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ACT.3 防弾ガラス
『お前最近付き合い悪いな』
 突然かかってきた不良仲間からの電話の第一声はそれだった。自分の部屋で、煙草を燻らせている時だった。
『まぁ前からそんな付き合いよくなかったけどよー』
 電話の相手はケラケラと笑った。
「わりぃな」
 新はめんどくさくなり、そう一言だけ返す。
『そうそう。今からムカつくヤツ、シメに行くんだけど、お前も行かねぇ?』
 何かと思えば喧嘩の誘いか。新は溜息と一緒に吸っていた煙草の煙を吐き出した。
「悪いけど今日は都合悪いんだ。俺の分まで暴れて来いよ」
『そっかー。ならしゃーねーな。んじゃまたな』
 電話はあっさりと切れた。

 用事なんてない。都合も悪くない。けど、もう喧嘩をする意味が分からなくなっていた。 初めはただ強くなりたいと思っていた。喧嘩をすれば、気分が晴れた。
 新は短くなった煙草を灰皿に押し付け、昔より大きくなった自分の手を眺めた。
 結局、何のためだったんだろう? どうしたかったんだろう?
 喧嘩で得たものなんて何もない。
 拳をぎゅっと握ると、机が目に入った。勉強なんてしないので、今では全然使わなくなってしまっているが、一応整頓だけはしてある。
 新は立ち上がり、その机の一番上の引き出しをそっと開けた。
 唯一鍵のかかるその引き出しの中には、子供の頃大切だったものを入れていた。今となってはただのおもちゃにしか過ぎないものばかりだ。水鉄砲、紙風船、折り紙、三Dメガネ、おもちゃのカエル、エトセトラ。
 そして、あの溶けてしまった飴玉。未だに捨てられずにいる。
 新はまだビニールに入っているその飴を自分の手の平に乗せた。小さい時は大きく見えたその飴も今では小さい欠片のようだ。
 身体ばかり大きくなって、心はまだ大人になりきれていないんだと、妙な実感をする。
「コレ、捨てれるようになったら、大人になったってことなのかなぁ・・・・・・?」
 そんなことは分からない。
 新は溜息をつきながら、飴玉を引き出しに戻した。


 新は相変わらずまどかと土手でよく話をした。
 本当はこんなこと、もう止めようと思っているのだが、土手でまどかの姿を見つけると、やはり気になって声をかけてしまう。
 いつかきっとこの関係が壊れると分かっていながらも、まどかの傍を離れられない。
 だが、まどかと話すことで、自分を客観視できることもあった。まどかが感じていることは、本当に自分と同じだったからだ。

「あたし・・・・・・臆病なのかな?」
「どうしてそう思うんだ?」
 新の質問にまどかは少し考えながら口を開いた。
「人と関わることが怖いのかもしれない」
「怖い?」
 聞き返すと、まどかは頷いた。
「拒絶・・・・・・ばかりされてたから。拒絶って言うのは言いすぎかもしれないけど、普通の、一人の人間として扱われたことないって言うか……」
 きっと目が見えないことで仲間はずれにされてきたのだろう。
「それは・・・・・・俺も分かる」
 悪い道に転げ落ちてからは特にそうだ。教師たちからは罵倒され、父には相手にされず、寄って来るヤツらはどうしようもないヤツばかりだった。
「でも新くんには友達、いるよね」
「え?」
 突然『友達』と言われ、新は誰のことを言っているのか検討がつかなかった。
「洋二くん」
 そう言われ、ポンッと頭の中に洋二の顔が浮かぶ。と同時に新は頭を抱えた。
「あー・・・・・・アレは友達じゃねーな」
「じゃあ・・・・・・弟分?」
 まどかの問いに即答で「違う」と返す。
「ペットだな。ありゃ」
「先輩っ、ヒドイ!」
 新の背後で突然声がした。
 驚いて新が後ろを振り向くと、洋二が泣きだしそうな顔でこちらを見ていた。睨んでいるようだが、全然怖くない。
「おめー、イキナリ現れんな」
 神出鬼没なのは止めてほしい。隣でまどかがクスクスと笑っている。その様子を見て新は気付いた。
「まどかちゃーん? もしかして気付いてたぁ?」
 そう問うと、まどかは頷いた。
「あはは。ごめんね。足音で分かっちゃったから」
 笑いながら言う彼女に、新は「ったく」と小さく呟いた。まどかの笑顔に怒る気も失せる。
「それよりお前、何でそんなカッコしてんだ?」
 何でもないように隣に座った洋二に話しかける。
 洋二の制服がボロボロな上に汚れている。口の中だって切れてるんじゃないんだろうか? 口の端が少し赤い。
「あー。喧嘩っすよ」
 明るく言う洋二に新は溜息を漏らした。
「また巻き込まれたのかよ」
 そう言うと、洋二は複雑に笑った。
 洋二は自分から喧嘩を仕掛けることはないが、よく喧嘩に巻き込まれる。原因は恐らく新の傍にいつもいるのと、彼自身が目立つからだろう。
「洋二くん、喧嘩したの? 怪我してない? 大丈夫?」
 突然まどかは、血相を変えた。ものすごく心配そうな顔になっている。洋二と新は思わずお互い目を合わせた。
「大丈夫っすよ。怪我してませんから」
 洋二は明るくそう言った。
「ホントに? ホントに怪我してないの?」
 まどかは納得しないようだった。洋二はまどかに自分の手を触らせた。もちろん怪我をしていない部分だ。
「ほら。大丈夫っしょ? 俺、意外と強いんすよ?」
 まどかは洋二の手を触り、怪我がないか確かめた。怪我がないと分かると、ホッとした様子で胸を撫で下ろした。
「よかった」
 新はその様子を複雑に見守っていた。
 洋二が喧嘩しただけで、こんなにも心配するなんて・・・・・・。もしこれが自分なら、彼女は同じように心配してくれるんだろうか?
「喧嘩なんてしちゃダメだよ」
 自分の心を読まれたのかと思い、新は思わずドキッとした。
「喧嘩したって、相手も自分も怪我するだけだよ。・・・・・・なんて、お節介かもしれないけど」
 まどかは俯いた。
「そう・・・・・・すよね。喧嘩しても、何も生まれないっすもんね」
 洋二の言葉が胸に染みる。それは新自身、よく分かってる。だけど抜け出せない。
「でもホント、怪我なくてよかった」
 まどかの笑顔は嫌なことも全部吹き飛ばしてくれる。
 彼女に甘えすぎてるんじゃないだろうか?

「先輩。向こうにいるの、須藤じゃないっすか?」
 典型的な不良のオーラを醸し出している一人が指差した。見ると、対岸に金色のど派手な頭が見えた。
「そうみてぇだな」
「シメに行きますか?」
「まぁ待て」
 早速向こうに渡ろうとする手下を止める。
「あの女、使えるな」
 男は嬉しそうに笑った。

「ホントはね。分かってるんだ。いつまでも逃げてちゃダメだって」
 ある日まどかは震える声でそう言った。
「でも、ダメだね。あたし。ずっと逃げてるばっかりだ」
 まどかは俯いた。それは新も同じだった。ずっと逃げてる。この現状に甘えてる。
「俺も・・・・・・逃げてばっかだよ」
 その言葉にまどかは少しだけ顔を上げた。
「俺だって・・・・・・分かってる。ホントはこのままじゃダメだって。だけど現状に甘えてて一歩も踏み出せない」
「何処まで似た者同士なんだろうね? あたしたち」
 まどかの言葉に思わず笑ってしまう。彼女も笑った。
「ねぇ、新くん。もう少しだけ、あたしの勇気になってくれる?」
「え?」
 意味が分からず、思わず聞き返す。
「新くんと話してるとね、もう少しだけがんばってみようって思えるんだ」
 そう思ってくれるのは少し複雑だが、正直嬉しい。
「あたしなんか・・・・・・何の役にも立たないけど・・・・・・」
 卑下するまどかに、新は口を開いた。
「まどかちゃんだって俺にとって『勇気』になってるよ」
 その言葉に、まどかは一瞬驚いた顔をしたが、嬉しそうに笑った。
「ありがとう」

 臆病なんだろうか?
 変わりたいと願っているはずなのに、今の現状に甘えている。
 新はまどかを送って行った後、自宅近くの公園のベンチで煙草を燻らせていた。溜息のように煙を吐き出す。
 時計をふと見ると、時計の針はもう七時を指していた。
「もうこんな時間か・・・・・・」
 七時と言ってもまだ明るい。少し暮れかけた夕焼けに違和感があるが、新は煙草を隣の灰皿に押し付けた。
「帰るか」
 立ち上がり、自宅の方へ足を向けた時、騒がしい声が聞こえる。
「気に食わねぇんだよ! てめぇ!」
 振り向くと、高校の制服を着た男が数名群がっているのが見えた。
(なんだ。喧嘩か)
 喧嘩するのに意味なんてない。気に食わないからシメる。それだけ。
 特に興味はないのだが、チラッと見えた真ん中にいるヤツに見覚えがあった。
「洋二・・・・・・?」
 間違いない。あの小さいのは洋二だ。
「またかよ」
 洋二は悪ぶっているが、見た目がカワイイ系なので、女の子にモテる。それがきっとヤツらには気に食わないんだろう。
「しゃーねぇなぁ・・・・・・」
 新は洋二を取り囲んでいる群れに突っ込んで行った。

「先輩。ありがとうございました」
 洋二は礼儀正しく頭を下げた。
「礼なんていらねぇよ。俺が勝手に出てっただけだ」
 新は素直にお礼を言われ、照れた。ぶっきらぼうに返す。
「にしても・・・・・・お前はいつもあんな風に大人数でやられてんのか?」
 さっきでも一瞬見ただけでも五、六人いた。新が睨んだだけで散って行くような雑魚だったが、洋二が一人で相手するには多すぎる。
「大人数ってほどじゃないですけど」
 洋二は曖昧に笑った。
「お前さ。マジで俺に関わるのやめろ」
「え?」
 新があまりに真面目に言うので、洋二は驚いた。
「何でですか?」
「何で? 分かるだろ? お前は俺に関わってるから、変な因縁付けられるんだぞ?」
「違いますよ!」
 洋二は必死で否定した。
「何が違うんだよ!」
 思わず怒鳴ってしまう。
「前からです!」
 洋二はつられたように怒鳴った。一瞬下を向き、きゅっと唇を噛んで、新を見上げた。
「前からですよ。・・・・・・先輩に会う前から、ずっとこうでしたよ」
「え?」
 その瞳の中に涙が見えた。
「先輩は覚えてないかもしれませんけど。初めて会った時も、今日みたいに先輩が助けてくれたんですよ」
 新はふと半年前の出来事を思い出していた。
 そう、確かあの時も公園で煙草を燻らせて、帰ろうとした時に今日みたいに喧嘩してる声が聞こえた。何となく見ると、一人のチビを寄ってたかってイジメられてた。それがどうしても許せなくて、今日みたいに出て行ったんだ。
「だから、先輩には感謝してるんです。俺のこと、助けてくれたのが嬉しくて、先輩みたいに強い男になりたくて。先輩は意地悪ばっかり言うけど、俺は知ってます。一番優しい人なんだって」
 洋二は涙を堪えながら微笑んだ。その純粋な瞳に新は思わず目を背けた。
「俺は・・・・・・優しくなんかないよ・・・・・・。怖いんだ。ただ・・・・・・臆病なだけなんだよ」
 新はそう言いながら、力が抜けたようにその場に座りこんだ。
「先輩?」
 洋二が驚き、近寄った。
「お前は・・・・・・俺の傍になんかいちゃいけない。まどかちゃんも・・・・・・」
「何でですか?」
 洋二の質問に新は言葉を飲み込んだ。洋二は新の目の前にしゃがんだ。新の両肩を揺さぶる。
「どうしていっつも教えてくれないんですか? どうしていっつもはぐらかすんですか?」
 洋二の涙ぐんだ声が、新の胸に刺さった。震える声を絞り出す。
「ダメなんだよ。綺麗なものほど・・・・・・壊れやすいから。・・・・・・俺の傍なんかにいたら、いつかきっと壊れてしまう」
 新は両手で顔を覆った。
「大丈夫っすよ。先輩」
 思わぬ言葉に新は思わず俯いていた顔を上げた。
「俺も、まどかさんもそんなヤワじゃないっすよ。確かに壊れやすい物もあるけど・・・・・・。世の中には防弾ガラスってものだってあるんですから」
 洋二の慰め方が何だかおかしくて、新は思わずプッと笑った。
「防弾ガラスか。そいつはいいな」
 新の笑顔に、洋二も笑顔になっていた。


「本当は分かってたんだ」
「何を?」
 突然呟いた新の言葉に、まどかが聞き返す。
「俺さ、周りを見ようとしてなかったんだよな」
 新は目の前に広がる青い空に呟いた。
「自分でフィルターかけてたんだ。『あいつはこうだ』『こいつはこうだ』って、思いこんでたんだよ」
「フィルター・・・・・・」
 まどかが同じように呟いた。新が「あぁ」と返事する。
「だから俺、物理的には見えても、心の奥底にフィルターがかかってたから、周りを良く見れなかったんだよなぁって思った」
「心にフィルター・・・・・・」
 新の言葉を何となく繰り返す。
 新は昨日、洋二と話したことで、やっと大切なことに気付いた。
 綺麗なものだからと言って、すべてが壊れやすいものだとは限らないと。特に洋二はなかなか手強い。
「心にかかったフィルターを外すのって、結構大変だろうけどさ。俺、がんばって外そうと思う」
「外すって、どうやって?」
「さぁね。俺もよく分かんねぇ」
「あはっ。何それ」
 新の答えに、まどかは思わず笑った。新も笑う。
「でもさ、やれないことはないと思うんだ。『こいつはこうだ』って決め付ける前に、そいつのこと、よく知ろうと思う」
「うん。そうだね」
 まどかが頷いた。
「あたしもがんばるよ」
「おう。お互いがんばろうぜ」
 新はまどかの肩をポンッと優しく叩いた。