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ACT.2 再会
一同はとあるスタジオに来ていた。今日はここで新曲のジャケット撮影が行なわれるのだ。葵は言われた通り、ボーイッシュな格好をしていた。タートルネックの黒のセーターにジーンズ、茶色のダッフルコート。そして直人の帽子。『勝手に借りて来ちゃったんだよね。後で謝んなきゃ。』 葵は髪の毛をまとめ、帽子の中に入れていた。女嫌いの亮がいるせいか、スタッフは全員男で少人数だった。 「慎吾サン。あたしにボーイッシュなカンジでって言ったのって・・・。」 葵は小声で慎吾に問う。 「うん。スタッフが皆男だから。女の子1人だと目立つと思って。」 やっぱり。そうではないかと、薄々感づいてはいた。美佳に対する反応。あれが亮にとっては普通の反応。 『じゃあ、何であたしには反応しないんだ?』 その疑問だけが残る。龍二曰く 『女の子やったら誰に対してもなんねん。』 ってことは、普通女の人と接するときは、ああなるってこと。でも葵に対してはならなかった。 『あたしってもしかして、女の子って思われてないんじゃ・・。』 一抹の不安が過ぎる。そりゃ、自分に対してだけ発作が起きないのは、何だか嬉しい。特別な感じがする。けどそれは、ただ単に自分が男として見られているからでは?そこがどうしても引っかかる。 葵は亮を盗み見た。いつもと変わらず、笑わない。話さない。メンバー以外とはあまり話さないらしい。 『でも・・お礼、言ってくれたんだよね。』 出かけの玄関先で一言。 『飯、うまかった。ありがと。』 照れたように言ったその言葉がこの上なく嬉しかった。少しは心を開いてくれたような気がして。 『あたしって単純かも。』 その照れた顔が可愛かった。確かに綺麗な顔をしているとは思っていた。 『笑えばもっとステキなのに。』 亮は笑顔をなかなか見せてくれなかった。昨日の食事の時も、皆で談笑しているのにそれに加わろうとはしなかった。まるで自分だけ孤立している感じがした。 「葵ちゃん。楽屋行こう。」 スタジオで突っ立っていた葵に、武士が声をかける。 「あ、はい。」 葵は武士の後に付いて行った。 龍二は既に龍哉と共に楽屋にいた。 「しっかし、よー寝るなぁ。龍哉。」 龍二は呆れたように言った。 「赤ちゃんは寝るのが仕事ですから。」 葵は龍哉の荷物を机に上に置いた。 「えーなー。寝るんが仕事なんて。代わってほしーわ。」 武士が羨ましげに言う。 「おまえ、一生寝て過ごす気か。」 「だってさ、寝てるだけでえんやで?腹減ったら泣きゃえーし。身の回りの世話は全部してもらえるし。」 武士が言うと、慎吾が呟いた。 「これで美人なら言うことないね。」 「んでもって、乳もでかけりゃ言うことなしやな。」 龍二も呟く。 「下劣。」 「ケダモノ。」 透と亮が同時につっこむ。 「なんやて?」 龍二が睨みを利かせるが、2人には通用しないようだ。 「しかも龍二、何かオヤジ入ってるし。」 透はそう言いながら、溜息を吐いた。 「しゃーないよ。オヤジだから。」 亮も溜息をつく。 「てめーら。言わせておきゃ。」 龍二が怒り出すと同時に龍哉が泣き出す。 「よしよし。」 葵が籠に寝かせていた龍哉を抱き上げあやす。 「ほらぁ、龍二が大声上げるけん、たっちゃんが起きたやんか。」 慎吾が嫌味げに言う。 「・・・。」 その言葉に龍二は何も言えなくなる。 「おら、お前ら早く準備しろ。撮影始まっちまうぞ。」 響に言われ、5人は渋々仕度を始める。 「あたし、外にいますね。」 着替えを始めた5人に遠慮して、葵は泣きじゃくる龍哉を連れて、楽屋の外に出た。響も一緒に外に出る。 「葵ちゃん、こっち。」 「あ、はい。」 子供を連れているのは、かなり目立つ。スタジオの中を良く知っている響が案内する。あまり人の来ない、楽屋の隣の一室に入る。 「いい?」 響はタバコを取り出し、葵に許可を求める。 「いいですけど。窓開けて、龍哉くんに煙が行かないようにしてくださいね。」 「ウーッス。」 響は言われたとおり、窓を開けてタバコに火をつけた。 「フ-----。」 ため息のように煙を吐き出す。葵は寝付いた龍哉を抱き直す。 「響さん。お疲れみたいですね。」 「おう。まーな。あの5人の面倒みんの、大変だよ。」 響はため息を吐いた。葵はくすっと笑った。 「何か分かる気がします。」 「おお。分かってくれるか?問題児ばっかでさ。唯一まともっぽい透も毒吐きまくるし。こっちはヤバイコト言わないか、毎回ヒヤヒヤしてんのに。」 響は愚痴をこぼし、また一口タバコを吸った。 「でも楽しそうじゃないですか。」 「そーか?」 聞き返した響は葵の笑顔を見て、自分も思わず笑った。 「ま、そうかもな。」 そのとき、部屋をノックする音がした。響が返事する。 「はい?」 「あ、やっぱここだった?」 そう言ってドアを開けたのは、慎吾だった。 「おう。準備できたか?」 「うん。葵チャンも来る?」 「え?でも・・龍哉くんが・・・。」 「たっちゃんなら籠に寝かせて連れて行けばええやん。」 「でも泣いたら、みんなにバレちゃうよ。」 「大丈夫だって。行こう?」 慎吾は葵の腕を引っ張った。 「分かったから、ちょっと待って。」 そうして慎吾と葵は部屋を出て行った。 「ホンマに大丈夫なんか?」 響は首を傾げながら、部屋を後にした。 撮影スタジオは思ったより広かった。その一角にセットが組まれてある。黒のカーテンがあしらってあり、黒のセットが組まれていた。曲のイメージなのだろうか? 「葵チャンは響サンとここにいてね。」 慎吾は葵と龍哉をメンバーの休憩のために設けているであろうテーブルに案内した。葵は言われるがままにそこに座らせられた。 「なんや。葵チャン、ここにも連れて来られたんか。」 武士が気づき、声をかけてくる。葵は苦笑いを浮かべる。 「嫌やったら、嫌やってちゃんと言うてや。」 「龍二に言われたくないよな。」 龍二の言葉に亮がつっこむ。確かに。まずここに来ることになったのも、元はといえば龍二の一言から始まった。 「やぁ。皆、久しぶり。」 「おお。優人。久しぶり。」 一番に気づいた龍二が挨拶をする。それに続いて皆も挨拶をする。 「今回もよろしくお願いします。」 「よろしく。」 「あれ?そっちの子は?」 葵に気づいた優人が尋ねる。葵は深くかぶった帽子の奥からそっとその人物を見た。 「ああ。紹介します。彼・・。」 「あ!」 葵はいきなり声を上げ、優人を指差した。 「優兄?」 「え?」 メンバーは思わず優人を見た。 「ん?」 優人はもう一度葵をよく見た。 「あたしだよ!葵。」 葵は深くかぶった帽子を少し持ち上げた。 「あ!葵!久しぶり。」 優人は葵だと気づくと、駆け寄り、葵を抱きしめた。 「久しぶり。優兄。」 「あれ?知り合い?」 紹介しようとしていた龍二が問う。 「あ、はい。従兄妹なんです。」 葵が答えると、優人は葵を抱きしめたまま続けた。 「かわいいだろう。ちっちゃい時はもっとかわいかったんだぞ。」 「優兄。親父くさい。」 「えぇ?久しぶりに会ってそれはないだろう?」 「優兄、連絡ないからずっと海外行ってんだと思ってた。帰って来たんだったら、連絡ぐらいしてよね。」 葵がむすっとする。 「怒った顔もかわいーなー。な?」 隣にいた武士にふる。 「え?あ、そーやな。」 どう答えていいか分からないので、とりあえず肯定しておく。 「茶化さないでよ。」 そんなやりとりを亮は複雑な気持ちで見ていた。なぜかは分からない。ただ気に入らなかった。 「それより、葵はココで何してんだ?」 優人は葵を抱きしめたまま、問う。メンバーは顔を見合わせた。 「実は・・・。」 龍二が口火を切る。今日までの経緯を手短に話す。 「そっかぁ。女に逃げられちゃったんだぁ。」 「優兄。言い方悪い。」 葵がつっこむ。 「ごめん。でもさ、なんでいなくなっちゃったんだろうな。彼女。」 「それが分かりゃ、苦労せんて。」 龍二は火を点けたばかりのタバコを吸った。 「日向さん、そろそろ・・。」 「ああ。そうだね。じゃ、始めよっか。撮影。」 スタッフの1人に言われ、優人が立ち上がる。 「そーやな。とっとと終わらせようで。」 龍二はタバコを灰皿に押し付け、立ち上がった。それに倣って、メンバーも立ち上がる。 「葵チャン、ちょお待っとってな。」 武士はそう言うと、皆と一緒にセットの中へと向かって行った。 葵は撮影の様子を、スタジオの端で見ていた。ちなみに優人はカメラマンである。先ほど葵が言った通り、優人はしばらく海外にいた。なので、会うのは本当に久しぶりである。確か最後に会ったのは、葵たちの両親の葬式の時だった気がする。 5人のメンバーは自由自在にセットの中を動き回っている。スタジオではシャッターの音が響いていた。 「まさか優人君とキミが従兄妹だったとはねぇ。」 隣に座った響が呟く。 「あたしも、まさか帰国して仕事してるなんて知りませんでした。」 そう言うと響は笑った。 「だろーね。優人君が海外から帰ってくるの、こいつらの撮影でしか、帰って来ないもん。」 「え?」 響の言葉に、葵は驚いた。 「龍二がさ、優人君の作品見て、一発で気に入っちゃったんだ。それでたまたま帰国していた優人君を捕まえて、仕事を依頼したのがきっかけ。それからはCDのジャケ写や広告はいつも優人君。優人君も、あいつらのコト気に入ってくれてて。龍二たちと同い年だからかな。」 「そうだったんですか。」 葵はその話を聞いて、何だか寂しくなった。自分には連絡の一つも入れてくれないくせに、彼らとは連絡を取り合っていたのだ。 「・・・。優人クンも忙しい人だから。終わったら、すぐ海外に戻っちゃうからな。」 葵の様子を見ていた響が言葉を付け足す。その時、スタジオの扉が開いた。近くにいた葵たちは扉の方を見た。そこにはいかにも怪しい全身黒ずくめの男が立っていた。 「あ。」 響が立ち上がる。知り合いなのだろうか?葵が不審そうに男を見ていると、男はスタジオに入ってきた。それに気づいた龍二が、思わず立ち上がる。 「どうした?龍二。」 撮影の途中で様子が変わった龍二に、優人が尋ねる。 「わりぃ。ちょっと休憩してもええか?」 「ああ、いいよ。じゃ、ソロでも撮ってる。」 「そうしてくれ。」 そう言うと龍二は黒ずくめの男の方に向かって歩いて来た。 「よぉ。龍二。」 男はサングラスを外しながら、明るく挨拶した。 「雅也。」 龍二は男の名前を呟く。 「依頼どおり、お姫さん、連れて来たで。」 その言葉に葵は男が龍二の連れで、香織の捜索を依頼した探偵だと気づく。 「香織は?香織は何処や?」 龍二は雅也に掴みかかった。 「落ち着きぃや。心配せんでもちゃんと連れて来とるから。香織ちゃん、入って来。」 雅也は入口に向かって話し掛けた。開きかけの扉が、ゆっくりと開く。入ってきた女性は俯いていた。 「香織!」 龍二は駆け寄り、香織を抱きしめた。 「お前、ガキほったらかして、どこほっつき歩いてんねん!心配したやんか。」 「ごめんね。龍二。」 「龍二。香織ちゃんのこと、あんま怒らんといてや。香織ちゃん、ストーカーされててん。」 「ストーカー?」 雅也の言葉に思わず香織を見る。香織は頷いた。 「おかげで、俺がストーカーに間違えられた。」 雅也はお手上げのポーズで龍二に訴えた。 「そうやったんか。」 「ま、無事見つかったことやし。そのストーカー男のことも調べといてあげるから、龍二もちゃんと仕事しーや。」 「ああ。ありがとな。雅也。」 「礼には及ばんさ。仕事やからな。あとでちゃんと請求書送るから。」 「ちゃっかりしてんな。」 「仕事やっちゅーに。ま、少しは割引しといてやるよ。俺と龍二の仲やしな。」 そう言うと、龍二と雅也は笑った。 「じゃ、そろそろおいとまするわ。次の仕事あるし。」 「ホンマ、ありがとーな。」 「おう。じゃーな。」 「じゃ。」 そう言うと雅也はスタジオを出て行った。 「香織。話は後で詳しく聞かせてもらうから。ここで待っとけ。ええか、勝手におらんようなるなよ。」 龍二の言葉に香織は頷いた。龍二はそう言うと、またメンバーの元へ戻った。 「香織・・サン?」 立ち尽くしている香織に葵が話し掛ける。 「え?」 「あの・・どうぞ。座ってください。」 椅子を勧めると、「ありがとう」と言って素直に座った。 「あなたは?」 不意に香織が問う。女嫌いの亮がいるのに、なぜ葵がいるのか、気になったのだろう。 「あたしは日向葵と言います。」 葵は自己紹介と、なぜここに来ることになったのか、経緯を話した。 「そう。あなたが龍哉の面倒、見てくれてたんだ。」 「って言っても1日だけですけどね。その間、龍二サンが1人で見てたみたいです。」 「そう。」 そう言うと香織は龍二の方を見た。 「あの・・・何で龍哉クン、置いていったんですか?」 「え?」 不意の質問に香織は顔を葵に向ける。 「あ、ごめんなさい。言いたくなかったらいいんです。あたしにそんな権利、ないですから。」 「いいえ。あるわ。だって龍哉の面倒見てくれてたんでしょ?」 そう言うと香織は一つ溜息をついた。そしてゆっくり話し出す。 「さっき、雅也君が言ったの、聞こえた?」 「ストーカーのことですか?」 「そう。そのストーカーね、あたしの知ってる人なの。」 「え?」 「龍哉の父親なの。」 「え?龍哉クンって龍二サンの子じゃ・・。」 混乱する葵に、香織が続ける。 「龍二がそう言ったの?」 その問いに葵は頷いた。 「そ。じゃ、怪しまれないようにそう言ったのね。きっと。・・・龍二が父親だったらどんなによかったかしら。あんな男の子供なんて産みたくなかったの。でも・・授かった命を殺すなんてできなかった。父親はあんなヤツでも、この子は・・龍哉は何も悪くないもの。」 香織の声は震えていた。 「香織サン・・。」 「妊娠してるって分かった時、産もうかどうしようか悩んだ。産んだとしても、ちゃんと育ててあげられるか、心配だった。でもね、そのことを龍二に相談したら、『産むべきだ』って言ったの。『その子は何百万分の一の確率で命を授かったんだ。それってすごいことなんだから、大事にしなきゃ』って。それで、あたしは龍哉を産んだの。名前も龍二から龍の字をもらって、『龍哉』って付けた。」 「龍二サン、父親のことは?」 「知らないわ。あたしの別れた彼としか言ってないもの。」 「でもなんでストーカーなんて・・・。」 「さぁ?龍哉が自分の子だって何となく分かったんじゃないの?向こうはヨリを戻そうとしてたみたいだけど、あたしはもう関わりたくもなかった。」 「じゃあ、香織さんはそのストーカーから逃げてたんですか?」 葵の言葉に香織が頷く。 「じゃあ、龍哉クンを置いていったのは?」 「この子を巻き込みたくなかったの。あの人、何するか分からない人だから。・・・龍二なら、龍哉の面倒見てくれるって思ったし。あたし、家族とは疎遠になってるから。」 「そうだったんですか・・。」 「ほんとはね、もっと遠くに逃げるつもりだったの。でも、できなかった。」 香織はそう言って苦笑した。 「龍哉を置いては行けなかったの。結局、ずっと近くにいたの。」 葵の予感は的中していた。葵はその言葉を聞いて、ホッとしていた。 「アー。」 龍哉が声を発する。 「あれ?龍哉クン、起きちゃった?」 葵が籠を見ると、龍哉は目覚めすっきりの顔をしていた。葵は龍哉を抱き上げ、香織に渡す。 「大変だったみたいですよ。龍二サン。子守り、したことなかったみたいで。」 そう言って葵が笑うと、香織も少し笑った。 「想像しただけでも笑えるわね。」 「でも、ホント、頑張ってたみたいです。透サン曰く『頑張りすぎ』だそうですけど。」 「1人で何とかしようとするとこ、昔から変わってないのね。」 香織はそう言って笑った。 「あ、今思ったんですけど、香織さんって龍二サンたちと幼馴染なんですよね。」 「そうよ。」 「関西弁、出てないですね。」 「ああ。そうね。でも龍二たちと話してると関西弁になるわよ。」 「そーなんですか?」 「だって、田舎丸出しじゃない。方言で話してたら。」 「そうですか?あたしは好きですよ。方言。でも生まれも育ちもここなんで、方言なんてあったもんじゃないですけど。」 「そう?そのほうがいいと思うけどな。」 「だって方言の方があったかいカンジするじゃないですか。標準語って硬いって言うか・・龍二サンたちが関西弁で話してるの聞いて、何かいいなって思ったんです。」 「そういうもんなのかな?あたしは葵ちゃんが羨ましいけど・・。」 香織は龍哉をあやしながら言った。 「ないものねだり・・なんですかね?」 「そうかもね。」 葵が笑うと、香織も笑った。 「いつの間にか仲良くなってるし。」 突然声がして、2人が顔を上げると、慎吾が立っていた。 「終わったんですか?」 「一時休憩。」 葵の言葉に短く答える。慎吾の後から、メンバーが戻って来る。 「香織。楽屋で話そう。」 龍二が香織に話し掛け、香織は頷いた。 「俺たちはここで待ってる。」 気を利かせた透がそう言うと、龍二が首を横に振った。 「いや、お前らも一緒に来てくれ。」 「でも・・。」 「お前らにも、迷惑かけたんだから、話を聞くのは当然の権利やろ?」 そうして龍二たちはスタジオを後にした。葵は呆然と立ち尽くしていた。ふと隣に残っている人物がいることに気づく。 「亮クン、一緒に行かなかったの?」 葵の言葉に頷く。葵は気づいた。亮が楽屋に行かなかったのは、香織がいるからだ。この広いスタジオならまだしも、楽屋の狭い空間は絶えられないのだろう。 「ここじゃなんだから、楽屋の隣の部屋、行く?」 そう切り出すと、亮は素直に頷いた。そうして2人はその部屋に向かった。 葵は亮に真相を話した。 「じゃ、龍哉を置いていったんじゃなかったんや。」 「うん。できるなら、連れて行きたかったって。でも巻き込みたくなかった。だから龍二サンに預けたんだって。」 「そっか。良かった。」 亮はそう言って溜息を吐いた。葵は亮の言った『良かった。』の意味を、正しく理解していなかった。 しばらくの沈黙の後、亮が口を開く。 「俺、母親に捨てられたんや。」 思わぬ告白に葵は言葉を無くす。 「え?・・・どうゆうこと?」 少しの沈黙の後、亮はゆっくりと話し始めた。 「まだ物心つく前、母親に孤児院に預けられた。『絶対迎えに来るから』って言葉本気にして。ずっと待ってた。迎えになんて来るはずあらへんのに。・・・裏切られたって分かった時から、怖くなった。また裏切られるんじゃないかって。俺が女恐怖症になったのは、そのせいかもしれん。」 「そう・・だったんだ。」 思ったより話してくれる亮を不思議に思いながら、葵は頷いた。 「・・・でも不思議やな。葵とおると、逆に安心すんねん。」 「え?」 「何でかは分からへんけど・・。」 そう言うと亮は照れたようにそっぽを向いた。 「そう言ってくれると何か・・嬉しいかも。」 葵は照れ笑いを浮かべた。 「それはぁ、葵チャンが癒し系だからっしょ。」 「うわっ。」 イキナリ現れた慎吾に驚く2人。 「イキナリ現れんな!」 「亮ってば、抜け駆けだぁ。」 「何がやねん。」 わめく慎吾に亮がつっこむ。 「葵ちゃんと2人っきりなんて・・・。」 「アホか・・。」 「慎吾サン。話、終わったんですか?」 「うん。ま、一通りはね。あ、それとさん付けってのは、何かしっくりこないんよなぁ。」 「慎吾・・クン?」 葵が言い直すと慎吾は笑った。 「うん。まぁ、それでええわ。」 「それより何しに来たんや?」 亮が慎吾に問う。 「あ、そうそう。龍二が葵ちゃん呼んでたよ。」 「あたしを?」 葵と慎吾は龍二たちのいる楽屋に戻った。 「葵ちゃん、悪いけど香織と一緒に先に帰っててもらえる?」 龍二はタバコに火を点けながら言った。 「先に・・ですか?」 「おう。スタジオおっても、しゃーないしな。香織1人にはしとれんし。仕事終わったらすぐ迎えに行くし。」 「それはいいですけど。」 葵は香織を見た。 「ごめんね。葵ちゃん。あたしには行く場所がないの。今住んでる所も見つかっちゃたみたいだし。」 「そうなんですか?」 「ホンマ悪いな。」 龍二が付け加える。 「分かりました。じゃあ、先帰って待ってますね。」 「ほんま、すまん。」 龍二は頭を下げた。 「やめてくださいよ。いつも弟たちがお世話になってますし、困った時はお互いさまってことで。」 葵はそう言って微笑んだ。 「おおきに。」 「響サン。彼女たち、送ってってもらえます?」 透が入口近くにいた響に声をかける。 「おう。分かった。」 「じゃ、仕事終わったら迎えに行くわ。」 龍二が最後に念を押す。そうして、葵は香織と龍哉と共に家路に着いた。 「これ、俺の携帯番号。何かあったらかけて。」 帰り際、響がメモを葵に渡した。 「あ、じゃあ、家の番号も。」 そう言って葵は響にメモをもらい、それに自宅の電話番号を書いた。 「じゃ、またあとで。」 そう言うと響は車を出した。 「香織さん、どうぞ。」 葵は玄関の鍵を開け、香織を中に入れた。 「広いわね。」 「そうですか?そう見えるだけですよ。」 2人はリビングに入った。香織は龍哉が寝ている籠をソファの近くに置いた。 「どうぞ、座っててください。」 葵に勧められ、香織はソファに座った。 「何か飲みます?」 「うん。じゃあ、コーヒーもらえる?」 「はい。」 葵はキッチンに入り、すぐコーヒーを入れた。 「ねぇ。葵ちゃん。ご両親とも働いてるの?」 「いえ。2人とも亡くなりました。」 「え?」 「事故で2人とも・・。」 「そうだったの。ごめんなさい。変なこと聞いて。」 「いいえ。知らなかったんですし。それに、もう3年も前のことですから。」 葵は入れたてのコーヒーを香織の前に置いた。 「でも葵ちゃんって亮と同い年なんでしょ?」 「そうですよ。」 「学校は?」 「行ってますよ。親が折角入れてくれた学校なんで、卒業だけはしたくて。」 「でも、弟さん、いるんでしょ?」 「快人と直人ですか?」 「え?快人と直人って・・・まさかeyesのお姉さんって葵ちゃんだったの?」 「そうですよ。」 香織の異様な驚きに、逆に葵が驚く。 「龍二サンから聞いてませんか?」 「ええ。一言も。葵ちゃんは後輩のお姉さんだって言うのは聞いたけど。ったく。肝心なところは抜かして言うんだから。」 香織は少しむっとした。 「言いそびれただけだと思いますよ。」 「・・でも、すごいね。葵ちゃんは。」 「え?」 「だって1人で育てたんでしょ?2人とも。」 「そんな・・育てたなんて。そんな大層なことしてません。逆にあたしのほうが育ててもらってるってカンジで。あたしより、2人の方が大人だって言うか・・。あたしが1人で空回りしてたんですけどね。」 葵は苦笑した。 「ううん。葵ちゃん見てると、あたしはまだまだ甘いんだなって思うもの。あたしは全然ダメ。逃げてばっかりだね。」 葵はどう言葉を掛ければいいのか、分からなかった。親との不和というものを経験していない葵にとって香織の心境を理解できなかった。 「あの・・香織さんって、龍二サンのこと、好きなんですか?」 イキナリの質問に香織は唖然とする。何とか話題を逸らしたかった葵は突拍子もない質問をしてしまった。 「何?イキナリ。」 香織はそう言って笑った。 「ええ。好きよ。でもね。あたしなんかが龍二の傍にいたらダメなの。」 「何でダメなんですか?」 「どう言えばいいのかな?好きって気持ちが強すぎちゃうの。傍にいたら龍二を傷つけちゃうのよ。」 「だから、逃げるんですか?」 「かもね。」 葵の率直な言葉に香織は遠い目をした。 「でも、龍二サンは香織さんに傍にいて欲しいんだと思います。」 「え?」 「だってすごく心配してました。それに・・・。」 「それは、龍哉がいたからでしょ。龍哉がいたら、仕事の邪魔だもん。」 「違いますよ。」 葵は話題の選択を間違ったと今更ながらに後悔した。でも、どうしても龍二の気持ちは分かって欲しかった。 「違わない。あたしと龍二は23年の仲なの。それくらい分かってる。」 香織の言葉に葵は何も言えなくなった。 その頃のB・Dのメンバーは順調に撮影を進めていた。 「よし。OK。今日はこれぐらいでいいだろう。」 優人はシャッターを切るのをやめた。これ以上やっても皆が疲れるだけだ。 「ありがとうございました。」 メンバーは一斉にスタッフに頭を下げた。 「お疲れ様でした。」 それに答えるように、いろんなところからねぎらいの言葉が飛ぶ。BLACK DRAGONは、意外と礼儀正しい。というのも、すべて龍二と透の調教にあった。 「かぁ----。疲れたぁ。」 武士が大きな欠伸をする。 「武士、真顔苦手やもんね。」 慎吾が楽しそうに言う。 「あ?どういう意味や。そりゃ。」 「ギャグ顔。」 「てっめぇ。」 「おら、お前らケンカしてねーで。さっさと着替えるで。」 龍二が止めに入る。 「うぃーす。」 「亮。何きょろきょろしてんや?」 透が声をかける。 「葵は?」 「葵ちゃんたちならとっくに帰ったで。気づかんかったんか?」 武士が笑いながら言う。 「そお。」 素っ気なく返す亮。 「なんやぁ。葵ちゃん、おらんけん、つまらんってか?」 「ち、ちゃうわ。」 動揺する亮を見て武士がニヤリと笑う。 「またまたぁー。ホンマは気になるクセに。」 「しつこい。」 うざったそうに亮は反対方向を見る。 「そっかぁ。そうなんやぁ。」 1人で納得する武士をほっといて亮は歩き出す。 「何納得してんだ?」 透が呆れた口調で聞く。 「だってあいつ、女の話とかまったくなかったやろ?いくら女嫌いとは言え・・。まさかホモ?とかって思ったときもあったしな。これでヤツが普通の感覚しとるって分かったわけやし。」 武士は頷きながら透に答える。 「武士。」 「何?」 「あんましあいつをからかうなよ。」 思わぬ透の言葉に武士の頭が一瞬真っ白になる。 「・・・。なんで?」 「これがきっかけで女嫌いが直るかもしれないだろ?」 「そっか・・・。」 透の言葉に武士は納得した。 「じゃあ、夕飯の買い物してきますから、お留守番よろしくお願いします。」 「ええ。」 「あ、快人たちが帰ってくるかもしれないですけど。気にしないでくださいね。」 「分かった。」 香織は笑顔で答えた。葵はいつもの通り、買い物に出かけた。 30分後、葵は買い物を済ませて帰って来た。 「ただいまぁ。」 「あ、おかえりぃ。」 開いていたリビングのドアから直人の声が聞こえる。葵は靴を脱ぎ、家に入った。 「あれ?」 靴を並べていて気づいた。葵は荷物を玄関に置いたまま、リビングに駆け込んだ。 「葵ちゃん?」 姉の異様な行動に直人が声をかける。 「あれ?」 「ん?何だ?」 ソファに座っていた快人も声をかける。 「香織さんは?」 「香織さん?」 初めて聞く名前に2人は首を傾げる。 「俺たちが帰って来た時は、誰もいなかったよ。」 直人が答える。 「ああ。そう言えば、書き置きみたいなのが・・・。」 快人が机の上にあった紙を葵に渡した。葵は快人から紙を受け取った。 「!」 葵はそれを受け取って読むと、急いで玄関に引き返した。 「葵ちゃん!」 直人の声も聞こえていないのか、葵は玄関を飛び出した。2人は急いで姉を追いかける。 「葵ちゃん、待って!」 「葵!」 2人は玄関を飛び出し、家から数メートル離れた場所で姉の腕を掴んだ。 「離してっ!」 腕を振り払おうとする葵だが、弟たちはガンとして離さなかった。 「おい。落ち着けよ。何があった?」 快人の言葉に葵の動きが止まる。続けて直人が問う。 「葵ちゃん、香織さんって誰?あの書き置きしてった人?」 「そお。」 葵は落ち着きを取り戻し、頷く。 「2人が学校行ってる間にね、見つかったの。龍哉君の母親。それが香織さん。」 葵の言葉に2人が驚く。 「あたし、今日龍哉君の面倒見るために一緒に撮影現場に行ってたの。そのとき、龍二さんが依頼してた探偵さんが香織さんを見付けて連れてきたの。龍哉君、置いていったのは、自分がストーカーされてたから。龍哉君に危険が及ばないように、面倒見てくれそうだった龍二さんに預けたんだって。今香織さんが住んでる家もストーカーに見つかっちゃったみたいで。だから龍二さんたちの仕事が終わるまで家に来てもらってたの。」 葵は早口で説明した。 「で。葵が買い物行ってる間に書き置きしていなくなったと。」 快人が代わりに話をまとめる。 「どうしよう。あたしが香織さん置いて、買い物なんかに行くから・・・。」 今にも泣き出しそうな葵の肩を快人がポンっと叩いた。 「葵のせいじゃないよ。それより探すぞ。」 「どうやって?」 「香織さんは、ガキ連れてんだろ?俺たちが帰ってきたのが10分前。葵が買い物に出たのが?」 「30分前。」 「じゃあ差し引いても20分。20分の間に、ガキ連れてそんなに遠くへは行けないだろ?」 「そっか。」 「じゃあ、俺が龍二サンに連絡取るよ。行きそうな場所、心当たり無いか聞いてみる。」 直人は自宅へ引き返す。 「んじゃ、俺たちも行くか。」 「うん。」 葵と快人は香織を探しに走り出した。 そのころ、B・Dは雑誌のインタビューを終えたところだった。このあとスタジオにこもって今秋発売予定のアルバムの製作に取りかからなければならない。さらに夏のライブの計画も立てなければならない。 「なあ。今度のライブ、どうすん?」 武士がわくわくしながら、メンバーに問う。 「そうやな。何か、でっかいことやりたいな。」 龍二が目を輝かせる。 「例えば?」 「例えば・・・。」 龍二が話そうとすると、携帯が鳴る。着信を見ると、直人だった。 「もしもし?」 『もしもし?龍二さん?直人です。お疲れさまです。』 礼儀正しく挨拶され、龍二も挨拶する。 「お疲れ。」 『今大丈夫ですか?』 「うん。何?」 『あの・・香織さんが・・。』 「香織がどうかしたのか?」 喰いかかるように聞かれ、直人は一瞬躊躇する。 『あの・・いなくなっちゃったみたいなんです。』 「いなくなった?」 直人の言葉を繰り返す。その言葉に回りにいたメンバーにも事情が分かった。 『はい。あの・・30分前に葵ちゃんが買い物に出たらしくて、香織さんに留守番頼んだみたいなんです。でもその20分後に俺と快人が戻ってきたときは、もういなくなってて。今快人と葵ちゃんが探しに出てるんですけど。龍二サン、香織さんの行き先に心当たりないですか?』 「心当たり・・ってもなぁ。」 龍二は頭を掻いた。 「とりあえず、今からそっち向かう。直人は家におるんか?」 『はい。』 「んじゃ、そのまま待っとってくれ。こっからだと20分くらいで着くと思う。」 『分かりました。お気をつけて。』 そう言って2人は電話を切った。 「おい。いたか?」 「ううん。全然ダメ。」 2人は別れて探していたが、全然見つからなかった。2人は息を切らしながら、周辺を歩く。 「でもさ、お店とかに入ってたら分かんないよね。」 葵の言葉に快人が頷く。 「まーな。」 「でもって、タクシーとかで移動してたら、ここら辺いるわけないよね。」 「・・・。」 今頃気づいた。子供連れで歩いては遠くに行かない、とは思っていたが、よくよく考えるとその可能性もあるのだ。考えの足りなさに、自分が情けなくなる。 「今気づいたんだけどね。」 葵は言葉を付け足した。 「でもどこ行っちゃったんだろ?」 葵はため息を吐いた。 「葵ならどこ行く?」 不意に聞かれ、葵は悩んだ。 「あたし?あたしは・・とりあえず公園とか、人がいなさそうなところかな?」 「公園か・・。」 「でもいなかったよね。」 「うん。・・これじゃあ、ラチが開かねぇ。もっぺん探しに行くぞ。」 「うん。」 2人はまた走り出した。 電話を切った龍二は走り出す。 「おい!待てよ!」 メンバーも追いかける。 「香織、おらんくなったんか?」 走りながら透が問う。 「ああ。そうみたいや。」 「またなんで・・・。」 「知るか。ったく。『もういなくならない』って約束したのに・・。」 「龍・・・。」 「なぁ。龍二。今から行くんやろ?葵ちゃん家。」 武士の問いに頷く。 「でもさ、どうすん?これからの予定。」 慎吾が問うと、透が返事する。 「何とかなるよ。」 透が言うと妙に説得力がある。 「何とかなるってなぁ。」 横から声がするので振り返ってみると、そこには響がいた。 「響サン。」 慎吾が驚いたが、透はにっこり笑った。 「そのために響サンがいるんでしょ。」 「へいへい。お仕事させていただきます。ちゃんと連絡入れろよ。」 「もちろん。」 透は笑顔で答えた。響は5人を玄関まで見送った。 「ったく。ほんとに連絡しろよ。」 響は溜息を吐いた。 「はぁ。どうしよーか。龍哉。」 香織は龍哉を抱き上げ、溜息を吐いた。龍哉は何も分からず笑っていた。香織は龍哉を抱き直した。香織は葵の家を出てからしばらくぶらついていた。そのとき見付けた喫茶店に入った。 「はぁ。」 コーヒーを一口飲み、溜息を吐く。帰る当てもない。今住んでいる家はどうせあいつに見つかってる。実家には帰れない。龍二たちにこれ以上迷惑は掛けられない。もういっそ、あいつに捕まった方がいいのかもしれない。 「散々好き勝手してきた罰・・。」 そう思えば、楽かもしれない。それよりも、死を選んだ方がマシかもしれない。でも龍哉を置いては逝けない。海外まで逃げる?どこにそんな金があるんだ? 「銀行強盗でもしようかしら。」 ボソッと言う。 「それはまずいだろ。」 ふと声がして、顔を上げると、ヤツがいた。 「どうしてここが・・。」 「俺はお前の行動、すべてお見通しだよ。」 そう言って男は不気味に笑いながら、香織の向かい側に座る。 「何で出ていったんだよ。」 「あんたがこの子に暴力振るうからでしょ。」 怒りが腹の底から蘇る。自分だけならまだしも何もできない子供にまで手を挙げるのは許せない。 「だって、俺の子だろ?何したっていいじゃねーか。俺なりに可愛がってんだよ。」 「・・の子じゃない・・。」 「あ?」 香織の声が悲しく震える。 「あんたの子じゃないって言ってんの。」 香織の言葉に男はしかめっ面をした。そして全てお見通しと言ったカンジで不気味に笑む。 「そんな嘘、通じると思うか?」 「嘘じゃないわ。だからもうこの子には手を出さないで。」 香織はそう吐き捨てると、立ち上がり、龍哉を抱いて店を出た。 『何であんなヤツ、好きになったんだろう?』 香織は悔しくて、涙を浮かべた。 今まで龍二の気を引くために何人もの男と付き合ってきた。でも、誰も好きにはなれなかった。あの男は違っていた。誰よりもかっこよくて、自分のことを本気で好きになってくれた。しかし付き合いだして半年もしないうちに本性が見え始めた。酒癖も女癖も悪く、機嫌が悪いときはすぐに香織に暴行を加えた。それに耐えきれなくなった香織は貯めていたお金を降ろし、同棲していた家を出た。しかし既に香織は龍哉を身ごもっていた。それに気づいた香織は悩んだ末、龍二に相談。龍二たちのおかげで無事出産できた。そして意地で香織を見つけだした男は、香織の子が自分の子だと直感する。『今まで悪かった』と謝ってきた男を許し、男の家に戻ったのが、間違いだった。男の生活は変わっておらず、香織だけでなく生まれて間もない龍哉にも手を出した。そして香織は、もう二度と戻らないと決意し、再びその家を出た。男は再び香織を探し、見つかる度に引っ越しを繰り返した。男が諦めるまで、龍哉を安全な所に預けたい。そう思い、香織は龍二に龍哉を託した。が、龍二にも見つかってしまい、おまけに関係のない葵まで巻き込んでしまった。さらにあいつにも見つかってしまうなんて!最悪だ。 香織は公園のブランコに乗った。軽く揺らしながら、龍哉を寝かしつける。 「ほんと、どうしようかなぁ。」 「俺んとこ、戻ってくればいいんだよ。」 声がした方に振り返ると、ヤツが立っていた。 「もう二度と帰らない。」 香織はそう言って、顔を背けた。 「何で?俺のこと、好きなんだろ?」 香織は呆れ果てた。何で気づかないのだろう。もうとっくに愛は冷めてしまったのだ。 「んなわけないでしょう!あんた、バカ?もう関わりたくないの。あんたのことなんか、これっぽっちも思ってないわ。」 香織は立ち上がり、怒鳴った。勢いに任せて続ける。 「あんたには言うつもりなかったけど、あたし好きな人がいるの。あんたより数千倍かっこよくて、優しくて、あんたなんか彼の足元にも及ばないわ。」 「なっ・・。」 自分を否定され、男はショックを受ける。 「あんたに会う前から好きだった。この子は彼の子よ!」 「きっさまぁ。裏切りやがったな。」 男は茹で蛸のように顔が真っ赤になった。男は香織につかみかかった。眠っていた龍哉が目を覚ます。怖い、と察したのか泣き始める。 「ちょっと離しなさいよ。怖がってるじゃない!」 香織は男を突き放す。しかし男は諦めず、つかみかかろうとする。 「あ、赤ちゃんの泣き声。」 その近くを通りかかった葵が龍哉の泣き声に気づく。 「もしかして・・。」 快人と目配せをして、2人は泣き声のする方へ向かった。 そこで2人が目にしたのは、香織と男が龍哉を取り合っているところだった。 「香織さん!」 葵が駆け寄る。快人は一瞬出遅れるが、葵を追い越し、男の元へ来る。 「離せ!」 快人が男を香織たちから引き離す。 「何だ。お前。」 男は快人を睨み付ける。 「まさかてめぇが香織の・・・?」 「違うわよ。バカ。」 香織が否定するが、聞いちゃいない。冷静さを失っているらしい。冷静なら、快人が学生服を着ていることにも気づいたはずだ。男は快人の胸ぐらを掴んだ。そして殴りかかろうとする。 「そこまで!」 「龍二サン。」 男の後ろには自分よりもはるかに大きい龍二が立っていた。男の腕を片手1本で押さえる。 「なんだ。お前はっ!」 男は快人から手を離し、体を龍二の方に向ける。しかし敵うわけがない。 「お前アホやろ。」 男の悪あがきに龍二が溜息を吐く。 「なんだと!」 その言葉にさらに逆上する。 「龍二、余計に怒らせてどうすんねん。」 見かねた慎吾がつっこむ。 「だってこいつ、しぶといやん。」 「まさか、お前か。このガキの父親はっ。」 「・・・。」 「・・違うわよ!」 龍二が返事する前に、香織が叫ぶ。 「違うわ。この人は関係ない!」 香織は龍二と男の間に入る。龍二には分かった。香織が震えているのが。龍二は香織の肩を優しく叩く。香織が振り返ると、龍二は優しく微笑んだ。 「そうや。俺がこの子の父親や。」 「龍・・!」 止めようとする香織の肩を抱き寄せる。 「人の女に手ぇ出すな。」 龍二が睨むと、男はたじろいだ。 「行くで。」 龍二は香織の肩を抱いて、男に背を向けた。 「あ、危ない!」 葵は思わず叫んだ。男が龍二に向かってナイフを向け、突進して来た。龍二は振り返り、香織を自分の後ろに隠す。そのとき、横から誰かが男の腕を蹴り上げる。 「亮!」 今まで車に乗っていると思っていた亮が目の前にいて、一同驚いた。 「ってっめぇ!」 男は向き直り、今度は亮に向かってナイフを突きつける。 「きゃぁ。」 亮の後ろにいた葵が声をあげる。 「葵!」 快人が駆け寄ると、同時に亮が葵を庇うように前に立つ。近づいてくる男の腹に蹴りを入れる。 「うわっ。」 男は反動で尻餅を付く。そして亮が一言。 「あんたバカ?」 その一言で男は固まってしまった。 一同は男を公園に置き去りにし、公園の外に止めている車へと戻った。 「にしても、亮ってばいいところに現れたな。」 慎吾が笑いながら亮に話し掛ける。 「別に・・。たまたまトイレに車出たら、おっさんが龍に襲い掛かりそうだったから・・。」 「イイトコ取りやな。な、葵ちゃん。」 「え?あ、そうですね。」 不意に話し掛けられ、葵は驚いたが一応頷いた。それよりも前を歩いている2人が気になってしょうがない。龍二と香織の間に重い空気が漂っている。 「おっかえりぃー!」 武士が勢い良く後部座席のスライドドアを開ける。その瞬間、重い空気が車の中にも伝わる。 「あれ?」 「おい。早く車に乗れ。目立つだろ?」 運転席に乗っている透が声をかけると、慎吾を筆頭に車に乗り始める。 「亮、お前は?」 龍二が問うと、亮は首を振った。そのときは一同は、香織がいるためだということに気づく。 「じゃあ、あたしもいいです。どうせ家来るんですよね?」 葵が申し出ると、龍二が頷く。 「ああ。そうなんやけど・・。」 「なら、ここから近いし。亮クン1人じゃ、道分からないと思うんで。」 「そうやな。んじゃ、お願いしよか。こっちは快人乗ってもらおか。」 「はい。」 そう言って快人が後部座席に乗り込む。最後に龍二が助手席に乗り込む。 「んじゃ、亮のこと頼むな。」 龍二が助手席の窓を開け、葵に言う。 「はい。」 葵は笑いながら返事する。透はアクセルを踏み、車を発進させた。 葵と亮は、寒空の下を日向家に向かって歩いていた。 「くしゅん。」 歩き出してすぐに亮がくしゃみをした。葵は自分がしていたマフラーを亮の首に巻いた。 「あ・・。」 「寒いでしょ?車乗ってきたから。」 亮は車にジャンパーを乗せたままだった。葵は買い物帰りだったので、コートとマフラーを着ていた。 「・・ありがと・・。」 亮は照れくさそうにお礼を言った。葵は何だか嬉しくなった。 「いいえ。」 葵は笑った。 「あ。雪。」 亮が呟く。葵が空を見上げると、白い雪がちらついていた。 「ほんとだ。」 「くしゅん。」 亮がくしゃみをする。 「やだ。風邪ひいちゃったんじゃない?」 葵は亮の顔を覗き込んだ。亮はイキナリのことでぎょっとする。 「早く帰ってあったまろ?走って帰ろっか?」 葵の提案に亮は頷いた。2人は雪がちらつく中、走って家路に着いた。 「あ、やっぱ皆帰ってきてる。」 葵は玄関に置かれた多くの靴を見てそう言った。スニーカーを脱ぎ、玄関に上がる。亮も同じく玄関に上がる。 「ちょっと待って。」 葵は脱衣所に立ち寄り、タオルを2つ持って来た。1つは自分、もう1つは亮にだ。 「いいよ。別に。」 亮はタオルを拒んだ。 「ダメだよ。ホントに風邪引いちゃうよ。」 葵は自分の頭にタオルを引っ掛け、もう1つのタオルを亮の頭に引っ掛けた。そのまま強引に亮の頭を拭く。自分より背の高い亮に悪戦苦闘しながら、背伸びをして、必死で亮の頭を拭く。 「あ、葵ちゃん。帰ってたんだ。」 気づいた直人が廊下に出てくる。 「うん。さっきね。」 「どしたの?雨?」 タオルで頭を拭いている2人を見て、直人が問う。 「ううん。雪。走って帰ってきたんだけど、やっぱ濡れちゃった。」 葵は苦笑いで答えた。 「そうなんだ。道理で寒いわけだ。」 直人は自分の両腕を抱いた。 「リビング入ろう?」 葵の言葉に従い、3人はリビングに入った。そこには張り詰めた空気が流れていた。リビングの方に龍二と香織が座っており、ダイニングの方に他のメンバーと快人がいた。葵たちはダイニングの方に足を向けた。 「快人。着替えてきたら?」 未だに制服を着ている快人に葵が声をかける。 「う、うん。」 快人は我に帰り、自分の部屋へと向かった。龍二と香織は黙ったままだった。 「あの・・。」 2人を見かね、葵が声をかける。 「よかったら、あっちの部屋を使います?2人で話し合ったほうがいいと思うんですけど。」 「ああ。そうやな。悪いな。葵ちゃん。」 龍二が俯いていた顔を上げる。龍二と香織は立ち上がり、葵に続いて部屋を出る。 「はぁ-----。」 葵たちが部屋を出た瞬間、みんなの間に溜息が漏れる。 「なんやねん。あの2人。」 「暗いってか、怖い。」 武士と慎吾が続けて呟く。そこに龍二たちを部屋に案内した葵が戻って来る。 「みんな寒くない?こたつで温もったら?」 葵が優しく声をかけると、全員その言葉に従う。リビングに移動し、こたつで暖を取る。葵は台所に立ち、皆に温かいコーヒーを入れる。そこへ着替えを終えた快人が戻って来る。 「俺、ココアがいいなぁ。」 「うん。じゃあ、これ持ってって。」 葵はコーヒーカップが4つ乗ったお盆を快人に渡す。快人はお盆を受け取ると、それをリビングに持って行った。葵は快人にココアを入れ、自分と直人に紅茶を入れる。さらに龍二と香織にもコーヒーを入れる。 「持ってくの?それ。」 「あの空気の中に?」 快人と直人が葵の背後に立ち、交互に口を出す。 「いいじゃない。あたしが持ってくんだから。」 葵は少し膨れる。 「いいけどさ。」 快人は直人の紅茶を直人に渡し、自分のココアと葵の紅茶を運んだ。葵は2人にコーヒーを持っていった。 「何で逃げるんや?逃げへんって約束したやないか。」 「・・・。」 「黙ってたら分からへんやろ?」 龍二は溜息を吐いた。さっきから何度も同じ質問をしているのに、香織は黙り込んだままだった。 コンコンっとドアをノックする音が聞こえる。 「どうぞ。」 龍二はぶっきらぼうにそう言うと、ドアの隙間から葵が顔を覗かせる。 「あの・・コーヒー持ってきたんですけど。」 「あ、ありがと。悪いな。何から何まで。」 「いえ。」 葵はテーブルの上にコーヒーを置いた。ここは和風の応接室。畳が敷かれており、龍二たちは座布団の上に座っていた。葵が暖房をつけたので、十分暖かい。 「冷めないうちにどうぞ。」 葵はそう言うと、お盆を持って部屋を出た。 「あ、戻って来た。葵ちゃん。どうやった?龍二たちの様子。」 気になっていたのか、リビングに入るなり、慎吾が葵に尋ねる。 「何か進展した?」 武士はコタツの中から問う。葵は首を横に振った。 「やっぱ時間かかるか・・。」 透が呟く。 「そういや、今日って直人たち、休み?」 「ううん。もう少ししたらまっちゃんが迎えに来ますよ。」 武士の問いに直人が答える。 「今日って何だったっけ?」 「ダンスレッスンとボーカルレッスン。」 快人の問いにも直人が即答する。 「そっか。取材とかは入ってなかったっけ。」 「うん。あ、B・Dの今日の仕事終わったんですか?」 「ううん。まだ。」 直人の問いに武士が首を振る。 「大丈夫なんですか?こんなとこいて。」 「どっちにしろ、龍二いないとどうにもならないしね。あいつがリーダーだし。」 葵が聞くと、透が平然と答える。 「透ちゃん。響しゃんに連絡しなくていいんっすか?」 武士が思い出す。 「あ、忘れてた。」 透は携帯を取り出すと、すぐに響にかける。透は携帯を耳に押し当てながら、立ち上がり、廊下に出て行く。 「ふぁぁ。」 武が大きな欠伸をする。 「気持ちええなぁ。眠たぁなってくるわ。」 「寝てていいですよ。あんまり寝てないんじゃないんですか?」 葵が優しく声をかける。 「うん。そぉ。最近輪をかけて忙しくなったから・・。」 そう言いながら、武士は眠りの世界へ誘われてしまった。 「のび太・・。」 亮がぼそっとつっこむ。そのつっこみに周りがウケる。 「あれ?何これ?」 慎吾が紙切れを拾う。 「ああ。これ、香織さんの書き置きっす。帰って来たら、テーブルの上にあったんっすよ。」 快人が説明する。 「『葵ちゃんへ。勝手に出て行ってしまうことになって、ごめんなさい。これ以上、皆さんに迷惑をかけるわけにもいかないので、出て行くことにします。初対面の私に優しくしてくれてありがとう。龍哉の面倒も見てくれてありがとう。龍二と約束してたけど、やっぱり私はいないほうがいいと思うから。龍二にも迷惑かけてごめんなさいと伝えてください。もう二度と迷惑はかけないので安心して。さようなら。香織。』」 慎吾が書置きの内容を読む。 「何か死ぬみたい。」 読んだ感想を慎吾はさらりと言った。 「だから血相変えて飛び出してったんだ。」 直人が葵の行動を思い出し、納得する。 「そうだよ。あたし、びっくりしちゃって。・・でも、香織さんの気持ちも分からないでもないんです。」 「え?」 葵の言葉に思わず聞き返す。 「香織さんと話してて分かったんだけど、香織さん、自分のことみんなの重荷としか考えてないんじゃないかって・・・。自分は龍二サンに嫌われてるって思い込んでるし。自分がいたら、皆に迷惑かかるって思い込んでると思うんです。そんなことないって言いたかったんですけど。『23年の付き合いがあるから分かる』って言われたら、何にも言えなくなっちゃって・・・。」 「そっかぁ。かおちゃん、そんなこと言ってたんやぁ。」 慎吾が溜息を吐く。 「何の話?」 連絡を終えた透が戻ってくる。 「かおちゃん、何で逃げたのかなぁって話。」 慎吾が今までの話を簡単にまとめる。 「ああ。そのことね。」 透は席に座りながら、相槌を打つ。 「あの2人もとっととくっつけばええのに・・。」 透が愚痴る。 「透もそう思う?」 「当たり前やん。あの2人、昔っから、あのままやで?」 透は慎吾の問いに即答した。 「龍二も香織も相手のこと、気にしすぎなんや。2人とも肝心なこと言わへんってのは、昔から全然変わってないねん。」 透は腹が立って来たのか、関西弁がもろに出始める。 「んじゃ、今日はいい機会やってことやね。」 慎吾が上手くまとめる。 「そうやな。」 「響サン、何て?」 亮が口を開く。 「『こっちは何とか上手く誤魔化すから、そっちはそっちでできることをやれ』ってさ。」 透はコーヒーに口を付けながら答える。 「できることったって・・。」 「ライブのこととか?」 亮の呟きに慎吾が提案を出す。 「曲目は大体決まってるもんな。あと、演出関係と、曲順くらいか?」 透が確認するように話すと、慎吾が頷く。 「そ。でもさ、新曲やりたいなぁ。」 「そういうことは、曲作ってから言え。」 透が冷たく切り返す。 「いいなぁ。」 「何が?」 直人の呟きに隣にいた慎吾が聞き返す。 「自分で曲作れるんですよね?」 「うん。まぁ、そうやってインディーズからやってきたからね。」 「直人も作りたいの?」 透の問いに直人は頷いた。 「そのためにギターを始めたんです。」 「それで俺にギター教えてって言ったんだ。」 慎吾が微笑む。直人は頷いた。 「でもなかなか上手くいかなくて・・。」 「初めはそんなもんやって。最初って曲作らなって力みすぎちゃって、上手くメロディーにならんのや。でも、それを繰り返してたら、ある程度の形にはなると思うで。」 慎吾が慰める。 「でも何で自分で作ろうと思った?」 透が問うと、直人は黙ってしまった。上手く言葉にならない。 「・・俺たちって他人に作ってもらった曲を、他人が振付けて踊ってるじゃないですか。それって、何って言うか、俺たちが・・『eyes』が作られるカンジがするんですよね。だからいつかは、俺らが両方できたらいいなっていう・・願望です。」 「そうそう。直が曲作って、俺が振付けるんよな。」 快人が直人の肩を組む。 「いいやん。なんか、それって見てみたいかも。」 慎吾が同調する。 「ま、曲ってのは、自分の内面が出てくるからさ。歌詞でもそうだけど。だからさ、思いついたままに書けばいいよ。後から聞けば、『このとき、こう思ってたんだ』って懐かしく思えるよ。きっと。」 透が言葉を付け足す。直人は透の言葉に勇気付けられた。 「葵、飯は?」 快人がいつの間にかキッチンに入って、物色し始める。 「あ、そっか。もう作らなきゃね。」 葵は立ち上がると、ダイニングの椅子に掛けてあるエプロンを着け、キッチンに立つ。 「何か食べてくでしょ?」 「うん。」 快人の返事を聞いて、葵は冷蔵庫を開けた。そこから数種類の野菜と冷ご飯を取り出す。 「とりあえず炒飯とかでい?」 「うん。」 葵は野菜を切り始める。快人はその隣で湯を沸かし始める。 「直もラーメン食う?」 「うん。」 どうやら炒飯と一緒にラーメンを食べる気らしい。葵はその間も手際よく料理している。 「すごーい。はやーい。」 葵の手際のよさを見て慎吾が驚嘆する。 「慣れですよ。慣れ。」 慎吾の言葉を聞いて葵が答える。葵はその間にもさっさと炒飯を作り、お皿に盛り付ける。 「できたよ。」 「こっちも。」 快人がラーメンを器に盛る。直人はリビングからダイニングに移動する。快人と直人は一足早く夕飯を食べる。2人が食べている間、葵はまた夕飯を作り始めた。 「みなさんも食べていきます?」 「いいの?」 慎吾が喜んで飛びつく。 「もちろん。」 葵は笑顔で答えると、慎吾は即答した。 「じゃあ、お言葉に甘えて。」 「慎吾!」 透が遠慮をしない慎吾に向かって怒鳴る。 「透サン、いいんですよ。ご飯はみんなで食べた方が美味しいですし。」 葵は買い物袋から材料を出しながらそう言った。 「あ、俺帰ってから食べるから残しといて。」 快人はさっさと炒飯とラーメンを食べ、葵に夕飯をせがむ。 「俺も。」 直人が同調する。 「分かってるって。」 葵は笑顔で答えた。そのとき、玄関のベルが鳴る。 「あ、来たか?」 快人が立ち上がり玄関に向かった。 「直ぉー。」 玄関から快人が呼ぶ。 「はいよぉー。」 直人は持って下りていた2人分の上着を持って玄関に向かう。葵は手を止め、一緒に玄関に出て行く。 「はい。快人。」 直人は上着の片方を快人に渡した。 「サンキュ。」 快人は受け取り、上着を羽織る。 「松木さん。今日も2人をお願いしますね。」 「はい。」 葵の笑顔に松木も笑顔で答える。 三人を見送ると、葵はキッチンに戻り、夕飯を作り始めた。その間、B・Dのメンバーはライブの計画を立てていた。 結局龍二と香織の話し合いは決着がつかなかった。話し合いを中断し、夕飯の時間になった。 「お鍋だぁー。」 目の前に鍋が置かれ、まだぐつぐつ煮立っている鍋に慎吾が絶叫する。 「水炊きでーす。」 葵はもう1つの鍋も置いた。食欲が半端ではない5人がいるのだ。1つの鍋で足りるはずがない。葵が蓋を開けると、美味しそうな具がグツグツ煮立っていた。 「うまそー。」 「きたねー。」 涎をたらしそうな勢いの武士に隣の亮が突っ込む。 「さぁ、どうぞ。」 葵は皆に箸を勧めた。 「いっただきまーす!」 慎吾が元気良くそう言うと、鍋に手を伸ばす。それを見て他のメンバーも鍋を突付き始める。 鍋を突付き終わり、一服を取り終わると、快人と直人が帰ってくる。2人はコートを置いて、リビングに入ってくる。葵が温め直した鍋を2人の前に置くと同時に、鍋に突付き始めた。 他のメンバーは葵特製のデザートを頬張っていた。 話がまとまらず、メンバーはなぜか日向家に泊まることになった。 メンバーはリビングで(他の部屋は暖房器具がないため)、香織と龍哉は葵の部屋で休むことにした。 そしてここは葵の部屋。 「じゃあ、結局話し合い、全然進まなかったんですね。」 「そ。あたしも龍二もどうしたらいいか分からなくて。結局何も言わないまま時間が過ぎちゃったの。」 香織は龍哉を寝かしつけながら、話した。 「香織さん、もしかして迷惑がかかるから何も言わなかったんじゃ・・。」 葵の推測に香織は返事をしなかった。 「だったら、そんなこと抜きにしないと、何の解決にもならないですよ。」 葵の言葉は胸に刺さった。 「龍二サンも香織さんも、人に気を遣いすぎです!言わなきゃ分からないことだってあるんですから。他人のあたしが言うのも変ですけど。・・・このままでいんですか?」 「あたしは・・・。」 香織は言葉を飲み込んだ。 「言ってください。香織さんはどうしたいんですか?この際、龍哉クンのことは抜きにして、香織さん自身はどうしたいんですか?」 葵の言葉に促されるように香織は口を開いた。 「あたしは・・龍二とずっと一緒にいたい。・・・でも・・。」 「もう『でも』とか『だって』とかはなしです。それをちゃんと龍二サンに伝えてください。」 葵の言葉に香織はゆっくり頷いた。 同じ頃。リビングでは透と龍二がソファの上で、さっき外の自販機で買ってきたビールを飲んでいた。武士と慎吾はこたつに入って気持ち良さそうに寝ている。しかし武士の足は反対側から飛び出しているので、それを見た葵は武士の足に毛布を掛けていた。亮はこたつには入らず、電気カーペットの上で毛布に包まっている。 「龍二。話し合いは?」 気になっていたので聞いてみる。 「全然進まへん。あいつ、しゃべらんし。あいつがどうしたいか分からんけん、俺もどうしたらええか分からんし。お互いにしゃべらんづくで終わってもうた。」 龍二はそう言いながらビールを口に運ぶ。 「お前さ、前から言おうと思ってたけど、人に気ぃ遣いすぎや。龍の場合、もっとわがままでもええねんで。」 透の言葉に分かってると言うように頷く。 「だってさ、一方的にしゃべるんもどうかと思うで。」 「それはそれ、これはこれや。大体、自分がどうしたいか、お互いに言わんから、話が進まへんねやろ?お前も香織も昔っから変なトコで遠慮するよな。」 透は溜息を吐きながら、ビールを口に含む。 「なぁ、龍二。龍哉のことはこの際置いといてやな。お前はどうしたいんや?」 透が核心をつく。 「・・・香織は俺にとって大事な女や。できればそばにいたい。」 「何や。ちゃんと答え出とるやんか。」 透はあっさり言い放った。龍二の中ではもう決まっていたのだ。 「それやったら、ちゃんと香織に言うたりや。お前のその言葉を待っとると思うで。」 「そうか?」 「そうやって。明日の朝一番に言うんやで。」 透はムリヤリ約束を取り付けた。そうして2人も眠りに就いた。 翌日。今日は日曜日だが、朝からしっかり包丁の音が響いていた。今日はその音で亮は目が覚めた。 「あ、おはよ。亮クン。」 起き上がると、たまたまこっちを向いた葵が気づき、声をかける。 「はよ。」 まだ寝ぼけ眼の亮は、あくびをしながら返事をする。 「まだ寝てても大丈夫みたいよ。」 葵が時計を見ながら言う。ただ今の時刻8時10分前。今日のお仕事はお昼からと龍二に聞いた。 「早起きだな。」 亮が呟く。 「あたしは快人と直人の朝食作らなきゃいけないの。今日は9時にお迎えに来るはずだから。」 葵が亮の呟きを聞き取り、返事する。 「ふーん。」 「ねぇ、お腹空いた?」 不意に葵が振り返って訊いた。 「うん。」 遠慮がちにそう答えると、葵は笑顔で訊いた。 「和食でいい?」 葵の問いかけに、亮は頷いた。 「はい、どうぞ。」 葵は亮の前に朝食を整えた。 「いただきます。」 「どうぞ。」 亮は両手を合わせて、食べ始めた。 「ねぇ、変なコト聞いていい?」 葵は気になったことを、この際訊いてみることにした。 「うん?」 味噌汁をかき込みながら亮は葵を見た。 「何であんなに辛そうに歌うの?」 「ん?辛そう?」 「うん。聞いててね、喉痛めそうな歌い方するなぁと思って。」 「そお?」 あっけらかんと言う亮に葵は戸惑った。 「飽くまであたしが聞いててそう思っただけだから。」 しばらくの沈黙の後、亮は口を開いた。 「初めてそんなん言われた。何でもお見通しなんやな。」 「え?」 亮の意外な言葉に葵は驚いた。 「俺、未だに何で歌ってるのか、分からへんねん。どうしてここにおるんかっていう存在自体、俺にとっては謎で。だからかどうか分からんけど、歌ってる意味ってのを探ってるからかもしれんな。あ、でも、俺、別に意識してへんからな。」 「歌う意味?」 葵の反復に亮が頷く。 「歌う意味か・・。難しいね。」 「・・・。」 葵の意外な反応に亮は驚いた。絶対に笑われると思った。 「おはよう。」 寝ぼけ眼の快人と直人が起きてくる。 「おはよ。」 「はよ。」 茶碗を持ったまま亮は目を上げて挨拶した。 「あ、おはようございます。」 直人と快人は慌てて挨拶する。 「そんな丁寧に挨拶せんでもええで。飯食わしてもらってるし。」 2人は笑いながら、席に着く。葵は2人の前に朝食を置いた。 「「いただきます。」」 ハモリながら同じように食べ始める。 「おもろいな。お前ら。」 「え?」 「おんなしように食べるな。」 亮はクスッと笑った。 「別に合わせようと思ってるわけじゃないんですけど・・。」 直人は快人を見た。 「俺だってそうだよ。」 「一卵性双生児だから仕方ないんじゃない?」 「双子の神秘ってヤツか。」 いつの間にか起きてきた龍二が口を挟んだ。 「あ、おはようございます。」 双子と葵が挨拶する。 「おはよ。」 欠伸しながら答える。 「亮、早いやないか。いっつもたたき起こさな起きんのに。」 「龍二にそれを言われたくないね。」 亮はぷいっと横を向いた。要するにどっちもどっちなのだ。 「龍二サンも食べます。」 「ああ。もらおうか。すまんな。いっつも。」 「いえいえ。」 葵は龍二の分を配膳した。 「あの3人は昼ぐらいにならんと起きんやろな。」 亮はまだ寝ている3人を見た。全く起きる気配がしない。 「ええやん。寝かせとけ。寝れる時に寝とかな、いつ寝れるか分からんし。」 「そうだ。龍二サン、悪いんですけど、香織サン、起こして来てもらえます?」 「香織を?」 「はい。今日中に荷物取りに行きたいらしくて、あたし昼からバイトなんで、午前中しか空いてないんですよ。1人では行きたくないって言ってて。だからもうそろそろ起きてもらったほうがいいかなと。」 もうあの家は元カレにバレているだろう。もしかしたら待ち伏せしているかもしれない。1人で行くのは危険極まりない。 「分かった。えーっと・・どこかな?」 龍二は立ち上がった。 「2階に上がって奥の部屋です。葵って書いてますから、すぐ分かりますよ。」 龍二は2階に上がった。上がってすぐは直人、快人の部屋が並んでいた。ドアに名札が掛かっている。龍二は葵と掛かれたドアの前に立った。 『明日の朝一番に言うんやで。』 昨日の透の言葉が頭の中を過ぎる。 『そんなこと、分かってるよ。』 龍二は心の中で呟いた。深呼吸をしてドアをノックする。 「香織、起きてるか?入るぞ。」 龍二はドアをゆっくり開けた。 「何だ、起きてんやん。」 香織は龍哉をあやしていた。 「葵ちゃんがそろそろ起きた方がいいって。」 「うん。」 そこで会話が途切れる。 「あ・・のさ、昨日透に言われたんやけど・・。」 龍二は香織の目の前に座った。 「もう遠慮しない。俺は俺の思ったこと、これから言うから、お前もちゃんとホントのことを言えよ。」 龍二の言葉に香織は頷いた。 「俺はお前のこと大事に思てる。お前がいなくなったとき、めっちゃ辛かった。もうそんな思いするんは、嫌や。単刀直入に言う。俺はお前のこと好きや。だからこれからもずっと俺のそばにいてくれ。」 その言葉は香織にとって一番言って欲しい言葉だった。自然と涙が溢れる。 「アホ。何泣いとんねん。」 「だって・・。」 ずっとその言葉を待っていた。でも他の男の子供を身ごもった自分を好きになってくれるとは思わなかった。 「ずっと待ってたの。龍二のその言葉。でもなかなか言ってくれないから、あたし、取り返しのつかないことしちゃったじゃない。」 「何言うてんねん。龍哉は俺の子なんやろ?」 「え?」 「龍哉は俺とお前の子やろ?」 思いも寄らない言葉に香織はまた涙を流す。 「もう泣くなよ。母親だろ?」 「その前に女よ。」 香織が言うと龍二が笑った。香織の頭を自分の胸に押し付ける。 「悪かったな。長い間待たせて。でもこれからは待たせた分、幸せにするから。」 龍二の暖かさが伝わり、香織は涙を止めることができなかった。 しばらくして龍二が龍哉を抱いて下りて来た。リビングには亮と葵が話していた。どうやら双子は仕事に出かけたようだ。 「あれ?香織さんは?」 「ああ。今顔洗ってる。」 葵の質問に答える。 「解決したみたいやな。」 亮が鋭く指摘する。そう言えば龍二の顔がいつもよりも穏やかだった。 「まーな。心配かけたな。」 「別に心配してへんよ。」 亮がそっぽを向く。 「嘘ばっかり。時計ちらちら見てたくせに。」 葵が意地悪く笑う。 「見てへんよ。」 亮はムキになって反論する。 「見てたよ。素直に言えばいいじゃない。心配してたって。」 「してへんもん。」 もう既に小学生の言い争いのようだ。いつもと違う亮に龍二は笑いながら席に着いた。葵はご飯と味噌汁を盛り付ける。 「龍哉クン、起きてるんですか?」 「うん。」 「じゃあ、抱いときます。食べにくいでしょ?」 「悪いな。」 龍二は龍哉を葵に預けた。 「おはよ。」 「あ、おはようございます。」 香織が起きてきた。葵は立ち上がり、支度をしようとした。 「あ、いいわ。自分でやる。作ってもらっといてなんだけど・・・。龍哉の相手お願い。」 「分かりました。」 葵は龍哉を抱き直した。亮は立ち上がり、リビングの方に逃げるように行ってしまった。 「やっぱあたしいるからか・・・。」 亮の行動に香織が溜息吐いた。 「いつもやん。」 「そうだけど、でもさ、葵ちゃんは大丈夫みたいね。」 「そう。それが不思議なんや。」 龍二は食べながら答えた。2人の会話を聞いて葵は安心した。普通に話している。昨日は一言も話そうとしなかったのに。葵は席を外し、リビングの方へ行った。 「上手くいったみたいやな。」 亮はつけたばかりのテレビを見ながら言った。 「そうだね。」 葵は微笑んだ。 「そういや、荷物取りに行くとか言ってなかったっけ?」 亮が不意に話し掛ける。 「あ、そうだった。」 葵は思い出したように立ち上がった。 「香織さん、荷物、取りに行きます?」 「あ、そうね。」 香織は丁度食事を終えたところだった。 「送ってこっか?」 「でも車ないでしょ?」 龍二の提案に香織が問う。 「大丈夫。」 にやっと笑った龍二は携帯電話を取り出した。 「じゃあ、あたし、ここで待ってますね。」 葵は龍哉を抱いたまま言った。結局龍二がマネージャーを呼び出し、車を借りたのだった。響は日向家でお留守番中である。そして香織の家まで龍二が運転し、香織と葵と珍しく亮がついてきた。 「おら、亮。来い。荷物持ちだろ?」 龍二に言われ、渋々車を降りる。 「んじゃ、葵ちゃん。何かあったら携帯呼んで?」 龍二は自分の携帯を差し出した。 「3押して、ダイヤル押したら、亮の携帯にかかるから。」 「はい。」 葵は携帯を受け取った。3人は香織の住んでいたアパートの2階に上がっていった。 「で?何持ってくんや?」 「ってか、アパート引き払わんの?」 龍二の言葉に被るように亮が言った。3人は香織のアパートに入った。 「そうね。でも・・行くとこないし・・。」 香織が溜息を吐く。 「なら、俺んとこ来たらええやん。」 龍二の言葉に香織がじっと見つめた。 「はぁー。」 大きな溜息を吐く。 「何やねん。その溜息は。」 「だって龍二のとこ行ったら、それこそ週刊誌とかの格好の餌食じゃない。」 「じゃあ、荷物持って何処行くんや?」 龍二はちょっとむっとしながら聞いた。 「昨日、葵ちゃんと話し合って、しばらく葵ちゃんとこにお世話になろうってことになったの。」 香織はさっさと荷物を片付け始めた。亮は周りを見渡した。少ししか荷物がない。 「おら。亮。持て。」 詰め終わった鞄を龍二が亮に渡す。 「でもそれこそ疑われんか?eyesの2人がおるんやで?」 龍二に対し亮が問う。 「大丈夫よ。葵ちゃんの友達って思うでしょ。大体あの2人、まだ中学生じゃない。そんな話、誰が信じるっていうのよ。」 香織が代わりに答えた。 「そりゃそうだ。」 「龍。これだけ?」 「あ、うん。とりあえずそれ持ってって。」 龍二の代わりに香織が答えた。亮はそう聞くと、一足先に車に戻った。 「なぁ。香織。マジで俺んとこ来る気ないん?」 2人っきりになった途端、龍二は香織に近寄った。 「今は無理でしょ。・・・そりゃ・・行きたいけど・・。」 「え?」 嬉しそうに聞き返す。 「何でもない!はい。これ持って。」 香織は照れ隠しのように龍二に荷物を手渡した。 「照れんなって。」 龍二は肘で香織をつついた。 「うるさいなぁ。早く持ってってよ。」 香織は照れていた。 日向家に戻ったのはお昼を少し過ぎていた。 「遅い。」 家についた途端、響が言い放つ。 「わりぃ。」 「ったく。早く荷物降ろせ。仕事、遅れるぞ。」 「はーい。」 龍二が軽く返事する。荷物は寝ていた3人も加わり、5人でさっさと運び入れた。 「んじゃ、仕事いってきまーす。」 武士が明るく返事する。 「いってらっしゃーい。」 葵と香織が見送る。5人は響が運転する車に乗り込み、仕事場へ向かった。 「さってと。あたしもそろそろ行こうかな。」 お昼を簡単に済ませて、葵は立ち上がった。 「じゃあ、香織さん。すいませんけど、留守番お願いしますね。」 「うん。いってらっしゃい。気をつけてね。」 香織は葵を玄関まで送り出した。 |