縦書きで読む

   

font-size       
STAGE 6  文化祭
 翌日は文化祭前日。今日は明日の文化祭の準備のみが行われる。
 今までに少しずつ準備を進めていたので、午前中は文化祭の最終的な準備、午後からは前夜祭が行われた。
 前夜祭では明日のダンスコンテストやバンドコンテストの予選が行われる。

 晴樹たちは余裕でダンスコンテストの予選を突破した。
 ちなみに要が昨日突然消えたのは、バイトに入っていたことを忘れていて、急いで向かったためだったらしい。昨晩、晴樹と恭一に謝罪のメールが入っていた。
「ハルたち、おめでと」
 予選を突破した晴樹たちに沙耶華がお祝いを言いに来た。
「サンキュ。あれ? 樹里は?」
 姿が見えない樹里が気になり、晴樹が問う。
「一人でバンドコンテスト出るみたいよ?」
 ダンスコンテストの後、バンドコンテストが行われる。樹里はもう準備をしているんだろうか?
「ハル。気になったんだけどさ」
「ん?」
 沙耶華に話を振られ、晴樹は片付けながら返事する。
「あんた、樹里の告白の返事したの?」
 その言葉に晴樹は持っていたCD-ROMを落とした。
「ハル! 割れるだろがっ!」
 恭一に怒られるが、晴樹はそんな事は耳に入っていない。それどころじゃない事態に慌てる。
「ヤベ・・・・・・。舞い上がっててしてねぇ・・・・・・」
「あーあ。知ーらない」
 やっぱりという顔で沙耶華が呆れた。
「早く返事して来い」
 恭一が晴樹の背中を押す。
「樹里ならまだ練習教室にいると思うよ」
 沙耶華の言葉に晴樹は急いで教室に向かった。

「樹里!」
 いつもの練習用教室の扉を勢いよく開けると、意外と入口の近くにいた樹里が驚いてこちらを見た。
「びっくりした。ハル、どしたの? 息切らせて」
 樹里はギターをケースに片付けながら訊く。
「あのさっ。昨日の・・・・・・」
 晴樹が言葉に詰まると、樹里は昨日の誘拐事件を思い出した。
「昨日? ありがとね。助けに来てくれて」
 樹里がお礼を言うが、晴樹はそのことじゃない、と首を振る。
「俺も樹里の事が好きだ!」
 そう叫ぶと、樹里は突然の事に固まった。次の瞬間、ホッとしたのか極上の笑顔に変わる。
「なーんだ。それならそうと早く言ってよ」
 樹里はそう言いながら近づき、晴樹を小突いた。
「すっごいドキドキしたんだからね。ハル、何も言わないし。ひょっとしてあんなとこで告ったから迷惑だったのかなとか色々考えたんだから」
 樹里がプンプンと怒る。それさえもかわいく見える、なんて言ったら、また怒るだろうか?
「ごめん・・・・・・」
 そう言い終わらないうちに、突然樹里が抱き付いてきた。何が起こったか分からず、混乱する。
「え? え?」
 樹里は晴樹の胸に顔を押しつけたまま、静かに口を開いた。
「ハル・・・・・・。ギュってして」
「え?」
 突然の事に、まだ状況が分からない。
 とりあえず言われたとおり、手を伸ばして、樹里を抱きしめた。
 昔は変わらなかった背も、晴樹はいつの間にか樹里を追い越していた。肩に樹里の髪が触れる。全身の血流が一気に上昇して、熱くなる。
 今、抱きしめていることが、夢のようで、全く現実味がない。
 晴樹の身体に巻きついている細い腕が強くなる。それに比例するように晴樹も樹里を強く抱きしめた。
 折れてしまいそうな華奢な体なのに、どうして樹里はこんなにも凛としているんだろう? 無理ばかりしているのだと思えてならない。
「ありがと」
 泣き出しそうな声で呟くのが聞こえた。
「うし。充電完了」
 そう言って樹里は晴樹から離れた。
「充電?」
 思わぬ言葉に晴樹が聞き返すと、樹里は笑顔で頷いた。
「あたしの元気の源はハルなんだよ」
 そう笑った樹里を今まで以上に愛しく思う。
「ハル、ダンスコンテスト予選突破おめでと」
「ありがと」
 予選突破したことは校内放送ででも聞いたのだろう。
「今度はあたしの番」
 そう言ってギターケースを背負う。
「持とうか?」
「大丈夫」
 差し出した手を、樹里は断った。その代わり、晴樹をじっと見つめた。
「ねぇ、ワガママ言ってもいい?」
「何?」
 我儘なんて初めてだと思いながら訊くと、意外なことを言われる。
「目、つぶって」
 それのどこが我儘なのだろうと思いながら、晴樹は目を閉じた。
 するとその瞬間、唇に樹里の体温が伝わる。驚いた晴樹は思わず目を開けた。
 目の前には満足そうな樹里の笑顔。
「行ってくるね」
 そう言うと樹里は教室を出て行った。
 晴樹は驚きのあまり、固まって動けなかった。

 バンドコンテストの予選の順番はくじ引きで決められる。樹里はクジで、一番最後になった。
(最後か・・・・・・)
 今年で三回目だが、トリは初めてなので、緊張が増す。気持ちを落ち着けるように、ギターの調律を始めた。
「樹里」
 名前を呼ばれ、顔を上げると目の前に貴寛が立っていた。
「昨日はマジでごめん」
 頭を下げ、謝罪する。
「もういいって」
 樹里は笑って許した。反省もしているようだし、分かってくれたのならそれでいい。
「ホントに・・・・・・一人・・・・・・なんだな」
 貴寛は周りを見て呟いた。樹里のバンドメンバーが誰一人としていない。樹里は苦笑しながら頷いた。
 貴寛は先程まで一緒にいたはずの拓実を思い出し、溜息が漏れた。
「拓実はどっか行っちゃうしな・・・・・・。どんな事情かは分かんないけどさ。頑張れよ」
 それしか言葉が出てこない。樹里は相変わらず笑顔を向けた。
「ありがと。精一杯歌うよ」
 樹里の言葉に、貴寛は笑顔で頷くと、自分の持ち場に戻って行った。

 その頃、晴樹は一人で校内を駆け回っていた。前夜祭でもあるコンテストは一応全校生参加しなければいけないのだが、中には数人サボっている者もいる。
「コタロー!」
 ようやく見つけた虎太郎を捕まえると、有無を言わさず連行する。
「雄治!」
 自分のクラスで昼寝をしていた雄治も無理やり連れ出す。
「おい。どこ行くんだよ」
「るせー。付いて来い」
 いつもと違う晴樹の気迫に負け、二人は黙って晴樹に付いて行くことにした。

 行き着いた先は体育館。現在、バンドコンテストを開催している。
 晴樹たちが入って来た時には、ほとんどの順番が終わり、最後、樹里の番だった。
 ステージに出てきた樹里を見て、虎太郎と雄治は顔を見合わせた。バンドコンテストなのに、樹里は一人でステージに立っている。
「どもー。『silver bullet』です。と、言いたいとこなんですが、諸事情のため今回はあたし一人で参加させていただきます。よろしくお願いします」
 樹里が一礼すると、会場は盛り上がった。
 樹里はアコースティックギターをかき鳴らす。
『君と見たあの景色 僕は忘れないよ
 どんなに遠く離れても 僕はここにいるよ
 いつでも君を想ってる いつまでも待ってる』
 樹里の今現在の想いを綴った歌詞に、雄治と虎太郎は胸が押し潰されそうだった。
 すると、晴樹が口を開いた。
「なぁ。何があったのか知らないけど、もう樹里を一人にしないで欲しいんだ」
 晴樹の呟きに雄治と虎太郎は再び顔を合わせた。
「あいつが強がりなの、お前らよく知ってるだろ?」
 晴樹の言葉に二人は頷くと、急いで舞台裏に回った。

 拓実は舞台の袖から樹里の姿を見ていた。
「我慢してないで行けば?」
 後ろから貴寛に囁かれ、ドキッとする。
「事情は知らないけど、樹里、一人でも歌い続けるって言ってたぞ。いつか戻って来てくれるって信じてるって」
 貴寛の言葉に拓実の心が揺れる。
 その時、虎太郎と雄治が舞台袖にやって来た。
「拓実」
 雄治が声をかけると、拓実は振り返る。
「雄治。虎太郎も・・・・・・」
 三人は顔を見合わせ、ようやく事態を把握した。
「俺の事、忘れてないか?」
「涼。どうして?」
 ひょっこりと現れた涼に三人は驚いた。
「参ったよ。昨日バイト先にハルが来てさ。散々説教された」
 涼が苦笑すると、四人は顔を見合せて笑った。

 昨日、別行動で帰った晴樹は涼のバイト先のコンビニに鬼のような形相でやってきた。
「樹里は一人で今戦ってる。涼は樹里の仲間だろ? 何で来なくなったのかは知らないけど、もう樹里を一人にしないでくれ! ・・・・・・樹里はたった一人でも歌い続けるって言ってた。樹里、絶対みんなに戻ってきてもらいたいって思ってるんだ。明日のコンテストも一人で出るって・・・・・・。だから・・・・・・もし今もまだ樹里と一緒に音楽やりたいって思ってるなら、明日来てくれ」
 晴樹はそれだけ言うと帰って行った。
 その言葉に、もうこの際、OBだからとか、ダメだと言われてるからだとかは考えないことにした。

 樹里が一曲歌い終わると拍手と共にざわめきが起こった。後ろで物音がしたので、樹里が振り返ると、メンバーがスタンバイして微笑んでいた。
「み・・・・・・んな・・・・・・」
 驚きが隠せない樹里だったが、次の瞬間、笑顔に変わる。
「えっと。何かメンバー揃っちゃったんで、次のナンバーは五人でお送りします」
 樹里の言葉に、会場全体が盛り上がった。
「それでは聞いてください。『ブラックコーヒー』」
 そしてライブが始まる。
 もはやコンテストではなくなっている気がするが、そこは気にしないことにした。

「やるねー。ハル」
「沙耶!?」
 晴樹は心臓が飛び出るほど驚いた。いつの間に隣にいたんだろう? 沙耶華はいつも神出鬼没で困る。
 早くなった心臓を落ち着かせ、口を開く。
「ホントは皆戻りたかったんだろうけど、キッカケがなかったのかもな」
 晴樹はステージの五人を見やった。やっぱりこの五人が揃うと、しっくりくる。
「そのこともだけど、樹里の事もね」
 沙耶華の言葉に、さっき樹里にキスされたことを思い出してしまい、一気に顔が真っ赤になる。
「ちゃんと言ったんでしょ? 樹里に」
 沙耶華の確認に晴樹は頷いた。
「言ったでしょ? 『成せば成る。成さねば成らぬ何事も』ってね」
「何だよ。それ」
 そう言えばそんなことを言っていた。だけど、沙耶華の言い方はいつも含みがあるので、真意が掴めない。
「拉致られた樹里を助け出すなんて、普通できないよねぇ」
 そう言われ、晴樹は慌てた。
「たっ、たまたまだろ! それに、沙耶や恭一がいなかったら、助け出すなんてできなかったよ」
 そう言うと、沙耶華が笑う。
「でもよかったじゃない。これで晴れて恋人になれたんだから」
 沙耶華は意地悪く、晴樹を小突いた。
「っるせ」
 晴樹は照れてしまい、言い返すことができなかった。

 樹里たちは今まで練習していなかったにもかかわらず、予選を見事に突破した。

 放課後、樹里とバンドメンバー、晴樹と沙耶華とダンスメンバー、それに貴寛も練習用教室に集まっていた。突然四人が来なくなった経緯を聞くためだ。
「じゃあ、誰かに脅されたってこと?」
 メンバーの話を聞いた樹里が確認するように聞き返すと、四人は頷いた。
「『これ以上樹里に関わると、樹里の命がないぞ』みたいな脅迫文だった」
 拓実が思い出しながら説明を加える。
「何よ・・・・・・それ・・・・・・」
 樹里は怒りのせいか、コップを持つ手が震えている。
「まさか俺以外のメンバーも脅されてたとはな・・・・・・」
 涼が溜息を吐いた。
「結局、犯人分かってないんだろ?」
 貴寛が確認すると、脅されていた四人が頷く。ちなみに彼の所業は、この場にいる皆に告白し、謝罪した。
「誰が書いたかなんて、もう分かんないだろ」
 時間が経ち過ぎているため、拓実は諦めていた。
「まぁ、そうだな」
 貴寛も溜息を吐く。
「何でこんなことになったんだろ・・・・・・」
 樹里が今更ながら考える。
「ボク、ジュリがアブナイって思ったから・・・・・・」
 虎太郎が泣きそうになっていた。雄治や涼も頷いた。
「ココが荒らされた時、樹里が狙われてるかも・・・・・・みたいな話になっただろ? それで・・・・・・もしかしたら今度はホントに襲ってくるんじゃないかって・・・・・・」
 拓実が虎太郎の言葉に付け足す。
 確かにそうだ。晴樹がもしメンバーだったら警戒して近づかないようにするかもしれない。
「一番これに踊らされたな・・・・・・」
 涼が言うと、一同頷いた。
「犯人が分かんなかったら手の打ちようがないし・・・・・・」
 沙耶華が溜息を吐く。もしこの脅しが本当なら、コンテストに出た時点で犯人の怒りを買っているに違いない。
「とにかく、もし今後同じような事があっても、俺たちはもう絶対樹里を一人にしないから」
 拓実が樹里に宣言すると、他の三人も力強く頷いた。
「うん。こんな脅しで負けるようなあたしたちじゃないんだって、犯人に分からせなきゃ」
 樹里の力強い言葉に、一同頷いた。


 そして文化祭当日。今日はバンドコンテストとダンスコンテストの決勝があるが、その前に晴樹のクラスの出し物、ミュージカル『美女と野獣』が行われる。
 晴樹は裏で雑用係として舞台袖から樹里たちの演技を見守っていた。
 昨日、リハーサルを見たはずなのに、樹里の歌に惹き込まれる。それはきっと観客たちも同じだろう。
「樹里って演技もできるのよねぇ」
 隣から聞こえた呟きに、晴樹は驚いた。
「沙耶。お前、神出鬼没過ぎてこえーよ」
「失礼ね」
 いつの間にか隣に立っている沙耶華に、晴樹はいつも驚く。
「ハマリ役だよね。樹里」
 沙耶華はステージに視線を戻した。
「うん」
「今更、野獣の役がやりたいんじゃないの?」
 沙耶華が意地悪く笑う。
「なっ、そんなことっ」
「あるくせにぃ」
 沙耶華は腕で晴樹を小突いた。樹里と付き合い始めてから、沙耶華が余計意地悪になった気がする。
「お前だってベルの役やりたいんじゃないのかよ」
「あたしは・・・・・・」
 晴樹も意地悪く返すと、少しの間が開いた。
「あたしがベルみたいな華やかな役、できるわけないじゃない」
 沙耶華の言葉に、晴樹は悲しくなった。
 いつも樹里の影にいるような沙耶華。それもこれも中学の時のイジメが原因だ。沙耶華がいじめられた原因は、その髪だった。色素の薄い茶系の髪に、綺麗にかかった天然パーマ。
 疎ましく思った同級生の女子たちが、沙耶華をいじめた。いつもそれを助けていたのは、他でもない樹里だった。
 樹里もまたイジメの対象になったが、性格の違いなのだろうか、沙耶華とは逆にいつも立ち向かっていた。
 樹里と沙耶華が仲がいいのは、ただ幼馴染だから、というだけではないようだ。
「ハル。もうすぐ出番だよ」
 沙耶華に声をかけられ、晴樹は急いで次のセットの準備をした。暗転した少しの間に一部のセットを変える。
 劇はクライマックスに差しかかる。
「愛してるわ・・・・・・」
 樹里の迫真の演技に観衆が涙する。
 そしてリハーサル通り、魔法が解ける演出が成功し、拍手が沸き起こる。
 野獣の被り物を脱ぎ捨てた貴寛は、樹里を抱きしめた。
 その瞬間、舞台袖で見ていた晴樹はかなりの嫉妬を覚える。
(抑えろ・・・・・・。樹里は俺を好きって言ってくれたんだから・・・・・・)
 晴樹は必死で自分の気持ちを落ち着けた。目を逸らさずに、二人の演技を見守る。
 そしてキスシーン。
「あ!」
 晴樹は思わず声を出してしまった。
 今のは、絶対した!
「今の・・・・・・した・・・・・・?」
 一緒に見ていた沙耶華も呆然としている。
「した・・・・・・よな?」
 舞台袖の晴樹たちの位置からしっかり唇と唇が触れたのが見えた。樹里は一瞬驚いた顔になったが、何とかそのまま芝居を続ける。
 観衆の割れんばかりの拍手を受けながら、幕が下りる。
「お疲れー」
「お疲れ様ー」
 舞台袖に戻ってきた役者陣をクラスメートが迎える。
 晴樹は居ても立ってもいられず、貴寛の前に立った。
「貴寛!」
「おう。ハル。お疲れ」
 ノンキに言う貴寛に、晴樹はキレた。
「お疲れじゃねー。お前! 樹里にキスしたろ!」
 晴樹の言葉に見えていなかったであろう他のクラスメートがざわめく。
「あー、あれね。事故じゃん?」
 悪びれもせずあっさりと言う貴寛に晴樹は堪忍袋の緒が切れた。
「どこが事故だよ! 絶対狙ってやったんだろ!」
 そう言うと貴寛は不敵に笑った。
「だとしたら? 言っとくけど、俺はお前なんか認めねーからな」
「んだよ、それ!」
 貴寛の言葉に殴りかかろうとすると、誰かに止められる。
「樹里!」
 見ると、樹里が晴樹の腕に絡みついていた。
「何やってんのよ? 皆見てるでしょ」
「だって! こいつ、キス・・・・・・」
 最初は意気込んでた晴樹も樹里の顔を見て、冷静さを少し取り戻す。
「それで怒ってたの?」
 貴寛とのやり取りを聞いてなかった樹里は、それでようやく喧嘩の原因を知る。晴樹が頷くと、樹里は呆れたように笑った。
「バカね。あれは芝居でしょ」
 そう言われても納得できるハズがない。自然と視線が下がってしまう。
「ハル」
 呼ばれて顔を上げた瞬間、樹里の唇が晴樹に当たる。
「あ!」
 この樹里の行動に周りの方が驚く。
「これで満足? さーってと歌でも歌ってこよーっと」
 樹里はマイペースにそう言ってその場を去って行った。
 晴樹は驚きのあまり、その場に立ち尽くしていたが、その様子を見ていた周りのクラスメートが黙ってはいなかった。
「おい! ハル、どういうことだよ!!」
「何? 樹里ちゃんとそう言う関係?」
「水臭いなぁ。何で言ってくれないんだよぉ」
 晴樹はあっという間にクラスメートに囲まれてしまった。
 貴寛が何も言わず、その場を去って行ったのが見えた。

 沙耶華は上演が終わった劇の後片付けをしていた。午後からはコンテスト会場に変わるため、劇の道具を邪魔にならないように片付けなければならない。
「沙耶」
 名前を呼ばれて顔を上げると、目の前に恭一が立っていた。
「あ、恭一くん。片付け終わった?」
「うん。こっち終わった。何か手伝うことない?」
 聞かれ、沙耶華は首を振る。
「ううん。こっちも終わったから」
「そう」
 少しの沈黙の後、恭一が口を開いた。
「あのさ・・・・・・ちょっといいかな?」
「うん。いいけど……。どうかしたの?」
 恭一が急に改まり、沙耶華も何となく緊張し始める。いつの間にか周りに人がいなくなっていた。
「俺、さ・・・・・・」
 言葉に詰まりながら恭一は声を出した。
「沙耶のこと、好きなんだ」
「・・・・・・え?」
 あまりにも突然な告白に、沙耶華は驚き、頭が真っ白になる。
「・・・・・・あたし?」
 思わず聞き返すと、恭一は真っ赤な顔で頷いた。
 まさか告白されると思っていなかった沙耶華はどう返事すればいいのか、分からなくなる。
「俺じゃ・・・・・・だめ?」
 恭一の切ない声を聞き、沙耶華は決心した。ちゃんと返事しよう。
「ごめんなさい」
 お辞儀をして謝ると、恭一は分かっていたのか、諦めたように笑った。
「やっぱりね」
「え?」
 恭一の意外な反応に、顔を上げる。
「知ってたよ。他に好きな人いるの」
「!」
 気づかれていた事に更に驚いた。
「沙耶は仁科が好きなんだろ?」
 そう言われ、沙耶華はこくんと頷いた。
「見てれば分かるよ。仁科が樹里ちゃんのこと好きだってことも、沙耶は気づいてたんだろ?」
 その言葉を聞いて、沙耶華の目に涙が溢れた。
 この人はちゃんと見てくれていた。樹里ではなく、自分を。どうして気付かなかったんだろう?
 沙耶華の顔を見て、恭一が苦笑する。
「泣くなよ。俺が惨めになるから」
 そう言われ、沙耶華は溢れ出しそうな涙を堪えた。
「沙耶に好きな人いるってのは分かってたけど、気持ちだけは伝えたかったんだ」
 恭一の言葉に頷く。恭一の気持ちは、痛いほどよく分かる。
「でもさ、樹里ちゃんにあんな事したのに・・・・・・それでもやっぱり好きなの?」
 恭一が疑問を投げかけると、沙耶華は頷いた。
「それだけ・・・・・・樹里の事好きなんだって思った。やった事は間違ってるけど・・・・・・。好きな人に振り向いてもらいたいって言うのは分かるから・・・・・・」
「そっか」
 沙耶華の答えに、納得したようだ。沙耶華と同じ様に、貴寛の気持ちもまた、よく分かる。
「伝えてよかった」
 恭一の意外な言葉に、沙耶華は俯いていた顔を上げた。
「沙耶はちゃんと本音言ってくれたし。このまま打ち明けなかったらモヤモヤがずっとあったと思う。ちゃんと本音言ってくれてありがとな」
 恭一の泣き出しそうな笑顔に、胸がチクリと痛む。
 樹里に振られた要と同じ状況だ。今なら樹里の気持ちが痛いほどよく分かる。
「ごめん、ね・・・・・・」
 声を絞り出すように言うと、恭一はまた苦笑した。
「謝るなよ。惨めになるからさ」
 何を、どう言えばいいのか分からない。こんな時どうしたらいいのだろう?
 そう考えていると、恭一が口火を切った。
「こんな俺だけど、友達で居てくれる?」
「当たり前だよ」
 沙耶華が即答すると、恭一は笑顔になった。
「よかった。沙耶もさ。頑張れよ」
「え?」
 意外な言葉に驚く。
「仁科のこと、諦めんなよ」
「うん」
 恭一の応援に、沙耶華は笑顔で答えた。
「沙耶さ、眼鏡取ってみたら?」
「え?」
 突然のアドバイスに驚き、思わず眼鏡に手を伸ばす。
「花火大会ん時取ってたじゃん? そっちのがかわいいよ」
 恭一がサラリとそんな事を言うので沙耶華は照れた。
「もっと自信持ちなって」
 恭一の笑顔に、沙耶華は救われた。


「ハル!」
 突然呼び止められ、晴樹は振り返ると、樹里が慌てて走って来た。何だか切羽詰まった状況なのだと、樹里の様子で判断する。
「どした?」
 晴樹の傍まで来た樹里に問いかけると、少し上がった息を整えてから口を開いた。
「虎太郎見なかった?」
「コタ? いや、見てないけど」
 そう答えると、樹里は溜息を吐いた。困り果てて呟く。
「どこ行ったんだろ?」
「虎太郎、居なくなったのか?」
 晴樹の問いに樹里は頷いた。
「そうなの。もうすぐ本番なのに・・・・・・」
「携帯は?」
 晴樹の問いに、首を振る。
「かけたけど留守電」
「じゃあ、コタの行きそうなとこは?」
 再び訊かれ、樹里は困惑した表情を浮かべた。
「分かんない・・・・・・。練習用教室にも体育館にもいないのは確か」
 思いつく限りの虎太郎が行きそうな所はもう既に確認済みらしい。晴樹は少し考え、何かを思いついた。
「樹里、来て」
「え?」
 突然晴樹が走り出したので、樹里はその後を付いて行った。

 着いた先は、放送室だった。
「田中っ! 頼む。放送室使わせて!」
「はぁ? 何すんだよ」
 同級生の放送部員に頼み込む。樹里には晴樹の考えが何となく分かった。
「虎太郎がいなくなったんだ。今からバンドコンテストあるのに・・・・・・」
「で?」
 晴樹が事情を説明すると、田中は目を細めて晴樹を見やる。
「放送で呼び出す」
「迷子のお知らせじゃないんだからさぁ」
 晴樹の返答に、脱力した。
「頼むって。樹里のためにも・・・・・・なっ?」
 田中はその言葉に心が揺らいだ。後ろに樹里がいるのを今更確認する。
「わ、分かったよ。でも変な放送すんなよ?」
「分かってるよ。ありがと!」
 晴樹はそう言って、樹里を放送室に入れ、マイクの前に座らせる。
「虎太郎、呼びだすのは樹里しかできないからな」
 晴樹の言葉に頷くと、田中がGOサインを出した。放送を始める。
「突然の校内放送失礼します。三年の藍田樹里です。うちのバンドメンバーである虎太郎が見つからないので、校内放送で呼びかけたいと思います」
 そして一旦呼吸を整えた。
「Kotaro! Where are you? Comeback here! Right now! Everyone wait for you! Without you,we can't play!」
 まくしたてるように英語でそこまで言うと、もう一度呼吸を整える。
「・・・・・・失礼ついでに皆さんにもお願いします。もし虎太郎を見かけたなら、体育館に行くように言ってあげてください。皆さんのお越しを、体育館でお待ちしております」
 樹里はちゃっかりバンドコンテストの宣伝もした。
 放送が無事に終わると、樹里は田中に笑顔を向けた。
「田中君、ありがと」
「え? あぁいやぁ・・・・・・お安い御用だよ」
 樹里にお礼を言われ、田中は照れている。
「田中、サンキュな。樹里、戻ろう」
「うん。ありがとね!」
 二人は放送室を後にした。

「樹里、何て言ったんだ?」
 何となく言ってた意味は分かったような気はするのだが、早口だったので、きちんと聞き取れなかった。
「『虎太郎、どこにいるの? 今すぐ戻って来なさい。皆待ってるんだよ? 虎太郎がいなきゃ演奏できないよ!』って言ったの」
「なるほど」
 樹里が英語で放送したのは、虎太郎はやはり英語の方が理解しやすいからだった。
「あ」
「どした?」
 急に叫んだ樹里に驚く。
「携帯鳴ってる・・・・・・」
 樹里は着信の相手を確認し、慌てて電話に出た。
「もしもし? 今どこ?」
 樹里は電話の相手から何かを聞くと、顔つきが変わった。
「分かった。すぐ行く」
「何?」
 樹里が電話を切ると、電話の内容が聞こえていなかった晴樹が尋ねる。
「虎太郎が見つかったんだって」
 見つかったにしては、樹里の顔がやけに険しい。
「どこにいたんだ?」
「一昨日あたしがいたとこ」
 樹里の言葉でどこの場所なのかがよく分かった。
 二人は急いで現場に向かった。

「雄ちゃん!」
 電話をくれた雄治と涼は現場である体育館裏の廃材置き場にいた。雄治が中を指差すと、虎太郎がこの倉庫の中でスヤスヤと眠っているのが見えた。
「コタロォ・・・・・・」
 樹里は安堵し、脱力する。
「何でこんなとこに?」
 晴樹が訊くと、雄治は「さぁな」と呟く。
「ちなみにココ、鍵かかってたぞ」
「え?」
 雄治の言葉に樹里は驚いた。雄治が職員室から借りてきた鍵で倉庫を開けたらしい。
「何で鍵が・・・・・・」
 晴樹が疑問を口にすると、涼が口を開く。
「まぁ一つ言えるのは、誰かが仕組んだってことだろな。じゃなきゃこいつが勝手にどっか行くわけない」
 涼の意見は納得できるものだった。そこに拓実も現れる。
「虎太郎は?」
 聞かれ、全員で中を指差す。その中を見て、拓実は力が抜けたのか、そこにしゃがんだ。
「何でこんなとこに・・・・・・」
「とにかく急がないと、コンテストが始まっちゃう!」
 樹里は時計を見てそう言うと、虎太郎を起こす。しかし虎太郎は寝ぼけているのか、二度寝に入ろうとした。そこで雄治がまだ半分寝ている虎太郎を担いで体育館に向かった。

 晴樹はステージの上で歌っている樹里を見つめていた。
 樹里はいつも堂々としていて、自分よりもかっこいい。さっきの事件なんてなかったかのように明るく歌っている。
 虎太郎も目が覚めたのか、どうにかちゃんと演奏していた。
(樹里は・・・・・・俺のどこが好きなんだろ・・・・・・?)
 ふとした疑問が沸く。樹里ならきっともっといい人がいるはずなのに・・・・・・。
(こんなこと考えてる俺って・・・・・・)
 自己嫌悪に陥る。せっかく樹里が自分を好きだと言ってくれたのに・・・・・・。
「何、百面相してんの?」
「うをっ」
 またしても突然現れた沙耶華に晴樹は驚いた。
「お前、イキナリ現れんなよ」
「ずっと後ろにいたよ」
「さいですか・・・・・・」
 あっさりきっぱり言われると反論できない。
「虎太郎、見つかったんだね」
「うん」
 校内放送までしたのだ。校内にいる全員が知っているだろう。
 ふと沙耶華が口を開いた。
「さっきね。恭一くんに告白されちゃった」
「へ?」
 突然の話題に晴樹の思考は一旦停止したが、すぐにその事態に気づく。
「え? なっ?」
「びっくりしたよ。そんな風に恭一くんのこと、見た事なかったから・・・・・・」
 沙耶華はステージを見つめていた。
「お前・・・・・・ちゃんと言ったのか?」
 晴樹の問いに沙耶華は頷いた。
「言ったよ。って言うか、バレてたけど」
 沙耶華は苦笑した。恭一は沙耶華の好きな人に気づいていたのに告白したのだ。
「沙耶・・・・・・」
「皮肉だよね・・・・・・。あたしはあたしを見てくれない人を好きで、あたしを好きだって言ってくれた人を傷つけちゃった」
 沙耶華が泣きそうだと気づく。必死で堪えている姿が切ない。いたたまれず、晴樹は口を開いた。
「恭一は、傷ついてないと思う」
「え?」
 晴樹の言葉に驚き、沙耶華は視線を晴樹に移した。
「沙耶はちゃんと自分の気持ち言ったんだろ? だったら、傷つくってよりは、すっきりするんじゃないかな?」
「そんなものなのかな?」
 沙耶華に聞かれ晴樹は頷いた。
「そんなもんだよ。恭一、傷ついたような顔してたか?」
 晴樹に聞かれ、沙耶華は恭一の顔を思い出した。寂しそうな笑顔は浮かべたが・・・・・・。
「してない・・・・・・」
「だろ? だから沙耶が気に病むことないよ」
 晴樹はそう言って、沙耶華の肩を叩いた。
「ハルは優しいね」
「へ?」
 突然話題が自分に変わり、晴樹は驚いた。
「まぁ優しいから樹里が好きになったんだけどね」
 あっさり付け足され、晴樹は動揺すると、沙耶華はクスッと笑った。
「樹里ってさ。強情なとこ、あるじゃん?」
 沙耶華の言葉に頷いた。意地っ張りな部分があるのは、幼馴染の晴樹はよく知っている。
「だけどハルはちゃんとそれを分かってるし。こないだ樹里が思いきり泣けたのだって、ハルのおかげだと思うよ」
「そ・・・・・・かな?」
 あの時は、本当に驚いた。樹里があんなに泣いたのを初めて見たのだから。
「樹里が心の奥に閉じ込めてたものをハルが開放したんだよ」
 そう言われると何だか照れる。
「まぁ正直、樹里があんな形で告白するとは思わなかったけどね」
 沙耶華は思い出して笑った。晴樹も苦笑する。確かにあの告白は青天の霹靂だった。
「でも樹里を見て、あたしも頑張ろうって思った」
 沙耶華は強い決意を表すように、力強く言い放つ。
「え? それじゃあ・・・・・・沙耶・・・・・・」
「あたし、当たって砕けるよ」
 沙耶華は真剣な眼差しでそう言った。晴樹も思わず沙耶華を見つめる。
「いつまでも怖がってちゃダメって分かったんだ。逃げてばっかじゃ、自分に負けちゃうもんね」
「沙耶・・・・・・」
 そう言った沙耶華は以前よりも強くなったと晴樹は思う。
「今回の事件ね、何かいろんな事件が絡み合って、樹里が一番辛い思いしたと思う」
「そだな・・・・・・」
 沙耶華の言葉に晴樹は頷いた。
「でも、樹里は一度も逃げようとしなかった。全部の事に前向きに立ち向かってた。そんな樹里を見てあたしは何ができるだろうって思ったの。樹里の支えになりたかった。それと同時に、自分も逃げてちゃダメだって思ったの」
 沙耶華はそう言いながら、眼鏡をゆっくり外した。その行動に、晴樹は更に驚く。
「沙耶・・・・・・眼鏡・・・・・・」
「これは今日で卒業するよ。眼鏡(コレ)がなくても、人と向き合えるようにならなきゃね」
 強い口調で言う沙耶華は樹里のように凛としていた。
「そうだな。頑張れよ。人付き合いのことも、貴寛の事も」
 沙耶華は力強く頷いた。

 その頃、生徒会長である拓実と副会長の貴寛はダンスコンテスト会場である運動場で待機していた。
 拓実はふと貴寛を見やった。樹里を見つめるその瞳は、以前と変わっていなかった。貴寛の樹里を想う気持ちは本気だったのだと、第三者の拓実でも分かる。
「なぁ。貴寛」
 話しかけると、貴寛はこちらを向いた。
「お前、俺にずっと負けてるって言ってたけどさ。一つだけ俺がお前に負けてることがある」
「え?」
 拓実の思いもよらぬ言葉に貴寛は驚いた。
「確かに勉強もスポーツもお前に負けたくなくて頑張った。でも、一つだけ……どんなにがんばっても手に入らなかったものがある」
「な、なんだよ。それ」
 拓実が何を言おうとしているのか全く分からず聞き返すと、拓実はコンテスト会場の準備が進む運動場を見つめながら口を開いた。
「俺が好きな人は、俺を見てはくれなかった」
「・・・・・・」
 拓実が誰の事を言っているのか、どう言う意味でそう言ったのか、貴寛には全く分からなかった。

 バンドコンテストが終わると、続いて運動場でダンスコンテストが行われた。バンドコンテスト同様、こちらも盛況した。
 予選を勝ち抜いただけあって、本格的なチームばかりだ。その中にいる晴樹たちは、最初こそ緊張したものの、自分たちの練習の成果をしっかり発揮できた。


 バンドコンテストでは、練習をあまりできなかったにも関わらず、樹里たちのバンドが優勝した。
 そしてダンスコンテストでは、何と晴樹たちが優勝した。ラップを取り入れたのが高評価を得たようだ。

 表彰式も終わり、樹里たちバンドメンバーは練習用教室で打ち上げをしていた。後から晴樹たちダンスメンバーも合流する予定だ。
「で、虎太郎は何であんなとこで寝てたんだ?」
 雄治が問うと、虎太郎は思い出しながら答えた。
「ボク、ジュリが変な男に連れてかれたって聞いて・・・・・・。それでその人に付いてったらあのソーコで、後ろからなぐられて・・・・・・」
「そだったのか」
 思ってもみなかった事実に全員が驚いた。
「ねぇ。コタ、その人の顔、覚えてない?」
「んーっと・・・・・・」
 樹里に聞かれ、虎太郎は考え込んだ。
「どっかで見た顔なんだけどなぁ・・・・・・」
 そう言いながら必死に思い出そうとしていると、突然声がした。
「それってこいつらのことじゃないの?」
 声の主を辿ると、教室の入口に晴樹が立っていた。
「ハル! こいつらって?」
 樹里の問いに晴樹は少し横にずれる。その後ろにはバンドコンテスト準優勝したバンドメンバー三人が立っていた。
「あ! そうだ!」
 虎太郎が彼らの顔を見て、思い出して叫ぶ。するとその瞬間、彼らは全員土下座した。
「「「ごめんなさいぃ!!」」」
 突然の出来事に樹里たちは驚いた。
「俺たちが全部悪いんです!」
「『音楽ヤメロ』って楽譜を荒らしたのも俺らです」
「メンバーたちに脅迫状送ったのも俺らなんです」
「虎太郎くんを騙して閉じ込めたのも・・・・・・」
 メンバーは口々に自分たちのした事を白状した。樹里たちはあまりのことに唖然とした。
「でも・・・・・・何で?」
 樹里は目的が分からず尋ねた。
「俺たち、どうしても優勝したかったんです。・・・・・・でも結局負けちゃいましたけど・・・・・・」
 バンドコンテストは学校公認のオーディションみたいなものだ。もし優勝すればプロの道が開けるかもしれないと思ったのだろう。
 樹里は自分のバンドメンバーと顔を合わせた。目で会話をし頷くと、樹里たちは立ち上がり、三人の前に立つ。三人は恐怖の余り、顔を上げることができなかった。
「顔、上げて」
 樹里の意外な言葉に驚き、三人は思わず顔を上げた。
「確かにあなたたちがした事は間違ってる。でも・・・・・・その気持ち、分からなくもない」
 樹里の言葉に、三人は顔を見合わせた。
「それにもう過ぎたことだし。こうして謝りに来てくれたし、ね」
 拓実が言を継ぐ。
「今度は正々堂々と勝負しようぜ」
 雄治がニッと笑った。その笑顔に、三人の良心がチクチクと痛んだ。
「ホントにすいませんでした!!」
 彼らは再び謝った。

「でもよく分かったね。あの人たちが犯人って」
 三人が帰った後、晴樹も打ち上げに参加し、恭一たちも片付けを終えてやってきた。
「あぁ。俺、変だと思って、コンテストの後で聞き込みしてたら、目撃者がいてさ。それで問い詰めたら、白状したってわけ。んで、樹里たちに悪い事したから謝りたいって言うから連れて来たんだ」
「そだったんだ」
 まさかこんなにあっさりと犯人が見つかると思わず、樹里たちは拍子抜けしていた。
「でも犯人分かって良かったな」
 晴樹がそう言って笑うと、樹里も笑顔になる。
「ありがとね。ハル」
 樹里がお礼を言うと、メンバーも口々にお礼を言った。
「ありがと」
「サンキュー」
「ありがとな」
「アリガト」
 全員に言われると、何だか照れる。
「俺が気になっただけだからさ」
 照れ隠しにそう言うと、雄治が意地悪く笑った。
「樹里絡みだからだろ?」
「うっ・・・・・・」
 図星すぎて言い返せない。すると、涼が思い出したように樹里と晴樹を見やった。
「あ、そういや聞いたぞ。お前らやっと付き合い出したんだってな」
「やっとって・・・・・・」
 気づかれていたのかと、晴樹は思わずツッコんだ。
「なんだ。お前ら、お互い気づいてなかったのか?」
 雄治が逆に驚いている。
「この二人の鈍さは異常」
 拓実が溜息をつくと、樹里と晴樹は顔を見合わせて、苦笑した。

 その頃、沙耶華は貴寛をある空き教室に呼び出していた。
「ごめんね。急に呼び出して」
「ううん。どした?」
 貴寛はいつもと変わらぬ笑顔で答えた。その笑顔が嬉しくもあり、何だか悲しくもある。
 沙耶華は深呼吸して、息を整えた。
「あ、あのね」
「うん?」
「あたし・・・・・・貴寛の事・・・・・・好きなの!」
「え?」
 思ってもみなかった告白に貴寛は驚いた。
「冗談、とかじゃなくて・・・・・・?」
 沙耶華は顔を真っ赤にしながら頷いた。
 この瞬間、拓実が言っていた意味をようやく理解できた。
『一つだけ・・・・・・どんなにがんばっても手に入らなかったものがある。俺が好きな人は、俺を見てはくれなかった』
 これは他でもない、沙耶華のことだ。
「あ・・・・・・俺・・・・・・」
 貴寛はどう答えていいか分からなくなった。すると、沙耶華が口を開く。
「分かってる。貴寛は樹里の事好きだって」
「・・・・・・」
 沙耶華のその言葉に何も言えなくなる。
「でもどうしてもこれだけは言いたかったの。ずっと・・・・・・ずっと前から貴寛の事が好きだった」
 沙耶華は自分でも驚くほど素直に気持ちを伝えられた。
「い、いつから?」
 貴寛は動揺しながら尋ねる。
「中学・・・・・・かな? 貴寛だけだったの。ハルや拓実は別として・・・・・・樹里とあたしを分け隔てなく接してくれたのって。皆はあたしのこと、樹里のお飾りみたいにしか見てくれなかった。だから怖くなって、こうやって眼鏡をかけなきゃ人と接する事ができなくなったの」
 貴寛は初めて聞かされる事実に驚きを隠せなかった。
 沙耶華がイジメに遭っていたのは何となく知っていたが、そこまで重症だとは思わなかった。
「今回の事件、樹里はいつも前向きに戦ってた。一度も逃げようとしなかった。・・・・・・だから・・・・・・今度はあたしが立ち向かおうって思ったんだ」
 沙耶華はかけていた眼鏡を外した。
「これをかけるのは・・・・・・今日でおしまい。これがなくても人と接せれるようにならないといけないし、自分の気持ちを貴寛に打ち明けたいって・・・・・・そう思ったの」
 いつもとは違う沙耶華に貴寛は驚き入っていた。
「でも・・・・・・俺・・・・・・樹里にあんなことしたのに・・・・・・」
 誘拐、監禁のことだ。
「それだけ樹里のことを本気で好きなんだって思った」
「そっか・・・・・・」
 意外な返答に拍子抜けする。
「ごめんね。困らせようとしてるんじゃなくて、ただあたしの気持ちを伝えたかっただけだから」
 俯いた貴寛に沙耶華は言葉を付け足した。すると、貴寛は何かを決意したように顔を上げた。
「沙耶」
「うん?」
 沙耶華を真っ直ぐに見る。沙耶華は目を逸らせたくなる気持ちを抑え、貴寛を見つめた。
「俺さ、本気で樹里の事好きだったんだ」
「・・・・・・うん」
 それは十分すぎるほど分かっている。
「だからさ、簡単に気持ちは切り替わらないと思う」
「うん」
「それに・・・・・・沙耶の事を好きになるって保証はない」
「うん」
 現実を突き付けられ、沙耶華の目線が下がっていく。
「だから、ごめん。沙耶の気持ちに応えられない」
「うん」
 分かっていたことだ。その答えは十分予想できた。
 だけど胸がギューッと締め付けられるほど苦しい。失恋って、こんなにも辛いんだ。
 沙耶華は込み上げてくる感情と涙を必死に飲み込んで、顔を上げた。
「ありがとう。・・・・・・正直に言ってくれて」
「沙耶の気持ちは嬉しかった。ごめんな。応えられなくて」
 貴寛の言葉に、沙耶華は首を横に振る。
 今なら、恭一の気持ちがよく分かる。そう、きっと恭一も今の自分と同じように感じていたはずだ。
「これからも友達でいてくれる?」
 そう聞くと、貴寛は苦笑した。
「当たり前だろ」
 その言葉を聞けただけで、何だか嬉しい。
「じゃあ、俺もう行くな。生徒会の仕事残ってるし」
「うん。来てくれてありがとう」
 貴寛は首を振ると、「じゃあな」ともう一度言った。
「また、明日」
 沙耶華は精一杯の笑顔で貴寛を見送った。

『沙耶はちゃんと自分の気持ち言ったんだろ? だったら、傷つくってよりは、すっきりするんじゃないかな?』
 晴樹の言葉が蘇る。確かに今まで閉じ込めていた自分の気持ちを伝えて、何だかすっきりしている。
「だけどちょっと切ないかなぁ・・・・・・」
「沙耶見っけ」
 ふと声がして、振り返ると、教室の入口に拓実が立っていた。
「拓実! どうしてここに」
「最後の見回りだよ。沙耶みたく空き教室でまだ残ってるヤツらを帰らせるためにね」
 生徒会長はそんなこともしなきゃいけないのかと沙耶華は思わず笑った。
「お仕事ご苦労様」
 沙耶華は自分の鞄を手に取り、入口にいる拓実に近づく。
「そういや沙耶、打ち上げに行かなかったのか?」
 拓実は生徒会の仕事のため中座したが、先程まで樹里たちが打ち上げをしていたはずだ。
「うん。ちょっとね・・・・・・」
「そっか」
 拓実は何も聞かなかった。
 きっと気づいてるはずだ。目の端が赤いことも、何かあったことも。
 拓実はいつもこうして何も聞かないでいてくれる。だけど心配されていないわけではないのは、彼の空気で分かる。
 拓実と居ると、ホッとしている自分がいた。
「沙耶、一緒に帰るか?」
「拓実はもう仕事終わったの?」
 そう聞くと、拓実は優しく微笑んで頷いた。