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ACT.3 Problem
 翌朝。天音は手にしっかりと昨日ほたるに借りたノートを持ち、深呼吸した。ほたるが席に着いているのを見て、ゆっくり近づく。
「水瀬くん」
 ほたるはゆっくりとこちらを見た。怒ってる。相当怒ってる。ほたるの周りに漂っている怒りのオーラが天音には見えた。
「ノート、ありがとう。すごく助かった」
 ノートを返すと、ほたるは無表情のままノートを受け取った。
「昨日はごめんなさい。無理やり押しかけちゃって」
 天音は深々と頭を下げた。
「昨日のことはもういい。でももう絶対来るな。俺に関わろうとするな」
 サングラス越しに見えた目は、やはり怒っていた。
「ごめん、なさい」
 天音は謝ることしかできなかった。ほたるはそれを無視するかのようにプイッと外を見た。天音は仕方なく自分の席に戻った。

「およ。今日は天音ちんおとなしいね」
 芽衣が二人のやり取りを遠くから見て呟いた。いつもなら質問攻めにしてほたるに嫌がられてるのに。
「何かやらかしたんじゃない? ほたる、怒ってたみたいだし」
「えー。今更何やらかしたって言うのさ? ウザがられてるのはいつもじゃん?」
 芽衣の言い方がストレートすぎて、真奈美は一瞬天音を可哀想に思った。
「でも珍しいわね。ほたるが怒るなんて」
「んー・・・・・・まぁ珍しいって言やあ、珍しいね」
 ほたるは感情を表にあまり出さない。怒ったとしても、あそこまで感情を剥き出しにすることはない。
「何やらかしたのか聞いてこよーっと」
 芽衣は面白がって天音に近づいた。

「天音ちん」
 声をかけられ、天音は俯いていた顔を上げた。
「ねー。何やらかしたの?」
「へ?」
「芽衣、ちゃんと聞かないと話通じないでしょ」
 真奈美が冷静にツッコむ。
「水瀬に怒られてたじゃん?何かやらかしたの?」
 芽衣はもう一度言葉を足して聞いた。すると、天音は苦笑いを浮かべた。
「家まで、押しかけちゃった」
「「は?」」
 天音の思わぬ返答に二人は固まった。
「え? 何? どういうこと?」
 芽衣が頭を抱えた。
「途中でたてはくんに会って、それで・・・・・・」
 天音は言葉を濁し、たてはがイジメられていたことは伏せた。
「たてはがほたるの弟だってよく分かったわね?」
「あ、名札で・・・・・」
 真奈美に指摘され、少し動揺するが何とか返す。
「それにしても家にまで押しかけるなんてやるじゃん。天音ちん」
 芽衣が妙に感心している。
「感心することじゃないでしょ。ほたるに内緒で行ったんでしょ?」
 真奈美に聞かれ、天音が頷く。
「そりゃほたるも怒るわよ」
「それは覚悟してたけど・・・・・・。あそこまで拒絶されるとは思わなかった」
 天音はしゅんとしてしまった。いつもの明るい天音からは想像できないほどの落ち込みようだ。
「ほたるの両親のことは聞いたの?」
「あ、うん。事故で亡くなったって・・・・・・」
「詳しくは聞いてない?」
 真奈美の質問に頷く。天音が一応反省しているようなので、真奈美は一つヒントを教えることにした。
「ほたるの両親は、ほたるの目の前で亡くなったの。それが今でもトラウマって言うか。今はあげはとたてはの三人しか居ない家族だけど。もう家族を失くしたくなくて、物凄く大切にしてるのよ。傍から見ると異常かもしれないけどね」
「そう・・・・・だったんだ」
 天音は驚いたというよりショックだった。まさか目の前で亡くなっていたとは考えもしなかった。でもそれがあの寂しそうな目の真相なのだろう。
「鈴枷さん」
 真奈美に呼ばれ、天音は顔を上げた。
「ほたるは本当は変わりたいって思ってるはずなの。今のままじゃダメだって。だけど怖いからなのか、進めないでいる。だからフォロー、してあげて。あたしより鈴枷さんの方が適任なような気がする」
「冴木さん・・・・・」
 意外な真奈美の言葉に胸が熱くなる。
「うん。あたし、これくらいじゃめげないよ」
 そう言って笑った天音はいつも通りの笑顔だった。

「真奈美、さっき天音ちんのこと焚き付けたでしょ」
 次の休み時間、芽衣が突然真奈美にそう言った。
「人聞き悪いこと言わないでよ」
 真奈美が苦笑する。
「あたしにはそう見えたけど」
 芽衣の言葉に真奈美は苦笑した。
「水瀬のため?」
 芽衣の問いに真奈美は少し考えた。
「というより自分のため、かな」
「どういうこと?」
 真奈美の答えを理解できず尋ねる。
「あたしが気になるのよ。あの二人のこと。それにほたるを変えられるのは鈴枷さんしかいないと思う」
 その言葉を聞いて、芽衣は笑った。
「真奈美ってホント、外見と中身のギャップ激しいよね」
「何それ」
 芽衣の言いたいことが分からず、真奈美は首を傾げた。
「外見はクールビューティなのに、めちゃくちゃ世話好きだよね」
「世話好きなのは昔からでしょ」
 自分でもそれくらい分かってる。
「うん。そんな真奈美だから友達になれたんだよね」
 芽衣は初めて真奈美に出会った日を思い出した。それに気づいた真奈美は口を開いた。
「もし、世話好きじゃなくても、友達になってたわよ」
 その言葉を聞いて芽衣は嬉しそうに笑った。

 芽衣は元々天真爛漫で言いたいことをはっきり言う性格だった。それが災いしたのか、女子に嫌われ、一時期陰湿なイジメを受けていた。それを助けてくれたのが真奈美だった。
 真奈美も言いたいことをはっきり言う性格だったので、初めは衝突もあったが、裏のないお互いの性格に魅力を感じ、今では親友になっている。
「ありがとう」
「え? 何?」
 芽衣の呟きを聞き取れず、真奈美が芽衣の顔を見た。
「ううん。何でもない」
 芽衣は笑ってごまかした。

「うーん。どうしよう」
 天音はまたしても悩んでいた。それはたてはのことだ。偶然とはいえ、彼がイジメられていることを知ってしまった。本人と約束した以上、黙っているべきなのだろうか?それともほたるに話した方がいいのだろうか?
 どちらを選択するにしても天音は窮地に立たされている。
 ほたるに言うにしても、信頼を失っている今、話しても信じてくれるかどうかも疑問だった。
 それに約束を破れば、たてはにも裏切り者としての烙印を押されることになりかねない。
「あー。ホントどうしたらいいんだろ?」
 教室を移動中、天音は考えるのに没頭するあまり周りをまったく見ていなかった。
「鈴枷さん! 危ない!」
「へ?」
 真奈美の声が聞こえた瞬間、天音は階段を踏み外し、踊り場まで一気に転落した。
「いたたたた」
「大丈夫?」
「何やってんの? 天音ちん」
 すぐに真奈美と芽衣が駆け下りてくる。
「何とか・・・・・」
「てか天音ちん、パンツ丸見えだよ」
 芽衣が笑いながら指摘する。天音はその事実にガバッと起き上がり、急いでめくれ上がっているスカートを直した。
「見た?」
「バッチリ」
 天音の問いに芽衣はニシシと笑った。物凄く恥ずかしい。一応これでも女の子なのだから。
「それより豪快に落ちてたけど、怪我してない?」
「うん、多分大丈夫」
 真奈美は心配性のようだ。天音は立ち上がり、痛いところがないか確かめてみた。
「でも念のために保健室に行った方がいいかも。後から痛くなるかもしれないし」
「まぁ今のところ大丈夫だから、大丈夫だよ。冴木さんって結構心配性なんだね」
 天音はくすくすと笑った。芽衣も「でしょー」と笑った。

 その数歩後ろで、ほたるは固まっていた。フッと我に返り、ほたるは急いでその場を通り過ぎた。
(何なんだ、あいつ)
 今日は怒ったせいもあったのか、妙に大人しかった。それはまぁ、いいとしよう。
 なぜあそこであんなに豪快に落ちるのか。
(見ちゃいけないもん見た)
 天音より少し後ろを歩いていたほたるは天音が転落する瞬間を目撃していた。つまり、あの恥ずかしい格好も見たのだ。
(うわぁぁ)
 なぜかそのときの映像が浮かび上がる。
 ほたるは顔が赤くなっていくのが自分でもよく分かった。
 天音が落ちたことも、ほたるがそれを見てしまったことも不可抗力なのだが、天音を責めずにはいられなかった。
(あいつに会ってから調子が狂うばっかりだ)
 せっかく落ち着いてきたのに。
「ハァ・・・・・」
 思わず溜息が漏れる。
 彼女と関わることで、何か変わるのだろうか?
 ほたるは首を横に振った。変わるとは到底思えない。
(あげはとたてはにもちゃんと注意しとかなきゃ)
 ほたるはようやく辿り着いた教室に入った。

 天音は授業もろくに聞かず、ずっとたてはの件を考えていた。
(どうしたらいいんだろ?たてはくんのことあんまり知らないし・・・・・・)
 ふと真奈美を見る。彼女は真面目に教師の話を聞き、ノートにカリカリと書いている。
 真奈美はほたるの幼馴染だ。当然たてはのことも知っているだろう。
 真奈美に相談する?
(それじゃあ、たてはくんとの約束を破ってしまう)
『お願い!お兄ちゃんや真奈美ちゃんには言わないで!』
 たてはは必死にそう言ったのだ。
(だけどそれじゃあ・・・・・・)
 何も変わらない。
(よし)
 天音はある決断を下した。

 放課後、天音は真奈美を呼び止めた。
「冴木さん。ちょっと時間いい?」
「何?」
「相談したいことがあるの」
 二人は誰もいなくなった教室に残った。

「兄ちゃん!」
 帰り際、ほたるは声をかけられた。
「たては。今帰りか」
「うん」
 ランドセルを背負っているたてははほたるに追いつくと、隣を歩き始めた。
「今日はバイトないの?」
「そうだよ」
 たてはに聞かれ頷いた。その時、ふと気づいた。何だか汚れてないか?
「たては、どうして汚れてるんだ?」
「え?」
 たてはは自分の服を見た。確かにあちこちが汚れている。
「あー、学校でサッカーしたんだ。昼休みにね」
 たてははそう言って笑った。
「そうなんだ。たてはは運動好きだもんな」
「うん!」
 ほたるの言葉にたてはは元気よく頷いた。だけど何だか違和感があった。それが何なのか分からない。

 家に帰ると、あげははまだ帰っていなかった。今日はほたるが食事当番なので、着替えて早速準備を始める。今日は冷蔵庫の残り物を見て、特製の野菜炒めにしようと思う。
 まずお米を研いで炊飯器にセットする。そして慣れた手つきで野菜を切り、フライパンへ移す。その間にお湯も沸かして味噌汁も作る。我ながら慣れた手付きだ。
(五年か・・・・・・)
 長かったような短かったような、不思議な感覚だ。
 時間だけが経って、自分は何も成長できていない。逃げているのかもしれない。だとしても、立ち向かう勇気なんて、今の自分にはない。
「ハァ・・・・・・」
 ほたるは溜息を漏らし、フライパンの上の野菜に味を付けた。

「え?たてはがイジメに遭ってる?」
 いつも冷静な真奈美の綺麗な顔が歪んだ。
「うん。たまたま見かけちゃって。水瀬くんや冴木さんには言わないでって言われたんだけど・・・・・・。このままじゃ良くないと思って」
「そう・・・・・・」
 真奈美は視線を落とすが、すぐに天音に向き直る。
「イジメの原因は何?」
「よく、分からないんだけど。名前のこととか、ご両親がいないこととか・・・・・・」
「ほたるがサングラスかけてること?」
 言葉を濁した天音を察し、真奈美が続ける。天音はコクンと頷いた。
 すると真奈美は黙り込んでしまった。何かを考えているんだろうか。
 しばらくして口を開く。
「たてははね、両親が亡くなった事故のことをあまり良く知らないの。それからほたるがサングラスをかけている理由もよく分かっていないと思う」
「そうなの?」
 天音は驚いた。
「ほたるの両親が亡くなったとき、たてはは五歳。ほたるが今のたてはの歳の時だった。ほたるはまだたてはにきちんと話していないの」
「そうなんだ・・・・・・」
 十歳で両親を亡くしたなんて、信じられなかった。
「たてはなりに気づいてるとは思うけど。誰にも言わないでって言ったのは、心配をかけないようにっていう気遣いだったのかもね」
 真奈美の言葉に天音は頷いた。
「心配させたくないって言ってた」
「だけどどうしてあたしに?」
 真奈美に聞かれ、天音は苦笑して答えた。
「水瀬くんに言ったとしても信じてもらえるかなんて分からないし。冴木さんならたてはくんのことも良く知ってるかと思って」
「なるほどね」
「ねぇ、どうしたらいいと思う?」
 天音が本題を尋ねる。
「そりゃ、ほたるにちゃんと言わなきゃでしょ」
「やっぱり?」
 予想通りの答えに少し気が重くなる。
「大丈夫よ。あたしも一緒に行くから」
 真奈美は天音の肩をポンッと叩いた。

 夕飯が出来上がる頃に、あげはが帰宅した。すぐにキッチンに顔を出す。
「ごめんね。遅くなって」
「おかえり。ちょうどできたよ」
 ほたるはダイニングテーブルに食事を並べた。
「じゃあ、着替えてくる」
「ついでにたてはも呼んできて」
「はーい」
 あげはがキッチンを出て、二階へ上がって行く。その間にほたるは食卓の準備を整えた。

 三人が揃い、着席する。
「夕飯食べる前に、ちょっといいかな?」
「何?」
 ほたるが突然切り出したので、あげはとたてはは不思議そうにほたるを見つめた。
「昨日も言ったけど、鈴枷天音がまた家に来ても、絶対上げるなよ」
 サングラス越しのほたるの目が本気なのが伺える。
「どうして? 鈴枷さんってクラスメートでしょ?」
 あげはは納得が行かないらしい。
「あいつは俺のこと嗅ぎ回ってる厄介者だ」
「そんな言い方しなくても・・・・・」
「どうして天音ちゃんを悪く言うの?」
 不意にたてはの声が小さく響いた。
「どうしてって・・・・・・」
「天音ちゃんは悪い人じゃないよ!」
 たてはが突然顔を上げて怒鳴った。突然のたてはの叫びに、ほたるとあげはは驚いた。
「何でたてはが鈴枷の肩を持つんだ?」
「それは・・・・・・」
 ほたるに聞かれたたてはは俯いた。しかし何かを決意したように、固く結んだ口を開いた。
「天音ちゃんが、助けてくれたんだ」
「え?」
「助けるって?」
 二人はたてはの言葉を理解できず、聞き返した。
「僕、嫌がらせされてて・・・・。たまたま通りかかった天音ちゃんが、僕のこと助けてくれたんだ」
「それって・・・・・・」
「イジメられてるってこと?」
 ほたるがはっきりと尋ねた。たてはは俯いたまま、首を縦に動かした。
「何で言わなかった?」
「心配かけたくなかったんだ。僕が我慢してれば、それで向こうは気が済むんだから」
 たてははひざの上に揃えた拳をギュッと握った。
「だとしても・・・・・・」
 ほたるが口を開くが、あげはがそっとほたるを制す。
「たては、どんな嫌がらせされてるの?」
 あげはが優しく聞いた。たてはは俯いていた顔を上げ、あげはを見つめた。
「いいから。言ってごらん」
 優しく促され、たてははようやく口を開いた。
「名前が変だって・・・・・・。父さんと母さんがいないんだろって・・・・・・」
「それから?」
 言葉を濁したたてはに、あげはが肩を抱いた。
「・・・・・・兄ちゃんがいつもサングラスかけてて、変だって・・・・・・・」
 その声は涙を必死に堪えていた。
「たては・・・・・・」
 ほたるはうまく言葉が出てこなかった。まさか自分のせいでたてはがイジメに遭っていたなんて・・・・・・。
「そっか。たては、よく言ってくれたね」
 あげはは隣に居るたてはをギュッと抱きしめた。
「ごめん。たては・・・・・・俺のせいで・・・・・・」
 そう言うと、たてはは握り締めた拳をいっそう固く握り締め、ポロポロと涙を零した。
「たてはに、ちゃんと説明しないとな」
 ほたるはようやくたてはに全てを話そうと決心した。
 その時、玄関のチャイムが鳴る。あげはが出ようとするのを制し、ほたるが玄関に向かった。

 玄関を開けると、そこには真奈美と天音が立っていた。
「ごめんね。ご飯中だった?」
「あ・・・・・・今からだけど・・・・・・」
 真奈美の問いにほたるが答える。
「ちょっと時間、いい?」
「でも・・・・・・何の用?」
 天音を見てついキツイ言い方をしてしまう。
「たてはのことなんだけど・・・・・・」
 真奈美が言いかけると、たてはが出てくる。ポロポロと流していた涙を袖でゴシゴシと拭き取った。
「たてはくん!」
 天音がたてはに気づくと、たてはは顔を上げ、天音を見た。
「天音ちゃん。僕、ちゃんと言ったよ」
「え?」
 たてはの言葉に天音と真奈美は驚いた。
「兄ちゃんが天音ちゃんのこと、悪く言うから。我慢できなかったんだ」
「そっか。がんばったね。それからありがとう」
 天音は近くにやってきたたてはの頭を撫でた。
「用って、そのこと?」
 ようやくほたるが気づく。天音と真奈美は頷いた。
「本当はたてはくんに口止めされてたから、悩んだんだけど。でもそれじゃあ何も変わらないから。冴木さんに相談して、やっぱりちゃんと話した方がいいだろうって」
「そうか・・・・・・」
 知ってしまった以上、どうにかしてイジメを止めなければ。だけどどうやって?
「兄ちゃんたちは、何もしなくていいからね」
 不意にたてはがそう言った。
「え?」
「何でだ?」
 ほたるに聞かれ、たてはは俯いたまま答えた。
「だって。もしバレたってなれば、もっとひどくなる」
 たてはの言い分は良く分かる。
「だけど・・・・・・」
「本当に!何もしなくていいから!」
 たてはそう言うと、ダイニングの方へ戻って行ってしまった。
「水瀬くん、本当に何もしないってことないよね?」
「当たり前だろ」
 天音に言われ、きつく答える。
「鈴枷、明日ちょっと付き合ってくれるか?」
ほたるに頼りにされ、天音は嬉しそうに頷いた。

 翌日の放課後。ほたるはバイト先に遅れると連絡をし、天音と共にあの公園に来ていた。
「ここでたてはくんと会ったの」
「案内ありがとう。もういいよ」
「ちょ! 冷たすぎない?」
 あまりにサラッと言うので、天音は一拍遅れた。
「だけど、今日もここでイジメに遭ってるとは・・・・・・」
 天音がそう言いかけると声が聞こえた。
「たてはって言いにくいよなー」
「なぁ。変人のにーちゃんが夜な夜な人を襲ってるって本当?」
 それは通り魔のことを言っているのだろうか?
「兄ちゃんは変人じゃない!」
 たてはが掴みかかるが、ひらりとかわされ、たてはは転んで地面に激突した。それを機に、一斉に襲い掛かろうとする。
「「やめろ!」」
 慌ててほたると天音が止めに入る。
「げ」
 二人の姿を見て、イジメっ子たちは焦った。
「兄ちゃん・・・・・・」
「何で君たちはたてはをいじめるんだ?」
 ほたるにそう聞かれ、イジメっ子たちは口をつぐんだ。
「たてはの名前が変だから? 両親がいないから? 俺が変だから?」
 ほたるの言葉にイジメっ子たちは驚き、顔を上げた。
「両親は事故で亡くなった。たてはが悪いわけじゃない。たてはの名前は父さんと母さんが一生懸命考えて付けた名前だ。君たちがもしそんなことを言われたらどんな気持ちだ? 嬉しいか?」
 ほたるの問いに、イジメっ子たちは首を横に振った。
「だったらもう止めてくれ。たてはが今までどんな気持ちだったか、考えて欲しい」
 そう言うと、その中の一人が顔を上げた。
「じゃあ、お兄さんは何でサングラスしてるの?」
 不意の質問にほたるは口ごもった。
「これは・・・・・・」
 ほたるがサングラスに触れる。
「これを外すと見えちゃいけないもんが見えるんだ」
「え?」
 一瞬、周りが静まり返る。
「見えちゃいけないものって?」
「幽霊とか?」
「幽霊なんかじゃない。見ると、命を吸い取られてしまうもの」
 我ながらすごい嘘だと思う。果たして信じてくれるかどうか・・・・・・。
「かっけー!」
「すごーい!!」
 なぜか咄嗟についた嘘が思わぬ反応を生んだ。
「分かったらもうたてはのこと、イジメるなよ」
「はい!」
 ほたるの言葉にイジメっ子たちは元気良く返事をした。
「もし見つけたら、お姉さんが八つ裂きにするからね」
 天音が鬼のような形相で脅した。
「やめとけ」
 ほたるが止めるより早く、イジメっ子たちは逃げて行ってしまった。
「とりあえず一件落着ってとこか。んじゃ、俺バイト行くわ。付き合わせて悪かったな」
「ううん。それはいいんだけど」
「兄ちゃん、ありがとう」
 たてはの言葉にほたるは優しい表情を見せた。
「たてはも鈴枷も気を付けて帰れよ」
 ほたるが背中を見せた。天音は勢い余ってほたるの背中にしがみついた。
「待って!」
「あ?」
「さっきの本当?」
「さっきのって?」
 ほたるはしがみついてきた天音を軽くあしらい、離れた。
「サングラスを外したら、見えちゃいけないものが見えるって・・・・・・。本当なの?」
「んな訳あるか」
 まさかあんな嘘を信じるなんて。
「じゃあ本当のこと教えてよ!」
 天音がなぜそんなに自分に関わってくるのかが、すごく不思議になる。本当のことなんて、言えるわけない。
「世の中には知らなくていいこともあるんだよ」
 ほたるはそれだけ言うと、天音たちに背を向けて歩き出した。
(余計気になるじゃん)
 天音はほたるの背中を見送りながら、心の中でぼやいた。