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ACT.6 勇気
 翌日。今日もマジメに学校へ行った新は好奇の目に晒されていた。それもようやく慣れた。
 だが授業は相変わらずちんぷんかんぷんで、教師が黒板に書いてる文字が何かの呪文にしか見えない。
「たりぃ・・・・・・」
 そうぼやきながらも一応ノートはきちんと取り、遅れた分を取り戻そうとしていた。
 将来のことなんて、まだどうするかなんて決めていない。クラスの大半は進学のようで、置いてきぼりを食った新は進学はもう既に諦めている。
 就職と言ってもちゃんと就職できるのかも分からないし、大体卒業できるのかも怪しかった。
 とりあえず今の新にできることは、出席日数を何とか稼いで、だいぶ置いていかれている勉学に必死について行くことだった。

 それでも時々まどかのことが脳裏に浮かんだ。
 今、彼女はどうしてるんだろう?
 そう思いかけて、新は頭を振った。
 いつまでもまどかのことを考え続けちゃダメだ。また会いたくなる。
 新はまどかのことを考えるのをやめて、授業に聞き入った。

 放課後。まどかは舞子と共に新が出てくるのを待っていた。最初に会った日、学校名を聞いておいてよかったと思う。
「あれ? まどかさん?」
 話しかけられたその声は、洋二だった。
「洋二くん。新くんってまだ校内にいる?」
「はい。多分」
「そう」
 そう聞くと、また少し緊張が走る。
「貴女は?」
 洋二が隣にいる舞子に尋ねた。
「まどかの姉の舞子です。妹がお世話になってます」
 ぺこりとお辞儀され、洋二は慌てて頭を下げた。
「いや、こちらこそ」
「何やってんの? 二人とも」
 変に律儀な二人にまどかは思わず笑ってしまう。舞子と洋二もお互い顔を見合わせて笑った。

 今日も一日が長かった。新はやっと終わったという開放感に満たされながら、門を出た。
 その時だった。
「先輩!」
 聞き覚えのある声に、新はうんざりした。振り向きざまに怒鳴る。
「お前なぁ・・・・・・!」
 その瞬間、目の端にいるはずのない人物が映る。新は確認するようにその人物を見た。
「嘘・・・・・・だろ・・・・・・」
 新は立ち尽くしていた。そこにいるのは確かにまどかだった。洋二に言われ、まどかは新の目の前に来た。やっと我に返った新は、まどかに背を向けて歩き出そうとした。
「先輩!」
 洋二に呼び止められる。それに気づき、まどかも叫ぶ。
「待って。お願い。少しでいいから、あたしの話を聞いて」
 そう言った彼女は真剣そのものだったので、新はそれを聞くことにした。
「分かった。でもここじゃなんだから、場所を移そう」
 校門前なので、思い切り目立っている。これ以上好奇の目に晒されたくない新は、一刻も早くこの場所から離れたかった。
 納得したまどかが頷くと、四人は近くの喫茶店に場所を移した。

 まどかと新が向かい合わせに座る。洋二と舞子は近くの席に二人から離れて座って二人を見守った。
 新はアイスコーヒー、まどかはオレンジジュースを注文し終わると、沈黙が訪れた。
 まどかの心臓は早鐘のように鳴り始めた。
(落ち着け。大丈夫)
 そう言い聞かせ、呼吸を整える。
「ごめんね。学校まで押しかけて」
「いや・・・・・・別にいいけど」
 次の言葉がなかなか出てこない。意を決してまどかは声を絞り出した。
「お礼がね、言いたかったの」
 思わぬ言葉に新が驚く。
「お礼?」
「うん。あの日、ちゃんとお礼を言えなかったから。助けてもらったのに・・・・・・。本当にありがとう」
 まどかは深々と頭を下げた。
「いや。元はと言えば俺が原因だし、お礼とか言われるようなことじゃないよ」
 新がそう言うと、まどかは「ううん」と頭を振った。
「それだけじゃないの。あたし、極端に人を避けてた。あの日、新くんに初めて会ったとき、自分でもびっくりしたんだ。人を避けてたはずなのに、受け止めてくれた新くんの手の暖かさが心地よくて。いつの間にか自然と心を開いてた。新くんには何でも話せたし、新くんなら分かってくれるってどこかで期待してた」
 そこまで一気に喋り、深呼吸をする。
「だから嬉しかったの。毎日会いに来てくれたこと、いつも勇気をくれたこと、心にフィルターがかかってることを気づかせてくれたこと。全部、全部感謝してる」
 そう言うと、一拍置いて新も口を開いた。
「それは俺もだよ」
「え?」
 意外な返答にまどかは驚いた。
「俺もまどかちゃんに勇気もらってた。毎日まどかちゃんと話す時間が、何よりも大切だった」
「だったら何で・・・・・・?」
 どうして会いに来てくれないの? そう聞きたいのに、声が出ない。
「ダメなんだよ。俺の傍にいたら、まどかちゃんをまた危険な目に遭わせてしまう。それだけは嫌なんだ」
 まどかはどう返していいか、分からなかった。それは自分のためを思ってくれているのだと思っても、納得できない。だけど上手く言葉が出てこない。
「分かって。もう、これで最後にしよう」
 新はコーヒーを飲み干すと、伝票を取ってレジへ歩いて行った。

 まどかは動けずにいた。新の声の感じからして、迷惑そうだった。もうこれ以上何を言っても無駄なんだろうか?
「まどか。帰っちゃうよ? いいの?」
 舞子が傍まで寄ってくる。洋二もまどかに近寄った。
「まどかさん。先輩だって本当はまどかさんと離れたくないって思ってるんですよ! でも・・・・・・先輩は怖いんだと思うんです。まどかさんを失うのが、きっと今一番怖いんだと思います。だったら、自分から離れようって・・・・・・そう思ってるんだと思います」
 洋二の言葉にまどかは立ち上がった。舞子に連れられ、新を追う。
「新くん、待って!」
 舞子が新を見つけると、まどかがそう叫んだ。新は立ち止まったが振り向かない。まどかは舞子に頼んで新の近くまでやって来た。
「ホントは・・・・・・ホントは知ってたの」
 まどかの言葉に新は怪訝に思いつつ振り返る。
「何を?」
「新くんが・・・・・・不良だってこと」
 思わぬ言葉に新は目を見張った。
「初めて会ったとき、受け止めてくれたとき、煙草の匂いがした。手を触ったとき、傷があった。雨宿りした時、高三だって言ってたから・・・・・・」
 何だ、最初からバレてたのか。新は溜息のように言葉を漏らした。
「そっか」
「だけど『不良ですか?』なんて聞くのおかしいし、話してみるとすごく話しやすい人だったから、触れなかったの。そんなの、関係ないもん」
 なぜだか涙が込み上げて来る。まどかは必死に堪えた。
「でも、今日は煙草の匂いしなかったね。煙草、やめたの?」
「な、んで・・・・・・」
 新は驚いた。まどかは涙で潤む目をごまかす様に笑った。
「言ったでしょ? あたし、耳と鼻はいいんだって」
 その瞬間、新はまどかをとても愛しく感じた。気がつくと、まどかを抱きしめていた。
「新くん・・・・・・?」
 突然のことに、まどかはどうしていいのか分からなかった。ただとても大きな彼の体温がすごく心地よかった。
「俺、喧嘩もやめた。結局俺は・・・・・・ただ孤独を紛らわせたかったのかもしれない」
 新の声が耳元で響く。
「新くんは、一人じゃないよ」
「え?」
 まどかの言葉に新は驚き、まどかから離れた。
「新くんがあたしの勇気になってたように、あたしも新くんの勇気になってたんでしょ? 新くんの傍には、あたしがいる。それに洋二くんだっているじゃない」
 新はふとまどかの少し後ろにいる洋二を見やった。こちらを見て微笑んでいる。
「頼りないって思うかもしれないけど、あたしは新くんの傍にずっと居たいって思う」
 まどかの言葉に心が揺れる。まどかは震える声で続けた。
「あたしは・・・・・・あたしは、新くんのことが好き。だから・・・・・・もう会わないとか、言わないで」
 堪えていた涙が頬を伝った。まどかは手の平でその涙を拭った。
「それに、あたしがまた喧嘩に巻き込まれたら、新くんが助けに来てくれるんでしょう?」
 そう言って微笑んだまどかに、新は負けた。
「そうだな」
 新は再びまどかを抱きしめた。

「あのぉ・・・・・・先輩?」
「何だ?」
 せっかくのいいところなのに、邪魔しないで欲しい。
「道の往来ですけど・・・・・・」
 洋二の言葉に我に返る。行き交う人が、ばっちりこっちを見ている。新は慌ててまどかから離れた。
 あまりの慌てぶりに後ろで見ていた舞子がプッと吹き出した。それに釣られて洋二も笑い、まどかも笑った。
「笑うな! お前らっ!」
 赤くなって怒る新に余計に笑いが込み上げてきた。


 それから新たちは再びあのいつもの土手でたわいもない話をする日常を取り戻した。

 今日も新は学校へ行ってから、土手に向かっていた。
「センパーイ!」
 また能天気な声が聞こえてくる。
「何だ? 楊枝」
「俺は洋二です!」
 この反応がおもしろくてからかっていることに、彼は気づいているんだろうか?
「今日も行くんですか?」
「もちろん」
 並行に歩きながら答える。洋二は嬉しいような寂しいような複雑な思いが胸の中に渦巻いていた。それを隠しながら、新を見上げた。
「あ、そういや先輩」
「あ?」
「まどかさんに告白したんですか?」
「ぶっ!」
 洋二の突然の質問に新は思わず噴出した。
「な、おまっ!」
「だって、先輩はまどかさんに告白されたじゃないですか。それなのに先輩はそれに対して『好きだ』とか言ってないんですよね?」
 洋二は淡々と言っているが、聞いてるこっちの方が赤くなる。
「・・・・・・言ってない」
 真っ赤になる顔を新は右手で覆った。
「何で言わないんですか?」
「そんな簡単に言えるかっ!」
 生まれてこの方告白なんてしたことないのだ。
「何なら俺がレクチャーしましょうか?」
「余計なお世話だっ!」
 真っ赤になって怒る新に洋二は思わず笑っていた。
「笑うなっ」
「まどかさん、先輩の言葉待ってると思いますよ」
「うるさいっ!」
 意地悪く言う洋二に、新は吠えた。

 ようやく洋二と別れ、まどかが待つ土手にやってきた。
「お待たせ」
 そう声をかけると、まどかは優しくこちらを見て微笑んだ。
 その瞬間、おとなしかったはずの心臓が暴れだす。新は心臓を抑え、まどかに気づかれないように隣に座る。
「いい天気だね」
「そうだな」
 少しの沈黙が流れた。
「あたしね、学校辞めてきた」
「え?」
 まどかの意外な言葉に新は驚いた。
「あたしにとって学校に行くことがストレスになってたみたい」
「そっか・・・・・・」
 それなら無理して行くこともないと新は納得した。
「・・・・・・すごく勇気が必要だった。だから、新くんにもらった勇気を使って、両親に言ったの。初めてだった。自分の気持ち伝えたの。反応が怖かった。ただでさえ迷惑かけてるのに、学校に行きたくない、だなんて・・・・・・」
 まどかの声は震えていた。顔が見えない分、余計に怖かったのかもしれない。
「でも二人はちゃんと聞いてくれたよ。新くんが言ったみたいに、あたしも心にフィルターをかけてたみたい。両親はずっとあたしのこと、心配してくれてたの。だけどそれをあたしが知らず知らずのうちに拒んでた。あたし、がんばってフィルター外したよ?」
「そうだな。がんばったな」
 そう言うと、まどかの目が潤んだ。
「今度は新くんの番だね」
「え?」
 突然振られ、新は驚いた。
「お父さんと、ちゃんと話し合ったことないんでしょ? 話せばきっと分かってくれるよ。両親に言われたの。『子供のことを考えていない親なんていない』って。あたしもそう思う」
「そうだな。話してみるよ。親父と」
 そう言うと、まどかは嬉しそうに笑った。


 その夜、新は父親の帰りを家で待っていた。今日も仕事が長引いているらしい。
 疲れた顔で帰ってきたのは、日付が変わった頃だった。
「親父。おかえり」
 思わぬ息子の出迎えに驚いた顔をしたものの、「ただいま」と返した。
 新の横を通り抜け、父はリビングへ向かった。新も父を追う。
「親父。ちょっといいか?」
 父はスーツを脱ぎながら、こちらを一瞥した。
「何だ?」
「今まで・・・・・・悪かった」
 頭を下げた新に父は驚いているのか、何も言わなかった。
「俺、お袋が居なくなったのはずっと親父のせいだって思ってた。ずっと・・・・・・憎んでた。だけど、俺もどうしたらいいのか分からなくて。ただ、怖くて・・・・・・」
 手が震える。新は必死に震えを抑えた。
「喧嘩ばっかしてたのは、ただ寂しかったんだ。孤独を紛らわせたかっただけ。親父にどう接していいか分からなくて、逃げてばっかりいたんだ。だけど・・・・・・」
 新は顔を上げ、父を見た。
「だけど、このままじゃいけないって・・・・・・逃げるのはもうやめようって思ったんだ。だから、俺はもう喧嘩はしない。学校もちゃんと行く。ちゃんとした大人になれるように努力するよ」
「言いたいのは、それだけか?」
 父の言葉に頷いた。
 怖い。父親の反応が怖い。殴られるのは覚悟してる。けど怖い。
 父が新に近づいた。殴られると思い、歯を食いしばって目をぎゅっと閉じた。
「!」
 父の手が新を優しく包む。思わぬ行動に、新は驚いた。
「親父?」
「俺も悪かった」
 新の言葉に重なるようにそう言った。
「え?」
「俺も分からなかったんだ。子育ては母さんに任せきりだったから。どうしたらいいのか分からなかった。父さんも、逃げてたんだ。仕事に。お前が悪い方向へ行くのを止められなかった。ごめんな」
「親父・・・・・・」
 父の言葉が胸を震わせた。やっと本音で話し合えたと思った。
『子供のことを考えていない親なんていないんだよ?』
 まどかの声が頭の中に浮かんだ。
(うん、その通りだな)

 その夜、何年かぶりに一緒に夕食をとった。