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世界はモノクロだった。
今までそうだった。だからこれからも変わることはないと思っていた。
そう、彼女に出会うまでは。

芦原智也、十七歳。マジシャンである父の影響を受け、自身もマジックをやり始め、今年になってからショーにも出してもらえるようになった。小さなバーで余興的にやるショーだが、認められたことが嬉しい。それにまだ新米だけど、マジックは楽しい。奇想天外なトリックで観客を楽しませることができるのは、マジシャン冥利に尽きる。・・新人だけど。

智也はこれでも高校生なので、きちんと高校へと通っている。智也は二年生になって初めて同じクラスになった三瀬香奈が気になっていた。
きっかけは今年二月に初めてステージに立った時、彼女が見に来てくれていたのだ。たまたまなんだろうけど、マジックをする度に彼女は百面相をした。彼女のおかげで、緊張が解れ、練習どおりにマジックができた。
四月のクラス替えでまさか同じクラスになるなんて思ってもみなかった智也は、一人で緊張したが、彼女の方はまるで智也に気づいていないようだった。そのうちに香奈には彼氏がいることも発覚した。違うクラスの倉田幸則。地味な智也とは反対に彼は結構女子に人気があるようだった。香奈を好きとか嫌いとか、そんな意識は持ってなかった。だけど彼女が自分のステージを見てくれることが、何だかとっても嬉しかった。その時だけは、香奈は自分のことを見てくれている気がしていた。
どうやら香奈はマジックが好きなようだ。だが、香奈はとっても不器用で自分でマジックをやろうと練習するが、いつも失敗していた。そんな香奈を智也は微笑ましく思っていた。

「何で声かけないのさ?」
二学期に入ったある日の昼休み。いつものように練習している香奈を見ていると、突然後ろから友人の佐藤健治がにゅっと出てくる。
「・・いいだろ。別に」
「よくないよ。マジック教えてあげればいいじゃん」
健治の言葉に心が揺らぐ。
「かけれないよ。・・ほら」
智也は屋上にいる香奈を指差した。隣には彼氏の幸則がいる。
「あちゃー。彼氏も一緒かぁ」
「だから無理」
「うーん。やっぱ無理かぁ・・」
「何なんだよ。お前は」
「ルックスいいからなぁ・・あいつ」
智也はもう一度屋上に目を向けた。少しでいいから、あのカッコよさを分けて欲しいと思う。
「智也もさ、そのメガネ外せばいいんじゃね?」
「これないと見えない」
あっさりきっぱり言う。
「でもショー出るときは外してるじゃん」
「あの時はコンタクトだもん」
「コンタクトにすりゃいいんだよ」
「ヤダ」
「何で?」
「コンタクト入れるのキライだから」
「子供かぃ」
何とでも言え。日常のことなんだから、慣れてる方がいいに決まってる。ショーの時はいやいやコンタクトにしているのだ。父親に脅されて・・。
『コンタクトにしないと、ショーに出してやらん!』
なんて親だ・・。どっちでもいいじゃないかと思ってしまう。
「でもさぁ、三瀬も鈍感だよな・・。ショー毎回見てるのに、お前に気づかないなんてさ・・」
「そんなもんじゃね?」
確かに学校の中とショーをやってるのとでは、自分でもギャップがあると思う。
「芦原〜、生徒会長に呼ばれてるぞ〜」
「生徒会長?」
「なんかやったのか?」
「そんな記憶まったくないけど?」
クラスメートの問いに、そう返す。智也は不思議に思いながらも、生徒会室へと足を向けた。

「え?マジックショー?」
突然生徒会長(実はクラスメート)にそんな話を持ちかけられ、智也は驚いた。
「そう。確か芦原、マジックショーやってたよな?」
「あぁ・・まぁ・・」
「それ文化祭でもやってもらえないかな?」
「でもいつもやってるバンドとかダンスとかは?」
「あれもやるんだけど、どうも客入りが悪くて・・」
そりゃ・・友達が出てるとなれば、足を運んだりするだろうけど、ど素人の歌なんて好き好んで聞く人もあまりいないだろうな・・。
「俺、芦原のマジックショー見たけど、かっこよかったぞ」
「え?見に来てくれたの?」
「たまたまだけど、チケットもらって・・」
「へぇ・・」
こんな意外な人までもに見られていたとは。
「で。やってくれないかな?マジックショー」
「って言っても、俺新米だからそんな大したことできないよ?」
「分かってるって。別に大きなマジックやれなんて言ってないじゃないか」
目が言ってますけど?
「な、頼む」
生徒会長に直々に頼まれ、智也はしぶしぶ頷いた。
「分かったよ。だけど、本当に大したことできないからな?」
「うんうん。ありがとう!芦原!」
固く手を握られる。

「げ」
翌朝登校した智也は、自分の目を疑った。文化祭のポスターが貼ってある横に、同じように智也のポスターが貼ってあった。
『芦原智也 マジックショー』
とでかでかと書いてある。
「何だよ・・これ・・」
「よぉ。マジックショーやるんだって〜」
健治がニヤニヤしながら、智也の肩を叩く。
「言ったけど、こんな大きく宣伝するなんて聞いてねーよ」
怒りも呆れも通り越して、泣きたくなってきた。
「俺、大したマジックできねーのに・・」
だってまだ新人なのだ。
「がんばー」
「楽しそうだな、お前」
思い切り他人事のように言う健治に、智也は溜息をついた。

「これ、即刻剥がしてもらえる?」
智也はポスターを一枚剥がし、生徒会室へ乗り込んだ。
「何でよ?いいじゃん、これ」
「だーかーら!俺、大したことできないのに、こんなポスターなんて貼ったら皆期待しちゃうだろうが!」
「それをやるのがマジシャンでしょ?」
何か間違えてる気がします。智也は全身の力が抜けた。

ポスター効果はすさまじく、全校生の注目の的になってしまった。
『せっかく地味に過ごしてたのに・・』
泣きたくなる気持ちを抑えながら、智也は我慢した。

教室に入ると、全員が押し寄せてくる。
「なーなー、何かマジックやってよ!」
「マジックショーやるんでしょ?」
「マジック見たーい!」
押し寄せてくるクラスメートを押し戻しつつ、口を開く。
「落ち着け。マジックは文化祭の時にやるから!」
「えー」
一気にブーイングが起こる。
「大体俺そんな大したマジックできないんだってば・・」
「鳩出して、鳩!」
人の話を聞いているのか?ここで鳩を出すなんて・・。
智也はクラスメートを睨み付けた。一瞬全員がたじろいだ。
「木村」
「な、何?」
目の前にいたクラスメートの女子に声をかけると、彼女はビクッとなった。
「ダメじゃん、こんなの学校に持ってきちゃ」
そう言いながら、彼女の耳の近くに手を持ってくる。
「え?」
パッと花を取り出すと、クラスが「わぁ」っと歓声が上がった。
「はい」
花を渡すと、彼女は驚きながらそれを受け取った。
「すごーい」
「他にもやってよ!」
「だーめ。これしか仕込んでないもん」
「仕込むとか言うなよ!」
タネも仕掛けもあるからマジックが成立するのに、無茶を言う・・。
「続きは文化祭で!」
そう言ったのは紛れもない生徒会長だった。こいつのせいで、こんな騒ぎになったのに・・。
「ちぇっ」と言いながら、クラスメートたちは自分の席へ戻っていく。智也も自分の席につこうとしたとき、香奈が近寄ってくる。
「芦原君って・・もしかして・・マジックショーやってる・・?」
「あー、うん。まぁ・・」
とうとうばれてしまった。智也は自分の席に着く。香奈は智也の机の前にしゃがんだ。机に両腕を組み、顔を乗せている。
「何で言ってくれないのぉ?」
香奈はムーと怒っている。
「何でって・・?」
「あたし、毎回見に行ってるんだよー」
「そりゃどうも」
話しかけられて嬉しいはずなのに、何だか冷たくなってしまう。ちなみにマジックショーは毎週日曜にやっていたりする。
「ねぇ。あたしにマジック教えて?」
「は?」
突然の申し出に智也は一瞬頭が真っ白になった。
「マジック、あたしに教えて?」
もう一度繰り返す。智也は頭をかいた。香奈の不器用さはよーく知ってる。智也は少し考えて口を開いた。
「何かマジックできるの?」
「え?・・えーっと・・」
香奈はしどろもどろになった。
「その・・いつも失敗すると言うか・・」
香奈は苦笑いを浮かべた。
「・・・」
えへへと笑う香奈に智也は何も言えなくなる。
「分かった。とりあえず昼休みにでも三瀬さんのマジック見せてよ」
「えっ」
智也の言葉に凍りつく。
「み・・見せれないよ・・」
「どうして?」
「言ったでしょ。失敗ばっかって・・」
「だから、どう失敗するのか見たいんだよ。どこで失敗するのか見ないとアドバイスのしようもないじゃないか」
「・・そっか・・」
納得した香奈は、観念したようだった。
「わ、分かった。じゃあ、昼休みお弁当食べたら屋上に来て」
香奈の言葉に頷くと、担任が入ってきた。

昼休み。まずは弁当を食らう。
「急展開?」
健治がニヤニヤと言う。
「そんなんじゃねーよ」
「いいよなぁ・・マジックなんてそうそうできないもんなぁ・・」
「お前もやりゃいいじゃん」
「マジックは見てるのが楽しいんだよな・・」
「・・・」
呆れて言葉もない。

智也は勝手についてきた健治を引き連れて、屋上へ登った。
「あ、来た来た」
香奈が待ってましたと言うように智也を手招きした。もちろんちゃっかり幸則もいる。
「じゃあ早速見せてよ」
「え・・」
香奈はたじろいだ。
「いつもみたいにやればいいんだよ」
幸則が香奈を落ち着けるように言う。香奈は頷くと、小さなスポンジボールを取り出した。
「行きます」
何だか妙に力が入っている。
香奈はボールを移動させると言う、基本的なマジックをやるようだ。だけど・・ネタが丸見えである・・。いっぱいいっぱいなのか、顔も引きつっているし、滑らかに動かさないといけない手が震えている。
そして案の定ボールを落としてしまう。
「えへへ・・」
香奈は笑ってごまかした。智也はクラクラした。これにマジックを教えるなんて無理なんじゃないのか・・。
「貸して」
智也は香奈からボールを受け取ると、香奈と入れ替わった。
「いい?」
智也がそう聞くと、香奈は頷いた。智也は何でもない顔をして、ボールを消したり、思ってもみないところから取り出したりした。
「すごーい」
三人が手を叩いて喜ぶ。
「三瀬さんは肩に力入りすぎなんだよ。それから、いっぱいいっぱいなのは分かるけど、顔が引きつっているから見てる方が不安になる」
「・・はひ・・」
「まぁ一度に直せとは言わないけど・・。ネタは頭の中に入ってるんだろ?」
「・・一応・・。本見て覚えた」
「じゃあ、今度は俺の後ろで見てな」
香奈は不思議に思いながらも、智也の後ろに回った。
「行くよ?」
香奈に合図をして、香奈を背にもう一度同じようにボールを消したり取り出したりした。このマジックは、真後ろから見るとネタが丸見えなのである。どんな風にして、ボールを持っていない手をボールを持っているように見せるかとか、取り出すタイミングとか、とにかく全てが丸見えなのである。
後ろで見ていた香奈は、その鮮やかな手付きに目を奪われていた。
「どう?」
一通りやり終えた智也がクルッと振り返ると、香奈は我に返った。
「す、すごい」
言うだろうと思った答えに、智也は溜息をついた。
「そうじゃなくて・・。どうやってやってるか分かった?」
「わ・・分かったけど・・。でも・・」
「やってみて」
智也は香奈にボールを返した。
「ええ?」
香奈は泣きそうになっている。
「大丈夫、落ち着いてやればできるから」
智也の言葉に、香奈は頷いた。
「やりまーす」
香奈はそう言うと、深呼吸をした。もう一度ボールを手に握った。
今度は落ち着いているのか、さっきより力が抜けているようだ。さっきみたいにネタが丸見えということはなかった。だが・・やっぱりボールをポトッと落とした。
「あ・・」
またえへへとごまかして笑う。
「どう・・だった?」
恐る恐る彼女が問う。
「最初よりは全然良くなってるよ。慣れればボールも落とさないだろうし、ネタも見えないと思うよ」
「・・やっぱ見えてた?」
「ちょっとだけね」
智也のあっけらかんとした問いにガクッと肩を落とした。
「でも香奈、すげーじゃん。今までの中で一番の出来だよ」
幸則がフォローをする。
「ありがと」
彼氏にそう言われ、香奈は笑顔になった。何だか複雑な気持ちになるが、それが何なのか分からない。
その時予鈴が鳴る。
「んじゃ、教室戻るか」
健治の言葉に、智也が立ち上がる。
「芦原くん、ありがとう。また教えてね」
香奈の言葉に頷くと、香奈は笑顔になった。

あんな風にコロコロ表情を変える彼女が、とても不思議だった。自分はそんな風に表情を表すことなんてできない。彼女の笑顔を見ると、モノクロだった世界に色が付くようだった。
マジックを見ている時のあの笑顔が、智也にとって一番嬉しい反応だった。でも彼女のあの笑顔を見るのは、自分のマジックを見ている時だけだ。
香奈の笑顔は幸則に向けられる。
智也は溜息をついた。

十一月中旬に文化祭が開かれる。その一ヶ月前。智也にマジックを習っていた香奈がこんなことを言い出した。
「文化祭のショーのとき、あたしに手伝わせて」
「え?」
智也は突然の申し出に固まった。
「おー、いいな、それ」
部外者のはずの幸則が話に乗る。
「手伝うって言ったって、そんなやることないよ?大掛かりなマジックなんてやらないし」
「でも!いた方が助かるでしょ?」
確かにマジックショーにアシスタントがいた方が進行しやすい。しかし智也は渋った。
「そうだけどさ・・。ホントにそんな大掛かりなことしないし」
「でもぉ、あたしも芦原くんにマジック教えてもらって、結構上達したと思うし」
「うんうん。上手んなった」
「でしょ?」
何故か幸則と二人で盛り上がっている。そう言われても、智也としては乗り気じゃない。どちらかというと香奈には客席で見ていて欲しい。
「てかもう何やるか決めたの?」
幸則が突然智也に問う。
「まぁ大体は・・」
「何やるの?」
興味津々で香奈が問う。
「内緒」
冷たくそう言うと、ブーイングが起こる。
「何やるか言ったら、つまらないだろ?」
「だからあたしをアシスタントに・・」
しつこい香奈に智也は呆れた。だけど断る理由もコレと言ってない。
「分かった・・」
「わーい」
観念した智也に香奈は喜んだ。
「じゃあ一つだけ守って。アシスタントだからある程度のタネは教える。けど、絶対他の人には言わないで」
「もちろん」
香奈はとっても笑顔で返事した。

それから智也は放課後毎日、香奈にマジックを教えた。もちろんタネは誰にも教えてはいけないので、幸則さえもその中に入れなかった。

日曜日は智也がマジックショーを行うので、香奈と幸則はやっと二人になれた。
「なぁ、どんなマジックすんの?」
「それがね・・」
そう言いかけて、香奈の頭に智也が浮かんだ。
『誰にも言っちゃダメ』
「ごめん。言えない」
「エー。いいじゃん」
幸則は駄々をこねた。
「だって・・芦原くんが言っちゃダメって」
「そうだけどさぁ。俺誰にも言わないから、内緒で教えてよ。ね?」
「ダメだってば」
「えー。俺ってそんな信用ない?」
そんなこと言うのは卑怯だと思う。香奈はかなり自分の中で葛藤した。
「・・絶対・・言っちゃダメだからね」
香奈は自分が知ってるマジックを幸則に教えた。

そして文化祭当日。今日はかなりの客入りで、マジックショーももちろん客入りが良かった。生徒会が銘打ったショーなだけあって、観客は期待しているようだ。体育館が満員になるくらい客がいる。
そんな大勢を前にして緊張する香奈に、場慣れしている智也が励ます。
「大丈夫。練習した通りにやればいいから」
「うん」
香奈は気合十分にグッと拳を握った。

「レディースアーンジェントルメン。お待たせしました。いよいよマジックショーの始まりです。ご紹介します。我が校初の高校生マジシャン、芦原智也!」
生徒会の紹介で、拍手が起こる。緞帳が上がると、アシスタントの衣装を着た香奈だけが立っていた。
「アシスタントは、マジック大好きな三瀬香奈です」
香奈は自分でそう言い、隣にあるボックスを開いて見せた。もちろん中は空である。
「そっから芦原が出てくるんだろう?」
客席から野次が飛ぶ。香奈は気にせずにボックスを三回回した。そしてボックスを叩くと、マジシャンの衣装を着た智也が登場する。野次通りだったが、拍手が起こった。
「三瀬、野次なんて気にするな」
智也はこっそりと言った。香奈は頷くと、次のマジックに移る。

しかし、智也がマジックをしようとすると必ずタネをばらされた。それが幾度か続き、客も白けてきてしまい拍手すらしなくなっていた。智也は香奈を盗み見た。俯いている。
(喋るなって・・言ったのに・・)
溜息が漏れそうになる。智也は香奈を呼んだ。
「ギロチン持ってきて」
「え?」
「あそこにあるから」
ステージ袖を見ると、小さなギロチンがあった。香奈は言われた通りにそれを持ってきた。智也はマイクを取ると、口を開いた。
「ここで、お客様にも参加していただきたいと思います」
智也はそう言いながら、ステージを降り、意外と前の方の席にいた幸則を引っ張ってきた。香奈はおろおろしている。
「実はこのギロチンマジック、人前でやるの初めてなんです。だから失敗したらごめんね?」
にっこりと幸則に言うと、彼の血の気が引いていった。青い顔をしている。
それに構わず、智也はギロチンに人参を挟んで切れ味を確かめた。真っ二つに切れた人参を客に見せた。
「これ、失敗したら腕切れちゃいますね」
ニコニコと言う智也に、一同騒然とする。
「じゃあ、ここに腕乗せて。絶対動いちゃダメだからね」
智也はそう言うと、ギロチンをセットした。
「ちょっとチクッってするかもね?」
そう小声で脅しておく。客がマジックのタネを知っているのはこいつのせいだと、勘のいい智也は気づいていた。
客は固唾を呑んで見守った。
ギロチンが幸則の腕に下ろされる。しかし腕は切れていない。どうやっているのか分からないが、見た目には刃が刺さっているように見える。
一瞬会場が静まり返るが、見事成功したのを見て、拍手が起こる。
智也はギロチンを上げ、幸則の腕を解放した。
「無事成功しましたー」
智也の言葉に更に拍手が大きくなる。その後のマジックは、野次も飛ばなくなり、大成功に終わった。

ショーが終わり、智也は早足で歩いていた。その後を香奈が追ってくる。
「ごめんね。芦原くん・・」
その言葉に智也は立ち止まり、クルッと香奈に向いた。顔が怒っている。
「誰にも言っちゃダメって言ったよね?」
「ごめん・・なさい」
香奈は謝るしかしなかった。智也は怒りが抑えきれなかった。
「マジックって言うのは、タネが分からないからおもしろいんだよ?三瀬だってマジック好きなら分かるよね?」
香奈はこくんと頷いた。
「今回楽しみに来てくれたお客さんに申し訳立たないよ」
「ごめんなさい」
「それにマジシャンにとってもトリックは大切なもので、例え信頼している人にでも簡単に教えちゃいけないんだ。だから俺はアシスタントを渋ったんだ。マジック好きな君なら分かってくれると思って教えたのに・・。そんな簡単に喋るとは思わなかったよ」
「ごめんなさい。ほんとにほんとにごめんなさい。」
香奈は泣くのを堪えているようだった。確かに幸則に話したのは、香奈の過失だ。だが、客が知ってしまったのは、他でもない幸則が言いふらしたに決まってる。
「倉田がどうしてあんなことをしたのかは、知らないけど。もう今後は三瀬にマジックを教えることはできない」
「え?」
「君はマジシャンになるより、観客の方が似合ってる」
自分でもキツイことを言っているとは思う。でも香奈にとってその方がいいような気がする。
「そ・・だね。あたしなんか・・マジシャンになる資格ないよね・・」
香奈は目に涙を浮かべていた。でも慰める言葉が見つからない。
「ごめんね。ほんとにごめんなさい」
彼女が謝り倒すので、智也は許すことにした。
「今回のことはもういいよ。三瀬に原因があるとしても、三瀬だけが悪いんじゃないし」
そう言うと彼女は黙り込んだ。彼氏のしたことにショックを受けているんだろう。
「アシスタント、お疲れ様。じゃ・・」
『ありがとう』とは言いにくかった。この一ヶ月、彼女は本当にがんばっていた。慣れないステージでアシスタントをするのは、本当に大変だったと思う。
智也は思わず拳を握っていた。

香奈は着替えもせずに、捕獲した幸則に詰め寄った。
「どういうつもり?」
「何が?」
白々しくそう言う幸則に香奈はキレた。
「分かってんのよ!幸則が他の人にバラしたんでしょ!」
「何の証拠があるんだよ」
「証拠は、あたしが幸則にしか喋ってなかったことと、あたしが知ってるマジックの時だけ野次が飛んだこと。それで十分でしょ」
幸則は黙ったままだった。
「言ったでしょ?誰にも言っちゃダメだって。そりゃ・・最初に芦原くん裏切ったのはあたしだけど・・。でも芦原くんのステージ、めちゃくちゃになっちゃったじゃない・・」
香奈はそう言いながらボロボロ泣き始めた。
「もう・・信じられない。幸則がそんなことするなんて思わなかった」
その言葉に、幸則は観念した。
「嫌・・だったんだよ」
「え?」
「芦原にお前取られるんじゃないかって思って・・」
「はぁ?」
予想しなかった言葉に、香奈は聞き返した。
「ずっと放課後二人きりで練習してたから・・香奈の好きなマジックできる芦原に・・香奈を取られる気がして・・」
「ばかじゃないの?」
呆れて溜息と共に言葉が出る。
「昼休みに教えてもらってた時、見てたでしょ!芦原くんはマジメにあたしにマジック教えてくれてたんだよ?それなのに何なのよ・・まったく・・」
また涙が出てくる。嬉しいと言うか情けない。
「ごめん・・。まさかああなるとは思わなかったんだよ・・」
「謝って!今すぐ芦原くんに謝って!」
「わ・・分かったよ」

二人は着替えを済ませた智也を何とか見つけた。そして幸則の口から事情を説明し謝った。あまりにもバカバカしい理由に、智也の怒りは一気に冷めた。
「「ごめんなさい」」
二人で頭を下げる。智也は溜息をついた。
「おい」
その声に幸則は顔を上げた。智也に胸倉をつかまれる。
「今度やったらただじゃ済まないからな」
今回もただでは済まさなかったが、敢えて触れない。智也の低い声に幸則はマッハで頷いた。それを見て智也は「ふんっ」と鼻を鳴らし、幸則を突き放した。香奈が駆け寄る。香奈のその姿を見て、智也は背を向けて歩き出した。

冷たすぎる態度だとは思う。けど、智也にはこれが精一杯だった。本当は幸則を殴ってやろうかとも思った。でもがんばってそれも抑えた。
どうすることもできない、煮え切らない想い。諦めようとしても諦められない。それでも智也はその気持ちに気づかないフリをした。

それから智也は、香奈にマジックを教えることはなくなった。彼女も聞いてこなくなった。仲良くなんてならなきゃ、よかった。前みたいに向こうが気づいていないままなら、きっとこんなに辛くなかった。智也はなるべく学校内では彼女を見ないようにした。
でもマジックショーには相変わらず香奈は足を運んでいた。観客席で香奈を見つけるとホッとしている自分に気づく。胸の奥にあるしこりのような想いを、智也は抑えていた。

いつの間にか町中はクリスマス一色になっていた。マジックショーはクリスマスイヴとクリスマスにも行うことにした。意外と評判のいいマジックショーは、家族連れやカップルでいつもより満員だった。

クリスマスイヴ。智也はいつものようにステージに立った。今日はとっておきの覚えたてのマジックを行う。淡々と行う智也のマジックに客はいつの間にか引き込まれていた。ふと客席を見ると、香奈を見つけた。そして隣には幸則もいる。二人の楽しそうな姿に、胸が苦しくなる。それでもそれを表情には出さない。智也は香奈の幸せのために、彼女の恋を応援しようと心に決めた。

そして翌日のクリスマス。智也は開店前のバーで、マジックの練習をしていた。すると一人の女の子が入ってくる。
「三瀬・・」
「メリークリスマス」
そう言われ、智也も「メリークリスマス」と答える。
「まだ店開いてないよ?」
「知ってるよ。今日はお客さん昨日より多そうだから、早めに来てみたの」
「早すぎだろ」
開店は午後六時で、ショーは八時からだ。今は五時。
香奈は「ふふっ」と笑ってごまかした。
「今日はデートしないのか?」
「うん。幸則、バイトだって」
「そっか」
「智也、ちょっとこれ買ってきて」
母親がイキナリ店のほうにやってくる。そしてメモとお金を渡される。
「お願いね」
香奈の存在に気づいていないのか、母親はそれだけ言うと奥へ引っ込んで行った。
「また買い忘れたのかよ・・」
智也は溜息をつきながら、呟く。
「お買い物、行きましょ」
何故か香奈の方が乗り気だ。智也はコートを羽織、店を出た。

「あれからね、あたしマジックやめたの」
香奈の言葉に、智也は驚いた。
「やっぱりあたしは見て『どうやってんだろう?』ってワクワクしながら見てる方が性に合ってるみたい」
まさか自分の言葉でやめたんじゃないだろうかと不安になる。
「ごめん。あの時、頭に血が上ってて・・酷いこと言ったよね」
智也は今更ながら謝る。ずっとタイミングが掴めなかった。どうやって声をかけたらいいのかすら分からなかった。
「ううん。あたしこそごめんね。芦原くんに嫌な思いさせちゃったよね・・」
「いや・・もう済んだことだし・・」
確かにショーの最中、トリックをバラされたことは、今でも嫌な気分だが。でもカッとなっていたとはいえ、香奈には本当にキツイことを言ったと思う。
「あれ・・」
「ん?」
「幸則だ」
香奈が見ているほうへ顔を向けると、確かに幸則がいた。だけど何か様子がおかしい。バイトに行くはずなのに、誰かを待っているようだった。
「何やってんだろ・・。ゆき・・」
香奈が名前を呼ぼうとした瞬間、知らない女が幸則に抱きついた。目を疑うような光景に二人とも固まっていた。楽しそうに笑っている幸則に、香奈は絶句していた。智也もどう声をかけたらいいのか分からない。香奈に近づいてみると、香奈は凍り付いていた。そしてやっと口が開く。
「な・・んで?」
その第一声に智也は同じ気持ちだった。バイトだと言っていた幸則がどうしてこんな街中にいて、しかも女連れだったのか。答えは一つしかない、と思う。
智也はそっと香奈を覗き込んだ。ポロポロと涙の粒が零れていた。こんなときどうしたらいいんだろう?
「どうして・・今日なのよ・・」
よりによってクリスマスにこんな現場を見てしまうなんて・・。香奈は悔しさと悲しさが入り混じっていた。
その時、ふと智也は閃いた。
「三瀬」
呼ばれて顔を上げると、智也は香奈の目の前でポンッと花を出した。教室でせがまれたときみたいに。香奈は驚いて、涙が止まった。そして苦笑しながら、涙を拭った。
「いつもこんなの仕込んでるの?」
「マジシャンだからね」
智也は出した花を香奈に渡した。受け取った香奈は、はにかんで笑った。
「・・ありがとう」
「とっとと買い物済ませよう。特等席でショー見せてあげる」
「うん」

その夜のショー。香奈はステージ真正面の席に座っていた。智也は香奈のために、新しく覚えたマジックを披露した。あんな現場を目撃した香奈を笑顔にできるのは自分だけだと思った。彼女が好きなマジックで、彼女が笑ってくれることが、智也にできる精一杯のことだった。
ふと客席を見ると、香奈の笑顔が見えた。それだけで、智也は嬉しくなった。

翌日。香奈は補習を受けている幸則のために、いつものように屋上にお弁当を持って現れた。昨日現場を見られていると知らない幸則はいつものように振舞っている。
そんな二人を香奈に言われて智也がこっそり隠れて見ていた。
「昨日はバイト大変だったみたいねぇ」
何気ない会話から入る。にっこりと笑っているように見えるが、目が笑っていない。
「そうなんだよ〜。寒いしさぁ」
「へぇ。すごーく暖かそうに見えたけど?」
「え?」
香奈の言葉の意味が分からず、幸則は思わず聞き返した。
「見ちゃったのよねぇ。昨日、幸則の姿」
香奈の発言に幸則は固まっている。
「あの女の人は誰?」
直球な質問に更に凍りつく。
「いや・・えっと・・」
「言えないような関係なんだ?」
上手く切り返せない幸則は、おどおどし始めた。
「いつから?」
明らかに怒っている香奈に、何も言い返せなくなる。
「はっきり言いなさいよ!」
「さ・・三ヶ月前・・」
「三ヶ月前ぇ?」
語尾が思わず上がる。
「ずっとあたしを騙してたのね」
「いや・・そういう訳じゃ・・」
「じゃあどうゆう訳よ!」
香奈の勢いに押されっぱなしの幸則は、上手い言い訳が見つからない。
「もういい。あんたとはこれっきりだから」
そう言って香奈は作ってきたお弁当を持って、智也の方へやってきた。
「一緒に食べよう?芦原くん」
「え?」
思ってもいない展開に、智也は驚いた。幸則が睨んでるのが見える。
「じゃーね」
香奈は笑顔で幸則に手を振った。取り残された幸則は立ち尽くしていた。

それから冬休み中、香奈はずっと智也のマジックショーに訪れたり、店の掃除を手伝ったりした。
智也にとってモノクロだった世界が、香奈の笑顔が傍にあるだけで、鮮やかに色づき始めた。
それから距離を縮めた二人が、再び同じステージに立つのは、ほんのもう少し先のお話。


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