font-size       
ACT.4 フィルター
 数日後。
 洋二はいつものように土手に向かう予定だった。きっと今日もきっと新とまどかがいるだろう。
「おい」
 背後で声がし、振り返ると、ガラの悪そうなヤツが一人立っていた。また喧嘩に巻き込むつもりか? と睨みを効かす。
「何?」
「お前、須藤新を知ってるよな?」
 新の名前を出され、洋二に妙な緊張が走る。平常心を保ちつつ、聞き返す。
「それが何か?」
「ちょっとお遣い頼まれてくれや。これ、渡すだけでいいからさ」
 男は白い封筒を差し出した。
「んじゃぁ、よろしくねぇ」
 男はケタケタ笑いながら、手を振って去って行った。
「何だ?」
 洋二は封筒を見て血の気が引いた。
「ま・・・・・・まさか」
 恐る恐る封筒の中身を見る。
「やっべっ!!」
 洋二は慌てて新の元に走った。

 新はいつものように土手に来ていた。しかしまどかの姿が見当たらない。いつもなら先に来ているのに・・・・・・。変だと思いながらもいつもの定位置に座る。
 不思議だった。少し前まで隣に誰もいないのが当たり前だったのに、今ではまどかがいないとどうも変な感じがする。
「んあー」
 新はノビをしながら、そのまま後ろに倒れた。
(そういや・・・・・・)
 まどかに初めて会った時は、こうやってると上から降ってきたんだっけ?
 まさかあの日から彼女と仲良くなるなんて思ってもみなかった。
「このままじゃ・・・・・・ダメなのに・・・・・・」
 新は左腕を目の上に置いた。彼女とは距離を置かなきゃいけないはずなのに、どうして離れられないんだろう?
 本当は分かってる。彼女に惹かれてるからだって。
「センパーイ!!!!」
 悩みを吹っ飛ばすかのような甲高い声が聞こえた。
 だが少しいつもとは声のトーンが違うと気付き、新は腕を少しずらした。洋二が息を切らせて、新の目の前に顔を出す。
「先輩! 大変です!!」
「あ? 何が?」
 洋二は呼吸を整えた。
「先輩、落ち着いて聞いてくださいね」
 そう忠告され、新はとりあえず身体を起こした。洋二がいつになく真剣だ。
「まどかさんが誘拐されました」
 その言葉に思わず立ち上がった。
「どういうことだよ!」
「これ・・・・・・!」
 そう言って渡されたのは、汚い字で【果たし状】と書かれた封筒だった。新は封筒を破り捨て、中身を取り出した。
『須藤新。カワイイ彼女は預かった。助けたくば、波止場近くの倉庫へ来い。一番奥の倉庫で待ってる。 山崎純一』
 読み終わった新はその紙をぎゅっと握り潰した。
「ふざけやがって!」
 新の目は怒りに燃えていた。怒らせたら誰にも止められない。新はくしゃくしゃにした紙を捨て、走り始めた。
「あ、先輩! 待ってください! 俺も行きます!!」
 その声に、新は立ち止まり、振り向いた。
「お前は来るな!」
「何でっすか?!」
 拒否され、洋二はムッとした。
「お前を巻き込みたくねーんだよ!」
「巻き込んでください!」
 思わぬ切り返しに新は次の言葉を失った。
「巻き込んでくださいよ。俺、先輩の役に立ちたいんです!」
 いつになく真剣な眼差しに、新は折れた。
「分かった。足手まといだけにはなるなよ」
「はい!」

 山崎純一は誇らしげに笑っていた。
「先輩、須藤のヤツ来ますかねぇ」
「来るに決まってるだろ」
 手下どもに茶々を入れられようが、山崎には絶対の自信があった。
 須藤新は必ず来る。
 山崎はチラリと連れてきた少女を見やった。この前、土手で新と一緒にいた女の子。本当に普通の女の子だ。顔は……結構カワイイと思う。
 だが、彼女は目が見えない。これは好都合だった。顔を見られる心配ないし、例え逃げられても、ココがどこかなんて分からないから逃げようがない。
「この勝負、勝ったな」
 新にはとにかく腹が立っていた。
 喧嘩を吹っかけても、ヤツに今まで勝てたことがなかった。更には何かと目立つ上に、自分が惚れた女の子がヤツに好意を持っていたこと数回。思い出すだけで腸が煮えくり返るようだ。
「あの・・・・・・あなたたちは誰なんですか?」
 少女が口を開く。確かにイキナリ連れて来られたら、不安になるだろう。
「安心しな。キミに手を出そうなんて思ってないから」
 山崎はまどかに近寄った。純粋な目が眩しい。
「新くんの・・・・・・知り合い?」
「・・・・・・知り合いっちゃ知り合いかな」
 答えを聞いてもまどかは眉を寄せたままだった。こんな険しい顔をしていてもかわいい。 これがアイツの彼女だと思うともっと悔しい。
「あたしをこんなとこに連れて来て……。何が目的なの?」
 人気がない場所だと言うことは分かっているようだ。
「キミは須藤を呼び寄せるおとりだよ」
「おとり?」
「そう。須藤はキミを助けに一人でココに来るだろう。そうすれば、ヤツは袋のネズミだ。ココをヤツの墓場にしてやる」
 山崎の言葉でまどかの血の気が引いた。まどかの顔色が変わったのを見て、少し言いすぎたかと思ったが、本当に墓場にするつもりなので訂正しない。
(あたしのせいだ・・・・・・)
 まどかはあっさりと捕まってしまった自分が悔しかった。もし目が見えていれば、逃げられたかもしれないのに・・・・・・。新に迷惑をかけてしまった自分が許せなかった。
 だが、いつまでも悔しがっている場合じゃない。この状況から抜け出さないと。幸いにも手が縛られているだけで、足は自由だ。もし目が見えていればとっくに逃げ出してるのに・・・・・・。
(ダメダメ。そんな考えだからいけないんだ)
『もしも』ばかりを考えていては、現実は見えてこない。まどかは気配で人数を数えた。
(・・・・・・六・・・・・・? ううん。もっといる。)
 なんてヤツだろう。新一人相手に大人数で迎えるなんて。これじゃあ圧倒的に新が不利だ。
 それより、そもそも助けなんて来るんだろうか? あの男は確信しているようだが、まどか自身はそこまで自信はなかった。
(もし来なかったら・・・・・・)
 また『もしも』の場合を考えている自分に気付き、頭を振った。
(ダメ。そんなこと考えちゃ)
 ふと潮の香りがした。
(海の近く? てことはここは使われなくなった倉庫?)
 逃げられたとしても、この辺はあまり来ないので道がよく分からない。
(どうしよう・・・・・・)
「おい。」
 山崎がどうやら手下に何かを指示したのが分かった。するといきなり誰かに腕を掴まれた。
「きゃっ」
 驚きのあまり声が出る。
「悪いな。キミは大事なお客様なんでね」
 山崎の声がした。まどかは手下によって柱にくくりつけられてしまった。
(これじゃあ・・・・・・逃げられない・・・・・・)
 まどかはどうしていいか分からず、ただ呆然としていた。

 新と洋二は急いで現場に向かっていた。自分の全力疾走について来られるのだから、洋二は大したものだと新は思った。
「いいか。俺があいつらを引きつけてる間に、お前はまどかちゃんを見つけてすぐに安全な場所へ連れてくんだぞ」
「でも先輩は?」
 洋二が心配そうな顔で新を見つめた。
「俺は大丈夫」
 どこからそんな自信が出てくるのだろうか。
「絶対先輩が不利ですよ! 俺も戦います!」
「ダメだ」
 即答される。
「どうして?!」
 思わず喧嘩腰になってしまう。こんなところで仲間割れしてる場合ではないのだが。
「いいか。お前の使命は飽くまで『まどかちゃんの救出』だ。余計なことは考えるな」
「でも・・・・・・!」
「俺の役に立ちたいんだろう?」
 新の言葉に洋二はハッとした。洋二は黙って頷いた。
「なら、俺の言う通りにしてくれ。俺は大丈夫だから」
『大丈夫』なんて保障ないのに、どうしてこの人は危ない目にばかり遭おうとするのだろう。洋二は溜息をついた。
「・・・・・・じゃあ、まどかさんを安全な場所へ連れて行ったら、俺も戦います」
 洋二の言葉に新は呆れたように溜息をついた。
「お前なぁ」
「先輩が何を言おうと! 俺は先輩が心配ですから」
 洋二の真剣な眼差しに新は観念した。
「分かったよ。だけどホントにまどかちゃんを助けてからだぞ」
「はい!」
 そんな会話をしている間に、あの【果たし状】に書いてあった場所に到着した。ここは波止場近くの使われなくなった倉庫街。取り壊されもせず未だに残っている。簡単に出入りできるのはどうかと思うが。
「裏に回って中の様子見て来てくれるか?」
「はい!」
 洋二が元気良く返事をし、倉庫の裏手に回った。

 倉庫の裏でちょうどいい大きさの換気口らしい窓を見つけ、中を覗く。すると柱にくくりつけられてるまどかを見つけた。
 洋二は急いで戻り、報告をする。
「先輩。まどかさんは、奥の柱にくくりつけられてます」
「敵は?」
「見張りは二人。後ろから気付かれずに行けば何とか」
「よし。行けるか?」
「這って行けば、何とか俺は行けますけど。まどかさんは・・・・・・」
「どうにかなるだろう。できれば、俺がヤツらを惹きつけてる間に逃げろ」
「分かりました。・・・・・・先輩。無理はしないでくださいね」
「もちろん」
 新の返事を聞くと、洋二は裏に回った。
 しばらくして洋二から携帯のワンギリがある。準備完了と判断し、新は倉庫の扉を勢い良く開けた。

 キィー。
 倉庫の扉が軋んで開いた。山崎が扉の方を見やる。
「来たか」
 少し嬉しそうな声だとまどかは思った。
「ったく。やることが汚ねぇんだよ」
「こうでもしねぇとお前は来ないからな」
 山崎がすぐに切り返す。ゆっくりと新は倉庫に入った。
「大体、まどかちゃんは関係ないだろ」
 倉庫に響くその声はまどかには聞き覚えがあった。
(新くん・・・・・・)
 信じられない。まさか本当に来てくれるなんて思わなかった。
「へぇ。まどかちゃんって言うんだ」
 意地悪く言う山崎に新は歯軋りした。
「いいねぇ。お前のそういう顔」
 変態な発言に新はキレた。
「てめぇの汚ねぇとこには心底うんざりだっ!」
 新の言葉に今度は山崎がキレる。
「てめぇはうぜぇんだよ! やっちまえ!」
 山崎の号令と共に、手下どもが一斉に新に向かってゆく。周りにいたはずの足音が遠ざかって行くのに、まどかは気付いた。
(い、今のうちに・・・・・・)
 まどかは縛られている縄を解こうとしたが、解けるわけがない。
「まどかさん」
 急に背後から声がした。だが、聞き覚えがある。
「洋二くん?」
「そうです。助けに来ました。安心してください」
 そう言いながら洋二はまどかの手の縄を落ちていた硝子の破片で切った。やっと自由になったことで少しホッとする。
「逃げましょう」
 洋二はまどかの手を取った。
「でも・・・・・・新くんは?」
「先輩なら大丈夫です。とにかく安全な場所まで逃げましょう」
「う、うん」
 洋二はうまくまどかを誘導しながら、這って入ってきた窓から同じように這って出た。
「おい。逃げたぞ!」
「げっ」
 窓からうまく出られた瞬間に見つかってしまった。
「まどかさん、走って!」
「うん!」
 洋二はまどかの手を取って走り始めた。まどかは一生懸命ついて行ったが、途中で足がもつれ、転んでしまった。
「あっ!」
 洋二が慌ててまどかを抱き起こす。
「大丈夫っすか? 怪我してないです?」
「だ、大丈夫」
「いたぞっ!」
 追っ手はすぐそこまで来ていた。洋二は焦った。迷っている暇はない。
「まどかさん! ごめんなさい!!」
 そう言うと洋二はひょいっとまどかを抱き上げた。
「え? え?」
 状況がいまいち分からず、まどかは頭がパニックになった。
「よ、洋二くん?」
 お姫様抱っこをされたのは、初めてだったので、まどかはとても恥ずかしくなる。
「すいません。安全なところまで行ったらすぐに下ろしますから!」
 洋二は必死で走った。

 いつの間にか街の中に入っているようだ。周りがざわついている。まどかは顔から火が出るほど恥ずかしかった。
 洋二は路地に入り、闇雲に走った。追っ手の声や足音が聞こえないのでうまく撒いたのだろう。それに気付いた洋二は、ゆっくりとまどかを下ろした。
「すいません。これしか方法なくて」
 洋二は息を切らしながら謝った。まどかは首を横に振った。
「ううん。でも・・・・・・重かったでしょ?」
「いえ。まどかさん、軽かったっすよ。それに俺チビだけど、力には自信ありますから」
 まどかは洋二の言葉に思わず笑ってしまった。それにしても何か大切なことを忘れている気がする。
「あ! 新くんは?」
「あ、そうだ!」

 新は苦戦していた。いくら喧嘩の腕に自信があっても、一人で十人はキツすぎる。体力だって限界だ。
「どうした? お前ならこんなヤツら一網打尽なんだろ?」
 山崎が笑う。
「お前なら無理だろうな」
 新にそう返され山崎の顔は怒りで真っ赤になった。
「何だと!」
「大体、こいつらに喧嘩やらせといて、お前は高みの見物かよ。お前が俺のこと気に食わないんだろ? ならサシで俺と勝負しろや」
 新の挑発に山崎はまんまと乗った。
「いいだろう」
 山崎は新に攻撃していた手下どもを制した。
「お前とサシでやるのは、久しぶりだな」
 山崎がにじり寄る。
「そうだな。お前の腕が鈍ってないことを祈るよ」
 新は嫌味にそう言うと、山崎の余裕そうな顔が歪んだ。
「俺の怒りを買った事、あの世で反省するんだな!」
「それはこっちの台詞だ!」
 山崎の叫びに、新も叫ぶ。そして同時に右腕を振り上げた。

「洋二くん、どうしよう・・・・・・」
 戻る道のりで、急にまどかの落ち着きがなくなってきた。
「新くんに何かあったら、あたしのせいだ・・・・・・」
 泣きたくなる気持ちをまどかは必死に抑えた。洋二の腕を掴んでいる右手に思わず力が入る。
「大丈夫っすよ。先輩、結構強いんっすよ」
 洋二の励ましも、まどかには通じなかった。
「あたしが・・・・・・あたしなんかが新くんに関わったりしたから・・・・・・」
「それは違います」
 まどかの言葉はあっさりと否定される。
「先輩はまどかさんに出会って、表情が柔らかくなりました。多分本人は気付いてないけど・・・・・・。まどかさんに会う前の先輩は、いつも眉間に皺寄せてて・・・・・・何て言うか、苦しそうだったんです。俺がどうにかしたいって思ってたけど、何もできなくて・・・・・・」
 洋二の声が震えている事に気づく。
「洋二くん・・・・・・」
「まどかさんに会えて良かったって思ってます。少なくとも俺は。きっとまどかさんが先輩を救ってくれるって、そう思えたから」
 洋二は無理やり明るく言った。それはまどかに伝わっていた。
「違うよ。あたし、何もしてないもの。救われてたのは、あたしの方。新くんに勇気をもらってたの」
 まどかの目に涙が浮かぶ。いつしか二人は立ち止まっていた。
「・・・・・・あたし、ずっと自分がかわいそうだと思ってた。目が見えないことを、心のどこかでかわいそうだって思ってたの。・・・・・・だけど、新くんに出会って、目が見えないとかそういうの関係ないんだって思った。見えなくしてたのは、自分自身だったの。どこかでかわいそうだって思ってた自分が、自分で周りを見えなくしてたの。本当は・・・・・・手を差し伸べてくれる人はたくさんいたのに・・・・・・。自分でフィルターをかけてたの。心の目まで見えなくしてた」
 まどかの目から涙が溢れ出した。
「まどかさん・・・・・・」
「本当はっ! ・・・・・・本当はずっと前から分かってた。けど、勇気がなかったの。臆病になってた」
 そのまどかの台詞は、数日前の新と同じだった。
「いつも新くんに助けてもらってばかりで、何もできない自分が悔しい・・・・・・」
 まどかの大粒の涙が頬を伝い、地面に落ちた。
「まどかさんにできること、ありますよ」
「え?」
 思わぬ言葉にまどかは顔を上げた。
「先輩に笑いかけてあげてください」
「笑い・・・・・・かける?」
「はい」
「それだけ?」
「それだけです」
 まどかは何だか拍子抜けした。洋二は曖昧に笑う。
「こう言うのも変ですけど。先輩って見た目、めちゃくちゃ怖いんっすよ」
「そうなの?」
 初めて知る新の外見に、まどかは驚いた。
「まぁ目つきが人よりも悪いせいなんすけど・・・・・・。そのせいで、結構周りにビビられたりして、避けられてるみたいなんです。だから、あんまりないと思うんです。女の子に笑いかけられること」
「そう、だとしても・・・・・・。あたしなんかでいいの?」
「まどかさんだからいいんですよ」
 洋二のまっすぐな言葉に、まどかは照れた。
「やってみるよ。あたし。それで新くんに喜んでもらえるなら」
 まどかの言葉に、今度は洋二が嬉しくなった。
「行きましょう。先輩んとこ」
「うん!」


 二人はこっそりとあの倉庫に戻ってきた。様子を見るため、倉庫の裏から回る。
「洋二くん、見える?」
「何とか。どうやら、先輩のが勝ってるっぽいですけど・・・・・・」
「ホント?」
「ええ」
 まどかの後方で、カサッと音がした。
「洋二くん。誰かいる」
「え?」
「見ぃつけた」
 さっき撒いたはずの山崎の手下たちがニヤニヤとこっちを見ていた。洋二は咄嗟にまどかの前に立った。
「馬鹿だよなぁ。お前ら。のこのこ帰ってくるなんてさぁ」
「大人しくしとけば、何もしないって」
 四人に囲まれ、洋二は絶体絶命だった。逃げ場もなければ、四人も相手する腕もない。
「くっそ・・・・・・」
 洋二は歯軋りして悔しがり抵抗したが、あっという間に捕まってしまった。