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ACT.3 君の為のLove Song
9月初め。アルバムは何とか形になり、レコーディングも終了したメンバーは、日本に戻ってきた。予定より少し早い帰国だった。哲哉は空港で一番に携帯の電源を入れた。メールを問い合わせる。一番古いものを見ると、芹華からの返信が来ていた。哲哉は即行そのメールを開いた。
『分かった。今までごめんなさい。勝手なことばかりして。もう一度ちゃんと会って話したいから、戻ってきた時、連絡ください。』
そのメールを見て、哲哉は急いで短縮ボタンを押した。芹華の携帯に繋がるが、留守電だった。仕方なくメッセージを吹き込む。
「芹華。俺、哲哉。メール、今見た。俺、今日戻ってきたんや。俺も芹華に会いたい。声が聴きたい・・。』
その時、丁度留守電が切れる。
「哲哉ぁ。行くでー。」
響介に呼ばれ、哲哉はメンバーと合流した。

芹華は今日の仕事を終え、携帯を開いた。着信記録に哲哉の名前を見、急いで留守番電話を聞いた。
『声が聴きたい。』
その言葉に、芹華は胸が熱くなった。急いで電話をかけた。
『もしもしっ!』
ものすごい勢いで哲哉が電話に出た。
「もしもし?今大丈夫?」
『うん。はぁ・・やっとつながった・・。』
哲哉はホッとした声を出した。芹華も妙にホッとする。声を聞くのは何ヶ月ぶりだろう。声を聞いただけで泣きたくなるほど安心する。
「ずっと・・勝手なことばっかりしてごめんね・・。」
『いいよ。もう。済んだことやし。それより・・今日時間ある?』
「うん。もう今日の仕事は終わった。」
『今どこ?』
「Mスタジオ。」
今までモデルの仕事をしていたのだった。
『俺、今事務所だから、そっち迎えに行くよ。』
「うん。うちも着替えなきゃだし。近くのカフェで待ってる。」
『分かった。・・じゃあ後で。』
「うん。後で。」
電話を切った芹華は、今更ながらに緊張してきた。この約2ヶ月間、どういう風に言うか、どう言えば分かってもらえるのか、考えてきた。分かってもらえるんだろうか。事務所に会うことを止められているが、これだけはどうしても伝えておかなきゃ。全てを話した後、決断するのは哲哉だ。どんな反応が返ってくるのか、全く想像できない。芹華は勇気を奮い起こした。全てを話さなきゃ、前へは進めない。自分が下した決断を哲哉がどう思うか、それだけが気がかりだった。

哲哉はメンバーと別れ、芹華の待つカフェへバイクで向かった。少しでも早く芹華に会いたかったため、渋滞に巻き込まれやすい車はやめたのだ。しかしカフェを覗いたが、芹華の姿が見えなかった。
『まだスタジオの方か・・?』
そう思い、哲哉は携帯を鳴らした。しかし留守電になっていた。哲哉は様子を見に、スタジオの方へ足を向けた。

「せーりかちゃん。」
聞き覚えのある声に、芹華は振り返った。
「坂井さん。」
「今日仕事終わりでしょ?飲みに行かない?」
「ごめんなさい。約束があるんです。」
「ふーん。バンドマンの彼氏?」
そう言われ、芹華は顔を上げた。どうして知っているんだろう。
「俺、見ちゃったんだよねぇ。車に乗り込む姿。」
いつ見たんだろう。芹華は動揺した。
「俺の言うこと聞いてくれるんなら、黙っといてあげるけど?」
意地悪く笑う。芹華はキッと睨んだ。何て汚いんだろう。
「美人さんが怒ると迫力だねぇ。ねぇ?知られたくないんでしょ?」
芹華は何も言い返せなかった。意地悪な笑みを浮かべる顔が嫌いだった。
「俺が相手してやるって言ってんだよ?」
腕を捕まれる。
「離してっ。」
「離さない。」
芹華はその腕を振りほどけなかった。坂井は芹華を抱きしめた。

哲哉は帽子を深めに被り、スタジオを覗いていた。誰もいない。廊下を歩いていると声が聞こえてきた。芹華の声だ。哲哉は声のする方へ歩いた。そっと壁の影から覗く。
「!?」
そこで見たのは、芹華とあの坂井とかいう俳優が抱き合っている場面だった。
『嘘・・やろ・・。』
哲哉は頭が真っ白になった。壁に沿って、ヨロヨロと来た道を戻った。
『芹華が言いたかったんは・・他に好きな人ができたから・・?だから・・別れようって・・・?』
パニックになりながらも、冷静に判断してみた。それなら今までのことは全て辻褄が合う。そのまま哲哉はバイクにまたがり、家に戻った。どうやって帰ったのかは覚えていなかった。

「離してっ。」
哲哉が去った後、ようやく芹華は坂井の手から離れた。
「いいの?言っちゃっても・・。」
「勝手にすれば!その代わり、あたしも黙ってませんから。」
芹華は冷ややかな目で坂井を見た。
「あたしが好きなのはこの世でたった一人だけです。それは貴方じゃない。だからもう、あたしに付きまとうのは辞めてください。」
そう言うと、芹華はその場を去った。

カフェを覗くがまだ哲哉は来ていなかった。おかしいと思いながら、電話をかけるが、応答せず、そのまま留守電になった。メールを送るが返事がない。
『・・哲哉・・。』
今まで自分が取ってきた態度がどんなに酷いものだったかにようやく気づいた。無視されるのが一番辛い。芹華はずっと待ち続けたが、哲哉は現れなかった。

一週間後。芹華は哲哉と連絡が取れないままだった。それがこんなにも不安になるなんて。今までこんな態度を取っていたのだと思うと、ただただ後悔するしかなかった。

その頃のStatic Sparksのメンバーは、アルバムのPRのため、忙しくしていた。
「大変大変っ!!」
譲がバンっとドアを開け、楽屋に入ってきた。
「何か数ヶ月前に同じ光景見たなぁ。」
のん気に遼平が呟く。
「コレ見てっ。」
譲は机の上に週刊誌を広げた。それは、あの日哲哉が見た光景だった。
「これ・・。」
「うわぁ・・。」
メンバーは哲哉を見た。あの日以来何処か元気がなかったのは、この光景を見たからだと一同納得した。
「もしかして、抱き合ってるの見た?」
直球で譲が問う。哲哉は俯きがちにこくんと頷いた。
「それでお前、元気なかったんかぁ。」
響介が納得したように言う。
「芹華とちゃんと話したんちゃうんか。」
遼平が突っ込む。
「俺・・あの日頭真っ白で・・気づいたら家にいた。」
哲哉の言葉に遼平は溜息を吐いた。
「お前なぁ・・。」
「まぁまぁ。んで、芹華サンとそれ以来話してないとか?」
譲が問う。哲哉は頷いた。
「ちゃんと話せって言うたやろ?」
「もうあかんよ。」
遼平の言葉と被るように哲哉が怒鳴った。
「もう・・無理や・・。」
「哲哉・・。」
今まで以上に落ち込む哲哉に、一同何も言えなくなった。

そして更に10日後。
「大変大変!」
「今度は何やねん。」
譲がまた慌てて入ってくる。半ば呆れモードで、遼平が対応する。
「哲哉が作った曲あるやん?芹華サンのために書いた曲。」
「それがどうかしたん?」
鷹矢が先を催促する。
「それ、デモテープを社長が聴いたみたいで、気に入ったって。」
「それで?」
「シングルで出そうって・・。」
「「「「えっ!?」」」」
全員驚いた。
「てか何で社長がデモ持ってんねん。」
「さぁ?」
遼平の突っ込みに譲は首を傾げた。
「さぁって・・。」
「でもあれは・・芹華サンのために書いたからこの世には出さないはずじゃぁ?」
響介も首を傾げる。アルバムに入れる予定のなかった曲でもあり、元々発売する予定もなかった。
「あっ。そうや!」
遼平が閃く。
「出すべきや。シングル。」
「え?」
遼平の言ってる意味が分からず、思わず聞き返す。
「シングルになるってことは、この世に出るってことや。てことは・・。」
「芹華も聞く!」
「大正解。」
鷹矢が言うと、遼平は笑った。
「でも・・・。」
哲哉は渋った。あの曲は、飽くまで芹華の為だけに書いたのだ。それが世に出るなんて。
「これが最後のチャンスやで。」
遼平が短くそう言う。哲哉の心は揺らいだ。その時、マネージャーの木村が入ってきた。
「まぁ、多分さっき譲がしゃべったと思うけど。シングルで出すことになったから。今までにない曲だって社長が絶賛してたわよ。」
「発売いつ?」
響介が問う。まだレコーディングもしていないのだ。
「そうね。まだ決まってないけど。」
「じゃあ、俺決めていい?」
哲哉が口を開く。
「いいけど。あまり慌しいのはダメよ。」
「12月18日。」
「まぁ、それくらいなら何とかなるわね。貴方たちの仕事が早ければ・・だけど。」
「がんばるよ。」
鷹矢が笑顔で答える。
「そう。ならその日に発売できるように手配するわ。」
そう言って木村は楽屋を出た。
「12月18日って・・。」
「芹華の誕生日か。」
譲が引っかかり、遼平が答える。
「これが最後のチャンスなんやろ?」
哲哉が問う。遼平は微笑みながら頷いた。
「っしゃー。芹華サンが思わず泣いちゃうくらいいい曲にしちゃおうぜ。」
響介が気合を入れる。
「お前が言うなや。」
遼平にあっさり突っ込まれる。
「頑張ろうな、哲哉。」
「おう。」
鷹矢に笑顔で言われ、哲哉も笑顔で答えた。

発売1ヶ月前。鷹矢はメールを打っていた。
「鷹矢ぁ。何やってんの?本番始まるよ?」
今日は譲と2人のレギュラーのラジオ番組の日だった。生放送でやってる深夜ラジオだ。
「うん。よし、送信っと。」
「誰にメール?」
「芹華。ラジオ聞くようにメールした。」
笑顔で答えた。その言葉を聞いて、譲は納得した。今日の放送で、あの曲をかけるのだ。
「聞いてくれるかなぁ?」
「大丈夫やって。芹華はきっと聞いてくれるよ。」
譲の言葉が何だか安心できた。

芹華は鷹矢からのメールを開いた。
『今からやるラジオで俺たちの新曲が流れる。ぜひセリカに聞いて欲しい。実は哲哉がイギリスでセリカのために書いた曲なんや。だからぜひセリカに聞いて欲しい。』
芹華は自宅に居たので、コンポのリモコンを取った。ラジオにチャンネルを合わせる。丁度聞こえてきた譲と鷹矢の声。
「今週も始まっちゃいましたぁ。Static Sparksキーボードの譲とっ。」
「ヴォーカルの鷹矢でーす。今週もハイテンションでお送りしまーす。」
2人のハイテンションさが、芹華を和ませた。今まで嫌なことがあったことすら、忘れられる。
「今日はですね、皆さん。待ちに待った新曲披露ですよ!!」
「こないだアルバム出したばっかなのにねぇ。」
譲が言うと鷹矢がしみじみと言った。
「やねぇ。この曲って、ベースの哲哉がアルバム製作途中で書いてたんですけど、ホントは発売予定なかったんですよね。」
「何でも社長が今までにない曲調で気に入っちゃったみたいです。」
「俺は結構こういう曲調好きやなぁ。ピアノの音が冴えるし。」
「バラードってやってるようであんまやってへんね、俺ら。どっちかってとロックが多いから。」
「やねぇ。鷹矢は歌っててどうやった?」
「大変やった。詞が切なくなんねん。俺歌いながら泣きそうになった。」
「あはは。俺、哲哉がこんな曲とか詞とか書くと思ってなかったから、最初聴いた時、ホンマびっくりした。」
「それはある。でも歌詞だけ見ると結構ベタなこと言ってんねんね。」
「そやねぇ。まぁきっと皆聞いたらある意味度肝抜かれると思うけど。」
「んじゃま、そろそろ聞いてもらいましょか?」
「やね。俺らがしゃべってるより、聞いてもらったほうがいいね。鷹矢、曲紹介よろしく。」
「あぃよ。俺らの・・特に哲哉の愛がいっぱい詰まってます。聞いてください。今日の1曲目。『君の為のLove Song』。」
鷹矢の曲紹介で、ピアノの前奏が鳴り始めた。芹華は少しラジオのボリュームを上げた。鷹矢のヴォーカルが始まる。

君は覚えてる? あの青を
君は覚えてる? あの歌を

君はいつも笑顔で 僕の心を癒してくれた
愛を知らなかった僕に 愛する喜びを教えてくれた

離れていても心は繋がってると思ってた僕
間違いに気付きもせず いつしか君の笑顔を曇らせた

君の為だけに贈ろう この(うた)
声が嗄れるまで歌おう 愛の歌
君の笑顔を取り戻せるように
声の限り伝えよう 『愛してる』


芹華は歌詞を聴いて、涙が溢れた。哲哉の想い。それが曲の中に溢れていた。間奏を終え、2番が始まる。


君と歩いた道は 決して平坦じゃなかった

傍に居たいと願う それさえも叶わない現実
会えないほどに想いは募る 夢さえも出てきてはくれない

『愛してる』の一言さえ言えない臆病な僕
『大丈夫だよ』と言う君の言葉に僕は甘えすぎてた

君の為だけに贈ろう この(うた)
声が嗄れるまで歌おう 愛の歌
募る想いを この歌に乗せて
声の限り伝えよう 『愛してる』

君の為だけに贈ろう この(うた)
声が嗄れるまで歌おう 愛の歌
ずっと僕の隣に居てほしい
愛しい君の為のLove Song


曲が終わる頃には、芹華は流れ出す涙を止められなかった。大粒の涙が頬を伝う。今まで自分がどれだけ哲哉を不安にさせていたかに気づいた。芹華はテーブルの上に置いてあった携帯電話を取り出した。短縮ボタンを押す。呼び出し音が鳴り響く。
『もしもし?』
やっと繋がった電話に芹華は声を出そうとしても言葉にならなかった。ただ涙が溢れていた。
『芹華?泣いてるんか?・・家に居るんか?』
その質問にようやく「うん。」と返事する。
『分かった。今から行く。一旦電話切るな。』
「うん。」
電話を切り、芹華は溢れ出した涙を止めようとした。哲哉に全てを話すのだ。そのためには泣いていてはいけない。そうは思っても溢れ出した涙を止められなかった。

30分後、哲哉がやってきた。ドアを開け、哲哉を迎える。哲哉は背中でドアを閉めた。目の前で泣いている芹華を、哲哉は抱きしめた。すると余計に泣いてしまった。哲哉も泣きたい気持ちだったが、芹華を落ち着けようと必死に努力した。
「ごめん・・ね・・。」
泣きじゃくりながら芹華が話した。
「何で謝ってんねん。」
「うち・・哲哉に酷いこと・・してきたから・・・。」
「気にすんな。」
「ラジオ・・・聞いた。鷹矢からメール来て・・新曲・・聴いて欲しいって・・。」
「・・・。」
あの曲を、芹華のために書いたあの曲を聴いてくれた。
「それで・・泣いてんの?」
その答えに腕の中で芹華が頷く。ようやく芹華の涙が落ち着く。玄関先で、靴すら脱いでいなかったので、芹華は哲哉を部屋に入れた。2人でソファに座る。芹華が先に口を開く。
「哲哉は・・未だうちのこと好きで居てくれてる?」
「もちろん。芹華は?」
「うちも哲哉のこと好き。」
その言葉に哲哉は驚いた。
「じゃあ・・どうして別れようなんて・・。」
「言ってないことがあるの。哲哉に・・ずっと言えなかった事。」
哲哉は耳を傾けた。
「うち・・海外に行くことになったんよ。」
「えっ?」
思わぬ告白に哲哉は驚いた。
「悩んだよ、そりゃ。やっと・・やっと哲哉と近くに居れるようになったのに、海外・・パリになんて。」
「パリ・・。」
哲哉は呟いた。
「でも、モデルの仕事をしながら、デザインの勉強もできるって。社長に・・智子さんに言われて・・。」
智子とは遼平の母親で、服飾デザイナーでもある。芹華はそのブランドの専属モデルをやっている。
「すごく悩んだの。悩んで決めたの。行こうって・・。」
芹華はまた泣き出しそうだった。哲哉は黙って芹華の話を聞いた。
「でもいつ戻って来れるか分からんくて。それで哲哉を束縛するなら・・別れたほうがいいって思って・・。」
「それであんなことを?」
芹華は頷いた。哲哉は芹華の頭をポンッと優しく撫で、自分の胸に押し付けた。
「アホ。何で俺に相談せんかった?」
「だって・・。もし哲哉に引き止められたら・・。」
「俺が引き止めると思うか?」
その言葉に芹華は言い返せなかった。哲哉ならきっとそんなこと言わない。
「実はな、芹華が初恋の人やねん。」
「え?」
哲哉はいつか遼平にした話を芹華にも話した。すると芹華はガバっと起き上がった。
「じゃあ・・あの時のテツヤくんって・・哲哉!?」
「せや。って覚えてたんか。」
もうとっくに忘れてると思っていた。
「忘れるわけないよ。あれから1度も会わんかったから、結構心配したんよ?」
「そっか。」
その言葉が哲哉にとって妙に嬉しかった。
「んでさ、芹華とこうして付き合えて、俺は何て幸せなんだろうって思ってんねん。だから芹華がやりたいって思ってることはやって欲しい。俺がこうしてバンド続けてるのも芹華が頑張ってるから俺も頑張ろうって思えるんや。」
その言葉で芹華はまた泣きそうになった。
「俺、待ってるよ。芹華が戻ってくるまで。ずっと遠距離やって来たやん。その距離がちょっと伸びたって思えば・・。」
「遠いよ。」
「まぁな。」
芹華の突っ込みに、哲哉は笑った。
「芹華は行きたいんやろ?俺捨ててまで行くんやから。」
「捨てるなんて・・。」
「ちょっと大げさか。・・でも、芹華が思うようにやればいい。俺はずっと芹華を待ってる。ずっと芹華を愛してるよ。」
やっと言えた言葉だが、芹華が照れる。
「恥ずかしげもなくよく言えるね。」
「ホンマのことやからな。」
「うちも・・愛してるよ。」
2人は自然と唇を重ねた。すれ違いばかりだった2人は今、やっとお互いの気持ちを確かめられた。何だか遠回りばかりしていた気がする。それはお互いに不器用で、お互いがお互いを想いすぎた余り、事態がもつれてしまった結果だ。

芹華がパリへ行くことが正式に決まり、マスコミが報道した。世間にその情報が瞬く間に広がった。
「芹華ちゃん。」
「坂井さん。」
あれから1度も会わなかった坂井とテレビ局の廊下で出会った。
「パリに行くって・・?」
「ええ。モデルをしながらデザインの勉強をするために。」
「彼氏は?」
「承諾してくれてます。ずっと待ってるって。」
「そう・・。」
坂井は俯いた。いつもの意地悪な笑顔が出ない。
「ずっと・・謝りたかったんだ。俺、酷いことしたね。」
イキナリ謝られたので、芹華は驚いた。
「俺、本気で芹華ちゃんのこと好きだったんだ。それだけは、分かって。」
「もういいですよ。済んだことです。ありがとうございます。」
「君には本当に迷惑かけたよね。ごめん。」
「もういいですって。」
「彼氏にも謝らないとね。俺たち何もなかったのに・・あんな写真が出たから。」
「大丈夫ですよ。分かってくれてます。」
「そう。心が広いんだね。あの・・遼平くんは。」
「えっ?」
坂井の言葉に芹華は驚いた。その反応に坂井も驚いた。
「え?君の彼氏・・だろ?」
「何でそうなるんですか・・?」
「違うの?」
「違いますよ。」
「ええ!?俺・・勘違いしてたのか?」
「遼平はただの幼馴染です。」
「じゃあ・・誰・・?」
坂井が混乱してきた。それを見て芹華が仕返しとばかりに意地悪く笑った。
「さぁ?誰でしょう?」
そう言いながら芹華は坂井の傍を離れた。
「ええ!?教えてよ。芹華ちゃーん。」
芹華は背中で叫ぶ坂井にしてやったりと笑みを浮かべた。

シングルの発売日。それは芹華の誕生日でもあった。この日だけはと、芹華も哲哉も休みを取った。
「引越し、決まったって?」
「うん。来年の1月末。」
「そっか。あと1ヵ月か。」
「うん・・。」
今日は哲哉の家に芹華が来ていた。外では見つかると厄介なので、家で大人しくしているのが一番だ。2人は特にすることもなく、ただ2人で居る時間を過ごしていた。いつもは離れてなかなか会えない。芹華は哲哉の隣に寄り添った。
「何か落ち着く。」
「ん?」
哲哉の肩に頭を預けていた芹華が呟く。
「何でもない。」
「何やそれ。」
「へへっ。」
芹華も哲哉もお互いが傍にいることに普段味わえない安心感を感じていた。
「そいや、今日シングル発売日じゃない?」
「あぁ、せやな。」
「何で今日にしたの?」
その質問に、哲哉は少し止まった。
「・・あの曲は飽くまで芹華に書いた曲や。それに芹華とやり直す最後のチャンスって遼平たちに言われて、今日にしたんや。」
少し頬を赤くして哲哉が答える。
「ありがとう。」
素直にそう言われ、また頬が熱くなる。
「照れてる。」
笑いながら芹華が頬を突付いてくる。
「やめい。」
「哲哉、かわいい。」
「男にカワイイなんて言うなや。」
そう言いながらも何だか嬉しい。こうやって過ごす何でもない時間が一番幸せだと2人とも実感した。

夜。哲哉は芹華のために腕を振るった。地元に居た頃はお手伝いさんや遼平が料理を作ってくれてたが、上京してから哲哉は極力自炊をしようと頑張っていた。
「哲哉が台所に立ってるのなんて、珍しい。」
「俺やってちゃんと生活してんねんで?」
苦笑しながら答える。
「ちゃんと食べれる?」
「失礼やなぁ。」
「楽しみにしてるね。」
「おう。」
芹華のために一生懸命料理を作る。遼平直伝の料理を幾つか作った。今日は洋食でメインはハンバーグだ。
「わぁ、おいしそぉ。」
料理を並べると、芹華が喜んだ。
「ちゃんとデザートまであるからな。」
「ホンマに?すごーい嬉しい。ありがとぉ。」
芹華が喜ぶ笑顔に哲哉は嬉しくなった。
「じゃあ、早速いただきます。」
両手を合わせてお辞儀をしてから箸を取る。芹華はまずポトフを飲む。
「おいしー。」
「よかった。」
ホッと胸を撫で下ろす。
「すごいね。哲哉がこんなに料理上手だとは思わなかった。」
「そりゃ・・遼平にしごかれたかんな。」
そう言うと芹華は笑った。
「やっぱり?でもホンマおいしいよ。」
「ありがと。」
食事も進み、いよいよデザートのケーキを出す。コレは昨日作ってあったものだが、芹華の好きなチーズケーキだ。
「チーズケーキだぁ。」
登場した瞬間から喜んでくれる。哲哉は紅茶も入れた。
「ケーキもおいしい。」
「そりゃよかった。」
デザートまで平らげ、2人は一緒に片づけをした。コーヒーを入れ、落ち着く。
「今度はうちが料理の腕振るわなきゃね。」
「そら、楽しみやな。」
哲哉は笑った。
「これでも意外と自炊してるんよ?」
その言葉に笑って頷く。
「なぁ。芹華。」
「ん?」
哲哉が急にかしこまる。
「どしたん?急に。」
「俺、ずっと芹華のこと待ってる。」
「うん。」
確認するように言う。そしてどこからか小さい箱を差し出す。芹華は驚いて哲哉を見た。
「俺の気持ちが変わらないって言う証拠。」
哲哉は真っ直ぐな瞳で芹華に言った。芹華は箱に手を伸ばし、開ける。
「これ・・。」
「戻ってきたら、俺と結婚してください。」
そう言ってお辞儀をする。芹華は突然の事で驚いていた。感極まって涙が溢れた。
「・・はい・・。」
短く、はっきりとそう答える。哲哉は顔を上げ、笑顔になる。
「貸して。」
哲哉は贈った指輪を芹華の左手の薬指に通した。そのまま芹華を抱きしめた。
「よかったぁ。」
「いいえって答えるわけないやん。」
芹華が意地悪く言う。
「ありがと。俺、ホンマ幸せ者やなぁ。」
嬉しそうに言う。
「大げさ。」
そう言いながら、芹華は気づいていた。今日は1本もタバコを吸っていない事を。
「哲哉。緊張した?」
「当たり前やろ。一生分の勇気使い果たしたわ。」
その言葉が何だか嬉しかった。2人はお互いの気持ちを確かめ合うかのように抱きしめた。

引越しの当日。住んでいたマンションも引き払い、芹華は少しの荷物を持って、空港に居た。荷物はもう向こうに着いているはずだ。
「芹華。」
呼ばれ振り返る。
「哲哉。皆も。仕事は?」
「抜け出した来た。」
鷹矢が答える。
「あはっ。マネージャーさんに怒られるよ?」
「大丈夫。了承済みやから。」
「そお。」
「何か、あれやね。芹華さんが上京するときみたいやね。」
響介が思い出しながら言う。確かにそんな感じがする。しかし今回は国内ではなく国外だ。
「そやね。」
「いつ戻ってくるとか、決まってないんしょ?」
譲の問いに、芹華は頷いた。
「そっかぁ。寂しいなぁ。」
「でも休みには戻ってくるよ。」
「じゃあその時会えるね。」
譲の言葉に笑顔で返す。その時空港のアナウンスが鳴った。
「もしかしてこれちゃうん?」
鷹矢の言葉に芹華は頷いた。
「んじゃま、俺らは退散すっか。気をつけてけよ。」
「ありがと。」
遼平の言葉に、哲哉と芹華を残してメンバーは去った。哲哉も芹華も何も言えなかった。何かを言いたいのに、言葉にならなかった。
「芹華。」
哲哉が口火を切る。
「頑張って来い。」
「ありがと。哲哉も・・頑張ってね。」
「おうよ。」
哲哉は芹華の左手の指に光る指輪を見た。ずっと付けてくれていることが嬉しかった。
「さよならは言わんよ。」
「うん。」
哲哉の言葉に俯きがちに答える。
「芹華。」
呼ばれて顔を上げる。その時、哲哉の顔が迫ってきて、唇が触れる。あまりのことに一瞬戸惑った。
「いつでも電話でもメールでもしてこい。」
「うん。ありがと。」
「嫌んなったら戻って来い。」
「うん。」
哲哉の言葉に笑って頷く。その時、哲哉に抱きしめられる。芹華は涙を堪えた。
「お前は『うん』しか言えんのか。」
哲哉の声が右耳に響く。
「愛してる。」
「ぶっ。」
芹華の言葉に哲哉は噴出した。
「汚いなぁ。」
「ずるいやっちゃな。」
「ホンマのことやもん。」
「俺も愛してる。」
低い声で耳元で囁かれ、芹華は照れた。
「言うより言われる方が照れるな・・。」
哲哉が悟ったように言う。そこでもう一度アナウンスが鳴る。
「もう・・行かなきゃ。」
芹華はそう言いながらも哲哉を強く抱きしめた。その温もりを体に焼き付けるかのように。哲哉も芹華を強く抱きしめた。芹華はゆっくり腕を解いた。
「じゃあ、行ってきます。」
元気よく言う。
「おう。いってらっしゃい。頑張れ。」
その言葉にコクンと頷く。そして哲哉に背を向けて歩きだす。溢れる涙を抑えながら。振り返らない。振り返ったら、またその胸に飛び込みたくなるから。芹華は右手で左手の指輪を握り締めた。

メンバーは空港の屋上で飛行機を見送っていた。
「あれかなぁ?芹華さんの乗ってる飛行機。」
「時間的にそうやろ?」
遼平は哲哉を見た。悲しそうな顔をするどころか、清々しい顔になっていた。何があったか知らないが、芹華の指に光る指輪を見て、遼平は何となく気づいていた。
哲哉は見上げた空があの頃に見たあの青い空と同じ事に気づいた。晴れ渡る空。それが哲哉に何だか勇気をくれた。
「俺も頑張らなな。」
哲哉は空の青を目に焼き付けた。