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一昨年、大好きだったおばあちゃんが亡くなった。 昨年、小さい頃から飼っていた犬が亡くなった。 3ヶ月前、突然母を亡くした。 不幸は続くもので、二度あることは三度あるとはこういうことを言うのだと思った。 そしてつい一時間前、幸田佐智子は学校帰りに車に跳ねられた。幸い相手の車のスピードはあまり出てなかったので、大事に至ることはなかったが、咄嗟に地面についた腕が骨折し、身体中打撲のため入院することになった。 「パパ、ごめんね。仕事中だったのに。」 慌てて駆けつけた父に謝ると、父は苦笑いを浮かべた。 「謝ることないよ。それよりサチが生きててくれたことだけで十分だよ。」 父はポンッと優しく佐智子の頭を叩いた。 「それより、ごめんな。これからまた会社に戻らなきゃいけないんだ。」 佐智子は「ううん。」と首を横に振った。忙しいのはよく知っている。 「後のことは福田さんに頼んでおいたから。おばさんの言うこと、よく聞くんだよ?」 その台詞に思わず佐智子は笑った。 「もう。パパったら。小さい子じゃないんだから。」 「そうだな。じゃあ、もう行くよ。」 「いってらっしゃい。気をつけてね。」 佐智子が言う台詞じゃないと思いつつも、佐智子は笑顔で見送った。 父は忙しい人間だった。佐智子は父親と一緒に過ごした記憶があまりなかった。いつも母と2人でその母親が亡くなって、家には佐智子一人きりになった。 寂しくないと言えば嘘になる。一人になるとどうしても母のことを思い出して、泣いてしまう。泣いてももう戻ってこないのに。 「おい。バカサチ。」 不意に声がして、佐智子は目を開けた。いつの間にか眠っていたようだ。目の前には幼馴染の祥平の顔があった。 「げ。祥平。」 「げって何だよ。せっかく俺様が見舞いに来てやったのに。」 祥平はふてぶてしく椅子に座った。 「こら。祥平。あんたは何でそんな口が悪いの?」 祥平の母親が祥平の頭をコツンと殴った。 「ってーな。」 「さっちゃん。大変だったわねぇ。お父さんはもうお仕事戻られたの?」 おばさんの言葉に佐智子は頷いた。 「おばちゃん、ごめんね。忙しいのに。」 「何、水臭いこと言ってんのよ。」 おばさんはケラケラと笑った。祥平と違って優しい。 「にしてもお前、よく生きてたな。」 「何よ、それ。」 祥平の言い方に、何だかムッとする。言い方が嫌味だ。 「車に跳ねられたんだろ?」 「そう・・だけど・・。」 「お前人間じゃねーな。」 プププと笑う祥平に佐智子はブチンと何かが切れた。 「こんのぉバカ祥平っ!!!」 右腕をつい振り上げてしまう。ギプスをして固定していることをすっかり忘れていた佐智子に痛みが走る。 「ったぁぁ・・。」 「大丈夫?さっちゃん。祥平、余計なこと言わない!怪我人には優しくしなさいっ!」 おばさんが怒鳴るが、祥平は全然堪えていないようだ。 「そんだけ騒げる余裕があるんなら、大丈夫だろ。」 ゴンッ。 おばさんの鉄拳制裁が下る。祥平は脳天に走った衝撃に身悶えた。 「ったく。あんたは素直になれない子だねぇ。花を生けてくるけど、さっちゃんに意地悪しちゃダメよ。」 おばさんは花瓶と花束を持って病室を出て行った。 しばらく沈黙が流れる。口火を切ったのは祥平だった。 「腕、大丈夫か?」 そんな言葉が祥平の口から飛び出すとは思わなかった佐智子は驚いたが、すぐ頷いた。 「うん。」 「折れてんの?」 「うん。」 「うわっ。マジでっ?」 祥平は驚いた。まさか骨折してるとは思わなかったのだろう。 「・・・わ、悪かった。」 突然祥平が頭を下げる。 「そんな悪いと思ってなかったからさ・・・。ごめん。」 意外と素直に謝る祥平が見れて、佐智子は何だか得した気分になった。 「いたたたたたた。腕痛いー。」 「お前、それはわざとだろ。」 「チッ。」 あっさりと嘘を見抜かれ、佐智子は舌打ちした。 「うわ。女なのに舌打ちしたよ!こいつっ!かわいくねー。」 「どうせかわいくないですよーだ。」 幼稚園児の喧嘩のように、佐智子は舌を出した。 「うわ。マジでかわいくねー。」 ふーんだといじけると、祥平は溜息をついた。 「お前そんなんじゃ男寄ってこないよぉ?」 「あんたに言われたかないわっ!!」 幼馴染で一つ年上の福田祥平は、とにかく口が悪かった。昔はもっと優しかったはずなのに。 だけど不思議なヤツだった。祥平といると、いつの間にか寂しい気持ちは消えていた。口は悪いけど、やっぱり優しいヤツなんだと思う。 父は相変わらず仕事が忙しく、見舞いも時々しか来れなかった。入院と言っても二週間なので、それくらい我慢できた。少なくとも家に一人きりでいるより全然いい。 祥平は毎日見舞いに来た。ただ祥平の母親に付いて来ただけだが、それでも嬉しかった。 そんなある日のことだった。一人で見舞いに来た祥平がふと疑問に思ったことを口にした。 「お前の友達は見舞いに来ないのか?」 佐智子はきょとんとして祥平を見た。 「みんな・・・忙しいんだよ。部活とかしてるし、反対方向だし。」 そう笑う佐智子は何となく元気がなかったのかもしれない。 「お前、まさか友達いないんじゃ・・・。かわいそうに・・・。」 冗談のつもりで、祥平はヨヨヨと泣く真似をした。いつもなら「そんなことない!」と言い返す佐智子の声が聞こえてこない。 「サチ?」 思わず俯いている佐智子の顔を覗きこむ。 「・・・のよ・・。」 「え?」 か細い声が聞こえず聞き返すと、佐智子は祥平を睨んだ。 「あんたに何が分かんのよ!!」 まさか怒鳴られると思わなかった祥平は、完全に謝るタイミングを逃していた。佐智子は祥平から顔をそらした。 「帰って。もうあんたの顔なんて見たくない。」 佐智子は祥平と反対方向へ向いて布団を被った。初めて佐智子に拒絶された祥平は何も言わず、病室を後にした。 佐智子は胸が締め付けられるように苦しかった。祥平は1歳年上なので学年が違う。なので学校での佐智子のことはきっと知らない。隠してた訳じゃないが、知られたくなかった。 佐智子は何をするにもとろかった。そんな佐智子を見てイライラする人間は多く、なるべくなら関わらないようにとクラス全員に避けられていた。 それは慣れていた。昔からそうだった。一人でいることには慣れていた。それに、家に帰ればそんなことも忘れられた。優しい母が話を聞いてくれたし、何でも言い合いできる祥平が居たから。 だけど、母はもういない。祥平にだってきっと呆れられた。 もう生きてたって何も言いことなんてない。いっそ死んでしまえば、楽になれるのかもしれない。 生きてたって、いいことなんてない・・・。 翌日。佐智子の元にクラスメート数人が見舞いに来た。恐らく担任に言われたのだろう。委員長が混ざっている時点でバレバレだ。 「ありがとう。」 理由はどうであれ、見舞いに来てくれたことは素直に嬉しかった。 「大変・・だったね。」 委員長がやっとの思いで言葉を発する。 「うん・・・。」 会話が途切れてしまう。何か切り出さなきゃと佐智子は慌てた。だが相変わらず口調は遅かった。 「ご、ごめんね。みんな・・・忙しいのに・・。」 「いいよ。そんなの。」 「それより早く元気になって、学校来てね。」 うわべだけの優しさだと分かってはいても、何だか嬉しい。 「あ、俺塾の時間だ。」 しばらくして一人が切り出す。 「じゃあ、早いけど俺らも帰ろう。」 「そ、そうだね。あんまり長居しても身体に悪いもんね。」 わざとらしい芝居に気づきながらも、佐智子は引き止めなかった。 「うん。来てくれてありがとう。」 「じゃあ、またね。」 あっという間に帰って行ったクラスメートの背中を見送り、佐智子は溜息をついた。 (無理して来なくていいのに。) 内申でも稼ぐ気なのだろうか?そんなことどうでもいい。 ふとさっきまでクラスメートが座っていた椅子を見ると、生徒手帳が落ちていた。ズボンの後ろのポケットにでも入れてて落ちたのだろうか? そう遠くは行っていないはずだと佐智子はベッドを抜け出した。 その頃祥平は昨日の一件を謝りたくて病院にやって来た。 (でもなぁ・・・どうやって謝ったらいいんだ?) こんなことは初めてだった。佐智子とは兄妹同然に育ち、喧嘩をしても翌日には仲直りをしていた。あんなに怒った佐智子を見るのは初めてだった。 (拒絶されたらどうしよ・・・。) 一抹の不安を覚える。昨日あれから一度も佐智子は祥平の目を見ようとしなかった。それだけ怒ったということなのだろうが、どうしたらいいのか分からなかった。 試行錯誤をしている間にエレベータが佐智子が入院している階に着いた。エレベータを降り、重い足取りで佐智子の病室へ向かう。ふと見ると、佐智子の病室から数人が出てきた。同じ学校の制服を着ていた。 (サチのクラスメート?何だ、友達いんじゃん。) となるとますます佐智子の怒りの原因が分からない。祥平は頭を抱えながら、佐智子のクラスメートたちとすれ違った。 「幸田ってとろいからいつか事故ると思ってたけど、マジで事故るとはなぁ。」 クラスメートの会話が聞こえる。そのことには思わず祥平は頷いた。 「てかさ【幸田佐智子】なんて幸福そうな名前なのに不幸ばっかだよな。」 「こないだお母さん亡くなったんでしょ?」 「【不幸田佐智子】にすりゃいいのにな。」 ケラケラと笑うクラスメートに祥平はキレた。 「おい。てめーら。」 呼び止められ、クラスメートはこちらを見た。祥平が睨むと相手は少しひるんだ。 「な、何か?」 「お前ら、サチの友達だろうが。」 怒りを抑えながらそう言うと、眼鏡をかけた優等生らしき男が答えた。 「友達?俺らはただのクラスメートですよ?」 ダンッ! 祥平は右手拳で病院の壁を殴りつけた。その勢いにクラスメートはひるむ。 「冗談だとしても言っていいことと悪いことがあるだろうがっ!」 「なっ!」 パサッ。 何かが落ちる音がして、祥平たちはそちらを見やった。 「サチ・・。」 そこには総てを聞いていた佐智子の姿があった。 「ごめ・・・。生徒手帳、忘れてたから・・。」 佐智子は左手でそれを拾い、持ち主に返した。 「みんな・・・無理して来なくても・・・よかったのに・・・。」 佐智子はそう呟くと、病室とは反対方向へ走り出した。 「あ、サチ!」 逃げるように走る佐智子を祥平が追いかけた。 取り残されたクラスメートたちは、気まずそうにお互いを見合わせた。 「おい!バカサチ!!お前怪我人だろうがっ!!走るなっ!!」 祥平は必死で佐智子を追いかけた。 佐智子が行きついた先は屋上だった。佐智子はフェンスをよじ登ろうと足をかけるが、よじ登るような高さではないフェンスに気づき、その場に座り込んだ。 「サチ?」 座り込んだ佐智子に声をかける。顔を覗きこむと、泣いているのが分かった。 「どうして・・・?」 小さく漏れた声が聞こえる。 「どうして・・・死なせてくれないの・・・?」 佐智子は両手で顔を覆った。病室の窓は5センチ程度しか開かないようになっているし、屋上のフェンスも何メートルも高さがある。こういう自殺志願者を自殺させないためだろう。 「何?お前死にたいの?」 その問いに佐智子は頷く。 「お前が死ぬわけないじゃん。てか死なせねぇよ。」 「何でよ・・・。祥平はあたしのこと何も知らないくせに!」 佐智子は思わず怒鳴った。 「大好きだったおばあちゃんもジョンもお母さんさえも失ったあたしに何があるって言うのよ。祥平なんかにあたしの気持ちが分かるわけないじゃん。」 佐智子はそう言うとプイッと顔を背けた。祥平は溜息をついた。 「分かんねーよ。お前の気持ちなんか。」 そう言い捨てると、佐智子はぎゅっと拳を握った。 「そうやって『お前になんか分かんない!』って自分の殻に閉じこもってるヤツのことなんか一生分かりたくもないね。」 祥平の言葉が胸に突き刺さる。 「確かに学校でのサチのことは知らねぇよ。学年違うし。だけど、お前いつも笑ってただろ?少なくとも家に居る時は笑ってただろ?」 そう言われ、不意に思い出した。母が生きていた頃を。確かに学校では嫌なことばかりだったが、家に帰れば母の笑顔があったから、自然と笑顔になれた。 「それは・・・ママが居たからだよ。」 「お前はおばさんがいなきゃ笑えないのか?」 そんなことはない。きっと。だけど・・・。 思わずフェンスに額をくっつける。ひんやりとして何だか気持ちいい。 不意に佐智子の額が祥平に剥がされる。いつの間にか真後ろに居た祥平の肩にもたれる形になる。吐息がリアルに聞こえて、心拍数が上がる。祥平の手が触れるおでこが熱くなる。 「俺さ、サチの名前好きだよ?」 「は?」 何を突然言い出すのかと、佐智子は耳を疑った。 「知ってた?俺ら2人じゃないと【シアワセ】にはなれないんだよ?」 意地の悪い低い声が耳元で響く。 「な、何言ってんの?」 照れもせずにこっぱずかしいことをサラリという祥平に佐智子の心臓はこれまでにないくらいドキドキした。 「サチの苗字と俺の苗字くっつけたら【幸福】になるだろ?」 「な、何それ。すっごい変な理屈。」 佐智子は思わず笑っていた。 「やっと笑った。」 「え?」 佐智子が聞き返すが、祥平は答えなかった。 「戻るぞ。お前怪我人なのによく走れたな。」 祥平の言葉に今頃痛みが襲ってくる。 「あ・・・。」 「・・・。」 結局屋上から祥平に負ぶわれて病室に戻った佐智子は看護士さんにこってり怒られた。入院期間も少しだけ延びてしまった。 後日、クラスメートたちが謝りにやって来た。 「ごめんな。悪ふざけしすぎたよ。」 「ごめんなさい。」 頭を下げるクラスメートを佐智子は快く許した。 そして仕事からようやく解放された父がちょうど退院する日にようやく顔を出した。 「サチぃ!ごめんよぉ。」 父は若干というかかなりキャラが変わって現れた。 「な、パパ。どうしたのよ。」 驚く佐智子を気にせずに父は抱きしめた。 「ごめん。仕事忙しくてなかなか来れなくて・・・。」 父の暖かい体温が流れ込んでくるようだった。 「サチがいなくなったらどうしようってずっと嫌なことばかり考えちゃったよ。」 苦笑いする父に、少し胸が痛んだ。 「大丈夫よ。あたしはどこにも行かないから。」 佐智子が笑うと父は嬉しそうに笑った。 退院した佐智子は祥平と共に歩いて帰ることにした。 「あたしばっかり不幸なんだって思ってた。祥平が言った通り、あたしは自分の殻の中に閉じこもってたんだよね。」 佐智子の言葉を祥平は静かに聞いていた。 「でもパパもあたしと同じこと考えてたんだってやっと気づいた。・・・そうだよね。おばあちゃんはパパのお母さんだし、ママのことだって・・・。」 佐智子の顔が一瞬曇る。 「ありがとね。祥平。」 「え?俺は何も・・・。」 突然お礼を言われ少し動揺する。 「でもさ、お前やっぱついてるよ。」 「え?何で?」 突然話を摩り替えられたような気がして、佐智子は祥平を見つめた。 「だってさ、車に跳ねられたのに生きてるしさ。それに・・・。」 そう言って祥平は佐智子の耳に口元を近づけた。 「俺様が傍にいるんだからな。」 心地のいい低音と台詞に、佐智子はボンッと赤くなった。それを見て祥平が笑う。 「なーんちゃって。」 ケケケと笑う意地悪な祥平の笑いに佐智子は真っ赤になりながら怒った。 「〜〜〜〜〜。もーーー!このバカ祥平!!」 不意に見上げた青い空に母の笑顔が見えた気がした。 |