく、その奥にいる三人のメンバー。紛れもなくsparkleのメンバーだ。 「黒ちゃん! 食べてもええ?」 我慢ができなくなった芳春が叫ぶ。 「おう。ええで。ヤケドすんなよ」 「わーい!」 一真に許可をもらった芳春は早速鍋の蓋を開けた。グツグツと野菜がいい具合に湯だっていた。 「うおー。うまそー」 「いただきます」 ヨダレが垂れそうな芳春を尻目に悠一と和之が合掌した。芳春も慌てて合掌して食べ始める。 「こっちも食べようで」 一真が蓋を開けると、こちらも美味しそうに湯だっていた。 「いただきまーす」 衛が一番に言うと、一真や奈月もそれに続いた。 「どしたん? 沙紀くんも食べなよ」 緊張で固まっていた沙紀は、奈月の言葉で我に返った。 「あ、うん。いただきます」 沙紀は合掌して箸を握った。平静を装って鍋に箸を伸ばす。 「そういや沙紀って、本名?」 衛がいきなりおかしな質問をしてきた。 「何聞いとんねん。芸名な訳ないやろ」 一真が呆れてツッコんだ。 「えー。珍しいやん? 男の子で沙紀って」 衛の質問に沙紀は口を開いた。 「えっと。親父が 言い慣れているはずの説明もうまく言葉が出てこない。 「へー。なるほどねー」 「そうやったんや」 衛が納得している隣で奈月が驚いている。 「あれ? 言わなかったっけ?」 「聞いてへん」 ふと隣にいる奈月と目が合い、瞬間緊張が解ける。 「奈月のことやから、話しても聞いてなかったんちゃうん?」 「それどういう意味?」 一真のツッコミに奈月が睨んだ。 「でもそういやうち、沙紀くんの名前の由来なんて疑問に思ったことなかったわ」 「えー? 初めて聞いたら気にならん?」 衛に聞かれ、奈月は唸った。 「あ! でも最初は名前しか聞いてへんかったから、女の子やと思ってた」 「名前だけ聞くとそう思うよな」 奈月の言葉に衛はうんうんと頷いた。 「でもあれは誠一さんが悪いよなぁ? わざと男の子やっていうん隠してたんやもん」 奈月は沙紀に同意を求めた。 「あの人の性格、知ってるだろ?」 沙紀の一言で奈月は妙に納得した。 「そやな。そういう人やな・・・・・・」 「誠一さんって?」 初めて聞く名前に衛が尋ねた。 「あ、バイトしてる楽器屋の息子さん。誠一さんもバンドやってんの」 「へー。何だかんだ奈月ちゃんってバンドマンの知り合い多いよな?」 衛に言われて気づいた。 「確かにそうかも。武ちゃん経由だったり、誠一さん経由だったりするけど」 「武ちゃんは・・・・・・ドラマー!」 以前に聞いたことのある名前を、衛は思い出した。 「正解!」 奈月は左手の人差し指を衛に突きつけた。その光景が何だか微笑ましくて、沙紀は緊張が和らいだ。 「ん? 沙紀くん笑ってない?」 「笑ってないよ」 奈月にツッコまれ、沙紀は平静を装った。 「いや、絶対笑った」 「どっからそんな自信が出てくるんだ」 そうツッコむと、奈月は切り返してきた。 「いつも変なとこで笑うやんか」 「そうか?」 「そうやって」 「あははははは」 そのやり取りに衛が笑った。 「何笑ってんの?」 突然、衛が笑ったので、奈月は言い合いをやめ、衛に向き直った。 「いやぁ。微笑ましいなぁと思て。何か黒ちゃんと奈月ちゃんの言い合いみたい」 「それは褒めてんのか? けなしてんのか?」 一真に思い切りツッコまれるが、衛は笑顔でかわした。 「褒めとるに決まっとるやん」 何とも調子がいい。 しかしこの奈月とのやり取りで、沙紀は緊張がかなり解れた。もっとも当の本人は緊張を解そうなどとは考えてもいなかっただろうが。 食事が終わる頃には、一真を筆頭に悠一、和之、芳春は完全なる酔っ払いと化していた。 「衛さんは飲まないんですか?」 沙紀に聞かれ、衛は苦笑した。 「俺、仮にもボーカリストやからねぇ。喉のために控えてんの」 カッコをつけてそう言うと、対面キッチンにいた奈月にツッコまれた。 「とか何とか言うて、ホンマは弱いんやろ?」 「ちょ! 奈月ちゃん、それをどこで・・・・・・」 慌てて聞くと、奈月は意地悪く笑った。 「お兄ちゃんに聞いた」 「余計なことを・・・・・・」 せっかくカッコイイ言い訳をしているのに、本当のことをバラされてはカッコがつかないじゃないか。 衛がブツブツと文句を言っていると、奈月が目の前にお皿を置いた。 「ごめんって。これで許して」 奈月が置いた皿には、先ほど湯がいたばかりの枝豆が山盛りになっている。 「お。いいねー」 枝豆を見て、機嫌を取り戻した衛は、それを受け取り、沙紀と自分の目の前に置いた。 「枝豆好きなんですか?」 沙紀に聞かれ、衛が頷く。 「うん。酒飲めんけど、つまみは好きなんや」 衛は本当に嬉しそうに、枝豆に手を伸ばした。奈月はソファの方で飲んでいる一真たちの前にも枝豆を山盛り置いて、こちらに戻って来て、衛の隣に座った。 「沙紀くんも食べてね」 奈月に勧められ、沙紀はようやく枝豆に手を伸ばした。 「あの、聞いてもいいですか?」 一つ枝豆を食べた沙紀は目の前に座っている衛に問いかけた。 「ん? 何?」 「衛さんは何で、音楽をやろうと思ったんですか?」 「女にモテたかったから」 沙紀の質問に何の迷いもなく、あっさりきっぱりと答える。 「え? そんな理由なん?」 思わぬ理由に奈月が驚いた。 「そやで。と言うか俺ら全員、最初の動機なんてそんなもんやで」 衛はケラケラと笑った。確かにあのメンバーが考えそうなことだと、奈月は妙に納得した。 「でもそれだけじゃないんですよね?」 沙紀の質問に、衛はフッと笑った。 「まぁな。それだけやったら、こんな長くやってないと思うわ」 「何かキッカケってあったんですか?」 「そうやな」 沙紀の問いに、衛は少し考え込んだ。何から話せばいいのか分からない。 「最初はただモテたいとかって軽い動機やったんやけどさ。やっとるうちにどんどんのめりこんでったんよな。音楽で表現するって言うんが、ホンマ楽しくなってな。そうやって楽しんでやってることに、共感してくれる人がおって、もっと聞きたいって言うてくれる人がおって、俺は今もこうやって音楽を続けられとる。それってホンマ幸せなことやなぁってつくづく思う」 衛はいつしか笑顔になっていた。 「辞めたいって思ったことはないんですか?」 「そんなんしょっちゅう言うてるわ」 衛が苦笑する。 「でもその度に黒ちゃんに怒られてるわ。やっぱプロんなったらさ、好きだけじゃダメなんよな。遊びやなくてビジネスやからな。辛いこともしんどいこともたくさんあるけど、好きでやってる仕事やからさ。しんどくて文句言うても、やっぱりがんばろうって思う」 いつになく真面目に話す衛に、奈月は意外な一面を知った。 「いつか奈月ちゃんたちと対バンやってみたいな」 衛がニヤッと笑うと、奈月が即答した。 「イヤや」 「奈月ちゃーん? 即答過ぎじゃありません?」 衛が隣に座っている奈月の頬をつつくと、奈月はそれを払いのけた。 「絶対比べられるやん。そんなん」 「えー? そんなことないやろ?」 奈月の言い分を、衛は否定した。 「sparkleの一真の妹とかって出るんは絶対イヤや」 奈月の言うことも分かる。七光りなどではなく、実力で勝負したいのだろう。 「大丈夫やって。奈月ちゃんの実力は俺が保証する」 衛が奈月の肩を叩く。その言葉に沙紀が反応した。 「衛さん、奈月の歌、聞いたことあるんですか?」 「もちろん! 去年の冬休みにこっち来た時に、レコーディングしたもんな?」 奈月に同意を求めると、奈月は恥ずかしそうに頷く。 「レコーディング?」 思ってもみなかった単語が出てきたので、沙紀は思わず聞き返した。すると奈月は衛を睨んで答える。 「そう。衛くんの思いつきで」 「でも楽しかったやろ?」 衛にそう言われると、確かにそうなので同意するしかない。 「俺、あの時の音源CDに落としたもんね」 「ちょ! 何で?」 衛の一言に奈月はバッと衛を見た。 「えー? いつでも奈月ちゃんの歌声が聞けるように」 語尾にハートマークが付きそうな言い方に、奈月は呆れた。 「聞いてみたいかも・・・・・・」 その沙紀の呟きにいち早く反応したのは、衛だった。 「おー。じゃあ聞くか?」 「え? 今持ってんの?!」 衛の言葉に奈月は思わず声が裏返る。 「フフフ。当たり前やんか」 衛はそう言いながら立ち上がり、自分の鞄をガサゴソと漁った。取り出したのは、携帯用のMP3プレイヤーだった。 「まさか取り込んでんの?」 「当然」 衛の即答に、奈月は頭を抱えた。奈月自身が持っていないのに、この男はCDだけじゃなく、携帯用プレイヤーにまで落とし込んでいるとは・・・・・・。まぁ自分が持っていても聞かないとは思うが。 しかも衛は更に鞄から、何かを取り出した。 「何これ?」 奈月が指差すと、衛はケースからソレを取り出した。 「何ってスピーカー」 「何でそんなもんまで携帯しとん・・・・・・」 奈月は半ば呆れながら訊ねた。 「俺、よくこれにパソコンで作った曲とか落としてメンバーに聞かせるんよ。それで持ち歩いてるんさ。便利やで。軽いし、小さいし」 衛はそう言いながら、スピーカーとMP3プレイヤーを繋ぐ。 「ちょっと、ホンマに聞くん?」 奈月が二人に確認すると、二人はきょとんとした顔で頷いた。 「何を今更」 沙紀の言葉に、衛が同意する。 「そうそう。俺が保証するって言うたやん」 そうは言っても、恥ずかしいものは恥ずかしいのである。 「だってそれ去年のやから、今より下手やし!」 「大丈夫、大丈夫」 何が大丈夫なのか、良く分からないが、衛はプレイヤーを操作した。 「じゃ、じゃあ、これ聞くんやったら、沙紀くんのバラード曲弾き語りしてよ」 「却下」 奈月の思い付きは、あっさりと却下された。 「えー」 奈月が不服そうに沙紀を睨むと、沙紀は言い訳のように一言付け足した。 「俺、歌は歌えない」 「やったらどうやって曲作ったん伝えてたんよ?」 奈月にツッコまれ、一瞬焦るが、沙紀は平静を装った。 「テレパシー?」 「んなアホな」 そのやり取りに衛が笑う。 「仲ええなぁ」 「衛くんも笑ってんと交渉してや。沙紀くんのバラードってめっちゃええらしいんよ」 「聞いたことないん?」 衛に聞かれ、奈月は頷いた。 「沙紀くん、ケチやもん」 「ケチじゃなくて、聞かせるようなモンじゃねぇからだよ」 頬を膨らませる奈月に沙紀が言い訳をする。 「まぁええやん。バンド組んだんやったら、そのうち曲とか作って持って来るんやろうし?」 衛が奈月を宥めるが、奈月は納得しない。 「何で衛くんまで沙紀くん寄りなんよ?」 「沙紀寄りって言うより、早く奈月ちゃんの歌を聞かせたいんが勝ってるんよな」 衛の言い分に、奈月は呆れた。もうこれ以上何を言っても無駄な気がする。どうせ沙紀と約束したって、上手く逃げられるに決まってる。奈月は諦めることにした。 「分かった。でも恥ずかしいから、うちは向こう行ってる」 奈月はそう言うと立ち上がり、一真たちがいる場所に移動した。 「んじゃ、聞く?」 衛に聞かれた沙紀は頷いた。衛は楽しそうにプレイヤーを操作して、曲を再生した。 「ん? どした? 奈月」 突然酒飲みの席にやって来た奈月に、一真が尋ねた。 「たまにはお酌でもしようかなと」 奈月が一真の隣に座る。 「おー。ええとこあるやん」 酔っ払いである一真は、奈月の言葉に機嫌を良くし、グラスに入っていたお酒を全て飲み干した。 「何飲んでたん?」 「焼酎ロック」 一真は自分の隣に置いてあった焼酎のボトルを奈月の目の前に置いた。 「好きやねぇ。てか飲みすぎちゃう?」 ボトルの減り方を見て、奈月が一真を睨む。 「んー? そうか? でも悠一も飲んどるからな」 奈月が悠一のグラスを見ると、確かに焼酎らしきものが入っているのが確認できた。 「でも俺は水割りやで」 奈月の視線に気づいた悠一がそう言うと、奈月は一真を見直した。 「ほとんどお兄ちゃんが飲んどるんやん」 「まぁまぁ。そう怒るなって」 一真が奈月の肩に手を回す。完全なる酔っ払いに呆れる。 「ったく。明日の仕事は?」 「んーっと、明日はライブの打合せと雑誌の取材ー」 一真の息がお酒臭いのを我慢しながら、奈月はまた訊いた。 「何時から?」 「何時だっけ?」 思い出せない一真は隣にいた悠一に話を振る。 「十時から」 一真ほど酔っていない悠一が、即答した。 「もうそろそろ飲むんやめたら?」 そう提案するが、一真は首を振った。 「ヤダ。せっかく宅飲みなんやから、もっと飲む」 一真は肩を組んでいる反対の手で持っていたグラスを奈月にズイっと差し出した。 「ハイハイ」 奈月は呆れながらも一真にお酌をした。 スピーカーから流れ出した音楽は、聞いたことのある曲だった。 「これってsparkleの曲ですよね?」 沙紀の質問に衛は頷いた。 「そうやで。音源あったやつを歌ってもらった」 確かこれをレコーディングしたのは去年の冬だと言っていた。それは奈月が彼を亡くした時期じゃなかっただろうか? 「あの・・・・・・冬休みってことは十二月ですよね?」 突然の質問に一瞬驚いた衛だったが、すぐに「そうや」と頷いた。 だとしたらこのレコーディングは、彼を亡くして間もない頃だったのだろう。今日聞いた声とどこか違和感があるのはそのせいなのだろうか? 確かに歌は上手いが、どこか切ない。 「衛さんは・・・・・・奈月の彼の話、聞いたんですよね?」 思ってもみない話題に、衛は目を見開いた。 「ってことは、沙紀も聞いたんやな?」 確認するように問うと、沙紀は深く頷いた。 「びっくりやんな。そんなん、微塵も見せんって言うか・・・・・・」 衛の言葉に、沙紀は思わず奈月に目を向けた。奈月はいつもの奈月だ。いや、もしかすると本来はもっと違うのかもしれない。沙紀が奈月に出会った時には、もう既に彼は亡くなっていた。彼がいた頃の奈月はどんな感じだったのだろう? 「奈月は、ずっとあんな感じなんですか?」 「あんな感じって?」 沙紀の質問の意図が分からず、衛は首を傾げた。 「何って言うか・・・・・・。その彼が生きていた頃と今とでは、どこか変わったところってあります?」 言い方を変えた沙紀の質問の意図を汲み取った衛は、以前の奈月を思い出した。 「いや、見た目には変わってないな。・・・・・・でも、このレコーディングした頃は、どこか寂しげって言うか、あんな風には笑ってはなかったかな」 衛も奈月を見やった。奈月は酔っ払いの相手をしながら、楽しそうに笑っていた。 「この半年で吹っ切れたんかな?」 衛の言葉に違和感を覚えた沙紀はそれを否定した。 「いえ、吹っ切ってはないと思います」 「何で?」 思わず聞き返す。 「俺がその話を聞いたのって結構最近なんですけど。その時、泣いたんです。その彼を思い出して。・・・・・・だからきっと、普段は思い出さないようにしてるんだと思います。あいつ結構意地っ張りなとこあるから・・・・・・」 「良く見てるやん。奈月ちゃんのこと」 衛は意地悪くニヤニヤと笑った。 「あいつは俺にとって妹みたいなもんなんで・・・・・・」 そう言うと、衛は不服そうに沙紀を見る。 「えー? 妹ぉ?」 「はい」 あまりにはっきりと頷いたので、衛は思わず笑いがこみ上げた。 「まぁそうやな。奈月ちゃんは黒ちゃんの妹やけど、俺らにとっても妹みたいなもんや。ちっちゃい時から知ってるし、成長見てきとるから、余計な」 衛は奈月に視線を移し、微笑んだ。 「話戻りますけど、レコーディングって前から決めてやったんですか?」 沙紀の問いに、衛は首を横に振った。 「うんにゃ。俺の思い付きやったから、その場で決まってやったんや」 「じゃあ、別にこの曲を歌いこんでって訳じゃないんですね?」 「そうやね」 沙紀は奈月には天性のものがあると実感した。歌いこんでいない曲をここまで歌いこなせるとは。確かにたまに音程が怪しいところもあるが、そんなことは気にならない。 「奈月ちゃんの声ってさ。不思議な感じやろ?」 衛に聞かれ、沙紀は頷いた。 「不思議といつの間にか惹き込まれてるんよなぁ」 衛はスピーカーに耳を近づけた。あまり大音量ではかけていないので、こうして耳を近づけた方が、良く聞こえる。 「天性のもんもあるんやろうなぁ」 衛は羨ましそうに呟いた。 「衛さんのボーカルも天性のものもあるんじゃないんですか?」 沙紀が思わず口走る。衛に驚いた顔で見られ、自分が口走った言葉に気づく。 「あ、すいません。偉そうに・・・・・・」 「ううん。ありがとう」 衛は怒るどころか笑顔になっていた。思わぬ反応に沙紀は驚く。 「あ、曲終わってもーたな。もっかい聞く?」 「聞かんでええ」 突然の声に驚くと、いつの間にか衛の後ろに奈月が仁王立ちしていた。 「ひっ! 奈月ちゃん、急に後ろ立たんでよ」 驚いた衛は、心臓をバクバクさせながら、奈月を見やった。奈月は手に持っていた枝豆の残骸が入った皿を、対面キッチンの台に置いた。どうやら酒飲みが集まる席ではつまみがあっという間に売り切れたらしい。 「てか衛くん。それ、いろんな人に聞かせてるんちゃうやろうね?」 奈月が衛に迫ると、衛は「まさか」と肩をすくめた。 「そんな勿体無いことするわけないやん」 「勿体無い?」 思わぬ単語が出てきたので、奈月は思わず聞き返した。 「うん。下手に音楽関係者に聞かせて、デビューさせようってなったらイヤやん?」 「そんな大げさな・・・・・・」 衛の言っていることが、全く現実的ではないので、奈月は呆れた。 「大げさちゃうって。今せっかく芽が出たくらいやのに、無理やり花を咲かそうとしても咲けんしやなぁ・・・・・・」 「花?」 衛の言葉に、奈月が聞き返した。 「奈月ちゃんは、言うたら花の種なんよな」 「え?」 突然口走る衛に、奈月は眉根を寄せる。急に何を言い出すのだろう? 「奈月ちゃんは、やっと芽が出たくらいの花の種。綺麗な花を咲かせるためには、土から養分や水をもらわなあかん」 「養分?」 奈月が聞き返すと、衛は頷いた。 「うん。奈月ちゃんはこれから、楽しいことも嬉しいことも、悲しいことも辛いことも、たくさん経験せなあかん。それはいつか奈月ちゃんの糧になるから。そうやっていろんな経験をした奈月ちゃんは、いろんな人たちの心を動かすメロディや詞をきっと書けるようになる。だから今まで経験したことも、これから経験することも無駄なんかないんや」 そう言い切った衛に、奈月は驚き入る。 「衛くん・・・・・・。たまにはまともなこと言うんやね」 「・・・・・・奈月ちゃん。結構酷い」 奈月の言葉に、衛はシュンとした。それを見て、奈月が笑う。 「冗談やって。そっか・・・・・・。辛いことも無駄やない、か・・・・・・」 奈月は衛から視線を外して呟いた。 「奈月ちゃん・・・・・・」 衛も沙紀も奈月が何を考えているのか、何となく分かった。 「そうやね。そう考えたら、ちょっと救われるかな」 奈月はそう言って笑った。目に涙が溢れていることに、衛が気づく。沙紀も何となく奈月の目が潤んでいることに気づいた。奈月は溢れ出しそうな涙を誤魔化すかのように無理やり笑う。 「あ、そうや。お風呂入らなあかんかったんや。沙紀くんはゆっくりしてってね」 「うん」 奈月はそう言ってリビングを出て行った。 「吹っ切れるわけないか」 衛が呟く。 「どんな状況でも身近な人を失くすって、信じられないくらい辛いことだと思います。それが大切な人なら尚更」 「そうやな」 沙紀の言葉に、衛は同意した。 「あ、そうそう。さっきの話、沙紀にも当てはまるんやからな」 「え? 花の話、ですか?」 突然話を戻され、沙紀はさっきの話を思い出した。 「そう。沙紀も言うたら芽が出たばかりの花の種ってとこやろ。奈月よりは成長しとるかもしれんけど。花ってさ、人が手をかけてやらな咲かんヤツと、どんなとこでも、アスファルト突き破ってでも咲くヤツがおるやろ?」 聞かれ、沙紀は頷く。 「人間、どっちにも当てはまると思うんよ。そりゃ花の咲き方とか大きさとかは人それぞれやけどさ。人が手をかけるって言うか、周りの人間に影響されて成長する部分と、自分自身の努力で成長する部分。そういう 衛はそう笑って続けた。 「これからきっとバンドとしても人間としても、何かしらの障害にはぶつかると思う。けどそう言う壁にぶつかることを逃げたらあかん。それをどうやって乗り越えるか、そこで必死で考えたら絶対乗り越えられる。俺やバンドのメンバーはそうやってここまで来た」 衛はそう言いながら、バンドメンバーを振り返って見た。そんなことを微塵にも見せないメンバーに沙紀は一層の魅力を感じる。 「やからさ、沙紀や奈月ちゃんが壁にぶち当たって悩むことがあったら、俺たちに頼って欲しい。もしかしたら俺らは力になってあげられんかもしれん。でも話を聞くことはできる。・・・・・・まぁ今日初めて会ったヤツに言われたかないやろうけどね」 衛の自嘲に、沙紀は首を横に振った。 「いえ。嬉しいです。俺、ずっと衛さんたちに憧れていたんです。俺が音楽を始めるキッカケになったのもsparkleの曲でした。だからこうしてお話できるだけでも嬉しいのに・・・・・・そんな暖かい言葉をかけていただいて、本当に何て言ったらいいのか・・・・・・。嬉しいしか言葉が出てきません」 沙紀は一生懸命自分の気持ちを伝えようとしたが、上手く言葉が出てこない。 「そか。嬉しいこと言うてくれるやん。俺らの曲を聞いて、音楽を始めようって思ってくれただけでも、めっちゃ嬉しい」 衛は満面の笑みでそう言った。 奈月はシャワーに打たれながら、衛の言葉を思い出していた。 『奈月ちゃんは、やっと芽が出たくらいの花の種。綺麗な花を咲かせるためには、土から養分や水をもらわなあかん。・・・・・・奈月ちゃんはこれから、楽しいことも嬉しいことも、悲しいことも辛いことも、たくさん経験せなあかん。それはいつか奈月ちゃんの糧になるから。そうやっていろんな経験をした奈月ちゃんは、いろんな人たちの心を動かすメロディや詞をきっと書けるようになる。だから今まで経験したことも、これから経験することも無駄なんかないんや』 「無駄なんかない、か」 もしあの辛い経験が、無駄じゃないのなら、この傷も少しは癒えるだろうか? 不意に彼の笑顔が頭に浮かび、涙が溢れる。その涙を奈月はシャワーで洗い流した。 「花の種・・・・・・か」 衛は時々妙に的を得たことを言う。人の成長を花に例えるなんて、さすが詩人だと思わず笑ってしまった。 種。いろんな可能性を秘めてるもの。 「そうか」 あることを思いついた奈月は、さっきまで苦しかった胸の痛みが少し和らいだ。 風呂から上がり、リビングに戻ると酔っ払いたちは潰れていた。 「あー。潰れとる・・・・・・」 一真はまだしも悠一、芳春、和之までも寝入ってる。奈月の声に気づいた衛たちがこちらを向いた。 「あ、奈月ちゃん。どうしょうか? これ」 衛は潰れているメンバーを指差して『これ』呼ばわりした。 「うーん。別に泊まってもええんやけど、明日仕事なんやろ?」 奈月は生乾きの髪をガシガシとタオルで拭きながら聞いた。 「まぁねぇ。こいつらどうするつもりやったんやろか」 衛は試しに転がっている悠一を突いてみた。全く起きる気配はない。 「しゃーない。放置して帰るか。また明日にでも来てみるわ」 衛は呆れつつ立ち上がった。沙紀も立ち上がる。 「俺ももうそろそろ帰る」 「あ、うん。ごめんね。騒がしくて」 そう言うと、沙紀は首を振った。 「いや。楽しかったよ。まぁ最初は緊張してたけど。衛さんといろんな話できて良かった」 「そう言ってもらえると、俺も嬉しいよ」 衛が沙紀に微笑む。 「長居して悪かったな」 沙紀が謝ると、奈月は焦って返す。 「全然。またゆっくり来てよ。今度はうちの手料理ご馳走するわ」 「おう。期待しないで待ってる」 「一言多い」 沙紀と奈月のやり取りに、衛が笑った。 「あはは。仲ええな。まぁ二人がおったらええバンド作れると思うで。がんばれよ」 「うん。ありがと。衛くん」 沙紀と衛は自分たちの荷物を持って、玄関までやって来た。見送りに奈月も玄関まで行く。奈月も下に下りようとしたので、二人が止めた。 「ここでええよ」 「でも・・・・・・」 「お前、風呂上りだろ? いくら暖かくなったからって風邪引くぞ」 沙紀がそう言うと、衛も「そうそう」と頷いた。何だか妙に仲良くなってないか? 「分かった。じゃあここで見送るわ。二人ともありがとう」 「こちらこそ」 奈月の言葉に衛が笑顔で返す。 「じゃあな」 「またね」 奈月は二人がエレベータの方に歩いて行くのを見届け、玄関のドアを閉め鍵をかけた。 |