font-size       
ACT.5  SUMMER DAY
結婚式も無事終わると、B・Dは再び合宿所へ戻って行った。香織も葵たちと車で家まで戻っている途中だった。葵と美佳は疲れたのか眠っている。龍哉もおとなしく眠っていた。起きているのは運転手の美波と結婚式の余韻がまだ冷めない香織だった。
「今日はわざわざ車まで出していただいて、ありがとうございました。」
「いえいえ。お礼ならあの子たちに言ってください。僕は運転しかしてませんから。」
「結構長い距離で、大変じゃないですか?」
「ドライブ好きなんでそうでもないですよ。」
美波は笑った。
「でもあの子たち、凄いですよ。香織さんが着ていたドレス、この子たちが作ったんですよ。」
「え?」
初めて聞く事実に香織は驚いた。
「毎日毎日少しずつね。美佳の部屋に2人でこもって何してるのかと思ったら。」
美波はその光景を思い出したのか、微笑んだ。
「あ、じゃあ、葵ちゃんがバイト増やしたとか言ってたのって・・。」
「ドレス作るためですよ。香織さんにバレちゃったら意味ないでしょ。」
香織は胸の奥が熱くなった。自分のために何故ココまでしてくれるのだろう?
「ドレス作ろうって言い出したのは葵らしいですよ。美佳がそれに賛同して。楽しそうでしたよ。ドレス作るの。」
「何で・・ココまでしてくれるんだろう・・。」
香織はポツリと呟いた。
「正直言って、あたし、邪魔だったと思うんです。葵ちゃん家に居候させてもらってたし。会ったその日から、ホントに親切にしてもらって・・。なのにあたしは・・何もあの子たちに返せれてない・・。」
美波は少しの間を置いた。
「葵や美佳が望んでるのは、ただ香織さんが幸せになることですよ。」
「え?」
「あの子たちはそれ以外何も望んじゃいない。ただ幸せそうにしている香織さんを見たくて結婚式を企画したんですよ。それはあのバンドのメンバーたちも一緒だと思うんです。2人に幸せになってもらいたい、喜んでもらいたい、そう思ったからこうして結婚式を挙げたんだと思いますよ。」
美波の言葉に香織はすごく嬉しくなった。
「十分幸せですよ。あたしたちのこと大切に思ってくれる人たちが周りにいっぱいいますから。」
香織は嬉しそうに笑った。

その後2ヶ月はあっという間に過ぎた。7月からB・Dは全国ライブツアーを慣行し、香織はその間再び日向家へ居候していた。そこに大学が休みになった美佳も加わり、更には美咲が仕事が休みになると必ず現れた。その代わり双子の弟、快人と直人は夏休みに入るといつもより増して仕事量が増えた。

8月に入ると、ツアー疲れのせいか、次第に亮の元気がなくなってきた。
「亮、どした?疲れたのか?」
ホテルで龍二は亮に声をかけた。
「別に。」
素っ気ない返事が戻ってくる。
「そいや龍二。今香織ちゃんたちどしてるん?」
素朴な疑問を武士がぶつける。
「今?葵ちゃん家に居座ってるっぽい。」
その言葉に亮が微妙に反応した。それに気づいた透が口を開く。
「葵ちゃん。」
「ぶっ。」
亮は咳き込んだ。
「大丈夫か?」
龍二が背中を叩く。
「なるほどねぇ。」
透は何となく亮の状況を把握した。
「なんやねんね。透。」
「内緒。」
武士に肩を組まれたが、透は口をつぐんだ。

8月のある日。B・Dのメンバーは久しぶりに東京の事務所に戻ってきていた。
「あれ?ツアー中じゃないの?」
ふと聞き覚えの声がして振り返ると、そこには何と美佳が立っていた。
「みっ、美佳ちゃん!?」
武士を筆頭に全員が驚く。
「どしてここに・・。」
「どしてって。ここお父様の会社だもん。」
「お父様・・。」
「ってことは社長令嬢!?」
「そうよ。」
メンバーの驚きは尋常じゃなかった。まさか自分たちが所属する事務所の社長令嬢だったとは・・。
「何で黙ってたんや?」
「黙ってたんじゃないわよ。聞かれなかったから言わなかっただけ。」
「さいですか・・。」
「でもどしてここに?」
透が聞くと、美佳はため息を吐きながら言った。
「あのバカ双子をシメに。」
「ほぇ?」
物騒な言葉に全員がまた驚く。
「何でシメるん?」
慎吾が問う。
「今日・・あの子達の両親の命日なのよ。」
「え・・?」
「葵の誕生日でもあり、両親の命日でもあるの。今日は。」
美佳は目を伏せた。メンバーはあの双子から聞いたことがあった。自分たちの両親が亡くなり、葵が育ててくれたことを。その両親の死は姉の誕生日と一緒であることも。
「両親の命日は・・今日は仕事しないで、両親に会いに行くってそう決めてあったの。なのに・・あの子達、今日が何日かなんて覚えてないんだわ。」
「じゃあ・・葵ちゃんは?」
気になった透が問う。
「1人で両親に会いに行ってる。」
その言葉に亮が動いた。
「どこだ!?」
「え?」
「場所は?」
亮から美佳に話し掛けるなんて考えられない状況に一同唖然とした。
「地図、書くわ。」
美佳は手帳に簡単な地図を書き、それを破って亮に渡した。亮はそれを受け取ると、駆け出した。
「あ、亮!」
龍二が呼びかけたが、聞こえていないようだった。
「仕事・・まぁラジオだし何とかなるか・・。」
行かせてやるのがいいと判断し、龍二は呼び止めるのをやめた。
「あれ?美佳ちゃん?」
あどけなく近づいてきた直人と快人を見て、美佳はわなわなと震え出した。
「いたわね・・。このバカども!!」
イキナリ怒鳴られ、2人は驚いた。
「何だよ。イキナリ。」
快人はうざったそうに言う。
「あんたたち、今日が何日か忘れたの!?」
「今日・・?」
2人は顔を見合わせた。
「やっぱり忘れてたのね。今日は18日よ。」
美佳の言葉に2人はやっと思い出した。
「葵は!?」
「1人で行ってるわ。」
「・・・。」
2人はどうしたらいいのか分からなかった。
「何やってるの?早く行きなさいよ。」
「でも・・。」
「仕事なんて戻ってきてからいくらでもできるでしょ!今葵は1人でいるのよ?おじさんとおばさんに何て言うのよ?『2人は仕事で来れません』って?そんな寂しい台詞、葵に言わせるの?」
美佳は涙ぐみながら言った。2人は駆け出した。マネージャーの松木が後を追う。
「美佳ちゃん?」
武士が肩が震えている美佳に近づく。
「ごめんね。変なとこ見せて。」
B・Dメンバーは首を横に振った。
「ずっとあの子達のこと見てきたから・・ほっとけなくて・・。」
美佳は涙を堪えながら言った。
「葵ね、あの子達がテレビで活躍するのを見る度、悲しそうな顔するの。・・大事な弟たちが遠くに行っちゃうような目で見るの。」
美佳は溢れ出した涙を止めず、言葉を続けた。
「だから今日くらいは家族でいさせてあげたいの。・・・両親がいなくなって、ずっと3人でがんばってきたから。」
美佳の言葉にメンバーは頷いた。近くにいた武士が美佳を抱き寄せる。美佳は声を殺して泣いた。

亮は自分でもよく分からないが、葵に会いたい衝動を抑えられなかった。
『1人でいる』というのを聞いて、居ても立ってもいられなかった。バイクを飛ばしながらずっと葵のことを想っていた。その気持ちが何なのか分からないままに。

その頃、葵は両親のお墓の掃除をしたり、お花を供えたりしていた。
「うし。きれいなった。」
葵は満足げに笑った。
「お父さん、お母さん。今日快と直、連れて来れなくてごめんね。・・2人すごい活躍してるよ。今日もお仕事。何かあたし仕事しなくてもやってけるくらい稼いでくれてるよ。」
葵は自嘲したように笑った。
「時が経つのは早いね。あたし・・もう19になっちゃったよ。」
葵が16の時に亡くなったので、もう3年も経っている。
「お父さんたちがいなくなって、寂しいって思う間もなく忙しく過ごしてきたけど・・。最近考えるの。快人たちがいなくなったら、あたし、1人ぼっちになっちゃうんだよね。」
そう言いながら、葵は首を振った。
「ダメだよね。こんなこと考えちゃ。」
胸の中にあるモヤモヤ。言葉にならない思いが渦巻く。いつの間にか頬を伝う涙。
「ごめんね。泣いちゃって。ダメだなぁ・・。強くならなきゃ・・。」
そう言いながら、葵は泣いた。
「怖いよ。・・もう大切な人、無くしたくない・・。」
葵は溢れる涙を止めることはできなかった。久しぶりに泣いた気がする。両親が死んだとき以来、感情を抑えて生きてきた。弟たちを不安にさせちゃいけないと思い、葵は泣くという感情を抑えていた。今それが爆発しているのかもしれない。葵は何年かぶりに涙を流していた。
「・・・いぃー。」
遠くで声がし、葵は顔を上げた。声の場所を確認しようときょろきょろしていると、亮がいるのが見えた。
「え・・。何で亮くんが・・・?」
葵は訳が分からず、驚きで涙が止まった。
「葵!!」
亮は葵を見つけ、走ってきた。
「亮く・・何でココに・・。」
葵が泣いていたと察した亮は、居たたまれなくなった。どうしていいか分からず、思わず抱きしめた。
「え?亮くん?」
葵は何が何だか分からない。亮は何も言わなかった。何も言わず、葵を強く抱きしめた。葵はまた涙が溢れた。

快人と直人はマネージャーに車を飛ばさせ、両親の墓地に向かった。
「快人、あれ。」
直人が指差した方向を見ると、亮が葵を抱きしめているのが見えた。2人は顔を見合わせた。向かう途中、美佳から来たメールに書いてあった。
『亮くんも墓地に向かってる。もし2人きりにさせてあげたほうがよかったら、そうしてあげて。』
この場合がそうなのだろうか。なぜ2人が抱き合っているのか分からないが、快人と直人は2人からは見えない位置で見守った。

「ごめんね・・。泣いちゃって。」
葵は落ち着いたのか、亮から離れた。亮は首を横に振った。
「でもどしてここに?」
やっと問う。
「分からん。葵が1人でいるって美佳に聞いて、居ても立ってもいられなかった。」
亮は伏し目がちに言った。葵は胸の奥が熱くなったのを感じた。

「そろそろいんじゃね?」
2人の様子を見ていた快人は直人に言った。
「だね。」
2人は葵たちに近づいた。
「葵ちゃん。」
直人が声をかける。
「直人・・。快人も・・。どしたの?仕事じゃなかったの?」
「ごめんね。俺たち、日付も忘れて仕事に没頭しちゃって。」
「美佳が事務所まで来て怒鳴ったんだ。何やってんだ!って。」
直人の言葉に快人が付け足す。
「美佳が・・?」
葵の呟きに双子は頷いた。そして直人と快人はお墓に向き直った。
「お父さん、お母さん。遅くなってごめんなさい。」
2人は手を合わせた。
「俺も・・手合わせてい?」
亮の言葉にもちろんと葵が頷く。葵は亮の境遇を思い出していた。確か母親に孤児院に預けられたのだ。母親は『必ず迎えに来る』と告げ、亮を置き去りにした。裏切られたと分かった時、どんな気持ちだったのだろう。葵はそんな経験をしていないので、分からないが、親がいない不安は分かる。
ふと携帯の音が鳴る。快人が取り出すとマネージャーからだった。
「もしもし?」
『もう大丈夫かい?そろそろ行かないと次間に合わないよ。』
「分かった。行くよ。」
そう言って携帯を切る。
「ごめん。もう次の仕事行かなきゃ。」
「うん。がんばってらっしゃい。」
葵は明るく見送った。その笑顔はどこか寂しそうだったのに亮が気づく。
「2人が来たからきっとお父さんもお母さんも喜んでるよ。」
笑顔でそう言う葵が悲しく見えた。
「今日は早く帰るからね。」
直人はそれしか言えなかった。快人と直人を見送った葵を亮は複雑な思いで見ていた。
ぐぅぅうううー
亮のお腹が元気よく鳴った。
「あは。戻ろっか。」
葵の言葉に亮は頷いた。
「そいや亮くん、お仕事は?」
「あ・・。」
そう言えばと今ごろ思い出す。今ラジオをやっているはずだ。
「ちょっと電話してくる。」
「うん。」
亮は携帯を取り出しながら少し先に歩いて行った。
「お父さん、お母さん。あたし、1人じゃなかったみたい。」
葵はそう言って笑った。

亮はマネージャーの響に電話をかけた。
『亮、大丈夫なのか?』
響の第一声はそれだった。どうやら龍二たちから事情を聞いてるらしい。
「うん。」
『全く。ラジオだったからよかったものの、テレビとかだとどうにもならなかったぞ。』
「ごめん。」
『亮、今日はもういいから、葵ちゃんのとこいてあげな。』
「え?」
思ってもみない言葉に亮は驚いた。
『お前も疲れたまってたみたいだったしな。葵ちゃんに美味いもん食わしてもらえ。』
「うん・・。」
『明日からはちゃんと歌えるな?』
「あぁ。」
響の言葉に力強く頷く。

「葵、帰ろう。」
「亮くん、お仕事は?」
「今日はもういいって。」
「え?そなの?」
「ラジオ、俺おってもしゃべらんし・・。」
その言葉に葵は笑った。確かにあまりしゃべらないので居ても居なくても分からないだろう。
「葵はどやって来たんや?」
「電車で途中まできて・・後は歩き。」
「そか。んじゃ俺のバイク乗って帰るか。」
「亮くん、バイク乗るの?」
「乗ったらあかん?」
「そじゃなくて・・。いつも響さんの車乗ってるイメージがあるから。」
「まぁ大概そうなんやけどな。」
「そなんだ。」
亮は葵の持ってる荷物を何も言わず持った。
「あ・・ありがと。」
「おぅ。」
2人はバイクを置いてある所まで歩いた。
「俺のバイクが2人乗りでよかったな。」
そう言いながらヘルメットを取り出し、葵にかぶせた。
「2人乗りだと思わなかった・・。」
「2人乗りちゃうかったら、葵どこ乗んねん。」
「さぁ・・?」
葵のボケに亮は苦笑した。
『あ・・笑った。』
珍しく笑う亮に葵は気づいた。
「慎吾とかがよく後ろ乗るんや。だから2人乗りできるバイク買ってん。」
「そなんだ。」
亮はバイクにまたがり、ヘルメットをかぶった。
「乗れ。」
葵は言われた通りに乗った。
「しっかり捕まっときや。」
「うん。」
亮はエンジンをかけ、バイクを走らせた。

亮と葵が戻ってきた時は既に辺りは暗くになっていた。
「途中どっか寄らんでよかった?」
今更ながらに葵に問う。買い物に行かなくてもよかったのか、という意味である。
「うん。買い物は行く前に済ませてたから。」
葵は笑顔で答えた。今日はいつになく亮が話してくれるので、何だか嬉しいのだ。
「そっか。」
「あれ?」
玄関の鍵が開いてることに、葵が気づく。
「どした?」
「鍵が開いてる。快たち先に帰ってきたのかな?」
そう言いながら、葵たちは玄関を開け、中に入った。リビングの電気が付いてることに気づく。
葵と亮はそのままリビングに直行した。
葵がドアを開けた瞬間。
パーーーーーーーン
一斉にクラッカーが鳴った。葵と亮は呆気に取られた。何が起こったのか、すぐに分からなかった。
「葵、誕生日、おめでとぉぉぉ。」
そう言って近づいてきたのは、美佳だった。
「え?」
葵はまだ事情が把握できていない。
「忘れたの?今日は葵の誕生日でもあるんでしょ?」
「あっ。」
そう言えばそうだった。自分の誕生日よりも両親の命日であるということだけしか頭になかった。
「今年はあのバカどもが忘れてたから、あたしが皆に声かけたの。」
バカどもは快人と直人のことだろう。葵が見ると部屋には快人、直人、香織にB・Dメンバーが揃っていた。B・Dメンバーは恐らくラジオ終わりで飛ばしてきたのだろう。
「2人ともお腹空いたでしょ?あたしと美佳ちゃんで作ったのよ。」
そう言って香織はリビングのテーブルを指差した。そこには手作りの料理とケーキが並べられていた。
「みんな・・ありがとぉ・・。」
葵は涙ぐんだ。自分のためにココまでしてもらえるなんて、思ってもみなかった。両親が死んでから、自分の誕生日は祝わなかった。両親の死を悼んだ。もう一生、自分の誕生日を祝わないと決めた。大切な誰かを失くしてしまいそうで怖かった。
「もう。泣かないでよ。せっかくの料理の味が分かんなくなっちゃうでしょ。」
美佳にそう言われ、葵は必死に涙を止めた。
「そだね。ありがとう、皆。」
「葵、今日はごめんな。」
快人が謝りに来た。直人も続く。
「ごめんなさい。」
「いいよ、もう。来てくれたし。仕事だったんだから仕方ないよ。・・美佳が言ってくれたんでしょ?ありがとね。」
葵は美佳にお礼を言った。
「あたしはお節介焼いただけよ。」
「さぁさ、早速食べよ。せっかく作った料理が冷めちゃう。」
香織が促し、葵たちはリビングのテーブルへ移動した。いつものテーブルにもう一つテーブルが付け足してあった。葵は促されて真ん中に座る。
「改めまして。葵、誕生日おめでとー。」
美佳が言うともう一度皆が「おめでとう。」と言った。
「ありがとう。」
葵は今度は笑顔で返す。ケーキのロウソクの火を消し、食事を取りながら、葵へのプレゼントを渡すことになった。
「コレ、俺らからのプレゼント。」
そう言いながら快人は葵に小さな袋を渡した。
「開けてみて。」
直人が促す。葵は言われた通りに、袋を開ける。
「これっ。」
葵は驚きながら、中から箱を取り出す。
「携帯かぁ。やるな、弟。」
美佳がプレゼントを見て言い放つ。
「葵、いくら家に居る時間が長いからって携帯持たないのはどうかと思うよ?」
「そうそう。買い物行ってる間に緊急の用事ができるかもしれないじゃん?」
快人と直人が交互に言った。
「短縮0が家、1が俺、2が直人、3が美佳。」
快人が説明する。
「どれが短縮・・?」
「後で教えてあげるよ。」
直人が優しく笑った。
「今度はあたしね。プレゼントは・・じゃん!」
美佳が取り出したのは、本のようだった。
「葵が探してたやつ、見つけちゃった。」
ふふっと笑いながら葵に手渡す。葵は早速包みを開けた。
「あ、これ!」
葵は笑顔になる。
「よく見つけたね。」
「必死で探したのよ。でもあってよかった。」
「何々?」
慎吾が興味津々で聞く。
「楽譜。」
葵は短く答えた。そして続ける。
「ピアノの楽譜なの。お母さんが好きだった曲の。この曲、よく死んだお母さんが弾いてたの。お母さんにいつか弾いてあげようって思ってたんだけど、マイナーな曲過ぎて、どこにもなくて・・。その夢は叶わなかったけど、いつか弾いてみたいなって思ってた曲なの。」
「へぇ。」
B・Dメンバーは葵の言葉に感動を覚えた。
「葵ちゃん、何て曲?」
透が興味深そうに聞いた。
「『愛する君へ』。」
「あぁ。あれか。」
「透知ってんの?」
「俺も昔ピアノの先生が弾いてくれたことがある。すごく素敵な曲だったってのは子供ながらに覚えてる。」
「へー。」
「透さん、弾け・・ないですよね・・。」
葵は期待を持ったように言ったが、すぐに苦笑して否定した。
「葵ちゃん、楽譜見せて。」
葵は向かいに座っていた透に楽譜を渡した。パラパラとめくってみる。
「そんな難しい曲じゃないよ。ピアノあれば弾くけど?」
「あ、上に・・。」
葵は上を指差した。一同は初めて3階の部屋へ足を踏み入れた。
「父が母のために作った部屋なんです。いつでも好きなピアノ弾けるようにって。」
その部屋には防音がされていて音が漏れない。広い部屋の真ん中にグランドピアノが置いてある。
「葵ちゃんも弾いてる?」
透はピアノの蓋を開けながら言った。
「はい。あまり弾けませんけど、たまに。」
「よく手入れされてる。」
透はそう言いながら楽譜を広げ、鍵盤に手を置く。
「初見だから失敗するかもだけどね。」
一応忠告しておく。
「はい。」
透はゆっくりと鍵盤を鳴らし始めた。葵は隣に立って楽譜をめくる。葵は感極まったのか、曲が終わると涙を流していた。
「すごい。何か懐かしい気持ちになりました。」
母親が弾いているのと重なったのだろう。快人と直人も涙をこらえているようだ。
「じゃあ、これが俺からのプレゼントってことで。」
「ありがとうございます。」
葵はペコッとお辞儀した。
「透かっこよすぎぃ。」
慎吾が膨れている。一同はもう一度リビングに戻った。席に着くと龍二が話を戻す。
「俺たち何あげたらいいか分からんくてさ。結局こういう花束って言うありきたりなプレゼントなんやけど・・。」
龍二の言葉で武士が花束を差し出す。
「わぁ。」
武士が差し出した向日葵の花束に、葵は喜んだ。
「何となく葵ちゃんのイメージってヒマワリって気がしてさ。」
「そぉ?」
不思議に思いながら受け取る。
「鋭いねぇ。」
美佳が口を挟む。
「え?」
葵のほうが驚く。
「葵の名前。ヒマワリから取ったもん。」
「そだったん?」
武士は素っ頓狂な声を上げた。
「うん。葵の名前、葵、日向って書いて逆から読むと・・。」
「向日葵・・。」
透が呟く。
「気づかんかったー。」
慎吾が驚いて叫ぶ。
「たまたまでしょうけど。母の名前、桜なんで、あたしの名前も花にちなんでつけようってなったらしいんです。で、8月生まれで、夏の花って言ったらヒマワリで。日向って苗字だったんで葵って・・。」
葵が説明を加える。親から恐らく自分の名前の由来を聞いたのだろう。
「快人と直人の名前は?」
龍二が突っ込んで聞く。
「快人は『快い人になるように』で、快人。直人は『素直で真っ直ぐな人になるように』で直人です。」
「へー。いい名前やな。」
龍二は笑顔で言ったので、双子は何だか照れた。
「3人ともご両親に愛されてたのね。」
香織が付け足すように言う。3人の心の中に何か暖かいものが宿った気がした。
亮は心のどこかでそんな3人を羨ましく思っていた。自分は親に裏切られた。あるのはその事実だけ。愛して欲しかった人は、亮を置き去りにして何処かへ消えてしまったのだ。それから亮は感情を消した。
『愛して欲しい』と望めば、それは絶望へと変わってしまったから。それからは『愛して欲しい』なんて思わなくなった。愛し方すら知らない。愛という感情がどんなものなのかすら分からない。仲間同士の友情ならメンバーがくれた。でも愛は・・誰かを愛するという気持ちは未だによく分からない。
亮は膝を抱えて座った。膝に顔をうず埋める。それに気づいた葵が声をかけた。
「亮くん。大丈夫?気分でも悪い?」
亮は顔を少し上げ、首を横に振った。
「そぉ?気分悪かったら言ってね?」
葵の言葉に亮は頷いた。亮は正直驚いた。葵を見つめる。自分の奥で何かが燻っている。それが何なのかが分からない。この感情が何なのかすら分からない。
他の人は亮のそんな思いに気づいていないようだった。

B・Dメンバーは翌日からまたツアーのため、早めに帰路に着いた。その前に事務所による。
「どした?亮。」
何だかずっと考え事している様子の亮に、透が声をかける。他のメンバーは打ち合わせ等で今はいない。
「俺・・変や・・。」
短く答える。
「葵ちゃんのことか?」
透の言葉に一瞬ドキッとしたが、ゆっくり頷いた。
「俺、びっくりしたよ?突然お前葵ちゃんに会いに行ったから。」
透の言葉を静かに聞く。
「俺・・1人って聞いて・・何かよー分からんけど・・気づいたらバイク走らせてた・・。」
亮はポツリポツリと言った。
「葵ちゃんに会って、どうだった?」
質問に少し考える。
「・・妙に安心した。・・気づいたら・・抱きしめてた・・。」
亮の答えに透はニヤリとした。
「亮。」
呼ばれ、顔を上げる。
「お前、葵ちゃんのこと好きなんちゃう?」
「はぁ?」
突然の発言に亮は驚いた。
「うん、絶対そうやって。」
透はなにやら1人で納得している。
「何でや。」
亮は眉根を寄せた。
「好きってのはそゆことだよ。亮くん。」
「はぁ?」
言ってる意味が分からない。
「好きな子と居ると妙に安心するとか。好きな子をどこか気にかけてる。葵ちゃんがそういう存在やろ?」
言われてみればそうかもしれないが・・。亮はまだ眉根を寄せていた。
「俺・・好きって感情が分からん。」
「その人が一番大事に思える。その人のために何かしてあげたい。そういう気持ちのことを言うんやで。」
透の説明で何となく『好き』という感情がどういうものなのか分かった。
『俺は・・葵が・・好き?』
頭の中をその言葉がグルグル回る。初めて人を好きになることを意識した。

一方、葵も昼間の出来事を美佳と香織に話していた。双子はもう自室に戻っている。
「ひゃー。あの亮くんがねぇ。」
2人は驚き入っていた。女嫌いということを知っているので、抱きつくなんて思ってもみなかった。
「確かにあの時の亮くんは普段からして考えられないわ。」
「どゆこと?」
美佳の言葉に香織が尋ねる。
「だって亮くん、あたしと話そうともしなかったのに、あの時だけは必死で葵の居場所教えてって言ってたもん。亮くんも葵に気があるんじゃない?」
美佳は意地悪く笑った。
「そんなわけ・・。」
「大体好きでもない人のためにそんな必死にならないわよ。」
葵の否定に被るように、香織が付け足す。
「そうそう。香織さんもそう思うでしょ?」
美佳の言葉に香織は深く頷いた。
「葵ちゃんはどうだったのよ?抱きしめられて嫌な思いした?」
香織の問いに葵は少し考える。
「・・・びっくりしたけど・・逆に安心した。」
あの時は本当に独りぼっちになってしまう気がしていた。美佳と香織は顔を合わせてニタッと笑った。
「ほらほらぁ。やっぱ葵も好きなんじゃん。」
「えぇ。・・でも・・。」
「でもじゃない!気になるんでしょ?亮くんのことが。」
その言葉にはゆっくり頷く。1人にしておけない、初めそんな印象を受けた。それが少しずつもっと気になってきた・・・気がする。
「ねぇ。正直に言ってごらん?葵ちゃんは亮のこと、どう思ってるの?」
香織が尋問のように問う。
「どうって・・。」
葵は少し悩んだ。この気持ちが何なのか分からない。
「あたしは・・・。」
ゆっくり言葉を吐き出す。今の自分の気持ちを・・。
「・・分からない。本当に分からないの。この気持ちが、この感じが何なのか。」
思ってもみない答えに2人は驚いた。
「そう。ならしょうがないか。」
香織が諦める。
「でも亮くんのこと、嫌いじゃないでしょ?」
美佳が付加的に聞く。その質問には素直に頷く。
「もちろんだよ。」
「まぁしょうがないっか。葵、恋愛には疎いもんねぇ。」
「純粋でいいわねぇ。」
美佳と香織が交互に言う。葵は本当にこの気持ちが何なのかが分からなくなっていた。

葵はベッドに入っても考えていた。本当に自分は亮のことをどう思っているんだろう。
『好き・・なのかなぁ・・。』
今まで恋愛したことがない葵には分からなかった。友達としての『好き』はあっても、異性として『好き』なのかどうかが分からない。葵は寝返りを打った。そして今も残る亮の温もり。あんなにきつく抱きしめられたのは初めてだった。でも嫌じゃなかった。確かに驚いたが、その温もりに安心して、泣けたのだ。男の人の前で泣くのは初めてだった。葵はいつも強がっていた。弟たちを育てるために、強くならなきゃと必死になっていた。だから男の人の前、というより人前で泣くのは、数年ぶりだった。
『素直に泣けたんだよねぇ・・。』
あの時のことを思い出す。何故か妙に安心して。涙を堪えなくてもいいような気がした。
『困っただろうな・・亮くん。』
でも嫌な顔一つしなかった。・・まぁ元々そんなに表情豊かなほうではないが。
『ちゃんと・・お礼言ってないや。』
ふと思った。そう言えば家に着いてから、皆が居たからろくに話もしていない。
『そう言えば、気分悪そうだったけど・・大丈夫なのかなぁ・・。』
亮が膝を抱えていたのを思い出した。眉間に皺を寄せて、何か考え事をしているようだった。
『何を考えてたんだろう。』
もちろん、葵にはきっと関係ないことだろうが、妙に気になった。
『お礼もちゃんと言いたいし・・電話・・してみようかな・・。』
でも亮の電話番号なんて知らない。
『快人か直人に聞けば分かるかな・・。』
そんな事を思いながら、葵は疲れからか眠ってしまった。

翌朝。葵はいつものように朝食を作った。今日も双子は仕事だ。夏休みだというのに全く休みなく働いている。体を壊さないか、それだけが心配だった。
「あ、そうだ。」
「んあ?」
食事の途中で立ち上がる葵に2人は目をやった。
「ねぇ。これ、使い方聞いといていい?」
それは昨日2人がプレゼントした携帯電話だった。
「あぁ。そういや説明するってしてなかったね。」
直人が気づく。
「貸して。」
葵は直人に携帯を渡した。
「電源入れたり切ったりするボタンはこれね。1,2秒押せば電源オン・オフなるから。」
「うん。」
実演しながら説明する。機種は直人のと同じものだ。
「で、俺や快にかけるなら、短縮ボタンの数字を、俺なら2を押して、この緑の電話のボタン押せば勝手にかかるから。」
「すごーい。」
文明の利器に感動する。
「メールは、このボタンね。短縮って言うのはメモリの番号だからね。宛先わざわざしていしなくても短縮押してこのメールボタン押せば、宛先が自動的に入るから、本文から打てばいいよ。」
「分かった。」
「とりあえずこれくらいかな?あとは美佳に聞けばきっと分かると思う。」
「そうだね。ありがとう。」
美佳のほうが携帯を使いこなしているはずである。直人は携帯を葵に返した。
「慣れるまでに、ちょっと時間かかるかもだけど。慣れたら便利だよ。」
「うん。・・・あ。」
「ん?」
「亮くんの番号とか・・知らないよね?」
一応聞いてみる。2人は驚いた顔をした。
「ほら・・昨日お世話になったでしょ。でもまだちゃんとお礼言ってなくて・・。ちゃんとお礼が言いたいなって・・。」
快人と直人は顔を見合わせた。
「知ってるよ。」
あっさりと快人が言う。
「ホント?」
「でも亮さん、ツアーのリハとかで忙しいんじゃないかなぁ?」
「あぁ。そっか。」
直人の言葉に、葵は少しがっかりした。電話なんてしたら、邪魔してしまう。
「そんなときのためのメールだよ?」
落ち込んだ葵にアドバイスする。
「メール・・?」
「うん。メールなら、いつでも見れるからね。」
「あぁ。そっか。」
改めて納得する。
「とりあえず葵ちゃんの携帯に、亮さんのアドレスと番号貼り付けて送るね。」
「う・・うん。」
言ってる意味が少し分からなかった。直人からメールが届く。
「貸して。」
直人がまた葵の携帯を取り、何やら登録しているようだった。
「短縮4番ね。」
そう言いながら、直人はメール画面にして、渡した。
「これで本文打つといいよ。あ、タイトルも入れても分かりやすいけど。」
「うん。」
葵は初めてメールを打った。美佳のを見ていたので何となく分かる。
「あ、それと葵ちゃんだって分かるように名前入れといたほうがいいよ。」
直人にアドバイスされ、タイトルに『葵です。』とまず入れた。次に本文を打つ。ゆっくりと確かめながら打つ。直人と快人はそれを見守った。
「打てたー。」
しばらくして葵が声を出す。
「そしたら確認して送信。」
「うん。」
直人に送信ボタンを教えてもらい、初めてのメールを送信する。
「送信完了って出た。」
「じゃあ、もう亮さんの携帯に届いてるはず。」
「すごーい。」
一瞬で届いてしまったことに感動した。
「・・・何かすごい貴重な生き物を目撃したみたい。」
黙ってみていた快人が呟く。その言葉に直人はクスッと笑う。
「え?」
葵は気づいていないようだ。
「いや、何でもない。」
話を逸らそうとする。
「あたしの悪口?」
「ある意味誉め言葉。」
直人が言う。
「何それ・・。」
「葵ちゃんが純粋ってことだよ。」
「はぁ?」
言ってる意味を掴めないでいると、インターホンが鳴った。
「まっちゃんだ。」
時間的にお迎えの時間だ。
「いってきまーす。」
2人は逃げるようにして仕事へ向かった。