novela 【裏切り者】エントリー作品− 

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  ACT.1  壊頽(かいたい) 1-4  

 誘ったのはこちらなので、指定された場所まで行くと伝えたのだが、忠和は近くにいると言って迎えに来てくれた。
 マンションの近くで待っていると、高級車が目の間で停まる。
 まさかと思いつつ見ていると、運転席からスーツを着た男性が降りてきた。
「江藤美奈子さんですか?」
 確認されたので頷く。
「あ、はい」
「どうぞ」
 運転手はそう言うと、後部座席のドアを開けた。されたことのない対応に緊張しながら、開けられたドアに顔を覗かせると、忠和と目が合った。
「お待たせしました。どうぞ」
 そう言って彼は美奈子を招き入れた。乗り込むと運転手がドアを閉め、運転席へと回る。
「すみません。突然お呼び立てして……」
 美奈子がそう言うと、忠和は「とんでもない」と返す。
「嬉しかったですよ。ご連絡くださって。数回しかお会いしていないのに、急にあんなことを申し出て、美奈子さんが気を悪くしたんじゃないかって心配だったんです」
 そう言って忠和は相変わらず柔らかく笑った。

 着いた店は高級ホテルの系列が経営するレストランだった。
「どうぞ」
 椅子を引かれ、座らされる。そんな些細な心遣いに緊張が高まった。
「いいのでしょうか? こんな高級なところ……」
 恐る恐る訊ねると、忠和は微笑み返した。
「心配しなくても大丈夫ですよ。ここは父の会社の系列ですから」
 あっさりと言い放った言葉に、美奈子は一瞬頭が真っ白になった。
 そうだった。この人は副社長だった。慣れていて当然だ。
「どうぞ。お好きな物を注文してください」
「あ、はい」
 そうは言われたが、メニューを見ても何を注文していいのか分からない。
 困っていると、忠和が口を開いた。
「よろしかったら、私がご注文しましょうか?」
「……はい」
 申し出に美奈子は素直に頷く。忠和はウエイターを呼ぶと、注文を始めた。

 美奈子はようやくゆっくりと忠和を見た。光俊より少し長めの黒髪を清潔に整え、スーツにはきっちりとアイロンがされており、いかにもトップに立つ人間だと分かるオーラをまとっている。
 だが、その笑顔は柔らかく、好感が持てる。雰囲気がどことなく光俊とかぶるのは、やはり“類友”というやつなのだろうか?
「美奈子さん」
「はいっ」
 突然声をかけられて、美奈子は少し驚き声が上ずった。しかし忠和は気にせずに話かける。
「もうだいぶ落ち着かれましたか?」
「あ、はい」
 気遣う声が嬉しかった。
「でも、まだ信じられません。実感がなくて……。ある日突然、ひょっこり帰って来るんじゃないかって……」
 そう言うと、忠和は伏せ目がちに頷いた。
「私もです。気付けば携帯を握ってしまいます」
 同じ様な行動をする美奈子は思わずクスリと笑う。
「同じですね。私もしてしまいます。もう電話はかかってこないって、分かっているはずなのに……」
 光俊の携帯電話は、今は彼の母親が使っている。息子の形見として。
「式の準備も、されてたんですよね?」
 そう訊かれ、頷く。
「はい。亡くなった週末に式場に打ち合わせに行く予定でした」
「そう、だったんですか……」
 忠和は『しまった』と言う顔をしたのを、美奈子は見逃さなかった。自嘲するように笑う。
「今ではもう、遠い昔のような気がします。たった二ヶ月しか経っていないのに……」
 先日四十九日が終わったばかりだった。それなのにどうしてこんなにも遠い過去に思えるのだろう?
「あまりにも急でしたからね」
 忠和が付け足すように言うと、美奈子は頷いた。
「ええ。まだ事件に巻き込まれて、亡くなったのなら、その犯人を恨むこともできますけど。彼は事故だったので、そう言う訳にも行かなくて……」
 そう言うと、忠和は一瞬驚いた顔をした。
「すみません。変なこと言いました?」
 訊くと、忠和は「いえ」と短く返事した。
「確かに……そうだなぁと思って」
 彼は美奈子のようには考えていなかったのだろう。
 微妙な空気になってしまい、美奈子がどうしたものかと悩んでいると、すぐに料理が運ばれてくる。まずは前菜のサラダだ。
「美味しそう」
 彩り鮮やかなサラダに目を奪われる。
「どうぞ。ご遠慮なく」
 勧められたので、美奈子は「いただきます」と言って、サラダを口に入れた。
「美味しい」
 美奈子の言葉に、忠和は満足そうに笑った。
「当店自慢の野菜とドレッシングです」
「そうなんですか。さっぱりしていて、とても美味しいです」
 そう感想を述べると、忠和は嬉しそうに笑った。

 その後も料理が運ばれてきては、忠和が説明してくれた。
 直接料理を作っている訳ではないのに、よく把握していることに美奈子は驚いた。
「良くご存じなんですね」
「一応経営者ですからね。お客様に提供するものを把握するのは当然のことですよ」
 そう言った忠和は、本当にこの仕事が好きなのだと美奈子は思った。

「すみません。御馳走になってしまって……」
 車内で美奈子が謝ると、忠和は笑った。
「いえいえ。こちらこそご連絡くださってありがとうございました」
 忠和はそう言って頭を軽く下げた。
「光俊がいないのが……残念ですけど」
 その呟きに、美奈子は「本当に」と頷く。
「あの……」
 忠和はかしこまり、美奈子に向き直った。
「また……お食事とかいかがでしょうか? もちろん、お嫌でなければですが」
 まさかの展開に驚きつつ、美奈子は頷いた。
「はい。もちろん」
 その返事に、忠和はホッとした顔を見せた。
「良かった。お仕事は、土日がお休みですか?」
「あ、はい」
「では、またご連絡差し上げますね」
「はい。お待ちしています」
 自分でも驚くほど即答していた。しかしそれは素直にもう少し話してみたいと思ったからだ。

 高級車が遠ざかって行くのを見送り、美奈子は自宅のマンションへと戻ってきた。
 短い時間だったけど、話をできて良かった。光俊の親友だった彼は、美奈子の気持ちをよく分かってくれた。
 家族や冴子とはまた違う気遣いが、何よりも嬉しい。まるで腫物を触るかのように、光俊の話題になるべく触れないのに比べ、忠和は光俊の事をよく話してくれた。だから自然と自分も光俊との思い出を少しだけだが話すことができた。
 少し胸の奥のモヤモヤがなくなった気がする。
 ぽっかりと空いた穴は、まだ塞がりそうもないが、この靄が少しでも晴れるのなら、今日の時間はきっと無駄じゃなかった。
 目を上げると、窓の外に青い空が見えた。美奈子はゆっくりと窓に近づくと、窓を開けた。
 少し肌寒い風が室内に吹き込んでくるが、気にせずに空を見上げる。
 結婚式の予定だった日はいつの間にか過ぎていて、季節は冬へと移り変わっていた。
 時が経つのは早い。けれどまだ二ヶ月しか経っていない。不思議な感覚に陥る。
「光くん……」
 呟いた声は秋風に乗って、空へと消えた。


「副社長。何を企んでるんですか?」
 美奈子を送り届けた後、会社に戻る道すがら、運転手を務めていた秘書がそう訊いてきた。
「企む? 心外だな」
 忠和はそう言って笑った。
「珍しいじゃないですか。あんな紳士的な副社長なんて」
「どう言う意味かな?」
 秘書の癖に毒舌な台詞に忠和のこめかみに十文字が入りかける。
「特別な方なんですか?」
 そう訊かれ、少しの沈黙が流れた。
「まぁ……特別と言えば特別、かな」
「亡くなった親友の婚約者だからですか?」
 間髪入れない直球な質問に、忠和は思わずバックミラー越しに見ている秘書を見た。視線がぶつかるとフッと笑い、顔を背ける。
「……かもな」
 忠和は流れて行く外の景色に視線を移した。
「斎木」
 しばらくの沈黙の後、忠和が秘書の名を呼んだ。
「はい」
「彼女の事をどう思う?」
 その質問の意図が分からず、斎木は聞き返す。
「どう思うとは? どう言う意味ですか?」
 そう訊き返されると、忠和は黙り込んだ。それにピンときた斎木は眉をひそめる。
「傷心の女性に手を出すなんて卑怯者のすることですよ!」
「えーい! 黙れ!」
 恥ずかしくなって思わず怒鳴る。
「その反応は昭和です」
 あっさり返されたツッコミに、忠和は顔が真っ赤になった。
「……お前は運転だけしてればいい」
 精一杯の大人の対応をすると、斎木は素直に「はい」と返事をした。
 こいつは冷静に人を怒らせるのが趣味なのかと時々思う。しかしきっと天然だ。
「ハァ……」
 小さく溜息を洩らすと、忠和は足元に置いていた鞄から書類を出し、仕事に戻った。
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