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ACT.11 決断
11月末、BDメンバーはロンドンへと旅立った。その同じ飛行機に乗っているのは、葵に美佳、香織と龍哉だった。ファーストクラスの席にはBDメンバーと葵たちしかいなかった。 美佳の思いつきは葵と美佳がスタッフのメンバーとして一緒にイギリスへ行くことだった。もちろん他のスタッフも居るので、あまり目立って二人きりにはなれないのだが、それでも同じ場所に居られることには変わりなかった。葵と亮にとってそれだけで十分だった。 ホテルはもちろん同じホテルで、英語が話せる葵と美佳が通訳代わりになった。BDメンバーは、二人が居てくれて本当に助かっていた。通訳のスタッフを雇うとなると、男でなければならず、こっちの事情もある程度教えなければならないからだ。 葵はバイトがあったのだが、葵の家庭事情などをよく知っていて、信頼している店長だけには素直に話した。亮と付き合っていること、これからロンドンへ一緒に行きたいと思っていることを全て話した。 店長は少し悩んだが、それでもロンドン行きを許可してくれた。葵に彼氏ができたことは、娘のように思っている店長にとっては少し複雑だったが、それでも喜んでくれた。両親が亡くなってから一心不乱に働いてきたからこそ幸せになって欲しいと思ったからかもしれない。 レコーディング最中も葵たちは給仕をしたり、現地スタッフとのコミュニケーションを取る手伝いをした。 それが亮にとって精神安定剤となっていた。目の前に葵が居る。それだけで心が落ち着いた。そのおかげか、レコーディングや曲作りは全てが順調に進んでいった。 そしてクリスマスイヴ。今日は亮の誕生日でもある。メンバーはこの日のために内緒でパーティの準備を進めていた。 レコーディングを済ませて、メンバーが戻ってくるホテルの一室では、葵たちが準備をしていた。現地スタッフも話を聞いて是非一緒に祝いたいと申し出、彼らも一緒に部屋を飾りつけた。葵と香織はキッチンに立ち、ケーキや夕食の準備をしていた。 「葵ちゃん。こっちはOKよ。」 「はーい。こっちももう準備できました。」 パーティの準備が整うと同時に、携帯が鳴る。海外でも使える携帯電話を持っている美佳がメールを確認する。 「あ、もう来るみたいよ。」 ホテルに着いた龍二は亮が不審がらないように話を持ちかけた。 「みんな、ちょっと話があるんや。」 「ん?何?」 わざとっぽくならないように武士が返す。 「今回のアルバムのことでもうちょっと煮詰めたいことがあってな。・・まぁ詳しい話は俺の部屋でするか。」 「でも香織たちがいるんじゃ?」 「香織は葵ちゃんたちと買い物に行くって言ってたからなぁ・・。」 そう言いながら龍二は部屋の鍵を開けた。ドアを開く。奥まった部屋でスタンバイしている皆は、亮にバレないように準備した。 「ちょっとトイレ行って来るから、先に部屋入ってて。」 先頭に居た龍二はそう言って、その後ろに居た亮にドアを開けさせた。 その瞬間、クラッカーが鳴る。一瞬何が起こったのか分からず、亮は立ち尽くしていた。 「何やってんや。こっちこっち。」 武士が呆然としている亮を部屋の中へ押し入れる。 「・・何事?」 まだ事情が掴めない亮が呟いた。 「何言うてんの?今日は亮の誕生日やろ!」 武士がバンバンと背中を叩いた。確かに、施設に入ってからはそういうことになった。この話をしたのは葵だけだった。ふと部屋を見回すと、葵が料理を運んできた。 「おめでとう。亮くん。」 そう言って彼女が微笑む。 「あり・・がと。」 素直に目を見ては言えなかった。照れくさくて、途切れ途切れに言った。葵がこの話を覚えていてくれたことが、すごく嬉しかった。 「ほら。乾杯するから飲み物持て。」 龍二はジュースが入ったコップを亮に渡した。 「それでは・・。」 コホンと龍二が咳払いをして、グラスを掲げる。 「亮、誕生日おめでとー。」 「おめでとー。」 全員がグラスを鳴らす。少し口をつけ、全員がグラスを置いて亮に向けて拍手する。亮は照れているのか、軽く頭を下げるだけだった。 プレゼントも渡し終わると、大人組は飲みに走った。葵たちが作ったおつまみがおいしいのか、余計にお酒が進んでいるようだ。 今日がクリスマスイヴということもあり、ホテルの窓から見える街は賑やかだった。 「主役が隅っこで何やってるの?」 葵に声をかけられ、亮は葵に向き直った。 「主役っても皆そっちのけで飲んどるし。」 「あはは。確かに。」 葵は亮にジュースを渡し、亮は受け取ってグラスに口をつけた。 「何か・・・不思議。」 「何が?」 葵が呟いた言葉に、亮が聞き返す。 「だって去年も海外でクリスマス過ごしたなぁって。」 「あー、そっか。」 亮は去年、葵たちがレコーディングをしていたロサンゼルスまで来てくれたことを思い出した。 「うん。早いよね。いろんなことがありすぎたから、余計そう思うのかも。」 「それはあるかもな。」 「あの時は、こうやって亮くんと過ごせるなんて思ってもなかった。」 葵の言葉が何だかくすぐったい。 「あ、せや。」 亮は思い出し、ポケットを探った。そして小さな包みを葵に渡す。 「何?」 「クリスマスプレゼント。」 思わぬプレゼントに嬉しくなり、葵は笑顔になった。 「ありがとう。開けてみてもいい?」 亮が頷き、葵はワクワクしながら、袋を開けた。 「わぁ。」 中から出てきたのは、小さな花のペンダントだった。 「かわいい。」 葵は手の平にペンダントを乗せ、何の花かよく見てみた。 「ヒマワリ?」 「・・うん。」 少し間が開いて、照れながら亮が頷いた。 「ありがとう。嬉しい。」 葵の笑顔に亮は思わず口の端が緩む。それが自分自身でも分かったので、必死に隠しながら、自分で付けようとする葵からペンダントを受け取り、葵の細い首に付けてやる。 嬉しそうにペンダントを見ている葵を見て、亮は小さな幸せを感じた。 イギリスで年越しをして数週間後、葵たちは先に日本へ帰国した。BDメンバーは便をずらして帰ってくる予定にしてある。到着ロビーで待っているであろう記者たちに変に勘ぐられても困るからだった。 空港に着くと、案の定記者たちが張り込んでいた。便が早かった葵たちはその記者たちを見、メンバーの苦労が手に取るように分かった。 その日の夜はそれぞれが無事に帰宅し、美佳は日向家でくつろいでいた。 「美佳、家の方に帰らなくていいの?」 久しぶりに日本に帰ってきたのに、なぜここにいるんだろう?と疑問が沸き起こる。 「いいのいいの。どうせ帰ったって誰もいないもん。」 出されたお茶をすすりながら、美佳はあっけらかんと言った。 「そうなの?ご飯、うちで食べてく?」 「んー。そうだな・・。」 悩んでいると美佳の携帯が鳴った。どうやらメールのようだ。 「葵、やっぱいいわ。うち帰る。」 「どしたの?急に。」 「ちょっとデートの約束入っちゃったから。」 妙にニヤニヤしながら、美佳が言う。 葵は『彼氏なんていつの間にできたんだろう』と思いつつも美佳を見送った。 弟たちは仕事でまだ帰ってこない。葵は弟たちが帰ってくる前に夕食兼夜食になるであろう食事を作り始めた。 「美佳ちゃん、こっちこっち。」 呼ばれた美佳は手招きする武士に駆け寄った。変装用に帽子を深めにかぶっているので、すぐには武士とは分からない。 「どうしたの?呼び出して。」 「いやぁ。あのさ。相談があんねんけど。かまへんか?」 「いいけど・・。大丈夫なの?帰国したばっかで疲れてるんじゃない?」 思わぬ美佳の気遣いに武士は目を丸くした。 「な、何?」 驚いた顔をされ、美佳の方が戸惑う。 「いや。俺は大丈夫やけどさ。美佳ちゃんこそ大丈夫なんか?」 「あたしは今まで葵のとこでゆっくりしてたから。」 「そう。」 武士はホッとしたように笑った。 場所を変え、コーヒーショップへやってきた武士と美佳は、店の隅の席に座った。 「で、何?相談って。」 「それがさ。亮のことなんやけどな。」 「亮くんがどうかしたの?」 少し間が開く。 「どうかしたってか、どうにかせなあかんような気してな。」 「どうにかって?」 「ほら。付き合っとるって言うても、外国におるときみたいには会えんくなるわけやんか?そしたらあいつ、絶対引くと思うねん。」 「引く?葵と会おうとしなくなるってこと?」 美佳の問いにうーんと唸りつつ、答える。 「そういうことになるんかなぁ。状況が状況やん?隠れて会えたとしても、前みたいに一瞬だけの話になるかもしれんしさ。」 美佳はロンドンへ行く前の二人を思い出した。確かに亮の仕事が忙しく、葵と会える時間はほんの数分しかなかった。 「そりゃそうだけどさ。で、武士くんは何か策とかあるの?」 「策って言うかな・・・。」 武士は言葉を濁す。コーヒーを飲んで落ち着ける。 「あの二人って付き合った経験ってないわけやんか?」 「まぁね。」 「やっぱりフォローしてもらった方がええよな?」 「うーん。この状況じゃ、そうした方がいいのかもしれないけど。」 人気ロックバンドのヴォーカルと一般女性との恋愛はそれなりに厳しいものがある。 「やからさ。俺らがそのフォローに回ったらどうやろって思うねん。」 「俺らって・・武士くんとあたし?」 美佳の言葉に大きく頷く。 「余計なおせっかいって分かっとるけどさ。俺、どうしても亮を応援したいねん。あいつには幸せになって欲しい。」 それはずっとバンド仲間として亮のことを見てきたからだろう。極度の女嫌いだった亮が唯一愛した女性と何があっても幸せになって欲しいと願う。 「うん。あたしも葵には幸せになって欲しい。」 葵の苦労をずっと傍で見てきた美佳は武士の意見に賛成した。 「協力するよ。あたしたちでできること、やろう?」 「ありがと。美佳ちゃん。」 そう約束したものの、相変わらずライヴやレコーディングで忙しい日を送っている亮を葵と会わせるのは困難だった。会えたとしても以前のように、一瞬だけの方が多かった。 「上手くいかないなぁ。」 「何が上手くいかないの?」 美佳の呟きを聞き、葵が顔を覗き込む。 「え?な、何でもないよ。」 慌てて言うと、葵は怪しがった。 「また何か企んでる?」 「そんなわけないでしょ。」 「ホントに?」 「ホントに。」 そう言っても葵はまだ疑惑の目で見てくる。それでも何の根拠もないので、すぐに諦める。 「まぁいいわ。変なこと企んだら許さないよ?」 「分かってるって。」 「ならよろしい。」 何故か葵の方が優勢に立っている。 (あんたのためだってばっ。) そうは思っても口には出せない。企んでいるわけじゃないが、気が気じゃなくてつい動揺してしまう。 (どうやったら上手くいくんだろう。) 美佳が溜息を漏らしている頃、同じように武士も溜息を漏らしていた。連日の忙しいスケジュールには溜息しか出ない。 「武士、どしたん?元気ないやん。」 慎吾に問われるが、武士は曖昧に返事をする。 「そうかぁ?最近忙しいからちゃうかなぁ?」 「疲れたん?」 「うーん。まぁそんなとこ。」 「珍しいやん。武士がそんなん言うなんて。」 「そう?俺やって疲れるで。」 「まぁ今までにないくらい忙しいからねぇ。」 慎吾の言葉にうんうんと頷く。 「まぁでも忙しいのは嬉しいことやん。それだけ仕事あるってことやし。」 珍しく慎吾がまともなことを言うので、武士は一瞬戸惑った。 「そうやけどさぁ。」 この忙しい中、二人の心が離れなければいいのだが・・・・。 実際には、武士や美佳が心配するほどでもなかった。毎日、ほんの短時間だが電話したり、電話できないときはメールをしていた。 例え会えなくても、お互いそれは仕方ないと分かっていたし、どうしようもないことも分かっていた。 そんなある日、ほんの少しだけ空き時間ができた。武士はここぞとばかりに亮を連れ出した。 「おい。どこ行くんや?」 「ええから、来い。」 半ば強引に武士に連れ去られた亮が連れてこられた先は、ある一軒の店だった。どこかで見たことがある気がする。この店は・・一度来たことがあると気づいたのは、中に入ってからのことだった。 その30分前。いつものように家事をこなしていた葵の元に、美佳が飛び込んできた。いつものことなので、特に気にはしないが、今日はどこか違った。 「美佳。どしたの?」 「葵、すぐに出かける支度して!」 「え?何で?」 「いいから早く!」 美佳に言われ、葵はエプロンを外した。それと同時に手を引っ張られる。 「ちょっと、美佳!」 家の外に出ると、美佳の家の車が止まっていた。その車に押し込まれるように乗ると、車は発進した。 ずんずんと店の中に入っていく武士について、亮は店に入った。やっと気づいた。ここは美佳の親戚の小料理屋だ。以前に来たことがある。確か龍二たちの結婚式の打ち合わせをしていたときだ。 そんなことを考えていると、武士がある部屋の前で立ち止まった。 「亮、こっち。」 呼ばれ、亮が部屋の前に立つと、武士は思い切り戸を開けた。 「!!」 そこにいたのは葵と美佳だった。あまりに突然の再会に、お互い声が出ない。 美佳と武士がニヤニヤと笑っているところを見て、二人で企んだんだと気づく。 「じゃああたしたちはお邪魔だから消えるわー。」 「しっかりやれよ。」 そう言って二人は部屋を出て行った。 呆然とする亮に葵がクスッと笑った。 「してやられたね。」 「ホンマやな。」 思いがけぬ再会に、二人は嬉しくなった。 二人の久々の再会はたった30分だったが、それでも十分だった。ただ傍に居るだけで、心が通じ合っているような気持ちになった。 「ありがとね。美佳。」 「お礼は、武士くんに言った方がいいかもよ?」 「え?」 「武士くんね、二人が会えないことすごく気にしてて。それであたしに協力してって言ったの。ほんの少しだけでも会える時間があるなら、会わせてあげようって。こうでもしなきゃ、会えないでしょ?」 美佳の言葉に頷く。 「ありがと。嬉しかった。会えると思ってなかったから、最高のプレゼントだよ。」 葵はいつになく嬉しそうに笑った。 「武士、ありがとな。」 亮の思いがけない言葉に、武士は妙に照れる。 「お礼言われるようなことちゃうって。」 照れ隠しにそう返す。 「俺、やっと亮が好きになった人と亮がうまくいってくれたらなぁって・・・。お節介やって分かっとるけど、やっぱ気になってさ。・・応援しとるから。お前んこと。」 「ありがと。」 武士の言葉に嬉しくなり、亮は自分でも気づかないうちに少しだけ笑顔を浮かべていた。 そんな風に少しの空き時間ができれば、武士と美佳が連携して二人を会わせていた。それは10分ほど、と言う時もあったが、全く会えなくなるより断然よかった。 ほんの少しの時間、お互いの気持ちを確かめることができたので、亮と葵にとってそれは貴重な時間だった。 それは4月に入ってからのことだった。 響が血相を変え、メンバーの前で口を開いた。。 「やばいぞ。」 「何がヤバイん?」 あっけらかんと聞く武士を見ながら、また口を開く。 「週刊誌に記事が出る。」 「へ?」 あまりに現実味の無い話に、武士はマヌケな声を出してしまった。 「記事って?」 透が冷静に聞くと、響は亮を見た。 「まさかそれって・・・。」 龍二が感づく。 「そのまさかだ。亮と葵ちゃんの記事が出る。」 「ええ!」 一番驚いたのは、亮本人だったが、それを代弁するかのように慎吾が叫んだ。 「何で何で?」 慎吾はこっそりと葵に会っていることを知らないので、響に尋ねた。 「葵ちゃんとの2ショットに加えて、葵ちゃんがeyesの姉さんだということもバレた。」 「!!」 全員が言葉を失う。そこまで嗅ぎ付けられたなんて・・・。 「記事は・・・抑えようとは努力しているが、出てしまう可能性の方が高い。」 その言葉を聞いた瞬間、亮は部屋を飛び出した。武士が追いかける。 「待て!亮。」 すぐに追いつき、亮の腕を掴む。 「離せ!」 腕を振り解こうとするが、武士は強く握った。 「あかん!今お前が葵ちゃんとこ行ったところで、マスコミの格好の餌や。」 その言葉に、亮は振り解こうとするのをやめた。 「どうしたらいい?」 亮は俯いたまま、泣き出しそうな声で聞いた。 「それを今から考えるんや。」 武士に連れられ、亮は部屋に戻った。 まず武士は美佳と連絡を取った。 学校にいた美佳は、すぐに葵の家に向かった。まだマスコミは来ていないようだ。葵を連れ出し、美佳の家に匿う。 事情を知った葵は、顔面蒼白になった。予想していたことではあったが、こんなにも急に来るとは思っていなかった。 「どうしよう・・。美佳。」 「どうしようもないよ。とりあえず記事が出るかどうかまだよく分からないけど、うちにいたら大丈夫だから。」 「でも・・・快人と直人は?」 「あの二人にも連絡する。」 美佳は携帯電話を取り上げ、電話帳で探し、ダイヤルする。 「もしもし?松木さん?」 双子のマネージャーである松木と連絡を取っているようだ。その電話の間、気が気ではなかった。 「じゃあよろしく。」 電話を切ると、葵に向き直った。 「一応ホテルの手配してそっちに泊まってもらうことにしたから。」 「・・・うん。」 葵は俯いたまま頷いた。 「元気出しなよ。大丈夫だって。」 「うん。」 美佳に慰められても不安は葵の胸の中で渦巻いていた。 そして週刊誌が発売された。記事は案の定載っていた。女嫌いで有名だった亮に起きた初めてのスキャンダル。ファンの間で激震が走ったのは言うまでもない。事務所の電話は一日中鳴り響いた。 亮はほとぼりが冷めるまでは、葵と会わないと決めた。どうするのが最善なのか、葵も亮も、他のメンバーにも分からなかった。 今回のことで快人と直人にもマスコミが取材に来たが、二人は無言を決め込んでいた。 流石に葵にまでは取材は来なかったが、亮は葵を守るために葵から離れて行った。電話やメールでさえ控えるようになり、それに気づいた周りが注意するが、亮はすっかり弱気になっていた。 「今日も来なかったの?メール。」 美佳は溜息をついた葵に聞いた。葵は寂しそうに笑いながら頷いた。何度もメールをしているが、一向に返ってこない。いつの間にか時が過ぎ、六月になっていた。 「ったく。返事くらいすりゃいいのに。」 「仕方ないよ。忙しいんだよ。きっと。」 無理に笑ってみせる葵を美佳は抱きしめた。 マスコミが騒がなくなったとは言え、どこで見張られているか分からないので、迂闊に葵を亮に会わせることはできない。しばらく考えた美佳は突然立ち上がった。 「葵、分かってるとは思うけど、亮くんだって辛いんだからね?辛いからこそ二人で乗り越えなきゃダメだよ?」 美佳の言葉に葵は頷いた。 その頃、あるスタジオで亮と武士が休憩していた。 「亮。メールくらいしてもええんちゃうん?」 武士にそう言われるが、亮は反応しなかった。 「おい。亮!聞いてんのか?」 武士は掴み掛かる勢いで亮に迫った。ようやく亮は顔を上げる。 「怖いんや・・・。」 「怖い?」 「葵には俺よりふさわしいやつがおるんちゃうかって・・そんなことばっか考えてしまう・・。」 「アホかっ!」 武士はキレた。亮の胸倉を掴んで叫んだ。 「お前がしっかりせんで、どうすんねん!大切な人守るためには、お前がまず自分の気持ちに素直にならなあかんのちゃうんか?!」 武士の言葉は的を得ていた。亮はつい目をそらす。武士は拳を握った。 「武士くん!ダメ!」 亮を殴りそうになった武士の右腕を美佳が抑える。 「美佳ちゃん。何で・・・?」 突然現れた美佳に二人は驚いた。武士は掴んでいた亮の胸倉を離す。 「亮くんの様子、見に来たのよ。」 美佳は亮を見た。すっかり弱気になっているのが手に取るように分かる。そんな姿、見たくなかった。 美佳は進み出ると、亮のほっぺたをペチッと叩いた。 「な?」 なぜ叩かれたのか分からず、亮は美佳を見つめた。涙が溢れそうなその瞳は、明らかに怒っていた。 「辛いのは亮くんだけじゃないんだよ?ちゃんと葵のこと考えて、ちゃんとケジメをつけて。」 その言葉に目が覚める思いがした。思わず唇を噛み締める。 「俺、ちゃんと考える。」 亮はそう言うと部屋から出て行った。 「はぁ・・・。」 美佳の背後で大きな溜息が漏れた。 「あかんなぁ。俺。」 武士が頭を抱えて椅子に座る。 「どうして?」 「美佳ちゃん、止めてくれんかったら、俺絶対亮のこと殴ってた。もう少しで約束破るとこやった・・・。」 亡くなった親友とのあの約束を。 美佳は近寄り頭をなでた。 「それだけ亮くんのこと考えてるってことだよ。」 美佳の言葉に救われた気がした。 亮は一人になれる場所を探し、考えた。 葵は自分にとって初めて好きになった人で、一番大切な人。それは十分すぎるほど分かっている。 じゃあ彼女を本当に守るためには、どうしたらいいんだろう? 葵に会わないことは本当に彼女を守ることになるんだろうか? もしかしてただ自分が逃げてるだけなんじゃないのか? 胸の中に渦巻く不安。彼女に会えない寂しさ。失うことの怖さ。 このままじゃダメだと分かっている。今、できることは・・・。 亮は手で覆っていた顔を上げて立ち上がった。 「おい!亮。どこ行くんや?」 部屋ではなくスタジオの外に行こうとする亮を見つけ、龍二が止めに入る。 「葵んとこ。」 それだけ言うと亮はスタジオを出て行ってしまった。 「ケジメ、付けるつもりなんかな?」 後ろで透が呟いた。龍二は溜息と共に言葉を漏らした。 「だといいんやけどな。」 亮はフルフェイスのヘルメットをかぶり、バイクのエンジンをかけた。 まだ胸の中で不安は渦巻いている。だけど・・・・。 『会いたい。』 今一番会いたいのは、葵の笑顔。抑えきれない感情を無理やり抑え、亮はエンジンを吹かし、走り出した。 スタジオから日向家まではそんなにかからなかったが、家には誰も居ないようだった。 家に居ないとしたらきっとバイトだろう、と亮は再びバイクにまたがった。 バイト先の花屋の少し手前でバイクを停める。邪魔にならないように起き、ヘルメットを外す。すかさずサングラスをかけ、周りにバレないように俯き加減で歩き出した。 亮が近くまで来ていることなど知らない葵はいつも通り仕事をこなしていた。 「葵。」 「新ちゃんいらっしゃい。」 葵が笑顔で迎えたのは、幼馴染の新一だった。 「葵、あいつと付き合ってたんだな。」 新一は週刊誌で初めてその事実を知った。葵は小さく頷いた。 「でもあれから亮くんから全然連絡なくて・・・。迷惑・・かけちゃったかな?」 笑顔が取り柄のはずの葵の顔は沈んでいた。新一は思わず抱きしめた。 「ちょ・・新ちゃん?」 驚いた葵はパニックになった。 「俺じゃ・・ダメ?」 新一の声は震えていた。まだ好きで居てくれたのだと、初めて気づく。 亮は目を疑った。店の中で葵と新一が抱き合っていた。 見ていられなくなり、亮はすぐに店を離れた。その場から逃げるように走ってバイクまで向かい、夢中でバイクを走らせた。 「新ちゃん。」 葵は優しくその手を解いた。 「ありがとう。でも、ごめんね。あたしは亮くんが好きなの。亮くんは意地ばっかり張ってたあたしの心を優しく溶かしてくれたの。あたしは・・亮くんじゃないとダメなの。」 はっきりとそう言われ、新一はようやく諦めがついた。 「そっか。そこまで言われちゃ諦めるしかないよな。ごめんな。困らせて。」 新一の言葉に首を振った。 「ううん。新ちゃんも早くいい人見つけなよ。」 「そうだな。・・葵。」 「ん?」 「がんばれよ。辛いかもしれないけど、応援してるからさ。」 「ありがと。」 葵は変わらぬ笑顔で微笑んだ。 夢中でバイクを走らせ、亮はスタジオに戻ってきた。 「お。亮、おかえりー。」 気づいた慎吾が声をかけるが、返事をしない。 「どうしたん?葵ちゃんに会ってきたんやろ?」 様子がおかしいので、武士が近寄る。俯き、震えているのに気づいた武士は、亮を別の部屋に連れ出した。 「そっかぁ。」 事情を聞いた武士は溜息をついた。タイミングが悪すぎる。 「でもさ、お前すぐに逃げたんやったら、その後葵ちゃんがどんな返事したとか全然聞いてないんやろ?」 武士の問いに亮は素直に頷いた。 「お前は・・どうしたい?このまま葵ちゃんを失ってもええの?」 その問いに亮はガバッと顔を上げた。訴えるような目で武士を見た。 「それは絶対にヤダ!」 「なら、今お前は何をしなきゃいけないのか、ちゃんと考えろ。ケジメがどういうことなんか、どうやったら皆を納得できるんか、しっかり考えろ。」 武士の真剣な眼差しに亮は深く頷いた。 一度スタジオに戻り、亮は仕事をこなした。今日の仕事は音楽雑誌のインタビュー。もちろん写真撮影もある。カメラマンは帰国したばかりの優人だった。 いつものように撮影が終わり、亮は優人に近づいた。 「優人。」 「ん?」 亮に話かけられるのは久しぶりなので、優人は少し驚いていた。 「お願いがあるんやけど・・・。」 不安は増すばかりだった。返信されないメール、鳴らない電話。確実に葵の溜息が増えていた。 「葵ちゃんやっぱり元気ないね。」 直人は遠くから心配そうに呟いた。 「こればっかりは俺らもどうにもできないしな。」 快人が正論を言う。 「そうだけど・・・。まさかこのまま自然消滅とか・・・。」 直人の言葉に快人が顔を上げた。 「お前、思ってても言うなよ。そんなこと。」 「ごめん。」 直人は素直に謝った。 「どうにかできるなら、どうにかするんだけどな。」 快人は溜息混じりに言った。 失う怖さをひしひしと感じていた。胸に渦巻く不安は何をしていても付きまとった。 ライブツアー中の亮は、ますます葵に会えなくなっていた。いつもならライヴ終わりに連絡を取っていたのだが、今はそれができなかった。 携帯電話を握り締め、いつもダイヤルを躊躇っていた。そんなことをしては時間が過ぎてしまい、連絡できないまま時間が過ぎた。 ただ怖かった。本当に自分なんかを好きでいてくれるのだろうか?あの幼馴染の方が、葵にとって幸せになれるんじゃないだろうか? そんな考えが頭を過ぎっては、そんなことないと頭を振った。 もしも葵を失ってしまったら・・・。もう二度と何も歌えなくなってしまうかもしれない。 涙が頬を伝う。亮は震える両手で顔を覆った。 そしてそれから1ヶ月が過ぎた。亮からは相変わらず連絡はない。いつしか葵の口から亮の名前を聞くことがなくなった。 忘れた訳じゃない。口に出してしまったら、今保っている平常心が崩れてしまいそうだった。 不安に押し潰されそうな毎日。葵はいつもと変わることのない生活でどうにか平常心を保っていた。 そんなある日。バイトを終え、時刻を見るために携帯を取り出すと一通のメールが届いていた。 (美佳かな?) そう思いながらメールを開き、送信元を見て目を見張った。 「亮くん・・・。」 思わず声が出てしまう。葵は立ち止まり、メールを読んだ。 『会って話がしたい。今日何時でもいいから、連絡ください。』 短くそれだけ書かれていた。その文面に葵は不安が更に大きくなった。 (話って・・何だろう?) まさか別れ話?葵は頭を振って、早鐘のように打つ鼓動を沈めた。深呼吸して返信ボタンを押す。 メールを打ち終わり、送信する。送信完了と画面に打ち出され、葵は携帯を閉じた。 着信音が鳴る。亮は慌てて携帯電話を取り上げた。メールだと気づき、早速開く。 『今バイト終わったとこ。時間は亮くんに会わせるよ。』 亮は壁にかけてあった時計を見た。午後5時20分と針が知らせている。少し考え返信する。 『じゃあ、7時に迎えに行く。』 本当は今すぐにでも会いたい。そんな衝動を抑えつつ、亮は出かける準備を始めた。 葵が家に帰ると、何故か香織と美佳が家でくつろいでいた。早速報告すると二人は大声を上げた。 「「亮くんから連絡来た!?」」 「うん。」 葵は買い物してきたものを取り出しながら頷く。 「何て?」 興味津々に美佳が尋ねる。 「話がしたいって・・・。」 「で?何て返したの?」 今度は香織が顔を近づけてくる。 「亮くんに合わせるって。そしたら7時に迎えに来るって。」 「7時ってあと1時間半しかないじゃん!」 美佳が時計を見て叫んだ。 「ちょっと葵ちゃん。ご飯の支度はあたしがしとくから、準備しなさいよ!」 「え?」 香織に言われ、葵は驚く。美佳がそんな葵の腕を引っ張った。 「久しぶりに会うんでしょ?極上におしゃれしなきゃ!!」 何故か葵より二人の方が張り切っている気がする。 午後7時。インターホンが鳴る。葵は意を決して玄関の扉を開いた。 亮は驚いた。目の前にいるのは、確かに葵なのに。久しぶりに見る彼女はとても綺麗だった。胸には亮がプレゼントしたペンダントが光っていた。それに気づき、少しだけ勇気が出る。 「いらっしゃい。」 葵は辛うじてその言葉を言った。亮は返答に迷った挙句、こう言った。 「久しぶり。」 「久しぶり。」 葵が同じように返す。 「ごめんな。ずっと連絡しなくて。」 葵は泣き出しそうな気持ちを抑え、首を振った。 「ちょっと出れる?」 亮の問いに頷き、鞄を持って外へ出る。そこにあったのは亮のバイクだった。 (美佳の言ったとおりだ。) 葵は美佳に着替えさせられる時、スカートかパンツか悩んだ。しかし亮はバイクで来るだろうと美佳が予想しパンツにしたのだった。 亮にヘルメットを渡され、かぶる。いつもポニーテールにしている長い髪も美佳に言われたとおり、下ろしておいた。 亮が乗ったバイクの後ろにまたがる。久しぶりに乗る感触に少しだけ緊張した。 亮はバイクのエンジンをかけた。葵は反射的に亮の服をしっかりと握った。 走り出したバイクがどこに行くのか、葵には全く分からなかった。 着いた先は海が見える公園だった。日が長くなったとは言え、今はもう暗くなり少しだけ肌寒かった。 「寒くない?」 「大丈夫。」 葵は薄手の長袖カーディガンを着ているので、我慢できる程度の寒さだった。 少しだけ沈黙が流れる。その沈黙を破ったのは亮だった。 「俺、ずっと怖かったんや。葵を・・守ろうと思って距離を置いた。けど会えなくなると、葵を失ってしまうんやないかって・・ずっと不安で・・。」 亮も自分と同じ気持ちだったと知り、葵は少しほっとした。 「ずっと怖くて、逃げてばっかりやった。・・・でも逃げてばっかりやったら、ホンマに葵のこと失ってしまうってやっと気づいた。」 亮はいつになく真剣に真っ直ぐに葵を見つめた。 「俺は葵のこと好きや。失いたくないって思ってる。」 亮はポケットから小さな箱を取り出した。葵の前に差し出す。 「こんな俺やけど・・・結婚・・してください!」 亮は一礼した。葵はただ驚いていた。差し出された箱を手に取り、箱を開ける。そこに光る指輪。 「これ・・・。」 「優人に頼んで、アクセデザイナーんとこで作ったんや。」 「亮くんが作ったの?」 その問いに亮は照れながら頷いた。亮の想いが一気に流れ込んでくるようだった。堪えていた涙が溢れ出す。 「葵?」 突然泣き出した葵に亮は慌てた。 「嬉しい。こんなあたしで・・いいの?」 「葵がええんや。」 亮ははっきりと言った。嬉しさで胸がいっぱいになる。不安が一気に吹き飛んだ。 「ありがとう。あたしも・・あたしも亮くんがいい。」 葵の返事を聞けて、亮はホッと一息ついた。ゆっくりと葵を抱きしめる。亮の鼓動が聞こえてくる。いつもより早い。すごく緊張していたのだと気づく。 見つめあった二人は自然と唇を重ねた。 二人は時間を忘れいつまでも抱き合っていた。 「葵大丈夫かしら?」 日向家のリビングのソファでくつろぎながら美佳が心配そうに言った。葵はいつもどこか抜けているのだが、今日はそれに拍車がかかっている。 「あれはただの幸せボケでしょ。」 香織がばっさりと言う。 「あはは。やっぱり?」 美佳が笑いながら言うと、香織は「うん。」とはっきりと頷いた。 「でもよかった。」 「そうね。でも大変なのはこれからよ?」 「もう大丈夫でしょ。」 美佳の言葉に香織はそうねと頷いた。 「くしゅん。」 「なんだ、亮。風邪か?」 鼻をすする亮に龍二がティッシュの箱を渡す。 「そりゃ海辺で何時間もいたら、いくら暖かくなってきたつっても風邪引くって。」 武士がケラケラ笑いながら言う。 「それもそうやな。」 龍二が納得する。 「でもま、よかったやん。」 武士に肩を叩かれた亮は小さく「ありがと」と言った。それに気づき、武士は妙に嬉しくなった。 「で?これからどうすんの?」 慎吾が興味津々に聞いてくる。 「それはこれから・・・。」 「俺らも協力すっから、がんばれよ。」 「サンキュ。」 亮は今まで見たこともない笑顔を見せた。 |