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それは白くて大きな月が輝く夜だった。
ある屋敷の前を通りかかったとき、窓辺に一人佇む少女を見つけた。 彼女はただぼんやりと月を眺めている。しかしよく見ると、彼女の目は憂いに沈んでいた。 どうしてなのか知る由もない。 ただの同情かもしれない。哀れみかもしれない。 それでも彼女が気になり、その日から毎夜、彼女の屋敷の前を通るようになった。 相変わらず彼女はただぼんやりと外を眺めている。 そして気づいた。 彼女は一度も笑わない。諦めたような目で、ただ外を見ているだけなのだ。 何が彼女をそうさせるのかは分からない。 そしてなぜこんなにも気になるのかも分からない。 「どうしたんだ? ぼんやりして。恋でもしたのか?」 仲間に言われ、気がついた。あぁそうか。僕はいつの間にか恋をしていたんだ。 一度も笑わない、あの少女に。 だけど、望みなんてない。彼女を笑わせてあげることなんて、きっとできない。 恋をしたって叶いっこない。 だって……僕と彼女はあまりにも違いすぎているから。 「盗賊だ!」 見張りが声を上げ、警鐘が鳴る。 「逃げるぞ! ジェット!」 呼ばれ、ボスであるアルフレッドについて逃げる。 「いたぞ! そっちだ!」 後ろから追っ手が迫ってきた。 「二手に分かれよう。いつもの場所で!」 アルはそう言うと、右手の道を走っていった。僕は逆手側の道へと走り、いつもの場所を目指す。 僕は盗賊だ。 親は物心ついた頃からいなかった。まだ子供だった僕をアルは拾って面倒を見てくれた。だからアルは僕の親のようなものだ。 アルフレッドはここらじゃ名の知れた盗賊で、一団のボスだ。一団と言ってもそんな大きな物でもなく、メンバーは十人程度しかいない。 一度に動くのは三人〜五人で、悪いことをして金儲けをしている成金たちから金品を奪っている。 奪った金品は闇市で売り、お金に換える。換金したら、僕たちの生活費と街にいる孤児たちのために使う。 それが正しいことかどうかは僕には分からない。だけどこうすることでしか、僕たちは生きられない。 「ジェット! 無事だったか?」 ようやく落ち合う場所に着くと、アルに話しかけられた。 「奪った物は?」 そう聞かれたので、持っていたダイヤやサファイヤと言った宝石をアルに渡す。 「良くやったな」 アルはそう言うと頭を撫でてくれた。 まだまだ子供だな。僕も。こんなことで嬉しくなるなんて。 帰り道。偶然にも彼女の屋敷の前を通った。 やっぱり彼女はどこか寂しい目をして、外を見つめていた。 「どうした? ジェット」 アルに声をかけられ、ハッとした。今は一人じゃなかったんだった。 「あの子が気になるのか?」 見透かされ、恥ずかしくなる。 「そ、そんなこと……!」 「あの子はやめておけ。ここの屋敷はここら一帯で一番やばいことに手出してるって言われてんだ」 アルの言っている意味が分からない。やばいって何? 「あの子はここの屋敷の娘だ。どうせそのうち政略結婚でもさせられてしまうだろうよ」 アルの言葉で彼女の表情の意味が分かった。 彼女は分かっているんだ。自分の運命を。だからあんな諦めた目で外を見つめているんだ。 「待て。お前が行ってもどうにもできんだろ」 アルは駆け出そうとする僕を捕まえた。 「何かをしてあげたいって気持ちは分かるが、今はその時じゃない。だからもう少し待て」 やっぱりアルの言うことが分からない。だけど僕はおとなしくアルの言葉に従った。 「今度はちょっと危険な仕事かもな」 アルはいつになく真剣な目でそう呟いた。 その夜は眠れなかった。アルが何をしようとしているのか分からない。だけど何だか胸がざわつく。 アルを始めとした大人たちは今日の盗みが成功した祝い酒でつぶれている。 僕はそっと外に抜け出した。 既に白んできている街はいつも通りの朝を迎えつつある。 僕は彼女の屋敷へと急いだ。 もう彼女は寝ているだろう。だけど一目見たかった。 案の定、窓辺には誰もいない。高い場所へ上るのが大得意な僕は、屋敷の誰にも見られないようにそっと上った。 いつも彼女が覗いている窓を外から覗いてみた。 もちろん、カーテンが引いてあってよくは見えない。カーテンの隙間から見える部屋の空間。 いかにもお金持ちという感じで、部屋は広そうだ。 周りを見渡すと、バルコニーがあった。僕はとりあえずそこに降り立つ。窓はもちろん、開くはずはない。 分かってたよ。こんなことをしても何の意味もないって。 僕には何の力もなくて、彼女を笑顔にすることだってできないって。 気持ちだけが先走る。 『今はその時じゃない。だからもう少し待て』 アルの言葉が蘇る。 ねぇ、アル。教えてよ。その時っていつ? 僕はただ、見ていることしかできないの? 東の空から太陽が昇り始める。屋敷の誰かに見つかっては厄介だ。僕は人目を避けるように家に戻った。 身分違いも甚だしい。 分かってる。釣り合わないことも、彼女を笑顔にしてあげることさえもできないって。 だからってこのままでいいはずもない。 けどここで僕が暴走したって何もならない。 だから待とう。アルが言う、その時が来るまで。 それから大人たちは何やらこっそりと動くことが多くなった。 「まーたアルたちは出かけたのか」 そう聞いてきたのは僕と同い年のバジルだった。彼もまた僕と同じようにアルに拾われ、ここに来た。 「みたいだね」 僕が短くそう言うと、バジルは窓の外を見やった。 「ここ最近ずっと夜中に出かけてるな。何やってんだろ?」 それは僕だって知りたい。 「さぁ? 次の獲物でも探しに行ってるんじゃない?」 「それにしちゃ時間かけすぎだなー。もしかして大物なのかな?」 バジルの言葉に僕はドキッとした。 もしかしてアルたちはあの屋敷のことを調べてるんじゃ……。 心臓の脈が速くなる。いてもたってもいられない。 僕は思わず家を飛び出した。 「あ、ジェット! どこ行くんだよ!」 後ろでバジルが何か言った気がしたけど、僕の耳には届いていなかった。 ただ夢中で駆けてた。もしアルがあの屋敷の近くに居たら、僕は一体どうするだろう? そんなことをぼんやり考えながら、彼女の元へと急いだ。 屋敷の周りはただ静かだった。アルたちが居る様子もない。 彼女がいつも覗いている窓を見上げると、そこには彼女の姿はなかった。 無理もない。もう真夜中だ。 分かってはいても、俺はまた塀の上に登り、屋敷内に入った。そしてこの間と同じようにバルコニーに降り立つ。 カーテンで遮られ、やはり中の様子は見えない。 ふと少し窓が開いているのに気づく。僕はそっと開けるとカーテンに身を隠しながら部屋の中に入った。 部屋は暗く、静まり返っている。 さすがにもう眠っているのだろう。そっとカーテンから身を出し、辺りを窺う。 誰もいない? そんなはずはない。暗闇に目が慣れてきた僕はゆっくりと部屋を歩いてみる。 やっぱり人の気配がしない。なぜだろう? ふと光が漏れているのに気づく。隣の部屋からのようだ。ドアがほんの少しだけ開いている。 僕はそっと近づくと、開いているドアの隙間からそっと中を窺った。 ここは書斎なのだろうか? こちらの部屋よりも少し狭く、ここから見える位置に机が置いてあった。 その机の上には写真が数枚飾られていて、そこに彼女も写っているのが見えた。 更に部屋を窺うと、部屋の奥の本棚の前に彼女が居た。 「ハァ……」 持っていた本を本棚に戻すと、彼女は溜息をつき、机の前に戻ってきた。 そして飾られた写真を見て、また溜息をつく。 彼女はやはり暗い顔をしている。彼女の顔を見ていると、胸が苦しくなってくる。 何もしてあげられない自分は何をやっているんだろう? こんなところまで入り込んで。 ここにいたって、何が出来るわけでもない。彼女を笑顔にしてあげることなんてできないんだ。 戻ろう。もうアルたちが帰ってきてるかもしれない。それに見つかったら厄介だ。 カタン。 しまった。振り向きざまに椅子に当たってしまった。彼女にも聞こえただろうか? 「誰?」 案の定、彼女が書斎から顔を出した。僕はおそるおそる振り返る。 「あなたは……」 彼女の言葉を聞かないふりをして、僕は入ってきた窓から部屋を飛び出した。 「あ、待って!」 遠くで彼女の声がしたけど、僕は聞こえないふりをした。 分かってたよ。僕には何の力もないって。 だから……神様。彼女に笑顔を返してあげてください。 泣き出しそうな気持ちをグッと堪えて、空を見上げる。 「雨の匂い……」 思った通り、雨がぱらつき始める。 僕は急いで家に向かう。こんな日はダメだ。あの日のことを思い出してしまうから。 今でもうっすらと記憶にあるのは、雨の音と小さな声。 「ごめんね」 そう言って去って行く女性の後ろ姿。 捨てられたと理解するのに、そんなに時間はかからなかった。 幼くても分かる。もう迎えは来ないのだと。 悲しみと絶望の中、それでも生きていかなきゃいけない。でもどうやって? その術も知らなかった僕を救ってくれたのはアルだった。 「何だ。お前行くとこないのか? じゃあ、俺のとこ来いよ」 そう言ってアルは自分の家に僕を連れ帰ってくれた。 アルが盗賊団のボスだって言うのは、その日の晩に教えてもらった。 そして僕もその日から、アルに盗みを仕込まれた。 小柄な体格を生かし、アルたちが警察を引きつけている間にお目当ての宝を奪うのが僕の仕事。 今まで失敗したことがないのが自慢だ。 だけど今回は無理かもしれない。 だって……彼女の笑顔はどこにもない……。 「ジェット! どこ行ってたんだよ。ずぶ濡れじゃないか」 家に着くと、アルが心配して出迎えてくれた。 「とにかく暖まれ」 そう言って風呂場に連れて行かれ、無理矢理入れられる。正直、お風呂はあまり好きじゃないけど、僕はただ言われるがまま風呂に入った。 風呂上がり、僕はアルにタオルでがしがしと拭かれた。嫌がって逃げようとするとすぐに捕まえられる。 「こら! ちゃんと拭かないと風邪引くだろ!」 捕まってしまっては仕方がないので、大人しく拭かれることにする。 「お前もしかして、彼女のとこに行ってたのか?」 突然そう聞かれ、僕はドキッとした。そんな僕の表情で、アルにはバレてしまったようだ。 「全く。お前も無茶するなよな。捕まったらどうすんだ?」 しょうがないなーとでも言いたそうな雰囲気でそう言われ、反応に困る。もっと怒られるのかと思った。 「前にも言ったけど、あの屋敷はヤバイんだって。捕まったら何されるか分からないんだぞ」 アルが心配してくれているのは分かる。だけどそれ以上に、彼女のことが気になって仕方ないんだ。 「なぁ、ジェット。次の仕事はあの屋敷の秘密を暴くことだ。もしかすると最後の仕事になるかもしれない」 アルの言葉の意味が分からず、僕はきょとんとしてしまった。 「それぐらい危険ってことだ。だから、お前も覚悟しとけよ」 危険な仕事は今までもやってきた。だけどアルがそう言うんだから、今度こそ本当に危険なんだろう。 屋敷の秘密って何だ? アルたちは今それを探っているんだろうか? もし秘密を暴けば、彼女は笑顔になれる? 途方もない願いかもしれない。 それでも願わずにはいられない。 だからこの仕事はどんなことをしてもやり遂げてやる。例えそれで命を落とすことになったとしても。 一度捨てられた命だ。いつ消えたって構わない。 でももし消えてしまうのなら、それと引き換えに彼女に笑顔を……。 それは満月の夜だった。彼女を初めて見たときと同じように、白く大きく輝いていた。 「いよいよ今日だ。情報によると今日取引が行われる。役割を発表する」 いつになく真剣な眼差しでアルはそう言った。 どこで仕入れたのか屋敷の見取り図を机に広げ、それぞれの役割をアルが指示する。 僕はただ自分が呼ばれるのを待った。 「ジェットは……俺について来い」 短い命令に僕は頷く。 「よし。持ち場につけ」 アルがそう言うとみんな散り散りになり、夜の闇に消えた。 「ジェット。怖くなったら逃げてもいいからな」 アルは準備をしながらそう言った。アルの背中を見つめながら、僕は固く決意した。 「……逃げないよ。絶対」 既に仲間たちは屋敷に潜入しているはずだ。しかしいつも通りの静寂をまだ纏っている。 「俺たちの役目は取引している現場で、グレッグが警察を誘導して連れてくるまで、奴らに気づかれないようにすることだ」 アルが確認するように呟く。僕が頷くと、アルは立ち上がった。 「さぁ……行くぞ」 アルについて僕も移動する。息を殺し、気配を消して。 屋敷内は薄暗かった。それは時間が深夜近くということもあるのだろう。 あの少女は……今どんな思いなのだろう。今もまた窓の外を諦めた表情で見ているのだろうか。 「ジェット」 呼ばれ、顔を向ける。アルと僕は屋敷の天井に潜み、ある部屋に辿り着いた。 「ここが今日の会場だ」 その部屋には深夜だというのに人が大勢集まっていた。年齢層はバラバラだが、皆貴族のようだった。 「皆様、大変お待たせいたしました。そろそろ始めさせていただきます」 司会らしき男がそう言うと、ざわついた会場は一気に静まり返る。 いつになく緊張が走る。一歩でも間違えちゃいけない。 「皆様、お集まりいただきありがとうございます。本日もすばらしい商品が揃っております」 そう紹介されると、ステージにかかっていた幕が上がり、『商品』がお目見えする。 僕は、声が出なかった。そこに並んでいたのは、年端もいかない少年少女だったからだ。 しかもどこかで見たことのある顔が見えた。そう、彼らはストリートチルドレンだ。 「人身売買」 アルがぽつりと呟いた。 その言葉に僕は納得した。アルがこの仕事にこんなにも執着してた意味が分かったのだ。 それは昨年からだったと思う。街中のストリートチルドレンの行方が分からなくなることがあった。 消えた彼らの最後の目撃情報によると、誰かに養子にもらわれると言っていたらしい。 しかしそれがどこの誰なのか、全く分からず、今どこでどうしているのかさえ分からない。 恐らくアルはその頃からこのことをずっと調べていたのだろう。 アルがここまでこだわるのは、かつてアルもストリートチルドレンだったからに他ならない。 ぽつりと話してくれたことがあった。自分はストリートチルドレンの出身で、今のアルのような大人たちに助けられて生きてきたと。だから自分は恩返しをしているとも言っていた。 だから見過ごせなかったのだ。消えたストリートチルドレンの行方を追って、アルはようやくこの場所を見つけ出した。 これが危険な仕事だと分かっていて挑むのは、どうしても彼らを助けたかったからだろう。 競売は滞りなく進んでいる。舞台の上にいる子供たちは何が行われているのか分からず、ずっと怯えて震えていた。 僕はアルを見やった。アルは何をするでもなく、ただ競売の様子を見ていた。 警察を誘導ってどうやってるのか分からないけど、早く来ないとあの子たちは……。 ダメだ。気持ちだけが焦る。僕が焦ったってダメなのに。 とうとう落札者が決まってしまった。 落札が決まった男の子は落札者の元に連れて行かれる。 「では続きましてこの子です」 そう言って次は後ろに居た女の子が競売にかけられる。それでもアルは動かない。 「ジェット」 不意に呼ばれ、振り返るとそこにはバジルが居た。 「バジル。来たか。そろそろだな」 バジルの姿を見たアルがそう呟いた瞬間だった。 「そこまでだ!」 突然ドアが開き、警察官たちが突入してきた。競売をしていた者たちはもちろん驚き動揺している。 「昨年からずっと密告し続けてたんだ。警察に。俺たちが捕まえたところで盗賊の言うことなんてハナからまともに聞いてくれないだろうからな。誘導したのは表にあまり出ないグレッグだから、警察も盗賊団が誘導してるなんて分からないだろうしな」 「僕もグレッグと警察を誘導する役割だったんだ」 バジルが補足する。だからバジルが来た時、アルは分かったんだ。 グレッグは窃盗団の副リーダーで、よくアルと一緒に行動している。緻密な作戦を練るのもほとんど彼の役割だ。 部屋の中は多くの警察官が押し寄せ、この競売に関与していた人物たちはほとんど逮捕されていた。 ふと不安が過ぎる。ここは屋敷の中の一室。もし警察が他の部屋を調べていたら? 僕はいてもたってもいられなくなり、するりと抜け出した。 「ジェット、どこに行くんだ」 後ろでアルの声が聞こえたけど、それに構っている時間はなかった。 彼女の部屋はどの辺だろう? アジトの机の上に広げられた地図を思い出す。 ダメだ……良く覚えていない。僕は一度外に出ることにした。 闇に紛れて、屋根の上に登る。 ここからならよく分かる。彼女の部屋は南東のあの辺りだ。 外は警察が囲んでいた。逮捕者が続々と屋敷の外に警官につれられて出てくる。 それを横目に見ながら、僕は彼女の部屋のバルコニーに降り立った。 窓が開いていたので、そっと彼女の部屋に入る。部屋の明かりは付いていない。 「……だ!」 ふと声がした。誰か来たのだろうか? 「何でこんなことに……! ここは安全だと言ったじゃないか!」 耳を澄ませると、怒鳴る声が聞こえた。 「知らない! 私は家を提供しただけだ! お前たちの中に警察にリークした者がいるんじゃないのか?」 二人が言い争う声が聞こえる。恐らく仲間割れだろう。突然、警察に乗り込まれ、恐らくパニックになっているのだろう。 ふと彼女の気配がした。もちろん彼女にもあの怒鳴り声は聞こえていたのだろう。 彼女はそっと自分の部屋のドアを開けた。 「……お父様? どうかなさったんですか?」 部屋の外に居たのはどうやら彼女の父親らしい。 「いや、何でもない。寝ていなさい」 父親は平静を装い、彼女にそう言った。 「でも……」 「いいから……」 僕はそっと見ていたが、言い争っていた男が変な動きをしているのを見逃さなかった。 「こうなりゃあんたも道連れだよ」 そう言って構えたのは拳銃だった。 「私を殺しても、自分の罪を重くするだけだぞ」 「誰があんたを殺すって言ったよ」 男はそう言って拳銃を彼女に向けた。 「そういやあんた、資金繰りに困っていたな。娘をどこかの御曹司にくれてやって金もらう算段だったんだろ? 娘がいなくなりゃ、あんたはおしまいだな」 男の目は狂気に満ちている。アレは脅しじゃない。 「娘に手を出すな!」 「へー。自分の娘はそうやって守るのに、ストリートチルドレンはどうでもいいんだな」 「それは……」 「まぁあんたが何て言おうと共犯には変わりねーよ」 男が無駄口を叩いている間に、僕はそっと移動する。男に気づかれては、余計に彼女を危険に晒すだけだ。 「もう終わりだよ、あんたも私も」 男は拳銃を彼女に向けると、安全装置を外した。 「せいぜいあの世で親父のことを恨め」 発砲音と同時に僕は飛び出した。 銃声が聞こえ、アルフレッドはその音が鳴った方へと急いだ。 (まさかあいつ……見つかったんじゃ……) 最悪の事態を想定しつつ、頭の中で作戦を練る。発砲音がしたことで、警察もその音の元へと向かっているようだった。 「バジル、お前はグレッグと一緒に逃げろ」 アルフレッドの指示に従い、バジルはグレッグの元に向かう。 「頼むから無事でいろよ……!」 祈るような気持ちでアルフレッドは足を速めた。 勢いよく飛び出した僕は男が放った銃弾を受けた。 まるでスローモーションのように周りの景色がゆっくりと見える。 ふと視界に彼女が入った。 何でそんな悲しそうな顔をしているの? ダメだよ。君には笑って欲しいんだから。 僕はもう死ぬのかもしれない。頭に浮かぶのは今までの出来事と毎夜外を眺めていた彼女の顔。 あぁ……もしも生まれ変わって、身分も何もかもが一緒の世界ならば、君にこの想いを伝えられるのに……。 もしそれで彼女が笑顔になるのなら、僕はずっと彼女の傍に居るのに……。 叶わない願いだと分かっても、願わずにはいられない。 彼女に笑っていて欲しい。 例え隣に僕がいなくても……。 「何だ? こいつ」 突然飛び出してきたことに驚き、男はそう言い放った。 「まぁいい。弾はまだあるんだからな」 男は拳銃をもう一度娘に向ける。 「そこまでだ」 そう声がしたと思うと、手に持っていたはずの拳銃が奪われた。 「え?」 驚いている間に、後ろから後頭部を蹴られ、男は気絶した。 「ったく。手間かけさせやがって」 アルフレッドは男を持っていた縄で縛った。 「あ……あの……」 突然現れた男に驚いたが、娘が声をかける。 「あなたは一体……」 「そうだな。こいつの飼い主」 アルフレッドは銃弾に倒れたジェットを一瞬見やると、娘の後ろに居る父親に目を向けた。 「そして今日警察を誘導した張本人」 「お、お前が……!」 「この街のストリートチルドレンは俺が面倒見てんだよね。でもどういう訳か、一年ほど前から、数人の子供たちが姿を消した。それがおかしいんだよね。いなくなった子供たちと最後に会った人たちから話を聞くと『自分はお金持ちに貰われることになっている』って言ってたって。みんなそうやって言うんだよ。でもそう言ったにも関わらず、貰い手の詳細も分からず、ある日突然いなくなっている。おかしいと思わないか?」 アルフレッドは挑戦するような口調でそう言った。しかし男は口をつぐみ、下を向いた。 「だから俺も色々探ってたんだ。で、あんたに行き着いた」 アルフレッドは近づき、彼の胸元を指で押した。 「でもあんたに行き着いてから、一向に情報が入らない。何と言ってもあんたはこの街では名のある人だ。ガードも堅い。そこで数人の子供を囮に使った。本当はこんなやり方はしたくなかったんだが、仕方がなかった。彼らと連絡を取ってようやくここが本拠地であること、そして貰われたはずの子供たちの行方も少しずつ分かってきた」 娘は父親が何かをしているとは気づいていたのかもしれないが、知らされる真実に父親を不審の目で見ている。 「人身売買は禁じられたはず。それなのにどうして? 目的は金か?」 そう聞いても答えるはずはない。それは分かっていた。 「ま、答えられるはずもないか。あ、あと俺の優秀な仲間が、あんたの取引相手の名簿、しっかり盗んできてくれたから。警察に渡せば、あんただけじゃなく、取引のあった連中も終わりだ」 そう言った瞬間、男は血の気が引いたように真っ青な顔になった。 「……貴様の言うとおり、目的は金だ」 口を開いた男は懺悔するかのように話し始めた。 「ここ数年、私の会社が行き詰まってしまって……。立て直すにはお金が必要だった。しかし元手もないのに増やすのは無理だと思っていた。するとその男が、いい話があると言ってきた。人身売買だと聞いたとき、私は断ろうと思っていた。だが、男は私が提供するのは競売会場だけ、つまりこの屋敷だ。ここは広いし、私がパーティーを開き、客を招いたということにすれば、周りの目もそこまで厳しくはならない。男はそう言ったんだ」 そこまで一気に話すと、男は大きく深呼吸した。 「子供たちはストリートチルドレンだ。彼らは今を生きることさえままならない。もし誰かに買われれば、今よりはいい暮らしが出来る。例え使用人でも、生きることが出来る。その男はそう言ったんだ」 「あんたは本当にそれを信じたのか?」 アルフレッドは確認するように尋ねた。 「あぁ。だってそうだろう? 明日生きていられるかも分からない暮らしより、寝るところ、住むところ、食べ物だって与えられるんだから」 「本当にそう思ってるのか?」 「え?」 アルフレッドの言葉を聞き返す。 「あんたはホントお気楽だな。そんなの一握りの子供だけに決まってんだろ。きちんと使用人として雇ってくれるのは、一割にも満たない。大体、わざわざ高い金を出して使用人を買うかよ。ほとんどは金持ちのおもちゃだ」 「おもちゃ?」 「囮として派遣した子供はすぐに助け出したが、他の子たちを探ると、殺し合いの賭場に参加させられ命を落とした者、性的欲求を満たすために犯された者、他にも“狩り”と称して森に放ち、子供たちを獲物として狩りを楽しんでいる者もいた。もっと残虐なやつもいたんだ。あんたはその手助けをしてたんだぞ」 アルフレッドの言葉に、男は言葉を失った。 この男は何も知らなかったのだと、確信した。こんなにもショックを受けているのだから。 「アル」 後ろから声をかけられ、アルフレッドは振り向いた。 いつの間にか銃で撃たれたジェットの傍らにグレッグとバジルがいた。 「どうだ?」 「分からない。弾はどうやら貫通しているようだが」 そう言ってグレッグは弾を見せた。 「その子は……私をかばって撃たれたんです」 少女が割って入ってきた。 それを聞いたアルフレッドはフッと笑った。 「そうか。……こいつはどうやら君が気に入ってるようでね。何かにつけて君のことを気にかけているようだったよ」 その言葉に少女の心が動いた。 「あの……」 「本当によかったのか?」 「何の話だ?」 グレッグの問いに、アルフレッドははぐらかすように答える。 「ジェットだよ。お前かわいがってたじゃないか」 そう言うと、アルフレッドはフッと笑った。 「……ずっと一緒にいたいなんて、俺のエゴだよ。ジェットをかわいがっているからこそ、幸せを願うのが普通だろ?」 「そりゃそうだけど……」 アルフレッドの言うことも分かる。でも、拾って育てて、今では立派な仕事仲間だったのに……。 「なぁ? そうだろ? バジル」 アルフレッドはグレッグの肩に乗っている白猫に声をかけた。 「ニャー」 「……俺たちも変な盗賊だよな。猫が仲間なんてさ」 グレッグが溜息混じりに言った。 「何で? こいつら頭いいから仕事しやすいじゃん」 「お前は悩みがなさそうでいいな」 アルフレッドの返しに、グレッグは冷たくそう言った。 「……俺だって、悩むことぐらいあるんだけどな−」 「どうせ今日の祝杯、何の酒飲もうかな、ぐらいだろ」 「ひっでーな」 冷たい言葉にアルフレッドは笑った。 「ボス! こっちは無事に終わりました!」 仲間たちが続々と戻ってくる。 「おー!」 アルフレッドは返事をすると、仲間たちとともにアジトに戻った。 目を覚ますと、僕は知らない場所にいた。 「あ、目、覚めた?」 顔を覗き込んできたのは、あの彼女だった。 「ちゃんとお話しするのは初めましてよね。私の名前はローズマリー。私を助けてくれてありがとう」 そう言った彼女は笑っていた。思わぬ展開と彼女の笑顔に、僕は何もリアクションできなかった。 「あなたの飼い主さんに会ったわ。私のことを気にかけてくれてたんですってね。だからお願いしたの。あなたをくださいって」 更に驚く展開に僕は何も言えなかった。 「大事にするならって約束で、あなたを引き取ったの。だから今日からここがあなたのお家よ」 そう言われ、部屋を見たが、ここがあの彼女の部屋だとは思えなかった。 「あなたたちのお陰で、父は悪いことをしてるってやっと気づいてくれたの。いくら会社の経営が厳しいからって犯罪に手を染めるなんてね……」 そう言って彼女はまた悲しそうな顔をした。そうか。あれは父親が犯罪に手を染めてると知って、悲しんでた顔だったんだ。 「父が逮捕されて、失った物もあるけど、私はこれで良かったと思う。家は小さくなったけど、すぐ傍にお母様がいる。……それに、あなたもいる」 そう言って、彼女は僕の頭を撫でた。 「ねぇ? 銃で撃たれたこと、覚えてる? 弾はあなたを貫通したから大事に至らなかったみたい」 そう言われ、僕は体を起こしてみようとした。だけど力が入らない。 「ダメよ。命に別状はなかったけど、もう歩けないかもしれないって……お医者様に言われたの」 彼女は悲しそうにそう言った。 「おいで。大丈夫よ。私がずっと傍にいてあげるから」 彼女は僕を抱き上げると、自分の膝の上に乗せた。 「だから……あなたもずっと……私の傍にいてね」 そう言って彼女は微笑んだ。 「ニャー」 『もちろん』と答えた黒猫は、幸せそうな彼女の膝の上で今日も静かに微笑んでいる。 inspired:ブラックキャット/ヒートン feat.初音ミク
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