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STAGE 3  疑惑
「重っ。買いすぎた・・・・・・」
 樹里は買いすぎた荷物にてこずっていた。二人暮らしなのに、毎回大量に食材を買うのは、兄が一人で異常によく食べるからだ。
「やっぱハルに荷物持ち頼めばよかったー」
 今更後悔をしても遅い。
「しょうがない。迎えに来てもらおうっと」
 樹里はスーパーを出てすぐ、邪魔にならないところに荷物を置いて携帯電話を取り出した。
 その時、背中に妙な視線を感じた。だが、振り返るのは怖い。樹里はとにかく何でもないフリをして携帯の短縮ボタンを即座に押した。
(早く出て)
 樹里は携帯を耳に押し当て、心の中で叫んだ。三コール目で比呂が出る。
『もしもし?』
「お兄ちゃん。あたし」
『どした?』
 ノンキな声が返ってくる。その声に少し安心した。
「今駅前のスーパーにいるんだけど、迎えに来てくれる?」
 そう頼むと、とても嫌そうな声が返ってくる。
『えー?』
「えー、じゃなくて。誰のために買い込んでると思ってんのよ」
 そう言うと、比呂は観念した。一応自覚はしているらしい。
『うっ。分かったよ。十分くらいでそっち行く』
「うん。お願いね」
 ホッとしながら、電話を切る。
 十分。その間どうしたらいいのだろう? 視線はどんどん強くなる……気がする。だけど振り返れない。
 樹里はもう一度携帯電話を開き、着信履歴を見た。すぐに通話ボタンを押す。
『もしもし?』
 相手は意外と早く出た。
「沙耶? 今大丈夫?」
『うん。どうかしたの?』
 突然の電話に、沙耶華は驚いているようだった。
「沙耶の声聞きたくなっちゃって」
『あは。そりゃ、嬉しいこと』
 樹里の言葉に沙耶華が笑う。他愛もない話を少ししてから、今日起きたことを報告ことにした。
「・・・・・・今日ね、またやられたの」
 不意に話し初めた樹里に沙耶華の声が一瞬凍る。
『え? 何が?』
 聞き返す沙耶華の声が、何だか震えている。薄々分かっているのだろう。
「ほら、夏休み前に衣装がめちゃくちゃにされたじゃない? 今度はね、セットもやられたの」
『それホント?』
 沙耶華は信じられないようだ。
「うん。しかもね、拓実のクラスの衣装までやられたの」
『え? うちのクラスだけ狙ってたんじゃないの?』
 樹里の言葉に沙耶華は驚き入った。
「みたい」
『セット置いてる教室って、鍵掛けてたんでしょ?』
「うん」
『どうやってやったんだろう?』
 沙耶華もやはり同じ疑問が浮かんだようだ。
「それなのよね。手口も何も分からないから、こっちも手の打ちようがなくて・・・・・・」
『で? 結局どうなったの?』
「先生たちに報告しただけ」
 そう言うと、沙耶華は驚嘆した。
『それだけ?』
「だってどうしようもなかったんだもん。先生たちに見回りとか強化してもらうしか」
『そりゃそうだけど・・・・・・。クラスのみんなは?』
 反応は何となく分かるが、一応聞いてみる。
「かなり怒ってる」
『そりゃそうだよね。あたしもめちゃくちゃ悔しかったもん』
「文化祭、無事にできればいんだけどね」
『だね』
 そんなことを話していると、樹里の前に見慣れた車が止まった。
「あ、じゃあ。また明日電話するよ」
『明日は練習あるの?』
「明日はバンドの方だけだよ」
『そっか。じゃ、適当に差し入れ持って行くよ』
「うん。ありがと。じゃ、また明日ね」
 お互いに「バイバイ」と言って、樹里は電話を切った。同時に兄が車から出てくる。
「また大量に買ったなー」
 その言葉に樹里は呆れながらツッコんだ。
「ほとんど食べるの、お兄ちゃんだよ」
 そう言われると、比呂は何も言い返せない。
「・・・・・・分かってるから迎えに来たんだろ?」
 比呂は地面に置かれていた荷物を持った。
「近くにいたの?」
「ああ。ツレんとこで飲み会」
「飲酒運転?」
 樹里に疑いの目で見られ、慌てて否定する。
「まだ飲んでねーよ。飲もうと思ったら、電話かかってきたんだから」
「ごめんね」
 突然謝られ、比呂は虚を突かれた。
「何謝ってんだ? 大丈夫だよ。また飲みに行くし」
「え?」
 比呂の言葉に樹里は思わず聞き返す。
「樹里送ってったら、また戻るんだよ」
「ヤダ」
「え?」
 いつもはぶつくさ言いながらも送り出してくれる妹が、なぜ反対したのか分からず、比呂は困惑した。
「どうかしたのか?」
 そう聞いても、樹里は俯いたままだった。
「とにかく乗れ。な?」
 荷物を入れ終わった比呂は助手席のドアを開け、樹里を乗せた。比呂も運転席に回って、車に乗り込む。シートベルトをしっかり締め、比呂はギアを入れて、車を発進させた。
「どうかしたのか?」
 もう一度聞いてみる。
「・・・・・・誰かにつけられてる気がするの」
 樹里は俯いたまま答えた。
「え? 誰かって?」
 思わぬ言葉に驚き、驚いて聞き返す。
「分かんない」
 樹里は首を横に振った。
「でもすごく嫌な視線を感じて・・・・・・怖くて振り向けなかったの。だからお兄ちゃん待ってる間もずっと沙耶と電話してて・・・・・・」
 樹里は両腕をさすった。比呂は左手を伸ばし、震える樹里の手を握った。
「大丈夫だ。俺が付いてるから」

『樹里が誰かにつけられてる?』
 電話の向こうで晴樹が叫んだ。比呂は樹里が風呂に入っている間に、晴樹に電話をかけたのだ。
「そう。本人がそう言ってる」
『でも何で・・・・・・』
 晴樹は不思議に思った。
「分からない。ハル、何か心当たりないか? 変な人見たとか」
『いや。特には・・・・・・』
 考えてみたが、思い当たらなかった。
「そうか」
『樹里は?』
「ああ。今、風呂に入ってる」
 何だか落ち着かなくて立っていた比呂は、ようやくリビングのソファに座った。
『そっか。でも珍しいな。この時間に比呂兄が家にいるなんて』
 茶化すと、意外と真面目に反応が返ってきた。
「樹里が怖がってんのに、ノンキに飲みに行けると思うか?」
『比呂兄なら行きそう』
 ププッと笑っているのが、電話越しに分かる。
「あのなぁ。俺だって樹里のこと心配してんだぞ」
『冗談だよ。でもそれなら樹里が狙われてるかもしれないってことだよな』
 これは一連の事件と何か関係があるのだろうか?
「かもな。ハル。できるだけ樹里を一人にしないようにしてくれるか?」
 比呂のお願いを晴樹は快諾した。
『うん。もちろんだよ。明日はバンドの練習だって言ってたから、学校行くまで一緒に行くよ。練習中は男が四人もいるから、狙われにくいだろうし』
「ああ。そうだな」
『拓実たちには俺から連絡しとくよ。一人にしないようにって』
「頼む」
 比呂にそう言われ、晴樹は一段と責任が増した。
『明日、樹里に迎えに行くって言っといて』
「分かった。じゃあな」
『おう』
 電話を切ると丁度樹里が出てきた。
「お先ー。お兄ちゃんも入って来たら?」
「大丈夫か? 一人で」
 変な心配をする比呂に、樹里は笑った。
「大丈夫だよ。サスガに家の中までは入ってこないだろうし」
「何かあったらすぐ呼べよ」
「分かったって」
 樹里は笑いながら、比呂の背中を押した。


「何だって?」
 電話を切ると、晴樹の家に来ていた陽介に訊かれる。
「何かさ。樹里、誰かにつけられてたみたいなんだって」
「え?」
 その言葉を聞いた陽介、恭一、要の三人が驚き固まった。
「今日樹里さ、買い物行くって別に帰ったじゃん?」
「うん」
「買い物が終わって外に出てから、嫌な視線を感じたらしいんだ。でも怖くて振り返られなかったんだって」
「それって・・・・・・」
「樹里ちゃんが狙われてるってこと?」
 恭一たちもやはりそう考えた。
「分かんない。だけど用心に越したことはないから、これからは樹里を一人にしないようにしようって、比呂兄と話してたんだ」
「だな」
 それがいいと陽介が頷く。
「俺らも協力するよ」
「おう。あ、俺拓実に電話しとかなきゃ」
 晴樹は再び携帯電話を取り上げた。


 翌朝。樹里が目を開けると、いつもと違う天井が広がっていた。
「ん・・・・・・」
 そうだ。昨夜、怖かったので兄の部屋に泊めてもらったのだ。
「・・・・・・何時?」
 樹里は寝返りを打って時計を見た。時計の針は九時を指している。
「え?」
 樹里は飛び起きた。もう一度時計を見る。
「お、お兄ちゃん。起きて!」
 樹里は隣で寝ていた兄を揺さぶって起こす。
「んー。何ぃ?」
 一応返事はするが、目が開いていない。
「今日午前中、バイトじゃなかった?」
「そう・・・・・・だよ」
 比呂はやはりまだ眠いのか、目を閉じたまま答えた。
「もう九時だよ! 早く起きて!」
「えー? 九時?」
 まだノンキな兄に樹里は布団をはいだ。
「バイト、十時からでしょ? 朝ご飯作るから早く起きて」
「うーん」
 布団を剥がされた兄は、もぞもぞと縮こまりまだ寝ようとしている。
「遅刻しても知らないからね」
 樹里は唸っている兄を放置し、パジャマのまま一階に下りた。キッチンに置いてあるエプロンを着けて朝食の支度を始めた。
 その時玄関のベルが鳴った。インターホンに出る。
「はよっす」
 カメラ付きインターホンの前で晴樹がいた。学校に行くのは昼からなのだが、比呂がバイトに行くので樹里を一人にしないように、早めに来たのだ。
「あ、おはよ。ハル。悪いんだけど、鍵開けて入ってきて。今ちょっと手が離せなくて」
「らじゃっ」
 晴樹は藍田家が隠してある鍵でドアを開けた。また元の場所に戻しておく。
 家の中に入るといい匂いが充満していた。
「おー。うまそー」
「ハルのはちょっと待ってね」
 今にもつまみ食いしそうだったので、樹里はストップをかけた。
「ハル。悪いけど、お兄ちゃん起きたか見てきてくれる? バイトなのにノンキにまだ寝てるかもしれないから」
「おう。寝てたら、一発ケリ入れとく」
「よろしく」
 晴樹は二階の比呂の部屋に向かった。家が向かいで幼馴染の晴樹は、よくこの家に出入りするので、勝手をよく知っている。
「比呂兄。入るぞー」
 ドアを開けると思った通り、比呂はまだ眠っていた。
「比呂兄。起きろよ。バイトだろ?」
「う・・・・・・ん」
「ほら、起きろって」
 晴樹がそう言うと比呂は両手を伸ばした。『起こせ』と言ってるらしい。晴樹は溜息をつきながら手を取って起こす。
「起きたか?」
 座っても比呂はまだ唸っていたので、今度は立ち上がらせた。
「俺も下にいるから、着替えて下りて来いよ」

 晴樹は比呂をほったらかして一階に下りてきた。
 キッチンでは樹里がパジャマ姿のまま、朝食を作っていた。なぜかその姿に妙に意識をしてしまう。
「お兄ちゃん、起きた?」
 晴樹が降りて来た事に気づいた樹里が声をかける。
「あ・・・・・・うん。多分。立たせて来たから」
「ありがとね」
 しばらくして、ようやく比呂が降りてきた。
「ノンキだね。お兄ちゃん」
 樹里が呆れる。見た感じ、まだ覚醒していないようだ。
「近いからな」
 比呂のバイト先のコンビニは徒歩五分で行ける場所にあるのだ。
「いっただきまーす」
 比呂はマイペースに食事を始めた。
「はい。ハルの分」
「サンキュー」
 晴樹は家でもちゃんと朝食を食べてきているのだが、毎回ちゃっかり藍田家でも食べる。成長期の男の子の食欲は異常だ。
「お兄ちゃん。いくら近いからってのんびりしすぎじゃない?」
 トロトロ食事をする兄に呆れ返る。
「遅刻しなきゃいんだって」
 兄のマイペース具合に、樹里は溜息をついた。

 昼食を済ませた晴樹と樹里は学校へ向かった。晴樹は樹里を教室まで送り届ける。
「んじゃ、ま。練習終わったらこっち来るから」
「うん」
 晴樹の言葉に樹里は頷いた。それから晴樹は既にいるメンバーに話しかける。
「それまでみんな、樹里のことよろしく」
「おう」
 任せとけとでも言うように雄治が返事した。
「じゃっ」
「あ、ハル」
 教室を出て行きかけた晴樹を樹里が呼び止める。
「ん? 何?」
「ありがとう」
「・・・・・・おう」
 樹里の照れたような笑顔に、一気に体温が急上昇する。高鳴る心臓を押さえながら、晴樹は校庭に向かった。

「今日は大丈夫だった?」
 校庭には既に三人が来ており、恭一が晴樹を見つけると開口一番そう訊ねた。
「おう。何もなかったよ」
「でもまだ安心はできねぇよな」
 陽介の呟きに一同頷く。
「そだけどさ」
「でも何なんだろ?」
「ん?」
 要がふと口にする。
「樹里ちゃんさ、買い物が終わってから視線に気づいたんだよね?」
「うん」
 確認され、晴樹は話を思い出しながら頷いた。
「それまでずっと見られてたんじゃないの?」
「だとしても買い物中は周りにお客がいっぱいいるから気づかなかったんじゃないか?」
「そうなのかなぁ?」
 恭一の言葉に要は首を傾げた。
「でも樹里ちゃん、敏感なんだね。俺だったら気づかないかも」
 陽介の言葉に恭一も頷いた。
「だな。俺も思った」
「ああ。樹里の場合・・・・・・」
「ハル!」
 突然かなり上の方で声がしたので、晴樹は呼ばれた方向に顔を向けた。校舎四階の窓から顔を出している貴寛を発見する。
「何?」
「お前ら、コンテストの参加申込書出したのか?」
 貴寛に聞かれ、思い出した。参加申し込みをしないとコンテストに出られない。
「え? あ、忘れてた。恭一たち出してないよな」
「うん」
 三人に頷かれ、晴樹は慌てて返事する。
「わりー。今そっち行くわ」
「早くしねーと締め切るぞー」
 意地悪く貴寛が笑う。
「イジメだー」
 貴寛のいる生徒会室は四階にある。
「しゃーない。全力疾走しますか」
 四人は校舎に向かって走り出した。

 それから数日後の晴樹たちのクラスは、相変わらず劇の練習に勤しんでいた。そして今は休憩中である。
「そういやもうすぐ、夏祭りだね」
 樹里が携帯のカレンダーを見て呟いた。
「あー。もうそんな時期か・・・・・・」
 沙耶華が衣装の直しをしながら返事する。
「ハルたちも行くよね?」
「来るんじゃない? 毎年一緒に行ってるんだし」
 樹里の質問に沙耶華はあっけらかんと答える。
 沙耶華は何となく教室を見渡すが、晴樹たちの姿が見えない。
「そういや、ハルは?」
「中庭で練習してるんじゃない?」
 樹里に言われ、沙耶華は窓から中庭を覗いた。四人がダンスの練習をしているのが見える。
「あ、ほんとだ」
「何見てんだ?」
 突然貴寛が現れた。思わぬ至近距離に沙耶華は驚いた。その様子を貴寛ファンクラブの子達がじっと見ているのに気づく。
「ハ、ハルたちが練習してるなぁって……」
 視線が痛いのでそう言って、沙耶華は貴寛から少し離れた。一方貴寛はそんなことには気づきもせず、窓の外に目を移す。
「ほんとだ。がんばってんだな。あいつらも」
 晴樹たち大道具の係は、ほとんどの仕事が終わっているので、外で練習しているらしい。
「あ、貴寛も行く? 夏祭り」
 ふと樹里が顔を上げた。
「そりゃもちろん」
 樹里の誘いとあらば、行かないわけにいかない。
「あー。今年は浴衣着たいかも」
 樹里が突然思いた。
「あ。それならうちのお母さんに着せてもらおうよ」
 沙耶華の母親は着付けができる。
「え? いいの?」
「うん。浴衣だってお姉ちゃんたちのお下がりがあるし」
 三姉妹の末っ子である沙耶華は、以前二人の姉が浴衣を着ていたのを思い出した。
「じゃあ、お願いしようかな」
「浴衣かぁ。いいねぇ」
 貴寛が何やら妄想しながら、樹里の目の前にしゃがみこむ。
「何だったら着せてやろうか?」
「何調子のいいこと言ってんだ」
「お・・・・・・重い」
 今度は晴樹が現れ、樹里の前にしゃがんでいた貴寛の上に乗った。
「ったく。ちょっと習い事してるからって調子に乗んな」
「分かったから・・・・・・どいてくれ・・・・・・」
 絞り出すような声にこの辺で勘弁しといてやる。
「あれ? さっきまで練習してたよね?」
 沙耶華は幽霊でも見るかのように晴樹を見た。
「うん」
「いつの間に・・・・・・」
 いくらなんでも戻ってくるのが早すぎる気がする。だがそれを気にせずに樹里が話しかける。
「あ、ハルたちも行くでしょ? 夏祭り」
「もちろん」
 毎年のイベントは欠かさない。要と陽介も頷く。
「あれ? 恭一くんは?」
 いつものメンバーが一人足らないことに樹里が気づいた。
「ああ。あいつはジュース買いに行った」
「そっか。行くかな? 恭一くんも」
「行くんじゃねーの? 樹里に誘われたら・・・・・・」
 晴樹は自分でも嫉妬丸出しな言い方だと思ったが、樹里は気づいていないようだった。
「男の嫉妬はみっともないわよ」
「っるせ」
 沙耶華の耳打ちに晴樹は言い返す。その時、恭一が戻ってくる。
「あれ? 何の話?」
「あ、おかえり。恭一くん。今ね、夏祭り一緒に行こうって話してたの。恭一くんも行くでしょ?」
「もちろん」
 樹里に聞かれ、恭一は笑顔で答えた。
「あ、そうそう。ハイ」
 恭一は持っていたジュースのうち二本を、樹里と沙耶華に渡す。
「え? いいの?」
 まさか自分たちに渡されると思っていなかった二人が、きょとんとしている。
「うん」
「「ありがとう」」
 樹里と沙耶華は声をそろえてお礼を言った。
「どういたしまして」
「かっこつけが・・・・・・」
 笑顔の恭一の後ろで要と陽介が毒づく。
「なぁ。俺のは?」
 晴樹が恭一の後ろから顔を出す。
「ない」
「えー? なんでー?」
「俺、女の子には優しいの」
 そう言われ、晴樹はふくれた。
「まぁまぁ、あたしの半分あげるから」
 そう言うと樹里はどこからか紙コップを持ってきた。缶を開け、ジュースを注ぐ。
「間接が良かったなぁ」
「え? 何?」
 晴樹が呟くと、樹里がきょとんとした顔で聞き返した。
「いや、なんでもない」
 思わず本音が口から出た晴樹は慌てて否定した。
「ハイ。どうぞって、これ恭一くんの台詞だね」
 樹里は笑いながら晴樹にコップを渡した。
「あはは」
 晴樹は乾いた笑いを浮かべた。

 数日後の夏祭り当日。午前、午後と学校で忙しく過ごした樹里は、沙耶華の家に来ていた。
「樹里、似合うじゃん」
「そお?」
 浴衣を着せてもらった樹里はくるりと一回転してみた。
「かわいいわねぇ」
 沙耶華の母親がにっこりと言った。その言葉に樹里ははにかむ。
「へへっ。ありがと。おばさま」
「沙耶、髪結ってあげなさい」
「はーい」
 沙耶華は樹里の髪を結い始める。
「沙耶華は着ないの?」
 後ろから母に聞かれ、沙耶華は頷いた。
「あたしは・・・・・・似合わないから」
「何言ってんの。そんなわけないじゃない。沙耶、かわいいんだからもっと自信持ちなさいよ」
 樹里の言葉にも沙耶華はネガティブだった。
「・・・・・・いいの」
 諦めた口調に樹里は悲しくなる。
「よくない!」
「樹里、動かないで」
 樹里が振り返ると、沙耶華は樹里の顔を前に向けた。それでも樹里は諦めない。
「おばさま。沙耶の浴衣ってあるんでしょ?」
「もちろん」
 にっこりと笑うと、どこからか浴衣をもう一着出した。
「お母さん!」
「沙耶華に着て欲しくってねぇ。いい機会だから着なさい」
 沙耶華の母は娘に迫った。

 数分後、観念した沙耶華は大人しく着替えさせられていた。
「かわいーーーーー!」
 樹里は着替え終わった沙耶華を見て、絶叫した。
「恥ずかしいよぉ」
 沙耶華は赤面した顔を手で覆った。
「もっと自信持ちなって! 沙耶、かわいいんだから」
 そう言いながら樹里は沙耶華の眼鏡を外した。
「あっ」
「今日はこれ無し!」
 樹里は眼鏡をさっさと片付けた。
「目、悪くないんだから大丈夫でしょ」
 樹里に言われ、沙耶華は口をつぐんだ。
 実は沙耶華の眼鏡に度は入っていない。眼鏡をしているのは、人と接するのが怖いからだ。
 中学生の時、沙耶華はイジメに遭い、それ以来、晴樹や樹里といった気心知れた人以外とはあまり話さなくなった。本当は眼鏡と言うフィルターがなければ、学校さえも怖い。
「良い機会だと思うよ。沙耶、あの三人組にはちょっと心開いてるでしょ」
 最近特に接する機会が多かった恭一、陽介、要にはだいぶ心を開いてると樹里には見えていた。
「・・・・・・う、うん」
眼鏡コレがなくても、人と接するようにしなきゃ」
「・・・・・・うん」
 それは沙耶華自身、十分分かっている。
「ほら、髪やらないと。皆来ちゃうよ」
 樹里は優しく笑いかけた。

 迎えに来た晴樹、貴寛、雄治、拓実、虎太郎、恭一、陽介、要は玄関で固まっていた。樹里のかわいさはもちろんだったが、意外な人物のかわいさに目を奪われた。眼鏡をかけていないだけでも雰囲気がいつもと違う。
「ちょっと、沙耶。あたしの後ろに隠れててもしょうがないでしょ!」
 樹里は沙耶華を自分の前に出した。
「ほぇー。化けるもんだなぁ」
 雄治が感心している。
「雄ちゃん、言い方失礼だよ」
 樹里がプンプンと怒った。
「素直にかわいいって言えばいいのにぃ」
 もちろん自分のことではなく、沙耶華のことをだ。
「樹里もかわいいよ」
「そんな取ってつけたみたいに言われても・・・・・・」
 棒読みな雄治の言葉にツッコむ。
「あ、早く行かないと、花火大会始まっちゃうよ」
 沙耶華は恥ずかしいあまり、話をそらせた。

 花火会場はやはり混んでいた。見渡す限りに人だらけである。
「うーん。こんなんじゃ花火見えないなぁ」
 晴樹は唸った。
「おいら見えるけどね」
 一番背の高い雄治が言い放つ。
「そらぁね・・・・・・」
 晴樹は呆れた。雄治の身長は一八〇センチは優にある。それに比べ晴樹は一七〇ちょい。しかも樹里や沙耶華は一六〇前後なのだ。
「仕方ねーな。皆おいらに付いて来い」
 そう言うと雄治はスタスタ歩き出した。
「え? ちょ・・・・・・雄ちゃん待ってよー」
 慣れない下駄で歩いている樹里と沙耶華は必死で雄治を追いかけた。
「おい、雄治。ちっとはゆっくり歩け」
 その様子を見た拓実が雄治に一言注意する。
「おっと。わりぃわりぃ」
 雄治は頭を掻きながら謝った。

 雄治が皆を案内したのはある廃ビルだった。勝手に屋上まで上がる。
「ここから見えるの?」
 沙耶華が問う。
「うん。沙耶、樹里、ここ立ってみ」
 雄治は二人を花火がよく見える位置に誘導した。
「へー。こんなとこあるなんて知らなかったぁ」
「おいらの穴場スポット」
 樹里の言葉に雄治が答える。
「大方いつもここで口説いてるんだろ」
 拓実にズバリ言われ、雄治はギクッとした。
「分かりやすっ」
 晴樹が叫ぶと、雄治に脳天をチョップされる。
「ってぇ。何すんだよ!」
「今まで付き合ったことのないやつに言われたかないやい」
「何をーっ!」
 今にも取っ組み合いを始めそうな二人を拓実が止める。
「二人ともストップ。それよりあれ、見てみ」
 二人は拓実が指差した方を見た。その先には樹里が見えた。その隣にいるのは何と要だった。
「なんちゅー組み合わせ・・・・・・」
 雄治が一言。晴樹は言葉を失った。楽しそうに二人が話しているのをただ見ているしかできない。
「ハル。いい加減行動しないと、佐伯に樹里持ってかれちゃうよ?」
「え?」
 拓実の言葉に動揺する。
「佐伯、本気っぽいな」
 雄治が付け足す。二人の言葉に晴樹は焦った。どうしたらいいのかすら分からない。
「とりあえず二人の会話阻止して来い」
 二人に背中を押され、晴樹は樹里と要の少し後ろに立った。それに気づいた樹里が晴樹に話しかける。
「ハル。見て見て。綺麗だねー」
 樹里は花火に夢中だった。
「う・・・・・・うん。綺麗だな」
 それしか答えられない。要の方をちらっと盗み見る。何も変わらない態度。いつもの要だと思う。晴樹は妙な安心を覚えた。
 だけど心の奥では何かが引っ掛かる。それが何か分からなかった。

 その後ろで雄治と拓実が晴樹の様子を観察していた。
「うーん。どうよ? あれ」
「どうよ? って言われても・・・・・・。ハル、もちょっと焦った方がいいよなぁ」
 拓実の言葉に雄治はうんうんと頷いた。

 その夜。晴樹はいつになく眠れなかった。
 要の行動がとても気になる。拓実と雄治の言うように、要も樹里のことを本気で想っているんだろうか?
 否定をしたいが、樹里がモテるのは昔からなのでそう簡単に否定できない。
「うー」
 晴樹は唸った。今夜が蒸し暑いせいかもしれないが、変な汗が出てくる。
 こんな気持ちが嫌だ。今に始まったことではないが、自分の友達が樹里を好きだなんて・・・・・・。
 恭一や陽介も好きだと言ってるが、それはアイドルみたいな感覚らしい。だが要は一人の女の子として樹里を好きなのだろう。
 じゃあ樹里は? 樹里は一体誰が好きなんだ? あのバンドの中には・・・・・・。
(んなわきゃない)
 見てる限りではバンドの中にはいそうにない。一番怪しいのは涼だが・・・・・・。確か涼には彼女がいる。
 どうしたらいい? 自問自答を繰り返しても答えは出ない。
 樹里が誰を好きかも分からない。じゃあ、自分は?
(やっぱ好きだ)
 いつからだろう。樹里を好きになったのは・・・・・・。随分昔のような気がする。幼馴染だから、初対面なんて覚えてない。それこそ生まれた時から知っている。
 気になり始めたのは、彼女がバンドを始めてからだ。いつも以上に輝く樹里にいつしか惹かれていた。
 ホントに音楽が好きなんだ。特に歌うことが。
 彼女の歌声は晴樹にとってなくてはならないものだ。ずっと聞いていたい。辛い時、悲しい時は励ましてくれる。逆に楽しく、嬉しい気持ちにしてくれる。樹里の歌は魔法みたいだ。
(・・・・・・こんなこと考えてる俺って・・・・・・)
 晴樹は天井を仰いだ。
(俺はどうしたい?)
 その答えは簡単だ。ただ樹里の傍にいたい。
(そしてずっと・・・・・・これからも・・・・・・)
 晴樹はそう思うと何だかすっきりした。
 これでいいんだ。樹里の傍にいたいから傍にいる。これで十分だ。
 晴樹はそのまま目を閉じた。
 いつの間にか深い眠りに就いていた。


「樹里! 大変なの! すぐに来て」
 ある日、劇の練習をしていた樹里は沙耶華に呼ばれた。
「え? どしたの?」
「いいから! 早く!!」
 いつになく沙耶華が青い顔をしている。何かあったのだとすぐに気づいた。
「貴寛・・・・・・」
 樹里は思わず貴寛を見る。
「行って来いよ。こっちは大丈夫だから」
「ありがと」
 貴寛は快く承諾したので、樹里は沙耶華と一緒に教室を出て行った。

 樹里が連れて来られたのは、バンドの練習のために借りている教室だった。ドアが開きっぱなしになっている教室を覗いた。
「これ・・・・・・」
 教室一面に楽譜がばら撒かれていた。その楽譜は教室に置きっぱなしにしていたものだと気づく。樹里はばら撒かれた楽譜の真ん中にいる人物に近づいた。
「虎太郎」
 声をかけると、虎太郎が振り返る。
「ジュリ・・・・・・」
 虎太郎は既に大粒の涙を流していた。近づいた樹里は、震えている虎太郎を抱きしめる。
 散らばっている楽譜はどうやら虎太郎の物らしい。
「よしよし。大丈夫だよ」
 樹里はまるで小さい子を慰めるように虎太郎の頭を撫でた。
「これは一体・・・・・・」
 雄治に呼ばれた拓実が教室を見て、声を漏らす。
「ったく。誰だよ。こんなことするの・・・・・・」
 いつの間にか来ていた涼が教室の入り口で呟く。
「コタ・・・・・・」
 虎太郎に話しかけようとした拓実を、樹里が静かに止めた。
 その場にいる全員は虎太郎の経歴を知っている。アメリカで酷いイジメに遭っていたこと、そしてそれを知った虎太郎の父親が、亡くなった母親の故郷である日本に虎太郎を連れて来たこと。
「とにかく片付けよう」
 しばらくして樹里は虎太郎の腕を優しく解き、立ち上がった。散らかっている楽譜を拾い始めた樹里に倣って他の人たちも片付けを始めた。
「あれ? これ・・・・・・」
 楽譜を拾っていた拓実はその中の一枚を取り上げた。
「『音楽をやめろ』」
 拓実が読み上げ、皆に見せる。それは楽譜に血のように赤い字で書かれていた。
「・・・・・・誰が・・・・・・こんなこと・・・・・・」
 全員が不思議に思う。大体、こんなことをしても誰も得をしない。
「何のために・・・・・・?」
 次々に起こる疑問。
「大丈夫かっ?」
 教室に駆け込んできたのは晴樹だった。沙耶華からメールで事情を知らされ、飛んできたのだ。
「ハル」
「大丈夫。楽譜をばら撒かれただけだから・・・・・・」
 拓実はあんまり心配をかけないように、そう言った。
「誰かのイタズラだべ」
 雄治が苦笑いする。本当にそう思いたい。
「その割りに虎太郎が脅えてるじゃん」
 ずっと震えている虎太郎を見やる。
「フラッシュバックしちゃったみたい」
 樹里が耳打ちすると、晴樹は納得した。どんなイジメを受けたのか等の詳細は知らないが、相当酷かったのだろう。トラウマになるほどに。
「俺も手伝うよ」
 晴樹も教室一面にばら撒かれた楽譜を拾うのを手伝った。

「ありがとね」
 楽譜を順番通りに並べ終えた樹里がお礼を言う。
「いや、礼を言われるほどのことしてないよ。・・・・・・それよりさ・・・・・・これって今までの事件と関係あるんかな?」
「今までの事件と?」
 晴樹の言葉に樹里が反応する。
「うん。だってさ・・・・・・何で急にココがやられてたのかは分かんないけど・・・・・・。でもイタズラでここまでやるかなって」
「そりゃ、まぁそうだけど・・・・・・」
 拓実は溜息混じりに言葉を発した。
「じゃあ犯人の目的って何?」
 樹里が質問する。問われた晴樹は戸惑った。
「も、目的?」
「だって、何の目的もなしにこんなことしないでしょ?」
 樹里の言うことはもっともだ。犯人には何かしらの動機はあるはずだ。しかしその目的が何なのか、全く思いつかない。
「あたしが思うに犯人の目的は『あたし』なんじゃないかと思うの」
 全員が悩んでいると、樹里が静かに口を開いた。
「樹里が目的?」
「どういうこと?」
 拓実と雄治が樹里に訊ねる。
「まずうちのクラスの劇の衣装やセットが壊された事件、数日前に感じた誰かの視線、それにこれ。全部あたしが関係してる」
 言われてみればそうだ。全て樹里が関わっている。誰かの視線というのは置いておくとしてもだ。
「そらそうだけどさぁ・・・・・・」
 雄治は納得が行かない。だけど否定するにもどう返せばいいのか分からない。
「だったらこんな遠回しなことするか? それだと俺のクラスの衣装がボロボロにされた理由の説明がつかないぞ」
 拓実が意見すると、樹里は言葉を濁した。
「それは・・・・・・分かんないけど・・・・・・」
「樹里、考えすぎだ」
 今まで黙って聞いていた涼がポンっと樹里の肩を叩く。
「そうかなぁ?」
「そうだよ。全部偶然的に樹里が関わってるけど。考えすぎだ」
「そうだな。涼の言うとおりだと思うよ」
 拓実が同意する。
「んだんだ。それに樹里にはアレがあるだろ?」
 雄治が意地悪そうに笑う。
(・・・・・・アレ・・・・・・ね)
 晴樹は思わず苦笑いを浮かべた。