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ACT.1 綺麗過ぎるもの
 須藤新。高校三年生になりたての十七歳。百八十五センチと長身で、その上、目つきもとても悪い。おかげで威圧感が増し、誰も近寄ってこない。
 五歳の時に母親に捨てられてから、父親と二人暮しをしているが、その父親も仕事一筋で、息子と話をしようともしない。


 悪い道に転げ落ちるのは、簡単だった。
 綺麗なものを避けていたせいか、いつしか誰にも必要されていないと感じるようになり、気づけば地元でも有名な不良になっていた。
 自分の周りには壁がある気がして、唯一の家族である父親との関係も薄っぺらいものだった。そのせいか、余計に孤独を感じるようになった。
 一緒につるんでいる不良仲間とは一緒にバカやってるだけで、孤独を埋めてくれる訳ではない。

 溜息だけが増える毎日。学校にも家庭にも居場所なんてなかった。
 長身で、目つきまで悪い上にブリーチで見事な金髪にしているので周囲に余計怖がられ、知らないヤツからは喧嘩を売られる。もちろん売られた喧嘩はことごとく買い、片っ端から片付けてやった。
 それでも心は満たされない。

 このままじゃダメだと分かっている。いつまでもこうしていられないことも。
 だが、どうすればいいんだろう?

「センパーイ!」
 声変わりもまだしていないような甲高い声が後ろの方から聞こえる。振り向かずして誰だか分かった新は、それを見事に無視し歩き続けた。
「先輩! 何、無視してくれちゃってるんですかっ!!」
 プンプンと怒りながら走って来た彼は、いつの間にか新の目の前にやって来た。
「あ? いたのか。チビ」
「またチビって言ったぁ!」
 怒り方がまるで幼稚園児だ。
「俺には洋二ってちゃんとした名前があるんっすよ?」
「幼児?」
「ちがーう!!」
 彼はからかわれていることに気づいていないのだろうか?
「大体先輩の背が高過ぎるんですよぉ。ちょっとくらい身長分けてください」
 洋二の身長は百六十五センチだったはずだ。男にしては確かに少し小さい気もする。
「お前はそれくらいでいいんだよ」
 新はポンと洋二の頭を優しく叩いた。
「え?」
 少し嬉しそうな顔をした洋二を見て、新はまた意地悪がしたくなった。
「ちょうどいい肘置きだからな」
 そう言って洋二の頭の上に肘を置く。
「セーンパーイ・・・・・・」
 洋二が泣きそうになっているのを見て、新はケケケと意地悪く笑った。一瞬しょんぼりした洋二だが、すぐに顔を上げた。
「それより先輩。今日こそお願いしますよ!」
「あ? 何が?」
 突然話を振られ、新は思わず聞き返す。
「今日こそ俺を舎弟にしてくださいっ!」
「まだんなこと言ってたのか」
 新は溜息をついた。何度言っても懲りないヤツだ。
「まだって・・・・・・。諦める訳ないじゃないっすか!」
「あのさぁ、何をそんなに俺のこと気に入ってんのか知んないけど、俺に関わるとロクなことないよ?」
「そんなことないですよ」
 新の言葉を洋二は笑顔で否定した。
「・・・・・・大体俺は舎弟なんていらんし」
 そう言うと流石に洋二はショックな顔になった。
「何でですかぁ?」
「お前は何で俺の舎弟になりたいんだ?」
 間髪入れずに問うと、洋二は悩まず即答した。
「先輩が好きだからですよ」
 照れもせずに言う洋二に、新の方が赤面してしまう。
「あ、好きって言っても! 憧れてるだけですよ!」
「当たり前だっ!」
 それ以上何かあったら困る。
「俺のこと好きなら、もう構わないでくれ」
「何でですか?」
 やっぱり洋二は納得しない。新は溜息をつきながら答えた。
「俺は一人が好きなんだ」

『今日は諦めます。でも俺はずっと先輩の近くにいますから』
 洋二はそう言って去って行った。
「近くにいるって、ストーカーかよ」
 思わず毒づく。
 物好きもいたものだ。何で自分なんかに憧れる? あんな純粋な目で見られたら、何も言えなくなる。
 新はなるべく洋二の目を見ないようにしていた。いや、見れなかった。
 あまりに自分とは違いすぎて、傍にいてはいけないと心のシャッターを閉める。
(手の中の飴玉だな)
 きっと傍にいれば、洋二の純粋な目は壊れてしまう。
 綺麗なものほど、あっけなく壊れるんだ。

 新は今日も学校へ行く気が失せ、誰もいない土手に寝転んだ。
(あいつも物好きだよな)
 何でよりにもよって自分なんだろうか?
 慕ってくれるのは嬉しいが、傍にいてほしくない。
 複雑な気持ちがグルグルと駆け巡る。
 目の前に広がる青が綺麗すぎて、新は目を閉じた。その時だった。
「ひゃあ!」
 頭上で声がしたので目を開けると、なんと人が降ってきた。
「へ?」
 道から足を滑らせたのだろうか?
 新は咄嗟に身を起こし、落ちてきた少女を受け止めた。一瞬、ずっしりと腕に体重がかかるが、思ったより軽い。
「おい。大丈夫か?」
 腕の中で気を失いそうな少女に呼びかける。
「あ・・・・・・あたし、助かったの?」
「死んではないな」
 新がそう言うと、少女はクスッと笑いながら、体勢を起こした。
「貴方が助けてくれたのね。ありがとう」
 腕の中でお礼を言う彼女の目を見て、新は何となく分かった。
(もしかして・・・・・・目が・・・・・・)
 見えないのだろうか?
「よいしょ」
 少女は新の腕からゆっくりと立ち上がった。新は彼女を支えながら、一緒に立ち上がる。
 するとおもむろに彼女は新の手を握った。
 女の子に手を握られるなんて初めてだ。その瞬間、体中の血液が沸騰し、顔が真っ赤になるのが自分でも分かった。
「ありがとう」
 彼女の手はとても小さかった。ついでに言うと身長も低かった。見た感じ、洋二よりもだいぶ小さい。百五十センチくらいだろうか?
「手、暖かいね」
「え? そう?」
 握られている右手は、感覚を失うほど緊張していた。バクバクとうるさい心臓に気づかれないように返事する。
「手が暖かい人は心が暖かいんだよ」
「それ、手が冷たい人だろ?」
 思わずツッコむと、彼女は首を横に振った。
「ううん。暖かい人もだよ。だって、心の冷たい人なんていないもの」
 純粋すぎる彼女の言葉に、こっちが恥ずかしくなる。
(この子も『手の中の飴玉』だ)
 すぐに確信する。
「あたし、三浦まどか。貴方は?」
「俺は・・・・・・須藤新」
「新くんって言うんだ。いい名前だね」
 そう言って微笑む彼女は、とてもかわいかった。
 やっと手を離してもらえた新は、心臓を静めながら、訊ねた。
「さっき豪快に落ちてきたな」
「あ、ごめんね。さっき何かにつまづいてバランス崩しちゃって・・・・・・」
「そっか。危ないな」
 まどかは少し躊躇いながら、口を開いた。
「もう・・・・・・気づいてるかもしれないけど・・・・・・。あたし、目が、見えないから・・・・・・」
 何て返せばいいのか分からない。頷くのも変だ。
「あ・・・・・・」
 新が返事に悩んでいると、まどかが小さく呟く。
「どした?」
「雨」
「え?」
 その言葉に新は空を見上げるが、空は快晴だった。雨なんて降りそうにもない。
「雨が降る」
 まどかの呟きは予言のようだった。
「新くん。どこか、雨宿りできるようなところ、連れてってくれる?」
「え? あ、ああ」
 半信半疑だったが、まどかがあまりにも真剣なので、信じることにした。

 新はまどかに自分の腕を掴ませ、ゆっくりと歩いて橋の下にやって来た。
 ちょうどその時、通り雨のように雨が勢いよく降り出した。
「すっげ。マジで降った!」
 新は感動した。まどかの言った通りだった。
「すげーじゃん! 雨降るの分かるなんて!」
 新は興奮気味にそう言うと、まどかは苦笑いを浮かべた。
「あたし、目が見えない分、他の器官が・・・・・・耳とか鼻とかが良くなっちゃって・・・・・・。さっきのは雨の匂いがしたの」
「へー。天気予報士よりも確実なんじゃね?」
「そうかもね」
 新の言葉にまどかは笑った。

 雨はしばらく降りそうだったので、しばらく雨宿りをすることにした。橋の下で二人で座り込む。
「いつもここにいるの?」
 まどかに問われ、新は「まーね」と答えた。よく学校をサボっては、誰もいないここに来ている。
「新くんって、高校生?」
「うん」
「学校は?」
「サボリ。君は?」
「似たようなもん」
「ふーん」
 まどかも同い年くらいなのだろうか?
「俺、高三だけど、君は?」
「高一」
「そっか」
 会話が途切れる。でも気まずくはならない。
 不思議だった。こうしてまどかの隣にいるだけで、凍っていた心がゆっくりと溶け出すような気がした。
「君はこの辺に住んでるの?」
「うん」
 新の問いにまどかは頷く。
「雨が止んだら送ってってやるよ」
 新は自分の発言に自分で驚いた。まさかそんな言葉が出てくるとは思わなかった。
 まどかを見ると驚いた顔をしている。そりゃそうだ。初対面の誰なのかも分からない人に家まで送ってもらうなんて……。
「あ、ごめん。迷惑・・・・・・だよな」
 そう言うと、まどかは首を横にブンブンと振った。
「ううん。ありがとう」
 まどかは笑顔でそう言ってくれた。
 どうしてこんな素直にお礼を言えるんだろう。こっちが照れるじゃないか。
「また土手から落っこちたらたまらねぇからな」
 照れ隠しにぶっきらぼうにそう言うと、まどかはそっぽを向いた。
「あれは・・・・・・たまたまだもん」
 ぷぅと頬を膨らませるまどかに、新の心臓が再び暴れ始める。
(やべぇ。かわいすぎる・・・・・・)
 顔が真っ赤になるのが分かる。上昇する体温。鳴り止まない心臓。
(ダメだ。この子、好きになっちゃ。俺の傍にいたら、どんな目に遭うか・・・・・・)
 目に見えてる。自分を恨んでるやつは、数え切れないほどいる。それは売られた喧嘩を片っ端から買っていったツケだ。
 自分がやられるのは我慢できる。けど、周りの人間にまでとばっちりがいってしまう可能性だってある。それだけは何とか避けたい。
「新くん?」
 話しかけられ、新は我に返った。
「え? 何?」
「どうしたの? 気分でも悪いの?」
 黙りこくっていたので、心配になったのだろう。
「あ・・・・・・いや。何でもないよ」
「そう」
 新の答えを聞いて、まどかは幾分安心した顔をした。
「ねぇ、新くん。明日もここに来る?」
「多分、な」
 きっと来るだろうなと思いながらもそう答える。
「あ、雨、そろそろ止むかも」
 まどかがそう言ってから一分も経たないうちに、本当に雨が止んだ。
「すげぇ! ほんとに止んだっ!」
 新は思わず立ち上がった。
「今のは何で分かったんだ?」
「何となく」
 まどかの答えを聞いて、拍子抜けした。
「え? 勘?」
「うん。勘」
 同じように繰り返され、思わず新は笑った。
「あはは。何だ。そっか。勘か」
 新の笑い声を聞いて、まどかも笑った。その笑顔を見て、何だか心がポカポカしてきた。
(落ち着け)
 また高鳴り始める心臓に言い聞かせ、深呼吸した。
「送ってくよ」
 新は自分の腕にまどかの手を掴ませた。

 まどかの家には五分もしないうちに着いてしまった。その間の会話は本当にたわいもないもので、どこの学校に行ってるかとか、好きな音楽とか、好きな食べ物とかそんな話だった。
 だけど、新は楽しかった。
 どれくらいぶりだろうか? こんなたわいもない話をするのは、本当に久しぶりだ。いつもは口よりも先に手が出ているのに・・・・・・。
「この辺、かな?」
 新はまどかの指示通り歩いて、まどかの家を探した。
「新くん、小さな赤い屋根の家、だよ」
 まどかに言われたとおり、赤い屋根を探す。するとすぐに見つかった。
「あ、あった。こっち」
 新はゆっくりと歩き始める。身長差がかなりあるので、この五分間、緊張して歩いていた。歩調は飽くまでゆっくり。まどかの歩調に合わせる。
「ここだ」
 新は赤い屋根の家の前で止まった。表札を見ると、ちゃんと『三浦』と書いてある。間違いない。
「送ってくれてありがとう」
「いや。こちらこそありがとう」
「え?」
 新にお礼を言われ、まどかは驚いた。
「天気予報してくれてさ。おかげで濡れずに済んだよ」
 そう言うと、まどかは一瞬驚いていたが、すぐに笑った。
「どういたしまして」


 彼女の笑顔が頭から離れない。こんな感情は初めてだ。
(好きになっちゃダメだって・・・・・・)
 そうは言い聞かせていても、彼女の笑顔がエンドレスで流れ続ける。
「おい」
 声をかけられても、新は気づかずに素通りした。
(大体、俺とあの子じゃ全然釣り合わないよなぁ。俺こんなだし・・・・・・)
「おい、待てって!」
 その声でようやく我に返る。振り返ると、ガラの悪そうな男が三人こちらを見ている。真ん中の男が一歩前へ出る。
「お前、須藤新だな」
「誰だ? お前」
 知らないヤツにフルネームで呼び捨てにされ、新はスイッチが入りかける。
「知らねぇのか? 俺はなぁ・・・・・・っておい! 待て!!」
 自己紹介しかけた男を無視し、新は再び進行方向に向き直り、歩き始めた。
 聞いておいてなんだが、新にとってどうでもいいやつだとすぐに判断し、用はないとさっさと退散しようと思ったのだ。
 しかしそんなことが許されるわけがない。新の前方に二人が回りこみ、一人は新の後ろにつき、三人で新を取り囲んだ。
「何バックれようとしてんだよ!」
 さっきの男が顔を真っ赤にしながら怒るが、全然怖くない。
「俺は用ねぇもん」
 そう言って新は立ち塞がっている二人の間をすり抜けようとする。
「待てよ!」
 腕を掴まれる。新が上から睨みを効かせると、怖くなったのか手を離した。
「俺のスイッチが入んないうちにさっさと失せろ」
 低い声でそう脅すと、男たちは「覚えてろ!」と情けない声を出して逃げ去った。
「弱いなら声かけんなよ」
 新は溜息をつきながらもう一度歩き始めた。