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ACT.4 緊張
亮は初めて一人で映画の撮影にやってきた。まず一人で仕事をすることがないので、不安が募る。『大丈夫だよ』 不意に葵の笑顔が浮かんだ。 「うん。大丈夫」 亮は自分に言い聞かせ、車を降りた。 「私、映画の撮影現場なんて初めてです」 マネージャーの青田が呟いた。見るとなぜか彼が緊張している。 「お前が緊張してどうすんねん」 「そ、そうですよね」 青田は苦笑いを浮かべた。そうは言っても緊張は解けないらしい。 亮は用意された楽屋で、衣装に着替え、メイクをしてもらった。ここまではいつものミュージックビデオの撮影と変わらない。 だけど、今回は勝手が違う。まずBDメンバーはいない。そして台詞がある。その二点は亮にとって緊張を増す要因だった。 緊張で気分が悪くなってくる。 「どうした? 亮。気分でも悪いのか?」 ヘアメイクの川端が気づき、声をかけてきた。ちなみに何度か仕事をしたことがあるので、顔見知りである。 「・・・・・・気持ちわりぃ・・・・・・」 「え? 大丈夫?」 「ちょっと頭冷やしてくる」 亮は立ち上がった。 「それはいいけど、早く戻って来てよ。メイク終わってないんだから」 「うん」 川端の言葉に小さく返事して、亮は楽屋を出た。 一旦スタジオの外に出た亮は、携帯電話を握り締めていた。 かけるか、かけまいか。短縮ダイヤルを押しては、電源ボタンで戻す。その繰り返し。 「来て早々やしなぁ・・・・・・」 朝会ってから、時間もそんなに経っていないのに。 「やけどなぁ・・・・・・」 一旦撮影が始まれば、もうかけられないかもしれない。 そう考えた瞬間、亮は短縮ボタンを押し、通話ボタンを押していた。 数コールで葵は出てくれた。 『もしもし? どうしたの?』 「あ・・・・・・ごめん。声が聞きたくなって・・・・・・」 素直にそう言った。 『撮影はまだ大丈夫なの?』 「うん。今準備してたとこ」 実はメイクも途中なのだ。 『そっか。緊張してる?』 「そりゃな」 この業界に入って、初めての経験なのだ。緊張して当たり前なのだが、葵の声を聞くと少し落ち着いてきた。 『そうだよね。でも、亮くんなら大丈夫だよ』 その言葉で、気持ちが浄化されていく。 『昨日、台詞だってちゃんと覚えてたし。昨日やってた通りにやれば大丈夫だよ』 実は昨日、葵に少し相手をしてもらった。高校時代に劇をやったと言うので、頼んだのだ。 「そうやな・・・・・・」 「亮くん!」 不意に声がして、顔を上げるとマネージャーの青田が寄ってきた。電話中だと気づくと、彼はごめんと顔の前に片手を上げた。 青田が呼びに来たということはそろそろ行かなければいけないのだろう。 「ありがと。葵。何かちょっと緊張解けた」 『ホント? よかった』 葵の声はどうしてこんなに安らぐんだろう? 「もう行かなあかんみたいやから」 『そう。撮影、がんばってね』 「うん」 亮は手短に電話を切った。すると青田が近寄ってくる。 「亮くん、気分悪いって大丈夫?」 「うん。今浄化した」 「へ? 浄化?」 亮の台詞の意味を理解できず、青田は首を傾げた。亮はそんな青田を見て小さく笑うと、楽屋に足を向けた。 川端に謝り、メイクを済ませた亮はスタジオにやって来た。もう既にスタッフたちが準備を始めていた。 「おはようございます。よろしくお願いします」 周りのスタッフや共演者たちに一通り挨拶すると、亮はスタジオの後ろの方で出番を待つことにした。 そこに主人公役の中田博紀が現れる。彼もスタッフや共演者たちに挨拶をし、最後に亮の前に現れた。 「おはようございます」 「おはよう」 「今日はよろしくお願いします」 「こちらこそよろしく」 博紀は若いが、礼儀をわきまえていた。それはこの業界だからなのか、彼の性格なのかは分からない。挨拶が終わったはずの博紀がまだその場に残っている。何かを言おうと悩んでいるようだった。 「あのっ・・・・・・」 亮は博紀の目を見た。 「あの・・・・・・突然こんなこと言うの変なんですけど、俺、ずっと前からBLACK DRAGONのファンなんです」 突然の告白にも似た発言に、亮は驚いた。 「握手、してもらってもいいですか?」 博紀は恐る恐る手を差し出した。亮は快く右手を差し出す。 「ありがとうございます! 夢みたいだ」 ただ握手をしただけなのに、博紀は本当に嬉しそうに笑った。 「俺、ずっとBLACK DRAGONさんに憧れてて。バンドを組んだのもBLACK DRAGONさんの影響なんです」 「そうなん?」 聞き返すと、博紀は頷いた。 「はい。元々音楽は好きだったんですけど、初めてBLACK DRAGONさんの曲を聴いた時、すごくツボにハマったと言うか・・・・・・。一発で好きになったんです」 「そうやったんや」 こうして生でファンの声を聞ける機会は滅多にないので、何だか嬉しい。 「だからこうして一緒にお仕事できるのは、本当に光栄だと思ってます」 博紀は目を輝かせていた。素直に嬉しい。 「おおきに。すごい嬉しい」 そう言うと、博紀も嬉しそうに笑った。 博紀は本当にいい子で、人懐こくて親しみやすい人物だった。弟みたいなのだが、仕事に関しては厳しく、自分が納得の行く演技を追及していた。 (俳優ってすげー・・・・・・) やはり目の当たりにすると、違う。演技だと分かっていても、引き込まれていく。 それは音楽も同じなのかもしれない。表現方法は違うが、結局は自分が表現したいことを第三者に伝えることが目的だ。役者という職業は自分本位では表現できない。多くのスタッフと多くの演者で構成される。多くの人の協力で出来上がった作品は、きっと大きな力を持っているのだろうと思う。 いよいよ亮の出番がやって来る。妙な緊張が襲う。 (大丈夫) 葵に言われた通りの言葉を繰り返す。カメラリハーサルを終え、本番。 シーンとしては、主人公の妄想シーン。つまり実際には亮演じるカイがいるはずのない場所に現れるのだ。台詞の掛け合いは、主人公とだけある。他のメンバーには見えない設定。 亮は深呼吸をして立ち位置についた。 「よーい! スタート!」 カチンと景気良くカチンコが鳴る。 まず主人公が自分の頭を掻き毟り始めた。 「あー、もう! どうしたらいいんだよ!」 「どうしたんだよ?」 心配そうに見つめるバンドメンバーたち。そこで初めてカイの台詞。 「お前がしっかりせんでどうするんや」 「え?」 顔を上げて驚くコースケ。その瞬間、周りの照明が消え、カイとコースケにだけスポットライトが当たる。 「な・・・・・・んで・・・・・・」 「安心しぃ。俺はあんたの妄想やから」 「妄想?」 「俺はあんたが作り出した虚像や。他の人には見えん」 更に驚くコースケ。 「俺、頭狂ったのかな・・・・・・」 急な展開にコースケが混乱する。 「大丈夫。前からや」 「えぇ? 否定しないんだ」 コースケの言葉を無視し、カイはコースケを見据えた。 「そんなことより、お前は何を悩んどんや?」 「それは・・・・・・」 言葉に詰まるコースケ。 「お前がしっかりせんでどうすんねん。もっとちゃんと顔上げてしゃんとせえ」 カイの言葉にハッとする。 「そだね・・・・・・。俺がもっとしっかりしないとね・・・・・・」 「カット!」 監督の声が響いた。その瞬間緊張の空気が解ける。 「チェックします」 その声に役者もモニターの前に集まった。さっき撮ったシーンを確認する。 何だか不思議な感覚だ。演技をしている自分なんて、想像できなかった。だけどこうして一つのものを創り上げようとしているのは、何とも心地がいい。 「オッケー。次はワンカットずつ撮ります」 監督が次の支持を出す。先程のシーンでカイがコースケに向かって告げる台詞、それを聞いたコースケの反応、という風にそれぞれでカメラを相手と見立てて撮影する。 亮はカメラに向かい、さっきと同じように演技をする。 そして同じように博紀もカメラをカイと見立てて演技をした。 こうして細切れに撮影されていくのが、何度も続く。その後、スタッフの手によって編集されるのだが、こんなに細切れに撮ったのにワンシーンが違和感なく出来上がるのが不思議でたまらない。 気づくと昼近くになっていた。 「一旦休憩入りまーす」 スタッフの声で、緊張の糸が解れる。 「亮さん! 良かったら一緒にお弁当食べませんか?」 博紀に誘われ、亮は快く承諾した。 亮の楽屋に博紀が弁当を持って現れる。 「すいません。我侭言って」 「別に我侭ちゃうやろ。俺、嫌やったら、嫌って言うタイプやし」 亮はそう言いながら、用意された弁当ではなく、葵が持たせてくれた弁当を取り出した。 「あれ? 愛妻弁当っすか?」 「まぁな」 『愛妻弁当』と言う響きに何だか恥ずかしさを覚える。亮が弁当を開けると、亮の好きなハンバーグやポテトサラダを中心に栄養バランスのよいお弁当だった。 「すごい綺麗な弁当ですねぇ。いいなぁ」 博紀の言葉が何だか嬉しい。葵を褒めてもらっているようだったからだ。 「奥さんって料理上手なんすねぇ。明らかに冷凍食品じゃないし」 確かにそうだ。見た目ですぐに分かる。ハンバーグもポテトサラダも他のおかずも、全部葵の手作りだ。前の晩から仕込んでいたのかもしれないが、それにしても朝早く起きて用意するのも大変だったろうに。 もう一つの弁当箱には、いろんな具が混ぜ込んであるおにぎりが入っていた。もし時間ない時はこれをつまめるようにしておいたのだろう。 「すっげ。うまそー」 博紀が羨ましそうに弁当を覗きこんできた。 「食うか?」 「え? いいんですか? すいません。いただきます」 亮はおにぎりの一つを博紀に取らせた。博紀は嬉しそうにおにぎりを頬張った。 「うわっ。うまっ!」 その反応に亮が嬉しくなる。 「何かお袋の味って言うか、すごく懐かしい感じがします」 「一人暮らし?」 「そうなんっすよ。だから手料理なんて久しぶりって言うか。おにぎりで感動しちゃうくらい久しぶりで」 「今度うちに食いに来るか?」 何故かそんな言葉が口を突いて出た。博紀が余りに素直なので、もっと葵の手料理を食べて欲しいと思ったからかもしれない。 「え? いいんですか?」 博紀は嬉しそうに笑った。 「葵の料理は天下一品やで」 「だと思います」 亮の言葉に博紀は真面目に頷いた。 「だっておにぎりだけでこんなにおいしいし。是非料理を食べてみたいっす」 憧れの亮に言われた博紀はかなりのハイテンションになっていた。 「奥さんって、どんな方なんですか?」 そう聞かれて、亮はすぐに葵の笑顔を思い浮かべた。 「ヒマワリみたいな人」 一瞬きょとんとした博紀だったが、すぐに笑った。 「すごく素敵な奥様なんですね」 博紀の言葉に、亮は嬉しそうに微笑んだ。 博紀が衣装替えに自分の楽屋に戻っていくと、亮は監督を探した。監督はスタジオ内に併設されている喫茶店で台本をチェックしていた。 「監督。お時間、少しいいですか?」 亮を認めた監督は快く了承した。 「どうした?」 「あの・・・・・・曲のことなんですけど」 「あぁ。まぁ座って」 監督が椅子を勧めたので、亮は頷いて監督の向かいに座った。 「曲って言うのは、ラブバラードって言った方?」 「はい」 確認され、亮は頷いた。 「イメージが上手く湧かなくて。もちろん台本も読み込みましたし、イメージを膨らませようと努力はしてるんですけど・・・・・・。その・・・・・・バラードを書いたことがなくて」 「なるほど。でもそんなに難しく考えなくていいんだよ」 思わぬ監督の言葉に亮は伏せていた目線を上げた。 「え?」 「ラブバラードって言ったのは飽くまでこっちのイメージだから、曲調はどんな感じでもいいんだよ。雰囲気さえ壊さなければね」 「はぁ」 「あ、そうだ。相談に来たってことは、まだ歌詞とか曲とかできてないんだよね?」 監督に聞かれ、亮は「はい」と頷いた。 「台本を今見直してたんだけどさ。やっぱりここはラブバラードじゃない曲のがいいかなぁって思っちゃってね。注文、聞いてもらえる?」 「あ、はい」 亮は快く頷いた。 午後からの亮の出番が撮り終わった後、亮はレコーディングスタジオに向かった。打ち合わせをする部屋に入ると、龍二と慎吾が楽譜を広げて睨めっこをしていた。 「おろ。もう撮り終わったん?」 スタジオに入ってきた亮に気づき、慎吾が聞いた。 「今日の分はな。二人ともちょっとかまん?」 「おう。どうした?」 譜面をチェックしていた龍二は顔を上げた。 「監督に曲の変更を頼まれた」 「変更?」 亮の言葉にその場にいた龍二と慎吾が聞き返した。 「主題歌と挿入歌のイメージを変えてくれって」 「どう変えるん?」 亮は龍二たちに監督に言われた通り説明をした。 「・・・・・・随分大胆に変えるんやな」 話を聞き終わった龍二がポツリと呟く。 「メインはやっぱ友情にしたいみたいや」 「なるほど」 「挿入歌の方は分かるけど、主題歌まで変える必要あるん?」 「それは・・・・・・」 慎吾の質問に亮は監督との会話を思い出した。 「実を言うと、カイは亮くんをイメージしたんだ」 「え? そうなんっすか?」 監督の思わぬ言葉に、亮は驚いた。 「君がデビューした時からテレビで見ていて、いいなとは思っていたんだ。だけど、ある時期から歌い方が変わったよね。それって今の奥さんの影響なんだろ?」 監督の問いに、驚きながらも頷いた。 「あ、はい」 「それってすごいことだよね。一人の女性に出会うことで、歌い方や曲調まで変わってしまう。それほどの影響力を持つ人間ってどんな人なんだろうって疑問に思ってたんだ。亮くんの奥さんはどんな人なの?」 博紀と同じ質問だった。亮は迷わず口を開いた。 「ヒマワリみたいな人です」 「そうか。うん、なるほどね」 亮の返答に監督は少し考え込んだ。そして考えをまとめたらしい監督は亮の目を見た。 「挿入歌は、さっき言った通りに作って欲しい。だけど主題歌は君が思うように作って」 「え?」 監督の言葉に驚いた。 「そうだなぁ。ヒマワリ。君の奥さんを想って書いて欲しい」 「え? そんな・・・・・・」 「書きにくいかい?」 「そういう訳じゃ・・・・・・」 亮は戸惑った。何故監督がこんな注文をするのか、分からなかった。 「是非会いたいものだな。君のヒマワリに」 監督はそう言って笑った。 「亮?」 不意に呼ばれ、現実に引き戻された。 「どしたん?」 慎吾に問われ、亮は疑問を口に出してみた。 「いや、何で監督はあんな風に言うたんかなって」 「葵ちゃんのことを想って書けって?」 慎吾に聞かれ、亮は頷いた。 「興味なんちゃう? ただの」 龍二があっけらかんと言う。 「そんな興味だけで映画の主題歌依頼せんって」 慎吾が突っ込んだ。 「何にせよ、作りやすくはなったやろ?」 龍二に聞かれ、亮は頷いた。 「ラブバラードって限定されてないし。挿入歌の方は友情テーマやし」 「主題歌より、挿入歌早く作らんとヤバイよなぁ?」 慎吾の言葉で気づいた。挿入歌と言うのは劇中歌のことだ。しかも歌うのは自分じゃない。 「そやな。主人公が歌ってるシーンを撮らんとあかんやろし・・・・・・。亮、できるか?」 龍二に確認され、亮は頷いた。 「やってみる」 「そういやあの二人、遅くない?」 慎吾が呟く。 「そういや透と武士は?」 亮がようやく尋ねると、慎吾に呆れられた。 「気づくの遅くね?」 「いや、気づいてたけど」 「あの二人は別室で映画音楽の方やってる」 龍二が短く答えた。 「透は分かるけど、武士も?」 「何か急にやる気出してさー。美佳ちゃんに何か言われたんちゃうのー?」 慎吾が嫌味に言う。何もしていないこの二人より断然マシだと思う。 「亮? 言いたいことあるならちゃんと言え?」 思考を慎吾に読まれ驚くが、それを表に出さずに尋ねる。 「龍二と慎吾はやらんの?」 「映画音楽?」 亮が頷くと、慎吾が広げた譜面を指差した。 「この状況見て言うか? 俺らは自分らの曲やってんや!」 確かにこれらの譜面は自分たちの曲だ。アルバム用に書き下ろした曲たちだ。 「分担してやった方が多少ややこしくないやろと思ってな」 龍二は持っていた譜面をテーブルに投げつけるように置いた。隣に置いてあった煙草の箱を取り、一本取り出して口に銜える。それに火を点けると、煙を吸い、溜息のように吐き出した。 「こっちの進捗状況は?」 亮は譜面を取り上げた。 「上々、て言いたいとこやけど。正直煮詰まってる。おんなしような曲が多い気ぃすんねんなぁ」 龍二は広げた譜面を並べて、亮に見せた。 「これとこれ、アレンジしたら似てもうてるし、こっちも今までやった曲と似とる。アレンジし直すか、作り直すか。まぁどっちにしてもこのままやったら時間足りんわ」 龍二が溜息をつく。亮は龍二が指摘した譜面を見た。確かに似ている。メロディは違っていても、コード進行が似ているので、どうしてもアレンジが似てしまうのだろう。ちなみにまだ歌詞はない状態だ。 「何かパンチ効いたの欲しいよなー」 慎吾がノビをしながら言った。それはメンバー全員が思っていることだ。 「じゃあお前が書けよ」 「書けるなら書いとるわ」 龍二に言われ、噛みつくように返す。譜面を見ていた亮がおもむろに顔を上げた。 「龍二」 「ん?」 「俺、やってみたいことあるんやけど」 「やってみたいこと?」 龍二と慎吾に聞き返され、亮は大きく頷いた。 早めに家に帰ると、葵がいつものように出迎えてくれた。 「おかえりなさい」 「ただいま」 「撮影、どうだった?」 靴を脱ぎ、亮は葵に笑顔を向けた。 「一発オッケー」 「ホントに? すごいね」 葵はまるで自分のことのように喜んだ。 「葵のおかげやで?」 「違うよ。亮くんが一生懸命がんばったからだよ」 葵に言われると何故か妙に嬉しい。 「あ、弁当おおきにな。うまかった」 空の弁当箱を差し出しながら言うと、葵は嬉しそうに笑った。 「よかった。ちゃんと食べる時間、あったんだ」 「今日はまぁ順調に進んどったみたいやから」 「そっか。晩御飯はね、酢豚だよ」 今日のメニューを聞くと、急にお腹が空いてくる。素晴らしい胃袋だ。 「ええ匂いするわ」 リビングに入ると、作りたての酢豚の香りがした。 「あ、亮くん。おかえり」 「おかえりー」 珍しく快人と直人がいた。初めは敬語を使っていた二人だが、亮が家族なんだからタメ口でいいと言ってからは、二人とも何とかタメ口で接してくれている。ようやくぎこちなさが消えてきたと思う。 「ただいま。二人がおるん珍しいな」 「今日は早めに仕事終わったんだ」 直人が答える。 「ちょうど良かったよ。ご飯もできたことだし。食べよう」 葵が酢豚を皿に盛り、ダイニングテーブルの上に置いた。快人と直人がご飯をよそったり、スープを注いで夕飯の準備が整う。 全員が食卓に着き、全員で手を合わせて「いただきます」と食べ始める。 「そういや撮影どうだった?」 直人が口火を切った。 「慣れんとこは緊張するな」 いつもと違う環境に一番緊張した。そう言うと直人がうんうんと頷いた。 「やっぱりそうだよね」 「二人も出たんじゃなかったっけ?映画」 葵が尋ねると、快人が思い出したように言った。 「あー。あれね。デビューして間もない頃にちょい役で出た・・・・・・」 「ちょい役って・・・・・・」 葵に突っ込まれると、直人が口を開く。 「亮くんに比べたらちょい役だよ。直接ストーリーに関係があった訳じゃないし」 「でも勉強になったやろ?いつもの現場と全然ちゃうし」 亮に言われ、二人は頷いた。 「ミュージックビデオの撮影がスムーズになったかな」 「ストーリーのあるミュージックビデオ撮るんが楽しくなった」 直人と快人が交互に答えた。そんな二人を葵は笑顔で見ていた。 「亮くんは?」 「え?」 突然直人に振られ、亮は驚いた。 「亮くんは映画の撮影楽しい?」 「そやな。台詞覚えるん大変やし、演技するんも慣れんから緊張するけど。みんなで一つの作品を作ろうとするって言うんは、やっぱ楽しいかな」 「映画の出来上がり、楽しみだね」 葵に笑顔で言われ、亮も笑顔で頷いた。 食事が終わると、快人と直人はそれぞれ自室に戻ったり、風呂に入ったりした。 葵は食器を洗っている。亮はダイニングの椅子に座ったまま、葵の背中を見守っていた。 「葵。中田博紀って知っとる?」 「ん? あぁ、今度の映画で主役やる人でしょ? 知ってるよ」 葵は洗剤で洗った食器を濯ぎながら答えた。 「そいつさ、BLACK DRAGONのファンなんやって」 「そうなんだ。言われたの? ファンですって」 葵は笑顔でこちらを一瞬見た。 「うん。言われた」 そう返事すると、葵は笑った。 「ストレートな子なんだね」 「めっちゃストレート。素直でええ子や」 「そうなんだ」 亮は何となく湯飲みを両手で握った。 「今日博紀と一緒に弁当食ったんや。葵の弁当、褒めとったで」 葵は驚いて亮の方に顔を向けた。 「そうなの? 何か恥ずかしいな」 「葵の料理、食ってみたいってさ。だから食いに来いって言うてもた」 そう言うと葵は一瞬驚いた顔をしたが、すぐに笑った。 「もー。勝手に約束して」 少し怒っているように言っているが、顔は笑っている。 「ごめん」 謝ると葵は体ごと亮の方に向いた。 「よかったね。亮くん」 「え?」 葵の言葉の意味が分からず聞き返す。 「友達できたんだね」 その響きに、一瞬思考が停止する。友達?博紀が? 「大歓迎だよ。是非連れて来て。あたし、腕振るうから」 葵はグッと結んだ両手を自分の目の前に持ってきた。しかしさっきまで洗い物をしていたので、水滴がポタポタと落ちる。 「あ! 水滴がっ」 葵は慌ててシンクに向き直って、洗い物を再開した。 その様子を見ていた亮は思わず笑ってしまう。 「ぷっ」 「ちょっと! 亮くん。そんな笑わないでよ」 葵は顔だけこっちに向けて怒っている。 「ごめん。何か葵らしくて・・・・・・」 「どういう意味かな?」 葵は怒ってるようだが、全く怖くない。葵は食器を洗い終わり、きちんと手を拭いて亮の向かい側に座った。 「でもホント、向こうも忙しいかもしれないけど、是非連れて来てね」 「うん。誘ってみる」 そんな話をしていると、亮の携帯電話が鳴った。 「メール?」 すぐに音が切れたので、葵がそう聞いた。亮は携帯電話のディスプレイを確認して頷く。 亮がメールを確認をしている間、葵は空になった亮の湯飲みを見て、お茶を淹れることにした。 メールは今日連絡先を交換した博紀からだった。 『中田博紀です。早速メールさせていただきます。今日は本当にありがとうございました。仲良くなれて、すごく嬉しいです。これからの撮影もがんばりましょうね。 それから一発目のメールでこんなことを書くのはどうかと思ったんですが・・・・・・。柏野杏里には気をつけてください。詳しい話はまた明日します。明日は柏野さんとのシーンがあるので、一応お伝えしておいたほうがいいと思って・・・・・・。突然こんなことを言われて驚いたと思いますが、本気です。柏野杏里には気をつけてください』 これは、どういうことだ? 思わず眉間にしわができる。 「亮くん?」 携帯電話を睨んでいる亮に葵が声をかけた。その声で我に返る。 「どうしたの?」 葵がなんだか心配そうな顔をしている。亮は葵に心配をかけないように何でもないように装った。 「あぁ。博紀からメール」 「もうメルアド交換してたんだ」 その言葉に安心したらしい葵は、淹れたてのお茶を亮に差し出した。 「うん。あ、また予定聞いとくわ」 「うん」 そんな会話をしていると、風呂上りの快人がリビングに立ち寄る。 「亮くん、風呂あいたよ」 「おう。サンキュ」 快人は冷蔵庫からミネラルウォーターのペットボトルを取り出しコップに注ぐと、自分の部屋に戻って行った。 「亮くん。お風呂入って来たら?」 「そやな。んじゃお先」 亮は淹れてくれたお茶を飲むと、携帯を閉じて立ち上がる。 (明日ちゃんと博紀に聞こう) そう決めて、亮は風呂場に向かった。 |