font-size L M D S |
ACT.3 forget
四月になり、奈月が上京してくることになった。二人で暮らすのだからと、一真はもう少し広い部屋に引越しをし、奈月を迎え入れた。入学式前日には、母が入学式に出席するため上京してきた。その日一真は、久しぶりに母親の手料理を堪能した。 翌日の入学式は日本晴れだった。澄み渡る空に奈月は大きく深呼吸した。 これから新しい生活が始まる。奈月の胸は不安でいっぱいだったが、それでも新しい出会いに心躍らせていた。 式は滞りなく行われ、各クラスに分かれて説明会が始まる。奈月は普通高の英文科に入学した。以前から英語に興味があったので、この学校に決めたのだった。 「みなさん。ご入学おめでとうございます。そして初めまして。私がこのクラスの担任の小林です。よろしくお願いします。」 担任と名乗る教師は中年ぐらいだった。体格のいい、人のよさそうな先生だ。 「ご入学おめでとうございます。副担任の上原です。よろしくお願いします。」 副担任はまだ若そうだが目つきが悪いせいか、怖く見える。それから少しの説明があり、いろんな書類を集めたり、配ったりした。お昼近くにやっと全てが終わった。 一真の家に戻ってきた二人は、慣れない場所での緊張の連続で既にくたくただった。 夕方頃に帰ってきた一真は二人が爆睡してるのを見て、唖然とした。慣れないことをしたので疲れたのだろう。そっと毛布を掛け、晩御飯の準備に取り掛かった。 翌日。奈月を学校へ送り出し、母親は実家に帰って行った。 一真も仕事に出かけたが、奈月のコトが心配だった。 奈月は上手く人と接することができないような気がしていた。友達はあまり多くない方だった。唯一、隣に住んでた幼なじみと仲が良かったくらいだ。しかも男。だから余計に心配だった。奈月は強いとはいえ、女の子だ。寄ってたかって来られたら、たとえ奈月でも・・・。一真は溜息を漏らした。 「どしたん?黒ちゃん。元気ないな。」 衛が顔を覗き込んできた。今日は音楽雑誌のインタビューがあり、珍しく二人が時間よりも早く入っていた。楽屋でくつろいでいたのだが、一真は黙ったままだった。 「ハッハーン。さては奈月ちゃんのこと、心配してんねやな。」 衛は意地悪く笑った。変な時に勘が良い。 「なんやねんな。水臭いで。黒ちゃん。俺と黒ちゃんの仲やないか。」 衛は一真の背中をバシバシと叩いた。 「俺とお前に何の関係がある。」 一真が冷たくそう言うと、衛は泣きそうな顔になった。 「しどひ。」 その情けない顔に、一真は思わず笑みを零した。 「ははっ。ウソやって。・・・そうやな。衛なら言うてもええかな。」 一真は煙草を取り出し、火をつけた。煙草を一口吸い、ゆっくり煙を吐き出す。 「あんな・・奈月は人と付き合うんが、あんまし上手くないんや。」 一真は遠くを見つめながらゆっくり話し始めた。衛は珍しくただ黙って静かに聞いていた。 「『人を傷つけたくない』から、一歩手前で引いてしまう。傷つけたくないから言葉を選ぶ。やけどそれが気に入らんヤツもおる。だからイジメが起こる。」 一真の言葉に、衛は一瞬固まった。 「奈月ちゃん。いじめられてたんか?」 その質問に一真はゆっくり頷いた。 「奈月は自分が・・・自分さえ我慢してればいいって考えて、自分の殻に閉じこもってしまう。・・・だから更に悪化してしまう。・・・奈月は多分分かってる。・・・状況を変えるには自分が変わらないかんって。でも・・きっと勇気が出んのや。一人で立ち向かっていける勇気が。だからって俺が助けるワケにはいかん。これは奈月自身の問題やし、俺が入ってどうにかなるモンちゃう。だけどやっぱ心配で。高校で友達が・・・親友って呼べる友達ができればええんやけど。」 「黒ちゃん・・・。大丈夫やって。奈月ちゃんなら。きっとそんな心配するほど弱くないと思うで。」 「だから心配なんやないかい。」 「ほえ?」 一真の言葉の意味が分からず、思わず変な言葉が出てしまう。 「強がり・・・なんや。奈月の場合。全部自分の中に押し込めてしまう。」 一真は前髪をくしゃっとつかんだ。 「なーんや。そんならこの悠一様にまっかせなさい。」 いきなりドアを開けて悠一が入ってきた。 「・・・盗み聞きしよったな。」 一真が呆れたように言う。 「失敬な。勝手に聞こえてきたんや。この耳にな。」 悠一は自分の耳を指差した。そんなに力んで言わなくても・・・と一真は余計に呆れる。 「それより悠一。どうすんや?何かええ方法でもあるんか?」 衛が問うと、悠一は張り切って話始めた。 「ああ。それならな・・・。」 「えっ?合宿?」 奈月は食べていたモノを落としそうになった。 「そっ。この土日な。で、奈月も行かんか?」 「でも・・邪魔ちゃう?」 「大丈夫やって。みんな、奈月に来て欲しいって。何だかんだ言ってあいつら、奈月のことホンマの妹みたいに思てるから。それに将来音楽やりたいんやろ?そんときの勉強になるかどうかは知らんが、参考にはなるとは思うで。」 一真は悠一に言われた通り、奈月を合宿に誘った。悠一が何を企んでいるかは知らないが、とにかく言う通りにしておこうと考えた。奈月一人で置いてくのも心配だった。 「そうやね。そこまで言うんやったら、行こうかな。」 奈月はちょっと考えてから答えた。一真は何となくホッとした。 そして合宿の日。彼らは金曜日の夕方に発った。日曜の夜には帰るので、二泊三日だ。 「わぁ。きれー。」 奈月は思わず窓から顔を出していた。 「危ないで。」 隣に座っている一真が注意する。車は田舎の山の中にある合宿所に向かっていた。車の中にはsparkleのメンバーとマネージャーが乗っていた。運転席と助手席にマネージャー二人、後部座席にメンバーが乗っていた。奈月は窓際に座り、外の景色を楽しんでいた。 数時間後、無事に合宿所に着いた。とりあえずそれぞれの部屋に荷物を置きに行った。 「もう夜やん。」 和之が外を見ると、既にあたりは暗くなっていた。 「腹減ったぁー。」 芳春が叫ぶ。 「そうやな。黒ちゃんか衛、何か作って。」 「なんでやねん。」 悠一が催促すると、一真が冷たく返した。 「あっ。うちが何か作ろっか?」 奈月が立候補すると、悠一の顔がパァっと明るくなった。 「ホンマ?じゃあ、頼むわ。」 その言葉を聞き、奈月はキッチンへと消えていった。 「で?何で合宿なん?」 奈月がいなくなるのを確認すると、一真が煙草を取り出しながら訊ねた。 「曲作るためぢゃーん。」 悠一がふざけて答える。 「根性入れたろか?」 一真はキレそうになりながら火を点けたばかりの煙草を悠一の顔に近づけた。 「怒っちゃいやーん。」 「殺すぞ。てめぇ。」 ますます火に油を注いでいたので、慌てて怒りを抑えようとする。 「嘘やって。ちゃんと説明するって。」 そう言うと一真は煙草を押し付けるのをやめた。 「お兄ちゃん。何もないから買出し行ってくるね。西川さんと。」 奈月がキッチンから顔を出す。西川とはsparkleのマネージャーで、ここまで運転してきた運転手だ。 「おう。」 一真が短く返事する。 「いってらっしゃーい。」 衛たちが手を振ると、奈月も手を振り返した。 「さて。で?なんだっけ?」 悠一がとぼけると、一真は今度は無言で煙草を押し付けようとした。 「わぁー。思い出した。」 ほとんど強制的に思い出した悠一は慌てて煙草から逃れた。一真は何事もなかったかのように再び煙草を吸い始めた。 「奈月ちゃん、慣れてへん環境で新生活送ってるやろ?やから一つは息抜きさせたかったんや。いろいろと大変やろうし、ストレスも溜まるやろ?」 「一つはってコトは、まだ他に理由あるんか?」 衛がツッコむと、「まーな。」と言葉を濁した。 「なんやねんな。言いや。」 衛が無理やり聞き出そうとするので、悠一は諦めて口を開いた。 「その・・黒ちゃんによると、奈月ちゃんは・・・友達ができへんって言うてたやんか。だから・・・その・・俺たちが奈月ちゃんの友達って言うか・・親友になれたらって・・・・。」 「そうやな。」 しどろもどろに言う悠一の意見にメンバーは同意した。 「で。その機会をここ合宿所で見つけられたらって?」 察した衛が付け加える。 「まあ・・・。」 悠一がちらっと一真を見ながら答える。 「ええんちゃう?」 一真が煙草の煙を吐きながら言う。一同、意外な返答に一真を見つめた。 「なんやねん。」 見つめられ、気味悪くなったらしい。 「いや。意外やなって。」 衛が驚いたまま答える。その言葉に他の三人が頷く。 「なんで?」 「なんでって・・・だっていつもの黒ちゃんなら『お前らに奈月の親友なんてさせてたまるか』くらいの勢いで怒りそうやから・・・。」 「そうか?」 あっさりと答える一真にメンバーはもう何も言えなかった。 「はー。ごちそうさん。」 「美味かったぁー。」 たらふく食べた悠一と芳春がお腹をさする。 「良かった。」 奈月も笑みを浮かべる。 「奈月ちゃんって料理上手いよな?黒ちゃんもだけど。そういう家系なんかな?」 悠一が話しかけると、奈月は困ったように首を傾げた。 「さあ?」 「まぁ、お前からしたら皆、料理上手いやろうな。」 一真が意地悪く笑いながら言うと、皆笑った。悠一の料理オンチはメンバー全員の知るところになっている。 「そりゃ、言えてる。」 衛が笑いながら相槌を打った。みんなもうんうんと頷く。 「えー。ひどくね?」 「ひどくない。ひどくない。」 そんな感じで一しきり悠一で遊んだ後、後片付けを済ませ、それぞれの部屋へ戻って行った。 真夜中。悠一は曲が思い浮かんだので、作曲作業をしていた。それも一段落ついたので、何か飲もうと思い、台所に向かっていた。 「あれ?奈月ちゃんやん。どうかしたん?」 その途中で通りかかったリビングに奈月がいるのが見えた。声をかけると、奈月は俯いていた顔を上げた。 「あっ。悠一くん。ちょっと寝付けなくて。」 「そっか。」 「悠一くんこそ、どうしたん?」 「ああ。今まで曲書いててん。で、何か喉渇いたから、何か飲もうかと。」 「そうなんや。じゃあ、うちが入れたげる。」 「おお。サンキュっ。」 悠一はリビングのソファに腰掛け、奈月は台所に向かった。しばらくしてマグカップを持って戻ってきた。 「はい。奈月特製のホットココア。マシュマロ入り。」 「おー。サンキュ。美味そう。いっただきまーす。」 「熱いよ。」 「大丈夫。」 そう言って早速ココアに口をつける。 「・・・美味い。マジで。」 「良かった。」 奈月は微笑んだ。 「奈月ちゃん。その・・・どう?学校。楽しい?」 悠一は何となく訊ねてみた。 「うん。まぁ、それなりに。」 奈月は曖昧な返事をした。悠一はどう言えばいいか、分からなかった。下手なことを聞けない。それでも何か聞こうと思いを巡らせる。 「あ・・・。友達は?できた?」 「まだ。ちょっとは話すけど・・・やっぱ女の子には馴染めんみたい。」 奈月はそう言って笑った。悠一にはその笑顔が寂しそうにに見えた。 「やっぱりって?」 悠一が引っかかった言葉を聞き返した。 「うち、男兄弟やろ?やから、男の子との方が馴染めるんよね。それに・・・。」 「それに?」 言葉を濁した奈月は目線を下にずらした。少しの間が開く。 「昔ね、イジメられてたんよ。女の子たちに。」 「えっ?」 意外すぎる言葉に悠一は固まった。以前に一真から聞いていたとしても、その言葉は衝撃だった。 「この際やから言っとこうか。イジメってほどやないんやけど。・・・小学校ん時ね、クラスにイジメられよる女の子がおったんよ。みんなから無視されたりして。でもうちはそんなんキライやったから、その子とは仲良くしてたんよ。そしたら標的がその子からうちに切り替わって。そんなんはどうでも良かった。心が狭い人間なんやって思ってたし。・・・ショックやったのは、初めにイジメられとったその子も、そいつらの仲間になっとって。そん時な、女の友情ってこんなにモロイんやなって妙に実感してしもて。それからは男の子の仲間入り。元々男子とは仲良かったし。そのまま中学校に上がって、友達は何人かできたけど、親友って呼べるような子はおらんかった。」 奈月は苦笑しながら話した。悠一は奈月の話を聞きながら、先日一真が言ってたことを思い出していた。 『高校で友達が・・・親友って呼べる友達ができればええんやけど。』 一真は奈月の境遇を知っていたのだ。だからあんな事を言ったのだと今頃気づく。悠一は寂しそうな笑顔の奈月に、明るい笑顔を見せた。 「それでもええと思うで。」 「えっ?」 思わぬ言葉に奈月は驚いた。 「友達とかって無理に作るもんちゃうと思う。」 奈月は黙って悠一の言葉を聴いていた。 「どうでもええ言うたら変やけどさ。無理に奈月ちゃんが相手に合わすことなんてないと思うで。やから、奈月ちゃんは奈月ちゃんらしくやればええねん。」 「うち・・・らしく・・・。」 「せや。それでもどうしても愚痴言いたくなったら、いつでも俺に電話してくれてかまんから。黒ちゃんには言いにくいこととかでも俺には言えるやろうし。」 「うん。ありがと。何か、悠一くんが友達になってくれたら、心強いわ。」 奈月が嬉しそうに笑った。つられて悠一も笑顔になる。 「そう?親友でもええねんで。」 「ホンマに?ありがとう。」 素直にお礼を言われ悠一は照れた。それでも奈月の笑顔を見て、少し安心した。 「あ、そうそう。外、見た?」 奈月が急に話題を変える。 「外?何かあるん?」 「うん。あるんよ。こっち来て。」 奈月は悠一の手を引いて、バルコニーの方に出た。 「うおっ。ちょっと寒うない?」 悠一は出ると同時に身震いした。奈月はそうやね、と頷きながら、どんどん外へ出て行く。 「悠一くん。上、見て。」 「上?」 悠一は不審ながらも上を向いた。そこにあったのは満天の星空だった。 「うわぁー。きれーやなぁ。」 「やろっ?」 奈月が悠一の反応に喜んでいる。真夜中の空には、たくさんの星々が所狭しと輝いていた。都心では絶対に見られない光景だった。 悠一はその美しさに言葉を失った。辺りは真っ暗。何もない。そこにあるのは月明かりと星の光だけ。これだけでもこんなに明るいものなのか?きっとこの景色は変わることはない。永遠という時の流れの間中、輝き続けるだろう。それに比べて人間は何とちっぽけなのだろう。この自然の悠久さと比べたら、自分なんて取るに足らない存在。儚い命の間、たとえ一瞬でも輝けるのなら、この星たちのように輝きたい。そう、いつかこの夜空みたいな壮大な曲を作りたい。そんなことをふと考えてしまうような夜空だった。 翌朝の朝食は衛特製だった。遅めの朝食を取り終わると、各自で曲作りに入った。とりあえず、昨日作った悠一の曲を早速メンバー全員で聴いてみることにした。 「えんちゃう?なんか悠一らしい。」 衛が感想を述べると、全員がうんうんと頷いた。 「ホンマ?奈月ちゃん、どう?」 隣で聴いていた奈月に尋ねてみる。 「うん、ええと思うよ。悠一くんらしい曲やと思う。」 そう言われて、心なしかホッとした。 「あとはアレンジやんな。どうやって組み立てるか。」 「よっしゃ。とりあえず、アレンジは悠一がやるとして。問題は歌詞やな。」 悠一が言うと、衛が悩みこんだ。歌詞は衛の仕事だ。 「むずいな。今回のは。」 一真が煙草に火を点けながら言うと、衛は俯いていた顔を上げた。 「うーん。まぁ、それは置いといて。皆もじゃんじゃん曲作ってや。」 「置いとったら溜まる一方やで。」 芳春がツッコと、衛はムッとした。 「うっさいわ。曲も詞も書かんヤツに言われとーないわっ。」 「しどひ。何もそこまで言わんでも・・・。うわーん。奈月ちゃーん。衛がイジメるぅ。」 芳春が奈月に泣きつくと、まるで小さい子を扱うかのように頭を撫でられた。 「よしよし。」 「年下扱いやで。」 悠一が小さくツッコむと、メンバーは噴出した。 「うわーん。皆キライやぁ。」 「出てくんなら出ていき。行くトコないやろうけど。」 衛が意地悪く言う。 「まぁ、こいつはまだメンバーとして認めてへんからな。」 一真も意地悪気に言う。この時、芳春にはメンバーに悪魔の尻尾と羽があるのが見えた。 「人でなしぃ。」 「そうや。俺ら神様やからな。」 悠一が悪ノリすると、「そうそう。」と衛たちが頷いた。何も言えなくなった芳春は「うわーん。」と泣きながら、スタジオを出て行ってしまった。 「あっ。行っちゃった。」 奈月は止める術もなかった。 「ほっとけばそのうち帰ってくるって。」 慣れている衛は苦笑しながら奈月に言った。 「そうそう。いつもやから。」 悠一も笑いながら言う。 「でも・・・。」 奈月はそれでも心配だったが、メンバーは各自、曲作りに入ってしまった。奈月は何もできないので、ただメンバーの作業を見ていた。 それだけでも奈月にとっては、楽しかった。 そのうち芳春が帰ってきた。 「うまそうやったから買ってきた。」 そう言って差し出されたものは、発泡スチロールの箱だった。 「さっ、魚?」 一同言葉を失った。なぜにこんなもん買ってくんだ?という疑問が浮かんだ。市場でも近くにあったのだろうかと思ってしまう。 「そっ。鰆だよーん。」 芳春が嬉しそうに言う。確かに旬の魚ではある。 「お前が自腹切るん珍しいな。」 一真が煙草をふかしながら笑った。 「えっ?やっぱ自腹なん?」 芳春が顔色が悪くなった。 「「「「あったりまえやろ?」」」」 奈月以外のメンバーが声を揃えて答える。 「うっそーん。」 芳春はショックを隠せない。どうやらワリカンにする気だったらしい。 「ははっ。なら今晩は魚料理やね。うちが腕によりをかけて作るから、みんなはがんばって曲作っててね。」 奈月は鰆を持って台所に消えて行った。メンバーは夕食を期待しつつ、曲作りに励んだ。芳春はしばらくその場で放心していた。 夕食の時間。鰆は焼き魚になり、大根の味噌汁、肉じゃがと見事な和食がテーブルに並べられた。 「おお。美味いっ。」 早速一口食べた芳春が叫ぶ。 「ホンマや。ごっつ美味い。」 他のメンバーも絶賛するので、奈月はホッとしつつも照れていた。 翌日。合宿最終日。メンバーは遅めの朝食を取り、先日悠一が作った曲をアレンジ、練習をしていた。 「なぁ、ここってどう入ったらええ?」 「このコード、変ちゃう?」 奈月はメンバーの一連の動作を見ていた。レコーディングに行くまでの過程がこんなに大変だったとは思わなかった。しかし奈月にはメンバーが楽しんでやっていることが分かった。本当に音楽好きなんだと思った。とりあえず今日、東京に帰るので彼らは急いでいた。やれるところまではやろうと考えていたのだ。 まずはリズムからというわけで、芳春と一真がまず音入れをする。リズムだけで明るい曲調だと予想がつく。奈月は見ているだけだったが、自分も参加している気分で聞いていた。ギター、キーボードと入るとぼやけていた曲がはっきり見えてきた。そして最後にボーカル。この時点で既に夕方になっていた。 「どうする?奈月。先に帰っとくか?」 一真は明日学校がある奈月に問い掛けた。 「ううん。お兄ちゃんたちが帰る時でええよ。」 「何時んなるか、分からんで?」 「うん。大丈夫。」 奈月はそう言って微笑んだ。その笑顔に屈したのか、一真はそれ以上何も言わなかった。 奈月は歌入れをする衛を見つめた。歌詞を聴いた。 その一連の作業を見て、歌を入れるということは、心を入れることだと感じた。衛は何度も何度も録り直した。本人の納得が行くまでメンバーも付き合った。その結束力が音楽という形になって生み出されている。奈月はそれを肌で感じ、感動を覚えていた。 何とかレコーディングも終わり、やっと一段落ついたときには真夜中になっていた。車に乗り込むと、疲れたのかメンバーは早速寝入ってしまった。マネージャーが運転してくれているので、全員眠りに就いた。奈月も疲労が溜まっていたのか、すぐ眠りについた。 そして何とか事務所に辿り着き、その後は各自で自宅にまで帰った。 翌日、いつも通り目覚めた奈月は頭がすっきりしているコトに気づいた。なぜかは分からなかったが、妙に元気になっていた。 奈月は自分の弁当とまだ眠っている兄のための朝食を用意し、家を出た。 電車に乗り込み、登校する。新しい場所の暮らしにもだいぶ慣れてきた。日ごとに楽しくなりそうな予感がする。奈月は高校生活を楽しんでいた。 だが、まだ友達と呼べる人はできなかった。しかし奈月は寂しくはなかった。 『俺らがついてるで。いつでも。』 別れ際に聞いた悠一のこの台詞《ことば》がいつまでも心に残っていた。一人じゃない。そう思うだけで強くなれる気がした。 「黒川。ちょっといいか?」 担任に呼び止められた奈月は、担任のいる廊下に出た。 「何ですか?」 「ああ。実はね、副委員長を引き受けて欲しいんだけど。」 「え?うちがですか?」 奈月は担任の意外な言葉に驚いた。 「そう。副委員長って言っても特に仕事はないんだ。委員長のサポートするくらいだから。委員長はもう決まってるんだけど、副委員長がなかなか決まらなくて。君画一番の適任だと思ったんだけど。やってくれるかな?」 「あ、はい。うちなんかで良かったら。」 「そうか。引き受けてくれて嬉しいよ。次の授業の時に皆に紹介するから。」 「はい。」 奈月は嬉しかった。誰かが自分を必要としてくれていることが妙に嬉しかった。 ホームルームの時間。担任が学級役員の選出を行った。 「まず学級委員長だが、天野秀一がやってくれることになった。そして副委員長は黒川奈月だ。二人とも前に出てきてくれるか?」 そう言われ、奈月と秀一は前に出た。そして挨拶する。 「えーっと。天野秀一です。よろしくお願いします。」 「黒川奈月です。よろしくお願いします。」 「はい。じゃ、みんなで学級役員決めて。」 担任はそう言うと教室の端の方に寄った。後は生徒が中心に進める。 「えっと、それじゃあ、役員を決めたいと思います。やりたい役員はありますか?」 秀一が皆に話しかけている最中に奈月は黒板に役員名を書き連ねた。 一時間が終わるころには何とかすべての役員が決まった。 放課後、秀一と奈月は居残りをしていた。明日配るプリントをまとめるためだ。 「黒川さんはどこの中学?」 ふと話しかけられ驚く奈月。 「えっ?あぁ。うちは大阪におったから・・・。」 「じゃあ、転校してきたんだ。お父さんの転勤か何か?」 秀一の質問に奈月は首を振った。 「ううん。うちだけこっちにおるんよ。」 「どうゆうこと?」 意味が掴めず、秀一は聞き返した。 「親は大阪におるんやけど、うちは一番上のお兄ちゃんトコに居候してるんよ。」 「なんで?」 秀一の単刀直入な質問に奈月はどう答えるか悩んだ。そして口を開く。 「夢を叶えるため、かな?」 「夢?」 聞き返され、奈月は頷いた。 「うん。今はまだ準備段階やけど。いつか叶えるためにここにおるんよ。」 「ふーん。どんな夢?」 突っ込んで聞かれ、少し悩む。 「今は言えん。誰かに言うたら弱くなりそうやし。」 「そっか。叶うといいね。」 秀一はそれ以上突っ込まず、微笑んだ。 「ありがと。・・・天野くんは何か夢とかってある?」 秀一は少し悩みながら答えた。 「うーん。今は別に。でもギターはやってるよ。」 「へぇー。うちもちょっとなら弾けるよ。」 「ほんと?」 「うん。お兄ちゃんに教えてもろて。」 「へぇ。お兄さん弾けるんだ?」 「うん。歳は離れてるんだけどね。」 「そうなんだ。そういや俺の好きなバンドにも黒川さんと同じ苗字の人いたなぁ。」 「・・・それって・・・。」 「知ってる?sparkleってバンド。」 やっぱり、と奈月は思った。黒川という苗字自体はそんな珍しいものではないので、動揺を隠しつつ話を進める。 「うん・・。sparkle、好きなの?」 そう聞くと、秀一の顔はパァと明るくなった。嬉しそうに頷く。 「うん。特にギター。カズのギターって凄いんだよねぇ。」 「うん。凄いよねぇ。」 奈月も同意する。和之のギターテクニックは、素人が聞いても凄いテクニックだと分かる。 「でさ、sparkleの曲って他のアーティストとは何か違うんだよね。」 「何かって?」 聞き返すと、秀一は言葉を探した。 「うーん。上手く言えないけど。何かこう・・・聴けば聴くほど味が出てくるよね。」 「うん。そうやね。」 その言葉に奈月は頷いた。 「歌詞もさ、決められたもんじゃなくて、聴いてる側がイメージできるし。俺さ、そうゆう曲、作ってみたいなって思ってるんだ。」 「うん。うちも書けたらええなって思う。天野くんてホンマ音楽好きなんやね。」 「ははっ。そうかも。」 奈月に言われ、秀一は笑った。 「うちも音楽好きや。」 呟いた言葉に秀一が反応した。 「じゃあ、黒川さんの夢って音楽に関係してんの?」 秀一の問いに奈月が苦笑した。 「バレた?」 「すっげー。夢は音楽で世界制覇とか?」 突拍子もない秀一の言葉に、奈月は思わず噴出した。 「あはは。ちょっとちゃうけど・・・。そんなもん。」 「へぇー。あ、でもさ、なら何でこの学校に入ったの?ここってある意味特殊じゃん?」 「うん。音楽やる条件が高校行くことやったんよ。でもただ進学校行くだけやったら、おもしろないし。英語勉強しとったら、何かと便利かなぁ思て。」 「そうなんだ。・・・俺は親に勧められてなんだけどね。」 「でも何か似た者同士やね。」 二人は顔を見合わせて笑った。ちょうどプリントのまとめも終わったので、二人は帰ることにした。 「あれ?黒川さんって電車?」 秀一は自転車置き場から自転車を出しながら訊ねた。奈月は「うん。」と頷いた。 「そっか。じゃあ、駅まで送ってくよ。」 「ええよ、別に。天野くんの帰りがもっと遅うなるし。」 奈月は首を振った。 「大丈夫。俺、チャリだし。男だし。家近いし。」 秀一はそう言いながら笑った。 人懐っこいその笑顔に、奈月の目の前に残像が浮かんだ。まだ胸の奥に残っているあの人の笑顔。もう二度とは戻らない彼の残像が脳裏を過ぎった。 「?黒川さん?」 黙りこくった奈月に秀一が声をかけた。その声で我に返る。 「え?」 「大丈夫?何か顔色悪いけど。」 「あっ。うん。大丈夫。何でもないよ。」 奈月は微笑んで見せた。 「そっ。ならいいけど。そういやぁ、何分くらいかかるの?黒川さんの家。」 「電車で二十分くらいかな?それから歩いて十分くらい。」 「そっか。思ったより遠いんだね。」 「そかな?」 「俺からしたらね。」 秀一がまた笑う。彼とは顔なんか全然似てないのに、どことなく似ている気がするのは、この人懐っこい笑顔のせいだろうか? 「黒川さん。」 「えっ?何?」 改まった様子で秀一が口を開く。 「こんなこと言うのは、おかしいかもしれないけど。その・・・友達になってくれるかな?」 突然のことだったので、奈月は一瞬何のことだか分からなくなった。 「やっぱダメ?」 苦笑いを浮かべる秀一。 「えっと・・。あ、いや。ちょっとびっくりしただけ。・・・もちろんやって。」 奈月は笑顔で答えた。 「よかった。」 秀一は安堵の溜息を漏らす。この時の秀一の言葉の意味を奈月はまだ知らなかった。 たわいもない会話をしながら、駅に着いた。 「送ってくれてありがとう。」 「ううん。どうせ通り道だし。それにしても気をつけて帰りなよ?暗いし危ないから。」 「うん。」 奈月は頷きながら噴出した。どうして笑っているのか分からず、秀一は思わず聞いた。 「何で笑うの?」 「なんかお兄ちゃんみたいやなって思って・・・・。」 「ははっ。そお?」 奈月の言葉に苦笑した。 「うん。うちのお兄ちゃんそっくり。」 「ははっ。そうなの?」 その時に奈月の携帯が震えた。上着のポケットに入っている携帯を取り出し、名前を確認する。 「ちょうごめん。・・・もしもし?」 『今どこにおるんや?』 かかってきた相手は一真だった。 「F駅やけど。何?」 『ならそこおり。今から迎えに行くわ。飯食いに行くで。』 「うん。分かった。」 『10分で迎えに行く。』 「はーい。」 「お兄さん?」 電話を切り終わると秀一に話しかけられる。 「うん。そお。今から迎えに来るって。」 「そっか。じゃあ大丈夫だね。っと。俺も帰んなきゃ。じゃ、また明日。」 「うん。ありがとね。天野くん。」 「秀一でいいよ。名字ってあんまり好きじゃないから。」 「分かった。じゃあ、うちんことも奈月でええよ。その方が呼ばれ慣れてとるし。」 「OK。じゃあまた明日。」 「うん。バイバイ。」 奈月がそう言うと秀一は手を振りながら帰って行った。 一真を待つ十分の間、奈月は『彼』のコトを思い出していた。もう二度とは戻って来ない『彼』。 自分のせいだ。あの事件が起こったのは。今更かもしれないが後悔している。できるならあの頃に戻ってやり直したい。『彼』がいなくなってから自分は壊れてしまった。そんな時に支えてくれたあの曲が今でも胸の中で響いている。 「奈月。」 不意に呼ばれ、奈月は顔を上げた。相手を認め、奈月は安堵の表情を浮かべた。 「あ、お兄ちゃん。」 いつの間にか一真が迎えに来ていた。奈月は一真に渡されたヘルメットを被り、バイクの後部座席にまたがった。 「どした?何かあった?」 いつもと様子が違う奈月に気づき、声をかけるが、奈月は下をむいたまま首を振った。 「そ。じゃ、飛ばすからしっかり捕まっとけよ。」 そう言われ、奈月は一真にしっかり抱きついた。それを確認してから、一真はバイクを飛ばした。 「着いたで。」 飽くまで安全運転で、着いた先は焼肉屋だった。 「ここでご飯食べんの?二人やのに?」 「そお。けど二人ちゃうで。皆待っとる。」 「みんな?」 一真の言葉に奈月は眉をひそめた。 「そ。みんな。」 そう言いながら一真はドアを開けて入って行った。奈月も一真の後に続いて店に入った。 「いらっさーい。」 笑顔で迎えてくれたのは、sparkleのメンバーだった。 「こっちこっち。」 奈月は悠一と芳春に誘導されて奥の席に座った。隣は悠一、向かいに衛、その隣が芳春が座る。 「ナイスタイミングやね。今ちょうど食べ頃やで。」 衛がお箸で肉を焼きながら、奈月を迎える。 「そういやぁ、お兄ちゃんは?」 一緒に入ってきたはずの一真を探す。 「ああ、黒ちゃんならあそこや。」 悠一が指差す先に確かに一真がいた。そこには和之とその他にも何名かいた。 「あの人たちは?」 「スタッフや。今までレコーディングしとったから。」 「なるほど。」 奈月の問いに悠一が答える。 「何や。奈月は黒ちゃんと食べたかったんか?」 「違うよ。」 意地悪く言う悠一にふてくされる奈月。 「ほら、焼けたで。」 そんな会話お構いなしに衛が焼けた肉や野菜をみんなのお皿に取り分ける。 「どんどん食べてや。」 衛は笑顔で奈月に話しかけた。しかし反応したのは芳春だった。 「分かってるて。」 「ハル、お前に言うたんちゃう。」 「ほえ?」 「俺は奈月ちゃんに言うたんや。」 「あっそ。」 それでも芳春はあんまり気にしてない様子で食べ続けていた。 「ったく。」 衛は呆れていたが、悠一と奈月はその様子を見て笑った。 「もーあかん。食べられんわ。」 奈月はいっぱいになったお腹をさすった。 「何や。もう食べへんの?少食やな。」 「お前からしたらな。」 あっけらかんと言った芳春に衛がツッコむ。 「ハルの胃袋は宇宙やからな。」 悠一はお酒のおかわりをしながら付け足す。 「そうゆうお前は酒飲み過ぎ。」 衛が厳しい指摘をする。あまりお酒を飲まない衛からすれば、悠一はもう十分すぎるほど飲んでいる。未だにさげられていない空き瓶がその事実を物語っている。 「あっ。俺もビール、おかわり。」 芳春は空になったコップを差し出し、悠一に注いでもらった。 「お前も飲み過ぎ。ったく。言うてる傍からこれやもんなぁ。」 まるでコントのようなやり取りに奈月は終始笑っていた。 「俺、ちょうトイレ行ってくるわ。」 悠一が立ち上がり、トイレに向かう。すると芳春も箸を置いて立ち上がった。 「俺も。衛、肉焦げんように見とって。」 「ん。」 二人がいなくなり、席には衛と奈月だけになった。衛は何か会話の糸口になるような言葉を考えた。 「・・・ガッコ、楽しい?」 不意に話しかけられ、奈月は驚いた。 「うん。まだ始まったばっかやけど。」 「そうやなぁ。奈月ちゃんのクラスってどんなん?」 「普通やと思うよ。でも男女とも明るい子多いかな。」 奈月の答えに衛は少しホッとした。 「良かったやん。ええクラスみたい。」 「うん。そやね。」 「それでさ、その・・・友達は?できた?」 衛は口に出してから気づいた。失敗だったかもしれない。しかし思っていた反応とは違っていた。奈月は笑顔になった。 「うん。できたよ。男の子だけど。彼ね、sparkleのファンなんだって。」 「へぇ。誰の?」 「カズくん。」 余りの即答に、一瞬の間が空く。ひゅぅぅぅぅぅ、と冷たい風が吹き抜けた。 「あっそ。」 「あっ、でも、曲のコトも言うてたよ。」 投げやりな返答をした衛に慌てて奈月がフォローを入れる。 「何て?」 聞き返したものの、衛はどうせ和之のギターがカッコイイとか言うやろうな、と半分諦めていた。 「うんとね、他のアーティストとはちゃうって。上手く言えんけど。聴けば聴くほど味が出てくるって。歌詞もリスナー任せやし。いつか自分もそんな曲を作りたいって言うてた。」 思っていなかった言葉が衛は本気で嬉しかった。自分たちの曲を聴いてそんな曲を作りたいと言ってくれている。これほど嬉しいことはあるだろうか? 「衛くん?」 奈月は放心している衛の顔を覗き込んだ。 「あ、ごめ・・。何か嬉しくって。そんな風に言ってくれてさ。」 衛の反応を見て奈月は自分も嬉しくなった。 「でもさ。友達できたのにどうしてそんな悲しそうな顔してるん?」 「えっ?」 奈月は驚いた。何で分かったのだろう。せっかく隠してたのに・・・。 堪えていた涙が込み上げてくる。衛は奈月を庇うように隣に座った。 「あ、悠一。奈月ちゃん、気分悪いみたいやから、ちょう外出てくるわ。」 ちょうど帰ってきた悠一に一言伝えると、衛は奈月を連れ出した。 衛は自分の車に奈月を乗せ、車を出した。窓を開け、外の空気を入れる。ちょうど良い涼しさだ。 衛は何も聞かなかった。奈月が話すまで待つことにした。 奈月は次々と込み上げてくる涙を止められずにいた。奈月は気持ちを落ち着けようとしたが、次から次へと込み上げるこの感情を抑えることができなかった。 「着いたで。奈月ちゃん。」 声をかけられ、誘導されるまま奈月は車を降りた。そこには暗闇に浮かぶ海が広がっていた。奈月は言葉が出なかった。 しばらくの沈黙の後、奈月はゆっくりと口を開いた。 「うちね、好きな人がおったんよ。」 奈月が話し始めると、衛はただ黙って耳を傾けた。 「中二ん時やった。彼は転校生でうちは副委員長やった。それで他の子たちよりも彼に接する機会は多かってん。」 掠れる声で奈月はゆっくりと話した。 「彼は明るくて、頭も良かった。人当たりも良かったから、みんなに人気があった。やから他の子たちに睨まれるコトはようあった。うちはそうゆうの慣れてたから別に気にしてへんかった。それが余計にその子たちを怒らせる原因になったんやろうけど。」 自嘲する奈月に、衛は何も言えなかった。 「・・・うちは・・いつの間にか彼のコト、好きんなっとった。誰よりも、見えんトコでがんばってるコト、知っとったから。・・・それに・・・音楽も好きやった。ギターが上手くて文化祭でもよう歌っとった。・・・いつか大勢の人に聞いてもらえるような曲を作るんやって言うてた。大きな夢持ってそれを目指してる彼に、うちはだんだん惹かれていった。あるとき・・・・中三になる前、彼から告白された。夢みたいやった。もちろんOKした。・・・でも・・アホやんね?その時点でどうなるかなんて分かっとったはずやのに。」 奈月は涙声で自嘲するように言った。衛はやはり黙って聞いていた。泣き出しそうな声で続ける。 「なんも考えてなかった。ホンマ浅はかやったって思うよ。次の日には付き合っとるって、瞬く間に広がって、彼んコトを好きやった子たちはショック受けとった。その中のほとんどの子が諦める中で、ある三人だけはうちに嫌がらせしてきた。・・・辛くなかったって言うたら嘘んなるけど。・・でもっ、うちには彼がおったから、どんなコトでも耐えられた。」 奈月は言葉を吐き出すと、荒くなる呼吸を整えた。大きく息を吸い、息と共に言葉を吐き出した。 「・・・事件が起こったんは中三の二学期の終わり頃やった。いつもは彼と一緒に帰ってたんやけど、その日たまたま彼がどうしても残らないかんくって、うちは先に帰った。けど親に頼まれた買い物あったから、ちょっと寄り道して。・・・その時、疲れてたんやろうね。ボーっとしとったから、背後の気配に気づかんかった。」 今まで我慢して話していた奈月の目から涙がポロポロと零れた。 「信号待ちしとるときに不意に背中押されて、車道に飛び出したんよ。そん時トラックが来て。・・・・『もうあかん』って思ったときに誰かがうちんコトを突き飛ばしてくれた。それが彼やったんよ。・・・彼は・・代わりに・・・うちの代わりに車に轢かれて・・・。目の前には血まみれになって横たわってる彼がおった・・・。・・・信じられんかった・・。何が起こったんか、分からんかった。車の運転手が慌てて降りてきて、・・・周りの人が救急車呼んでくれて。でも・・・うちは・・・動けんかった。・・・怖くて・・・足がすくんで。・・・周りの音さえも聞こえなかった。」 奈月は涙を流しながら、深呼吸した。 まだ半年も経っていない出来事を話してるのだから、それも無理からぬことだろう。きっとまだ胸は息苦しいはずだ。衛にはそれが分かったが、どう言えばいいのか、分からなかった。下手な慰めの方が苦しい時もある。 それにその事件は聞き覚えがあった。人助けで死んだ少年。あのニュースで報道されていた少年が、奈月の彼氏で、少女が奈月だった。そんなこと、考えもしなかった。 奈月は目に涙をいっぱい浮かべ、それでも話を続けた。今にも消えてしまいそうな声で。 「・・・うちは一緒に・・救急車に乗り込んだ。ただ・・ずっと・・彼の手を握っとった。・・・それしかできんくて。・・・ただ・・・涙しか出んくて。・・・『死なんといて』って何度も呟いた。・・・車に乗り込んでから彼の意識が少し戻って・・・。彼は・・うちに・・『泣かんで』って言うた。それが余計に悲しくて。・・でも・・がんばって涙止めて微笑んだんよ?そしたらね。彼が手招きするんよ。顔を近づけたら、彼は力を振り絞ってうちのこと、抱きしめて・・・耳元で『愛してる』って・・・途切れ途切れに呟いた。・・・それがとても痛くて。・・うちには・・・『忘れんで』って言うてる気がして・・・。彼はきっと分かっとったんよね。自分が・・・死んでしまうコト。・・・彼は病院に着く少し前に・・・息を引き取った・・・。」 奈月は込み上げる涙を飲み込むように夜空を見上げた。衛には奈月の心が同調《シンクロ》していた。胸が張り裂けるくらいに痛くなった。いっそ自分も死んでしまいたいくらいに。 今思うと冬休みの奈月の様子がいつもと違っていたのは、この事件せいだったのかもしれない。 呼吸を整えながら、奈月は続けた。 「うちは・・・自分を責めた。いつもなら人の気配ぐらい読み取って避けるくらいできるのに・・・。なんであん時・・気づかんかったんやろうって。・・・うちのせいで彼は命を落とした。そう思わずには・・・いられんかった。うちもいっそ死んでしまいたかった。けど・・・彼が助けてくれた命を自ら絶つもんじゃないって思った。だから生きようと思ったの。・・・その時支えてくれたのが、『[キミヲオモウ]』だったの。」 その言葉を聞いて衛は驚いた。それは昨年の秋に出したsparkleの曲だった。 まさかここで自分たちの曲がここで出てくるとは思わなかった。しかしその時の奈月の顔は不思議なほど穏やかだった。 「あの曲は彼が、生前、よくギターで弾き語りしてくれたんよ。その曲聴いてると、彼が『ずっと一緒や』て言うてくれてるみたいで、包み込んでくれてる気がして・・・。やから犯人の目星ついとったけど復讐しようなんて思わんかった。・・・事件のことは警察が不審に思って調べた。うちも事情徴収も受けた。そんときは知らんかったんやけど、彼は一人で帰っとったんじゃなくて親友やった男の子と一緒に帰っとったんやって。やから一部始終その子が見とって、うちの背中を押した人たちのコトも、その後どうなったんか全部話してくれた。犯人はやっぱり彼のコトを好きやったあの三人組やった。たまたま通りがかって、うちんコト見てたら憎らしいなって突き飛ばしたんやって。殺人未遂とか何とかで一応取り調べ受けてたみたい。その後どうなったかは知らん。そのまま冬休み入ったし。遠くへ引っ越したって噂で聞いた。」 奈月はまた溜息を吐いた。そして俯いていた顔を上げ、衛を見つめた。その目には涙が浮かんでいた。話すのはやはり辛いのだろう。 「なんでこんな話したかって言うたらね。今日、友達んなった男の子が彼に似とったからなんよ。顔とかやなくて、何て言うか、雰囲気が似てるんよ。やから彼のコト、思い出してもーて。・・・でもどして分かったん?必死で隠してたのに。」 衛は奈月から目線を一度ずらし、再び奈月を見据えた。 「笑顔が・・・カラッポやった。カラ元気ってカンジやった。」 衛の答えを聞き、奈月は苦笑した。 「そっか。衛くん鋭いね。何も隠し事できんやん。」 奈月の笑顔が衛には痛々しく見えた。居たたまれなくなってしまう。 「なぁ。なんで無理やり元気出そうとするん?」 「えっ?」 思わぬ言葉に驚いた奈月は、ただ衛を見つめた。 「泣いたらええねん。辛いときは泣いたってええんやで?『泣かない』のが『強さ』やとは思わん。けど・・・『泣く』のが『弱さ』やとも思わん。弱音やって吐いてもええ。それがきっと頑張る力や勇気に変わるんやから。」 自分でも何だかクサイことを言っていると分かったが、奈月はその言葉を合図に目に溜まっていた涙が一筋流れる。 「・・・・・。そんなコト言わんでよ。・・・・せっかく・・涙、堪えてたのに。」 「奈月・・・。」 衛は奈月の頭にポンと手を乗せた。その瞬間、塞き止めていた涙が溢れ出した。今まで押し込めてきた気持ちが一気に外に飛び出した。 彼がいなくなって奈月は今まで以上に気持ちを外に出さなくなった。悲しいはずなのに涙さえ出なかった。彼の葬儀の時でさえ涙は出なかった。死んでしまった、なんて思いたくなかった。信じられなかった。信じたくなかった。何が起こってるのかさえ、分からなかった。それからはずっと自分を殺してきた気がする。 今やっと解放された。 「奈月ちゃん、寒うなってきたな。帰ろか。」 衛はそう言うと奈月を車に乗せた。 「ねぇ。衛くん。今日のこと、お兄ちゃんには黙っとってくれる?」 奈月の真意はよく分からなかったが、衛は頷いた。 「ああ。分かった。ここだけの話な。」 衛はそう答えると、ギアを入れ替え、車を発進させた。 「ごめんな。勝手に連れ出すようなことして。」 助手席に座っている奈月に話しかける。 「ううん。こっちこそごめん。心配かけちゃって。」 「いや。でもさ、兄貴にも言えんことで、辛くなったらいつでも言うて来や。」 「うん。ありがとう。」 奈月は笑った。 「・・・・強いな。奈月ちゃんは。」 「え?」 「もう笑顔になってる。」 衛に言われ、奈月は苦笑した。 「そんな・・。・・・一人じゃ何もできないんよ?ただ・・・。」 「ただ?」 衛は奈月の言葉に耳を傾けた。 「ただうちの周りにはうちを支えてくれとる人がおる。・・・そう思うだけで、その人たちのためにがんばろうって思えるんよ。今日やって衛くんが支えてくれた。やから、もうちょっとがんばってみようって思えたんよ。」 「・・うん。それ、分かる気ぃするわ。」 衛の反応に奈月は驚いた。 「俺も、どうしようもなく疲れてまうコトある。カラダやなくてココロがね。それは俺が気づかんうちに、どんどん広がってって・・・。やけど皆がいてくれるからがんばろうって思う。それはsparkleのメンバーやったり、スタッフやったり、ファンのコやったり。いろんな人が周りにいてくれるから。その人たちからたくさんパワーもらって、俺も誰かの力になれたらって思う。」 「うん。十分、力になってくれてるよ。少なくともうちのね。」 「それはヨカッタ。」 奈月の笑顔に衛も笑顔になった。 「じゃあ。またね。」 「うん。ありがと。衛くん。いろいろ。」 「いやいや。俺の方こそ。」 「え?うち何もしてへんよ。」 奈月がそう言うと衛は笑った。 「いーや。奈月ちゃんは俺にいろんなこと、教えてくれたよ。」 衛の言葉の意味が奈月には理解できなかった。衛は笑顔を向けた。 「それじゃ、戸締りしっかりして、ゆっくり休み。どうせ黒ちゃんは朝帰りやろうからね。」 「あははっ。そうする。」 「じゃあね。」 「うん。バイバイ。」 衛は車を走らせた。奈月はそれを見送ると、部屋に戻った。 奈月はシャワーを浴び、全ての戸締りを確認して蒲団に潜り込んだ。現在0時過ぎ。一真はまだ帰って来ない。 (どうせ朝まで飲んでんやろうな。) 奈月の予感は的中することになる。奈月は仰向けになり、天井を見つめた。 あまりにもいろんな事がありすぎて、今夜は興奮して眠れそうになかった。今日は一人の男の子と友達になった。だけど、秀一の様子が妙だった。 『友達になってくれる?』 そう言った時の表情がどこか寂しげだった。 (何であんな顔してたんやろ?) 奈月にも何かがあったことくらいは分かった。だがそれが何なのかは分からなかった。 そしてその後一真に連れられて食べに行って、衛に泣き出しそうな笑顔を鋭く指摘された。 (何で分かったんやろ?) こっちは必死で隠してるつもりだった。なのにすぐ見破られた。 (あーあ。内緒にしてたのにな。あいつのこと。) つい話してしまった。衛はそれでもただ黙って聞いてくれた。それが救いだった。 思い出してしまった過去。今は痛い思い出。いつかはこの痛みが何かを生み出す糧になれば・・・。今まで忘れていられたのは、音楽があったから。忘れたくても消せない痛み。 (どうしたらええんやろ?) 奈月はまた涙を流していた。もういない人に向かって呼びかける。返事が返ってこないことくらい分かってる。だけど、どうにもできない。もどかしさが駆け巡る。 奈月は泣き疲れ、いつの間にか眠りに就いた。 衛は車を走らせながら、少し前の自分たちの曲をカーステレオで聴き返す。 明けない夜など決してないよ ただ一つだけ君に誓う 例え 生まれ変わったとしても きっと君を見つけ出すよ サビを改めて聴き直してみる。この曲が奈月の壊れかけていた心を救っのだと思うと、何とも言えない嬉しさが込み上げてくる。 大切な人を失った痛み。それはきっと計り知れない。もう二度と会えない。その事実から立ち直るのは、容易ではなかったはずだ。なのに、あんなに笑っている。本当は泣きたいのを我慢して。 『強がりなんや。あいつの場合。』 数日前に聞いた一真の言葉が頭を過ぎる。 「強がり・・・ねぇ。」 衛は煙草に火を点けた。窓を開ける。心地よい夜風が入ってくる。煙草の煙を吐くと、白い煙が後ろへ流れていった。 強がり・・・ホンマは弱いってコトか?それを隠すために強いように見せて、みんなに心配させまいとしているのか? 『奈月は人を傷つけたくないんや。』 傷つける・・・人のココロに傷をつけるコト。傷なんて・・・みんないっぱいついとる。生きてくためには、傷つくのは当たり前やし、傷つけてまうのも仕方ないことや。そんなん怖がってたら、生きてかれへん。・・・やっぱり何かあったんやろうか?奈月ちゃんがそう考えるようになった理由が。 『全部自分の中に押し込めてしまうんや。』 そんなん蓄積されてったら、終いに奈月ちゃんの心が壊れてまう。 『うちの周りにはうちを支えてくれる人がおる。・・・そう思うだけで、その人たちのためにがんばろうって思えるんよ。』 そう言った奈月の微笑んだ顔がふと浮かぶ。 うん。ええ顔してた。奈月は強がっているのではなく、きっと芯が強いのだ。 「・・・心配するほどでもないみたいやで。黒ちゃん。」 数日前の奈月を心配していた一真を思い出し、衛は微笑んだ。 |