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ACT 1  a quirk of fate
鈴原莉緒、十六歳。父の借金を背負い、母と二人でバイトをして稼ぎ、月々の支払いを何とかこなしていた。利子で膨れ上がった借金を返すのは途方もないことのようだった。
せっかく買った家を売り払い、二人で家賃の安いアパートへ引っ越した。祖父母たちにはある程度の事情のみを話し、借金は二人で返すことにした。それでも心配した祖父母は田舎から野菜やお米を届けてくれていた。それがどれだけ嬉しかったかしれない。

(どうせなら、保険金でもかけて死んでくれればよかったのに!)
あまりに忙しすぎて、毒づいてしまうこともあった。
同じ借金でも、誰かに騙されたとか、誰かの借金の保証人になってしまったとかなら未だ許せる。だが、父の借金はギャンブルだった。
(帰ってきたら絶対一回ぶん殴ってやる)
そうでもしないと、この怒りは静まらない。夏休みの期間、空き時間がないほどに働いた。喫茶店、花屋、居酒屋、和菓子屋、ケーキ屋・・・エトセトラ。
休憩時間に課題をこなし、家には寝に帰っている状態だった。同じく母もパートを掛け持ちし、クタクタになって帰ってくるのだった。
どれだけ働いても完済できない。暗い気分になるのもしばしばだった。それでも母は笑顔を忘れなかった。そんな母を見て、莉緒もなるべく笑顔で居ようと心に決めた。

定期試験を前にした莉緒は、夜中も勉強をしていた。そこにノック音が聞こえた。
「どうぞ」
「お夜食、作ったけど食べる?」
「ありがと。食べる」
母はおにぎりを作ってくれていた。せっかくなので、手を休めておにぎりをほおばる。
「おいし」
「莉緒、あまり無理しなくていいのよ」
「何言ってんの。あたしは体力だけは自信あるんだから」
「ごめんね。あなたにまで迷惑かけて」
「迷惑なんて・・。それより・・お母さんは、どう思ってんの?・・お父さんのこと」
そう聞くと、母はしばらく沈黙した。
「どう思ってるんだろうね」
思わぬ母の言葉に、莉緒は驚いた。
「正直、お母さんも分からないの。借金残して行きやがってこのやろう!とは思うけど」
母の返答に、思わず笑ってしまう。
「莉緒こそ、どうなのよ?」
「あたしも・・分かんない。けど『絶対一発は殴ってやる』とは思う」
そう言うと母も笑った。
「ねぇ、お母さん。・・借金、全部返したら、お金貯めて、ゆっくり温泉旅行でも行こうね」
「あら。いいわね。楽しみだわ」
母は嬉しそうに笑った。
「苦労・・かけるわね・・」
「そんなこと・・。お母さんだって一緒じゃん。あたしたちの借金じゃないんだから・・」
「確かにそうだわ」
「もしのこのこ帰ってきたら、全額返してもらうんだから」
「それいいわね。・・・今頃・・何してるのかしら・・」
ふと呟いた母の言葉に、莉緒は何て返したらいいのか分からなかった。
「私たち借金押し付けて、豪遊してたらぶっ殺す」
次に呟いた母の言葉に、莉緒は思い切り笑った。
「あはは。お母さんらしい」
「莉緒、無理しないでね。勉強もいいけど、ちゃんと寝ないと、倒れちゃうわよ」
「はぁい」
「じゃあ、お母さん、先寝るわね」
「うん。おやすみなさい」
「おやすみ」
母は部屋を出て行き、莉緒は勉強に専念した。

試験も無事に終わり、莉緒はバイト先へと向かう途中だった。未だ少し時間があったので、ゆっくり街を歩いてみた。
ふと目に付いたのは、ショーウィンドウに飾られている素敵なドレスだった。
(こんなドレス、絶対着れないだろうなぁ)
そんなことは重々承知である。だけど、女の子ならやっぱり一度は着てみたい。
(まぁ、着たところで、そんなドレス着て出かけるようなところなんてないんだけど)
皮肉にそう思いながらも、やっぱり見つめてしまう。
その時、背後でものすごい音がした。何事かと思い、振り返ると、一人の女の子が大きな荷物をぶちまけていた。どうやら派手に転んだらしい。
「あーあ。やっちゃった」
そう呟きながら、荷物を拾う。歳は莉緒と同じくらいだろうか。莉緒はぶちまけた荷物を一緒に拾った。
「はい」
「ありがとー」
「これで全部?」
「うん。多分」
「多分って・・」
結構アバウトな子のようだ。
「ねぇ、お礼にお茶でも奢らせて」
「え?いや・・でも・・」
「いいじゃん。それとも時間ない?」
バイトの時間まではまだ余裕がある。
「いや・・そういう訳じゃ・・」
「じゃあいいじゃん。ね?」
半ば強引に彼女に引きつられ、莉緒は一緒に喫茶店に入った。

席に着いた彼女は早速ケーキセットを注文する。
「あなたは?」
「コーヒーで・・」
「ケーキも食べちゃえ!」
「ええ・・」
「いいじゃない。あたしの奢りだし。ケーキセット二つね。」
何だか勝手に決められているが、久しぶりにケーキが食べられると思い、ちょっと嬉しかったりもする。
「あたし、真由。十六歳」
「鈴原莉緒。十六歳」
「同い年だ」
真由は嬉しそうに笑った。
「さっきはありがとね。ホント助かった!」
「ううん。それより、すごい荷物だね」
「あー。ちょっと買いすぎちゃって・・」
「え・・」
この荷物は、今日買ったものばかりなのだろうか・・。莉緒は一瞬頭が真っ白になる。
「荷物持ちに連れてきた兄貴に逃げられちゃってさー。結局一人で持つハメになっちゃって・・」
「そうだったんだ・・」
真由はお嬢様なんだろうか?この荷物、一般庶民にはありえない。
ちょうどその時、ケーキセットが運ばれてくる。莉緒は久しぶりのケーキをワクワクしながら食べた。やっぱり美味しい。
「ケーキ好きなの?」
突然聞かれ、莉緒は返答に困る。
「あー・・最近食べてなかったから」
「ダイエットでもしてるの?」
「そういう訳じゃ・・」
「ふーん。あ、そうだ。メルアド交換しない?」
「え?」
急展開についていけない。真由は携帯を取り出した。
「あ、あたし持ってないの」
今時持っていないなんて、本当に貧乏丸出しのようだ。でも真由は態度は変わらなかった。
「そっかぁ。残念」
つかみ所のない真由に、莉緒は困った。
「莉緒はこの辺に住んでるの?」
真由の問いに頷く。
「じゃあきっと何処かで会えるか」
会える確率なんてそうそうないような気もするが、黙っておく。
「その荷物、どうするの?」
「んー。とりあえず家に電話して、迎えに来てもらうよ」
真由は携帯を振った。
「そっか。迎えに来てくれる人居るんだね」
「うん。家には誰かいるからねぇ」
「ならよかった。ごめんね、あたし、もうバイト行かなきゃ」
「あ、そうなんだ。ごめんねー、引き止めて」
「ううん。ケーキセット、ご馳走様。ホントに奢ってもらっていいの?」
「しつこいよ。あたしが奢りたいって言ったんだから、素直に奢られてよ」
「分かった。ホント、ありがとね」
「こちらこそ」
「じゃあ、また」
「またねー」
莉緒は掴み所のない真由と離れるのを少し惜しく思いながらも、バイト先へ向かった。

今日のバイトは和菓子屋だ。老舗の和菓子屋の売り子。これが意外と楽しい。
「ちょっと休憩してくるわ。後よろしくね」
「はい」
店内は莉緒一人になった。この時間、あまり混んだりしないので、一人でもお店は大丈夫だ。しばらくすると、一人のお客が入ってきた。スラッとした背の高い綺麗な顔立ちの男の人だった。
「いらっしゃいませ」
男性は店内を見渡しながら、口を開いた。
「君、一人?」
「あ。はい」
誰かを探しているんだろうか?
「あの・・どなたかをお探しですか?」
「あ、いや、そういう訳じゃないんだけど・・・」
「はぁ」
しばらくして莉緒を見ながら言った。
「お得意先に持って行こうと思うんだけど、何かいいものはないかな?」
「あ、はい。一番人気の商品はこちらになっております。先方様が甘い方がお好きでしたらこちら、糖分を気にされている方であればこちらの商品がよろしいかと思います」
莉緒は陳列棚にある商品を説明した。客は品定めをしつつ、莉緒の顔を見た。
「君は、ここのお菓子をおいしいと思う?」
突然の質問に一瞬唖然とするが、すぐに笑顔になる。
「はい。もちろん」
そう答えると、男性は優しく微笑んだ。その笑顔に莉緒はドキッとする。
「じゃあ、これをもらうよ」
「あ、はい」
男性が指差した商品を手に取り、包装する。勘定をし、商品を渡す。
「ありがとう」
思わぬ言葉に、嬉しくなる。
「ありがとうございました」
莉緒は丁寧にお辞儀をし、客を見送った。

そして別の日。今日のバイトは喫茶店だ。
「いらっしゃいませ」
「あ」
「え?」
入ってきたお客にそう言われ、顔を上げた。
「莉緒ちゃん!」
「あ。真由ちゃん」
「びっくりしたー。ここでバイトしてたの?」
「あー、うん。色々やってんだけどね」
「あぁ、そうなんだぁ。でも奇遇♪」
まさかこんな所で会うなんて思わなかったので、二人とも驚いた。
「席案内するね」
「うん。あ、ちょっと待って。兄貴!」
真由はまだ店に入ってこない兄に声をかけた。
「ったく。お前買いすぎなんだよ。トランクいっぱいなっちまったじゃねーか」
ブツブツ言いながら、真由の兄が入ってきた。
「いいじゃん」
真由はぷぅと頬を膨らませた。またあの大量の買い物をしたのだろうか?
「あ、兄貴、この子が莉緒ちゃん」
「あ、初めまして」
真由の紹介に思わずお辞儀する。
「初めまして。こいつの兄の修二郎です」
修二郎はスラッと背の高い綺麗な人だった。数日前、和菓子屋で会った人と少しダブる。
「あ、席ご案内します」
莉緒は仕事を思い出し、二人を席に案内した。

「どうよ?彼女」
「いいんじゃね?上等上等」
莉緒が席から離れた瞬間、怪しい会話がなされる。
「まさかここでもバイトしてるとはねぇ・・」
真由が溜息混じりに言う。
「やっぱ・・あの情報は確かだったってことか」
修二郎の言葉に、真由は頷いた。

その数日後。今日はコンビニのバイトの日である。商品を陳列しているとき、横から顔を覗かれる。
「あれー?莉緒じゃん」
「え?あ、真由ちゃん」
「ここでもバイトしてんだ?」
「うん」
「そう・・なんだ」
真由は少し考えているようだった。莉緒は仕事を続けた。
「他にもバイトしてるの?」
「あー、うん。後桐谷和菓子屋って老舗の和菓子屋さんで」
「そっか・・」
真由は莉緒を見つめた。
「辛くないの?」
突然そう問われ、莉緒はきょとんと真由を見た。
「辛くは・・ないって言ったら嘘になるけど・・。そりゃ大変だけど、もう慣れちゃったって言うか・・お母さんと一緒にがんばろうって決めたことだし」
そう答えて、莉緒はハッとした。
「どうして・・急にそんなこと聞くの?」
「あ・・バイト・・大変そうだなぁって・・思って・・」
「そっか。でも結構バイトも結構楽しいよ?」
「鈴原さん」
「あ、はい」
店長に呼ばれ返事をする。真由に向き直り、謝る。
「ごめん。仕事戻らなきゃ」
「うん。がんばって」

真由は仕事に励む莉緒を見つめ、溜息をついた。
「世の中・・上手くいかないものね・・」

何度かバイト先で会う真由。一体何者なんだろう?
莉緒はふと不安に駆られた。
そう言えば、真由の苗字を知らない。歳が同じでお嬢様らしいと言うことしか分からない。謎が多いけど、別に危害を加えるわけじゃない。
(あたしなんかに危害加えても一円の得にもならないしね)
今は事情があって何も言わないのかもしれない。もしゆっくりと話すことがあれば、その時きっと何かを話してくれるだろう。莉緒はそう思うことにした。

和菓子屋でのバイトの途中、真由が入ってくる。
「いらっしゃい」
「ねぇ。時間ある?」
「は?」
突然の言葉に莉緒は驚く。
「いや・・今バイト中だし・・」
「分かってるよ。だから代わり連れてきた」
「え?」
真由が連れて来たのは修二郎だった。
「え?え?」
状況が分からない莉緒は戸惑う。首に縄を付けられたような修二郎はムスッとしていたが、莉緒の顔を見ると諦めたようだった。
「しょうがないなぁ・・真由サンはワガママなんだから・・」
修二郎はそう言いながら、カウンターに入ってくる。同じバイトの裕美がきゃあきゃあと騒いでいる。
「ってことで、莉緒借りてくね」
真由は莉緒の腕を引っ張った。
「はぁい。いってらっしゃいませ〜。」
裕美はイケメンの修二郎とバイトができるのが嬉しいのか、喜んで見送った。

「ちょ・・真由ちゃん・・どこ行くの?」
「いいからいいから」
全然良くないと思うんですけど・・。

着いた先は、エステサロンだった。
「え・・?何ここ・・」
初めて来た莉緒には何なのかさっぱり分からなかった。
「エステサロンよ。こっち来て」
「いらっしゃいませ。お待ちしておりました」
「今日はこの子もよろしくね」
「かしこまりました」
莉緒は店員に連行された。

莉緒の隣で真由もエステを受けている。莉緒は思い切って聞いてみることにした。
「真由ちゃん・・一体何者なの?」
「今は言えない」
「え・・?」
「ちゃんと言う時が来たら言うわ」
「・・分かった」
納得できないが、言わせようとしても無駄だろう。
「でも・・何でエステなんて・・」
「気持ちいいから」
即答され、莉緒は反応に困った。
「莉緒にも体験させてあげたくなったの」
その言葉にちょっと嬉しくなる。
「あ、お金は気にしないでね。もちろんこっちでもつんだから」
「ありがと・・」
エステって・・物凄く高いんじゃないのか・・?莉緒は不安になった。どうしてここまでしてくれるんだろう?まさか・・甘い汁吸わせといて、後から物凄い請求が来るんじゃ・・。
(んな訳ないか・・)
莉緒は脈略のない自分の想像に呆れた。
「ねぇ・・どうしてここまでしてくれるの?」
それなら答えてくれるだろうと、問いかけてみた。真由は莉緒を見た。
「あたし、莉緒と友達になりたいって思ったの」
真っ直ぐに見つめる真由の瞳に、莉緒はドキッとした。
「話もたくさんしてみたいなって。でも莉緒はずっとバイトばっかりでしょ?だから、強引だとは思ったけど、兄貴にお願いして今日は羽伸ばししてもらおうと思ったの」
「真由ちゃん・・」
さっき『後から物凄い請求が・・』とか思ってた自分が情けなくなる。
「まぁ今日はさ、バイトのこと忘れてパァっと遊ぼう。もちろんお金のことは気にしなくていいからねっ」
真由は明るく笑った。
「ありがと」
それしか言葉が出てこない。
「エステ終わったら次行くよ」
「え?次ってどこに?」
「お楽しみ」
真由はニヤッと笑った。

エステも終わり、今度はショッピングモールに来ていた。しかも高級品ばかりが売ってある売り場だ。来たことすらなかった莉緒は、目が点になっていた。
「気に入った服とかアクセとか靴とかあったら、このカードで買ったらいいからね」
真由に一枚のゴールドカードを渡される。
「えぇ?」
真由はニコッと笑った。
「だ、ダメだよ!あたしは使えない」
「え?」
莉緒の意外な言葉に、真由は首を傾げた。
「だって・・これは真由ちゃんのご両親のお金でしょ?あたしなんかが使えないよ」
「何遠慮してんのよ?」
「するわよ。ほ・・ホントはエステのときに言おうと思ってたけど、お金ってすごく貴重なものだと思うの。使うときはホントあっという間だけど、稼ぐのは本当に大変で・・。もしここで真由ちゃんの言葉に甘えてしまったら、お母さんとの約束が果たせなくなる気がするの。真由ちゃんの気持ちはありがたいけど、ごめん。あたしには・・できない」
莉緒は真由にカードを押し返した。
「それとね、真由ちゃん。こんなこと、あたしが言うべきじゃないと思うけど、もう少し物は大切にした方がいいと思うよ。本当に必要なものだけ買うようにした方が、買った物だって無駄にはならない。・・・ごめん。偉そうに言って・・」
莉緒の言葉に真由は少し考えた。
「ねぇ、じゃあプレゼント。莉緒へのプレゼントなら、いいでしょ?莉緒のために全身コーディネートしていいでしょ?」
何だか分かってるのか分かっていないのかよく分からない。
「でも・・」
「ね?お願い。これからは無駄遣いしないようにするから」
ここでもし「ダメ」と言っても、きっと真由は強引に迫ってくるだろう。莉緒は仕方なく頷いた。その途端、真由の顔がぱぁっと明るくなる。
「じゃーねー、こっち来て!」
真由は莉緒を店に引っ張って行った。

あーでもない、こーでもないと真由は莉緒をコーディネートしていた。莉緒はされるがままだった。
「あまり高くないものにしてね・・」
そう言ったが、真由の耳にはきっと届いていないと思われる。0を数えるのがとっても怖い。莉緒はなるべく見ないようにした。
(でもこんなのもらえないよぉ)
父が出て行って以来、欲しいものは我慢してきた。それより一刻でも早く借金を返して、この地獄のような日々から抜け出したい、と言う思いからだった。
(大丈夫かな・・。これから先)
一度贅沢をしてしまった後、これから先がんばれるだろうか?
いや、がんばるしかないのだが。でも・・。
「・・お?莉緒?」
呼ばれていることに気付き、我に返る。
「何?」
「どう?これ。」
真由はまだコーディネイトをしていた。莉緒に合わせてみたりしている。
「ねぇ・・真由ちゃ・・」
「ん?」
そこで真由の携帯が鳴る。
「あー、ちょっとごめん」
真由はそう言うと、莉緒を離れた。

「もしもし?」
『真由、やべー。兄貴来たよ』
電話の相手は修二郎だった。
「え?ちょっと見つかってないでしょうね?」
『もちろん。逃げたけどさ・・。今バイトの裕美ちゃんが相手してくれてるけど・・どうしたらいいんだ?』
「・・どうって・・」
真由は頭をフル回転させたが、いい考えが浮かばなかった。
「とにかく見つからないようにして!見つかったとしても、何とかごまかすのよ!」
『ええ・・。そんなむちゃくちゃな・・』
「おかしいわね・・今日兄貴来る日じゃないはず・・」
『予定確認したんだろ?』
「当たり前でしょ?そうじゃなきゃこんなことできないわよ」
『・・そりゃそうだけど・・。で、莉緒ちゃんは?』
「今コーディネートしてる」
『早くしてくれよ・・。俺もう限界』
「何甘えたこと言ってんのよ!男なんだからもうちょっとしっかりしなさい!」
『んなこと言ったって・・・』
「いい?これで兄貴にバレたりしたら、全部計画がパーになっちゃうんだからね?」
『分かってるよ。とにかく、こっちもどうにか乗り切るから、そっちも早く帰って来い』
「分かった」
携帯を切り、溜息をつく。お願いだから、予定外の行動は取らないで欲しい。
「ねぇ・・」
声をかけられ振り向くと、莉緒がいた。
「ん?何?」
精一杯何でもないフリをする。
「何か大変なことになってるの?」
「え?何で?」
「何となく・・そんな感じがしただけ・・」
「大丈夫よ。ほら、莉緒こっち来て」
真由は何とかごまかして、莉緒の服のコーディネートを再開した。

電話の様子からして真由は明らかにおかしかった。けど、そんなことを聞く勇気が持てない。大体なぜこんなにまでしてくれるのかが、よく分からない。莉緒は不安に駆られていた。だが、言い出せない。こんな自分が嫌になる。

結局それから一時間ほど悩みに悩み、コーディネートが完了した。
「真由・・ちゃん・・」
「ん?」
満足そうな顔でこっちを見ている。
「あたし・・こんなミニスカはいたことないんだけど・・」
「かわいいじゃん」
真由はスタイルいいから、いいかもしれないが、こっちは絶対嫌だ・・。プレゼントしてもらって言える立場じゃないけど。
「大丈夫。似合ってるから」
笑顔でそう言われると何も言い返せない。

「あはははは」
今日の出来事を母に話すと、大声で笑われた。
「笑い事じゃないよ!大変だったんだから」
「でも良かったじゃない。お洋服いただけて」
「そう・・だけど・・」
「ごめんねぇ・・。お洋服買ってあげられなくて。一番いろんなもの欲しい年頃なのに・・お父さんの借金、あなたにまで押し付けちゃったみたいで・・」
「それは違うよ!大体お母さんだって被害者じゃん。・・気になるのは、真由ちゃんの正体・・」
莉緒の言葉に母は何か考えているようだった。
「真由・・真由・・」
名前を連呼する。
「知ってるの?」
「うーん。どっかで聞いたことある気がするのよねぇ・・。だけど思い出せない。歳かしらねぇ」
あはは、と母は笑った。
「お母さんが・・知ってる人・・?」
「あー、でも分からないわ・・。友達の子供がそんな名前だった気がしたんだけど・・そんな偶然ないわよねぇ」
真由と莉緒が出会ったのは、街で偶然だったのだ。
「そうだよねぇ・・」
莉緒は溜息をついた。

相変わらず莉緒は忙しい毎日を送っていた。それでもちょくちょくバイト先に真由が来てくれたので、何だか妙に楽しかった。

そしてある喫茶店でのバイトの日。もうそろそろ上がりだという頃に、スーツを着た二人組が入ってきた。
「いらっしゃいませ。お二人様ですか?」
決まり文句のようにそう聞きながら客の顔を見ると、何処かで見たことある顔だった。
「あ・・」
「え?」
向こうは忘れているのか、聞き返された。だが、一拍遅れで口を開いた。
「君は確か和菓子屋の・・」
「あ、はい」
「ここでもバイトしてるの?」
「あ、はい」
同じ口調で返事すると、彼は笑った。そう、喫茶店に入ってきたのは、少し前に和菓子屋に来た背の高い綺麗な男の人だった。
「君が選んでくれたお菓子、喜んでくれたよ」
「あ、そうなんですか。よかったです」
莉緒は思わず笑顔になった。
「お席、案内しますね」
莉緒が席に案内し、席に着くと注文が入る。
「ホットコーヒー二つ」
「かしこまりました。少々お待ちくださいませ」
莉緒が席から離れると、二人は何やら資料を取り出した。
(サラリーマンって大変なんだなぁ・・)
何となくそう思う。
莉緒は二人にコーヒーを運ぶと、バイトを上がった。

着替えて外に出ると、ちょうど店から出てくるさっきの二人組と会った。
「君、仕事終わり?」
「あ、はい」
「少し付き合ってくれないか?」
「へ?」
突然の誘いに莉緒の頭はいろんなことが一気に駆け巡った。
知らない人についてったら危ないんじゃないのか?付き合うって何に付き合うんだ?大体この人仕事中じゃないのか?
その間に彼はもう一人の人に先に帰るように伝えていた。
「少し君と話をしたいと思って・・」
「はぁ・・」
・・何だか真由と同じ匂いがするのは気のせいだろうか。
「私は春日爽一。歩きながらでいいから、少し話しないか?」
「あ、はい」
莉緒が承諾すると、爽一は嬉しそうに微笑んだ。そしてゆっくりと二人は歩き出した。
「名前・・聞いてもいいかな?」
「鈴原・・莉緒です・・」
「莉緒ちゃんか」
名前で呼ばれドキっとする。
「嬉しかったよ。覚えていてくれて」
「え?」
爽一は思わぬ言葉を口にした。
「たくさんのお客が来てるだろう?一度しか行ってない客を覚えてるなんて・・すごいなって」
「あー、いえ。初めてだったんです。『ここのお菓子おいしいと思う?』って聞かれたの・・」
「・・そういやそんなことも聞いたね」
「だから・・すごく印象に残ってて」
「はは・・。変な人って思った?」
「いえ。聞かれて、ハッとしたんです。もちろん、好きだからバイトしてるんですけど、他のバイトより何か・・楽しいんです」
莉緒は自分でも気付かないうちに笑顔になっていた。
「楽しい?」
「はい。さっきの喫茶店と、コンビニでもバイトしてるんですけど、やっぱり一番和菓子屋が好きなんです」
「どうして?」
「いろんなお客さんが買いに来られるんですけど、皆嬉しそうなんです。その笑顔が見るのが嬉しくて」
「へぇ。でも君みたいに若い子だったら、和菓子より洋菓子のが好きそうだけど」
「もちろん、洋菓子も好きですよ。でもおばあちゃんがよくおはぎを作ってくれてて、それがすごーく大好きで・・。でもおばあちゃん田舎にいるからなかなか会えないんです。それで、和菓子に接してると、おばあちゃんのこといつも思い出せるから・・」
「おばあちゃん子なんだね」
「はい」
爽一は柔らかく笑う笑顔が素敵な人だった。悪い人でもなさそうだ。でも油断は禁物、と気は抜かなかった。
「爽一さんは・・お仕事、お好きですか?」
そう聞くと、爽一は困った表情をした。
「好き・・だとは思うけど、最近忙しくてね。そんな風に考えたこともなかったよ」
「何を・・なさってるんですか?」
答えに詰まる爽一を見て、莉緒は不安になった。莉緒は必死に笑顔を繕いながら、頭の中で展開するアブナイお仕事一覧表を削除しようとした。
「何て言ったら・・いいのかな・・。会社経営?」
「!?」
爽一の言葉に頭が真っ白になる。
「しゃ、社長さん!?」
「でもないけど。表向きは父が社長だけど、実質は社長の仕事も私がやってるからね・・」
(でもでもアブナイお仕事の社長さんじゃないよね??)
思わずそう考えてしまう。だけど話している感じからして、そんなアブナイお仕事関係じゃない気がする。
「結局私は・・父が敷いたレールの上を走ってるだけなんだ。自分では何もできない・・」
「そ、そんなことないですよ」
弱気な爽一に莉緒は思わず否定した。
「逆の発想、してみたらどうです?」
「逆の発想?」
「爽一さんのお父様が敷いたレールの上を走るのって、きっと並大抵じゃできないと思うんです。お仕事だって難しいだろうし・・。それでもちゃんとレールの上走れるって、すごいと思いますよ。そんな爽一さんは、きっとお父様にとってすごく自慢の息子なんじゃないですか?」
莉緒の思わぬ言葉に爽一は言葉を失った。今までそんな風に考えたことはなかった。
「って・・あたし、偉そうですよね・・。ごめんなさい」
「いや、そんな風に考えたことなかった。ありがとう」
爽一は柔らかく笑った。莉緒はありがとうと言われたことが、すごく嬉しかった。
その時爽一の携帯が鳴る。
「ごめん」
爽一はそう言って携帯に出た。本当に忙しいようだ。莉緒と話していた時より、表情が引き締まる。莉緒は思わずドキッした。
電話を切ると、爽一は莉緒に向き直った。
「ほんとごめん。もう行かなきゃいけないんだ」
「いえ。本当にお忙しそうですね」
莉緒が苦笑すると、爽一も「そうなんだよ」と苦笑した。
「私の方から誘ったのに・・。また、ゆっくり話さしてくれる?」
「はい」
莉緒は思わず笑顔で答えた。そう言うと爽一は安心した顔をした。
「ありがとう。ほんと、ごめんね。じゃ、また」
そう言うと爽一は走って行ってしまった。
自分でも驚いた。あんなに即答すると思ってみなかった。爽一は莉緒にとって不思議な人だった。と同時に魅力的な人だった。笑うと何だかかわいい。年上の男の人に言う台詞ではないが。仕事をしている時の顔と笑ったときの顔のギャップにドキドキする。
(うひゃー)
彼の顔を思い出して、莉緒は自分の顔が真っ赤になるのが分かった。
きちんと話したのは初めてだけど、誠実そうな人だった。また話してみたい。不思議とそう思えた。

それから爽一は時々バイト先に現れた。喫茶店のバイト先が主だったが、時々和菓子屋にも顔を出した。
話と言っても莉緒の家に帰るまでの道のりを歩いて話すだけだった。バイトが終わるのは夜だったので、爽一が気遣ってくれていたようだ。

「莉緒」
母がニヤニヤしながら近づいてくる。
「何」
「今の彼氏?」
「は??」
突然の言葉に、ボンッと顔が赤くなる。どうやら爽一と帰ってくるのを見られたらしい。
「好青年よねぇ。お母さん、あーゆー人だと安心だわぁ」
「ちょ、お母さん!」
勝手に話を進める母に、莉緒は困り果てた。
「違うって!!」
必死に否定する。
「違うの?」
「うん」
「じゃあ何者?」
「何者って・・」
『さぁ、話しなさい』と言うオーラがびしばし伝わってくる。莉緒は観念して、事の一連を話した。
「なるほどねぇ」
母は彼氏じゃないと納得してくれたようだった。
「でも、あちらさんは莉緒に好意は持ってるかもね?」
「え?」
母が何を言い出したのか、よく分からず、思わず聞き返した。
「だってそうじゃなきゃ、わざわざバイト先まで行って送ってきたりなんてしないわよ」
「・・・」
母の言い分はよく分かる。だけど爽一は、ただ本当に話をしたいだけなんじゃないだろうか。
「まぁ莉緒もがんばって」
「は?」
母がまたニヤニヤと笑った。
「借金のことだけじゃなくて、ちゃんと恋しなきゃダメよ」
「な・・」
「高校時代なんて二度と戻ってこないんだからねっ」
何だか妙に力説される。
「う、うん」
何かあったのだろうか?
「お母さん・・何かあったの?高校時代」
そう聞くと母はフッと笑った。
「そりゃぁお母さんにだって色々あったわよ」
「聞きたい!」
そう言うと、母は「しょうがないわねぇ」と話し始めた。しょうがないと言う割には楽しそうに見えるが、敢えて突っ込まないでおく。
「お母さん、これでも高校時代はモテたのよぉ」
そう言って告白された人を列挙していった。
「野球部のキャプテン、サッカー部のエース、バレー部のキャプテンに・・」
「そんなにいるの?」
思ったより大人数に莉緒は目を丸くした。
「そうよぉ。でもお母さんの好きな人はね、お母さんには振り向いてくれなかったの」
「え・・」
「告白したんだけどね、振られちゃった」
「そうなんだ」
莉緒の言葉に少し寂しそうに頷いた。
「諦めきれなくてね・・。聞いたのよ。その人に。『誰か好きな人いるんですか?』って」
「そしたら?」
「『いる』って言われちゃった」
母は曖昧な笑顔を浮かべた。
「それでも諦め切れなくて、もう一度聞いたの。『それは誰?』って。・・そしたらね、お母さんの幼馴染の女の子が好きなんだって言ったの」
「ええ?」
すごい展開に莉緒は驚いた。
「幼馴染の女の子って?」
「才色兼備で、すんごい性格のいい子なの。それで諦められたのよ。彼女には敵わないなぁって」
「そうだったんだ。で?その人と幼馴染の人はどうなったの?」
「高校時代は付き合ってたみたいよ。だけど・・県外の大学行っちゃって、今はどうしてるのか・・」
「そうなんだ・・。何か・・すごいね・・」
「すごくなんかないわよ」
莉緒の言葉に母は笑った。
「でも・・意外だった。お母さんにそんな過去があるなんて」
「まぁいい思い出よ。今となってはね」
「その時は・・辛かった?」
「そりゃね。だけど、その好きだった人も幼馴染も大切な人だったから、二人が幸せならいいかなぁって思えたのよ」
「へぇ・・」
そんな気持ちになったことなんてない莉緒は、少し不思議な気分になった。
(あたしにも好きな人できたらそう思えるのかなぁ・・)
「莉緒も、恋愛から逃げちゃダメよ?」
「う、うん」

と言っても今現在好きな人なんて居ないのに。
湯船に浸かりながら、莉緒はそんなことを思っていた。
好きな人は昔はいた。スポーツマンの一つ上の先輩。だけど彼には彼女がいた。敵うはずもないと諦めた。
(お母さんの状況と似てるけど・・お母さんのが辛かっただろうな・・)
好きな人が好きだったのは、自分の親友、なんて知ったらどれだけ辛いだろう。そこまでの状況になったことがないので、よく分からない。
『恋愛から逃げちゃダメよ』
母の言葉が浮かぶ。
(気づかれてたのかなぁ・・)
本当は恋愛を怖がっていた。父のように裏切られるのが怖い。人を信じることが、難しいことのように思える。
真由や修二郎も何者か全く言わないところも怪しい。けど例え無理に聞いても教えてなんてくれないだろう。でも別に危害を加えてくるわけじゃないし、『いつかちゃんと本当のことを言う』と言った真由の目は嘘なんてついていないと思えた。そういう芝居とかだったりしたら・・なんてネガティブに考えるだけ精神衛生上よくないので、考えないことにする。
そして爽一。
(どうしてあたしなんかにかまうんだろう?)
それが不思議だった。爽一のように美形でしかも社長となると、周りの女性がほっとかないと思う。なのにどうして?
莉緒は首を傾げた。
自分はただの女子高生だ。取柄なんて特にないし、美人という訳でもない。唯一誇れるとしたら、母譲りのバイタリティがあることくらいだ。ヘタレな父に似なくてよかったと妙に安心する。
(そうじゃなくて)
考えていたことがごちゃごちゃになり、莉緒は頭をフルフルと振った。クラクラする。
「莉緒〜。あんまり入ってたら、のぼせるわよ〜」
母の声に我に返る。このままじゃのぼせてしまう。莉緒は湯船から体を起こした。

自室に戻った莉緒は髪を乾かしながら、明日の予定の確認をした。何だかんだともうすぐ二学期も終わろうとしていた。試験もこの間終わったばかりだ。
(何か色々ありすぎて一年が早かったなぁ・・)
カレンダーを見ながら、感慨深くそう思う。
(いつになったら借金生活から解放されるんだろ・・)
どれだけ働けば、普通の生活に戻れるんだろう・・。
(ダメダメ。こんなこと考えてちゃ)
莉緒は頭からネガティブな考えを振り払った。

水を飲もうとキッチンへ行くと、母が溜息をついていた。
「お母さん?」
呼びかけると顔を上げた。心なしか、顔色が悪い。
「お母さん、顔色悪いよ!大丈夫?」
「大丈夫よ。ちょっと疲れただけだから」
「でも・・」
「大丈夫」
そう言って母は立ち上がった。
「もう寝るわね。おやすみ」
「・・おやすみ」
あんなに元気のない母を見たのは、初めてだったので、莉緒は不安になった。本当に疲れているだけなら、いいんだけど。

年末年始も親子は働き続けた。休みの時期のバイトやパートはいつもより少し時給がいいのだ。いつもはゆっくり過ごすお正月も、冬休みも莉緒はバイトに明け暮れていた。

そんな生活は相変わらずで、更に真由や爽一が顔を出すことも日常生活の一部になっていた。莉緒にとって、二人とお喋りすることはある意味リフレッシュになっていた。
話す内容は本当にありふれたもので、真由はもっぱらファッションの話、爽一はプライベートな話をしていた。真由の正体は相変わらず謎のままだったが、莉緒もそれでも気にしなくなっていた。下手に聞いちゃいけない気がしていた。何故かは分からない。そんな予感がしただけ。

二月のある日のバイト終わり。爽一が現れた。いつもと同じように話しながら家路に着く。
「莉緒ちゃん」
「はい?」
「・・好きな人とかっているの?」
「え?」
突然の質問に莉緒は驚いた。
「あー。ごめん。変な質問して。言いたくなかったらいいんだけど・・」
爽一はそう言いながら、話題を探した。
「あの・・今は別に・・いないです」
隠すことでもないので、莉緒は正直に答えた。
「そうなんだ・・」
爽一は少しホッとしたような顔をした。その表情の意味は分からない。
「ごめんね。変なこと聞いちゃって」
「いえ。今は・・恋愛する余裕なんてないですから」
莉緒がそう言うと、しばらくの沈黙があり、爽一が口を開いた。
「恋愛は・・余裕があるからするもんじゃないと思うよ?」
「え?」
「俺も偉そうには言えないんだけどね」
爽一は苦笑した。
「時間的な余裕って言うより・・裏切られるのが・・怖いのかもしれないです」
「え?」
莉緒の思わぬ言葉に、爽一は驚いた。
「父に裏切られてから・・人を・・信じるのが怖くなったって言うか・・」
「お父さんに裏切られた?」
聞き返され頷いた。まだ言っていなかった事実。
「借金残して、逃げちゃったんです。あたしにも・・母にも何も言わないで。それで・・母と二人で今借金を返済していて・・」
「それでバイトを掛け持ちしてたんだ・・」
莉緒はまた頷いた。爽一の顔が見れない。こんなふがいない父を持って、恥ずかしい。だけど莉緒はもう限界だった。誰かにぶちまけたかっただけなのかもしれない。
「ホントは・・すごく不安で・・毎月ちゃんと返せるのかとか、お母さんが倒れたらどうしようとか・・。でも・・誰にも言えなくて・・」
莉緒の目から涙が零れる。必死に溜めていたものが、噴出した。
「お母さんががんばってるから、あたしもがんばろうって、そう言い聞かせて・・。こんな性格だから友達とかにも言えなくて・・。一人になると、すごく怖くて・・」
爽一は莉緒を引き寄せた。そっと抱きしめる。
「莉緒ちゃん。泣いてもいいんだよ」
優しい言葉に、堪えていた涙が一気に溢れた。爽一の温もりが伝わってくる。大きな手が莉緒の頭を優しく撫でた。
「大丈夫。今までがんばってきたことは、無駄にはならないから。大丈夫だよ」
その言葉は莉緒の張り詰めていた心を溶かしていった。爽一の胸の中で、莉緒は自分でも止められないほど泣いた。

「すいません・・。泣いちゃって・・」
「気分晴れた?」
爽一の言葉に頷く。爽一は優しく微笑んだ。
「ホントにごめんなさい」
「莉緒ちゃん、こういう時は笑って『ありがとう』って言うんだよ」
莉緒は少し戸惑った。
「・・あ・・ありがとう」
「どういたしまして」
爽一はにっこりと笑った。
「泣くの我慢してても、苦しいだけだからね。いつでも泣いていいよ」
「えぇ・・」
爽一の言葉に困っていると、笑われた。
(遊ばれてる?)
不安になる。
「でも・・莉緒ちゃんはホントがんばってると思う。きっとそんな莉緒ちゃんを神様も見ててくれるよ」
神様が居るとしたら、こんな境遇にしないと思う。とは言わない。
「俺も辛い時、あったから。莉緒ちゃんの状況とは少し違うけど・・」
「そうなんですか・・」
「裏切られたとまではいかないけど・・。大切な人が突然居なくなるって、どんな状況でも辛いよね」
爽一は何処かを見つめた。彼が何を言おうとしているのか分からないが、聞いてもいけない気がした。
「帰ろうか。あんまり遅くなったら、お母さん心配するだろうし」
「はい」
二人は莉緒の家の方へと足を向けた。

家に帰ると、母が心配そうに出迎えた。
「遅かったじゃない。心配したのよ?」
「ごめん。バイト、長引いちゃって・・」
「そう・・。ならよかった」
「お母さん・・顔色悪いよ?」
前より酷くなっている気がする。
「そお?大丈夫よ」
「ねぇ。お母さん。病院、行った方がいいんじゃない?」
「大丈夫だって」
「でも・・」
「莉緒は心配性ねぇ。大丈夫。自分の体なんだから」
妙に自信満々に言う母に何も言えなくなる。
「じゃあ・・異変、感じたらすぐに病院行くんだよ!」
「分かった」
莉緒の言葉に頷いたので、莉緒は納得した。

莉緒は部屋に戻り、今日のことを思い出していた。
(・・結構大胆なことしたよね・・)
思い返して、顔が赤くなる。
『大丈夫』
爽一の声がよみがえる。あの言葉に安心した。きっと誰かに『大丈夫』って言って欲しかったのかもしれない。
そう思いつつも抱きしめられた感触がよみがえり、また頬が熱くなる。
(きゃーきゃーきゃー)
莉緒はベッドに突っ伏した。枕に顔をうずめて鎮まろうとする。
(うー・・恥ずかしいよぉ・・)
男の人に抱きしめられるなんて、初めての経験なのだ。
(どうしよ・・。まともに顔見られなかったし・・)
ずっと下を向いていた。恥ずかしくて顔を上げられなかった。
(次会った時、どんな顔したらいいのか分からないよぉ)
ベッドの上でジタバタするが、母に聞こえると思い、のっそり起き上がる。布団を握り締め、落ち着こうと深呼吸した。
(・・爽一さんは・・あーゆーの慣れてるのかなぁ・・)
何だか変なことを考えてしまう。
(慣れてるって・・何かやだなぁ・・)
勝手なことを言っていると自分でも分かってる。
だが、莉緒自身、自分の気持ちにまだ気づいていなかった。

それから一ヶ月、爽一は姿を見せなかった。バイトの帰り道、爽一と話しながら帰った時はすごく短く感じたのに、今はとても遠くに感じる。
(どうしたんだろう・・。やっぱり・・嫌われたのかな・・)
あんだけ泣かれたら、嫌気もさすだろうな。
『いつでも泣いていいよ』
あの言葉、本当に嬉しかった。
(まだお礼もちゃんと言ってないのに・・)
溜息だけが増える。

「どうしたの?最近元気ないわねぇ」
真由が元気のない莉緒を見て驚いていた。
「莉緒の取柄は元気じゃなかったの?」
そう言われると痛い。思わずじと目で真由を見てしまう。
「何よ?」
「別にぃ・・」
「何よ。気持ち悪いわね。言いたいことあるなら、はっきり言いなさいよ。」
「・・真由は、男の人と付き合ったことある?」
突然の問いに真由は驚いていた。
「まぁそれなりにね」
それを聞いて、莉緒はますます深い溜息をついた。
「もう、何なのよ!」
真由は溜息の理由が知りたいのに教えようとしない莉緒にイライラした。しかしピーンとひらめいた。
「莉緒、好きな人でもいるの?」
楽しそうに問う真由に莉緒はボンッと赤くなった。
「なんだー。いるんじゃん。言ってよ。そういうこと」
「ち、ちが・・・」
「何が違うの?」
「そんなんじゃないって・・」
「えー?その反応からしたら明らかにその人のこと好きな感じじゃない?」
「・・むしろ嫌われてるのかなぁって・・」
「何それ?」
莉緒はかいつまんで爽一の話をした。真由はその話を聞きながら、少し考えた。
「その人って・・社会人な訳でしょ?」
こくんと頷く。社長と言うことは何となく伏せた。
「今忙しいのかもよ?ほら、三月は決算とかもあるし」
確かに今は三月の春休み中だ。高校生の自分からしたら、決算の時期なんて感覚がない。
「そっか・・」
「大丈夫よ。きっと四月になったらひょっこり姿現すわよ」
真由が言うと妙に説得力がある。
「そ・・だね」
莉緒は真由の言葉を信じることにした。