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ACT.5 涙の決意
その頃、新は山崎と互角に戦いつつも、優位に立っていた。「どうしたよ? お前そんな弱かったか?」 挑発すると、山崎は顔をさらに赤くして怒った。 「おめぇのそういうとこが嫌いなんだよ!!!」 山崎が力任せに拳を突き立ててくる。新は左手でそれを受け止め、するりと身をかわした。勢いがよかったので、山崎はそのまま前のめりになって転んだ。 「くっそぉ・・・・・・」 山崎が悔しそうに新を睨む。 「そろそろ終わりにしようぜ」 新が山崎の胸倉を掴んだ瞬間。 「待て!」 その声に驚き、新と山崎は声のした方を向いた。そこには逃げたはずの洋二とまどかが山崎の手下に捕まっていた。 「な、んで・・・・・・?」 逃げたはずなのに、なぜこんなところに? 「それ以上山崎さんに手出したら、こいつらがどうなるか分かってますよね?」 手下が卑怯なところは山崎そっくりだ。 「チッ」 新は掴んでいた山崎を離した。 「形勢逆転だな」 山崎が誇らしそうに笑う。 「お前卑怯な手で勝って嬉しいのか?」 「どんな手段であろうと、使える物は使う。それが俺の主義だ」 新の嫌味は全く通じていないようだった。 山崎が手下どもに合図すると、新を縛り上げた。 「いいザマだな」 山崎に見下ろされ、新は不快感でいっぱいになった。 山崎たちは新の隣に洋二とまどかを置き去りにし、一度倉庫の外へ出て行った。これからどうするかでも話し合うのだろうか? 「先輩・・・・・・すみません」 洋二が謝る。泣き出しそうなのを堪えているのが、顔を見なくても分かる。 「どうして? 逃げたんじゃなかったのか?」 「逃げました。逃げたんですけど・・・・・・」 「あたしが戻ろうって言ったの」 言葉に詰まった洋二の代わりに、まどかが口を開いた。 「どうして? 君を助けるのが目的だったのに」 新は怒りよりもなぜ戻ってきたのか、という思いの方が強かった。 「ごめんなさい。でも・・・・・・あんな大人数の中に新くん一人を置いてきたって言うのがすごく心配になって・・・・・・」 「俺は・・・・・・大丈夫だよ。これでも、喧嘩は強いんだ」 心配してくれたんだ、と妙に嬉しくなる。こんなことを考えている場合ではないのだが。 「すいません。俺が・・・・・・行こうって言ったんです。ホント、すみません」 二人に謝られ、新は仕方ないと溜息をついた。 「もういいよ。過ぎたことは仕方ない。それよりこの状況からどうやって逃げるか、だな」 洋二はどうしたらいいのか分からず、黙り込んだ。まどかも黙っている。新は後ろ手に縛られている手をお尻のポケットに突っ込んだ。 (確かあったはず) 指に金属が当たる。新はゆっくりとそれを取り出した。 「おい。洋二」 「はい?」 呼ばれた洋二は俯いていた顔を上げた。新は前方に見える山崎たちの影を目で追っていた。 「お前、まどかちゃん抱えて逃げれるか?」 「あ、はい」 さっきやったことなので、それは可能だ。 「おし。んじゃ、頼んだぞ」 そう言うといつの間にか自分の縄を切った新は、洋二の腕の縄も切った。手にはサバイバルナイフが光っていた。 「先輩、いつの間に・・・・・・」 洋二は驚き入っていた。一体いつの間にナイフなんて持っていたんだろう。 「俺みたいになるといつこんなことが起こるとも限らないからな。これくらいの準備はしてるもんさ」 新はそう言いながらまどかの縄も切った。 「いいか? もう戻ってくるなよ。俺があいつらを引き付けている間に逃げろよ。何なら交番にでも駆け込め」 「はい!」 新の言葉に洋二は元気良く返事した。 「まどかちゃん、危ない目に遭わせてごめん。全部俺のせいだ」 「そんな・・・・・・」 まどかは否定しようとしたが、新は立ち上がった。 「洋二、行くぞ」 「はい!」 洋二はまどかを立ち上がらせ、素早く山崎たちの死角になる場所へ移動した。洋二が新に目配せで合図をすると、新は頷き、倉庫の外へ出た。 山崎たちはまだ気付かない。新は洋二に合図を送り、逃げるように指示した。 それにしてもこいつら、鈍いのか? 馬鹿なのか? その目は節穴なのか? 洋二たちが見えなくなってから、新が声をかける。 「あのさ。もう帰ってもいい?」 「あぁ」 あまりにも自然だったので、山崎が頷く。 「ばいばーい」 新がそう言うと、ようやく気付いたのか、山崎の目が血走った。 「ちょ! 何でお前!!!」 「あ?」 新は振り返ったものの答える気はない。 「お前ら、何やってんだよ! 逃がすな!」 山崎が手下に指示を出す。しかし、その前の新との戦いで疲労していた手下たちは、新にあっさりとやられてしまった。 「あのさー。おめーが俺のこと嫌いなのは分かるけどさ。他のヤツラ巻き込むなよ。こいつらもお前がリーダーでいい迷惑だと思うぞ」 「う、うるさい!」 偉そうな新の態度に山崎はまた怒りがこみ上げてきた。 山崎はなぜか金回りがいい。その金が目的でこの手下どもが山崎に付いていることに、新は気付いていた。だが、きっと本人は気付いていないだろう。 「お前一人が俺に喧嘩売ってくるのはいいよ。だけどこいつらとか、俺の友達とか巻き込むのやめろ」 洋二やまどかを【友達】と呼ぶのは、少し気恥ずかしかった。 山崎はキッと新を睨み、思い切り殴りかかってきた。新は意図も簡単にその拳を止める。 「そうは言ったけどさ。もうやめようぜ。こんなこと」 「あ?」 新の言葉がよく分からず、山崎はまた睨んだ。 「こんなこと無意味だって、お前だって分かってんだろ?」 拳を止められたままの山崎は、新の目が合った。 「は? お前、何言ってんの?」 「俺はやめるよ。こんな無駄なこと」 新の言葉が信じられず、山崎は止められた拳を引いた。すぐに胸倉を掴む。 「何だよ! それ!」 「分かってたんだよ。無意味だって。結局自分がどうしたいかなんて、答えはこんなことしてても見つからないんだ」 突然覇気を失った新に山崎は力が抜けた。 新の哀れむような目に、居たたまれなくなり、山崎はぎゅっと拳を握ると、思い切り新をぶん殴った。新は勢いに押され、尻餅をついた。 「何だよ。何でいきなりそんなこと言ってっ・・・・・・」 山崎は裏切られたような気持ちになった。新は答えず切れた口の血をぬぐった。 「喧嘩しねぇお前なんざ、興味ねぇよ」 山崎はそう吐き捨てると、立ち去って行った。 新はその後ろ姿をいつまでも見つめていた。 その頃、洋二とまどかはいつもの土手に来ていた。とりあえず橋の下に隠れる。 「洋二くん、どう?」 「大丈夫っすよ。追っ手は来てないみたいです」 洋二の言葉にまどかは胸を撫で下ろした。 「新くん、大丈夫かな・・・・・・」 「先輩なら、大丈夫っすよ」 洋二の言葉に確信がこもっている。まどかは「そうね」と返した。 「っと・・・・・・」 突然洋二の携帯電話が鳴り始めた。 「先輩だ。・・・・・・もしもし?」 電話の声が漏れて、まどかにも少し声が聞こえた。声は元気そうで、何だか安心する。 「今いつもの土手んとこっす。……はい。待ってます」 洋二が電話を切り、まどかに向き直る。 「先輩、来るそうです。いつものとこ座ってましょう」 洋二の言葉に頷くと、洋二はまどかの手を引いて、いつもの定位置に座った。 しばらくすると、新がやってきた。 「先輩! 血!」 唇の端に血が付いているのを見つけ、洋二が叫ぶ。 「あー。大したことねぇよ。口ん中切っただけだ」 「これ」 まどかは新にハンカチを差し出した。不意のことに新は驚いたが、受け取った。 「ありがと・・・・・・。でも、汚れるよ?」 「いいよ。あげる」 「さんきゅ」 新はまどかにもらったハンカチで口を押さえた。とりあえず洋二とまどかの間のいつもの位置に座る。 「ごめんな。まどかちゃんのこと巻き込んで」 新の言葉にまどかは「ううん」と首を振った。 「あたしこそ、ごめんなさい。迷惑かけて・・・・・・」 「迷惑かけたのは俺の方だ」 「でも捕まったのはあたしだもん」 変な言い合いに、洋二は思わずプッと笑った。それにつられ、二人も笑った。 新は総てを打ち明けようと、決心した。 「俺さ、まどかちゃんに黙ってたことあるんだ」 「うん?」 改まった口調にまどかは内心不安が募る。 「俺、この辺じゃ結構有名な【 新の言葉をまどかはじっと聴いていた。 「今日のは、俺を気に入らないヤツがまどかちゃんを巻き込んで俺を呼びつけたんだ」 まどかはきゅっと口を結んだ。どう言えばいいのか、分からないのだろう。 「本当はもっと早く言うべきだった。君を巻き込む前に」 無言の時間が流れた。風がサァっと吹き抜け、三人の頬を撫でた。 「でも、もう巻き込まないから」 「それってどういう・・・・・・」 新の言葉にやっとまどかが口を開く。 「もう、会わない。ずっと前から決めてた。だけど・・・・・・勇気がなくて。この時間を壊したくなかった。まどかちゃんと話す時間が、大切だったから」 まどかはどう言えばいいのか分からないのだろう。黙ったままだ。 「俺の都合で振り回してばっかりでごめんな」 新の言葉にまどかは涙を堪えながら、首を横に振った。 「洋二。悪いけど、まどかちゃん、送ってくれる?」 「え? 先輩は・・・・・・?」 「頼むよ」 洋二の質問には答えようとしなかった。 洋二は頷くとまどかを立ち上がらせ、歩き始めた。一、二歩踏み出したところで、まどかが立ち止まる。 「あたし、待ってるから。新くんのこと。毎日待ってるから」 まどかの言葉に新は答えなかった。まどかは返事を聞くのを諦め、洋二と歩き始めた。 新は暮れかかった空を見上げた。真っ赤に染まった空は、痛々しく見えた。 「これでいいんだよな・・・・・・」 呟いたと同時に涙が頬を伝った。 まどかはそれからずっと新を待ち続けた。 (こんなのヤダ・・・・・・。お礼もちゃんと言えてないのに) 心にフィルターがかかっていることに気付かせてくれたこと、フィルターを外す勇気をくれたこと、一緒にがんばろうって言ってくれたこと。 何のお礼も言ってない。このまま終わりたくない。 だけど、待ち続けても新は現れなかった。 (やっぱり本当に来ないんだ・・・・・・) 寂しくて、悲しくて、もう本当に一人ぼっちだって考えてしまって、まどかは涙が込み上げてきた。 今までずっと一人だった。だけど寂しくなんてなかった。 でも、今は寂しい。新の存在がこんなに大きくなっているなんて。支えになってくれていた以上に、もう一つの感情が生まれていた。 (新くんが・・・・・・好きなんだ) 初めて抱いた感情。ずっと自分は一人で生きていくんだと思っていたまどかにとって、それは大きな変化だった。 でも、もうどうしたらいいのか分からない。 (一人じゃ・・・・・・何もできない・・・・・・) 込み上げてくる涙を抑えようとするが、溢れ出して止まらなかった。 「・・・・・・っ」 まどかは声を殺して泣いた。 「先輩。ホントにもう行かないんですか?」 後ろから洋二がついてくる。ちらりとも見ずに言葉を返す。 「どこに?」 「どこにって・・・・・・まどかさんのとこですよ」 何となく分かっていたが、改めて言われると少し動揺してしまう。だけどそれを表に出さないように装った。 「行かない」 「どうして?」 洋二の質問に、新は思わず振り返って洋二を睨んだ。 「どうして? お前だって分かってるだろ? 俺が傍にいたら、彼女が危険なことくらい」 そう言うと、洋二は眉をしかめた。 「そりゃそうかもしれないですけど。でも先輩はもうやめたんでしょ?」 「・・・・・・」 洋二はかつては金髪に染め上げていた髪を見た。 「髪だって黒く戻したし、学校だってちゃんと行ってる」 「だからと言って、もう大丈夫なんて確証はないだろ」 現に未だに喧嘩を売られる。だが覇気のない新に興味をなくし、大半は去って行く。 新は行く先に体を戻し、再び歩き始めた。 「でも、まどかさんは待ってますよ」 その言葉に、新は思わず立ち止まった。 「俺、実はこっそり土手に行ってみたんです。そしたら、毎日まどかさん、いつもの場所で待ってました。先輩を待ってるんですよ」 少しだけ心が揺れる。だが、もう決めたことなのだ。もう会わないと。 新は振り返らずに口を開いた。 「もう、俺には関係のないことだ」 そう言うと、再び歩き始めた。 「先輩!」 洋二が追いかけても、新は土手に行こうとはしなかった。 「まどか?」 声をかけられ、まどかは俯いていた顔を上げた。 「どうしたの? 泣いてるの?」 この優しい声は・・・・・・。 「おね・・・・・・ちゃん?」 「そうだよ」 久しぶりに聞く姉の声にまどかはまた涙を流した。 「ちょっと、まどか。どうしたのよ」 姉は優しくまどかを抱きしめた。 姉、舞子はまどかより四つ年上で今は東京の大学に通っている。上京して一人暮らしのため、こっちに戻ってくるのは滅多にない。 舞子は家族で唯一普通に接してくれる人だった。親なんかとは大違いだ。 「気分、落ち着いた?」 舞子に聞かれ、まどかは頷いた。 「でも・・・・・・お姉ちゃんどうして? 休みでもないのに」 そう聞くと、舞子は苦笑した。 「実はね、お母さんから電話があったの」 「え?」 思わず自分の耳を疑う。 「まどかの様子がおかしいから、一回帰ってきてって」 「お母さんが、そんな電話を?」 思ってもみないことにまどかは驚き入っていた。 「お母さん、まどかのこと心配だけど、どうしたらいいのか分からないみたい」 「そ、っか・・・・・・」 やっぱり自分でフィルターをかけてたんだと今更ながらに気づく。 「で? 何があったの?」 突然本題に入る舞子に、まどかはどうやって話そうかと悩んだ。だが、ありのままを話すことにした。 うまく伝えられたのかは心配だが、舞子は最後までちゃんと聞いてくれた。 「そっか。まどかはその新くんにもう一度会ってお礼を言いたいのね?」 「うん」 「好きなんでしょ? その人のこと」 舞子にストレートに聞かれ、まどかの顔はボンッと赤くなった。 「え? いや、あの・・・・・・そういうわけじゃ・・・・・・」 「何隠してんのよ。素直に言えばいいじゃない。あたしには言えるでしょ?」 まどかは躊躇ったが、小さく呟いた。 「う、うん。好き」 初めて口にして、少しすっきりする。 「お礼だけじゃなくて、もう告っちゃえば?」 「ええ?!」 舞子の突拍子のない提案に、まどかの体温が一気に上昇する。 「そ、そんなの無理だよ」 「どうして? 大丈夫よ。まどかなら言えるって」 どこにそんな保障があるんだろう? 何が大丈夫なんだろう? 「だって、あれだけ人と接するのを避けてたまどかが、心を許した人なんでしょ? それに向こうだって、嫌なら毎日会いに来ないよ」 それはそうかもしれない。でも・・・・・・。 「でも『もう会わない』って言われた。それは、もう嫌になったってことでしょ?」 まどかは震える声を絞り出した。 「そうとは限らないわよ。『嫌になった』なんて言われてないんでしょ?」 「それは・・・・・・そうだけど」 急に自信がなくなってきた。 会ってどうすると言うのだろう? お礼が言えればそれでよかったのに。それさえも聞いてもらえなかったらどうしよう。 「怖いよ・・・・・・。怖い。」 臆病がまた顔を出す。体中が震えているのが分かる。まどかは自分の両腕を抱いた。 そんなまどかの肩を舞子は優しく抱いた。 「ねぇ。まどか。怖いのは当たり前なんだよ。人と接するって言うのはそういうこと。嬉しかったり楽しかったりってだけじゃない。時々、怖くて逃げ出したくなる。でもね? 勇気を出してそれに立ち向かって行けば、例えダメだったとしても、一回り大きくなれるよ」 舞子の言葉が胸の奥に響いた。まどかは決意した。 「お姉ちゃん。お願いがあるの」 まどかの声が震えている。 「ん? 何?」 「あたしを、新くんの学校まで連れて行って」 |