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「何があった?」
 そう聞いても彼女は答えない。俺は溜息をつきながらも、彼女を抱きしめた。
「俺、ずっと傍にいるからさ。苦しいならちゃんと吐き出してよ。愚痴聞くくらいしかできないけど・・・・・・」
 すると彼女は声を殺して泣き始めた。
「いいよ。声殺さなくても。ちゃんと声出して泣きな」
 そう言うと、彼女は声を出して泣いた。

 人ごみもまばらになってきた。日曜の夜の街は、一番静かだ。それは明日からまた同じような毎日が始まるからかもしれない。
 小さな街灯しかない公園には、俺と彼女しかいない。俺はただ彼女を抱きしめていた。涙が枯れるまで、しばらく時間がかかりそうだ。
 まだ少し肌寒いが、彼女の体温が伝わってきて、何だか居心地が良かった。
 細く鋭い月が、ゆりかごのように見えた。

 どれくらい経っただろう。彼女は不意に顔を上げた。
「ご・・・・・・めんね・・・・・・?」
「何が?」
 突然謝られ、俺は戸惑った。
「こんな夜遅くまで・・・・・・」
 どうして彼女は自分のことよりも、他の人のことを考えるんだろう?
「大丈夫だよ。それよりどこかお店入ろうか? 暖かい物でも飲もう」
 そう提案すると、彼女は頷いた。

 街はタクシーも見当たらないくらい静かだった。時々すれ違う人たちは幸せそうに笑っている。俺はふと彼女を見つめた。
 いつからだろう? 彼女は不自然なくらいずっと笑顔だった。
 その笑顔に救われていたのは事実だが、彼女自身その笑顔に痛みや苦しみを押し込めて来たんだとやっと気付いた。
 俺には何ができるんだろう? どうしてあげられるんだろう?
 彼女が何も言わなくても、分かってあげたいと思う。
 だけど現状、何もできない自分に腹が立つ。悔しくて何だか涙が込み上げてくる。涙は流さないようにグッと堪えた。
 潤んだ瞳で見たビルの灯りが、ルビーのように輝いた。

 彼女と俺は、夜明けまで開いてるカフェに入った。広い店内には二、三人の客しかいない。俺たちは窓際の奥の席に着き、暖かいコーヒーを頼んだ。
 割と早くきたコーヒーには白い湯気が立っていた。俺はブラックで、彼女はミルクだけを入れて飲んだ。冷え切った身体に暖かさが染み入る。
 改めて彼女の顔を見た。泣き腫らした目が少し痛々しい。
 俺の視線に気付いたのか、彼女と目が合った。
「何?」
 そう聞かれ、俺は少し言葉を選んだ。
「すっきりした?」
 そう聞くと、彼女は微笑み静かに頷いた。
「ならよかった」
 俺はホッと胸を撫で下ろしながら、再びコーヒーに口を付ける。
「ホント・・・・・・ごめん。こんな時間まで」
 彼女は申し訳なさそうにそう言った。
「全然構わないよ。明日は仕事休みだし」
 休日が平日になることもある俺の仕事はいいが、彼女は普通の会社員だ。明日だって仕事だろう。
「薫は? 明日仕事なんじゃないの?」
「そう・・・・・・だけど」
 彼女は言葉を濁した。
「行きたくないな・・・・・・」
 ポツリと呟いた言葉は、俺の耳にも届いた。会社で何か嫌なことがあったんだろうか? 今日泣いてたのも、そのせい?
「行きたくないなら、明日は休めばいいじゃん」
 俺の言葉に驚き、彼女は落としていた視線を上げた。
「でも・・・・・・行かなきゃ」
「無理して行ったって、辛いだけだぞ」
「・・・・・・」
 彼女は言葉を失っていた。
「薫が泣いてたのは、会社で何か嫌なことがあったからじゃないのか?」
 その質問に、少しの間が空き、彼女はゆっくりと頷いた。
「別に何があったとは、根堀葉堀聞くつもりはないから。ただ・・・・・・薫にあんまり辛い思いして欲しくないんだよ」
 俺の言葉に彼女は少し涙が浮かんだ。
「俺、休みだし。二人でゆっくりするのもありじゃないか?」
 そう言うと、彼女は潤んだ瞳で頷いた。

 店を出たのは、もう空が白んできた時だった。静かだった街がゆっくりと動き始める。また今日から一週間が始まるのだ。
「帰ろうか」
「うん」
 俺たち二人は動き始めた人ごみに逆らって、帰路に着いた。


inspired:月さえ眠る夜に/中島卓偉

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