font-size L M D S |
ACT.5 揺れる心
翌日も亮は映画の撮影現場に来ていた。この日は前日の入り時間ほど早くなかったが、それでも葵が早く起きて弁当を作ってくれていた。「亮さん。おはようございます」 声をかけてきたのは、主人公コースケ役の博紀だった。彼はもう既に衣装に着替えている。 「はよ」 「それ、ギター・・・・・・ですか?」 亮が背負っているギターケースを見て、博紀が尋ねる。 「せやで」 「何でギター・・・・・・?」 「空き時間に曲作ろうと思ってな。挿入歌、まだできてへんから」 そう言うと博紀は「なるほど」と納得した。 「曲って、ラブバラードでしたっけ?」 劇中で歌うことになっているので、博紀もイメージを言われていたのだろう。 「それな、監督にイメージ変えてくれって言われて・・・・・・」 「え? そうなんですか?」 聞き返され、亮は頷いた。 「早よう作らな、お前が歌うシーン撮れんやろ?」 「そっか・・・・・・。監督考え直してくれたんだ」 「え?」 博紀の呟きに、今度は亮が聞き返した。 「実は俺が言い出したんです。台本読んでて何かおかしいなって思って。確かにサヨとのラブストーリーもあるけど、あの展開でラブソングって何か変だなぁって。意見、言ってみるもんですね」 博紀はそう言って笑った。 「そやな」 亮も頷いた。 午前中の撮影は、予定よりもワンシーンに時間がかかり、予定していたサヨ役の柏野杏里とのシーンがないまま終わった。 昼の休憩には博紀が弁当を持って亮の楽屋にやって来た。亮はギターを持っていた手を止め、博紀を迎え入れる。 「曲、作ってたんっすか?」 「まぁ全然できてないけどな」 亮は隣にギターを置き、二人は向かい合って座った。 「でも楽しみです。俺、亮さんの作る曲大好きですから」 素直に言われ、亮は照れた。 「あ、せや。これ」 亮は鞄から弁当箱を二つ取り出し、一つを博紀に渡した。 「え?」 驚く博紀に、亮が説明する。 「葵・・・・・・俺の奥さんにお前の話したら作ってくれた」 「わぁ。ありがとうございます」 博紀は嬉しそうに受け取った。 「好き嫌いが分からんかったから、俺と同じらしいけど」 「あ、俺嫌いなものないんで、大丈夫です! と言うか作ってくださるなんて・・・・・・」 博紀はとても感動していた。こういう素直な反応は見ていて気持ちいい。 「まぁ葵に言わせりゃ、『ついで』らしいけどな」 そう言うと、博紀は笑った。 「俺のと双子の分作っとるから、一人分増えたからってそんな大したことやないんかもな」 「あー、eyesですよね。双子って」 聞かれ、亮は「そやで」と頷いた。 「確か俺と同い年なんですよね。仕事は一緒にしたことないですけど」 「そうなん?」 そう聞くと、博紀は苦笑した。 「やっぱ畑が違いますからね。でもいつか一緒に仕事してみたいなぁとは思います」 「何で?」 聞くと、博紀は少し考えてから口を開いた。 「目が綺麗だから・・・・・・」 「目?」 博紀の言葉を思わず聞き返す。 「二人ともすごく純粋な目をしてるんです。二人とも純粋に音楽が好きなんだと思うんです。そういう仕事に誇りを持ってる人とする仕事は、こっちまで楽しくなるから」 「なるほどな」 博紀の言いたいことは分かる。仕事に誇りを持っている人間は、創り上げるものにも誇りを持っている。そんな人たちが創るものほど、心にまで響いてくる。 「では、さっそくいただきます」 博紀は弁当箱を自分の前に置き、ゆっくりと蓋を開けた。 「わー! うまそう!」 蓋を開けた瞬間、博紀はまるで子供のように嬉しそうに笑った。彼ほど純粋な人間は、この世界には珍しいと思う。 博紀は箸を持ち、自分の顔の前で合掌すると「いただきます」と行儀よく言ってから食べ始めた。まずはおかずの卵焼きを一口サイズに切り、口に入れる。 「うわー。うまい!」 顔がとろける。その表情を見た瞬間、何故か亮自身が嬉しくなった。まるで自分が褒められた気持ちになる。 「いいですよねぇ。料理の上手な人って・・・・・・」 「せやな」 クルクルと変わる博紀の反応が何だか面白い。何だか龍哉のように見えてくる。 他愛もない話をしながら、亮も弁当を食べ始めた。 「なぁ、博紀。昨日のメールのことなんやけど・・・・・・」 弁当を食べながらそう切り出すと、さっきまで明るかった博紀の顔つきが変わった。 「そうでした。その話、するつもりで来たんです」 そう言うと、博紀は箸を置いて、亮を見つめた。 「妙な噂を聞いたんです」 「噂?」 思わいもよらない言葉に、亮は聞き返す。博紀は頷いた。 「『柏野杏里には気をつけろ』って。初めは、ガセネタだと思ってそんなに本気にしてなかったんですけど・・・・・・」 博紀の目線が下がっていく。 「その噂の発端になった俳優さんがいて、その方に話を聞いたんです。その方は結婚されてたんですが、彼女のせいで離婚に追いやられたとか・・・・・・」 「え?」 博紀の言葉が信じられず、亮は眉根を寄せた。 「彼女はアイドルなので、普通スキャンダルって御法度なんですけど。彼女の場合、それさえも利用するって言うか・・・・・・。その俳優さんとツーショットの写真が出回ったとき、実際には他にもスタッフさんたちがいたそうなんですが、付き合ってるんじゃないかって噂が流れたんです。俳優さんは付き合ってる事実なんてなかったので、もちろん否定したんですが、柏野さんの方は・・・・・・その・・・・・・否定も肯定もしなかったんです。そればかりか、付き合ってるみたいな感じだったらしくて・・・・・・」 そんな場合、世間はどちらを信じるか、一目瞭然だ。 「それが何度か続いて・・・・・・結局奥さんと別れたって」 事実じゃないと分かっていたとしても、精神的に追いやられればそうなるかもしれない。 「柏野さんと話してるとき、恋愛の話になったので、それとなく聞いてみたんです。『好きになった相手に彼女がいたらどうするのか』って。そしたら、彼女は・・・・・・『どんな手を使ってでも奪い取って見せる』って言ったんです」 今の話で何となく状況は分かった。それでもやはり何故自分が警告されているのかが分からない。 「それで『気をつけろ』ってことか。でも何で俺なん?」 「それは・・・・・・」 博紀は言葉にすることを躊躇ったが、意を決して顔を上げた。 「聞いちゃったんです。柏野さんの話」 「話?」 亮が聞き返すと、博紀はコクンと頷いた。 「たまたま聞こえちゃったんです。柏野さんの次のターゲットの話が・・・・・・」 「ターゲット・・・・・・」 亮の呟きに、博紀が頷く。 「だから亮さん、気を付けてください。なるべく彼女と二人きりにならないように・・・・・・」 そう言われなくても、まだ女性恐怖症が治ったわけではないので、自ら進んで二人きりになろうとはしない。 「あ、でも亮さんって女性がダメなんでしたっけ?」 「あぁ」 頷くと、博紀が首を傾げた。 「結婚・・・・・・しましたよね?」 「葵は特別や」 「なるほど」 間髪入れずに答えると、博紀は納得した。 「でもホントはその噂の真偽は分からないんです。そのターゲットの話も、全部聞いていたわけじゃないので・・・・・・。ただ警戒だけはしておいたらいいと思ったので」 「ありがとう。博紀。なるべく気ぃ付けとくわ」 「はい。俺もなるべく一緒にいるようにします」 午後からの撮影は、サヨ役の柏野杏里とのシーンだ。サヨと亮が演じるカイは従兄妹同士であり、悩む主人公コースケのためにサヨがカイにあるお願いをしに行くシーンだ。 カメラテストも順調に終わり、本番。襲い来る緊張に手が震える。 『大丈夫』 不意に葵の声が頭の中に響いた。その瞬間、震えが収まる。 『大丈夫』 葵の笑顔が緊張を和らげる。 「大丈夫」 そう言い聞かせて、本番に臨む。 不思議と緊張が消えた亮は、見事一発OKを出した。しかしこれで終わった訳ではない。 「亮さん」 声をかけてきたのは、柏野杏里だった。笑顔で亮に近づく。 「お疲れ様でした」 「お疲れ」 亮はそう返してすぐに立ち去ろうとした。 「待ってくださいよ」 杏里が亮の腕を両手でグッと掴んだ。その瞬間、全身に鳥肌が立つ。 亮は思わずすぐに腕を引いた。その勢いで、杏里はバランスを崩し床にへたり込んだ。その瞬間、その場にいたスタッフ全員の注目が集まる。 「あ、ごめん。悪いけど俺、女の人に触られるん嫌なんよな」 そう言うと、杏里は気にせずに立ち上がった。 「あ、そうでしたよね。ごめんなさい。つい・・・・・・。今後気をつけます」 杏里は申し訳なさそうにそう言った。 何だか博紀から聞いた話と今の彼女は全然違う感じがする。 「あの・・・・・・良かったら、次のシーン、一緒に練習しませんか?」 杏里にそう言われた瞬間、博紀の言葉が浮かんだ。 『なるべく彼女と二人きりにならないように・・・・・・』 次のシーンも二人の撮影だ。練習となれば、二人きりになってしまう。 「悪いんやけど。俺、作業せないかんのがあるんや」 「作業?」 断られた杏里は眉根を寄せた。 「曲、作らなあかんねん。締切迫ってるのにまだ全然できてへんから」 そう言うと、杏里は納得した。 「そうだったんですか。じゃあ、仕方ないですね。次のシーンもよろしくお願いします」 杏里は一礼すると、去って行った。 「亮さん」 声をかけられ振り返ると、博紀が立っていた。 「大丈夫でした?」 「ああ。腕掴まれたときはびっくりしたけど」 「あの噂、本当かもしれませんね」 博紀が小声で呟いた。 「かもな」 次のシーンはコースケとサヨのシーンだ。流石は俳優。演技だと分かっていてもリアルに感じる。亮はコースケを見つめながら、曲の構想を練っていた。 メロディが浮かんでは消える。イメージは何となくできているのだが、どう表現したらいいのか分からない。 (もっと台本読みこまな、無理かな) 亮はマネージャーの青田から台本を受け取り、もう一度曲を作るに至った過程の場面を読む。 この挿入歌は、親友を亡くした主人公が前向きになろうと作る曲。 (友情・・・・・・) 前向きになろうとするのだから、アップテンポがいい。だけどメロディはどこか憂いを帯びている感じ。 亮は頭の中でメロディを紡いだ。 「青田」 「はい?」 急に話しかけられ、演技に見入っていた青田は驚きつつ返事をした。 「俺、楽屋おるから出番来たら呼びに来て」 「え? あ、はい。どうしたんですか? 急に」 既に楽屋に戻りかけていた亮に問いかけると、亮は振り向かずに答えた。 「曲ができそうやから。ギターで音合わせる」 「! 分かりました」 青田は亮の背中を見送った。 楽屋に戻った亮は、早速ギターを取り出し、コードを弾いた。試行錯誤し、メロディが少しずつ出来上がる。飽くまでシンプルなメロディライン。アレンジでどれほど変わるのかは現時点では分からないが、凝った曲と言うより、本当にシンプルな音がこの曲には合う。 ある程度出来上がったところで、亮は鞄からICレコーダーを取り出した。これが結構便利でふとメロディが浮かんだときなどに鼻歌ででも録音しておくと、いいと思ったメロディを忘れないで済むのだ。曲作りに重宝している。 亮はICレコーダーの録音ボタンを押し、テーブルに置いた。ギターと鼻歌でさっき作ったばかりのメロディを吹き込む。 とりあえず第一弾として吹き込み終わると、丁度楽屋のドアがノックされた。 「亮くん、出番です」 マネージャーの青田だ。 「すぐ行く」 亮はギターとICレコーダーを片付けると、楽屋を後にした。 自分の出番が終わった亮は、アルバム制作をしているスタジオに戻って来た。メンバーは相変わらず映画音楽担当とアルバム担当で分かれて作業をしている。 「あれ? もう終わったん?」 スタジオに入ると、慎吾が声をかけてきた。 「とりあえずはな。そっちはどうなん?」 尋ねると、慎吾は溜息をついて首を横に振った。 「そっか」 相変わらず進んでいないようだ。 「あれ? 亮、帰ってたんか」 どこからか戻って来た龍二は、入ってくるなりそう聞いた。 「うん。進んでへんみたいやな」 「まぁな。あー、でも映画の方はちょっと進んでるみたいやで」 どうやら映画担当の方の様子を見に行っていたようだ。 「そりゃあっちは透おるもん」 慎吾が「当然」とでもいう言い方をする。 「どういう意味や?」 龍二の片眉がピクッと動いた。 「でもこっちも一応は進んどんやろ?」 龍二が慎吾に殴りかかりそうだったので、亮は慌てて話題を戻した。 「多少はな。でもなぁ。ヤバイかもしらんで」 龍二は自分の席に着くと、煙草を取り出した。 「ヤバイって?」 聞き返すと、龍二は火を付けた煙草を一口吸い、煙を吐きながら口を開いた。 「このままやったら発売予定に間に合わん。まぁまだ正式に発表はしとらんから、多少はずらせるかもしれんけど」 「今の優先順位が映画やから余計ね」 龍二の言葉に、慎吾が付け足した。確かにこのままのペースだと、予定している発売日には間に合いそうにない。 亮は空いてる席に座り、散らばっている譜面を手に取った。 「それやったらさ、無理やりアルバムやらんと、映画一本に絞ってやった方が効率えんちゃう? 発売日ずらせるんやったら、ずらしてもろてさ」 「それもそうやな」 亮の意見に龍二はあっさり賛同した。 「後で響さんに聞いてみるわ。それより、挿入歌と主題歌、どうや?」 「挿入歌の方はちょっと形になって来たかな。主題歌はまだ時間あるみたいやから、先に挿入歌を作ろうと思て」 そう答えると、龍二はホッとした表情を見せた。 「あ、そうや。とりあえずこれは仮歌作ってみようってなったやつな」 そう言いながら龍二は何曲かの譜面を亮に渡した。 「俺らはある程度は録っとるから、後、亮が歌ってみて。良かったら歌詞付けよう」 「おう」 亮は譜面をチェックしながら、頷いた。 「譜面見るより音源聞いて覚えた方が早よない?」 慎吾に言われ、それもそうだと顔を上げた。 「とりあえずこれだけはCDに焼いといた。映画もあって大変やろうけど、頼むわ」 「おう」 亮は頷くと、他の部屋へと移動した。 別室に移動して一人になった亮は、渡されたCDをかけながら、譜面をチェックする。 仮採用になったのは、四曲。そのうち一曲は亮の作曲だが、後は他のメンバーの曲だ。自分の曲ならまだしも、他のメンバーの曲も覚えなくてはならない。 こういうとき、曲を覚えるのが早いのは効率が上がっていい。亮は昔から物覚えが良かったので、曲を覚えるのも早い。四曲を一通り聞き、まず自分の曲から仮歌を入れることにした。 その曲の譜面を持って、亮はレコーディングスタジオに入る。そこには数人のスタッフが待機していた。 「仮歌、入れたいんやけど」 そう言うと、スタッフはすぐに準備を始める。準備が終わる頃になり、龍二が姿を見せた。スタッフに声をかけられたのだろう。一応リーダーである龍二も立ち会うようだ。 「何から入れるん?」 そう聞かれ、亮は持っていた譜面を見せた。 「あー、お前の曲か。自分で作ったんやもんな」 そりゃ覚えるのは早いだろうと、龍二が笑う。 「準備できたよ」 スタッフに声をかけられ、亮はブースに入った。いつもの位置にスタンバイする。 スタンバイが終わると、曲が流れ始める。仮歌なので歌詞はでたらめだ。 一通り歌い終わると、チェックに入る。 「とりあえずはこれでええかな。んー、でもアレンジもう少し変えてもええかな?」 龍二が意見すると、亮は頷いた。 「そやな。もう少しテンポ早ようしてもええかもな」 「次の曲すぐ入れる?」 スタッフに聞かれ、亮は首を振る。 「まだ覚えとらん」 そう答えると、スタッフたちは苦笑した。 「んじゃ亮は覚えてき。俺はこの曲のアレンジ考えるわ」 「分かった」 龍二に言われ、亮はもう一度別室に戻った。 残りの曲も同じように、覚えては仮歌を入れる、という作業を繰り返した。 四曲全てを録り終える頃には、時計の針は午前零時を過ぎていた。 「亮、今日はもう帰り。今日も朝早かったんやろ?」 龍二が亮を気遣い、そう提案した。しかし、亮は首を横に振る。 「でも仕事溜まっとるし。できるとこまでやるわ。明日は撮影ないし」 「あのなぁ・・・・・・」 龍二が亮をなだめようとするが、亮は既に自分の仕事に戻っていた。 「じゃあ、せめて葵ちゃんには連絡入れろ。どうせまだ連絡しとらんのやろ?」 傍で様子を見ていた透が一言そう言うと、亮はようやくそうだったと気付いた。 「電話してくる」 亮はそう言って、携帯電話を持って出て行った。 「あいつまだ一人ん時の癖が抜けてへんのやなぁ」 出ていく亮を見つめていた透は溜息をついた。 「一人でいた期間が長すぎるからなぁ。仕事にまじめなんはええことやけど、葵ちゃんがかわいそうや」 「いや、それはちゃうな」 透は龍二の言葉をやんわり否定した。 「あ?」 「結婚する前に、亮は葵ちゃんに過去のこと、全部話したらしいんや。葵ちゃんはそれを全部受け止めてくれた。やから、今は俺らより亮のことよう知っとると思うで」 透の言葉を聞いて、龍二は少し安心した。 「せやな」 亮は曲を覚えていた部屋に戻ると、携帯電話の短縮ボタンを押した。数コールで葵が出る。 『もしもし』 「葵。ごめん。連絡遅うなって」 開口一番に謝ると、葵は笑った。 『仕事してたの?』 「うん。映画の現場からレコーディングスタジオ直行して、それで・・・・・・」 『大丈夫だよ』 思わぬ言葉に、亮は驚いた。 「え?」 『青田さんがね、電話くださったの。今日、遅くなるかもしれないって』 いつの間にそんな電話をしたのだろう? 亮は全く気付かなかった。それに葵に連絡しているなんて青田は一言も言わなかった。 『本当はね、言わないでくださいって言われたんだけどね』 「え?」 葵は電話の向こうで苦笑した。 『亮くんが仕事に夢中になってるから、もしかしたら連絡してないかもって連絡くださったの。でももし連絡来たら、自分が連絡したことは内緒にしてくれって』 「何で・・・・・・?」 『きっと亮くんが決まりの悪い思いするって思ったんじゃない? 亮くんはいいマネージャーさんに恵まれてるね』 「せやな」 葵の言葉に思わず亮の口の端が緩んだ。 『亮くん、今までずっと仕事してたんじゃないの?』 「ああ。せやで」 『ちゃんと夕食食べた?』 そう聞かれて気づいた。そう言えば昼食を食べてから何も食べてない。 「あー、ちゃんと食べとるよ」 『嘘ばっかり。食べてないでしょ』 「うっ」 葵には声の調子で嘘がバレてしまう。 『何でもいいから、ちゃんと食べて。それからちゃんと休憩もしてね。あまり根詰め過ぎると、いい作品だってできないんだから』 確かに葵の言う通りだ。 「せやな。ちゃんと食べて、ちゃんと休むよ」 『青田さんに確認するからね?』 葵の切り返しに、亮は思わず笑った。まったく・・・・・・葵には敵わない。 「おう。明日は撮影ないから、スタジオで作業するわ」 『分かった。ちゃんと休んでね』 葵の気遣いにお礼を言い、電話を切る。 「ごめんな。葵」 そう呟くと、亮はスタジオに戻った。 「亮くん、何だって?」 泊まりに来ている美佳が電話を切った葵に声をかける。 「やっぱり連絡忘れてたんだって」 「何だー。じゃあ青田さんの予感的中じゃん」 美佳がそう言うと、葵は苦笑いを浮かべた。 「どした? そんな泣きそうな顔して」 葵の泣き出しそうな笑顔に、美佳が気づく。 「そんな顔してないよ」 葵は誤魔化すように笑って、美佳から目線を逸らした。 「葵、ちゃんとワガママ言ってる? 亮くんに寂しい時は『寂しい』ってちゃんと言ってる?」 その言葉に葵は曖昧に笑った。 「そんなこと言えないよ。それにこれ以上、何も望むことなんてない」 まるで自分に言い聞かせるかのような言葉に、美佳は何だか胸が苦しくなった。 「葵。あたしには本音言ってもいいんだよ?」 美佳の優しい言葉に、葵は胸が熱くなる。視線を落したまま、葵が口を開いた。 「本当は怖いの。今がすごく幸せすぎて・・・・・・。もし今のこの幸せを失くしてしまったら、あたしはもう立ち直れないかもしれない」 「葵」 葵の声が泣き出しそうに震えている。 「・・・・・・好きな人と一緒になれて、かわいい弟たちがいて、いつもあたしの心配をしてくれる親友がいる。これ以上、何かを望んだら罰が当たるよ」 「何言ってるの? 葵は今まですごく苦労してきたんだから、幸せにならなきゃダメなんだよ!」 「でも怖いの!」 美佳の言葉に、葵が叫んだ。こんな大きな声を出す葵は珍しい。 「怖いの・・・・・・。今がすごく幸せな分、失くしてしまうことがすごく怖い。だから、何かを望んで、裏切られたらって・・・・・・そればかり考えちゃう」 震える葵の体を、美佳が優しく包み込んだ。 「あたしは、例え世界中が葵の敵になったって、ずっと傍にいる。ずっと味方でいる。絶対離れてなんていかない。だから・・・・・・だからそんな悲しいこと言わないで」 「美佳・・・・・・」 いつの間にか美佳も目にいっぱいの涙を浮かべていた。 「それに双子だって、亮くんだって、葵から離れていくわけないよ。そりゃ仕事が忙しくてなかなか家にはいられないけど。みんな、葵のこと思ってる。いつも葵のこと考えてるよ」 美佳の言葉の一語一語が、心の奥の嫌な感情を浄化してくれる。美佳の体温があまりにも温かくて、葵の目に溜まっていた涙が溢れ出した。 「葵は幸せにならなきゃダメ。みんなそう、願ってる」 いつから葵はこんなにも我慢してきたのだろう? 両親を亡くした時から? ううん。多分きっともっと昔から。葵は元々我を通すようなことは絶対しない、他人思いの子だった。 美佳は隣で寝ている葵を見つめた。泣き疲れた葵はすやすやと眠っている。 こんなに小さくて華奢な体で、背負っているものが多すぎる。きっと背負いすぎた荷物を下ろす術も分からないまま、今まで来てしまったのだろう。今更どうやって下せばいいのか、分らないのかもしれない。 人に甘えることが苦手な葵は、いつもこうして荷物を背負いこむ。それで倒れてしまったこともある。一度ついてしまった癖は、直そうと思ってもなかなか直らない。 「不器用だね。葵も。亮くんも」 翌日。葵は相変わらず早起きだった。 「おはよ」 美佳が起きると、既に朝食が食卓に並べられていた。 「おはよ、美佳。昨日はありがとね」 お礼を言われ、美佳は笑った。 「大したことしてないよ」 「ううん。久しぶりにあんなに泣けたのは、美佳のおかげだよ」 いつもと変わらない笑顔に、美佳はホッと胸を撫で下ろす。 「楽になった?」 そう問うと、葵は笑って頷いた。それを見て安心した美佳は、食卓に着いた。 「そういや、亮くん。今日は撮影じゃないの?」 「うん。今日はスタジオで作業するみたい」 葵はそう言いながら、出来たての味噌汁を美佳の前と自分の前に置いた。 「じゃあさ、亮くんとこ行かない?」 相変わらず突拍子もない美佳の提案に、葵は即座に首を振った。 「え? ダメだよ。そんなの」 「何でダメなのよ?」 消極的な葵の意見に不満な美佳が聞き返す。 「だって仕事の邪魔になるし・・・・・・」 「ちょっとぐらい大丈夫だって。亮くんだってきっと葵に会いたいってきっと思ってるよ」 そう言われても、葵は納得しない。 「でも・・・・・・」 やはり消極的な葵に、美佳は思わず溜息を吐いた。 「あのねー。理由がいるんなら、着替えでも差し入れでも持ってきたって言えばいいじゃない。葵は亮くんに会いたくないの?」 昨日の今日だが、正直会いたいとは思う。それでもどうしても頷けない。 「会いたいけど・・・・・・迷惑だよ」 「迷惑だって亮くんに言われたの?」 葵の言葉に美佳がツッコんだ。 「それは・・・・・・」 言われた訳じゃないが、ついそう考えてしまう。 「だったら行こう? 別にずっといるわけじゃないんだし。ちょっとくらいならみんなだって分かってくれるよ」 美佳の言葉に、心が揺らぐ。 「う、うん」 頷くと、美佳は満足そうに笑った。 葵と美佳は朝食を食べ終わると、差し入れを作った。それをタッパーに詰め込むと、美佳の家の運転手付きの車でスタジオまで向かった。 「場所分かったの?」 葵が尋ねると、美佳はグッと親指を立てた。 「うん。ちゃんと聞いたから」 「誰に?」 「着いてからのお楽しみ」 何故か楽しそうに笑う美佳に、葵は首を傾げた。 「お。来た来た」 スタジオのロビーでは、武士が煙草を吸いながら待っていた。珍しく黒縁の眼鏡をかけている。 「あれ? 武士くんって眼鏡かけてたっけ?」 そう葵が訊くと、武士は眼鏡の左手で縁を触ってカッコつけ、グッと右手の親指を立てた。 「うん。実は眼鏡男子!」 「ふーん」 武士の言葉に、美佳が興味なさそうに声を発する。 「素気ないなぁ」 武士はしょんぼりしながら、煙草を灰皿に押し付けた。 「あ、煙草も吸うんだね」 葵が話をそらすと、武士は頷いた。 「あー、うん。龍二みたくヘビーちゃうけど。基本俺、吸わん人の前では吸わんから」 「そっか。だから見たことなかったんだ」 葵が納得すると、武士は楽しそうに笑った。 「新たな武士くんを垣間見たっしょ?」 「どーでもいー」 頷こうとした葵よりも先に、美佳が冷たくそう言った。 「ひどっ。何か今日冷たくない?」 「いつもこんなだよ?」 「えー。嘘やーん」 美佳の言葉に、ショックを受けるが、美佳はそっぽを向いた。 「ちぇー」 冷たくされ、落ち込んだ武士は二人より少し先を歩き始めた。 「ちょっと美佳。あの態度は酷過ぎるんじゃない?」 あまりにも酷かったので、葵が美佳を怒るが、聞いていない。 「ちょっと美佳?」 先を歩く美佳の袖を掴むと、ようやく美佳はこちらを向いた。その顔を見て、葵は驚く。 「美佳。顔、真っ赤だよ」 美佳がこんなに顔を真っ赤にしたのを、初めて見た。 「ズルイ」 「え?」 美佳の呟きに、葵は思わず聞き返す。 「あんなの、ズルイって・・・・・・!」 葵はようやく美佳の言動を理解した。 「眼鏡と煙草って美佳のツボだもんね」 葵がそう言うと、美佳はコクンと頷いた。その素直さに、葵は思わず笑みが零れる。 「美佳こそ素直になりなよ」 葵が小突くと、美佳はぷぅと頬を膨らませた。 「そんな簡単に素直になれたら、苦労しないわよ」 美佳の言葉に、葵は思わず笑った。 「二人とも何してん? こっちやで」 武士がある部屋の前で二人を呼んでいる。 「行こう」 葵が声をかけると、美佳は一度深呼吸してから葵について歩いた。 その部屋では、龍二と透と慎吾が、積み重ねられた書類を前に唸っていた。 「お。二人ともいらっしゃーい」 葵と美佳に気づいた慎吾が二人を迎え入れる。 「はい。差し入れ」 美佳が持っていた鞄を三人の前に置いた。 「おお!」 「ありがたい!」 美佳が置いた鞄の隣に、葵も持っていた鞄の一つを置く。 「あれ? そっちは?」 もう一方に持っていた荷物に気づいた武士が問う。 「あ、これは亮くんの着替え。昨日はここに泊まったみたいだから」 葵の答えに納得すると、美佳が室内を見渡した。 「でも亮くんいないじゃん? 今日撮影じゃないでしょ?」 「亮なら屋上におるよ」 慎吾に言われ、葵と美佳は首を傾げた。 「屋上?」 「何か調子が乗らんって屋上行った」 武士が付け加えたので、屋上に行ったのは結構前なのかもしれない。 「行って来なよ」 「え?」 美佳に言われ、葵は驚いた。 「そうや。行ってき。階段、すぐそこやから」 武士も賛成し、階段のある方向を指差した。 「うんうん。早くそのかわいい服見せてあげなよ」 慎吾が葵の服を指差しながら、急かす。 「これは美佳が・・・・・・」 恥ずかしくなって言い訳しようとすると、美佳が葵の背中を押した。 「ほら、早く」 「え? ちょっ・・・・・・!」 部屋から半ば強引に追い出された葵は、屋上へと上がった。 亮は屋上に備え付けてあるベンチで、仰向けで寝そべっていた。視界に入るのは、ただ青い空と白い雲だけ。雲が流れていく様子を観察しながら、イヤホンを耳に押し付ける。 全く詞が浮かんでこない。曲がせっかくできたのに、どうしたらいいのか分からない。 次第に眉根が寄り、自分でも分かるほど無愛想な顔になっていった。 その時、屋上のドアが開いた気配がした。何となく目線をそちらに向ける。 「葵っ」 その姿を認め、亮はすぐに体を起こした。その瞬間、お腹に置いてあったプレイヤーが滑り落ちる。 「っと」 間一髪で地面に落ちるのを免れたプレイヤーを自分の隣に置き、イヤホンを外した。 「何で・・・・・・?」 「差し入れと着替え持ってきたの」 質問に葵は笑顔で答える。 「あぁ。サンキュ」 「なーんてね」 お礼を言った瞬間、葵が笑った。 「そんなの口実。亮くんに会いに来たの」 「え?」 思わぬ葵の言葉に、亮は驚いた。葵はゆっくりと亮の隣に座る。 何だかいつもと雰囲気が違う。何が違うんだろう? と考える間もなく分かった。 「スカート、珍しいやん」 いつも葵はジーンズをはいているのに、今日はミニスカートだった。 「これは・・・・・・美佳が『たまにはおしゃれしろ』って・・・・・・。でも着なれてないから、恥ずかしいね」 葵は照れ笑いを浮かべた。 「えんちゃう? かわいい、で」 いつも言わない言葉を放った亮は、自分がその言葉に照れてしまった。まともに葵の顔が見れないので、横目でチラッと葵を盗み見る。すると葵は、嬉しそうに笑っていた。 「ありがと」 「ええフインキやなぁ」 「何言うてるのか全く聞こえんけどなぁ」 いつもの如く、武士と慎吾はドアの隙間から二人を覗いた。 「葵も素直になったみたいねぇ」 「「!?」」 突然声がして、武士も慎吾も驚いた。よく見ると、武士と慎吾のトーテムポールの一番下に美佳の頭があった。 「え? ちょ、美佳ちゃん?」 武士は妙に焦った。いつも覗いてると怒られるのに、今日は何だか違う。 「今日は美佳ちゃんもノゾキ?」 慎吾が直球で尋ねる。 「違うわよ。見守ってんの」 いつか自分たちがした言い訳を、美佳の口から聴くとは思わなかった。 「葵はね、いろんなものを背負いすぎて、人に甘えるってのができない子なのよ」 美佳はトーテムポールから外れると、そう呟いた。 「せっかく甘えられる人がいるのに、その甘え方も知らないの。だから少しでも一緒に居させてあげたくて、連れて来たの」 「へー。美佳ちゃんって友達思いなんやねぇ」 美佳の言葉に慎吾が感心した。 「あら? あたしは昔から友達思いよ。知らなかった?」 そう切り返すと、慎吾の代わりに武士が口を開いた。 「知っとったよ」 「え?」 思わぬ人が返事をしたので、美佳は心底驚いた。 「俺は、知っとった」 武士のまっすぐな視線に、美佳は照れる。 「そうやんね。あの二人くっつけたん、言うたら美佳ちゃんやし」 慎吾が便乗して付け足した。 「葵には幸せになって欲しいの。今まで辛い思いばかりしてきたから。絶対、幸せにならなきゃダメなの」 美佳の言葉に、二人は頷いた。 「うん。俺らも亮には幸せんなって欲しい」 「俺らもずっと亮を見て来たからね」 武士と慎吾の言葉に、美佳は嬉しそうに頷いた。 「って、何してんの? 慎吾くん」 せっかくいい話をしていたのに、いつの間にか慎吾はドアの隙間から再び二人の様子を見ようとしている。 「え? 見守ってるんじゃん?」 悪びれもせず言う慎吾に、美佳は溜息をついた。 「もういいよ! あの二人なら大丈夫だって。部屋戻るよ」 美佳が慎吾の首根っこを掴んで引っ張る。どっちが年上なのだか分からない。 そんな二人の様子を見て、武士は思わず笑った。 「何かアキみたいな子やな。美佳ちゃんは」 呟いた自分の言葉に、武士は驚いた。 アキとは義彰という幼馴染で、高校時代に亡くなった武士の親友だ。彼は殺されかけた武士の代わりに、身を呈して武士を守ってくれた。 美佳はもし葵に危険が迫れば、進んで自分を投げ出しそうな気がする。かつて義彰が自分を守ってくれたように。 「考えすぎか」 思考が飛び過ぎた自分に苦笑する。 「武士くん、何やってんの? 早く戻るよ」 「おう。今行く」 呼ばれた武士は、すぐに返事をした。 「そんな簡単に死なへんよな。美佳ちゃんは」 「へ?」 武士の呟きが聞こえたのか、美佳が頭の上にクエスチョンマークを浮かべる。 「こっちの話」 そう笑うと、美佳は眉間にしわを寄せた。 「何それ? 気になるじゃん!」 「何でもないって」 ハハハと笑って誤魔化す武士に、美佳の頬が膨らむ。その反応を見て、武士は優しく笑った。 「ほら。行くで。差し入れ、龍二や慎吾に全部食われてまう」 武士は美佳の頭をポンと優しく叩き、部屋に向かう。 「だから・・・・・・ズルイって・・・・・・」 美佳の顔が赤く染まったことに、武士は気づいていなかった。 |