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 また憂鬱な朝がやってくる。亜由美は窓越しに太陽を睨み付けた。
 生きている価値なんてあるんだろうか?
 夢さえも見つからない。平凡な自分。進むべき道なんてあるんだろうか?

 亜由美は服を着替え、洗面所に行き、顔を洗った。櫛で荒くセミロングの髪をとき、ポニーテールを作る。
 普通大学生にもなれば、化粧の一つくらいはするのだろうが、亜由美は今まで化粧なんてしたことがなかった。興味がない訳じゃない。ただどうしたらいいのかよく分からないのだ。
 支度を整えると亜由美は荷物をつかんで家を出た。

 大学までは電車で二十分弱。亜由美は電車に乗り込むと、ウォークマンのイヤホンを耳に押し込んだ。再生ボタンを押す。
 流れてくる音楽はハードロック。むしゃくしゃする想いを自分の代わりに叫んでくれている気がして、最近はこればかりを聴いている。
 だけど心が満たされない。空しい。何をやっていても楽しくない。
 亜由美は流れる景色を見ながら溜息を吐いた。

 駅から大学までは徒歩十分。同じ場所へと流れる人の群れが現れる。この波に飲まれながら、流れに乗って大学へ向かう。毎日同じことの繰り返し。
 大学に入ってもうすぐ一ヶ月が経とうとしていた。だけど何をしたいのか、未だに自分でもよく分からない。したいことなんて見つからない。

 講義を終えた夕方、同じように電車に揺られて地元の駅に戻ってくる。
 駅を出ると、どこからか音楽が聞こえてきた。音がした方へ顔を向けると、そこにはストリートミュージシャンがいた。
 最近増えてきたなぁと辺りを見回すと、他にも数組が演奏している。
 ふとある一組のストリートミュージシャンに目が止まった。
 仲間とワイワイ言いながらギターをかき鳴らしている。どうやら今日初めて路上で演奏するようだ。
 しばらく見ていると、妙に緊張している一人が、ギターを抱え直して歌い始めた。
 歌は・・・・・・正直下手くそだった。だけど妙に応援したくなった。
 誰も止まって聞こうとしないその音楽に亜由美は足を止めた。少し距離を置いて彼を見守る。
 羨ましかったからかもしれない。彼らは本当に楽しそうに演奏していた。
 どうやったら、彼らみたいに夢を追いかけられるのだろう?

 夕食の時間が終わり、入浴を済ますと、亜由美はさっさと自分の部屋に戻った。
 家族が嫌いな訳じゃない。ただ一人になりたかった。
 亜由美は窓際にあるベッドに座り、窓の外を眺めていた。漆黒の闇が夜空を覆い、明かりを灯すように星が瞬いていた。亜由美はこの時間が好きだった。誰にも干渉されずに過ごせる。
 ずっと考えている問題の答えは、全く出てこない。何がしたいのか分からない。どうすればいいのかすら、全く分からない。
 孤独になるほど不安は大きくなった。だけど誰かにすがるほど、素直じゃない。
 亜由美は必ず訪れる明日に恐怖を覚えながら、布団に潜り込んだ。


 あれからいつの間にか一週間が経っていた。週一であのストリートミュージシャンは路上に出てくるようだ。亜由美は彼らに興味を持っていた。
 なぜあんなに楽しそうに笑えるのだろう?

 亜由美はいつしか彼らの音楽を聴くことが習慣になっていた。
 もっと聞いていたい。
 いつも聞いていたハードロックはもう聞かなくなっていた。下手だけど、彼らの曲の方が自分の心を少しずつ満たしてくれている気がした。

 彼らは日を増すごとに明るくなっていた。曲数も増えて、いろんな曲をセッションするのが本当に楽しそうだった。そんな彼らを見ているだけで、亜由美の心もほんの少しだけど落ち着いた。
 彼らの歌声に引き寄せられて少しずつ足を止める人も増えた。亜由美は何だか自分の方が嬉しくなっていた。

 そろそろ夏になろうとしていた六月。ある講義で課題を与えられた。
 課題だけならまだしも、教授が勝手にグループを組み、そのグループで課題をすることになった。男女混合四人のグループだ。
 亜由美は正直乗り気ではなかった。課題ぐらい一人でやった方が早いじゃないかと思ってしまう。
 グループ分けされた亜由美は不本意に思いながらも、仲間たちに短く挨拶をした。他のメンバーも短く挨拶を済ませたが、どうやら亜由美以外はすっかり仲良しのようだった。
 別にそれでもよかった。関わって欲しくもなかったし、関わりたくもなかった。彼らと関わるのは、課題を終わらせなければいけないからだ。
 そんなことを考えていると、メンバーの一人が勝手に話を進めていた。
「ケー番、交換しようぜ」
 その一言で全員が携帯電話を取り出す。亜由美も一応携帯電話を取り出した。親に持たされているだけで、実はあまり使ったことはない。
 携帯番号を交換し合ったメンバーは、課題の計画を立てることにした。この課題は夏休みを利用して行うものなのだ。
 だが亜由美にとって"仲間"と共に課題を進めなければいけないことがとても憂鬱だった。人付き合いはあまり得意ではない亜由美にとって、このメンバーと上手くやれるのかとても不安だった。亜由美の居場所はないように感じた。

 いつもより重い足取りで電車を降りる。
 本当にやって行けるんだろうか? 不安が渦巻く。
 たった一つの救いは、今日は彼らの演奏が聴けることだけだった。彼らの歌は何だか一週間の疲れをリセットしてくれるようで、心地がよかった。
 だが亜由美は気づいた。いつも率先して歌っている一人が今日は一度も歌っていない。彼はただギターを弾いているだけだった。
 何かあったのだろうか? 落ち込んでいるような、辛そうな顔をしている。
 その日のライブで、彼が歌うことはなかった。

 帰ろうと向きを変えた時、声をかけられた。
「大森さん?」
 顔を上げると、背の高い男性が立っていた。課題で同じメンバーの一人だと、すぐに気づく。
「やっぱり。ここで何してるの?」
 名前が思い出せないが、話しかけられたのでとりあえず答える。
「あ・・・・・・そこのストリートミュージシャンの歌を聞いてたの・・・・・・」
 目を合わせられないまま俯きながら言うと、彼は「そうなんだ」と人懐こく笑った。
「大森さんも地元ここだったんだね?」
 名前を必死に思い出しながら頷く。名前を覚えるのが苦手な亜由美は必死に記憶を探った。
「俺もここなんだ。偶然だね」
「そうだね・・・・・・」
 短く答える。気づくと顔を覗き込まれていた。驚きのあまり一歩後ずさる。
「な、何?」
「いやぁ、何で目見て話さないのかなって・・・・・・」
 少し悲しそうな声だったのが、何となく分かった。慌てて取り繕う。
「慣れて・・・・・・ないから。人と上手く・・・・・・話せないから」
「何だ、そうなんだ」
 亜由美の答えにホッとした様子で笑った。
「俺、嫌われてるのかと思った」
「そんなこと・・・・・・」
 その答えに彼は無邪気に微笑みかけてくれた。
「大森さん帰る方向どっち?」
 亜由美は指で方向を示し「こっち」と小さい声で答える。
「俺もなんだ。一緒に帰ろう?」
 彼はゆっくりと亜由美が指差した方向に歩き出した。亜由美も少し遅れて歩き出す。
「大森さんって、下の名前何だっけ?」
「亜由美・・・・・・」
「亜由美ちゃんかぁ。かわいい名前だね」
 生まれて初めてそんな事を言われたので、亜由美は顔が一気に赤くなった。
「あはは。余計かわいい」
 彼は悪びれもなく言う。からかわれているんだろうか?
「俺は町田智之って平凡な名前だしなぁ」
 聞くか聞かないでおくか悩んでいたのに、あっさりと名前を言ってくれたので、亜由美はホッとした。
(町田智之。町田智之。町田智之)
 心の中で連呼して覚える。せめてメンバーの名前ぐらい覚えておかなきゃ流石にまずいだろうな。
「あ、俺のことはトモでいいからね。他のやつらもそう呼んでるし」
 智之の言葉に亜由美は頷いた。かと言って、そんなすぐに名前でなんて呼べるだろうか?
「亜由美ちゃんさ、グループで他の三人仲いいなぁとか思ってるっしょ?」
 思わぬ言葉に驚いて、智之の顔を見た。
 何で分かったんだろう? 顔にでも書いてあったんだろうか? と不安になる。
 とりあえず亜由美は頷いた。
「やっぱりな。でも当たり前なんだよな。あいつらとは、小学校の同級生だから」
「そうなんだ?」
 ようやく亜由美は納得した。でも居場所がないことには変わりない。
「うんうん。中学とか高校はバラバラになっちゃったんだけど。親の転勤で隣の町に移ったりしてさ」
「へぇ」
「だから大学で一緒になったときはびっくり。グループ分けで更に一緒になってびっくり」
 オーバーリアクションで話す智之に、亜由美は思わずくすっと笑った。
「お? 亜由美ちゃん。笑った方がかわいいよ」
 照れもせずにそんな台詞を言う智之にこっちが恥ずかしくなる。
「あ・・・・・・あたし、こっちだから」
 何とか頑張って、声を絞り出した。
「そっか。送るよ?」
「いいよ。近いから」
 申し出は嬉しかったが、何だか恥ずかしくて、断った。
「そう? じゃあ、また明日ね。亜由美ちゃん」
「うん」
 バイバイと手を振る智之につられ、少しだけ手を上げてバイバイをする。

 智之と離れた亜由美は家に向かって全力疾走した。
 家に駆け込むと、一気に二階の自室まで駆け上がり、部屋に入って、背中でドアを閉めた。その途端、全身の力が抜け、床にペタンと座り込んだ。
「何・・・・・・あれ・・・・・・」
 今までこんなこと、なかった。どうしたらいいのか、分からない。
「亜由美? 帰ってるの? ご飯は?」
 ドアの向こうで母の声が聞こえた。
「いらない・・・・・・」
 それだけ言って、亜由美はようやく立ち上がり、ベッドに力なく倒れた。

 翌日。学校に行くと、智之が話し掛けてきた。他のメンバーも一緒にいる。
「亜由美ちゃん、一回きりじゃ名前覚えてないだろ?」
 智之は二人を改めて紹介した。
「このいっつもキャップかぶってるのが、川田昭弘。アッキーって呼んでやって」
「おい! お前今までそんな呼び方したことなかっただろ!」
 恥ずかしいあだ名に昭弘が怒鳴る。しかし智之は動じなかった。
「いいじゃん。かわいくて」
「そういう問題じゃねぇ」
「アッキー♪」
 女の子がププッと笑いながら、楽しそうに呼ぶ。
「てめぇ・・・・・・」
 そのやり取りに亜由美は思わず笑みが漏れる。
「んで、こっちが蓮井典子。ノリノリ典ちゃんって呼んでやってね」
「長いな、おい」
 典子が思わずツッコんだ。しかしすぐに亜由美に向き直る。
「典子でいいよ。亜由美ちゃん」
 楽しい三人に亜由美は頷いた。

 それからしばらくストリートミュージシャンのあの彼は全く歌わなくなっていた。
 歌うことをやめてしまったんだろうか? 何だか信じられない。あんなに楽しく歌っていた彼でも、何か悩みを抱えているんだろうか?
 最近初めて友達と呼べる人たちが周りに居るからか、亜由美は彼とは逆に毎日が楽しくなっていた。
 しかし歌わないのに必ず路上ライブには参加している彼を、亜由美は不思議に思っていた。
 楽しくなさそうなのに、どうしてギターを弾いているんだろう? 嫌ならやめればいいのに・・・・・・。
 そう簡単にはいかないのだろうか?

「なんだぁ。亜由美ってば隣の小中学校だったんだねぇ」
 出身地の話になり、亜由美が通っていた学校の名前を言うと典子が驚いた。
「偶然もすごいよなぁ。俺らは同じ学校だったし」
 昭弘が言うと、智之と典子が頷いた。
「教授知ってたのかなぁ?」
「んな訳ねーだろ。あの人のことだから絶対適当だ」
 智之の呟きに昭弘が間髪入れずにツッコむ。
「知ってたら違う人と組ませるでしょ? てか、ほとんど地元近い人の集まりだしねぇ。この大学」
 典子の口ぶりだとどうやら他にも地元出身者がいるようだ。
「なんだぁ? 元彼でもいたのか?」
「いるかもね?」
 昭弘の言葉に意味深に返す。
「やっぱりいるんじゃん!」
「さぁねぇ?」
 はぐらかす典子を見て亜由美は思った。昭弘で遊んでいるなと。
「はいはい。課題やろうね? アッキー」
「その呼び方やめい!」
 まるで漫才のような二人のやり取りがすごく面白い。亜由美は少しずつ笑うようになっていた。

 全く歌わなかったストリートミュージシャンは、いつからか再び少しずつ歌うようになっていた。
 何がどう変わったんだろうか? と不思議に思ったが、亜由美は正直ホッとした。また彼の歌を聞けることが嬉しかった。
 少しずつだが彼の曲が確実に増えている。少し前の彼が嘘のように、楽しそうに音楽を奏でていた。
 しかもある時から週一から毎日一人で路上に出てくるようになった。一人でも他のストリートミュージシャンに負けないほどの声量で歌を歌っていた。それが、亜由美にとって今までにない勇気をくれていた。自分も少しずつ変われるような気がした。

「ねぇねぇ。亜由美って好きなアーティストっている?」
 典子と課題をしている時、突然そんな話題になった。亜由美は自分がよく聞く音楽を考えてみる。
「んー・・・・・・。全然売れてない人。デビューもしてないし、名前も知らない人」
「何それ?」
 亜由美の不思議な答えに典子が眉をひそめる。
「ストリートミュージシャンなの。地元の駅前で歌ってて、すごく暖かい歌を歌う人」
「へぇ。そういやそういうの立ち止まって聞いたことないなぁ」
 亜由美の答えが意外だったのか、典子は少し驚いた。
「典ちゃんも聞いてみる? 最近毎日ライブしてるから、多分今日も居ると思うよ」
「うん。聞いてみたいかも」
 興味をそそられた典子は亜由美と一緒に路上ライブに行くことにした。

 夕方の駅前は少し混雑している。それでも亜由美はいつもの定位置に今日は典子と一緒に来ていた。
 亜由美はとても嬉しかった。初めてできた友達と、こうしてライブを見に来られるなんて・・・・・・。
 今日も時間通りに始まったライブに二人は聞き入った。
「へぇ。イケてるじゃん」
 典子の言葉に亜由美は自分のことのように嬉しくなる。
「でも最初はめちゃくちゃ下手だったんだよ」
「そうなの?」
 典子が聞き返したので、亜由美は笑いながら頷いた。
「うん。だけど毎日やってるせいか、歌もギターも曲もよくなってると思う。・・・・・・なんて偉そうに言えないけど」
 亜由美の言葉に典子は笑った。

 亜由美に加えて典子もあのストリートミュージシャンが気に入ったようだった。課題中に二人が話す話題は、そればかりだった。
「そんなにいいんだ?」
 興味を持った昭弘が話に入ってくる。
「すごく優しい歌が多いよね。恋愛の曲ばっかな気するけど」
 典子の言葉に亜由美は頷いた。
「へぇ。俺も聞いてみたいかも」
 智之も話に入ってくる。それじゃあ今度は四人で行こうという話になり、ライブの時間に間に合うように課題を終わらせた。

 亜由美は今までになく気持ちが安定していた。
 今まで友達らしい友達は居なかった。元々大人しい性格の亜由美は、小中学校ではのけ者にされた。高校は進学校だったので、友達云々よりも勉強が全てだった。今までそんな生活だったので、一人で居ることには慣れていた。
 初めてできた暖かい友達を大切にしようと思った。
 嫌われないように、余計ことは言わないように。安心感と裏腹に少し気を張り詰めていた。

 ただ彼の路上ライブの時だけは、張り詰めた心も解放できた。暖かく包み込んでくれる歌が亜由美にとってなくてはならないものだった。


 その日も亜由美は学校に来た。今日は午後からグループの課題をすることになっている。
 しかし教室から漏れる声に亜由美は立ち止まった。
「大森ってさぁ、笑うとかわいいよな?」
 誰が言っているのか分からないが、亜由美と話したことのない男子生徒だ。
「暗い感じしてたけど、そうでもないみたいだし」
 何だか段々教室に入りづらくなる。そんなことを言われたのは初めてだ。
「でも大森はトモが狙ってるからダメだってぇ」
 この声は恐らく昭弘だ。何を言っているのだろう? 亜由美は思わず眉をひそめた。
「なっ! ちっ、違うよ」
 慌てて否定する智之に、何故かチクッと胸が痛んだ。
「俺、別に亜由美のことなんて・・・・・・好きじゃねぇよ」
 その言葉に亜由美は呆然とした。
『嫌われた?』
 ショックのあまり、亜由美は来た道を戻ろうとした。その時、誰かにぶつかりそうになる。
「うわっ。びっくりした。どしたの? 亜由美」
 相手は典子だった。しかしどう言葉を発したらいいのか分からない。
「典ちゃ・・・・・・」
 声にならない。言葉も出てこない。
 今にも泣き出しそうな亜由美に典子が気づくが、亜由美は何も言わずに典子の隣をすり抜けて、走って行ってしまった。
「あ、亜由美!」
 慌てて呼び止めるが、亜由美には届かない。
 怪訝に思った典子は、教室のドアを思い切り開いた。
 談笑していた智之や昭弘たちが、その音に驚いて止まっている。
「典子? 何怖い顔してんだよ」
「あんたたち、さっき何の話してたの?」
 昭弘の言葉を無視するように質問する。しかし彼らは訳が分からず、間抜けな返事をした。
「へ?」
「今何の話してたのかって聞いてんのよ!」
「何怒ってんだよ」
 理不尽な怒りに思え、昭弘がふてくされたように言った。
「亜由美が泣きそうな顔でどっか行っちゃったのよ!」
「え?」

 亜由美はいつの間にか地元の駅を降りていた。
 行くあてもなくフラフラしていると、ギターを抱えてあの彼がやってきた。時計を見ると、いつの間にかいつものライブの時間だった。亜由美はいつもの定位置で彼の歌を聴いた。
 彼の歌は何故か恋愛の歌が多かった。恋なんてまともにした事はないが、暖かく優しい曲が亜由美の心を少しずつ癒していた。
 知らぬ間に涙が落ちる。
 どうして泣いてるんだろう? どうして智之の言葉に傷ついたんだろう?
 何か勘違いをしていたのかもしれない。暖かいあのメンバーの一員になれた気がしていた。でもそれは単なる勘違いで、居場所なんて最初からなかったんだ。
 彼の歌を聴きながら、亜由美は初めて泣いた。今まで冷え切ってたから、涙の一滴すら出なかった。でも暖かい彼らに触れていたから、凍った心が溶け出したんだ。だから涙が出るんだ。暖かい彼の歌に余計涙を流してしまった。

 家に帰った亜由美は何もする気が起こらず、ベッドに寝転がっていた。
「亜由美、お客さんよ」
 母の言葉に玄関に行くと、智之と典子と昭弘がいた。
「な・・・・・・んで・・・・・・」
「先生に住所教えてもらったの。携帯の電源切ってたから」
 典子が説明する。その言葉で電車に乗る時に携帯の電源を切ったままだったことを思い出した。
「亜由美、こいつらに聞いたよ。何話してたか。最低よね」
 典子は亜由美の手を握った。暖かいその手に亜由美は泣き出しそうになる。
「・・・・・・初めて・・・・・・出来た友達だったから・・・・・・仲良くしてくれて、すごく嬉かったの。だけど・・・・・・勘違いだったみたい」
 典子は泣き出した亜由美を抱き寄せた。
「まったく・・・・・・。男って馬鹿よね。思ってることと逆のこと言っちゃうんだもん」
「え?」
 典子の言葉の意味が理解できない。
「白状しろよ。トモ」
 昭弘が肘で智之を小突いた。
「あ・・・・・・えっと・・・・・・」
「はっきりしなさい!」
 なかなか言わない智之は、典子に一喝され昭弘に背中を押されて、ようやく意を決した。
「俺、ホントは亜由美のことが好きなんだっ!」
「え?」
 突然の告白に驚いて頭が真っ白になる。
「あの時、何か恥ずかしくて・・・・・・つい・・・・・・。亜由美を傷つけるつもりはなかったんだ。ごめん」
 素直に謝られ、亜由美の涙は止まった。驚きの余り、どう返していいのか分からない。
「亜由美、ちゃんと返事したげて?」
「あ・・・・・・えっと・・・・・・。あたしも好き・・・・・・なのかな?」
「聞かれても・・・・・・」
 亜由美の返事に智之がズッコける。
「あはは。どっちにしてもいいコンビだわ」
 典子と昭弘は二人のやり取りに笑った。

 生まれて初めてできた彼氏と言うものが、亜由美には何だかくすぐったかった。付き合い始めたと言っても、特に今までと変わるわけでもない。相変わらず四人で楽しく過ごしていたし、これからもそうでありたいと思っている。

「花火大会?」
「そう。亜由美も行くでしょ?」
 毎年お盆の時期になると、花火大会が開かれる。小さい時は親と一緒に行っていたが、そう言えばここ数年花火大会に行ったことがない。
 典子に誘われ、亜由美は頷いた。このメンバーとなら、一緒に行きたいと思う。
「よかった。ねぇ、浴衣着ない?」
「え?」
 突然の話に、亜由美は驚いた。
「うちの親なら着せてくれるから。ねっ? いいでしょ?」
「う、うん」
 典子の誘いに圧倒されながらも、亜由美は頷いた。確かにどうせなら浴衣を着るのも悪くない。
「場所取りは男共にやらせたらいいからさ」
「また面倒押し付けるぅ〜」
 昭弘が文句をたれる。
「うるさいわね。どうせ暇なんでしょ?」
 典子の言葉に昭弘は何も言えなくなった。この四人では一番典子が強いのだ。
 典子に押し切られるような形で行くことが決定したが、亜由美はとても楽しみだった。

 花火大会当日。典子の家で浴衣を着せてもらう。先に浴衣を着ていた典子が着付け中の亜由美に声をかける。
「亜由美、ちょっとあたし先行ってるわ」
「え? 何で?」
 一緒に行くものだと思っていた亜由美は焦った。
「あいつらがちゃんと場所取りしてるか心配なのよ。後からちゃんと迎えに来るから」
「う、うん」
 そう言われると、止める訳にはいかない。仕方なく納得する。
「じゃあ母さん頼んだよ〜。かわいくしたげて」
「もちろん」
 典子の母親は任せなさいと言わんばかりに答えた。そして典子は先に花火大会の会場へと向かった。

 着付けが終わり髪型を整えた頃、玄関のチャイムが鳴った。典子の母親が出る。
 生まれて初めて着る浴衣は少しきつい気がしたが、慣れればそうでもないようだ。
「亜由美ちゃん、お迎え来たわよ」
「あ、はい」
 亜由美は荷物を持って、玄関に向かった。するとそこには典子ではなく、智之がいた。
「の、典ちゃんは?」
 思わぬ人が来たので、亜由美は動揺する。
「昭弘と場所取ってる」
 浴衣姿の亜由美に照れているのか、珍しく目を合わせずにそう答えた。
『典ちゃんに仕組まれた?!』
 そう思いながらも、内心嬉しい。
「二人待ってるから行こうか?」
「うん」
 亜由美は智之と家を出た。

 花火がよく見える河原は既に人だかりができていた。
「やっぱさっきより人増えてるなぁ」
 智之は辺りを見回した。背が高いので、人の群れより一つ頭が飛び抜けている。
 先に歩いて行ってしまう智之に亜由美は必死について行ったが、慣れない浴衣や下駄で追いつけそうにもない。
 せっかくの花火大会なのに、どうしてこうなるんだろう? 亜由美は少し泣きそうになってしまった。
「亜由美!」
 呼ばれて顔を上げると、智之が心配そうに覗き込んでいた。
「ごめん。置いてって」
 謝る智之に亜由美は首を振った。気づいてくれただけで嬉しいと思うのは、単純なのだろうか?
「人も多いしさ、手繋ぐ?」
 思ってもみない言葉に亜由美は驚いた。
 黙ったまま頷くと、智之は照れたように笑いながら、亜由美の手を掴んだ。一回り以上大きな智之の手を亜由美はそっと握り返した。恥ずかしいような嬉しいような複雑な感情が駆け巡る。いつもよりも早い鼓動が聞こえていないか少し不安になった。しかし伝わってくる温もりに落ち着きを取り戻す。

 ヒュー・・・・・・ドーン。
 花火が打ち上がり、辺りが一気に明るくなった。
「うわ。始まっちゃったな」
 智之は一瞬花火を見上げ、すぐに亜由美に顔を向ける。
「あともうちょっとで着くから」
 二人は花火を横目に、立ち見をしている人を掻き分け、場所取りをしている典子たちの元にようやく辿り着いた。
「遅かったわね」
 典子がニヤニヤと亜由美と智之を見る。
「人多くて進めねぇんだもん」
 智之がそう言うと、典子は意地悪く笑った。
「ふーん。だからはぐれない様に手繋いだのね?」
「て言うか一回はぐれたから・・・・・・」
 馬鹿正直に言う智之に典子は思わずプッと笑った。そして真剣な顔を亜由美に向ける。
「亜由美、こんな男でホントにいいの?」
 意味深な問いかけに、亜由美は「へ?」とマヌケに返してしまう。
「お、おい、典子っ!」
 動揺する智之を典子が追い討ちをかける。
「置いてきぼりにする男なんてロクなもんじゃないわよ。それに亜由美かわいいからいい男すぐに見つかるわよぉ」
 亜由美はおろおろしている智之をジッと見て、口を開いた。
「そう思う? 置いてきぼりにされた時、そう思っちゃったんだよねぇ」
 典子の言葉に悪乗りすると、智之はショックを受けた。もちろんそんなことは一度も思っていない。
「ええええ? 亜由美ぃ・・・・・・」
 泣き出しそうな智之に三人が笑った。

 花火はまだ打ち上げられていたが、亜由美と智之はあのストリートミュージシャンがいる駅前に来ていた。毎日欠かさずに聞いているので、今日もやはり聞きに来たのだ。
「やっぱりいい曲だね」
 前に一度四人で聞きに来た時を思い出し、智之が呟いた。
「でしょ。勇気、もらってたんだ。彼に」
 そう言うと、智之は少し複雑な顔をした。
「好きだったとか?」
「まさか。名前も知らないんだよ?」
 そうは言ったものの、少し考える。
「でも・・・・・・『好き』って言えば『好き』だったのかな?」
「えっ?」
 亜由美の言葉に智之はとても動揺した。
「好きって言うより憧れかな?」
「憧れ?」
 聞き返され、亜由美は頷いた。
「あたし・・・・・・人と上手く付き合えなくて、大学で皆に会えてすごく嬉しかった。その反面、どうしたらいいのか分からなくて・・・・・・。彼ね、最初とぉっても下手くそだったの。だけど日に日に上手くなっていった。あたしも・・・・・・変われるかなって、思えるようになった。彼みたいに変われたらいいなって。だから・・・・・・憧れ」
「そっか。・・・・・・亜由美は変わったよ」
「え?」
 思わぬ言葉に、亜由美は智之を見た。すると、智之は優しく微笑んでくれた。
「最初会った時に比べて笑うようにもなったし、自分の意見も言うようになった。すごく変わったよ。いい意味でね」
「ありがと」
 智之の言葉を本当にありがたく思う。そう言ってもらえると、とても嬉しい。

 ある曲を歌い終わった彼は、その場を離れ、亜由美に向かってやって来た。不思議に思っていると、亜由美の目の前で立ち止まる。
「あの・・・・・・いつも・・・・・・聴きに来てくれてありがとう」
 一瞬驚いたが、毎日聴きに来ている事を知っていたようだ。一拍置いて返事をする。
「ううん。ちょうど学校の帰り道なんです。貴方の歌に凄く勇気付けられました。嫌なことがあっても忘れられたし、貴方の歌がすごく心地が良かったから。こちらこそありがとう」
 そう言うと、彼はホッとしたように笑った。
「・・・・・・拙い曲ばっかりだけど・・・・・・また聴きに来てくれますか?」
「もちろん。毎日楽しみにしてるの。これからもがんばってください。応援してます」
 彼の問いかけに、亜由美は即答した。すると、彼は笑顔になった。
「ありがとう。がんばっていい曲作ります。さっきの曲はいつも来てくれる君に書いたんですよ」
 思わぬ言葉に驚いたが、すぐ笑顔になる。
「ありがとう」
「これからもよろしく」
 右手を差し出され、亜由美も右手を差し出した。握手をすると、彼はまたライブに戻って行った。
 それを見ていた智之が呟く。
「あいつも・・・・・・亜由美のこと好きだったんじゃ・・・・・・?」
「そんな訳ないよ」
 亜由美はすぐ否定したが、智之には何となく彼の気持ちが分かった気がした。だけど口には出さなかった。

 ライブが終わると、亜由美たちは典子たちと落ち合うため、来た道を戻った。
 亜由美は智之に初めて自分の話を始めた。今まで誰とも友達になれなかったことやまだ見つからない夢のこと。本当の自分を知って欲しいと思ったのだ。
 ポツリポツリと話す亜由美の言葉に智之は真剣に耳を傾けていた。
「そっか。でも正直俺もまだ見つからないんだ。やりたいこととか夢とか・・・・・・」
 亜由美は智之が自分と同じように感じていたことに驚いた。
「大学行けば何か見つかるかなって。手探りだけど、何か見つかるといいなって・・・・・・」
 初めて見る不安そうな智之の顔にどう声をかけていいか分からない。
「み、見つかるよ! きっと」
 やっと搾り出した言葉に、智之は驚いていたが、優しく笑った。
「そうだな。二人で見つけよう」
 智之の言葉に亜由美は頷いた。

 将来の夢はまだ決まっていない。だけど見つけられそうな気がする。
 一人でうずくまっていたあの頃の自分はもう居ない。傍には初めてできた友達がいて、隣には初めてできた彼氏がいる。
 一人じゃない。そう思うだけで、強くなれる気がした。
 この先夢を見つけられたとしても、必ず今まで経験したことのないような障害があるだろう。
 それでも立ち向かっていこう。きっと乗り越えられるはずだから。

 −−私は一人じゃない。




↑お気に召しましたら。


↑このお話とリンクしたお話。
ストリートミュージシャンの視点。

  
photo by 境界線シンドローム