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ACT.7 promise
バンドを組むと決めてからの奈月の一日は忙しかった。半日以上学校で過ごし、帰ってきてから家事、課題、練習に明け暮れた。
「はー、疲れたぁー。」
一通りの練習を終えた奈月はベースを横に置いてクッションを抱いて寝転んだ。やはりベースは難しい。基本的なことでてこずっていたら、演奏の時どうなるんだろう?と一抹の不安を覚える。でもやり始めたことを途中で投げ出すようなことはしたくなかった。奈月はまたベースを抱えて練習を始めた。

そんな毎日が続いていたある日のこと。奈月が休み時間に何かの雑誌を広げているのを秀一が見つけた。
「何見てんの?」
「あ、秀ちゃん。実は、バイトしようと思って。」
「バイト?」
よく見ると、それは無料で配られているバイト情報誌だった。
「うん。親の仕送りもあるんやけど、自由に使えるお金がないって言うか。バンド始めたし、これからお金もかかるやろうなって思って。」
「そっか。そうだよね。」
秀一もそれが気になっていた。何とか貯金はあるものの、いつなくなるか分からない。練習する場所だってスタジオを借りればお金はかかるし、機材や楽器の維持費だってかかる。一気に出ることはあまりないにしても、お金が必要になることには変わりない。
「保護者代わりの兄貴は承諾してんの?」
どこからかあきらが現れる。あきらと言い、武人と言い、なんでこんなに神出鬼没なんだ?と秀一が首を傾げる。しかし奈月はあまり気にしていないようだ。
「実はまだ言うてないんよ。最近仕事忙しいみたいで、会わんのよねぇ。」
「そっか。で、いいの見つかった?」
あきらの質問に奈月は首を横に振った。
「うちの近所で探してるんやけどなかなか・・・。」
「そうなんだ。」
するとあきらが何か考え始めた。
「奈月んちって確かM町だったよね?」
「うん。そうやで。」
確認され、そう返すと、あきらがニッと笑った。
「M駅から近いとこにいいとこあるけど、どうする?」
「え?」
突然のことで驚き、一瞬戸惑った。
「里佳の親戚んとこなんだけどさ、奈月好みのいいとこだよ。」
「何の店なんだ?」
職種を言わないあきらに秀一が尋ねる。
「強いて言うなら接客業。別に怪しい店じゃないよ。」
「怪しくないなら言いなよ。」
秀一が呆れる。
「そりゃ行ってからのお楽しみでしょ。その前に里佳に連絡取るけど。」
きょろきょろと辺りを見回し、教師がいないことを確認すると、ポケットから携帯電話を取り出した。一応校則では禁止なのだが、生徒指導に見つからない限りほとんど黙認状態だ。
「奈月がやるって言うなら、里佳に聞いてみるけど。」
「じゃあとりあえずお店行くだけやったら・・・。」
「そう言ってみる。返事は放課後までにもらうようにするね。」
あきらはそう言うと、メールを打ち始めた。

そして放課後。
「なーつきぃー。」
大声で叫びながら、あきらが走ってくる。
「そんな大声出さんでよ。恥ずかしいなぁ。」
掃除当番の奈月は廊下を掃いていた手を止めた。
「里佳から返事きた。早速だけど、今日行ってみる?」
「え?今日?」
あまりにもトントン拍子に進むので、奈月は驚いた。
「それとも何か予定ある?」
「ううん。別に予定はないけど・・・。」
「じゃあ決まりね。里佳も来るから。」
あきらはまた携帯を取り出し、メールを打ち始めた。
「分かった。んじゃ、掃除終わるまで待っといて。」
「OK。」
掃除当番ではないあきらは廊下の端で邪魔にならないように奈月を待った。

「お待たせ。行こう。」
ようやく掃除を済ませた奈月が鞄を持ってあきらの元へやって来た。
「ところで里佳とはどこで待ち合わせてるん?」
「M駅。」
奈月が住んでいる町の駅だ。
「そっか。駅近くって言うてたもんね。」
「そうそう。」
二人は駅までたわいもない話をしながら歩いた。

M駅で無事に里佳と合流する。
「久しぶりー。」
里佳は相変わらずかわいかった。里佳と会うのは二回目だが、二回とも女の子らしいカワイイ服を着ていた。それがまた似合う。
「こないだ打ち上げまで行ったんでしょ?楽しかった?」
里佳に聞かれ、奈月は満面の笑みで頷いた。
「うん。何かあの打ち上げであのバンドの相関図分かった気ぃするわ。」
そう言うとあきらも里佳も笑った。

「こっちこっち。」
あきらと里佳が奈月を誘導する。いつもの帰り道と同じ方向ではあったが、途中で路地に入った。と言っても入り組んだような場所ではない。
「ここ。」
里佳が店の前で止まり、指をさした。
「ここ?」
案内されたところは、どう見ても楽器屋だった。
「楽器・・屋さん?」
「そ。入って。」
里佳が先頭になり、二人は里佳の後からついて入った。
「おう。里佳ちゃん。いらっしゃい。」
迎えてくれたのは人の良さそうなおじさんだった。
「こんにちは。オジサン。紹介するね。この子が電話で言ってたバイト希望者。」
里佳は奈月を前に出した。
「は、初めまして。」
里佳のイキナリの行動に戸惑いながら、奈月は挨拶をする。
「はい。初めまして。へー。キミか。なかなかカワイイ子だね。」
「でしょ?これでお客来ること間違いなし!」
自信たっぷりに言う里佳に奈月は不安を覚える。ここ、楽器屋さんだよね?
「うん。客が喜ぶよ。で?キミ、名前は?」
「黒川奈月です。」
「奈月ちゃんか。で?本当にここで働いてもらえるの?」
「え、あ、はい。雇ってくださるなら・・・。」
そう言うとおじさんは笑った。
「俺はハナから雇うつもりだ。小さい店だけど客は多いんだ。客はバンドを組んでる子たちが多いんだけど。」
「そうなんですか。」
何だかあっさりと決まってる気がする。
「だからね。キミが来てくれると助かるんだ。バイトは他にもいるんだけど、他にもバイトしてたりしてね。ずっとってワケにもいかないし。ね?どうかな?来てくれる?」
「あ、はい。」
思わず奈月は頷いた。
「いいの?そんな簡単に返事して。」
後ろであきらが溜息ついた。
「え?」
連れて来たのは自分じゃ?と奈月はツッコミたくなった。
「おっさん。時給は?いくらで雇う気?」
あきらが身を乗り出して問う。
「時給?沙紀の時給が900円くらいだから。それぐらいかな。」
「安っ!今時900円じゃ誰も働かないわよ。沙紀も文句言ってた。」
里佳が後ろからツッコむ。
「え?じゃ、じゃあ、千円くらい?」
そんな簡単に上げていいのだろうか?と奈月がおろおろしていると、里佳が頷いた。
「そうね。それが最低賃金ね。」
「えぇ?」
里佳はどうやら人をからかうのが好きらしい。
「でも強引に連れて来ちゃったけど、本当にいいの?別にこのオジサンの言ったこと、気にしなくていいんだよ?」
里佳が心配そうに尋ねる。
「うん。でもああ言うてくれてることやし。家からも結構近いし。時給もええし。うちとしては文句なしやけど。」
奈月の言葉に里佳はホッとした顔をした。
「それならいいけど。あ、この人一応店長ね。」
「一応って・・・ヒドイなぁ・・・。」
店長が落ち込んでいると、里佳が追い討ちをかける。
「だってそうじゃん。ほとんど誠一くんが切り盛りしてるでしょ。」
「うっ。」
どうやら図星らしい。
「誠一くんってあたしの従兄弟ね。今日はいないみたいだけど、大体店番してるから会うと思うよ。」
「そうなんや。」
「ところでオジサン。沙紀は?」
「ああ。もう帰ったよ。他のバイトに行くって。」
「なーんだ。じゃあ今日は紹介できないね。」
里佳が残念がる。
「里佳ちゃん、沙紀って・・・?」
奈月が訊ねる。
「ここでバイトしてんの。あたしの幼馴染。ここのバイト、あたしの紹介で入ったの。このオジサン、あたしの叔父だから。」
「あ、そうなんだ。」
「そうそう。里佳ちゃんにはお世話になってるんだ。バイトの子、いろいろ紹介してもらってね。」
「ことごとく辞められるのは、あたしのせいじゃないからね。」
里佳が冷たく言葉を放つ。
「り、里佳ちゃん。」
店長が情けない声を出す。
「気をつけてね。奈月ちゃん。この人、オカシイから。無視してれば大丈夫だから。この人は頭がオカシイんだって、頭に叩き込んどいて。」
「里佳ちゃーん。ひどーい。」
「事実。とにかく、次は辞められないようにね。」
里佳が念を押す。
結局明日からということで話が着き、今日は帰ることになった。

「え?バイト?」
久々に帰って来た兄に今日のことを報告する。
「そ。あきら・・・ほら、こないだカメラマン志望の子がおるって言うたやん?その子とメイクと衣装担当した子が紹介してくれたんよ。場所もうちの近所やし。ええかな?」
「まー。お前がやる気なら、俺は別に反対はせんけど。で?仕事は?何すんや?」
「接客。」
「喫茶店かなんか?」
そう聞かれ、奈月は首を振った。
「ううん。楽器屋さん。」
その言葉に一真は頭に近所の地図を思い浮かべた。
「楽器屋?そんなもん、うちの近所にあったっけ?」
「あるよ。ちょっと分かりにくいとこやけど。」
「そうなんや。」
あまりこの辺をウロウロしないので、見落としてるのかもしれないと一真は思い直した。
「まぁがんばりや。」
「うん。」
奈月は笑顔で返事した。

翌日の放課後。掃除を終わらせ奈月は急いでバイト先へ向かった。
「遅くなりました。」
店に入った瞬間、そう言って顔を上げると、そこにいたのは店長ではなかった。
「キミは?」
「えっと・・・。」
細目の青年に聞かれ、奈月はうろたえた。
「おう。奈月ちゃーん!」
にゅっと何処からともなく里佳の叔父である店長が現れる。
「あ、こ、こんにちは。」
驚きつつ挨拶をする。
「はい。こんにちは。」
「あの・・遅くなりました。」
「ん?全然時間通りだよ。それよりこれに着替えてね。」
と店長に渡されたものを見て、奈月は驚いた。
「メ、メイド?」
この店はいつからコスプレをするようになったんだ?
「いつからここはイメクラになったんだ?」
さっき奈月を迎えた青年が店長を蹴り飛ばした。
「痛いなぁ。誠一君ってば・・・。」
今にも泣きそうな声で訴える。誠一・・・ということは彼が里佳の従兄弟だ。
「大体どっからこんなもん入手したんだ?」
「ひ・み・つ。」
「キショい。」
という言葉と共に再び蹴りを入れられる。・・・これか。里佳の言ってたこと。
「あ、あの・・・。」
会話に入っていけない奈月が恐る恐る話し掛ける。
「ああ。ごめんね。こんなんが店長で。」
誠一が謝る。
「どーゆー意味だい?誠一君。」
アップで迫るが、誠一は堪えない。
「そーゆー意味だ。」
顔色一つ変えず返す。
「しどい!誠くんってばっ。」
「それがキショいんだって。」
「あ、あの・・・。」
なかなか相手にしてもらえない奈月がもう一度会話に入る。
「キミ、新しくバイトに入った子でしょ?」
誠一に尋ねられ頷く。
「俺は神谷誠一。このおっさんの息子。里佳の従兄妹なんだ。」
「え?む、息子?」
「そう。」
にこやかに笑う。確かにこの店長が里佳の叔父さんで、誠一が従兄妹なら必然的にそうなる。
「それ、学校の制服だよね?」
「あー、はい。」
奈月の格好を見て、誠一が確認する。
「んー・・・。うち制服ないんだけど・・・。」
「だからこれ・・。」
諦めずに店長がメイド服を持ってくるが、誠一が無言で鉄拳制裁を下し、地面に沈めた。
「まぁブレザー脱げばとりあえずは大丈夫か。一応これエプロンね。」
誠一はレジカウンターの下からエプロンを出して、奈月に渡した。
「まずはロッカーから案内するね。こっち来て。」
誠一は奈月を店の置くにあるロッカールームに案内した。
「メイド・・・。」
取り残された店長は空しく呟いた。

「ここがロッカールームね。休憩もここで取って。」
「はい。」
奈月は早速荷物をロッカーに入れ、ブレザーを脱いでエプロンを付けた。店の方に戻りながら、思い出したことを尋ねる。
「あ、そう言えば、バイトが他にもいるって聞いたんですけど・・・。」
「ああ。沙紀のこと?」
奈月が頷く。
「残念。さっき帰ったよ。バンドの練習があるって。」
「バンド・・・やってるんですか?」
「ああ。ベースやってるらしいよ。俺もちゃんと聞いたわけじゃないから何とも言えないけど、結構な腕前らしいよ。」
「へぇー。あ、うちも最近バンド始めたんですよ。」
奈月がそう言うと、誠一は驚いた。
「へぇ、そうなんだ。何やってんの?」
「ベ、ベース・・ヴォーカル・・・です。」
そう言うと更に誠一は驚いた。
「ベースヴォーカル?難しいだろ?」
「って言うてもやり始めたばっかりで・・・。ベースは前からちょこちょこやってたんですけど、本格的にやるのは初めてなんで。」
「そっか。じゃ、沙紀に聞くといいよ。」
「誠一君もバンドしてるでしょ?」
ぬっとイキナリ店長が会話に入ってくる。
「ウン。でも俺はギターだもん。ベースは弾けない。」
「そっか。」
「誠一さんもバンドやってるんですか?」
驚いた奈月が尋ねると、誠一はにっこりと笑った。
「そーだよ。まぁ、そのうちここにも俺のバンドメンバー来ると思うから、来たら紹介するよ。」
「はい。」
奈月は笑顔で頷いた。

その日は一通りの仕事を説明された。接客の仕方、在庫の補充、楽器の扱い方etc.
「はい。お疲れさん。」
休憩時、誠一が缶ジュースを差し出す。
「あ、ありがとうございます。」
誠一は自分の缶を開けて飲み始める。それを見た奈月も同じように飲み始めた。
「ちーっす。」
突然三人の男が店に入ってくる。
「あ、いらっしゃいませ。」
奈月が慌てて立ち上がる。
「お、新顔。」
「ほんとだ。かわいー。」
「キミ、バイトだよね?」
「あ、はい。」
口々に言う三人に圧倒されながらも頷く。
「何しに来た。」
奈月が返事すると後ろから誠一の声がした。誠一の口ぶりからして知り合いらしい。
「何しにって愛しの誠一(せーいっ)ちゃんの顔見に来たんじゃーん?」
肩まで髪を伸ばしている長身の男が笑いながら言う。
「ったく。どーせ暇持て余してんだろ。」
「バレた?」
誠一が呆れたように言うと、男はケラケラと笑った。
「いつものことだろ?」
「そういやさ、この子、今日から入ったの?」
短い髪を逆立ててる同じように背の高い男が誠一に尋ねる。
「そー。でも手出しすんなよ。せっかく入ったバイトなんだから。」
「出さねーよ。でもお前んとこ、ことごとくやめてくよな。」
「なんでだ?」
三人は首を傾げた。
「やっぱアレっしょ?」
誠一が指差した先には店長がいた。
「「「やっぱり。」」」
三人が妙に納得する。
「あの・・・店長がどうかしたんですか?」
昨日の里佳もそんなこと言ってた。確かに言動が変だとは薄々感づいている。
「多分薄々分かってると思うけど、あんなの序の口だから。」
誠一がウンザリしたように言った。
「なぁ。そんなことより紹介しろよ。誠一。」
髪を肩まで伸ばしてる男が誠一の肩を組みながら言う。
「分かってるって。この子は黒川奈月さん。里佳の友達で里佳が紹介してくれたんだ。奈月ちゃん、こいつらが俺のバンド仲間。まずこの髪の長いのが香坂晋平。ドラムスね。」
「よろしく。」
「この髪逆立ててんのが浅井貴司で、ベース。」
貴司は「よろしく。」と軽く手を上げた。
「この小さいのがボーカルの古賀直哉。」
「小さいって言うな。」
今まで黙っていた直哉が呟く。どうやら気にしているらしい。
「事実じゃーん。」
晋平が茶化すと、直哉はキッと睨みつけた。しかし晋平には効かないらしい。
「ま、これがバンドメンバー。思ってたより早く紹介できたね。」
誠一が苦笑した。奈月が「そうですね。」と笑った。
「な、かわいいだろ?」
店長がにゅっと顔を出す。
「うん。上等上等。」
晋平が頷く。
「おっさんのカワイイは信用なかったけど、今回は当たってたな。」
貴司が煙草を銜えた。
「だろ?」
店長が得意げに言う。
「おい。貴司、店の中は禁煙だ。」
「分かってるよ。」
銜えた煙草に火はまだつけていない。
「ったく。緊急集合って言われたから何かと思ったら・・・。」
直哉が文句を言う。
「女の子と聞いたら目の色変わるからな、あの二人。」
「ホント。」
誠一と直哉は口々に言う。
「気をつけな。あの三人には。」
「て、店長も入ってんですか?」
「ああ。女の子大好きだから。」
真顔で言う誠一に、奈月は苦笑した。

「どうやった?初バイト。」
久しぶりに家に帰って来た一真は奈月の作った夕食を食べ、食後の一服を始めた。
「楽しかったで。店長の息子さんもバンドやってるんやってー。」
「へぇ。どのジャンルやろ?」
一真が煙草の煙を吐き出した。奈月は食器を片付けながら答えた。
「それは聞いてへんけど、メンバーは紹介してもろたよ。」
「そっか。その人たちにいろいろ教えてもらうとええよ。」
「うん。」
一真の言葉に奈月は笑顔で頷いた。
「バイトやらバンドやら学校やら忙しくなるな。」
「そうやねぇ。」
一真が意地悪く言うと、奈月は苦笑した。
「バイトも初めは慣れんことするから、大変かもしれんけど、そのうち慣れるから。慣れたら自分のペースで続けたらええよ。」
「うん。ありがと。お兄ちゃん。」

翌日、登校すると早速秀一がやって来た。
「昨日、どうだった?」
「ん?」
何を聞かれたのか分からず聞き返す。
「昨日からだったんだろ?」
『バイト』と小声で言う。
「あー、うん。いろんなこと一度に言われたから、パニックなりそうやった。」
そう言うと秀一は笑った。
「でも皆優しいし、おもろかったよ。」
「へぇ。でもバレないようにしなきゃな。」
一応校則ではバイトは禁止である。許可を取らない限り、見つかれば停学になるだろう。
「でもあそこならバレんと思う。」
教師がわざわざ楽器屋までは見に来ないと思う。
「結局何だったんだ?」
昨日あきらは結局秀一にも教えなかった。
「楽器屋さん。小さめのお店やけど、品揃えは豊富やったよ。」
「へぇ。おもしろそうだな。」
秀一は興味を持った。奈月は笑顔で頷いた。
「あ、そうそう。店長の息子さんもバンドやってるんやって。」
「そうなんだ。担当は?」
「ギターやってさ。誠一さん言うんやけど、いろいろ教えてもらおうと思てるんよ。」
「そうだな。俺にも紹介して。」
秀一の言葉に、奈月は笑顔で頷いた。
「もちろん。」

「奈月ちゃん。誠一さんとこでバイト始めたんだって?」
昼休み、いつものように屋上に集まると、武人に聞かれた。
「あれ?武ちゃん、誠一さんこと知っとん?」
奈月が驚くと、武人が苦笑した。
「知ってるも何も俺が初めてバンド組んだとき、色々教えてもらったんだ。里佳の従兄妹だから小さい時から知ってたし。」
「そうやったんや。」
「武も知ってるなら、教えてもらいやすいな。」
秀一が弁当箱を開けながら言った。奈月は「そうやね」と相槌を打つ。
「何を?」
秀一の言葉の意味が分からず、武人が聞き返した。
「バンドのことだよ。誠一さんって人、ギタリストならギターのことも色々教えてもらえるし、俺も奈月もバンド組むの初めてだから、色々教えてもらおうって言ってたんだ。」
やっと理解できた武人は古典的に右手のグーで左手の平をポンッと叩いた。
「なーるほど。確かに誠一さんは頼りになるからなぁ。」
「その口調だと他の人は頼りにならんみたいだな。」
あきらがあげ足を取る。
「うーん・・・。」
「否定せんのかい。」
悩み始めた武人にあきらがツッコむ。
(ええコンビやなぁ・・・。)
まるでお笑いコンビにようなやり取りに奈月が笑う。
「だってあのメンバーで一番まともなのは誠一さんだもんなぁ・・・。」
「お前にそんなこと言われる他のメンバーの人がかわいそうだな。」
腕組みをして考えながら言う武人にあきらが淡々とツッコむ。だが奈月は武人が言っていることがあながち間違いではない気がした。

バイトはほぼ毎日入っていた。その方が仕事を覚えるのも早くなるし、すぐに慣れるからという理由だった。一週間経ったある日。
「仕事も慣れてきたみたいだし、そろそろシフトにしようか?」
誠一がカレンダーを見ながら言った。
「その方が奈月ちゃんも予定立てやすいだろうし。」
「あ、はい。」
「いつがいいとかある?平日は学校終わり入ってくれると助かるし、土日はもっと助かる。」
ちなみに平日は学校が終わってからなので、16時〜閉店の20時までの4時間、土日は午前か午後の半日だった。
「今のところ予定は入ってないんで、いつでもいいんですけど・・・。」
そう言うと誠一はシフト表を見た。
「じゃあ沙紀が入れない時、入ってもらおうかなぁ。あ、そういやまだ沙紀に会ってなかったっけ?」
思い出したように言う誠一の言葉に、奈月は頷いた。同じベースをやってる女の子に早く会ってみたいのだが、なかなかシフトが一緒にならない。
「まぁそのうち会うと思うけど、奈月ちゃんもベースやるなら色々聞くといいよ。」
「ベースなら俺に聞いてよ。」
ニョキっと現れたのは、貴司だった。彼もよく店に顔を出す。
「お前はセクハラするからダメ。」
誠一にはっきりきっぱり言われる。しかし貴司は全然堪えていないようだ。
「俺のどこがセクハラだ。」
「そういうとこだろが。」
誠一は頭を抱えた。貴司はいつの間にか奈月の後ろに回り、後ろから抱きついていた。ここ一週間、ずっとこんな調子なので、奈月も妙な慣れ方をしてしまっていた。
「奈月ちゃんもさ、ちょっとは嫌がろうよ。」
「いやぁ・・・。」
かと言って今更「キャー」とか言って逃げるなんてできない。
「とにかくっ!お前は用もないのに店来るな。」
誠一はそう言いながら、貴司を奈月から放した。
「用はちゃんとあるよー。」
「何だよ?」
「奈月ちゃんの顔見に来てるんじゃーん。」
貴司の答えに誠一は冷たい目で貴司を見やった。
「残念でしたー。これからシフト制になるから、毎日は奈月ちゃんいないんだよー。」
「ええ!」
二人のやり取りがとても幼い気がするのは気のせいじゃないはずだ。
「あのさ、いい加減まともな会話しろよ。」
ずっといたらしい直哉が切れそうになっていた。どうやら貴司と一緒に来たらしい。
「あ、いたの?」
貴司に言われカチンときた直哉は貴司のお尻に力いっぱい蹴りを入れた。
「うがっ!」
もがいている貴司を放置したまま、直哉は誠一に一枚のCDを渡した。
「これは?」
「音源。こないだ言ってたやつ、作ってきた。」
「もうできたのか。」
誠一は早速CDを開いた。
「音源って、誠一さんのバンドの、ですか?」
「そだよ。」
奈月が聞くと、誠一が頷いた。この音源を直哉と貴司の二人で作っていたらしい。
「ちょうどいいや。奈月ちゃんに聞いてもらおう。」
誠一はそう言いながら、レジカウンターの下になぜかあるCDデッキをカウンターに持ち上げ、CDをセットした。
「これが俺たちの『音』だよ。」
そう言って、誠一は再生ボタンを押した。最初に流れたのは、誠一のギターソロだった。静かに始まった音楽は突然ドラムとベースが加わり、テンポが速くなった。
「ロック・・・。」
思わず呟いた。その完成度は、素人目にも完璧だった。その音に直哉のヴォーカルが乗る。爆音のような音に直哉の澄んだ声が際立つ。アンバランスのようで、心地いい。
「すご・・・。」
その音は今まで聞いたことがないような音だった。
一曲が終わると、奈月の反応が気になった三人が奈月を見た。
「どうだった?」
誠一の声で、一瞬トリップしていた意識が戻る。
「めっちゃかっこええやないですかっ!」
「マジで?」
その反応に驚いたのは直哉だった。奈月がうんうんと頷く。
「うまく言えんけど、今まで聞いたことないタイプやった気ぃします。何て言うか、爆音に近い音に直哉さんの声がめっちゃ映えるって言うか・・・。」
うまく言葉にできず、奈月はもどかしくなった。
「とにかく、めちゃめちゃかっこよかったです!」
そう言うと三人は嬉しそうに笑った。
「ありがと。奈月ちゃん。これで勇気持てたわ。」
「え?勇気・・・?」
誠一の言葉の意味が分からず、聞き返す。
「これ、レコード会社に送るデモとして作ったヤツなんだよ。」
誠一はデッキからCDを取り出した。
「・・・じゃあ・・・。」
「俺たち本気で目指してるんだ。少しずつでもできることからやろうって。」
誠一の真剣さが貴司や直哉にも伝わり、奈月にも伝わってきた。
「絶対・・・絶対大丈夫ですよ!」
奈月が力強くそう言うと、誠一たちは安心したように笑った。

バイトのシフトも決まり、奈月は火・木・土に出ることになった。土曜日がたまに日曜に入れ替わることもあったが、事前に言ってくれることになっているので、さほど問題ではなかった。

「一回音合わせしないとなぁ。」
昼休み、武人が急に呟いた。それに秀一が頷く。
「だよな。俺もそれ気になってさ。」
「でも音合わせるってどこでやるん?」
奈月が聞くと、武人と秀一が唸った。
「問題はそれだよなぁ。ギターやベースはいいとしても、ドラムがなぁ・・・。」
ドラムをそんな簡単に持ち運びはできない。場所は限られてしまう。
「しゃーない。親父に頼むかぁ・・・。」
武人が溜息をつきながら言った。
「どこかいい場所あるの?」
秀一に聞かれ、武人は唸りながら口を開いた。
「うちのガレージ、借りようかと思ってさ。おいらのドラムもそこに置いてるんだけど、あそこでやると家中に響くから前もって許可もらっておかないと怒られるんだよ。」
「「なるほど。」」
思わず奈月と秀一の声がハモる。
「今日言ってみる。オッケー出たら連絡するよ。」
「分かった。待ってる。」

その夜、意外と早く武人からメールが来た。許可が下りた、とのことだった。奈月はバイトのシフトを確認し、シフトが入っていない日曜日に音合わせをすることになった。
「お前音合わせするんはええけどさ、アンプも持っていかなあかんのちゃうか?」
一真に指摘され初めてそのことに気づく。
「あ・・・。」
「まぁ向こうにアンプあるならええけどさ。アンプなかったら意味ないで。」
「やんね・・・。」
確かにベースだけ持参してもカスッカスッという音しか出ない。奈月は早速武人に連絡を取った。するとそれはどうにかするから大丈夫というメールが返ってきた。
「どうにかって・・・どうするんやろ?」
まさかアンプを買いそろえる訳にもいかないだろう。だが武人なら本当に何とかなりそうな気がした。


そして日曜日。奈月はベースだけを持って武人の住むK町の駅にやって来た。ちょうど同じくらいにやって来た秀一と落ち合い、武人に連絡した。
武人がやって来たのは、それから5分後だった。
「待たせてごめんよー。」
「武ちゃん家って近いん?」
奈月が聞くと、武人はうーんと唸った。
「近いっちゃ近いし、遠いっちゃ遠い。」
「何だそれ。」
秀一がツッコむ。
「まぁ歩いて行ける距離だからさ。奈月ちゃん、俺持つよ。」
奈月が持っているベースを武人が持った。
「あ、ありがとう。」
(やっべ。超かわいい。)
奈月の笑顔にやられた武人はその場にうずくまった。
「武ちゃん?どうしたん?」
突然うずくまった武人に奈月が声をかける。
「いや、何でもない。」
武人は真っ赤になった顔を手で隠して立ち上がった。ベースを背負い直し、道案内を始める。
武人の住む町は賑やかな町だった。武人の家に向かう間にもたくさんのお店があった。服屋、鞄屋、靴屋など、総てが揃っていた。
LUCKY STRIKEがライブをしていたライブハウスもあった。武人によると、ここは誠一たちもライブをしている場所らしい。

歩いて10分すると、賑やかな町から住宅街に入った。それから2,3分歩くと武人は一軒の家の前に立ち止まった。
「着いたよ。」
武人の家は普通の一軒家だった。武人はガレージの方へ奈月たちを案内した。
「おー。わりぃな。」
「おせーよ。」
武人がガレージの中にいる人に手を上げて謝る。
「いいご身分だな、まったく。」
怒っているのは淳史だった。その隣に智広もいた。智広は別に怒るわけでもなく、奈月たちを見つけると挨拶をした。
「二人とも久しぶり。」
「久しぶり。」
「どうして二人が?」
秀一が疑問をぶつけると、智広は「アレ。」と淳史がいる方を指差した。そこにはアンプがセットされていた。
「練習するから貸してって言われたから持ってきたの、セッティングしてたんだ。」
「そうだったんだ。」
そこで奈月はようやく気づいた。
「やから『俺に任せとけ』言うたんやね。」
奈月に言われ、武人は得意げに笑った。
「えっへん。」
「えっへんじゃねーよ。誰がここまで運んだと思ってんだ!」
淳史がキレる。
「淳史、お前が怒るな。お前は向かいの家だろが。」
智広に制され、淳史は黙った。
「そーだぞ。智広は10分かけて持ってきてくれたんだぞ。」
「お前が偉そうなんだよ。」
武人の言葉に智広が間髪入れずにツッコむ。その光景を見て、思わず奈月と秀一が噴出した。
「何笑ってんだよ。」
淳史がふてくされる。
「ごめ。何かコントみたいやって。」
「やっぱコントに見えるのか。」
奈月の言葉を聞いて、智広は頭を抱えた。その様子を見て、奈月がツッコむ。
「嫌なん?」
「嫌って言うか、こいつらのツッコミは飽きた。」
「ひでぇ。」
きっぱりと言う智広に武人がショックを受ける。
「それより早く練習始めたら?」
武人を気遣うわけでもなく、智広が仕切る。
「そうやね。」
奈月は武人からベースを受け取り、ケースから取り出した。
「それどこの?」
早速同じベーシストの智広が尋ねる。
「ミュージックマン・スティングレイ。」
「マジでっ!?高いだろ?」
奈月はベースとアンプを繋いだ。
「実は兄貴のなんよ。今使ってないからって貸してもらってんの。」
「そうなんだ。」
智広は羨ましそうに奈月のベースを見ていた。
「弾いてみる?」
奈月に差し出され、智広は嬉しそうに頷いた。早速受け取り、少し音を鳴らしてみる。アンプで音量を調節して、適当に音を鳴らす。
「すげー弾きやすいなー。」
「智広は何使ってるん?」
(呼び捨て?!)
奈月の質問に敏感に反応したのは武人だった。しかしよく考えると、この間のライブの打ち上げの時、呼び捨てでいいよ、みたいな会話をしていた・・・気がする。
「俺のは安物だよ。やっぱいいやつで弾くと、こういうの欲しくなるなー。」
「買うときは神谷楽器店で!」
間髪入れずに宣伝する奈月に智広が噴出す。
「あはは。商売上手だな、大阪人。」
「あったりまえやん。」
何だかいい雰囲気の二人に武人はモヤモヤした気持ちになった。
「ほら、奈月ちゃん。やろう?」
武人は会話に入った。ドラムの前に座り、スタンバイをする。
「そやね。」
奈月は智広からベースを受け取ると、ベースを抱えた。秀一もスタンバイした。
「ところで音合わせってどうするん?」
淳史が素朴な疑問をぶつける。
「どうしようか?」
言いだしっぺの武人が返す。
「何も考えてなかったんかい!」
思わず智広がツッコむ。
「まだオリジナルなんて作ってないしな。」
秀一も今頃気づく。
「とりあえず演奏できそうなんやったらえんちゃう?皆適当にでも演奏できるやろ?」
あっけらかんと奈月が言う。
「セッションみたいな?」
秀一の言葉に奈月はうんうんと頷いた。
「そんな高度なことできないよ?」
「高度じゃなくてええやん。音合わせなんやし。」
秀一の後ろ向きな意見に奈月がポジティブに返す。
「まぁとりあえずやってみよ。」
武人に言われ、秀一も頷いた。
「んじゃ秀ちゃんからやってええよ。」
「何弾けばいい?」
「適当。練習してたのとか。うち合わせるから。」
奈月に言われ、秀一は練習曲にしていた[キミヲオモウ]のコード進行で弾き始めた。それに気づいた奈月は少し動揺したものの、それを隠すようにベースを弾き始めた。もちろん一真のようには弾けないので、簡単にアレンジしたものを弾いた。武人も奈月のベースに合わせてドラムを叩いた。三人はいつしか円陣を組むようにお互いを見ながら演奏した。
「やるじゃん。」
円陣の外にいる智広が呟く。淳史も内心すごいと思った。全ての楽器の技術的なことはよく分からなかったが、初めて合わせた割りに息がぴったりだった。途中で一人が間違えても、他の二人が目で大丈夫と言っているので、落ち着いて二人に合わせられた。
そして何とか丸々一曲演奏し終わる。
「やるじゃん。初めてなのに。」
智広が拍手をする。淳史もつられて拍手をする。
「思ったよりええ感じやったね。」
奈月が嬉しそうに秀一と武人に同意を求める。二人はうんうんと頷いた。
「結構息も合ってたよな。」
「うん。こういうの初めてだからちょっと緊張したけど、おもしろかったし。」
武人に同意しながら、秀一がホッと胸を撫で下ろす。
「後はヴォーカルだな。」
智広が意地悪く笑う。奈月は苦笑いを浮かべた。
「いきなりオリジナルなんて作れないから、最初はカバーやるしかないかー。」
武人はスティックを置き、伸びをした。
「そうやねぇ。何やる?」
「さっきのでいいんじゃない?」
奈月の問いに秀一があっさりと答えた。
「[キミヲオモウ]?」
智広に問われ、秀一は頷いた。
「奈月はライヴで一回歌ってるしさ。さっきだって結構いい感じに弾けてたじゃん?」
秀一に言われ、奈月は複雑になった。確かにこの曲はいい曲だし、好きだ。けど・・・。
「原曲のベースは難しいんだぞ。」
一度弾いている智広が言う。
「別に原曲通りじゃなくてもさ。さっき奈月、簡単にアレンジしながら弾いてただろ?それでいいと思うよ。」
「おいらはいいけど。奈月ちゃんは?」
「え?」
突然話を振られ、我に返る。
「奈月ちゃんは他にやりたい曲とかある?」
動揺を隠しつつ、奈月は平静を装った。
「ううん。別に・・・。」
「ならとりあえずこの曲練習しよう。オリジナルは追々ってことで。」
秀一がまとめると、武人が返事をした。
「はーい。」
その後は、再びセッションをし、夕方頃解散になった。

M駅に戻ってきた奈月が携帯の電源を入れた瞬間、電話が鳴った。着信を見ると一真からだった。
「もしもし?」
『奈月?今どこおる?』
「M駅やけど?」
『そっか。今から皆で飯食いに行こう言うてるんやけど、お前も行くやろ?』
皆とは恐らくメンバーのことだろう。ふと衛の顔が浮かんだ。
「うん。行く。」
『迎えに行くから、駅前で待っとって。』
「分かった。」
兄からの電話を切ると、前に待ち合わせしたことのある場所で兄を待った。ベースを自分の隣に下ろし、壁に寄りかかりながら辺りを見回す。一真の姿はまだない。
奈月は携帯電話にイヤホンを繋いだ。保存してある音源を探す。[キミヲオモウ]の文字を見つけ、再生させる。
ギターソロから始まったその曲は、次第にベースやキーボードやドラムが加わった。衛のヴォーカルが静かに加わる。

 沈む太陽に 溜息する君
 夜が怖いと 震える君は 初めて僕に 弱さを見せたね
 傍に居ることしか できないけど

 照れてばかりの僕が 君の為に出来ること

 明けない夜など決してないよ ただ一つだけ君に誓う
 例え 生まれ変わったとしても きっと君を見つけ出すよ

あの頃、彼が歌ってくれたのを思い出し、胸が熱くなる。泣きたくなる衝動を必死に抑えた。間奏が終わり、2番が始まる。

 少し欠けた月 見上げた君の目に 浮かぶ涙の意味 知る由もなく
 君を抱きしめることしかできないけど 君の笑顔を 守って行きたい

 心が疲れたら 僕のところにおいで

ふと彼の笑顔が浮かぶ。奈月は思わず携帯をぎゅっと握り締めた。聞いていられなくなり、奈月は停止ボタンを押した。
ブツッと音楽が途絶え、町のざわめきが鮮明に聞こえるようになった。
突然呼吸困難に陥りそうなくらい、胸が苦しくなった。奈月は胸を押さえ、壁に寄りかかりながら、地面に座り込んだ。
不意に隣にあったベースの重みが消える。
「奈月?」
顔を上げると、一真の姿があった。
「どうしたん?気分でも悪いんか?」
一真は心配そうに奈月と同じようにしゃがんだ。奈月は心配をかけないように、「ううん。」と首を横に振った。
「張り切って練習しすぎたみたいや。」
「そんながんばったんか。」
奈月の言葉に、一真は笑った。一真はベースを持って立ち上がった。
「立てるか?」
一真が差し出した手を取り、奈月はゆっくり立ち上がった。
「この近くの居酒屋なんやけどな。つまみみたいなんしかないかもな。」
「ええよ。うちおつまみ大好きやから。」
そう返すと一真は笑った。

店に入ると、個室に通された。最近流行りのおしゃれ居酒屋みたいな場所で、どうやら個室で飲むところらしい。薄暗い照明だからここにしたのだろうか?
個室にはsparkleのメンバーしかいなかった。もう既にお酒や料理が来ていた。
「お待たせ。」
一真が空いている席に座る。奈月も一真の隣に座った。
「一応ビール頼んどいたで。」
和之がジョッキを一真に渡す。
「奈月ちゃんはお茶な。」
悠一からウーロン茶を受け取る。全員が飲み物を持ったことを確認すると、衛が乾杯の音頭を取った。カチッとグラスを合わせ、全員が口を付ける。
「奈月ちゃん、今日音合わせやったんやろ?どうやった?」
早速悠一に聞かれる。どうやら一真に聞いたらしい。
「意外と息ぴったりやったよ。」
「意外とって。」
奈月の答えに悠一がツッコむ。それをスルーして和之が質問する。
「ベースヴォーカルやんな?今日は歌わんかったん?」
「うん。あ、でも遊びで歌った。」
「遊びでって。」
同じように悠一がツッコんだ。音合わせをしつつも智広がベースを弾いて、自分が歌ったりしたことを話すと、悠一も納得した。
しばらく今日のことを聞かれたが、そのうちメンバーは酒飲みに没頭し始めた。

一時間後、残っている料理を食べていると、いつの間にか席替えされ、一真がいた場所に衛が座っていた。衛はあまりお酒を飲まないので、今は奈月と同じようにお茶を飲んでいた。奈月は衛に話しかけようとするが、どう言えばいいのか自分の中で言葉がまとまらなかった。
「奈月ちゃんとこはまだオリジナルやってへんのやろ?」
突然衛から話しかけられ、驚きつつも頷く。
「やっぱりカバーから?」
そう聞かれてまた頷いた。
「あのね・・・[キミヲオモウ]をやることんなったんよ。」
奈月は恐る恐る言葉にする。衛は静かに聞いた。奈月は俯いたまま口を開く。
「曲は・・・好きやし、ええ曲やと思う。やけど、自信、なくて・・・。今でも曲を聴いて苦しくなる・・・。」
衛は以前奈月から聞いた話を思い出した。確かあの曲は、亡くなった彼が生前よく歌ってくれたと言ってた。きっと彼のことを思い出してしまうのだろう。
「でも、やるって言うた以上、ちゃんとやりたい。そうは思うけど、ちゃんと歌えるかとか、ちゃんと演奏できるかとか、不安ばっかり先走って・・・。まだ何も始めてないけど、怖い・・・。」
奈月の肩が震えているのに気づく。
「メンバーには言うてないん?」
衛の質問に奈月は俯いたまま頷いた。
「まだ・・・気持ちの整理付いてなくて・・・。この話したん、衛くんだけやねん。」
奈月はやっと顔を上げた。目が潤んでいる。衛は震えている肩に腕を回した。
「そっか。辛いんやったら、今は無理に言わんでもええよ。でもいつかはちゃんと言うたげや?言わんでええ過去かもしれんけど、奈月にとって一生忘れられん記憶やろ?これからずっと一緒にやってく仲間やったら言うた方がええと思う。」
「うん。」
衛の腕の中で小さく返事をする。
「歌も確かに彼のこと思い出して辛いかもしれんけど、きっと奈月ちゃんやったら大丈夫やで。黒ちゃんに聞いたけど、アレンジしてライブハウスで歌ったんやろ?」
衛が尋ねると、奈月は恥ずかしそうに頷いた。
「それができたんやから、きっと大丈夫。奈月ちゃんが感じたように歌えばええよ。あれは俺らの曲でもあるけど、世間に出たらリスナーの曲にもなる。人それぞれ感じ方はちゃうやろうし。奈月ちゃんには奈月ちゃんの[キミヲオモウ]を歌ったらええよ。」
衛の言葉を聞いて、何だかとても楽になれた。

衛はまだ飲み足りないと言うメンバーを無理やりタクシーに乗せ、帰路につかせた。奈月はほろ酔い気分の兄と歩いて帰ることにした。
『奈月。』
ふと彼の声が蘇る。あれは確か初めて[キミヲオモウ]を弾き語りしてくれた日。
「次、奈月が歌ってみて。」
「は?いや、無理やって。そんな急に。」
突然彼に言われ、奈月は思わず拒否をした。
「何でや?歌えるやろ?奈月も。」
彼はギターを鳴らしながら、言った。
「ほら、さん、はい。」
「そんなんで入れんって!」
思わずツッコんでしまう。
「じゃあ俺ギター弾くから、歌ってや?」
「嫌や。無理っ!」
何だか恥ずかしくなり、奈月は拒否した。
「もー。そう言い出したらガンコやからなー。」
彼はしょうがないなぁと笑った。
恥ずかしかったのもあるが、何よりもあの曲を歌う彼が好きだった。
「じゃあ、いつかは歌ってや。俺、奈月の歌聴いてみたい。」
彼はそう言って右手の小指を立てた。
「嫌。」
奈月はプイッと顔を背けた。彼は立てた小指をもう一度奈月の前に突き出した。
「やったら、二人で歌おう。それやったらええやろ?」
彼も言い出したら聞かない。奈月は折れることにした。
「分かった。」
彼の小指と自分の小指を絡める。
「約束な。」
そう言った彼は本当に嬉しそうだった。
しかしその約束は果たされることはなかった。なぜあの時、歌わなかったんだろう?
思い出すのは、彼が弾いてくれたあのメロディー。
「明けない夜など決してないよ ただ一つだけ君に誓う
 例え 生まれ変わったとしても きっと君を見つけ出すよ」
「何や。急に。」
突然歌い始めた奈月に一真が驚く。
「この曲、カバーすることんなったんよ。オリジナル、まだ作ってないから。」
「そっか。それ去年だっけ?」
聞かれ、そうやでと答える。
「自分らの曲やろ?」
奈月が笑うと、一真は頭をかいた。
「いやぁ、新曲のレコーディングしたり、ライブのリハやってたら分からんようなってまうんよ。」
一真の言葉に奈月はまた笑った。

家に戻り、奈月が風呂から上がってくると、一真はもう眠りに就いていた。奈月は学校の準備をしていた。ふと机の上に置かれた一枚の写真が目に入る。幼馴染と彼と撮った写真。まだこの写真を撮ってから一年も経っていない。だが、遠い昔のように感じた。
「駿、約束果たせんでごめんね。」
後悔してもし切れない。
「うち、がんばるから。やから聞いとってな。」
奈月は小さく彼に呟いた。
『ちゃんと聞いてるよ。がんばれ。』
彼がそんな風に言ってくれたような気がした。