font-size L M D S |
それはほんの出来心だった。何でそんなことをしたのか、自分でもよく分からない。 でも、それはきっと彼女があまりに寂しそうだったからだ。 男は町の外れにある山奥に住んでいる。姿を現すのは、夜の帳が下りてから。人知れずひっそりと姿を現す男は普通の人と変わった点があった。 それは、花が主食ということ。男は人間が普段食するものを食べられない代わりに、花を食べて生きていた。 そんな男を人々は気味悪がり、男を町から追い出してしまった。男は仕方なく山奥に小屋を作り、そこに一人で住んでいる。そしてみんなが寝静まった頃、男はひっそりと町に姿を現わし、散歩をすることが日課になっていた。 今日も男はいつものようにみんなが寝静まった頃、町に現れた。もちろん町全体は眠りに就いており、明かりは夜空から降り注ぐ月の光だけだった。 「今日はどうしよっかなぁ」 ふと見つけたある家の二階に空を見上げている少女を見つけた。セミロングの髪を綺麗に巻いてある。歳は十四、五といったところだろうか。彼女は何度か溜息を吐いて、部屋の中に戻って行った。 「この家って確か・・・・・・」 男は一階にある店の名前を見て、やっぱりと頷いた。 「さてどうしたものか」 男はその家を見つめ、考え込んだ。 翌日。男は一張羅のスーツを着込み、深めに帽子をかぶって町へ向かった。こんな明るい時間に行くのは初めてかもしれない。普段の格好と違うからか、町の人は誰も男に気づかなかった。 男は昨夜見かけた少女がいる店に向かった。外から少し店内を覗くと、都合のいいことに青いワンピースを着たあの少女が一人で店番をしていた。男は好都合だと店内に足を踏み入れる。入った瞬間、花の香りが男の鼻をくすぐる。そう、この店は花屋なのだ。 「いらっしゃいませ」 少女は入ってきた男に声をかけた。男が少女をよく見ると、彼女は車椅子に座っていた。 「どのような花をお探しですか?」 少女に話しかけられたが、男は逆に少女に質問をした。 「歩けないのか?」 少女は一瞬にして表情を曇らせた。少女は目線を伏せると、「はい」と頷いた。 「それより・・・・・・何をお探しですか?」 少女は話を変え、顔を上げた。その笑顔はどこか寂しげだった。 「君、名前は?」 その質問には少女は驚きを隠せなかった。一瞬戸惑い、口を開く。 「のばら・・・・・・です」 少女の名前を聞いた男はニヤリと不敵な笑みを浮かべる。 「そうだな・・・・・・。この店の花をすべてもらおう」 「え?」 男の言葉に驚き、少女は男を見つめた。見つめられた男はのばらを見下ろしながら言った。 「そして君もだ」 「は?」 男が何を言い出したのか分からないのばらは、固まってしまっていた。男はその間にさっさと店内の花を根こそぎ取っていた。ようやく我に返ったのばらは、男の行動をたしなめようとした。 「ちょっと、何してるんですか?!」 男は店内の花を抱え、のばらに向き直った。 「さぁ、君の出番だ」 男は軽々とのばらを抱きかかえた。 「え? ちょ、ちょっと!」 のばらが抵抗しようにもどうしようもない。 男は白昼堂々、店内のありったけの花と一人の少女を盗み出した。 男は自分の小屋に戻ると、のばらを下ろし、花を台所に置いた。 「私をどうする気?」 「知ってるか? 俺の主食は花なんだ。だから花の名前である君も食べようと思ってね」 男はニヤッと笑った。しかしのばらは動じなかった。 「いいよ」 その返事に男は驚いた。 「本当にいいのか?」 「いいよ。だって私は皆のお荷物だもん。生きてる価値なんてないもの」 のばらは今にも泣き出しそうな顔でそう言った。男はそんな彼女を見て、溜息をついた。 「やっぱやめた」 「え?」 「花は満開の時が一番美味しいんだ。だけどお前は蕾すらつけてないじゃないか」 男が言おうとしている意味が、のばらには分からなかった。 「のばら。どうして君は自分の殻に閉じこもってるんだ? どうしてすぐに諦める? そんなんじゃいつまで経っても咲けないぞ」 男の言葉に、のばらは顔を上げた。 「私も、咲けるの?」 「もちろん。だって君は【のばら】だろ?」 男はそう言って笑った。 「ねぇ、貴方の名前は?」 「名前? さぁ・・・・・・何だろう?」 男の返事にふざけているのかと思ったが、本当っぽくも見える。 「名前、ないの?」 「ないことはないのだろうけど。俺の名前を呼ぶやつなんていないから、自分の名前なんて忘れちゃったよ」 そう言って笑う男がのばらには悲しく見えた。この男は花が主食だと言った。町で噂されている彼の噂は、のばらの耳にも届いていた。 (この人はずっと孤独を抱えて生きてきたんだ) 人はどうして自分と違うだけで、排除しようと思うのだろう?同じ人間なのに。皆と同じ感情を持った一人の人間なのに。 「貴方は、ずっとここで一人で暮らしてるの?」 のばらの質問に男は頷いた。 「そうだよ。俺には家族なんていないからね」 男を見ていると、まるで自分を見ているようだった。 「ねぇ。私もここで住んでもいい?」 「どうして?」 「貴方と私、似ている気がする」 そう言うと、男は苦笑いを浮かべた。 「例えば?」 「そうね。いつも仲間はずれにされることかしら」 そう答えると、男は笑った。 「確かにそうだな。いいだろう。君もここに住むといい。だけど、俺は別に君を世話するわけじゃないからね。ここでは自分のことは自分でやるんだよ」 「もちろん」 のばらは大きく頷いた。 そうして山奥の小さな小屋で奇妙な共同生活が始まった。 その小屋から笑い声が絶えなくなるのは、そう遠くはない未来のお話。 |